「ロザリー」
ホルモン異常によって、男性のように体毛が多い実在した女性の物語。考えさせられることも多々ある一方で、不思議なほどに純粋な男女のラブストーリーとしても胸に迫ってくる一本でした。監督はステファニー・デイ・ジュースト。
一人の女性ロザリーが悪夢にうなされて目覚めるところから映画は幕を開ける。彼女はこれから山深い村のアベルという男性と結婚するべく父と向かうのだった。アベルの家に着いたロザリーは、不安なまま父と一緒にしばらくアベルの元に滞在するが、間も無くして父は帰っていく。アベルはロザリーの父から持参金をもらいロザリーを娶ったのだ。アベルが営むカフェは赤字でこの地の工場主でもあるバルスランから借金をしていた。
ロザリーの父が帰った夜、アベルは花嫁を抱くべくベッドに誘うがロザリーの衣服を解いて驚く。体に男性のような体毛が生えていた。しかも、顎に髭の跡もある。驚いたアベルはロザリーを遠ざけようとし、ロザリーも家を飛び出して近くの荒屋に逃げ込んでしまう。不憫に思ったアベルはロザリーを連れ戻すが、ロザリーの気持ちは晴れなかった。
バルスランからの借金の取り立てで困っているアベルの姿を見たロザリーは、カフェに来た客とある賭けをする。新聞に載っていたロブスター女の如く、見世物のような髭を生やした女がここにいるかどうかというものだった。そして一ヶ月後、もう一度カフェに来るようにという。
一ヶ月後、男性のように髭を生やしたロザリーは客の前に現れる。この一ヶ月で噂が広まっていて村人達が集まっていた。村人の反応は好意的で、この日からカフェは大繁盛をはじめる。そして、髭を伸ばしてからロザリーは悪夢を見なくなっていた。写真家もやってきてロザリーの絵葉書などを作る。しかし、保守的なバルスランやピエールは何かにつけてアベル達に不満の態度を取る。とは言え、アベルはロザリーをまだ女として見ていなくて、ある夜、とうとう、ロザリーに、見世物になってあちこち回れと罵倒してしまう。ショックを受けたロザリーは半裸の写真を撮り、そのハガキを広めてしまう。
それがきっかけで、ロザリーは村人から敵意を向けられるようになり、たまたま起こった工場の火事さえロザリーのせいにされてしまう。一方、アベルはロザリーが妊娠できるかどうか医師に診せる。結局ホルモン異常ゆえもあってロザリーは妊娠できない体だった。そこでロザリーとアベルは幼女を迎えることにするが、すんでのところで施設の寄贈人でもあるバルスランから、半裸の写真を元にクレームが来て、幼女の話も反故になってしまう。しかし、その少女との約束でロザリーはバルスランが主催する講演会に出席する。しかし、その朝、ロザリーは手首を切っていた。
倒れたロザリーは手当を受けるが、気を失っている間に父がやってきて髭を剃ってしまう。目覚めたロザリーは家を飛び出して、橋の上にやってくる。追ってきたアベルの前でロザリーは川に飛び込む。アベルは泳げないにも関わらずロザリーを追って川に飛び込む。川の中で二人は抱き合い映画は終わる。
特に秀でたところはない映画ですが、特異な体質ゆえに受けるさまざまな人々からの反応を描きながら、純粋な夫婦愛をクライマックスに描いた展開は色々考えさせられるものもあり、一方で素直に感動するところもありという作品だった。
「新世紀ロマンティクス」
21世紀初頭からの中国の変化を一人の女性を通じて描くという、ある意味ドキュメンタリーのような作品で、正直、物語と呼べるものは掴めず、過去作品の映像なども切りはりしながらの一本という感じの映画だった。全体にはこの監督の色は出ていたのですが、娯楽映画という感じではなかった。監督はジャ・ジャンクー。
一人の青年がスパナを持って、傍にはバイクが止まっていて、目先に焚き火のような火が上がっている場面から映画は幕を開ける。2001年山西省大同、女性達がカラオケだろうか歌を歌っている。当時のさまざまな姿の映像を紡ぎながら、一人の女性チャオの踊る姿、ファッションショーをする姿などを描き、やがて2006年、コロナ禍の2022年、と描かれていく。終盤に、恋人ビンを探すチャオの姿が描かれ、スーパーのレジで偶然再会する。そして夜、チャオはマラソンに出るべく服を着替えて走り出して映画は終わる。
面白かったとは言えない作品で、22年の歳月をかけたということは一種のドキュメンタリーなのではないかと思う。ジャ・ジャンクー作品でなければ見ないだろうという一本だった。