「メン&チキン」
ちょっと悪趣味なブラックコメディ。SFでもありホラーでもありミステリーでもあるが、ここまでして命の尊さを訴えることが必要かと疑問を感じてしまう発想の映画でした。終始気持ちが悪かった。監督はアナス・トマス・イェンセン。
二人の男の子が鶏の卵を集めて大邸宅の廊下を歩いていく場面から映画は幕を開ける。医学博士だろうか、ガブリエルが父の病室に入ってくる。父は兄のエリアスも探すがまだ来ていない。エリアスはこの日、車椅子に乗る精神科医にセラピーを受けているが何かにつけて文句を言う。そしてトイレで自慰をする。そんなエリアスにガブリエルから連絡が入り、父が亡くなったと聞く。
エリアスはガブリエルのところへ行き、父の遺品を整理していてビデオメッセージの入ったテープを発見する。再生してみると、父は下半身しか映らない映像で、自分は二人の実父ではないと言う。父親はエベリオという人物で、エリアスの母親は出産後死んだという。二人はエベリオという男に会いにいくことにする。エベリオというのは遺伝子工学の権威だったが学会から追放されている人物だった。
エベリオが住むという孤島にやってきた二人は、土地の村長に案内されてエベリオの邸宅にやってくる。出迎えたのはフランツ、グレゴール、ヨセフの三人の男で、彼らもエベリオの息子だという。フランツは剥製で二人に襲いかかり。他の二人も襲ってきたのでエリアスらは一旦引き上げる。後日、再度説得に行き、ようやく邸内に入れたが、邸内には鶏や様々な動物が歩き回り、荒れ果てていた。フランツがリーダー的な存在で二人を迎え入れ、鶏や犬、フクロウなどの肉の料理を食わされる。
ガブリエルは、うろついている鶏が、牛の足をしていたり異様な姿だと気がつく。エリアスとガブリエルは二階にいるという父に会うべく夜中に忍び込むが、そこにあったのはエベリオのミイラだった。父はすでに亡くなっていた。エリアスらは村長に手配して棺にミイラを納棺する。
ガブリエルはそれぞれの母親だけが皆死んでいるのが不審だった。グレゴールは女が欲しいというので、封印している地下室に案内してくれるなら女を紹介するとガブリエルはグレゴールに提案、フランツに黙って地下に入ると、そこにはエベリオが研究していた資料が山積みだった。それは遺伝子操作による交雑種を生み出す研究だった。しかしフランツに見つかりグレゴールと一緒に檻に入れられる。エリアスはフランツらといい感じで意気投合し生活をしていた。エリアスはフランツらを連れて地元の幼稚園に行き、さらに精神病の施設に行き女を世話する。しかし、エリアスには相手が見つからず、邸宅に戻って、鶏や種牛を相手にしてしまい、翌朝自ら檻に入る。
ガブリエルは、フランツらが異常だと判断して、一人邸宅を去る。そして村長に提案して彼らを精神病院に収容する手筈を整える。救急車が邸宅に向かい、ガブリエルは村長の娘と島を離れようとしてが、村長の家の庭にコウノトリが戻ってきた。なんとそのコウノトリは人間の足をしていた。それを見たガブリエルは、エベリオの研究が完成したらしいと判断し邸宅に戻る。そしてフランツらの収容を中止し、地下室に強引に入る。
そこには、動物の精液と自身の幹細胞を融合させて女性の体内に入れ出産するという研究の記録があった。出産時女性に手術が必要で皆殺されていた。エリアスやガブリエルはもちろん、フランツらも動物と人間の混ざった生き物だった。最初の二人エリアスとガブリエルは不十分な出来栄えだったので里子に出していたのだ。全てがわかり、兄弟は一緒に暮らすことになり、精神病院の施設などでも子供たちが生まれ、命に分け隔てもないというナレーションが流れて映画は幕を閉じる。
なんとも気持ちの悪い映画である。デンマークという国柄の本質を見たような気がする一本でした。
「消滅世界」
村田沙耶香原作の作品。頭でっかちで頭が良いと思っている人間が、斬新なアイデアで作り上げた物語であるかに思われるが、結局新興宗教の映画ではないか。それをいかにもな近未来の話に仕立て上げ、恋や愛、SEXとの関係を考え抜いたかのようなメッセージを描いたストーリーだった。映像的なレベルはまあまあだったが、あまりに陳腐な物語に、なんの感動も、感じるものもなかった。監督は川村誠。
夫婦が肉体的なSEXによって子供を作らず、人工授精による妊娠が常識になった近未来、両親の肉体的な交わりで生まれた雨音は、学校でも近親相姦だといじめられている場面から映画は幕を開ける。夫婦は外に恋人を作り、SEXをし、夫婦間ではそんな関係は全くなかった。やがて高校生になった雨音は、二次元キャラクターラピスを恋人と呼ぶようになり、たまたま同じ思いだった同級生水内と意気投合して、SEXをする。
大人になった雨音は、すでに結婚して体外受精で子供もできた親友の樹里に勧められてマッチングアプリで朔という男性と知り合う。お互い考え方も同じだったため、間も無く結婚する。朔は外に深雪という恋人ができる。また、雨音は親友樹里の夫水人と恋人同士になるが、水人は雨音との関係がしんどくなり別れを告げる。さらに、深雪も次第に単純な恋愛感情が生まれ、とうとう自殺未遂してしまう。朔は雨音に、実験都市エデンに行くことを提案する。エデンでは、夫婦というものも親子関係も全て統一されてなくなり、子供も子供ちゃんと呼ばれて全ての男女の子供になるという理想郷と言われるものだった。
雨音と朔はそこへ入るものの、人工授精で妊娠してもお互いの精子と卵子で妊娠したことがわかるようにするために、施設に医師として就職していた水内に頼む。やがて朔も男性として妊娠し、雨音も妊娠する。そんな時、樹里がエデンにやってくる。ところが、大勢の子供たちが樹里に駆け寄ってきて、慌てた樹里は階段から落ちて亡くなってしまう。そのショックで雨音も流産してしまう。
やがて、朔が男性で初めて出産に成功、世間の脚光を浴びる。同時に、朔は、最初雨音と考えていた二人だけで育てるという考え方からエデンの考え方に染められていく。そして時が流れる。雨音の母雫が現れ、雨音を責めるが、雨音は、いつまでも昔ながらに夫婦関係や出産への考えを押し付けてくる雫に薬を飲ませて隣室に拉致する。たまたま廊下で出会った青年と雨音は体を合わせる。次第に正常なことがどういうことか完全に曖昧になる中、雨音は、かつてエデンの園で愛し合ったアダムとイヴに自分たちはなるという意思を示して映画は終わる。最後に雨音が体を合わせたのは朔が生んだ子供だったのか。
とにかく、新興宗教の考え方そのものを近未来SFに置き換えた程度のストーリーで、洗練された場所をロケーションに選び、一見斬新でシュールな映画のようで実に俗っぽいのが心地悪い作品だった。

