くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「ペルリンプスと秘密の森」「悪の報酬」「エクソシスト 信じる者」

「ペルリンプスと秘密の森」

アニメ自体は素朴な作りですが、オリジナリティのある色彩と構図がシンプルなお話に彩りを作り出している感じの面白いアニメ作品でした。監督はアレ・アブレウ。

 

かつて、森にはペルリンプスというのがいたが、巨人がやってきてどこかへ行ったらしいというオープニングからタイトル、太陽の王国の秘密エージェントクラエは森の中で月の王国の秘密エージェントブルーオと出会う。森が巨人に征服され、間も無く大波が来るという情報を受信機で聞いたクラエはブルーオといがみ合いながらも協力して、森を守るペルリンプスを探しに出かける。

 

クラエは何やら受信機と発信機を持っていたが途中で無くしてしまう。ペルリンプスの音色に誘われて雲の上にたどり着いた二人はそこでジョアンという年老いた鳥に出会う。彼もまたペルリンプスで、巨人の国に潜入していたという。クラエらはそこから夢の船に乗ってペルリンプスの元へ向かうが、着いたのは二人が出会った場所だった。二人は巨人の工場へ向かい、柵から中に入るが、クラエは捕まってしまう。

 

クラエが目を覚ますと巨人の国で、ドーリエ大尉が出迎える。クラエは実はドーリエ大尉の子供でクラオと言った。やがて大尉の命令で水が放出され森はダムの底に沈んでしまう。ダムを見ながらクラエはブルーオを呼ぶが返事はない。ダムの中央の島にジョアンの姿を認めながらクラエは車に乗って去って映画は終わる。

 

文明が押し寄せてきて自然が淘汰される様を描いたファンタジーですが、独特の絵作りはこれもまたブラジルのアニメの個性でしょう。映画の出来栄えは普通でしたが、作品としては面白かったです。

 

「悪の報酬」

ラストの処理をキレ良くあっさり仕上げたら、ちょっとした秀作になったろうに、ほんのわずかエピローグにこだわったためにだらけてしまったのがとっても残念。でも、この時代の世相をさりげなく反映させたフィルムノワール的な空気感は面白かった。監督は野口博志

 

刑務所の門の格子を捉えるカットから、一人の男萩原が出所して来る場面になって映画は始まる。妻が出迎えているがまもなくして警視庁の剣持の代理という刑事が来て萩原らを出迎えて車で去る。ところが直後、本物の剣持刑事がやって来る。まもなくして萩原の妻が遺体で発見される。

 

一人の男が障子の影で大物らしい男南郷と話している。障子の影の男は太田と言うらしい。警視庁では偽札の取引とそれに絡んだ麻薬の取引の捜査が進んでいたが影に太田と言う男がいるらしいがその正体を掴めずにいた。ここに、地道な商売で財産を築いた栗橋という男がいた。彼の妻の弟勇一は何かにつけて反抗的で、この日も追われているからと栗橋のところに逃げてきて、栗橋は追ってきたチンピラに金を渡して後始末をしてやる。

 

剣持は夜の街に行き情報を集めていた。一方、行方不明になっていた萩原という男は偽札印刷の技術を請われて太田の部下に地下室で仕事をさせられていた。妻に会わせて欲しいというのを適当に誤魔化されながら仕事を進め、一段落した後、結局殺されてしまう。栗橋と剣持は時々一緒に碁を打つほどの友人だった。栗橋は孤児の施設に多額の寄付を続けていた。剣持は太田と言う人物を捜査するためキャバレー黄金馬車に忍び込むが証拠は掴めなかった。

 

太田は南郷の片腕で偽ドルと麻薬の取引をし、麻薬を闇のボス南郷に渡していた。剣持は偽ドルを持ち出す情報を掴みトラックをマークしようとするが、太田の指示で輸送方法を変更、トラックは囮になる。直前でおかしいと気づいた剣持は一人で一台の乗用車を追うが、途中で事故に遭ってしまう。これも太田の指示だった。重傷を負った剣持を栗橋が見舞いに来る。そこに来ていた署長から、太田の指紋らしいものの写真を見せられ、栗橋はついそれを素手で掴んでしまう。

 

太田が海軍の元通信士だという情報を得て、さらに先日の指紋の写真のついた栗橋の指紋が太田と一致したことで、栗橋=太田と判明し、剣持が追い詰めていく。栗橋は、南郷によって手を汚されていくことに苦悩し始めていて、家族を青森に送り出し、店を売って後から行くと約束をして南郷の元へ行き彼を殺す。そして覚悟を決めて家族を駅で見送り、自宅の店の地下へ向かう。一緒に太田としての愛人典子もいた。そこへ剣持らが乗り込んでくる。剣持は栗橋に出頭するよう説得するが栗橋は剣持を外に出し、火をつけて爆発して果ててしまう。結局、剣持は太田のバックは突き止められなかった。港では取引を抑えられた太田の部下や取引の相手が逮捕される。こうして映画は終わる。

 

非常に丁寧に書き込まれて、面白いサスペンスなのですが、ラスト、栗橋が家族と別れてからがちょっとくどくどしていて勿体無い。ここをもう少し切れ良くまとめれば傑作だったと思います。でもいい映画でした。

 

エクソシスト 信じる者」

あの名作の続編に果敢に臨んだのはいいが、力が入りすぎて何がなんだかわからない映画に仕上がっていました。細かいカットで切り返していく前半から、圧巻の悪魔祓いシーンまで、全編肩が凝りっぱなしの映画だった。しかも、なんで悪魔に取り憑かれるのが二人でしかも黒人と白人、そしてあのラスト、クリスの登場の意味は?何もかもがうやむやにこじつけなのがどうにもこうにも感想をかけない映画だった。監督はデビッド・ゴードン・グリーン。

 

ハイチ、カメラ好きのビクターは妊娠している妻とこの地に来ている。妻は地元の祈祷師に祈祷してもらう。疲れたので妻は先にホテルに帰り、ビクターは一人写真を撮っていたが突然大地震が襲い、妻は瓦礫の中重傷になる。医師は母か子供かを選ばないといけないといい、ビクターが悩んで、時は13年後に移る。ビクターと娘のアンジェラは仲のいい親子で、この日もビクターはアンジェラを学校に送る。学校でアンジェラは友達のキャサリンと降霊会をする約束をしていた。

 

アンジェラは、母に会いたくて、その方面に詳しいキャサリンに頼んだのだ。二人は親に嘘をついて森の中に入るが、それから行方不明になる。ビクターはキャサリンの両親と捜索するが見つからない。ところが三日後、突然ある農家の納屋で二人は見つかる。しかし、アンジェラもキャサリンも次第に異常な行動をとるようになる。たまたま看護師で二人の様子を見ていたアンは、アンジェラが自分のかつて修道女になろうとしていた時の名前を言われたことから不穏なものを感じ、娘が悪魔祓いをしてもらった体験談を本にしていたクリスを紹介する。

 

クリスの娘リーガンは、本を出したことから確執が生まれ行方がわからないままだった。アンに言われてアンジェラの病院に行ったクリスは悪魔祓いの必要を訴える。一方自宅で療養していたキャサリンも訪れるがその寝室でクリスはキャサリンに両目を潰されてしまう。クリスは入院するが、アンらは地元神父に助けを求め悪魔祓いの儀式を要請する。

 

キャサリンとアンジェラを椅子に固定し、近所や教会の関係者らで悪魔祓いの準備をするが教会は儀式を認めず、神父は参加できなくなる。そこでアンを中心に悪魔祓いの儀式が始まる。最後の最後神父が駆けつけるが、首を捻り切られて死んでしまう。悪魔は、キャサリンかアンジェラかいずれかを選べと叫んでくるがビクターもキャサリンの母ミランダも選べないと叫ぶ。ところが、神父が殺され、極まったキャサリンの父親はキャサリンを選ぶと叫んでしまう。瞬間、悪魔は離れ、その代わりアンジェラは一旦心肺停止するも息を吹き返すがキャサリンは死んでしまう。後日、普通に戻ったアンジェラとビクターの姿があり、クリスの病室に行方不明だったリーガンが来て映画は終わる。

 

え?なんだったの?というエンディングと展開になんとも言えない余韻が残った。白人は死んで黒人が生き残る?悪魔はどうなった?そもそも悪魔祓いの場面の必要は?あの神父はなんのため出てきた?狐に摘まれっぱなしの映画だった。

映画感想「ブラック・レイン」「マタンゴ」

ブラック・レイン

初公開以来の再見ですが、当時はこの映画の面白さを理解していなかったかもしれません。アクション映画はこれくらいキレッキレでないとあかんと思います。無駄なシーンは思い切って削ぎ落として、それでいて見せ場は徹底的にハイスピードで光と影を操って描いていく。しかも松田優作の悪役ぶりが寒気がすりほどに恐ろしく、まさにこの手の映画は悪役次第でハイレベルになるかどうかが決まる典型的な仕上がりになっています。おっそろしく見事なアクション映画でした。拍手です。監督はリドリー・スコット

 

バイク好きの主人公ニックがこの日もチキンレースでチンピラに勝って小遣いを手にする。次のカットで、汚職の汚名を着せられたニックが警察署に召喚される。麻薬組織の金をくすねたらしい疑いだが、ニックは平然と疑いを交わす。しかし本当の所、離婚後の手当や子供の教育費などで家計は火の車で、金を盗んだらしいと推測される。そんな彼が親友のチャーリーとカフェにいると突然日本人らしい男たちが飛び込んできて、カフェにいたマフィアやヤクザのボスがいるところへ行き、何やらケースに入ったものを奪うと惨殺して逃走する。すぐにニックらは後を追う。そして、首謀者の男を追い詰めて逮捕する。

 

逮捕された男は佐藤と言って、日本人だった。日本大使館から引き渡しを要求され、日本へ移送することになるが、その護衛にニックとチャーリーが指定される。機内で不適な笑いを続ける佐藤についニックは殴ってしまう。やがて日本に到着、出迎えた日本人警官に引き渡すが、直後本物の日本の警察が来て、佐藤が奪われたことを知る。ニックらは警視庁へ行き、一緒に佐藤を捜査したいと申し出るが、あくまで客人としての同行になり、監視に松本警部補が指名される。あくまで日本式に捜査をしようとする松本らにニックは反感を持ちながらも同行する。

 

佐藤のアジトのタレコミがあったと現場に向かったニックたちだが、捜査に参加できないニックは証拠品のドル札を盗む。それは偽札だった。佐藤がアメリカで手にしたのはおそらく偽札作りの原盤だと判断したニックらは、キャバレーで出会ったアメリカ人女性ジョイスから情報を仕入れ、どうやら佐藤は日本のヤクザの大ボス菅井の後釜を狙っているらしいとわかる。しかし、ニックらに恨みのある佐藤は、酒の帰りのニックとチャーリーを暴走族に絡ませ、チャーリーのコートを奪って逃走し、地下ガレージに誘い込む。執拗に追いかけて行ったチャーリーはそこで罠にハマり、佐藤の刃にニックの目の前で殺されてしまう。

 

松本はチャーリーの遺品をニックに届けにいく。そこには拳銃もあった。二人はかつての佐藤のアジトにあったスパンコールから、キャバレーに勤めるスパンコールを着る女が怪しいと考え張り込む。女は貸金庫から偽札一枚を取り出し一人の男に渡す。ニックらがその男をつけていくと、とある鐵工所で佐藤と菅井を発見する。松本が応援を頼みニックは佐藤に向かっていくが、すんでのところでニックは銃を持っていたことで応援の警官に押さえつけられる。

 

違法捜査を指摘されたニックはアメリカに強制送還されることになり、松本も停職になるが、ニックは旅客機から脱出して松本の元へ行く。しかし松本には協力する意思はなかった。ニックはジョイスから菅井の居場所を知り、直接交渉に行く。そして、佐藤を疎ましく思う菅井の代わりに佐藤を捕まえてやるという交換条件を出す。菅井は佐藤が盃をもらう儀式でヤクザの親分が集まる場所をニックに教える。

 

ニックは菅井にショットガンを貸してもらい現場で待ち受ける。そこへ佐藤が現れるが、最初から菅井にとって変わりつもりの佐藤は部下を配置していた。そこへ松本が駆けつける。松本が援護する中、ニックは佐藤との一騎打ちであわや殺せる寸前まで行くが、結局逮捕し松本と二人で警視庁へ佐藤を引き渡し、二人は表彰され、ニックはアメリカに戻ることになる。空港でニックは松本にプレゼントを渡す。そこには、佐藤を逮捕した際に見つからなかった偽札原盤が入っていた。こうして映画は終わる。

 

見せ場から見せ場に移る際の余計なシーンが一切ない無駄のない脚本と、光の反射と影を効果的に使った演出、さらに、全盛期の松田優作の寒気がするほどの恐怖感を見せるクローズアップなど、とにかくアクションエンターテインメントの基本が徹底されていく作りが見事。バブル全盛期の大阪の夜景も美しく、映像作品としても一級品に仕上がっています。面白かった。

 

マタンゴ

原案に星新一が関わっているだけあって、風刺の効いた作品に仕上がっていますが、やはり怪作ですね。B級テイスト満載のホラー映画だった。監督は本多猪四郎

 

煌びやかでサイケデリックな夜のネオンが輝く都会の片隅の窓から一人の男が向こう向きに、自分は精神異常者だと言われているが、正常だと訴えながら、ここに収容される経緯を語り始めて映画は始まる。

 

いかにも坊っちゃんお嬢ちゃん的な脳天気な若者たち七人がヨットで大海原を走っている場面に移る。小説家やその男に言いよる利益主義な女、冒頭で出てきた正義感あふれる医者、その男に連れてこられた女、ヨットの責任者だが、ヨットのオーナーに救われてこき使われている男、などなど曲者ばかり。上天気のはずだったが天候が変わり、嵐に巻き込まれて船は大破、霧の中漂流することになる。まもなくして島を発見、なんとか上陸するが無人島らしく誰もいない。

 

島の反対側まで歩いて見つけたのは巨大な難破船、しかも死体さえ無い。航海日誌からどうやらキノコを食べて誰もいなくなったらしい。船の中はカビだらけで、何やら放射能調査の跡が伺われる。夜中、突然顔中デキモノだらけの化け物がやって来る。船の中にわずかに残った缶詰を食糧に助けを待つことにするが、次第にお互いが利己主義と疑心暗鬼、さらに愛憎劇が繰り返され始める。

 

中の一人は修理中のヨットで逃げ出してしまう。一人は森に入って、茂っているキノコを食べてしまう。やがて食料は尽き、美味なキノコに手を出し始め、一人また一人と消えていき、最後に残ったのは医師と女だが、女がキノコ人間に連れ去られ、それを追って森に入った医師は、結局助けられず逃げ出して、戻ってきたヨットに乗って漂流して脱出し、冒頭のシーンに繋がる。医師たちが見守る中、檻の中の男は話を語り終わるとゆっくりと振り向く。彼の顔もキノコに毒され始めていた。こうして映画は終わる。

 

キノコが美味であるというのは、明らかに人間の欲望の暗喩であろう。そして、煌びやかなネオンは一見華やかに発展していく人間たちを皮肉ったものだし、キノコに毒されて醜く変わっていくのは明らかに風刺である。そんな深読みをさせるほどただにエンタメホラーに仕上げていないのはある意味東宝らしからぬ失敗作かもしれないが、一方でそれゆえに怪作として仕上がった気もします。面白かった。

映画感想「父は憶えている」「未成年」

「父は憶えている」

静かな映画ですが、とっても良い映画でした。キルギスの国柄とかは詳しく知りませんが、近代化が進む一方で失われていくものと生まれてくるものが落ち着いた物語と流麗なカメラワークで描かれていく様はとっても美しい。監督はアクタン・アリム・クバト

 

木々が白く塗られている林をカメラがゆっくりと引いていって静かにタイトル。20年以上行方不明だったザールクが息子クバトに連れられて村に帰って来るところから映画は幕を開ける。ザールクは言葉と記憶を失っていて、息子の姿も駆けつけてくれた幼馴染の名前もわからない。息子の妻や孫が出迎えるがほとんど無表情に接する。妻のウムスナイは近所の成金の男ジャイムと再婚している。

 

ザールクはなぜか村に散らばるゴミを集め始める。最初は反抗するクバトだが、父親が黙々と続けるのを助けるようになる。孫もザールクの手伝いをして、母親に心配をかける。そんなある時、納屋が火事になる。ザールクの仕業だったのかもしれないが村人はみんなで火を消す。

 

ウムスナイはザールクが戻ってから塞ぎ込んでいて、再婚したことを後悔していた。導師の所に行き、神の判断を仰ぐが、男の方から離婚するには、ある言葉を三度唱えないといけないからと言われる。その帰り、寺院の男に、女性からも離婚の言葉を発することができると言われる。

 

ウムスナイは帰ってジャイムに離婚の言葉を発するがジャイムは無理やりウムスナイを襲う。翌日、クバトは父が帰ってきた祝いの宴を開く。村人たちが集まり、ザールクが帰ってきて村は美しくなったと呟く。ザールクは一人木にペンキを塗って白くしている。宴席にウムスナイがやって来る。そして地元の歌だろうか朗々と歌を歌い始める。

 

外で作業をしていたザールクはその歌声に耳を貸し、空を仰いで映画は終わる。果たしてザールクの記憶は戻ったのだろうか、その余韻の中映画はエンディング。

 

村がゴミだらけになり、何やら成功したらしい男が高級車に乗り、街外れにはハイウェイが走り、列車が疾走していく。近代化が進む一方で、古い慣習や宗教観に縛られる村人との対比描写が見事で、言葉を発しない主人公の淡々とした佇まいが、映像に語らせるという効果を生み出していく。高級な作品でしたが、良い映画でした。

 

「未成年」

時代色を感じるとはいえ、なかなかのクオリティの社会派青春ドラマの佳作でした。丁寧な脚本と演出が切々と一人の青年の青春の苦悩と母への思い、憧れの女性との出会いを切なく描いていきます。ラストの雨の演出も秀逸、見応えのある映画でした。監督は井上梅次

 

とある港町、不良たちやヤクザもの、麻薬の売人などがたむろする世界を見せながら映画は本編へ進む。自動車工場に勤める啓一はその真面目ぶりから、次の人事で班長になるだろうと長屋ではもっぱらの噂。そんな噂が嬉しくてたまらない母のかねは息子自慢の毎日だった。母と二人暮らしの啓一は、この日も会社に行き、帰りに同僚と居酒屋に寄ってささやかな酒を酌み交わしていたが、つい、不良を蔑む会話をして、隅にいるチンピラの健に絡まれ喧嘩をしてしまう。

 

翌朝、定期を落としたと気づいた啓一は健の居場所を教えてもらい一人取り戻しにいくが、そのまま健と喧嘩になり健の足を刺してしまう。通りかかった兄貴分の五郎に助けられた啓一は、五郎の誘いでヤクザものの世界で仕事をするようになる。最初はアルバイト程度だったが、会社では班長にもなれず、一方で五郎には次第に認められ、五郎の右腕で縄張りを張るようになる。ある夜、母と喧嘩した啓一は家を飛び出す。

 

五郎が刑務所にいる間、縄張りを任せられた啓一は五郎の情婦マッチンと仲良くなっていくが、啓一にとっては憧れの女性以上ではなかった。ある時、靴磨きの少年三太の姉京子に不良と呼ばれ、さらに健の姉から、カタワになって初めて堅気に戻れたと言われたことからショックを受けた啓一は悩み始める。一方、刑事の戸塚はかねに頼まれ、啓一に近づいて来る。啓一は、マッチンと深い仲になり、それを仲間のスモークに見られてしまう。それを知った五郎はマッチンを薬漬けにしてしまう。

 

何もかも嫌になった啓一は京子に誘われ京子の家でお茶漬けをご馳走になる。京子らには両親もいなくて家も船を渡り歩いていた。啓一は母の元に戻って迎えに来ると約束してかねの待つ家に帰って来る。戸塚は浜万組に掛け合って啓一が足を洗うのを約束させる。

 

翌日、啓一は最後の挨拶にと浜万組の事務所に行く。帰りに五郎に再度諭されるが啓一の意思は変わらなかった。五郎は、啓一が余計なことを警察に言わないように、ダムというチンピラに啓一を襲わせる。雨の中、啓一とダムが一騎打ちをする。啓一の帰りが遅いかねが表に出る。途中京子と一緒になり啓一を探すが見つからない。その頃、啓一はダムにナイフで刺され瀕死で自宅に向かっていた。

 

かねと京子が自宅に戻ると、玄関で倒れている啓一を発見、虫の息のまま救急車へ運ばれる。駆けつけた戸塚にかねは悪態をつく。力になれず、悲劇を生んだことに呆然とする戸塚のカットで映画は終わる。

 

とにかく、無駄のない展開と、一つ一つのシーンが実に丁寧に描き込まれていて、映画が緻密に仕上がっている。一人の青年の青春ドラマではあるけれど、さまざまなものが見えて来るなかなかの佳作でした。

映画感想「電話は夕方に鳴る」「挽歌」(五所平之助監督版)「怪物の木こり」

「電話は夕方に鳴る」

軽妙などたばたコメディサスペンスだが、非常によくまとまっているのは流石に新藤兼人の脚本のうまさだろう。冒頭の軽やかな導入部から、いきなりの本編、そして全て終わって冒頭シーンに戻るという組み立ては絶品。楽しい映画でした。監督は吉村公三郎

 

一人の女子高生咲子が颯爽と自転車で学校を出て来る。主題歌に乗せて古い街並みを走り抜ける。明らかに倉敷の街だが、冒頭でこの物語は全て架空だと宣言していて、廣岡という街になっている。カットが変わると、紅団という仮面をつけた高校生たちの集まりで、そこに咲子もいる。集まりが終わり解散、カットが変わって市長立花卓造の家に電話が入る。よくわからないが脅迫電話らしく、指定場所に50万円持って来ないと家族に災いが起こると言ってくる。

 

翌日、市長室に行った卓造だが、秘書辰枝に何もかもを見破られてしまう。犯人の指定場所に金を持っていくが現れず、警察署長らが右往左往する。次の指示もまた夕方電話が入る。ところが、次の指定場所でも犯人は現れない。映画は、この繰り返しでその度にドタバタする警察や家族、周辺の人々の姿をコミカルに描いていくが、受け渡しがある度に様々な裏話が表に出る。

 

最初は、助役の山根に愛人がいたり、共産系の団体に警察署長の息子がいたり、そして、策に行き詰まった警察は地元の俠客に応援を頼み、結果、地元のチンピラや愚連隊を一網打尽にすることになる。それでも次の受け渡しの連絡が来る。辰枝の家はタバコ屋で、仕事で帰った日、一人の男が電話をしていた。その内容は、市長を脅迫するもので、辰枝はこの男が犯人だと知る。タバコ屋のおばさんによると、市長の家の運転手の弟貞次だという。しかも貞次は咲子の恋人だったが、身分違いで別れ別れになっていたものだった。

 

最後の受け渡しは咲子が指定され、駅で受け渡すことになっていたが辰枝は影から咲子を監視していた。そこへ貞次が来るが、結局、咲子に会わずに列車に乗る。何もかもが終わり、次の選挙に向けて準備する市長の姿、そして、のどかな街に起こった脅迫事件で、街の汚れたものが一掃されて綺麗になった感じがするというナレーションで映画は終わる。

 

ドタバタシーンが実にコミカルで面白いし、ラストに向かってしっかり書き込まれた脚本のクオリティがなかなか良い。次々と人物が登場して、ささやかなドラマが展開し、それぞれが行くべき方向へ向かって進んでいってラストは綺麗にまとまっていくのは絶品の出来栄えです。ちょっとした傑作だった気がします。

 

「挽歌」

典型的な文芸作品という空気感のある秀作。北海道の美しい景色を背景に描かれる小悪魔的な一人の少女と、彼女に翻弄されていく大人の恋の物語という雰囲気で、若干、役者の年齢が役の年齢より高いために違和感がないわけではないが、映画としてはクオリティの高い作品でした。監督は五所平之助

 

北海道、主人公の怜子は幼い頃の病気の影響で左手が麻痺し、それが障害となっている。父親はそんな娘が不憫で結婚相手を探そうとしているが、本人はみみずく座という劇団の美術の仕事をしていて、しかも結婚に全く興味を示さなかった。そんな怜子はある時、犬に噛まれてしまう。犬を散歩させていたのは設計士の桂木で、怜子は惹かれるものを感じてしまう。

 

怜子は桂木の家に行こうとした時、たまたま桂木の妻あき子が愛人らしい男古瀬と一緒にいる現場を見てしまう。その後、怜子はたまたま桂木の事務所が父の会社の下の階だと知り、舞台の券を売る口実で事務所に押しかける。桂木は妻との関係も冷めた状態で、怜子に惹かれるものを感じてしまう。あき子が玲子の劇団仲間の幹夫の絵のモデルになっていたことがきっかけで、怜子はあき子と親しくなる。あき子の大人の落ち着いた雰囲気にどんどん惹かれていく怜子だが、一方で怜子の真実を知り、さらに隠れて桂木と交際しているアバンチュールに次第に酔い始めていく。

 

映画は、怜子があき子を慕い、親しくなっていく展開と、一方で桂木と深い仲になり、とうとう一夜を共にするまでになるくだり、そのそれぞれを隠しながら怜子があき子と桂木を小悪魔的に追い詰めていく展開を描いていく。そして、あき子が怜子を桂木に紹介した直後、怜子が真相をあき子に話し、あき子は落ち着いていたものの、自身も古瀬との逢瀬を続けていた罪悪感も重なりとうとう自殺してしまう。

 

事件の後、しばらく引きこもっていた怜子だが、ふと桂木の家に行き、荒れた部屋を見て片付け、桂木と顔を合わせないように逃げ出し、やがて劇団の遠征のトラックに乗る姿で映画は終わっていく。

 

怜子役の久我美子がもう少し若ければ小悪魔的な雰囲気がくっきり出たのだろうがちょっと大人びすぎて違和感があり、一方の高峰三枝子らもひとまわり若い俳優なら良かったかも知れない。しかし、美しい自然の描写や画面の構図は美しく高級感漂う作品だった。

 

「怪物の木こり」

久しぶりにハイクオリティなホラーサスペンスを見ました。カメラワークの面白さ、ドラマ展開の楽しさ、それでいてラスト、感情に訴えるエンディング、面白かった。監督は三池崇史

 

大勢の刑事が一軒の屋敷に踏み込んでいく。出迎えた男を押し除けて犯人であろうその男の妻の部屋へ行く。そしてたどり着いた部屋は何やら医療器具が並んでいて、女はメスを握って立ち向かおうとする。ベッドには頭に包帯を巻いた少年がいて、「怪物の木こり」の絵本を読んでいる。次の瞬間女はメスで首を裂いて自殺する。東間事件と呼ばれる30年近い前の事件で、大勢の子供が誘拐殺された事件だった。

 

場面が変わると、一台の疾走する白い車を俯瞰で捉えるカメラ。続いてその車の後を黒い車が追っている。そしてカーブを曲がったところで黒い車の前に男が立っていて、慌てて黒い車がハンドルを切り損ね横転する。運転手は助けを求めるが二宮は割れたガラスでその運転手の首を切って殺してしまう。殺人を犯したのは二宮という弁護士でサイコパスだった。今の弁護士事務所の先の社長を屋上から突き落とし、社長の娘映美と婚約もしている。

 

二宮は同じサイコパスで外科医の杉谷を訪ねる。二宮を追ってきた男はこの病院の事務員で、二宮が犯罪に関係があると考え追ってきたらしい。二宮は病院の廊下で一人の女刑事戸城とすれ違う。戸城はプロファイラーだった。最近、怪物の木こりよろしく斧で惨殺して脳を持ち帰る殺人事件が起こっていて、参考意見を聞きにきていた。二宮はその帰り、地下ガレージで仮面を被った男に斧で襲われる。間一髪で通りかかった女性の悲鳴で仮面の男は退散するが、二宮は頭に衝撃を受けて気を失う。

 

病院で目が覚めた二宮に担当医が脳チップが埋められていると話す。二宮には覚えがなかったが知っているふりをし、ネットで脳チップを調べると、全身麻痺を治療するのに使われた過去があるが今は禁止なのだという。二宮は杉谷のところへ行き脳チップについて聞く。かつてサイコパスの治療に使うために研究され、脳チップを埋めてサイコパスになるかどうかの実験がされたことがあるという。

 

それは30年以上前の東間事件だった。東間夫婦は子供にチップを埋め込んでサイコパスになるか実験をし、自分たちの子供のサイコパスを治す方法を模索していたのだという。しかし、二宮は、殺人鬼に斧で殴られた衝撃でそのチップが壊れたらしく、以前のように冷淡に殺人行為をできなくなっていることに気がつく。

 

一方、戸城らは、続く殺人事件を追ううちに、殺人鬼が一度失敗したことに気がつき、二宮に接近する。また、被害者が共通して施設で育ったことを発見する。さらに、施設にいた子供たちに脳チップが埋められていたことがわかり、犯人は頭を破壊してチップを持ち去ったことがわかる。かつてサイコパスの犯罪者として逮捕した剣持が捜査線上に上がり、剣持を殴って左遷された乾刑事の事件を絡め、戸城は剣持の所へ行くが、けんもほろろに追い返される。二宮を担当した医師はチップのことを口外させないために二宮と杉谷に殺される。

 

戸城は二宮がかかった病院へ行き、違法にカルテを見て二宮に脳チップが埋められていたことを突き止める。その行為で戸城は捜査から外される。一方乾も剣持担当の過去があるため捜査から外される。戸城は直接単独で二宮の家に行き、車に発信機を仕掛ける。一方、他の刑事は乾が犯人であろうと乾のところへ向かうが、何食わぬ顔で乾は現れる。そこで初めて戸城は真実が見えてくる。

 

その頃、映美が誘拐された映像が二宮に届く。東間の屋敷に来いという指示で二宮は東間の屋敷へ向かい、映美を発見する。そこへマスクを被った殺人鬼が襲いかかる。足枷で捉えられた二宮は殺人鬼に仮面を取るよう要求、殺人鬼が仮面を取ると剣持だった。剣持もまた東間の実験台の一人で、二宮がいた際に二宮を逃がそうとしたができなかったことを謝る。二宮は映美の父を突き落としたことを自白する。

 

二宮は映美を人質にして剣持を追い詰め、剣持に怪我を負わせる。剣持は乾に殴られた際、脳チップが壊れた為、良心が目覚め、ずっと罪悪感に苛まれ、サイコパス狩りをしていた。やがて屋敷に火がつき、駆けつけた戸城らは二宮らを助けるが剣持は炎に包まれていく。

 

回復した二宮は事務所で戸城を出迎える。結局、戸城は二宮を逮捕できなかったと去っていく。二宮の自宅で映美は目をさます。二宮は映美を抱きしめるが映美の手には包丁があり、二宮を刺す。二宮は映美の首を絞め、絞め跡を作って、「これで正当防衛だから」と映美を警察に走らせ、息を引き取る。こうして映画は終わる。

 

犯人が誰かというサスペンスと、残虐な殺人の理由、サイコパスの二宮と杉谷の存在、乾ら刑事などなどキャラクターも面白いし、終盤、いつの間にか良心に目覚めた二宮が映美を守るくだりでの締めくくりも良い。エンタメとしてかなりのクオリティで楽しめる作品でした。

映画感想「ナポレオン」(リドリー・スコット監督版)「隣人X-疑惑の彼女-」

「ナポレオン」

大作らしい物量、エキストラを注ぎ込んだ壮大な歴史絵巻という感じの作品で、史実を忠実に淡々と描く一方で、ナポレオンの人間ドラマを英雄としてではなく一人の男として描いていく奥の深さは納得するのですが、史実では年上のはずのジョゼフィーヌ役バネッサ・カービーが年下にしか見えず、故に、なぜここまで惚れ込むのかというナポレオンとの関係性が弱いのは残念。結果、相当な力を入れたであろう戦闘シーンがやたら目立ってしまって、映画を見たという満足感で劇場を出て来れる作品で、長尺ながら長さを感じさせない演出力と脚本は見応え十分でしたが、驚くほどの傑作にはならなかった。監督はリドリー・スコット

 

18世紀末、フランス王政が衰退し、マリー・アントワネットが絞首台に連れて行かれる場面から映画は幕を開ける。モダンなリズム感の背景音楽が不思議な空気を醸し出すオープニング、群衆を見つめるナポレオンの姿が捉えられる。イギリスによって南仏トゥーロンの港が占拠され、フランスの威信は地に落ち、人々は不満を隠せない。ナポレオンは軍事大臣に推挙されトゥーロン奪還に向かうことになる。攻撃直前、落ち着かない風のナポレオンの姿を描写する。

 

見事トゥーロンを奪還したナポレオンは、恐怖政治の終了したフランスでみるみる頭角を表し、軍の総司令官となる。そんな頃、夫を亡くしたジョゼフィーヌと出会う。ナポレオンはジョゼフィーヌと恋に落ち結婚するが、奔放なジョゼフィーヌはナポレオンが遠征して不在の中、他の男とも関係を持つ。エジプトから急遽戻ったナポレオンはクーデターを起こして第一統領となり、さらにフランス帝国皇帝まで上り詰める。この辺りが実にあっさりと進む。

 

ナポレオンとジョゼフィーヌは皇帝と皇后として優雅に生活するが歪んだ夫婦生活だった。ナポレオンは戦争にのめり込んで行き、オーストリア、ロシア連合軍をアウステルリッツの戦いで破り、さらに、フランスを裏切ったロシアを追ってモスクワまで侵攻する。しかしロシアはモスクワを焼き払ってペテロスブルグまで引いてしまい、冬の寒さの中、大勢のフランス兵士を失ったナポレオンは糾弾されて、コルシカ島へ流される。

 

しかし、フランスへの思い、さらにジョゼフィーヌへの想いを捨てきれないナポレオンはコルシカ島を脱出、フランス本土でナポレオンを慕う兵を募って軍隊を組織するが、イギリス、オーストリア、などヨーロッパ連合軍がナポレオンに迫る。ナポレオンはワーテルローで決戦をするべく対峙するが、圧倒的な軍事力の差で敗退、セントヘレナ島へ流刑される。やがてセントヘレナ島でナポレオンは亡くなり映画は終わる。

 

歴史の史実が淡々と描かれる展開で、ジョゼフィーヌとの関係や人間としての苦悩、政治力を含めたナポレオンの優れた知力の部分の描写が弱く、脇役もポイントになる人物が存在しないために物語がやや薄くなってしまった。戦闘シーンはCGも交えているかもしれないが8,000人というエキストラ導入の迫力は半端ではなく、かつてのハリウッド大作を思わせる映像には圧倒されます。全体に驚くほどの出来栄えではないのですが。それでもやはり並以上の超大作の貫禄十分な映画でした。

 

「隣人X-疑惑の彼女-」

多様性と差別意識の問題、マスコミへの批判などをSF仕立てで原作は描かれているのだろうが、胸糞の悪いストーリーなのはテレビレベル以下の脚本によるものか、役者任せの適当な演出によるものか、いずれにせよ雑な映画だった。唐突でなんの脈絡もない展開と、オーバーアクトな演技、それをまとめていかない演出、登場人物を全く描き分けていない描写、久しぶりに酷い映画に出会った。監督は熊澤尚人

 

故郷の惑星の紛争によって地球に難民としてやってきたXについての説明から映画は幕を開ける。Xは人と同じ姿をしていて、人類に決して危害を加えない生物であることからアメリカは難民としての受け入れに賛成したが日本は難色を示していた。雑誌記者の契約社員笹憲太郎は仕事にうだつが上がらず、編集長から睨まれていた。日本人の危惧を記事にするために、日常に紛れているXを見つけ出すスクープを追うことになる。Xと思しき候補が選ばれ、憲太郎は無理やりその企画に参加させてもらう。

 

憲太郎が任されたのは柏木良子と台湾から来ているリン・イレンだった。まず良子を追跡し始める憲太郎だが、次第に良子に恋心を持ち始める。一方、リンは、バンドをしている拓真という彼氏ができるが、何かにつけ日本語がうまくいえずバイト先でもリンは疎まれていた。憲太郎は、自分のアパートの前で突然、Xらしい人物と遭遇、たまたま良子の父の写真を見せてもらい、それが憲太郎が遭遇した謎のXの姿と同じだったことから、良子がXだと信じ始めるが、一方で恋心を抱いていたため悩んでしまう。

 

その頃、憲太郎は祖母が入っている施設の支払いが滞っていて、退所を宣告されていた。憲太郎は意を決して、強引に良子の父に会わせてもらい、DNA鑑定のため髪の毛を採取する。ところが、編集長は勝手に良子の父と特定できるような写真と記事を載せ、良子の実家は大騒ぎになる。良子にも騒ぎが広がり、憲太郎は良子の前から消える。ところが良子の父がマスコミの前で真摯な対応をしたことから形成が逆転、雑誌社が非難され始める。さらに、憲太郎の前に以前現れたXが再度現れ、憲太郎もまたXだと伝える。憲太郎は自身がXだと告白する記事を出し、会社を退職する。

 

一方、リンは拓真と付き合っていたが、自分が台湾人であること、日本語がいつまでもうまく行かず恥ずかしい思いをしていることを素直に話し、拓真もリンの気持ちを察するようになる。

 

良子は、以前憲太郎に勧められていたブックカフェを開いていた。そこへ憲太郎がやって来る。良子は読み聞かせた子供の一人にもらったスクラッチに当たりが出たら、会いましょうと言う。こうして映画は終わる。

 

とまあ、混沌としたストーリー展開で、リンと拓真の話がほとんど意味をなしていないし、Xを見つけるサスペンスも全くなく、ただ、偏見や多様性についてしつこく訴えるだけの展開と、とってつけたような物語の流れは、素人かと思えるほどひどい。本当に残念な仕上がりに映画に久しぶりに出会いました。

映画感想「リアリティ」

「リアリティ」

こういう映画を見ると,アメリカ映画の奥の深さを垣間見るように思います。裁判で公開されたFBI捜査官の記録した尋問音声をほぼ忠実にドラマとして再現した作品。リアルタイムで描かれる映像は主人公を演じたシドニー・スウィニーの演技力にかかった部分も多いが、巧みに切り返すカット編集も緊迫した場面を映像として昇華させている。問題定義満載の作品なのだろうが、映画としてもなかなか面白い仕上がりだったと思います。監督はティナ・サッター。

 

2017年6月3日、スーパーで買い物を終えたリアリティ・ウィナーは車を自宅に停める。そこへ二人の男性が近づいて来る。自分たちはFBI捜査官だとバッジを示し、ギャリック捜査官とテイラー捜査官は柔らかい物腰でリアリティに接し始めて映画は始まる。捜査官らはリアリティに何気ない会話を投げかけるが、次々と捜査官が到着し、家の周りには立ち入り禁止のテープが張り巡らされ、家宅捜索の許可があるからと自宅内に次々と捜査官が入っていく。

 

室内で飼っている犬を外に繋いで、リアリティはギャリックらに促されて奥の部屋に入る。三人はだだっ広い部屋で居心地の悪い中、ギャリックはリアリティにこれまでの職歴や、現在の職場の様子などを聞いていくが、次第に、リアリティが持ち出した文書へと言及していくにつれて、リアリティの受け答えがぎこちなくなっていく。どうやら、リアリティは故意にある文書を持ち出し、メディアにリークしたらしい事が見ている私たちに伝わって来る。

 

キーになる言葉は伏せ字になっていて分かりづらいものがあるが、ロシアがアメリカの選挙サイトをハッキングしたとか、アメリカにとってマイナスになる何かが漏洩した事がわかる。リアリティは、検索して出てきた記事がなぜどこへも漏洩されていないのか不思議に思い、印刷したものをストッキングに隠して持ち出し、メディアに送ったらしい。

 

リアリティは元軍人で極秘情報を取り扱える資格もあったが、自身の望む部署へ異動できず、翻訳の仕事を続けざるを得ない現状に不満でもあった。そんな様々から出来心も重なっての今回の事件だと次第にわかって来るが、かなり重要なものが漏洩したのかもしれない。そもそも、そういうことが起こるというセキュリティの甘さもどうかとは思うが、その後彼女は収監され四年服役したとテロップが出る。彼女へのさまざまなマスコミの報道が流れて映画は終わる。

 

リアルタイムで展開するドラマですが、映像表現としての工夫も見られ、商業映画としても仕上がっているのがある意味恐ろしい作品でした。

映画感想「シチリア・サマー」「ファウスト」

シチリア・サマー」

ゲイ映画なので嫌いなのだが、この映画は思いのほか良かった。実話とはいえ、丁寧に書き込まれた脚本と演出、音楽を効果的に使ったリズム作り、脇役を絵の中に効果的に配置してその表情で語らせる絵作りが実に上手い。そしてそんなそれぞれが終盤で生きて来るのだからこれはもう見事というのかありません。ゲイは異常であることに変わりはないけれど、だから差別したり暴力を振るったりは絶対にしてはいけない。しかし、人間の本音としてはそれが表になってしまう。それを悪と決めつけるかどうかは微妙なところではないでしょうか。その辺りの機微がきっちりと描かれているのがとっても良かった。クオリティの高い良い映画でした。監督はジュゼッペ・フィオレッロ。

 

ニーノと叔父、従兄弟のトトがウサギを撃ちにきている。トトはまだ幼くて騒ぐばかりで、叔父に戒められながら、叔父が銃を撃つと見事ウサギが仕留められる。ニーノは父と一緒に花火工房をしている。父は喘息がひどく、この日、仕事中に咳き込んでニーノに心配させる。トトの母はニーノの姉らしい。叔父は砕石場を経営している。極めて平凡で平和な家族で、ワールドカップでイタリアを応援して盛り上がる日々である。

 

離れた街にジャンニという青年がいる。この日、カフェにやってきたジャンニはカフェにたむろしている若者たちに冷やかされ、入り口にいた女性の口紅を塗られて追い返される。この辺りではジャンニがゲイである事は周知だった。そんなジャンニを迎えた母は、ジャンニがゲイであることを諦めと絶望で見守っている。母は向かいで自動車修理工場をしているフランコの世話になっている。ジャンニの父は家を出てドイツに行ったらしい。

 

ニーノは誕生日にバイクをもらう。早速走らせるニーノだが、顧客にバイクを届けようと疾走していたジャンニのバイクと接触して事故を起こしてしまう。気を失ったジャンニにニーノは人工呼吸をし、自分の住所を教えてその場を去る。しばらくしてジャンニはニーノの家を訪ねて来る。修理工場に嫌気が差して仕事をもらいにきたのだが、ニーノの父は人手は足りているからと、兄がやっている採石場を推薦する。

 

ジャンニは採石場で一生懸命働き、仕事終わりにニーノがバイクで迎えに行って、お気に入りの川で泳ぐようになる。そんなある時、採石場にジャンニの近所の悪ガキが一人仕事にやってきたのをジャンニが発見、自分の事がバレると砕石場を辞める。心配したニーノはジャンニの家に行き、そこでジャンニがゲイだと悪ガキらが冷やかす噂を聞く。

 

帰り道ジャンニを見つけたニーノは、父が喘息で病院へ行くことになったのを機にジャンニと花火の仕事をしたいと父に提案、最初の仕事を無難に仕上げたニーノは、父が休養する間ジャンニとあちこちの仕事をする。そして次第に二人は友情以上の関係になっていく。そんな二人を、雨の日、姉?が見かけ母親に告げる。ニーノの母は思い悩み、落ち着かなくなる。

 

そんな時、ニーノの母はジャンニの母から電話をもらう。ジャンニはあらぬ噂を立てられていて、ニーノの将来のために付き合わない方がいいと伝える。それを聞いたニーノの父はニーノとジャンニが仕事をする場に行き、ジャンニを帰らせて、自宅でニーノに詰め寄る。ニーノはジャンニがゲイなら付き合わなかったと断言するが本心ではなかった。後日、採石場を営む叔父の部下がジャンニを痛めつけに来る。

 

ワールドカップの決勝戦、家族みんながテレビを囲む中、ニーノは一人庭で花火の本を見ていた。そこへ、姉の夫?が来て、「隠し通せば永遠に続けられる」と忠告する。ニーノはバイクでジャンニの家に行きジャンニを誘って川へ行く。翌朝、河岸で二人は至福の顔で寄り添っていた。カメラが引くと銃声が二度響く。二人は殺された。こうして映画は終わる。テロップで。この事件を機に1980年、同性愛者擁護団体ができたと映される。

 

傍の登場人物の関係がわかりにくいので間違っているところもあるかもしれませんが、物語の組み立て、抑えた色調による画面、淡々と進むストーリー、主人公たちの周りの人物の視線の変化、さりげない細かい部分にこだわった演出が素晴らしく、しかも合間合間に挿入される音楽のセンスも良い。映画作品としてもなかなかの仕上がりの一本でした。

 

ファウスト

力の入った演出でグイグイ押してくるので若干しんどくなって来るが、その重厚さに圧倒される作品でした。監督はF・W・ムルナウ

 

悪魔が地上に君臨しようとする中、神は、地上のファウストが悪に染まったら地上を与えると約束する。そんな中、ペストの流行で次々と人々が亡くなり、自分の無力さを痛感した医師のファウストは書物に書かれた悪魔を呼び出す方法で悪魔を呼び出そうと考える。悪魔と契約し、万能の力を得ようとするが、現れた悪魔の使いとの契約を躊躇し、一日だけの仮契約をする。そしてファウストは患者を救おうとするが、聖なる十字架を持った女性を救えなくて人々から石つぶてをされてしまう。

 

ファウストは永遠の若さを望み、一人の女性と恋に落ちるが契約の期限が来る。ファウストは永遠の契約に切り替え、悪魔の力で欲望の限りを貪るが、次第に虚しくなり故郷に戻りたいと願う。故郷に戻ったファウストは、一人の神を信じる純真な娘と恋に落ちる。彼女の気持ちを得るため、悪魔メフィストに依頼、メフィストは彼女の兄や母、叔母を拐かしてファウストとの恋を成就させるが、一方で、兄を殺し、その罪をファウストに被せ、ファウストを愛した娘は売女だと罵られる。

 

娘は一人になり子供を産むが寒い夜赤ん坊を死なせてしまい、子供殺しの罪で火炙りの刑となる。自分が若さを望んだために娘を不幸にしたと反省したファウストは全ての契約破棄をメフィストに申し出、年老いた姿に戻って、火刑にふされる娘に駆け寄り、二人は燃える炎の中天国へ召される。神は悪魔に、ファウストは悪に染まらなかったということで地上に君臨することを許さず、愛こそが何者よりも強いとして悪魔は滅んで映画は終わる。

 

大作らしい作りと、迫って来るような演出がかなり重い作品で、名作とはいえ正直しんどかった。