くらのすけの映画日記

大阪の社会人サークル「映画マニアの映画倶楽部シネマラムール」管理人の映画鑑賞日記です。 あくまで忘備録としての個人BLOGであり、見た直後の感想を書き込んでいるので、ラストシーンまで書いています。ご了承ください

映画感想「さよならはスローボールで」「見はらし世代」「ホーリー・カウ」

「さよならはスローボールで」

中年のおじさんたちのゆるゆるの草野球の試合をただ描くだけの個性的な一本。そんな単純な作品の中に散りばめられるたわいない風景、ドラマが微笑ましいほどにしんみりと胸に残ってしまう。そんな一本だった。監督はカーソン・ランド。

 

ある小さな田舎町、ラジオの声が流れ、この街の小さな事件の数々の紹介、そして近々中学校を建設するために取り壊されるソルジャーズフィールドという球場のニュースが聞こえて映画は幕を開ける。この球場で何十年もスコアラーをしてきたフラニーがヨタヨタと椅子とテーブルを持ってやってくる。間も無くして、この球場最後の試合に地元の草野球チームが集まってくる。相手チームはまだ8人しか揃っていないが、とにかく打順までにそろえばいいと試合が始まる。

 

特に上手いわけでもなく、ヤジを飛ばしながら、ビールを飲みながら、ゆるゆるの試合が展開。観客も、野球をよくわかっていない若者や暇つぶしの老人、どこかの悪ガキ程度。そんな中、点を取ったり取られたりと同点になっていく。昼が過ぎ、夕闇が迫る、姪の洗礼式があるからと途中で抜ける監督兼ピッチャーのエド。森から突然現れた老人がピッチャーをしてみたり、リリーフで入ったピッチャーは超スローボールで翻弄するかと思いきや、それもまたゆるゆる。

 

夕方になり、時間だからと審判たちは帰ってしまい、試合を続けるためにフラニーが審判代行で記者席からバッテリーを見つめる。間も無くして真っ暗になるが照明もつかない。苦肉の策で車のヘッドライトを照らして同点のまま試合は続行。そして、ようやく、押し出しの一点が入って試合は終わる。準備していた花火を打ち上げ、選手たちはめいめいの車で帰っていく。フラニーは、これからどこへ行こうとつぶやいて闇の中に消えて映画は終わる。

 

とまあ、これだけの作品で、スポーツ映画にお決まりの感動のシーンや胸踊る展開もない。淡々と、取り壊される球場の最後の試合が描かれるだけ。でも、散りばめられるほんの小さなドラマの数々がなぜか微笑ましく親しみを持って最後まで作品を楽しんでしまうからいい。個性的な選手たちの面白さだけでも映画になる面白さもあり、こういう作り方もあるもんだとにんまりして劇場を出てしまいました。

 

 

「見はらし世代」

非常にクオリティの高い作品。上手く言えないが、カット割とカメラワークが実に巧みで上手い。さらに脚本の良さだろう、ありきたりの家族の不和の物語がラストで一気になんとも言えないメッセージを突きつけてくる。それでいて、一歩引いた客観的な視点で締めくくる演出は拍手ものである。これは才能ですね。独特の個性を持った見事な映画だった。監督は団塚唯我。

 

ドライブインのフードコート、四人の家族が食事をし出てくる。父初、母由美子、娘の恵美、息子の蓮はこれから別荘に旅行に向かうべく車を走らせていた。海辺の別荘に着き、キーケースの暗証番号を開いて中に入る家族。しかし、間も無くして初に仕事の電話が入る。この三日の旅行だけは家族で過ごしたいと由美子はいうが、初は、巨大プロジェクトの仕事だからなんとか東京へ戻りたい気持ちを見せる。そんな父の姿を見る恵美と蓮は諦めたように、残されたわずかの時間、父と過ごす。いかにもな家族不和のドラマの幕開けに見えるオープニングで映画は始まる。車からは何度も、ドライブインの天井からランプが落ちる怪現象のニュースが流れている。

 

10年半後、蓮は胡蝶蘭の配送の運転手の仕事をしていた。恵美はこの日フィットネスクラブでマキという女性と親しくなり連絡先を交換する。ある日、蓮は代官山のショールーム胡蝶蘭を届けに行き、そこで父初と再会する。初は海外から日本へ戻り、ランドスケープデザイナーとして成功して、彼の手がけた巨大商業施設は人々の憩いの場となっていた。しかしその施設はホームレスに溜まり場を開発したものだった。蓮は思わず胡蝶蘭を落としてしまいその場を去る。そして姉恵美にそのことを話すが、恵美は近々結婚を控えていて、上の空だった。

 

蓮は、もう一度家族の距離を取り戻そうと初の展示場に胡蝶蘭を届けにいく。そこで、父を大声で罵倒してしまい、店に帰ってから上司に叱られたことをきっかけに店を辞めてしまう。後日、蓮は、初の事務所を訪ね、受け付けた女性に恵美と一緒に会いたい旨のメモを手渡す。なんと受け付けた女性はマキだった。蓮たちの母は3年前に他界していて、初はマキと交際し、将来を考えていた。そして連の申し出を受けて、マキを子供達に紹介することにする。

 

恵美が結婚の引っ越しの日、蓮はかつての店の後輩に言って車を借り、恵美の荷物を積んで初との待ち合わせのドライブインに向かう。そこは、かつて母と四人で旅行へ行く時に立ち寄った店だった。しばらくして初はバイクでマキと現れる。恵美は女子トイレの前でたまたまマキと出会うが、まさか初が紹介する女性がマキとは知らなかった。

 

蓮と恵美、初はドライブインの席でマキを待っていたが、マキは窓の外から初に、このまま去るという仕草をして離れていく。父を受け入れられない恵美は終始そっけない態度をとっているが、蓮はなんとか家族の距離を縮めようと不器用に振る舞っている。ところが突然、天井のランプが落下する。そして気がつくと初らの目の前に亡き由美子の姿が現れる。由美子には初しか見えないらしい。

 

由美子は行きたいところがあると言い、初のバイクに乗って初が手がけた商業施設に向かう。恵美と蓮は車で後を追っていく。由美子と初はカフェに入り、由美子は、初が仕事に一生懸命なことは密かに喜んでいたことを告白する。そして、初に別れを告げて消えていく。初は廊下に出て涙に咽ぶ。恵美と蓮はそんな由美子と初の姿を見て、恵美は蓮に車を借りてマキに連絡して誘い出し、かつて家族といった別荘に向かう。

 

別荘でキーボックスを開けようとしたが、番号が変わっていて開かない。しかし、マキが何度か試すと奇跡的にボックスが開き二人は中に入る。マキは一人で生きていくことを決めたと言い、恵美は、かつて母親が横になっている時にそばにいればよかったと話す。蓮は父が泣く姿を見て、思わず笑ってしまう。夜が明けて、蓮が街を歩いていると横をキックスクーターに乗った若者たちが通り過ぎる。カメラは若者たちを追い、若者たちが言葉を交わす場面に寄って映画は終わる。

 

カメラが遠くを俯瞰で捉えたり、空を仰ぐように回転させたりと独特で非常に個性的な上に、物語の組み立ても実に上手いし、ファンタジックな終盤の展開も映画に味を加えてきて面白い。ダイナミックな迫力こそないものの、小品ながら非常に優れた絵作りの一本だった。

 

 

ホーリー・カウ」

駄作ではないけれど、フランス映画らしいゆるい青春ドラマという感じの一本。ありきたりといえばそれまでですが、ドライに笑いで締めくくる展開が心地よい映画でした。監督はルイーズ・クルボワジエ。

 

一人の男性がチーズを抱えてイベント内を進む姿をカメラが追いかけて映画は始まる。着いた先で観客にチーズを振る舞う。その前で酒を飲んで裸になってふざける一人の青年トトンヌがいた。そこで出会った少女とベッドへ行くも勃たなくてすごすごと帰るトトンヌ。トトンヌの父はチーズ職人で、幼い妹クレールと住んでいる。酒と友達との夜遊びにくれるトトンヌは、この日も村の酒場で飲んでいると父もまた酒を飲んでいい気持ちになっていた。

 

すっかり酔った父を車に連れて行って送り返し、トトンヌは親友のジャン=イヴらと飲んでいたが、先日、知り合った少女がフランシスら別の男たちと遊んでいる姿に、自分が遊ばれたとわかり、喧嘩をふっかけてジャン=イヴらとその場を脱出する。途中、森の木に突っ込んだ父の車を発見する。

 

父の死で、生活のためにトトンヌはチーズ作りの機械やトラクターを売り払い、商売敵のチーズ工場へ仕事に行く。そこで集乳をして周り、牧場を経営するマリー=リーズと知り合う。しかし、結局チーズ工場をクビになるが、その直前、そのチーズ工場が作るチーズがチーズコンテストで金メダルを取って3万ユーロを手に入れるところを見る。

 

そこでトトンヌは、ジャン=イヴらとチーズを作ってコンテストに優勝することを思いつく。必要な生乳を手に入れるためにマリー=リーズの小屋に忍び込み盗む。一方、マリー=リーズと親しくなって体を合わせるようになる。しかし、チーズ作りはなかなか上手くいかず、いつものように生乳を盗みに行った際、マリー=リーズが母牛の出産を手伝っていて、たまたま集乳にきたマリー=リーズの兄フランシスらに見つかり追い出されてしまう。その際、トトンヌはジャン=イヴとも喧嘩別れしてしまう。

 

一時は諦めたが、クレールに背中を押されて、トトンヌはクレールとチーズを作る。そしてコンテストに出そうと会場へ行くが、参加するには認証登録などが必要で、しかも熟成しないとチーズは完成しないことを知る。トトンヌは、熟成前のチーズをマリー=リーズの小屋に届けて、ジャン=イヴが出るクラッシュカーレースを見に行く。そしてトトンヌはジャン=イヴと仲直りをし、ジャン=イヴは見事優勝。それを見届けて帰るトトンヌの前にマリー=リーズが胸を捲って見せて声をかけて映画は終わる。

 

いかにも陽気なフランス映画という一本で、フランスの農場の姿をリアリティ十分に描いていると解説されているが、見ている自分からみれは、一昔前の姿にしか見えないのはやはり日本人だからでしょうか。しっかり作られた良い作品ですが、それ以上でも以下でもない一本でした。