「夜顔」
ルイス・ブニュエルの「昼顔」の38年後と言う設定で、その作品にオマージュを捧げた映画ですが、なんとも奇妙な映画だった。意味ありげなショットを挿入して、かつての女性セヴリーヌを追いかける老人の独りよがりの物語という一本。絵作りは美しいが、なんとも言えない作品。監督はマノエル・ド・オリヴェイラ。
タイトルバックにオーケストラが映され、そのコンサート会場にいるユッソンが、客席にかつての友人の妻セヴリーヌを見つけたところから映画は幕を開ける。演奏の後、セヴリーヌをつけるユッソンだが、見失ってしまう。たまたま一軒のバーから出てくる彼女を見つけたユッソンは、そのバーのバーテンダーベネデットから、彼女の泊まっているホテルを聞き出し、ホテルへ向かう。しかし、入れ違いに彼女は出かけてしまい、彼女は出がけにベルマンに「自分のことは見なかった事にして」と事づけする。
後日、再度ユッソンはホテルを訪れるがセヴリーヌは長期の旅行に出かけたという。ヨッソンはベネデットのバーを訪れ、38年前に起こった出来事、つまり「昼顔」の話を語る。しばらくして、街でたまたまセヴリーヌを見かけたユッソンは、彼女を強引に食事に誘う。レストランで散々待ったユッソンだが、遅れてセヴリーヌはやってきた。
無言で食事を済ませ、二人きりになったユッソンは、彼女にプレゼントを手渡す。しかし、それは過去の思い出を刺激するものだった。結局、セヴリーヌは怒って席を立ち、ユッソンは、給仕にチップを渡して、セヴリーヌが忘れたバッグを持って彼女の後を追う。出口には鶏が立っている。こうして映画は終わる。
レストランでのユッソンの態度は、どう見てもいけすかない老人の姿で、一見、真摯に振る舞っているがどこかいやらしさが見え隠れしてくる。それを見抜いたセヴリーヌがキレて立ち去る様はある意味爽快でもある。「昼顔」へのオマージュというか、ルイス・ブニュエルへのオマージュが見え隠れする作品で、奇妙な一本ながら、面白い作品でもあった。
「国宝」
圧巻の三時間という出来栄えの大作。華麗な歌舞伎シーンの連続を軸に、歌舞伎役者として生きる二人の主人公のドラマを丁寧な演出で描いていく迫力は、最近の邦画の中では白眉の出来栄えだと思う。名だたる巨匠が描いてきた関西を舞台にした芸道ものとして今の時代ではよくできた作品。とは言え、原作の仕上がりを映像に転化する際の脚本が若干雑で、小さなエピソードを無理やり放り込んだ部分が目立つ上に、芸達者を揃えたとは言え、チグハグな配役が映画の格調を下げてしまったのは非常に勿体無い。監督は李相日(りさんいる)。
1964年長崎、歌舞伎役者の花井半二郎が、この地で興行するにあたり地元の立花組の宴席に招待されてやってきた場面から映画は幕を開ける。余興で、立花組親分権五郎の息子喜久雄が女形の舞を披露するが、その才能に半二郎は目を惹かれる。舞を終えて休んでいた喜久雄だったが、宴席が騒がしくなったのに不審に思う。どうやらヤクザ者の出入りらしく、半二郎は咄嗟に喜久雄を庇い、奥に隠す。庭ではむかえうった権五郎が銃弾に倒れてしまう。半二郎は喜久雄を引き取り、部屋付として歌舞伎の修行を喜久雄につけ始める、
半二郎の息子俊介も喜久雄と同じ歳だったこともあり二人は修行にお互い切磋琢磨し始める。半二郎は二人を人間国宝万菊の舞台に連れていく。二人は万菊の舞台を見て、人間国宝の真価を目の当たりにしてしまう。やがて、喜久雄も俊介も成人になり、祇園でお茶や屋遊びをした際、喜久雄は祇園芸者藤駒と知り合う。そんなある時、半二郎が交通事故で重傷を負う。舞台本番が迫る中、半二郎の妻幸子は、俊介に、代役は血筋のある俊介になるであろうと仄めかすが、半二郎が選んだのは喜久雄だった。
意外な事に幸子も苦言を呈するものの半二郎の考えは変わらず、喜久雄は無事半二郎の代役を果たす。その姿を見た俊介は、家を出てしまう。時が流れ、体力的にも衰えが目立ち、目も見えづらくなった半二郎は名跡白虎を襲名し、半二郎の名は喜久雄に譲る事を決心する。ところがその襲名披露の舞台で白虎は吐血しそのまま亡くなってしまう。白虎は舞台での死の間際、俊介の名を呼び、喜久雄は、自分が血縁でない事をはっきりと知ってしまう。
白虎の死により、半二郎の名跡を継いだとはいえ喜久雄は主要な役からは辞されるようになってしまう。喜久雄は、なんとか役を手にれるべく、歌舞伎役者千五郎の娘彰子に近づき、恋仲になってしまう。怒った千五郎は喜久雄を罵倒し、彰子共々歌舞伎界から追い出してしまう。その頃、行方不明だった俊介が戻ってくる。花井の家を出ていく喜久雄に、必ず呼び戻すからと励まして送り出す俊介だった。やがて俊介は花井半弥を名乗って、花井の名跡を継ぐ事にする。万菊は俊介に稽古をつけていく。
一方、喜久雄は彰子と共に地方の温泉や、保養施設で舞台を演じながら細々と暮らしていた。しかし、下世話な客に揶揄われることもあり、次第に自分の存在に疑問を感じ始めていた。そんなある日、歌舞伎のスポンサー梅木の元にいた竹野が訪ねてくる。万菊が喜久雄に会いたいと言っているという。喜久雄が、今や役者を辞め、寂れた老人ホームで暮らす万菊の元を訪れる。そして、俊介の誘いもあり、喜久雄は再び歌舞伎の世界に戻り、半二郎、半弥として舞台を務めるようになる。
ところが、俊介は突然舞台で足を踏み外してしまう。糖尿病の治療をなおざりにしていたため、片足は壊死し、膝から下を切らなければいけないのだという。片足になった俊介は、かつて喜久雄が演じた曾根崎心中のお初をやってみたいと喜久雄の元に現れる。実は、もう片方の足も切らないと命が危ないのだという。
喜久雄は自身が徳兵衛を演り、俊介がお初を演じるが、俊介は舞台途中で半ば倒れてしまう。それでも最後まで演じた俊介だが、それを最後に命尽きてしまう。時が流れ、喜久雄は若くして人間国宝に選出される。その取材の席でカメラマンとして現れたのは藤駒の娘だった。喜久雄は、片時も藤駒のことは忘れたことはないと答える、この日、先代花井半二郎の十八番だった鷺姫を演じる喜久雄の姿があった。こうして映画は終わる。
ほぼ三時間、ひとときも退屈させることなくグイグイと展開するドラマは、なかなかのバイタリティなのですが、藤駒のエピソードや、失踪中の俊介のドラマ、冒頭の竹野や、梅木の存在が物語に厚みをもたらしていなくて、さらに、喜久雄のかつての恋人春江を俊介が奪うくだりもかなり雑。それぞれの役者は、芸達者なのですが、全体の配役がチグハグでしかも原作で描かれる様々なエピソードを全て整理せずに詰め込んだ脚本が、映画全体を散漫にしてしまったのは本当に勿体無い。期待が大きすぎたために厳しい感想になっていますが、映画のクオリティはそれほど悪くなかったと思います。