この歳になると、もう一度見直してみたい映画が何本かある。この作品もほぼ三十年ぶりくらいの再見。淡々と流れる静かなストーリーですが、散りばめられる小さなエピソードやセリフの数々に心打たれてしまう。しかも、映像も美しい。広大な農地、空に広がる満天の星、そんな中、今にも壊れそうな小さなトラクターに乗る老人の姿は、まるで、人の人生なんてこういうたわいなくもちっぽけなもんだと言わんばかりです。それでいて、生きていることの素晴らしさも実感させてくれる。やはり名編とはこういう一本を言うのでしょうね。監督はデヴィッド・リンチ。
満点の星空から広大に広がる農場地帯を俯瞰で捉えるショットに移って映画は幕を開ける。アイオワ州ローレンス、一軒の家の傍で日光浴をしている女性、傍の家の中で人が倒れる音がする。バーで友達のアルヴィン・ストレイトを待つ友人たちだが、時間になっても一向に来ない。家に行ってみるとアルヴィンは床に倒れていた。そこに娘のローズが帰ってくる。病院へ行くと、足腰も弱っているので、杖は二本使ったほうが良いと言われる。
家に帰り、ローズと話していた時、電話が鳴る。ウィスコンシン州マウント・ザイオンに住む兄ライルが倒れたのだと言う。ライルとは十年ほど会っていなかった。アルヴィンは兄にもう一度会うことを決意したが、車の免許もないし、人に頼りたくない。そこで、芝刈りにやっと使える程度のトラクターに小屋のようなカートを繋いで一人で出かけることにする。
周囲の反対を押し切って出発したものの、間も無くしてトラクターが壊れ、ローレンスの街に戻る。そして中古だが新しいトラクターを買い再度旅立つ。途中、女性のヒッチハイカーと出会う。森で一人で食事をしていたアルヴィンのところのヒッチハイカーがやってくる。彼女は妊娠しているが恋人にも家族にも話していないと言う。そんな彼女にアルヴィンは、十四人子供がいて今はローズと暮らしている。彼女は子供が四人いたが、少しとろいところがあり、火事で次男を火傷させた事件で役所に子供を取り上げられたのだと言う。そして子供、家族、恋人誰しも子供を嫌うものはいないと諭す。
道を進んでいるとたくさんの自転車ツーリングに出会う。彼らのキャンプ場についたアルヴィンはその一人に、「この歳になって辛いのは若い頃の記憶が残っていることだ」と呟く。やがて丘を越えて下り坂、突然、トラクターのギヤが壊れ猛スピードで疾走始める。坂の下では消化訓練が行われ街の人たちが集まっていた。そこでなんとかトラクターは止まったが、機械は故障してしまう。街に住む男性と夜、話をする。彼は戦時中、ドイツ軍に囲まれた話をする。アルヴィンは戦時中、同志を間違えて撃ってしまった悲しい思い出を語る。
その街の修理工の兄弟に任せて修理をしてもらい、町の人たちとしばしの交流をする。去り際、いつも言い争いをしている修理をしてくれた兄弟に、兄弟を大切にした方がいいと話す。
そしていよいよミシシッピー川を渡りウィスコンシン州へ入る。途中バーに寄り、ずっと絶っていた酒を再開してビールを飲む。すでにトラクターは限界が来ていた。一旦休んでいるところへ大きなトラクターが通りかかる。アルヴィンはライルの家を訪ねる。そしてその家に行き、ライルの名を呼ぶと、歩行器に頼りながらライルが出てくる。二人で、若き日に一緒に眺めた夜空を眺め、カメラは満天の星に移って映画は終わる。
これと言う劇的な事件も、コミカルな展開も、哀愁に訴えるドラマもないけれど、不思議なほどに心に残る様々を体験してしまいます。おそらく、しばらくしたらまた忘れてしまうかもしれない。でもそんなたわいなさがこの映画の素晴らしさなのではないかと思います。見直して良かった。
「愛がきこえる」
映画のクオリティはそれほど高くないのですが、二重三重に張り巡らされた泣かせる構成にいつのまにか不覚にも涙ぐんでしまいます。ただ、その感動は非常に薄っぺらいもので、深層に迫った感動を呼ぶまでには行かなかったのはちょっと残念。聾者への賛同をあからさまに訴えかけてくるので、観客の心の奥底に届けるにはちょっと練り足りない脚本だった気がします。鮮やかな色彩を画面に配置している割には映画が美しくないのもそのあたりに原因があるかもしれません。でもこう言う素直な感動を呼ぶのも大切だと思う。その意味で良い映画だった。監督はシャー・モー。
職場で不当な扱いを受けたらしい聾者の女性が警察に取り調べを受けている場面から映画は幕を開ける。店の金を盗んだと逮捕されたが、給料の未払いを請求しただけだと言う。傍にいる手話通訳者が必死で説明するが、諦めた容疑者は罪を認めようとするので、公正な判断をしてもらうべきだと説得する。この手話通訳者は幼い頃、聾者である父と暮らしていたと言う。こうしてこの手話通訳者ムームーの幼い日々が語られ本編へ入る。
七歳のムームーは聾者の父シャオマーの耳となって生活していた。この日も、なんでも修理の仕事を父に代わって取り引きした。彼らは聾者が住む麻雀屋で生活していた。ムームーの母シャオジンとは離婚していた。シャオマーとムームーは幸せに暮らしていたが、ムームーは学校へも行っていなかった。シャオジンはそんなムームーに普通の子供として育てたく親権を請求してくる。日々の生活がやっとのシャオマーは、シャオジンとの裁判に備えるべく、職を変えるが、聾者であるゆえそこで失敗をしてしまい追い出される事になる。そんなシャオマーに、ある友人が、仕事を勧めてくる。それは、故意に車の事故を起こし修理代金の保険金を水増しして騙し取る詐欺の仕事だった。
背に腹が変えられず、シャオマーは、昼の仕事以外に夜は車を走らせて事故を起こす闇の仕事を始めるようになる。しかし、いつも居眠りをし、疲れ果てている父の姿を見かねたムームーは、ある夜、父が運転する車に潜り込む。そうとは知らずシャオマーは、事故を起こそうと猛スピードで車を走らせるが、すんでのところでムームーに声をかけられ、思わずハンドルを切ってガードレールに激突する。ムームーも怪我をしたが、幸い大したことはなかった。しかし、事故を聞いたシャオジンはムームーをシャオマーの元から連れ帰ってしまう。ムームーは、その事故以来喋らなくなってしまう。
シャオジン夫婦はニュージーランドへ移住する事になり、この日、空港へ向かっていた。それを聞いたシャオマーは最後に一目ムームーに会いたいと空港へ向かう。そこで、かつてムームーからもらったクジラの声が出る笛を吹き、その音を聴いたムームーはシャオマーを見つける。ところが警察がシャオマーを逮捕する。車の事故の詐欺事件を追っていた警察は、組織の逮捕に踏み切り、容疑者の一人シャオマーも逮捕したのだ。
やがて裁判となるが、シャオマーは組織のボスに、ムームーに危害を加えるなどと脅されたため、全ての罪を被ろうとする。傍聴席には麻雀店の聾者やムームー、シャオジンの姿があった。裁判官がシャオマーの罪状を確定しようとした瞬間、以前からボスのやり方を疑問視していた一味の女性が、全て嘘で、ボスの脅しがあったと告白、シャオマーは、六年の実刑となったものの、全ての罪を被らずに済んだ。この展開がかなり安っぽくてテレビレベルである。
そんな過去を語る大人になったムームーの前で、冒頭の女性を雇った店主の罪が暴かれていき、映画は終わる。ここもまた安っぽい。
とにかく、感情に訴えかけることだけに終始した脚本で、リアリティもクソもないのですが、こんな単純な娯楽映画もあって然るべきだと思います。エンドクレジットの出演した本当の聾者たちの映像もかなりあざといのですが、そんな一本だった。
