「プラハの春 不屈のラジオ報道」
チェコスロバキアで起こった歴史的事件「プラハの春」を背景に、報道陣たちが勇気を持って立ち向かい自由を目指す姿を描いた緊張感が全編に漂う力作。史実についてはあまり詳しくないが、当時のチェコの社会のなんとも言えない不自由さをひしひしと感じ取ることができたのですが、主人公の兄弟のドラマ部分が今ひとつ心に突き刺さってこないのは、史実があまりに大きすぎるためか、脚本が弱いのか、とは言っても、作品としてはそこそこの完成度の高い一本でした。監督はイジー・マードル。
国の通信局に勤め、学生の弟パーヤの面倒を見ている兄トマーシュが朝食を作っている場面から映画は幕を開ける。両親が他界し、トマーシュはパーシャを一人前にするべく必死だったが、時の大統領は独裁的に国民を支配し自由を奪って私腹を肥やす時代だった。政府に反旗を翻す大学生たちが軍と衝突する事件が起こることを知ったトマーシュは、パーヤがその騒動に巻き込まれていないか危惧していた。
パーヤが、政府に反抗的なチェコスロバキア放送の面接を受けに行ったことを知ったトマーシュは、パーヤを思いとどまらせる為、一緒に面接会場に足を踏み入れる。そこでスタッフが試験会場を離れた時に電話が入る。誰も出ないのでトマーシュが出てその内容を報道部の人気DJミラン・ヴァイナーに伝えた。それが気に入られ、トマーシュは報道部に誘われるがトマーシュは一旦断る。
ところが中央通信部に戻ったトマーシュは、上司から、ラジオ局への転属を勧められる。それは、報道部とヴァイナーの動向を監視する国家保安部への協力を求めるものだった。トマーシュは、学生運動を続けるパーヤを守るため転属を承認する。その頃、学生と警察たちとの衝突は、学生たちの暴動をおさめるために警察が介入したかの嘘の情報が流れ、学生たちからミランへの非難の手紙が届いているとされた。ミランらは真実を告げるために、学生たちへの聴取をトマーシュとヴェラに依頼する。
トマーシュ達は大学へ赴き学生達に直接取材すると、全て捏造だと判明する。それをラジオで流したことから、ミラン達は国家保安部に目をつけられ、通信局のトマーシュの上司も窮地に追い込まれてしまう。そこで上司はトマーシュに国家保安部に全面的に協力する旨の念書にサインさせる。一方トマーシュの活動は報道部で信頼を得ていき、技術職のみならずさまざまな仕事を任せられ、さらにヴェラとも愛し合うようになっていく。
トマーシュは弟への思いと良心の呵責に葛藤するようになるが、折しも、民主化運動が功を奏しはじめ、ついに現職大統領は辞任に追い込まれ、自由主義運動のドゥプチェクが書記長として誕生して新しい合法政府が成立、プラハの春が訪れた。直後、ミラン・ヴァイナーは脳梗塞で倒れ入院してしまう。
8月深夜、トマーシュは通信局の上司に呼ばれ、ソ連とワルシャワ条約加盟国の軍隊がチェコの国境を越え侵攻してくる旨が告げられる。しかも、それは、現在の合法政府をファシズムから助けるために正当な理由でやってくることをラジオで放送するように指示するものだった。
トマーシュは、急遽ラジオ局のメンバーに連絡し、真実を放送する準備をするように依頼する。現時点のシステムは通信局から差し止められると判断したトマーシュは、軍事態勢の際に利用する通信システムを起動させて、放送することを計画する。ソ連の戦車がプラハに押し寄せ、群衆は盾となって侵攻を阻止しようとする。
トマーシュやヴェラは、ソ連侵攻を非難するメッセージを流し始める。国家保安部やソ連軍がトマーシュ達の放送部に突入してくるが間一髪で脱出したトマーシュ達はあらかじめ決めていた通信システムの建物にに避難する。ところが自由を求めるビラを撒いていた学生達がソ連軍に銃撃されたというニュースが入る。トマーシュはパーヤが犠牲になったのではないかとプラハの街に出るが、パーヤ達はオーストラリアに亡命したらしかった。
やがてソ連と交渉するべくモスクワに行っていた指導部が戻ってくるが、ソ連の侵攻に屈服する内容だった。ヴェラたちも亡命するべく準備を進めるが、トマーシュは、誰かが残らなければ変わっていかないと、チェコに残ることを決意する。通信局の上司が、全面的に協力する旨の誓約書をかけば通信局に残すとトマーシュに迫るが、トマーシュはそれを拒み、通信局を後にする。自宅に戻ったトマーシュの前に、オーストラリアから戻ったパーヤが現れる。その後にチェコの独立へのテロップが流れ映画は終わる。
プラハの春を背景に激動の歴史の1ページに生きた兄弟の物語という展開だが、史実の描写が強烈すぎて、人間ドラマ部分が霞んでしまった感じがする作品でした。それでも、ニュース映像を多用した緊張感溢れる映像はなかなか引き込んでくれるし、力の入った演出は素晴らしいいい映画でした。
「THE END (ジ・エンド)」
結局、プロデュースしたティルダ・スウィントンがやりたかった何かを二時間以上にわたって描いた高級映画という作品だった。内容はかなり知的で教養あふれた内容なのですが、時々出てくるレトロなミュージカルシーン、意味深なSF的な舞台セット、などがなんともチグハグに思えて、ラストに至っては、結局夢だったのか、いや違ったのかと唖然としてしまいました。不思議な一本、そんな映画だった。監督はジョシュア・オッペンハイマー。
美しい景色の映像が繰り返され、夫の傍で思わず悪夢を見て目を覚ます妻の姿から映画は幕を開ける。息子はジオラマでハリウッドを作っていて、紙の造花などで母を楽しませる。母は、名画を所狭しと飾り、使用人か友人か、医師、母のかつての同僚らしい女性らと暮らしている。周りは氷に閉ざされたような白い空間で、登場人物が暮らす屋敷は豪邸の趣である。環境破壊で地上に暮らせなくなって二十五年後という設定らしい。
そんな時、外の世界から迷い込んだ一人の女性を父と息子が見つけて連れ帰る。最初は追い払おうとするが、強制的に連れ去ろうとする役人に反抗し、一緒に暮らすようになる。それまで外の世界と孤立して平穏に暮らしていた家族だったが、この女性の登場でその微妙なバランスが崩れ始める。息子はこの女性とSEXを経験し、母は、もう一度生身の植物を育ててみようと考え出す。さらに夫との愛の営みを望んだりし始める。
それぞれの人物の過去がさりげなく見え隠れし、その危うい過去が次第にギクシャクした溝を生み出してくる。同居人の女性が、突然自殺するに及んで、何かのバランスが崩れてしまうが、それは新しい家族としてのまとまりを生むようだった。そして数年が経ち、息子とその女性との間に子供が産まれる。新しい秩序が完成して、息子夫婦は殺伐とした白い洞窟のようなシェルターを見つめて映画は終わる。
突然、一昔前のレトロなミュージカル調で歌い、踊り出すシーンと、過去に行った何かの行動が生み出した罪悪感との向き合い、現在の秩序を守ろうとする一方で、次第に変化していく関係の微妙さが、どうにも伝わりづらく、終盤、突然子供が登場して家族が増えた展開が出ると、全ては夢だったのかと思うが、エンディングのカットでそうではないと引き戻されてTHE ENDというのに、唖然としてしまった。不思議な映画でした。
