「絶望の日」
小説家カミール・カステロ・ブランコの最後の日々を描いた作品。映像と音楽と語りで淡々と描かれる作品で、この作家の知識がないとほとんどわからない感じの映画なのですが、映像の作りは流石に限られた監督にしか描けない完成度が見られるから大したものです。とは言え、正直、退屈な映画だった。監督はマノエル・ド・オリヴェイラ。
タイトルが終わると、馬車の車輪を映しながら、カミールが娘アニエスに当てた手紙を呼んでいる声から映画は幕を開ける。カミールは晩年目の病で視力が衰え、愛人アナの居宅で暮らす。映画は、それぞれの登場人物を演じる俳優がカミールの姿を語り、時にカミールが書いた手紙を読み、ほとんどカメラは室内から外に出ることなくカミールの晩年を語っていく。
そして、視力が完全に無くなったカミールは、有名な医師を自宅に呼び、治療を求めるが、医師はまず全身の診察を受けてから自分の診療所に来るようにと勧めてその場を去る。妻は医師を見送って玄関を出たところで銃声が聞こえ、慌てた妻らが駆け戻るが間も無くしてカミールは亡くなってしまう。カミールが葬られた墓地、さらに妻の語るカミールの最後の姿を映して映画は終わる。
結局、語りと、映像、流れる音楽、その組み合わせだけで作り上げられていく作品で、その絶妙のリズムを楽しむべきなのだろうが、流石にしんどかった。
「カニバイシュ」
ファンタジーか喜劇か、なんとも言えない展開に、唖然としてしまいました。オペラ調で終始物語は進むのですが、終盤のクライマックスから後がいきなり破綻していく流れになって、あれよあれよとやりたい放題の映像の中でエンディングを迎える。笑って良いものやら何やら、そんな奇妙な感覚のまま映画館を後にする作品だった。監督はマノエル・ド・オリヴェイラ。
壮麗な貴族の大邸宅、次々と車で名だたる貴族、淑女が到着する。まるで観客よろしく、柵の向こうで拍手をして出迎える庶民達。このオープニングからして奇妙です。プレゼンターとなる男性が現れ、オペラ風に歌いながらバイオリンの奏者と共に物語を語り始める。その美貌ゆえに注目の的のマルガリーダ、彼女を見つめる男達の視線、その中にドン・ジョアンもいた。しかしマルガリーダが待つのは大富豪のアヴェレダ子爵だった。
やがて現れたアヴェレダ子爵は、マルガリーダの美しい姿に魅了されダンスに誘う。そして、そのまま二人は結婚することになるが、マルガリーダに恋焦がれるドン・ジョアンは、二人から目を離さなかった。そして初夜を迎える部屋で、アヴェレダ子爵は、実は自分は人間ではなく彫像だと告白、衣服を脱ぐと手足を取り外してしまう。悲鳴を上げるマルガリーダは、部屋を飛び出し、手足を外して動けなくなったアヴェレダ子爵は、そのまま転げ落ちて暖炉の中で燃えてしまう。
二人をずっとつけ、アヴェレダ子爵を殺して自分も死のうと思っていたドン・ジョアンは、部屋に飛び込むと、投げ捨てられた手足と暖炉で燃えるアヴェレダ子爵の姿があった。ドン・ジョアンはマルガリーダを追って部屋を飛び出す。翌朝、新婚夫婦の姿が見えないとマルガリーダの父は、新郎新婦の部屋に入っていくが、そこでなんとも言えない肉の焦げる匂いに気がつく。早朝で空腹でもあったマルガリーダの父は、アヴェレダ子爵のイタズラだろうと、息子二人を誘って暖炉の中の肉を先に平らげてしまう。ところが庭で使用人達が騒いでいた。
父と息子二人が庭に行くと、マルガリーダが死んでいて、傍にドン・ジョアンも血を流していた。マルガリーダは自殺したのだといい、ドン・ジョアンも自ら銃で自身を撃ったのだと言うが、死の間際、アヴェレダ子爵は暖炉で息絶えていたと告白する。マルガリーダの父と息子は自分たちが食べた肉がアヴェレダ子爵だと知る。そして、娘の後を追って自殺しようとするが、そこで法律家の息子が、アヴェレダ子爵もマルガリーダも死んだので遺産が入るのではないかと言う。そんな息子を見ていた父らは、その息子が豚に見え、自分たちは猟犬に変わって豚に襲いかかる。庭にいた使用人達も獣に変わり豚に襲いかかり。次の瞬間プレゼンターは消えてしまい、人々は噴水の周りをまわり踊り始める。そして映画は終わる。
なんとも言えない自由な発想の塊のような作品で、マノエル・ド・オリヴェイラ作品と思わなければ、珍妙な一本と感想してしまうような映画だった。