「今日からぼくが村の映画館」
のどかで美しい画面、ほのぼのする人々の景色、そして素朴そのもののストーリーに、心が洗われる気がする作品でした。映画としても、丁寧な演出が施されて実に心地よい仕上がりで、ラストは素直に感動してしまいました。いい映画を見た、そんな感想の一本でした。監督はセサル・ガリンド。
アンデス高地の小さな村、放牧と農業を営む両親に育てられている少年シストゥが、学校へ行くべく出かけるところから映画は幕を開ける。学校へ着いたシストゥは、風に乗って流れて来た新聞にのっていた映画に興味を持つ。なんのことかわからなかったシストゥは、先生から、映画というものがあることを知らされる。どうしても映画を見たくなったシストゥは、父親が街に行くのに勝手について行き、夜、街角でトラックから放映される映画「燃えよドラゴン」を見て大興奮してしまう。
翌日、学校でクラスメートに映画の話をし、クラスメートも興味津々になって、シストゥと一緒に街まで映画を見に行くことにする。途中で、息子が行方不明になって一人暮らしをしているママシモナと出会い、一緒に街へ向かう、ママシモナが金貨を払って子供達全員が映画を見始めるが、この日の映画は「ドラキュラ」だった。
親達は子供達が見当たらないので村人総出で探していた。夜、子供達は帰ってくるが、どの子もドラキュラが怖いとうなされてしまう。そんな事件を起こしたシストゥについて村の集会で議論することになり、それならと村全員で見にいくことにする。しかし、見に来たものの、自分たちのケチュア語ではないので、全くわからず、学校で勉強している子供達の説明でやっとわかるレベルだった。そこで、後日集会を開き、毎週土曜日シストゥが出かけて行って映画を見て帰り、その説明をすることになる。
シストゥはロバを引いて毎週出かけては見て来た映画を村民達の前で話をする。村民達もシストゥの話を楽しみに遠方からもやってくるようになる。しかし、ある雨の日、街に出かけたシストゥは、移動映画館が別の街に行ってしまったことを知る。仕方なく戻ったシストゥは、映画とは関係のないこの村の話を始めるが村民達は納得しなかった。しかし、ママシモナが立ち上がり、自分たちの話を聞いてあげようと村民を諭す。間も無くして、高齢だったママシモナはシストゥに見守られて亡くなってしまう。村人達は彼女の葬儀を行う。
シストゥの家族の元に行方不明だったシストゥの姉ロシータが戻ってくる。そして両親はロシータを抱きしめてカメラが引くと、それは大人になって映画監督になったシストゥが撮った映画のラストシーンだとわかる。こうして映画は幕を閉じる。
とにかくのどかなアンデスの景色が美しくて、さらに村民達の気持ちも景色同様に純粋そのもので、それだけでも見た値打ちがある。ラストの処理は少しあざといのですが、さりげないカメラアングルも実に美しく、色彩処理も落ち着いていて、非常に真面目な仕上がりになっています。良かったなぁと感慨にふけってしまう一本でした。
「オールド・オーク」
嫌な映画だった。難民受け入れを一方的に善として捉え、反対する人を悪と描いた筆致が実に嫌で、それをシリアスと捉えるなら、私は受け入れられない。監督はケン・ローチ。
イングランド北部の炭鉱町、一台のバスからカメラを構えた一人の女性とその町の若者が言い争っている場面から映画は幕を開ける。女性はシリアからやって来た難民でヤラと言い、若者達と争ってカメラを壊されてしまう。その争いを落ち着かせたのはこの街でオールド・オークというパブを営むTJだった。この街は炭鉱町で活気に溢れていたが、閉鉱して三十年が過ぎて、炭鉱で働いていた人たちもTJのパブで時間を潰す日々、街は寂れて、中東の難民を受け入れるようになって地元民との確執が耐えなかった。
ヤラは、TJのパブを訪れて、カメラを壊した若者に弁償させたいと若者の居場所をTJに聞くが、TJは、どうせ無理だからと、今は使っていない奥の部屋に案内し、父が使っていたカメラと、カメラの修理先を教える。そんなTJの姿に、パブの常連らはいい顔をしなかった。この街では学校でも難民へのいじめが横行し、街でも難民への蔑視やSNSでのヘイトが頻繁に起こっていたがTJは見て見ぬ振りをしていた。
カメラの修理ができ、ヤラの家に届けに来たTJは、そこでヤラの家族らに会い、難民の現実を知る。そんな頃、可愛がっていた愛犬のウラが、地元の若者が飼っていた大型犬に咬み殺される出来事がおこる。ウラは、二年前、TJが人生をはかなんで自殺しようとして海辺に行った際に突然現れ、TJを思いとどまらせた犬だった。すっかり落ち込んだTJに、ヤラ達家族が真摯に応援しにくる。
ようやく立ち直ったTJは、使っていなかった裏の部屋を修理し、難民達に食事を提供する場に改装する。当然、地元の常連らはいい気持ちはしなくて、何かにつけTJを罵倒するようになる。なんとか、改装もすみ、難民らに食事を提供し始め、寄付も集まり始めた矢先、深夜に、配管がはずれて水浸しになった上、電気ショートで、部屋は使えなくなってしまい、資金も尽きてしまう。しかも、その事故は、TJの幼馴染でもあるチャーリーらの仕業だと知り、TJは落胆、自暴自棄になってしまう。そこへ、ヤラの父が亡くなった知らせが届く。
TJはヤラの家にやって来るが、そこへ、町の難民達が次々と悔やみに訪れ、家の前は人で溢れ始める。そして大群衆となって葬儀が執り行われ、その場面で映画は幕を閉じる。
では、あの店はどうなるのかという余韻を残してのエンディングで、善と悪で割り切った筆致がどうにも受け入れられなくて、さらにシリア難民の現実もそれほど理解できていないとはいえ、だから難民は受け入れてしかるべきという理屈も正しいとは思えない。そんな語り口に嫌悪感しか感じなかった。

