くらのすけの映画日記

大阪の社会人サークル「映画マニアの映画倶楽部シネマラムール」管理人の映画鑑賞日記です。 あくまで忘備録としての個人BLOGであり、見た直後の感想を書き込んでいるので、ラストシーンまで書いています。ご了承ください

映画感想「小川のほとりで」「座頭市と用心棒」「血と砂」(岡本喜八版)

「小川のほとりで」

ホン・サンス映画の割りに、なかなかドラマティックな展開をする一本。センスのいいカメラ演出はさすがだが、次々と物語が新たな展開をするわりにいつもの淡々とした会話劇なので、終盤少し単調さを感じてしまった。

 

河原で大学の講師ジョムニが座っている場面から、叔父で俳優のシオンと会うところへ移り映画は幕を開ける。ジョムニが担当する演劇クラスで、寸劇を発表するべく稽古していたが、演出担当の学生ジュヌォンが、役者担当の三人の女生徒と交際していたことが発覚して辞めることになり、女性と三人も去り、急遽ジョムニはシオンに頼んで演出の承諾を得たのだ。残った四人の学生と寸劇の練習を始めるシオン。

 

ジョムニは、ウンニョル教授の家にシオンを紹介して、そこで過ごすようにしながら大学に教えにきてもらう。途中、ジュヌォンが大学にきて、ジョムニに、自分は悪く無いと食ってかかってきたりする。さらに、残った四人の女学生の一人にプロポーズしにきたりする。やがて寸劇の舞台が開催されるが、大学総長は気に入らなかったと、ウンニョル教授やジョムニを呼び出す。ジョムニが早朝に呼ばれて紅葉の大木の下で身を揺らす場面が意味深である。

 

後日、ジョムニが、一人くつろいでいるとウンニョル教授から電話が入り、酒を飲んでしまったのでシオンを車で送って欲しいという。ジョムニがウンニョル教授とシオンが待つ鰻屋に行くと、二人はすっかり意気投合していい仲だった。シオンは一年前に離婚したのだという。ジョムニは、途中席を外し、なかなか帰ってこないのでシオン達が探しに河原にい行くと、ジョムニが森の中から出てきてストップモーションで映画は終わる。

 

いつもの空気感、いつもの会話劇ではあるが、少しざわついた展開もちらほら見え隠れする一本で、それゆえか、終盤に至ると、ちょっと相入れないものを感じてしまう映画だった。

 

「座頭市と用心棒」

てんこ盛りのオールスターキャストと、てんこ盛りのストーリー展開で、豪華ではあるが、何処かで映画産業斜陽化の波を見せつけられているような空気を感じる作品。小ネタを散りばめた行き当たりばったり的な演出は岡本喜八らしくて面白いのですが、ちょっとパーターン化しすぎた感じがする映画だった。監督は岡本喜八。

 

草むらの中、悪党どもに終われる座頭市の姿から一気に追っ手を斬り殺して、祠で雨風をしのいでいる場面に移り映画は幕を開ける。世の中の地獄ばかりでうんざりしていた市は久しぶりに懐かしい村に戻って来る。しかしその村は小仏の政五郎らやくざ者が牛耳る寂れた村になっていた。しかもその政五郎親分のところには酒浸りの用心棒佐々木大作が居座っていてさらに胡散臭くなっていた。

 

市は懐かしい居酒屋の梅乃に会いに行ったが、たまたまその前に知り合ったあんまが政五郎の子分らに斬り殺された現場に遭遇し、あんま殺しの容疑で市は牢屋に投獄される。しかし、間も無くして小仏一家に対峙する烏帽子屋弥助の申し出で市は釈放される。実は政五郎は弥助の息子だった。弥助は市を用心棒としてしばらく逗留するように依頼する。この村には市の旧知の兵六爺さんもいた。爺さんはこの村で小仏一家に殺された仏の地蔵を彫って村のはずれに並べていた。その費用は弥助から出ていた。

 

弥助が莫大な金の延べ棒を隠しているという噂があり、政五郎も手を替え品を替えてその隠し場所を模索していたが見つからなかった。そんな頃、九頭竜と呼ばれる浪人が弥助のところにわらじを脱ぐ。彼は短筒の名手でしかも幕府隠密だった。実は佐々木大作も隠密で、弥助の動向を探っていたが、らちがあかないのでやって来たのだ。弥助にはもう一人の息子後藤三右衛門がいたが、三右衛門は御金改役で、小判の金の割合をごまかして莫大な資金を生み出していた。そんな三右衛門も、大目付を逃れてこの地に逃げて来た。

 

九頭竜は、俵六爺さんを銃で撃って殺してしまう。実は爺さんは地蔵の中に金を隠す事を弥助の命令でしていたのだ。市はそれに気がつく。折しも、三右衛門が弥助に詰め寄った際謝って弥助を斬ってしまう。瀕死の中弥助は金を隠した地蔵を目指すが、九頭竜に撃たれて死んでしまう。さらに、政五郎も弥助に殴り込んできて乱闘になる。佐々十郎は、九頭龍を倒したが、かばおうとした梅乃が撃たれて倒れる。梅乃は佐々十郎を慕っていた。

 

用心棒佐々十郎と市が対峙するが、お互い致命傷に至らず、梅乃は命を取り留め、気がつくと市も用心棒も砂金の山に駆け寄っていた。所詮、二人は金が目当てだった。こうして映画は終わる。

 

次々と展開する物語に、金という筋の通った核があるものの、右往左往する流れになっていて、全体に何もかも詰め込んで行くので、その場その場の話をひたすら楽しむ娯楽映画になっている。とはいえそれもまた一興という一本だった。

 

 

「血と砂」

これは傑作だった。反戦思想をさりげなく盛り込んでいるが、妙なセリフや映像は使わずに、ひたすら軽快に、そしてリズミカルに、その所々に人間ドラマを盛り込み、戦争の無意味さ馬鹿らしさを埋め込んで行く展開が見事。戦争アクションとしての娯楽性もふんだんに取り入れて、しかも画面もスペクタクルに作られていく。なかなかの映画だった。監督は岡本喜八。

 

音楽隊のように軽快に楽器を鳴らしながら行進する音楽学校を出たばかりの若者達の兵士の姿から映画は幕を開ける。時は昭和二十年、北支戦線、そこへ、馬に乗った兵士小杉がやって来る。少年兵の派兵に反対して本部を追い出されて最前線に転任させられたという。音楽隊を率いてこの地の本部へ向かう途中、敵前逃亡で銃殺刑に処せられた小原見習い士官の処刑場に遭遇、そこで古参兵の犬山と知り合う。本部へやってきたが、当地の隊長佐久間は、厳しく、反抗した小杉を牢屋に放り込んでしまう。この基地の古参兵犬山も暴れた事で放り込まれていた。

 

小杉を慕う慰安婦のお春は、小杉を救うべく佐久間に近づくが、堅物のようで実は心根の誠実な佐久間は、小杉を、近くのヤキバ砦奪還のため少年兵を率いて向かえという命令を下す。小杉は少年兵らに一から戦い方を教えて、犬山とベテランの持田を加えてヤキバ砦奪還に向かう。八路軍が守るヤキバ砦で、炊事の水運びの動きを計算して小杉と犬山が砦に潜入、撹乱する隙に、持田らも突入するが、少年兵の一人は撃たれて死んでしまう。

 

少年兵達は混乱を極めるが、銃弾が飛び交う中戦ううちに、敵を撃ち殺さないと自分たちが殺されるというのを身をもって覚えていく。そして小杉らの活躍でついにヤキバ砦奪還に成功。しかし、八路軍が次々と反撃して来る。砦奪還を本部に知らせ、応援と弾薬を要請、佐久間はトラックで向かわせるが、小杉を慕うお春もそのトラックに便乗する。

 

砦を奪還したが、見張りの通信兵が近くにいると判断した小杉は、死体を堀の外に持田に運び出させ、それを回収しに八路軍が来た隙に見張りの場所にいき、嘘の通信をさせて敵を撹乱することに成功する。やがて本部から砦にトラックが到着したが、トラックはすでに八路軍に奪取されていた。トラックに隠れていた八路軍と小杉達の銃撃戦の中、少年兵をさらに失うが、お春は何とかして砦にたどり着く。そして少年兵達を慰安してやり、ひとときの安らぎの時間が来るが、間も無くして八路軍の大反撃があり、また少年兵は亡くなる。深夜、持田が、単身死体を運ぼうとするのを見つけた小杉が止めに出たが、そこで小杉は撃たれてしまう。

 

一旦は八路軍の強襲を退けたものの、撃たれた傷が元で小杉は命が尽きてしまう。わずかに残った少年兵を率いた犬山らが最後の攻撃に備える。その頃、本部には撤退命令が出ていた。しかし佐久間は小杉との約束がありヤキバ砦へ単身向かう。やがて八路軍の攻撃が行われて、ヤキバ砦の少年兵らは皆殺されてしまう。その戦闘の直後、佐久間が砦に到着、この日、戦争が終わったというビラを持って八路軍の兵士が駆けつけたが、敵と思って撃ってしまう。時は八月十五日、こうして映画は終わる。

 

少年兵達の楽器演奏を随所に盛り込んで、壮絶な戦闘場面との対比で、戦争の悲劇を訴えかける一方で、少年たちが慰安婦との交流を通じて大人になるという切ない展開も盛り込み、八路軍の人海戦術のスペクタクルな映像も描いていく。ラストシーンの虚しさはなんとも言えない思いを胸に訴えかけて来る素晴らしい映画だった。