くらのすけの映画日記

大阪の社会人サークル「映画マニアの映画倶楽部シネマラムール」管理人の映画鑑賞日記です。 あくまで忘備録としての個人BLOGであり、見た直後の感想を書き込んでいるので、ラストシーンまで書いています。ご了承ください

映画感想「サブスタンス」「かくかくしかじか」

「サブスタンス」

奇抜でグロテスクな演出を徹底し、一見スタイリッシュな色彩映像で描いていくのだが、裏にあるのは、執拗に美と若さを追求する女の醜さと、女性をものとしての美しさを求める男たちの歪んだ欲望をそのまま具現化していくという露骨な作品でした。正直、終始気持ち悪くて、目を背けたくなっていく自分だけしか見えない。現実か妄想かわからないようなストーリー展開と、どこかで見たようなホラーシーンの再現、さらに過去の名作へのオマージュなどを散りばめ、カンヌで評価されたとは言え、個人的には嫌いな映画だった。監督はコラリー・ファルジャ

 

卵の黄身に注射器で何かの薬を注入すると黄身が二つに分かれてタイトル、道路に大スターの記念碑的なプレートが作られる。名前はエリザベス・スパークル、数々の賞を総なめにした大スターだ。場面が変わると今や五十歳となった彼女がダンストレーナーを務める朝の番組で華麗に踊る姿。たまたま女子トイレが塞がっていて男子トイレに入ったエリザベスは、飛び込んできたプロデユーサーのハーヴェイがエリザベスの悪口を電話で言っているのを聞いてしまう。

 

ショックを受けたエリザベスが、心ここに在らずで車を運転していて事故を起こしてしまう。病院で軽傷で済んだが、若い医師が意味深な言葉を投げかける。しばらくして、彼女に「サブスタンス」と書かれた謎のUSBが郵送される。最初は相手にしていなかったが、番組を降板させられるに及んで、その封筒に書かれていた電話に電話をする。そしてある住所を告げられる。

 

エリザベスはその住所へ行き、同封されていたカードを使って狭い部屋に入ると真っ白な部屋にロッカーが並んでいた。そのロッカーからあるパッケージを手に入れる。そのパッケージには。自分という存在が入れ替わる様々な薬剤などが入っていた。自分と入れ替わるには一週間という取り決めがなされていたが、あくまで一人の人物であることに変わりはないと注記されていた。藁をも掴む思いでその薬剤を注射したエリザベスはその場で気を失ってしまう。エリザベスの背中を破って若返った姿の女が現れる。

 

若返った女はエリザベスの背中を縫い合わせ、自身の安定化のためにエリザベスの体から体液を7日分抽出する。その頃、ハーヴェイはエリザベスの後釜のスターのオーディシィンをしていた。若返ったエリザベスはスーと名乗ってそのオーディションを受けて見事合格する。スーはハーヴェイに気に入られ人気が急上昇していく。

 

しかし、一週間ごとに入れ替わらないといけない制限が、次第にスーには面倒になってくる。ある夜、遊びたくて一晩だけ時間を伸ばすためエリザベスの体液を抽出したが、入れ替わったエリザベスが元に戻ると、人差し指が極端に老いていた。エリザベスは、スーが自分勝手なことをしたことを知り、自分の姿の時に暴飲暴食をし、スーに復讐する。そしてそれぞれがそれぞれの姿の時に相手に嫌われるような行動をするようになる。

 

スーの人気はますます高くなり、新しい番組と年末の特番の司会を任されることに決定する。そのために三ヶ月の準備期間が必要になり、スーは必要以上にエリザベスの体液を抽出していく。スーは男性との関係に明け暮れ始めるが、男とベッドインする時突然安定化が崩れ始める。スーはエリザベスと入れ替わろうと戻るが、戻ったエリザベスは無惨に老いた姿のなりショックを受ける。

 

エリザベスはサブスタンスの提供者に電話を入れ、スーとの入れ替わりを終わりにしようとするが、届いた薬をスーに注射しかけて結局できなかった。元に戻ったスーは自分を亡き者にしようとしたエリザベスに暴力を振るい、足蹴にして殺してしまう。そして年末特番の日、楽屋にいたスーは体の異常を感じ慌てて自宅に戻り、一回限りというサブスタンスの薬を注入する。すると、スーの体が裂けて中から悍ましい姿の化け物が現れる。

 

化け物は、エリザベスの写真を顔に貼り付け、特番のステージに現れる。客席からは罵声と恐怖の叫び声が聞こえ、化け物は首を切り落とされる。切り落とされた首はエリザベス・スパークルのプレートの上で血だらけになり溶解、清掃車に洗い流されて映画は終わる。

 

ホラー映画の如き展開で描く、女性の美への追求を悍ましく映像にした作品で、とにかく気持ちが悪い。嫌悪感というよりも、極端な描写が目を背けたくなる感じがする映画だった。「スター誕生」のスノーガラスを投げつけるシーンや「マニトウ」同様に背中から人間が現れるシーンなど過去作を踏襲したシーンは面白いけれど、カンヌ映画祭脚本賞といっても、個人的には流石にいただけない一本でした。

 

 

「かくかくしかじか」

普通の映画でした。漫画家東村アキコの自伝的作品を実写化したものですが、ただそれだけという映画で、演出も妙に芝居がかってあざといし、脚本も雑で、あるあるばかりの芸のなさはちょっと映画としてどうだろうという仕上がり。物語の雰囲気も今ひとつ迫ってくる厚みもなく、普通、ただそれだけの映画だった。監督は関和亮

 

部屋でタブレットに絵を描いている林明子の姿から映画は始まる。今や売れっ子漫画家東村アキコとなった彼女はこの日マンガ賞の披露パーティだった。アシスタントに急かされて慌てて会場へ行き、彼女の高校時代に出会った日高という絵画教室の先生の話を始める。

 

宮崎に住んでいた明子は子供の頃から漫画家を目指していた。と言っても、好きな漫画をひたすら描くだけで、それを周囲の大人が褒めるのでいい気になっていた。その勢いで高校で美術部に入り、美大を目指すと豪語するが、美術部の顧問も褒めるばかりで、明子は調子に乗るばかりだった。

 

友人の勧めで、美大目指すなら絵画教室に行く方が良いと言われ、日高という教師のいる絵画教室にやってくる。そこで、竹刀を振り回して、言いたい放題に振る舞う日高という先生と出会う。周りにチヤホヤされて天狗になっていた明子は日高にボロクソに言われ、一旦は逃げ出すが、何かにつけて体当たりで接してくれる日高にいつの間にか惹かれ、次第に絵画教室に通うようになる。

 

やがて美大受験が迫り、日高が進める東京芸大ではなく、東京学芸大と金沢美術工芸大学を受験したが、結局金沢美術工芸大学に合格し、明子は金沢で下宿することになる。何かというと描け描けと言っていた日高がいなくなって普通の女子大生になった明子は、遊び呆けるばかりになってしまう。日高は明子の才能を認め、いつか二人展をしようと話す。

 

明子は卒業して宮崎に戻るが、しばらく日高の絵画教室に勤めることになる。そんな明子に両親は就職を勧め、父の会社のコールセンターに就職する。しかし、どうにも性に合わない明子は、仕事を辞めるために漫画を描き始める。そして集英社のコンクールで三席に入選したことがきっかけで次第に漫画家としての道を歩み始める。明子は東村アキコと名前を変えて東京で漫画を描き始める。

 

そんな明子に、日高から、癌になったと電話が入る。すでに末期で余命四ヶ月なのだという。明子は宮崎に帰り日高に会うが、仕事が忙しくすぐ東京へ戻る。間も無くして日高が亡くなる。明子は、次の作品に日高のことを描くことにし、宮崎の海岸で日高を思い出していた。そこに、日高が現れ、もう大丈夫らしいからと去っていく。こうして映画は終わる。

 

とにかく、全体に抑揚も何もない一本で、役者たちの演技も秀でたものはないし個性も発揮されていないのは脚本の弱さか演出の甘さかわかりませんが、そこまで求めない映画なのかもしれません。凡作と言えばそれまでですが、かと言ってこれはこれで楽しんだ自分がいたことも確かです。