くらのすけの映画日記

大阪の社会人サークル「映画マニアの映画倶楽部シネマラムール」管理人の映画鑑賞日記です。 あくまで忘備録としての個人BLOGであり、見た直後の感想を書き込んでいるので、ラストシーンまで書いています。ご了承ください

映画感想「我来たり、我見たり、我勝利せり」「ラ・コシーナ/厨房」

「我来たり、我見たり、我勝利せり」

狂っている。まさに狂った映画。なるほど、解説にもあるように資本主義の終末的な世界をブラックユーモア然として描いた作品である。物語は寓話であるが、何やら合いの手のような奇声が挿入される効果音、殺人が普通に起こり、不条理が普通に罷り通るシュールな世界観。だからと言って高級感は全くなく、ラストは「2001年宇宙の旅」を嘲笑うようなパロディシーンで締めくくる。面白いというより変わった映画だ。そんな感想しかない一本だった。監督はダニエル・へースル&ユリア・ニーマン。

 

山間の道路を颯爽とロードバイクで走る一人の青年。カーブに差し掛かり、突然銃声がして倒れる。引き返そうとするが続いて銃声が聞こえて青年はガードレールの下に吹き飛ばされる。二人の男アマンと使用人のアルフレードが銃を持って現れて映画は幕を開ける。続くシーンでカップルが抱き合っていると銃声がして、そのカップルは死んでしまう。アマンが山を下っていき、そこへ、狩猟監視員の男が声をかけるがアマンは知らぬふりで消えてしまい、乗ってきた車を乗り捨てて去っていく。

 

アマン・マイナートは起業家として成功し、莫大な財産を築いて幸福な人生を歩んでいるが狩猟が趣味だった。しかも狩の対象は自分達上級国民ではない庶民だった。警察も政府もマイナート家に逆らうことをせず、全てマイナート家の思うままだった。娘のパウラもまたそんな父のもとで上級国民という自分自身を自覚していた。アマンの妻ヴィクトリアは長年不妊治療をしていたが、ここにきてとうとう妊娠する。アマンはライバル企業も強引に合併してしまい巨大蓄電池工場を建設、さらに街に雇用を生み出して大臣からも賞賛される。

 

狩猟監視員は、何度も警察に、アマンの殺人について訴えを起こすが警察は相手にせず、とうとう何者かに撃たれて死んでしまう。そんな事件をジャーナリストのカロッタが嗅ぎつけてパウラに近づく。マイナート家に手が届かないカロッタは、法務大臣に直訴しようと試みるが、法務大臣はあっさり辞職、アマンはカロッタを大臣にしようと言い出す。

 

カロッタはアルフレードに銃の指南を受けるパウラに立ち会うが、パウラは突然アルフレードを撃ってしまう。しかし、警察は彼女が十三歳だからと釈放する。マイナート家に逆らうことはできないと判断したカロッタは、結局、マイナート家でアルフレードの後の使用人となり、アルフレードと名を変える。この日、湖の辺りでカップルが抱き合っていたが、突然銃声が響き二人は死んでしまう。傍の赤ん坊も撃ち殺される。撃ったのはパウラだった。ヴィクトリアは無事出産し、赤ん坊を抱き上げる背後に美しき青きドナウが流れて映画は終わる。

 

資本主義を嘲笑うかのように非難するユーモア満載の寓話という作品で、決して気分が悪くなるとか、不気味なホラー映画の雰囲気も感じさせないドライ感のある、ある意味潔しという感じの作品でした。

 

 

「ラ・コシーナ/厨房」

約70年前の戯曲を原作に、世界のさまざまな縮図を厨房という空間に凝縮して描くユーモラスなエンタメ映画であるが、そこに映し出されるのは、執拗な偏見と差別、さらに移民問題、が絡み合って、モノクロながら目を背けたくなるほどの汚れた映像が炸裂。長回しのカメラワークと細かいカットの繰り返し、コマ落としのような映像とスローモーションを駆使した絵作りがなかなか見事。作品が好みかどうかというより、こういうドキュメンタリータッチを自在に操った演出は見る値打ちのある一本だった。監督はアロンソ・ルイスパラシオス

 

一人の少女エステラが、ニューヨークの港に着き、地下鉄を駆使してニューヨークの大型レストラン「ザ・グリル」にたどり着くところから映画は幕を開ける。このレストランの従業員ペドロに勧められてやってきたエステラだが、担当者ルイスにアポも取っていないのに面接してもらえるかどうかと同じく面接に来ている女性に言われる。ところが、この日、厨房の売上金約800ドルが消えたことから、そのどさくさの中エステラはこの店で働けることになってしまう。

 

さまざまな人種が入り乱れる厨房の中で、やってきたメキシコ移民のペドロはエステラのことを覚えていない。しかもペドロはジュリアという白人女性と恋愛中。ジュリアは妊娠したことがわかり、中絶費用を工面しようとしていたが、ペドロは父親になることに嬉々として大喜びする。ペドロは同じ厨房のマックスと仲が悪く、先日もつかみ合いの喧嘩をしたばかりで料理長から叱られていた。

 

レストランのかきいれ時の時間になると、厨房内は戦争になり、さらに、ドリンクの機械が不具合で水浸しになるし、いつまでもペドロ担当の料理はできず、客からのクレームも飛び交い始める。支配人のラシッドは、行方不明の800ドルの犯人探しをルイスに命ずる。一夜が明け、翌朝、ペドロはジュリアと公園でデートしる約束をしていたがジュリアは現れない。ジュリアは一人病院へ行き中絶手術をしてくる。

 

その夜の厨房、ルイスは、ジュリアの中絶費用が800ドルというのを聞き、ペドロにターゲットを絞って問い詰めていたが、術後間もないジュリアは厨房で倒れてしまう。ペドロが駆けつけたが、そこへジュリアの息子が迎えにやってくる。ジュリアには息子がいた。呆気に取られるペドロだが、ルイスが800ドルの話の続きをしようと詰め寄ってくる。ところが、経理のマークがルイスのところにやってきて、800ドルの入った袋は机の下に落ちていたと言う。

 

一方、注文の伝票が、受信機から次々と出てきて厨房内はこの日も繁忙時間を迎えていた。いつまでもチキン料理ができないとペドロに詰め寄るウェイトレスだが、ペドロ達は袖にしてしまったのでキレたウェイトレスは、料理を投げつける。それをきっかけにペドロはメキシコ人の自分を蔑んでいると叫び始め、厨房内で大暴れし始める。マックスも殴りかかり、厨房はメチャクチャに破壊されてしまう。注文の受信機もペドロに壊されるが、そこへラシッドがやってきて、自分の時間が止まってしまったと調理人達を見回す。そこにはさまざまな人種の顔があった。呆然とするエステラの顔で映画は終わっていく。

 

繁忙を極める厨房内を捉える14分のワンカットの長回しや、冒頭のエステラがニューヨークにやってくる時のコマ落としのような演出、一仕事の後、夜明けの店の外で従業員達が夢を語る場面の息抜きなど、舞台劇らしい緩急を映像に昇華した演出は実に上手い。クライマックスの食材にまみれるペドロのショットはやや汚くて目を背けるが、厨房内の時はスタンダードに戸外の時はワイドスクリーンにする工夫も面白い。好みのタイプの映画ではないですが楽しめる一本でした。