くらのすけの映画日記

大阪の社会人サークル「映画マニアの映画倶楽部シネマラムール」管理人の映画鑑賞日記です。 あくまで忘備録としての個人BLOGであり、見た直後の感想を書き込んでいるので、ラストシーンまで書いています。ご了承ください

映画感想「そして彼女たちは」「OCHI オチ」「私たちの話し方」

「そして彼女たちは」

望まぬして妊娠、あるいは出産した五人の少女たちのドラマを見事に描き分けた手腕がまず上手い。さらに、それぞれの少女たちへ向けたカメラの視点に、どんどん引き込まれて、それぞれが不幸のどん底に落ちて行く姿を描いてラストでスッと未来への希望を見せる演出力の秀逸さに頭が下がる映画でした。監督はジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ兄弟。

 

妊娠しているジェシカが、母に電話をしている場面から映画は幕を開ける。会う約束をしていた母が現れず、仕方なく、施設に帰って行く。黒人の少女ペルラは、生まれたばかりの赤ん坊を連れて恋人ロバンに会う。ペルラはロバンと三人で家族を作ることが望みだったが、恋人は冷たい態度をちらほら見せる。ペルラは必死で追い縋るように言葉をかけ、三人で住むアパートも見つかりそうだと話すもロバンは去って行く。

 

アリアンヌは、暴力を振るう両親から逃れてこの施設で子供を産み育てているが、子供を養子に出す計画を進めている。しかし、母は孫と暮らしたいと執拗に接触して来る。薬物依存の治療からようやく抜けたジュリーは恋人ディランと結婚して子供と三人で暮らそうと考えている。一緒に暮らすアパートを探し、結婚の証人に、かつての恩師を考えている。ナイマは、なかなか仕事が見つからなかったが、ようやく夢だった鉄道会社にインターンとして働けるようになる。そんな彼女の子供に施設の人たちは列車のおもちゃをプレゼントする。

 

映画は、ジェシカ、ペルラ、アリアンヌ、ジュリーの順番に、それぞれが、自分の運命に向き合いながら、幼い赤ん坊を育てる不安と向き合って行く姿を描いて行く。

 

ジェシカは、自分を施設に預けた母に、自分を捨てたと思い、生まれてくる赤ん坊アルバにはそんな思いをさせたくないといいながら母に会いに行く。しかし、母はジェシカとの関わりを執拗に拒否する。ペルラの恋人ロバンは、ペルラが何度も電話したりしても一向に会ってくれず、姉の店に行くが、金が目当てだろうとかえって追い返され、姉に借りた金も返していないと罵倒される。しかも、とうとうロバンは別れを告げて去っていく。ジュリーは、恋人でディランと住むアパートも決まり、このまま上手く行くかと思ったが、その油断で薬物を摂取してしまい病院に搬送されてしまう。

 

試行錯誤でもがきながら、諦めきれないジェシカは、母の職場までやってきて、自分を捨てた理由を問いただす。母は、貧しさと未婚の母の子供が受ける差別を思うと、施設に入れた方が幸せだと考えたと告白し、ジェシカが子供にミルクをやるのに中に入れてやる。ペルラは、なけなしのお金をおろして姉の元に行き、少しづつお金は返すと言うと、姉は、2階で子供と二人で暮らせば良いと勧める。アリアンヌの子供は優しそうな夫婦の元に養子に出され、アリアンヌは子供が十八歳になった時に届くように手紙を綴る。ジュリーとディランは、結婚の証人になってもらう恩師の家に行き、思い出の詩を語るが、恩師はその詩の曲をオリガンで弾いてやる。さらに赤ん坊のために陽気な曲を弾き、ジュリー達の幸せそうな姿で暗転映画は終わる。

 

とにかく、脚本が整理されているし演出も秀逸なので映画のメッセージが素直にこちらに伝わってくる。一見、暗い厳しい登場人物達の物語だが、それぞれが希望の未来を見せてくるラストの処理が抜群に上手い映画だった。

 

 

「OCHI オチ」

美しい映像で描かれるいわゆるおとぎ話なのですが、脚本が平坦で演出にキレもなく、淡々とと言うよりダラダラと進んでしまう映画だった。監督はアイザイア・サクソン。

 

黒海の小さな島、その島の村では昔から森に住むオチという生き物に恐怖を覚えていたというナレーションから映画は幕を開ける。この日、この村の若者達、娘のユーリ、息子のペトロを従えて、マキシムは森へオチ狩りに出かける。マキシムの妻は彼を捨てて出ていった理由がオチにあると執拗にオチを恨んでいた。

 

マキシム達はオチの群れを見つけて銃を発砲するが結局なんの成果もなく帰ってくる。翌朝、マキシムはユーリに、森に仕掛けた罠を調べてくるように言う。ユーリが森に入って行くと一匹の子供のオチが罠にかかっていた。ユーリはそのオチを助け、連れ帰って足の治療をしてやり群れに返すべく一人森へ入って行く。それをペトロが目撃する。

 

ユーリがオチに攫われたと判断したマキシムは若者達を連れて森へ向かう。森で暮らすマキシムの妻ダーシャは、オチを研究していた。ユーリは、スーパーで食べ物を手に入れて逃げる際に、オチが暴れたので押さえつけた際、オチに噛まれた。その咬み傷で腕が腫れ上がっていた。同時にオチの言葉が話せるようになる。

 

森の中で、ユーリは罠に落ちてしまい気を失ってしまうが彼女を助けたのはダーシャだった。ダーシャはコウモリの血でユーリの傷を治療し、幼いころに笛でオチの言葉を教えたことを話す。ユーリがダーシャのところに行ったのをみたペトロがマキシムらを呼び、マキシムはダーシャの家に突入する。ユーリはオチを連れてダーシャが見つけたオチの森に行きと、そこに群れの長が住んでいた。ユーリは、オチを連れて長に向かっていき、マキシム達も追いつくが、その雰囲気にマキシムは目が覚め、さらにダーシャの笛とユーリの声でオチと人間の心が通い、オチの子供は無事群れに帰り映画は終わる。

 

とにかく、キレがない演出で、映像は美しいが、正直ちょっと退屈。子供向けの物語という感じの一本で、普通の作品だった。

 

「私たちの話し方」

聾唖のことや人工内耳、手話など障害のメッセージを押し付けてこない作りがとっても良くて、障害のある三人の男女の青春ストーリーとして仕上げられていて、そのみずみずしさが心地よい映画だった。監督はアダム・ウォン。

 

三歳の時に高熱で聴力を失い、人工内耳をつけて聞こえる人として大学も卒業、人工内耳のアンバサダーとしてマスコミにも取り上げられているソフィの姿から映画は幕を開ける。同じくアランもアンバサダーだったが、彼は手話も出来た。アランの幼馴染のジーソンは、ダイビングインストラクターを目指していて、幼い頃から手話話者であることに誇りを持っていた。2005年くらいまでは、聾唖者には口話教育を半ば強制するほどに推進していて、そんな学校でアランとジーソンは育った。映画は少年時代の二人と現代の二人の物語を交錯させながら進んでいく。

 

アランとソフィは同じくアンバサダーだったことで知り合う。ソフィは人工内耳の推進イベントで科学の発展は聾唖者をなくすというスピーチを聞いたジーソンは激怒する。そんなジーソンにアランは、さりげなくフォローする。しかし、ー人工内耳をつけてから手話をしなくなったアランにジーソンは苛立ちを覚えていた。

 

ソフィは数理士として仕事につくことを望んでいて、希望していた大手企業に就職が決まる。しかし、差別のない社会とはいえ、現実は微妙に理想とは違っているのを目の当たりにする。そんなソフィに、ジーソンやアランは、優しく接し、ダイビングは無理だがシュノーケリングならとソフィを海に連れ出して三人で遊んだりする。手話に何かを感じたソフィは、ダイビングインストラクターの勉強の合間にジーソンに手話を教えてもらうようにする。

 

ソフィは、ダイビングインストラクターの勉強に苦心しているジーソンに、数学のアドバイスなどをし、ジーソンは見事筆記試験に合格する。ソフィの人工内耳の機械が調子が悪く、会社でも居づらいことが頻繁になってきたが、聞こえない事で別の景色が見え始めるソフィだった。そんなソフィの姿を見るアランもまた、何かを感じ始める。

 

ところがジーソンは、実技試験で手話通訳者の必要を迫られ、スクールでは実技試験を受ける事が無理になる。落ち込むジーソンに、ソフィは、アメリカなら可能性があると言うが、英語が苦手なジーソンは、躊躇してしまう。そんなジーソンの前でソフィは、自分もダイビングがしたいと、人工内耳をつけていて海に潜れないのに無理に潜って病院に搬送されてしまう。

 

回復したソフィだが、聾唖者が普通になることのハードルの高さを受け入れることにし、仕事を辞めて、手話通訳者として子供達の授業に立ち会う仕事に就く。アランは、カメラマンの仕事を精力的にこなし、聾唖者として毅然と振る舞うようになる。ジーソンもアメリカに行く決心をし英語の勉強に勤しんでいた。こうして三人の若者達が未来へ一歩踏み出して映画は幕を閉じる。

 

少々物語構成がくどい気がするけれど、清々しいほどの青春ドラマとして描き切った演出がとっても気持ちのいい映画だった。