「おーい、応為」
淡々と時の流れを追っていくような展開で、年代の表記、登場人物の風貌の変化と、ただただ市井の人々の物語として描いていく静かな映画だった。こういう作品を目指して作ったのだと思うが、ちょっと力強さに欠けるところがあり、何もかも押さえ気味な映像になっているのは少ししんどい。監督は大森立嗣。
お栄が、嫁ぎ先の夫の絵を罵倒している後ろ姿から映画は幕を開ける。夫に離縁されてお栄は父葛飾北斎の家に戻ってくる。部屋中ゴミだらけの父の長屋にとりあえず寝泊まりを始めるお栄。捨て犬を拾ってきたり、密かに恋心を抱く初五郎と話したり、春画を書いている善次郎と交流したりしながら、絵を描くことしかできない北斎=鉄蔵と暮らしていく。お栄は火事が好きで、夜中でも出かけていったり、母の実家に遊びに出かけたりと何もない日々を淡々と描いていく。
薬屋で、長寿になる薬剤を手に入れて、仙人になるまで生きると父と二人で飲んでみたり、襖絵を描いて欲しいとやってくる田舎侍の相手をしたりしているうちに、お栄はまた絵を描き始めるようになる。お栄の絵の才能を認めた鉄蔵は、お栄に、応為という画号をつけてやる。こうして北斎と応為の絵を描く日々が始まる。気が向いたら引っ越しを重ね、間も無くして北斎は旅の絵を描くために家を離れる。戻ってきた時にはお栄が拾ってきた捨て犬のさくらも死んでいる。時は否応なく二人を包んでいった。
自宅の長屋が火事に会い、仕方なく小料理屋を営む善次郎の所へ転がり込む。間も無くして二人は富士山の裾野に移りそこで絵を描く。鉄蔵も老い、お栄もまたよる年波になっていた。江戸に戻ろうという鉄蔵は、江戸に戻ったら好きに生きろとお栄に言うが、お栄は、鉄蔵と一緒にいることと絵を描いていることが好きだからしているのだと答える。善次郎が、鉄蔵よりも先に死んでしまい、二人は善次郎を弔う。江戸に戻ったお栄はこの日も縁側でタバコを吸っていた、食事にしようと鉄蔵に声をかけたが返事がない。お栄が鉄蔵のところに行くと、鉄蔵は絵筆を持ったまま事切れていた。その後、お栄の行方はわからなくなったと言うテロップで映画は幕を閉じる。
これと言う大きな展開もなく、葛飾北斎、葛飾応為の父娘のドラマを静かに追っていく作品として仕上がっている。決して駄作ではないが、淡々とし過ぎていて、終盤は流石にしんどい。北斎を演じた永瀬正敏の老けメイクがなかなかの見応えの一本だった。
