くらのすけの映画日記

大阪の社会人サークル「映画マニアの映画倶楽部シネマラムール」管理人の映画鑑賞日記です。 あくまで忘備録としての個人BLOGであり、見た直後の感想を書き込んでいるので、ラストシーンまで書いています。ご了承ください

映画感想「君が最後に遺した歌」「アメリと雨の物語」「決断する時」

「君が最後に遺した歌」

青春ラブストーリーの凡作という一本。ここまで直球勝負で展開すると、あまりに物足りなくて、しかも、主人公二人の心の機微が全く伝わってこないので、感動も湧き上がってこなかった。この中身のなさは、演技力の弱さか、演出が甘いのか、脚本が練り足りないのか、いずれにせよ普通の映画だった。監督は三木孝浩。

 

高校生の春人が、先生に課題の詩を提出している場面から映画は幕を開ける。先生がその詩を大きな声で読んで褒め、かつて顧問だった文芸部の美部室にある詩集を読めと鍵を渡す。その後ろにいたのが、退学届を持ってきた綾音だった。綾音は春人の詩に魅せられて、自分の曲に詩を書いて欲しいと頼み込んでくる。

 

春人は全く興味がなかったが、綾音の口ずさむメロディに引き込まれて拙い作詞をすることにする。綾音は、発達性ディスレクシアという障害があり、文字を把握することができず、周囲から孤立し、退学を考えていた。春人は記号で音階を表現してはどうかと提案、二人は文芸部の部室で曲作りを始める。そして初の路上ライブ、、その歌声の素晴らしさで観客がみるみる集まり、ネットで話題になる。そして綾音に音楽プロデューサーからオーディションの依頼が舞い込む。

 

綾音が少しずつ離れていく気がする春人は、少しずつ距離をとるようになる。春人は綾音を星に立ててスピカと例えていた。クリスマスの日、スピカのブレスレットをプレゼントするつもりだったが、綾音の育ての親マサの店で歌う綾音を見て、自分は綾音とは違うと思ってしまう。やがてオーディションに合格した綾音は東京に行くことになるが、春人は卒業後地元で公務員になると決めていたこともあり綾音についていくことはしなかった。旅立つ日、春人は綾音に、かつて渡せなかったブレスレットをプレゼントする。

 

そして二年が経つ。綾音は歌手として成功して、故郷に凱旋コンサートを予定していた。春人はたまたま祖母の見舞いに来て高校の同級生と会い、その彼女から、綾音のチケットをもらう。そして、最後まで絶対に聞いて帰れと進める。コンサート会場で春人は綾音が颯爽と歌う姿を見て、終盤、帰ろうとしてつい立ち止まる。綾音は自分で作詞作曲をした曲を最後に披露するという。「はるのうた」と題されたその曲は春人と綾音の高校時代を歌った曲だった。

 

コンサート会場を後にした春人に綾音からボイスメールが届く。そして振り返った春人に綾音が飛び込んできた。そしてお互いの素直な気持ちをぶつけ合い、かつてクリスマスの夜乗ろうと言って乗らなかった観覧車に乗って口づけをする。間も無くして結婚、そして子供も生まれる。子供は春歌と名付けすくすく育つ。

 

綾音は春人に内緒で春歌を文芸部の部室に連れていく。そこには、春人が書いた記号の音符が残っていた。春歌が四歳を迎えた頃、綾音の声に異常が見られる。検査をすると、脳に腫瘍があり、すでにリンパなどに転移していて余命半年だと言われる。

 

最後の日々を綾音が自宅で過ごし、やがて亡くなる。春歌が口ずさむ曲を聞いた春人は、春歌に言われるままに文芸部の部室に行く。そこには、記号の音符が並んでいた。時が流れ、間も無く春歌も小学校を間近に控えたクリスマスの夜、かつて綾音が歌ったマサのみせのステージで、「はるのうた」を歌う春歌の姿があった。こうして映画は終わる。

 

今流行りの時間や空間を、前後交錯させて複雑な作りにすることもせず、ストレートに時間が流れていく形で男女の物語を綴っていくのは、シンプルで潔いのですが、逆にシンプルだからこその難しさがあり、そこは切なくて甘酸っぱい心の変化をスクリーンに映し出さないと、観客に訴えかけてきるものが足りなくなる。悪い映画ではないが出来栄えは至って普通という一本だった。

 

 

「アメリと雨の物語」

これは良かった。映画がイキイキして弾んでいる。色彩の鮮やかさだけでなく、色の変化の美しさ、あどけないアメリのキャラクター、周囲の人たちのさりげない素朴さ、そして、シンプルに気持ちが伝わってくる作劇がとっても素敵で、心が暖かくなります。いいアニメです。監督はマイリス・バラード、リアン=チョー・ハン。

 

神が世の中を作ったというナレーションから、一人の赤ん坊アメリが生まれたところから映画は幕を開ける。自分を神だと信じるアメリは、言葉をを発せず、植物だという医師の言葉の如く動きもほとんどなく生まれてきた。姉と兄がいたが彼らは活発で、毎日大騒ぎするほど活発な日々だったがアメリは物静かだった。

 

外交官のアメリの両親は故郷のベルギーを離れて日本へやってきた。アメリは日本で生まれた。アメリは自分を神と信じて毎日を送っていたが、両親も兄、姉も全く理解しなかった。1969年、アメリが二歳の誕生日の時地震が起こり、それが落ち着いた途端、アメリは立ち上がり歩くようになる。そして何やら声を発するようになります。周りの人たちは話しかけますがアメリは癇癪を起こして暴れるばかりでした。両親は、毎日大騒ぎするばかりで家の中が荒れ放題になるのに困って家政婦を雇うことにする。大家カシマさんの使用人の娘ニシオを紹介してもらい、アメリの家にやってくるが、その日ベルギーから祖母クロードもやって来る。

 

祖母はアメリのことを理解して、アメリにホワイトチョコレートを与える。アメリはすっかり祖母に懐くようになり親しくなる。しかしクロードは間も無くしてベルギーに帰ることになる。日々自然の姿に繊細に反応していたアメリですが、そんな時、アメリは掃除機の音に気づいて、初めてソウジキという言葉を発する。掃除をしていたのはニシオだった。パパ、ママ、姉のジュリエットの名は答えたが、いつも意地悪をする兄アンドレの名前は答えなかった。しかし家族は大喜びでアメリを可愛がっていきます。

 

アメリはニシオを慕うようになり、アメリの日本語名で雨という漢字を教えてもらったり、アンドレが男の子の節句で鯉のぼりをあげるのを不思議がって、鯉を見せてもらい、餌をあげたりする。しかし、家主のカシマはニシオがアメリと親しくするのは気に入らなかった。そんな時、祖母のクロードが亡くなったという知らせがはいる。死についてわからないアメリだがニシオが優しく説明する。そしてお盆の精霊流しに連れていく。父パトリックはベルギーに一旦戻る。

 

片付いたパトリックは日本に帰ってきたので、家族で海に行くことにする。アメリはニシオが行かないならいきたくないというが、ニシオに勧められて海へ行く。浜辺でアンドレが見つけたガラス瓶をもらい、一人で海辺に行ったアメリは、ニシオが言った世界の果ては水平線の向こうかと眺めているうちに波に飲まれてしまう。助けたのはパトリックだったが、父を呼んだのはアンドレだった。アメリはアンドレに親しみを感じるようになる。

 

家に戻ったアメリはニシオにガラス瓶をプレゼントして開けるように言う。ニシオが瓶を開けるとなんとも言えない美しい何かが舞い上がる。ある夜、アメリはたまたま、ニシオがカシマの家に行くのを見かけて後をついていくと、ニシオはカシマに叱責されていた。カシマの家族は第二次大戦で連合軍に殺されていて、ベルギー人のアメリたちを嫌っていた。それをアメリは聞いてしまうが、ニシオはアメリを見つけて、カシマを責めた上連れ帰る。その日ニシオさんは辞めていった。

 

アメリは、寂しい日々だったが、三歳の誕生日、両親はアメリが鯉が好きだと思っていたので池に鯉を三匹飼うことにし、餌をやるように言う。しかし、アメリは鯉が好きなのではなかった。対岸にカシマを見かけたアメリは懸命に鯉に餌をやっているうちに池に落ちてしまう。気がつくと病院だった。カシマがアメリを助けたのだと言う。さらにニシオさんも駆けつけてきた。カシマに連絡をもらったのだと言う。こうして、アメリはまたニシオさんと一緒に生活するようになって映画は終わる。

 

とにかく美しいアニメーションで、単に一つ一つの絵が美しいと言うより、流れの中で展開していく映像、アニメーションならではのカメラアングルやワーキング、ファンタジックな演出がとにかく素晴らしく、水をテーマにしたアメリの存在の描写もため息が出るほどに素敵で、素晴らしいアニメーションの秀作だった。

 

 

「決断する時」

アイルランドに実在したマギダレン洗濯所の人権問題を背景にした作品で、映像のクオリティはかなり高いのですが、とにかく地味で暗い物語なので、しんどい。淡々と描かれる主人公の苦悩の裏を垣間見ていく流れの作品なので、実話を元にしているとは言え、気持ちが荒んでくるほどに沈んでしまう。映像作品としては見応えはあるけれど、見終わってぐったりする一本でした。監督はティム・ミーランツ。

 

1985年、アイルランドの小さな街で石炭商を営むビルがこの日も石炭を配達し、食事をし、あたたかい家族の元に戻る場面から映画は幕を開ける。クリスマス前のある夜、修道院に石炭を届けにいったビルは、そこにいる一人の少女から、ここから出してほしいと声をかけられる。その場は見て見ぬふりをして帰ったが、妻のアイリーンからも、関わらないほうがいいと言われる。

 

いつものように石炭を届けにいったビルは、石炭倉庫でうずくまる少女サラを発見する。しかし、ビルはサラをシスターメアリーに引き渡す。シスターメアリーはビルを執務室に呼び、ビルの娘たちの今後を安泰にしたほうがいいと言うような半ば脅しのような言葉とクリスマスプレゼントだとアイリーン宛に金を包んで渡す。ビルは、なんとも言えない気持ちのまま帰宅、アイリーンは、ビルが言い出さないシスターメアリーからの金を受け取る。しかし、ビルは耐えきれず、この日も石炭倉庫に拉致されているサラを見つけてとうとう連れ出し自宅に連れ帰って映画は終わる。

 

ビルの少年時代を交錯してフラッシュバックしながら、現代の苦悩を描いていく構成は、非常に凝っているのですが、それぞれの映像の意味するところが明確に伝わりきらず、謎めいた修道院の姿をビルの視点で淡々と描く展開になってしまい、映像のクオリティは高いが、やや理解しづらくなっている。いい映画だと思うが、とにかく地味だった。