くらのすけの映画日記

大阪の社会人サークル「映画マニアの映画倶楽部シネマラムール」管理人の映画鑑賞日記です。 あくまで忘備録としての個人BLOGであり、見た直後の感想を書き込んでいるので、ラストシーンまで書いています。ご了承ください

映画感想「音楽サロン」

「音楽サロン」

期待通りの傑作でした。監督はサタジット・レイですが、こういう作品が作れるということに今更ながらこの監督の世間の評価が若干歪んでいることを実感しました。没落していく貴族と新興貴族を描いてインドの近代化へ進む時の流れを、辛辣な視点で描いていく筆致が見事。的確なストーリーの構成、鏡やシャンデリア、蝋燭の炎などの小道具を有効に使った演出、大胆なカメラワーク、出だしはなかなか異国世界でとっつきにくいのですがどんどん引き込まれていきました。見事な一本でした。

 

暗闇に揺れるシャンデリアを背景にタイトルが始まり、寂れた邸宅の屋上、今や没落した一人の貴族ラエの顔のアップで映画は幕を開ける。どこからかにぎやかな音楽が聞こえて来る。ラエが使用人に聞くと、近くに住むガングリ家で息子の祝賀式が行われているという。ラエにも招待状が届いていたが、本来、直接主人が招待に訪れるべきものだと答える。そして、ラエは過去に遡る。

 

息子コカの祝賀式を行う予定だったが、土地は洪水で水没して経済的に困窮していた。新興貴族として実業家だったガングリが貸金業を営んでいるから用立てようとやってきたが、ラエは断る。そして、妻の持参してきた宝石を質に入れて、音楽サロンを開き賑やかに祝賀式を催すが妻は不満だった。実家の父の具合が悪いからと妻はコカを連れて帰っていく。

 

ガングリの家では発電機を購入して、その機械音がラエの屋敷にも聞こえてきた。ガングリが息子の祝賀式を行うので来てほしいとやってきたが、ラエは、ガングリに対抗心をあらわにして、残り少ない金で急遽音楽サロンを開き、歌手を呼び客を招待し、威厳を示すべく催し、妻とコカも呼び戻すが、外は嵐になって稲妻が光っていた。いつまでも戻ってこない妻達を心配して外に出たラエだが、執事や使用人から、船が渦に呑まれてコカが亡くなったことを知る。

 

失意のどん底に落ちたラエは、何をする気もなくなり、広大な屋敷に引き篭もり、生活のために家具を売り払うのに使用人に任せて自分は部屋に閉じこもってしまう。寂れてしまった屋敷に、今や事業で大成功し、トラックを乗り回すガングリがやって来る。そして、自分の屋敷に音楽サロンを作ったから是非来てほしいというが、ラエは断る。ラエはふと思いつき、閉じられていた音楽サロンの部屋を開く。そこは久しく使われておらず、シャンデリアには蜘蛛の巣がかかっていた。壁の鏡も先祖の絵も汚れているのを見兼ねたラエは使用人に命じて、音楽会を開く事にする。ガングリが呼んだという歌手を呼ぶために金庫に残っていた最後の金を持ち出し、ガングリも含めて客を招待する。

 

やがて音楽サロンが開かれ、若いダンサーの踊りが繰り広げられる。そして踊りが終わった際、褒美を取らそうとするガングリの手を押さえ、最初に褒美を出すのは主人だとなけなしの金をダンサーに与える。威厳を取り戻したと満足したラエは客達が帰った後一人酒を飲んでいたが、ふと天井のシャンデリアを見ると、炎が次第に消えていった、そして廊下や天井の明かりも次々と蝋燭の炎が消え始める。まるで自身の没落を見せつけられるようだった。ラエはその場に崩れるが、使用人が駆けつけて主人を支える。

 

ラエは思いついたように、可愛がっていた馬を引き出すように指示し、自ら鞭を持って馬に乗り、かけはじめる。執事や使用人が止めようとしても、ラエは彼方まで走り去り、浜辺に打ち上げられた船に突進して落馬、そのまま息を引き取る。それはまるで、旧態然とした貴族の没落そのものだった。こうして映画は終わる。

 

ローアングルで捉える構図、ゆっくりと引きながら、必死でもがくラエの姿を捉えるカメラワーク、現代と回想を交えながら、時間を繋いでいくストーリー構成など、非常にハイクオリティな映像作品に仕上げられています。素晴らしい一本だった。

 

音楽サロン

音楽サロン

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