「ラビリンシア」
アジア各国で撮影した短編スリラーを集めたオムニバスです。それぞれに監督のシャープな感性が見られる寒気がするほどにぞくっと恐怖を感じさせてくれる作品達でした。面白かった。監督は中西舞。
第一話SWALLOW
ホテルの一室、友人の雪蘭をミミが訪ねて来るところから映画は幕を開ける。次回作の主演が決まり、意気揚々としかも上から目線で語る雪蘭の前で、ミミは、程よく会話を繰り返す。そして、十年前に二人が共演した時の写真を雪蘭に見せる。それを見た雪蘭は、ミミの容貌が変わっていないことに驚き、自分にもその秘密を教えて欲しいと頼む。
ミミは早速雪蘭を謎の晩餐会に招待する。その美食倶楽部では、ミミらよりはるかに年上の元女優達が、雪蘭くらいの姿で集っていた。まず始めに雪蘭は、解毒剤と呼ばれる薬と蛇の血を飲まされる。そして出てきた料理は蛇だった。ミミ達はその蛇を生で食べ始めるが、雪蘭は無理と感じその場を逃げ出そうとする。ところが、時計が深夜を告げると、ミミ達は突然、憑かれたようにうなだれ、次の瞬間、雪蘭に向けた顔の皮は剥がれ始めていた。雪蘭は絶叫して逃げ出す。実はそれは全て、雪蘭に恨みを持つ女優達の嫉妬と恨みの復讐劇で、全て作り物だった。
翌朝、ミミに、雪蘭が主演するはずだった映画のプロデューサーから電話が入り、雪蘭が来ないので、ミミが代役で主演してほしいと追うものだった。ミミは洗面所で身支度をし、雪蘭の履いていた赤いハイヒールを履いて出掛けていく。浴室には雪蘭らしい死体が横たわっていた。こうして映画は終わる。
第二話HANA
シーツを被った幼い少女がマンションの窓の外を眺めている。忙しそうに母親が入ってきて、頼んでいるベビーシッターと電話のやり取りをした後、ベビーシッターのスジンがやって来る。母親は、スジンに任せてそそくさと仕事に出かける。スジンは、物音がしたのでHANAの部屋に行くが誰もいない。シーツを被った子供らしい何者かが走り回り、スジンはかくれんぼのつもりで相手をしているが、近寄ってきたHANAのシーツを取ると、恐怖に慄いて部屋を飛び出して逃げてしまう。
場面がフラッシュバックし、仕事で出かける母親、シーツを被って遊んでいた少女は、マンションの窓を開けて母親に声をかけるが次の瞬間、シーツが翻る。HANAという少女は既にこの世にいなくて、シーツを被った幽霊として家の中を闊歩しているかのような説明の映像が被り映画は終わる。
第三話告解
教会で祈りを捧げる神父の背後に一人の女性が現れ、告解をしたいという。神父は真摯にその女性の申し出を聞き始める。女性は幼い頃貧しくていじめに遭っていたが、芋虫を握りつぶすことで気持ちが晴れるようになった。しかし、母親の愛人に暴力を振るわれ始め、今度はカエルを踏み潰すことで気持ちが晴れるようになった。しかし、彼女に降りかかる不幸がさらに進むと、さらに大きな生贄の必要を感じたという。
神父は、告解を聞くうちに、なんとも言えない恐怖を感じ始める。そして最後に、女は悔い改める祈りの声を唱えるが、傍に赤ん坊がいた。女は赤ん坊を抱いて去ろうとするが、神父は、不気味な予感を感じながら、赤ん坊を可愛がるように送り出して映画は終わる。
三話とも、巧みなカメラワークと物語構成で見せる手腕はなかなか秀逸で面白い。ストレートに恐怖を画面に出すのではなく、映像の裏面とストーリーの行間で表現していく演出に、直接芯に迫って来る恐怖を感じさせられて、なんとも言えない寒気を感じてしまう。なかなかの映画だった。
「蟲」
面白いと言いたいところですが、正直、何を描きたいのかよくわからない上に、シュバンクマイエル独特のアニメシーンも少なく、作品自体もいつものシュールさの影がなく、退屈な一本でした。監督はヤン・シュバンクマイエル。彼が最後の長編映画として完成させた作品。
蟲の格好をした男が家を出て、稽古場所へ向かう場面から映画は幕を開ける。小さな街のアマチュア劇団が、チャペック兄弟の「虫の生活」の第二幕「捕食動物たち」を上演するべく準備しているが、演出家の熱意をよそに、やる気のない役者たち。さらに演出家の妻はハチ役の男と不倫しているようで、リハーサルを繰り返すが一向に演出家の思い通りに進まない。映画は、主になる物語と、それを映画にするシュバンクマイエルの姿、さらに撮影する場面を交錯させながら進む。そして、終盤に向かい、演出家の妻は妊娠していて、出産し、女の子が生まれて、なぜか、それなりに成長した頃、稽古は一段落して、劇団員は街へ帰っていって映画は終わる。
なんとも言えない仕上がりの映画で、ヤン・シュバンクマイエルの奇才ぶりを見せられるだけの半ドキュメンタリーのような一本だった。
