「メガロポリス」
フランシス・フォード・コッポラ監督が仕掛けた壮大な寓話という一本。アメリカを大帝国ローマに見立てて、近未来なのかSFなのか、ファンタジーなのか、現代アメリカを揶揄したものか、未来への希望を描かんとした大叙事詩という映画だった。今はご高齢のダスティン・ホフマンやジョン・ボイト、タリア・シャイアなども傍に配置して、CG満載で描いていくが、そこに見えるものは現代アメリカへの嘆きか、希望か、なんとも表現しづらい作品でした。
エンパイアステートビルの摩天楼から外に出る一人の男カエサル。今にも飛び降りようとして「時よ止まれ」と叫ぶと、時間がストップするところから映画は幕を開ける。天才建築家カエサルは、メガトロンなる新物質を発明してノーベル賞を受賞し、新都市メガロポリス建設のために開発を進めていた。ここにニューローマ市の市長キケロの娘ジュリアは、目の前でカエサルが時を止める瞬間を目の当たりにし、カエサルのもとで働く事を決意するが、キケロとカエサルは相対立していた。カエサルは亡き妻サニーの亡霊に取り憑かれていた。
この街の大富豪で銀行家のクラッススは、若い妻ワオを迎えることになり、壮大なパーティを開催していた。ワオは処女という事だったが突然、動画が映される。そこにはワオとカエサルがベッドで抱き合う場面があった。カエサルは未成年者との異性行為で逮捕されるが、ワオは、年齢詐称していた上にこの動画はフェイク動画であることがわかる。釈放されたカエサルは、時間を操る能力が失せてしまったが、ジュリアと親しくなることでその能力が蘇る。やがて二人は愛し合うようになり、ジュリアは妊娠する。キケロは、表に裏にも支援する事を約束してジュリアと別れるようにカエサルに言う。
クラッススの事業と財産を手にしようとするワオはクローディオと組んでクラッススを貶めて事業を乗っ取ってしまう。しかし、ベッドで横たわったままに見えたクラッススは隠していたボーガンでワオを射殺し、クローディオにも矢を突き立てる。市民たちの不満が高まる中、カエサルは、キケロのバックアップもあり、メガロポリス完成に向けて計画を進め、ついに念願のメガロポリスは完成、キケロやジュリアらが市民たちから賞賛を浴びて映画は終わっていく。
H・G・ウェルズの「来るべき世界」に着想を得た作品という事で、さまざまなトラブルの中、私財を投げ打って完成させた一本。ネットの評判は良くないし、コッポラ作品なのに、上映回数も非常に少なく、世間の期待はほとんどない映画でしたが私個人的には十分楽しめました。
「ドッグ・レディ」
犬と暮らす一人の女性を淡々と描いていくだけの映画で、主人公のセリフは全くなく、絡んでくる何人かだけがセリフらしきものを喋る。こういう映画もあるもんだという一本だった。監督はラウラ・シタレラ、ベロニカ・ジナス。
ジャングルの中を進む一人の女性の後ろ姿から映画は幕を開ける。パチンコで何やら獲物を仕留める。彼女の周りにはたくさんの犬が寄り添っている。映画はこの女性と犬たちの日々を夏、秋、冬、春と描いていく。と言っても何かドラマが展開するわけでもなく、浮浪者の如く生活する日々、体調が悪く診察に行き、何やら重大な何かが見つかったようなシーン、釣りの好きな男との会話、捨てられた犬を介抱する姿などを映していき、ラストは遠景で、女性が突然倒れたかの場面、しばらくすると立ち上がり歩いて行って映画は終わる。
ドキュメンタリーでもないがフィクションとしてのドラマでもない。なんとも不思議な一本でした。