「ジュラシック・ワールド 復活の大地」
エンタメ映画として単純に面白い。デビッド・コープが脚本に参加したからかもしれないが、見せ場の連続で、ラストシーンまで飽きさせないのですが、だからといって映画としてよくできているかというと、まあ中レベルという仕上がりでした。中心になる話と傍の家族の物語の意味がよくわからないのですが、これはおそらく続編への伏線ということなのでしょう。監督はギャレス・エドワーズ。
17年前、赤道付近の研究施設、恐竜の人工勾配による突然変異体の研究が行われている場面から映画は幕を開ける。しかし、ふとしたミスから密閉装置が異常を示し、研究員の一人が犠牲になる。そして時が流れる。街では時折彷徨い込んだ恐竜が捕獲されたりする情景が描かれる。傭兵として、状況判断などリーダー的な仕事をするゾーラが、とある企業から高額の報酬で、あるミッションの依頼される。それは心臓病の奇跡的な治療薬を作るために陸、海、空の恐竜のDNAを採取することだった。しかし、その地域への潜入は違法であった。
ゾーラはかつての仲間ダンカンや生物学者ヘンリーなどと共に、禁断の地を目指す。その頃、ある家族が大西洋上の航海をしていたが、突然恐竜に襲われ転覆、SOSを発信する。その緊急信号をたまたまキャッチしたダンカンらはその家族を救出するがミッションはそのまま遂行する。途中、海洋恐竜のサンプルは手にしたものの、突然変異した恐竜に襲われ、島に辿り着いた一行は、残る陸上生物と鳥類生物のサンプルの採取を目指し奥地へ向かう。
ゾーラはあらかじめ、救出用のヘリコプターを手配していた。陸上恐竜、翼竜のサンプルを苦難の末手に入れて、無事帰途に着くが、ダンカンの仲間や、企業から派遣されてきた人物の犠牲が伴った。こうして映画は終わる。
中身がないと言えばそれまでの一本で、冒頭の遺伝子操作による研究、企業側の利益至上主義の展開や救出される家族のヒューマンドラマそれぞれが実に甘く、力強さがないので、平坦に見せ場だけの娯楽映画に仕上がった感じです。恐竜の造形も今更目新しさもなく、面白かったけれど映画としてのワクワク感はなかった。
「硫黄島」
非常に真面目な作品で、公開当時、まだまだ戦争経験者がいる中での公開ならかなり胸に迫るものがあったのだろうと思われる一本でした。監督は宇野重吉。
昭和二十六年、新聞記者の武村が行きつけの居酒屋で飲んでいると、店の隅で飲んだくれていた男が一旦外に出て、店員が忘れ物を届けに追いかけて行ったと思うと戻って来る。そして、武村が新聞記者だというので絡んでくる。男の名は片桐と言った。後日、武村の会社にやってきた片桐は、真摯に謝り、自分は硫黄島の生き残りで、近々硫黄島に行く予定だと話し始める。興味を持った武村は、片桐の話を記事にするが、間も無くして、硫黄島へ行く日にちが変わったと片桐から連絡が入る。
片桐の目的は硫黄島に埋めた自身の日記だという。しかし、その後も、硫黄島行きが怪しくなったなどという連絡をもらい、武村は片桐の言葉に疑問を感じ始める。ところが、しばらくして片桐が硫黄島で亡くなったという連絡が入る。興味を持った武村は、片桐のことを調べ始める。一緒に生き残り、食べ物を探し回ったという木谷に会い、住んでいたアパートの隣人に会い、恋人らしい森看護婦にも会う。さらに、片桐が話していたもう一人の生き残り岡田の存在から、片桐が、戦争で心が傷つき罪悪感に苛まれていたらしいことを知る。
森看護婦は岡田の妹らしかった。さらに、木谷、岡田と逃亡生活をしていた際、岡田を置き去りにしたことや、結局岡田が亡くなったこと、木谷と殺し合いをしたことなどが明らかになる。知れば知るほどに、片桐の苦悩に苛まれ始めた武村は、この日も行きつけの居酒屋に立ち寄り酒を飲む。こうして映画は終わる。
なんとも言えない辛い作品で、とにかく真正面から物語を描いていく真摯さに次第に打たれていきます。さすがに今となっては身につまされるリアリティは感じられませんが、良質の作品でした。

