くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「ヨーヨー」「破局」「恋する男」「ピンク・クラウド」

「ヨーヨー」

ピエール・エテックス監督特集の一本。画面の隅々、セリフの一つ一つ全てにユーモアを交えて描く知的コメディの傑作。ほとんど知識のない作品だったのが恥ずかしいほどです。とにかく楽しい。映画を楽しく作っている雰囲気が画面全体から溢れてきます。名作映画のポスターやシーンを臆する事なく取り入れた上、美しいシンメトリー画面を駆使し、遊びにあふれたセットの数々と、ストーリー展開に魅了されます。一つのジャンルを構築するほどの個性的な傑作に出会いました。

 

巨大な大邸宅、そこに暮らす大富豪の日常がコミカルに描かれていきます。いつも手元にヨーヨーを持っている。主人公の大富豪にはかつて恋した一人の女性が忘れられず、いつも引き出しに写真があった。ある時、サーカスを招いて貸切で楽しむ。一人のピエロの少年が邸宅の中を闊歩する。サーカスの曲馬乗りの女性こそが探していた元恋人の女性だった。しかも、一緒にいた少年は、大富豪との子供だと言う。大富豪は彼にヨーヨーをプレゼントする。

 

やがて、大恐慌が遅い、大富豪の会社も倒産してしまう。ここまでがサイレントで、効果音と音楽だけが聞こえている。そしてここからトーキーになる。大富豪は恋人と少年ヨーヨーを連れて興行に出る。子供は道化師となり、ヨーヨーと名乗り次第に人気が出る。やがて十年の歳月が流れ、大人気となったヨーヨーは興行プロデューサーとしてサーカスを率いていた。両親は自分たちだけで他国を巡業していた。そんな彼は一人の女性イゾリーナに恋をする。

 

第二次大戦を過ぎてヨーヨーのサーカスはどんどん大きくなり、夢だった両親が住んでいた邸宅の修繕にかかる。ヨーヨーの事業は順調に成功して、ヨーヨーは巨大企業家となる。ヨーロッパを転々として巡業している両親を、完成した大邸宅に招待する。しかし、成功したヨーヨーの前に両親は顔を出さず、イゾリーナに連れられて、ヨーヨーに別れを告げ去っていく。

 

ヨーヨーは、邸宅内に作った、幼い頃からのサーカスの道具を飾った部屋に入り、昔を懐かしむ。そこへ、森から象が現れて、邸宅内に乱入、大騒ぎする来客を尻目に、象を操り、邸宅の前の池の中へと進んでいく。画面にオーバーラップして円形のサーカスの演舞場が重なり映画は終わる。

 

コミカルな展開が非常に上品な画面の中で計算し尽くされた展開で進んでいく様が心地よく、さりげなく見えて来る親子の物語が、次第に情感を醸し出していきます。フェリーニの「8 1/2」や「道」、さらに「チャップリンの独裁者」をパロディしたような場面もあり、ラストは不思議な感動を思い起こさせてくれて、とっても素敵な感動に浸れました。

 

破局

ピエール・エテックスジャン=クロード・カリエール監督の短編。とにかく10分ほどの中身なのですが、軽快なテンポに引き込まれてあっと言う感じで終わります。傑作短編コメディでした。

 

車が行き交う街中をすり抜けながら主人公は自宅に帰って来る。一通の手紙が届いていて開けてみると恋人からだが、自分の写真が真っ二つに破られて入っていた。男も返事を書こうとするが、万年筆やインク、便箋、さらには机に翻弄されてなかなか前に進まない。そのコミカルな展開をひたすら描いていき、ようやく封筒に破った恋人の写真を封入するものの仕上がらず、引き出しからピストル、と思われたがライターでタバコに火をつけ、椅子に座って寄りかかると後ろにひっくり返って窓から落ちて映画は終わる。

 

なんとも、見事な構成の短編映画で、まさに傑作といえる一本でした。

 

「恋する男」

単純な物語なのですが、隅々まで計算された肩透かしのようなコミカルシーンの連続に翻弄され楽しませてもらえる映画でした。監督はピエール・エテックス

 

惑星の写真のアップから、チャチな発射台のような場面、SFかと思わせカメラが引くと発射台のペンを取る主人公の姿へ画面は移っていきます。どうやら天文学が好きらしいこの男ですが、下の階では両親が、そろそろ結婚してほしいと気を揉んでいます。妻に言われ、父親が息子のところへ行き、思いを話します。この家には、ホームステイでしょうか言葉の通じない一人の若い女性が住んでいます。

 

若者は早速街へ行き、ナンパしようと四苦八苦する。ひと真似をして若い女性と近付きになろうとするも、いつもチグハグに失敗。ダンスホールで近所に住む女性と知り合い近づいたものの、浪費家で極端なハイテンションに翻弄される始末。酔い潰れた彼女を自宅まで連れ帰るが、翌日家に押しかけてきたので公園で言われるままにこの女性と付き合う羽目に。そしてこの女性の部屋でたまたまテレビに映った歌手ステラに一目惚れしてしまいます。

 

ブロマイドを集め、ポスターやディスプレイを手に入れて自室に飾りまくる青年は、勝手に結婚を決めて指輪を持って楽屋へ向かいます。四苦八苦の末、楽屋に忍び込んだが、そこにいた青年にステラに合わせてくれと言うと、なんとその青年は母を呼び、その青年が息子だと判明。落ち込んだ若者は自宅に戻り、部屋のブロマイドなどを焼きます。

 

その頃、ホームステイに来ていた女性は自国に帰ることになり荷造りしていました。先日から片言で言葉を練習していて、若者に挨拶に行き、なんとか覚えた「結婚してください」と言う言葉を交えて、通じない自国語でしゃべりまくり、そのまま駅に向かいます。若者はその女性にいつの間にか惹かれていたことに気がつき駅に向かいます。

 

列車に乗ったと思って窓の中を探す若者の傍にその女性がいました。ところが若者は荷物を運ぶ荷車に乗っていて、女性から離れていくのですが、その荷車はUターンして来て映画は終わります。

 

とにかく、あれよあれよとギャグシーンが展開していき、そのどれもが全て計算され尽くした絵作りの中で繰り返される様がひたすら面白い。単純そのものの物語ですが、そのテンポに乗せられてしまいます。これが個性というものですね。面白かった。

 

「ピンク・クラウド

なんとも退屈そのものの映画だった。しかも、適当そのものの脚本というかストーリー展開に、ため息ばかりが出る作品で、たまたまコロナ禍直前に完成し、時代を予見したかのようなテロップだけの話題性のみの映画でした。監督はイウリ・ジェルバーゼ。

 

空にピンクの雲が広がる場面、犬を散歩していた少年が突然倒れて映画は幕を開ける。ヤーゴとジョヴァナのカップルがSEXを楽しんでいる。ハンモックで寝ていると緊急警報のサイレンと共に室内に入るようにとアナウンスが聞こえる。世界中に広がったピンクの雲に触れると10秒で死ぬのだという。

 

室内に避難したヤコブとジョヴァナは、とりあえず生活を始める。窓から食料を配給するシステムができ、まずいながらも生活ができる。ヤコブには、年老いた父がいるが、介護士と一緒に暮らしている。ジョヴァナには娘がいるが、友達の家で避難したままになっている。物語はこれという進展はなく、次第に抑圧された中で、精神的に限界が来る様を淡々と描く。

 

子供を作らないと言っていたジョヴァナだが結局妊娠し、リノと言う息子を産む。しかし、育児の中でヤコブとジョヴァナの間に溝ができ、一階と二階に別居する生活になる。リノは大きくなり二歳くらいになる。ジョヴァナとヤコブは、ネットでSEXしたりし始める。ヤコブの父の家の介護士が死んだと連絡が入る。その父も痴呆が始まる。友達の家に避難しているジョヴァナの娘は友達の父親とSEXすることを考え始める。ジョヴァナの一人暮らしの友達サラは精神的に限界が来る。

 

五年くらい経ったのでしょうか、リノはまた大きくなった。突然、雲が青くなり、微かな希望が生まれるが、しばらくしてまたピンクに戻る。バーチャルゴーグルにはまったジョヴァナは仮想世界に浸るようになる。リノがそんな母親にキレてゴーグルを壊し、我に帰ったジョヴァナはヤコブとまた体を合わせる。そしてみんなが寝入った後、一人ベランダに出てピンクの雲に触れる。カウントダウンし、10秒になる直前で映画は終わる。

 

とにかく、背後の設定があまりにリアリティが無いままで、誰が食料や機械類を作っているのか、医療はどうなっているのか、誰が放送や仮想現実世界を運営しているのか、いくらなんでも適当に流し過ぎています。さらに結局、ヤコブの父やジョヴァナの娘などの成り行きも投げたままで終わる。コロナ禍がなければ見向きもされない駄作だと思います。しんどかった。

映画感想「ヒトラーのための虐殺会議」「母の聖戦」

ヒトラーのために虐殺会議」

不謹慎かもしれないが、非常に面白かった。人間が狂っていく様が見事に描かれている。第二次大戦下、ユダヤ人絶滅政策を決定した90分のヴァンゼー会議のアドルフ・アイヒマンが記録した議事録に基づいた作品ですが、会話劇を主体にしている展開が素晴らしく、それぞれの高官達の丁々発止の保身の言い争いから、一気にユダヤ人大虐殺に誰もが正義感を持って賛成する下が見事です。傑作とは言わないまでも、映画としてなかなかの仕上がりの作品でした。監督はマッティ・ゲシュネック。

 

1942年1月、美しいヴァンゼー湖畔の別荘にナチス高官達が集まってくる場面から映画は幕を開ける。国家保安部代表ラインハルト・ハイドリッヒを議長に、軍人、役人を交えたユダヤ人問題の最終的解決=虐殺を決定するためだった。移送手段、収容方法、労働問題などそれぞれの立場で自身の利害を持ち出しながらの議論が次第に混沌としていく。それはまるでビジネス会議のような様相だった。

 

議長のラインハルトはそれぞれの意見を取りまとめながらも、立場を尊重するかのように議事を進めていくが、彼はこの会議は90分と最初から決めていた。意見が錯綜し、途中休息をして再開した後半、内務省のシュトゥッカーは、移送、収容する対象者の血の濃さによる選別の煩雑さを持ち出した末、断種処置を提案する。ラインハルトはシュトゥッカーを別室に呼び、お互いの忌憚ない気持ちを話し、議場へ戻る。そこで、非公式だと宣言した上で、最後の全員の危惧を聞き始める。突然、人道的な意見を持ち出すクロップファーは、殺戮によるトラウマなど、実行者達への危惧を話し始める。そこでラインハルトは議事録を取りまとめているアイヒマンに、それぞれの懸念事項を説明させる。すでに熟考し、計画を具体化していたアイヒマンは立て板に水を流す如く見事に計画を説明していく。このクライマックスが実に上手い。そして、議場のメンバー達は、いつの間にかユダヤ人大量殺戮が正義であるかのように納得し会議を終えてしまう。こうして何事もなかったかのようにメンバーは平然と議場を去って、誰もいなくなる場面で映画は終わる。

 

あまりにもビジネスライクな展開に唖然とする映画ですが、そこを狙った演出が見事で、特にアイヒマンの存在感が秀逸。映画の作りとしては相当に面白い一本でした。

 

「母の聖戦」

クオリティの高い映画ですが、いかんせん暗くて重い。それは意図したものだと言うのがラストでわかりますが、ひたすら主人公の葛藤にどんどん打ちのめされていく展開は相当に体力のいる作品でした。とは言っても、画面の色合いがガラッと変わって、救いのある?エンディングで、何とか気を取り直して劇場を出ることができました。監督はテオドラ・アイダ・ミハイ。

 

シエロが、娘のラウラに化粧してもらっている場面から映画は幕を開けます。ラウラはこれからリサンドロという恋人とデートの予定でそそくさと家を出る。その後、シエロが車を走らせていると、若者が乗った車に停められ、娘のラウラを誘拐したから近くのレストランに来いという。

 

シエロが行ってみると、若者は15万ペソの金と父親の車を持ってきたら娘を返すと言う。シエロは、リサンドロに連絡して、娘と会っていない事を確認し、別居している夫のグスタポを訪ね、ことの次第を話す。グスタポは若い愛人ロシと暮らしていたが、誘拐が日常茶飯事になっているメキシコで、犯人の言う事を聞くべきだとロシに言われる。

 

シエロは、グスタポから車を手に入れ、少し足りないが身代金を持って取引に行く。犯人たちは金を確認せずに去ってしまい、墓地で返すと言われ、シエロは待つもののラウラはいつまでも戻ってこなかった。この墓地のショットが美しい。さらに残金を要求されたシエロはグスタポに再度会いに行く。そこでグスタポの友人のキケが金を貸すと言い、その金を犯人に渡すが、やはりラウラは戻ってこなかった。

 

シエロは警察に行くが、誘拐事件が多すぎて相手にしてもらえず、仕方なく自分で情報を集め始める。そして、街を巡回する治安部隊に助けを求める。治安部隊の隊長ラマルケ中尉は、本来は出来ないが、秘密にする事を条件にシエロに協力する事にする。シエロの情報を元に犯人のアジトらしいところを襲い、首謀格らしい女二人を捕まえるもラウラの居所は見つからない。

 

そんな時、シエロは、キケが大量の買い物をスーパーでしているのを見かけ不審に思い後をつける。そしてキケも犯人の一人だと判断してラマルケ中尉の軍に襲ってもらう。しかし、キケは、捕まった建物の裏手に死体を埋めたと言う情報だけで、何も話さないのでラマルケ中尉は彼を銃殺する。

 

シエロはグスタポから、リサンドロが収監されたと聞き、刑務所に会いに行く。リサンドロは、ラウラを誘拐した組織に敵対する組織に入り、情報を集めていたのだ。そして、シエロに何かを耳打ちする。シエロはその情報で一人の女性に会いにいき、その女性をつけて、かつてシエロに接触してきた若者を見つける。そしてラマルケ中尉の軍に連絡し、その若者を逮捕してもらう。しかし、その若者はシエロに何も話さない。シエロはキケに聞いていた場所をグスタポと訪れ、穴を掘ってみる。そこは危険な場所だった。グスタポが掘っていくと、人に手を発見する。

 

警察が駆けつけ、隠れ墓地がある事を確認し、遺体や骨を掘り出しDNA鑑定を始める。時間がかかったが、シエロは警察に呼ばれ行ってみると、一本だけ見つかった肋骨の骨がラウラのDNAと一致したと告げられる。納得いかないままに、葬儀を済ませる。美しいメキシコの景色のインサートカットから、今まで暗い色調だった画面から打って変わって美しい色彩画面となり、グスタポと正式に別れたシエロが一人座っている。

 

彼女に当たる光もこれまでの光と違って美しい絵である。しばらくするとシエロは、彼方からやってくる何かを認める表情をする。誰かが近づいて来る様子から、シエロの表情が緩んで、やってきた誰かを迎えて暗転。果たして、ラウラが戻ってきたのかははっきり見せないが、おそらくハッピーエンドだと思いたい。こうして映画は終わる。

 

絵作りをストーリー展開に巧みに利用した演出が秀逸な一本で、ストーリーは非常に暗いし、シエロ以外の登場人物がほとんどクソばかりなので見ていて心が殺伐として来るが、時折、目を見張る美しいカットがあり、ここに何かがあると思いながら見ていると、ラストで、自分たちの心に光が当たるようにエンディングを迎える。なかなかクオリティの高い映画でした。

映画感想「肉体の悪魔」(デジタルリマスター版)「狂熱の孤独」(デジタルリマスター版)「ジェラール・フィリップ最後の冬」

肉体の悪魔」(1947年版)

ジェラール・フィリップ生誕百年映画祭で見る。とってもいい映画でした。好き放題に不倫している男と女の話で、最初は全く共感できないのですが、映画の展開としてしっかりしている上に、手を抜かない絵作りも見事で、クオリティの高い映画とはこういうものだという典型的な作品でした。よかったです。監督はクロード・オータン=ララ

 

第一次大戦終戦が決まって街が沸いている日、一人の青年が家から出てくる。途中、棺を積んだ馬車を見てその後を追って教会へ向かう。こうして映画は始まり、時間が遡る。高校に通う主人公フランソワの学校は軍の病院にも使われていた。そこへ、マルトという女性が看護婦としてやってくるが、間も無く倒れてしまう。どうやら彼女は体が弱いようである。マルトを支えてフランソワは連れ出すが、すっかりマルトに一目惚れしてしまう。しかし、彼女は婚約をしていて、相手は戦地に行っている兵士だった。

 

マルトとフランソワは頻繁に会うようになるが、そんなマルトを彼女の母は危惧していた。やがてフランソワは長期休みがきて、フランソワとマルトと会う機会は少なくなる。休みが明けて学校へ来たフランソワは、マルトから結婚した旨を伝えられる。最初はこれきりと思ったが、フランソワの気持ちは再燃、さらにマルトもフランソワへ気持ちが募り始める。夫のラコンプからの手紙にも返事をせず、マルトとフランソワは逢瀬を繰り返す。そして、戦争も間も無く終わるという空気が広まった頃、マルトは妊娠した事をフランソワに知らせる。

 

間も無く、戦争が終わり、夫のラコンプが帰ってくることになる、最後の夜、マルトとフランソワは酒場を周り夜を徹して楽しむが、マルトは体調を崩してしまう。駆けつけたマルトの母は、彼女を病院へ連れ去る。しばらくして病院へやってきたフランソワは、やってきたラコンプと偶然出会う。ラコンプがマルトの病室に行くと赤ん坊の鳴き声が聞こえていた。しかし、マルトは力尽きて死んでしまう。葬儀の場面になり、棺が出棺していくところで映画は終わっていきます。

 

過去と現代を何度か繰り返しながら、主人公達の恋の物語を膨らませていく構成が実に見事で、あまりに身勝手な恋の行方の如く見えるのですが、次第にその情熱に翻弄されている自分が見えてきます。名作とはこういう完成度を言うのでしょうね。素晴らしい映画でした。

 

「狂熱の孤独」

誰を中心に展開するのか今一つ視点が定まらないままに、なるほどそう言うことかと唐突にエンディングを迎える作品で、伝染病の事、酔いどれ医師のドラマ、旅先で困る女性のドラマ、そのどれもが結局どう言う事なのか描ききれず、ラテン音楽的なセンスの悪い曲で彩って行く品のなさがどうにもまとまらない映画でした。ただ、ジェラール・フィリップの熱演が光ります。監督はイヴ・アレグレ。

 

スペインの街でしょうか、やたら叫ぶだけの音楽と、復活祭を前にした爆竹の騒がしい風景に、一人の酔っ払いジョルジュがフラフラ歩いている場面で映画は始まる。この酔っ払いは、どうやら元医師らしいが、豚の頭を受け取りに行ってホテルに届け、酒をもらう日々である。のちにわかるが、妻を誤って亡くしてしまって以来酒浸りなのだそうだ。

 

ここに旅行客夫婦がいて、そのうちの夫が熱と嘔吐で倒れていると言う連絡が入る。たまたま医師がいたので、診察するが、どうやら伝染病らしいからと病院へ連れて行く。そんな夫婦に何気なく関わるジョルジュ。間も無くして夫が亡くなってしまい、一人残された妻のネリーは途方に暮れる。そんな彼女にホテルのオーナーが言い寄ってきたりするので、ますます不安になる。そして何かにつけ関わってくるジョルジュをいつの間にか慕うようになる。

 

やがて伝染病は街に広がり始め、街は隔離されてしまう。人手が不足する中、医師はジョルジュにもう一度助手になってほしいと頼み、酒を絶って気持ちを切り替えたジョルジュは浜辺に診察場所を作り始める。すっかりジョルジュに惚れてしまったネリーがジョルジュの元に駆け寄って唐突に映画は終わる。

 

一体何の話かと出来事を追いかけていくがいつまでも、筋の通ったものが見えないまま、ラストはいきなり恋が成就して終わる。ジェラール・フィリップのカリスマ的な演技が光る作品なのですが、物語は今ひとつまとまっていない気がしました。

 

ジェラール・フィリップ 最後の冬」

ジェラール・フィリップのドキュメンタリー。1959年11月に亡くなる日をクライマックスに遡りながらの映像で、彼の人柄を手短に語る感じの展開で見やすいドキュメンタリーでした。監督はパトリック・ジュディ。

 

1959年の最後の夏に子供達と遊ぶジェラール・フィリップの姿から映像が幕を開ける。そして、誕生の頃から彼が全盛期を迎える1950年代へと映像が進み、舞台役者としての成功、映画スターとしての存在感、世の中の様々な問題への参加、彼の人柄を丁寧に描いていきます。ほとんど彼について知識のない私には、とってもいい刺激になりました。

映画感想「花咲ける騎士道」(4Kデジタルリマスター版)「夜の騎士道」(4Kデジタルリマスター版)

花咲ける騎士道

荒唐無稽にハイテンポで展開するコミカルなラブストーリーの如き映画。クライマックスの延々と馬で疾走する追っかけシーンは圧巻。一見、粗だらけの展開のようですが、綺麗に一つにまとめていく監督の手腕は見事です。なんかわからないけれど面白かった。これが古き良き映画の楽しさかもしれません。監督はクリスチャン・ジャック

 

17世紀、戦争を繰り返すフランスのルイ15世は、戦士の不足に悩んでいた。そこで徴兵官フランソワーズを中心に田舎に行って若者を集める任務が下される。ここに、プレイボーイで、女の尻ばかり追いかけているお調子者の若者ファンファンは、この日も村の娘といちゃついていて、その父親に追いかけ回される。たまたま兵士募集に来ていたフランソワーズのところへの逃げ込み、兵士に志願する。

 

兵舎へ向かう途中、フランソワーズの娘アドリーヌの占いで、将来は兵士として出世し、王女と結婚することになると適当なことを言われすっかりファンファンはその気になる。折しも、盗賊に襲われ、身を潜めていた時に、偶然、王女の馬車を助けて、王女からチューリップをもらい、ファンファンは自らチューリップの騎士と名乗る。

 

兵舎で好き放題の行動をしたファンファンは営巣に入れられるも脱出して大騒ぎを起こす。やがて連隊は前線へ送られるが、駐屯地の近くにルイ15世の王城があった。ファンファンは王女に会うべく城に忍び込んで捕まってしまい絞首刑を言い渡される。しかしアデリーヌの懇願もあって、その場を助かったファンファンだが、ルイ15世は見返りにアデリーヌに迫る。アデリーヌはルイ15世を平手打ちして逃げたため、ルイ15世は侍従らにアデリーヌをおいかけさせる。アデリーヌは王女の助けで、修道院に逃げ込むが、兵舎で情報を聞いた侍従長らが修道院に向かう。

 

窮地を知ったファンファンは修道院へ向かい、アデリーヌを救い出して逃げるが侍従長らの馬車や馬が後を追ってくる。この追跡シーンがものすごい移動撮影と迫力で引き込まれてしまいます。そんな姿を見た敵国の軍隊は、フランスに作戦だと勘違いして、方向を反対向きにしてしまう。一方、アデリーヌが侍従長らに再度奪われてしまい、ファンファンらは森の奥、地下道に逃げ込むが、そこを抜けて出てきたのが敵の作戦本部の城だった。そこで大暴れして、敵を散り散りに蹴散らして降伏させてしまう。

 

活躍を見たルイ15世はファンファンらを褒め称え、アデリーヌは王が養女として迎えて、ファンファンとアデリーヌとの結婚を許すことにしてハッピーエンドとなる。

 

あれよあれよと展開する荒唐無稽なストーリーですが、映画というエンターテイメントだと割り切ってしまう面白さが痛快の一本で、細かい粗などは吹っ飛んでしまう勢いに圧倒される秀作でした。

 

「夜の騎士道」

ひたすら女性を追いかけていくだけの映画ですが、監督の独特の感性で繋ぎ合わせ、切り替えていくテンポのいい絵作りがとっても楽しくて、恋愛コメディタッチの展開と、さりげなく悲恋物語で締めくくる作りがちょっとした面白さの映画でした。監督はルネ・クレール

 

時は第一次大戦直後でしょうか、ある田舎町、プレイボーイのアルマンは、ある女性との約束を忘れて朝帰りしてきて、待ち伏せしていた女性との痴話喧嘩から映画は幕を開ける。そんな彼は、同僚達と飲んでいて、一ヶ月後の大演習の前の晩のパーティまでに一人の女性をものにできるかどうかという賭けをする。その賭けでアルマンが勝ったらパーティの費用を払うというもので、勢いでアルマンは契約書にサインまでしてしまう。

 

赤十字の慈善パーティで、アルマンは一人の女性マリー=ルイーズと出会う。彼女はパリからやってきて離婚歴があり、この街の名士ヴィクトルに求婚してもらおうとしていた。そんな彼女にアルマンは強引に近づくがマリー=ルイーズは冷たくあしらう。アルマンは次第に本気で迫り始め、それはいつの間にか心さえも彼女に向いていくようになる。しかし、町中がアルマンとマリー=ルイーズとの話題で盛り上がるのを懸念した上官はアルマンを二週間の訓練に遠ざけてしまう。

 

冷静になったマリー=ルイーズは、ヴィクトルの求婚を受け入れることにする。ところが、二週間経って戻ってきたアルマンはマリー=ルイーズがヴィクトルと結婚を決め、さらにアルマンがなぜマリー=ルイーズに近づいたのかを彼女が薄々感じ取って、冷たくあしらってしまったことにやけを起こし、親友と決闘する流れになってしまう。

 

実際は、お芝居で、アルマンは怪我をすることはなかったが、決闘のことを知ったマリー=ルイーズは、いてもたってもいられずアルマンの元を訪ねる。そしてアルマンとマリー=ルイーズはお互い心から愛していたことを知る。しかし、嫉妬したヴィクトルはアルマンが交わした契約書をマリー=ルイーズに見せてしまう。

 

大演習前のパーティにやってきたマリー=ルイーズはアルマンに、自分が賭けの対象でしかなかった事を責める。アルマンは、本当に愛しているのだと真剣に言い訳するが、マリー=ルイーズの心は揺るがず、翌日、アルマンが旅立つ際、マリー=ルイーズは窓を開け見送ることはなかった。こうして映画は終わります。

 

画面がパンするたびにシーンが入れ替わっていくコミカルな編集や、繰り返しを多用した演出などリズミカルな展開が面白く、ひたすら女性を追いかける主人公の姿は流石にちょっと古さを感じてしまうものの、一本の映画として仕上がっている。ラストはちょっと切ないけれど、楽しめる映画でした。

映画感想「パーフェクト・ドライバー成功確率100%の女」「ノースマン 導かれし復讐者」

「パーフェクト・ドライバー成功確率100%の女」

韓国映画もこの手のエンタメ作品作り洗練されてきた感じですね。欠点はあるけれど単純に面白かった。少々長く感じたのは、エピソードを盛り込みすぎたのか、見せ場の配分が悪かったのか、いずれにせよ、退屈せず最後まで見れました。難をいうと、せっかく国家情報院や脱北者を持ち出したならもう一工夫入れて分厚いアクションにしてほしかったです。監督はパク・デミン。

 

特走というプロの訳あり荷物を運ぶ仕事をしているウナが、この日もペク社長の指示で二人の荷物を待っている場面から映画は始まる。最初は女のドライバーだと疑うチンピラ二人だが、いきなりトップクラスのドライビングテクニックで見事追手を巻いていくのに圧倒されてしまう。そして無事荷物を港に届ける。このオープニング、今時珍しくもない映像なのですが単純に面白い。

 

そんな頃、野球賭博で大金を稼いだドゥシクは、300億ウォンという大金を貸金庫に隠していたが、警察の追求が迫っていると知り、金を持って海外逃亡を決め息子ソウォンを連れて逃げる準備をしていた。そんな彼は特走を紹介される。一方、ドゥシクの金を横取りしようと画策する悪徳刑事ギョンビルがドゥシクを襲ってくる。ソウォンだけがなんとかウナの準備した車に逃げ込む。ペク社長の指示で、ソウォンを子供を商売にしている男に預けてしまえというのを、ウナはソウォンを母の元に連れていくべく救出する。

 

ウナを追ってくるのはギョンビルら刑事達と、彼の仲間のヤクザ者達だった。しかも、ウナが脱北者であることが判明し、国家情報院も絡んでくる。ギョンビルらは、ドゥシクを殺し、金を奪ったのはウナだとして追っていくが、国家情報院は、諸般の情報からギョンビルが真犯人であると見抜いてしまう。ひたすらウナとギョンビル、国家情報院との追いつ追われつに展開が延々と続き、そこにウナとソウォンとのドラマが組み入れられていくのですが、どれも中途半端なのが勿体無い。

 

そして、ペク社長はソウォンを海外へ逃すべく準備をするが、ウナの元締めがペク社長と分かったギョンビルらがペクの工場を襲う。ペクは殺され、駆けつけたウナはギョンビルらに反撃するが、ギョンビル、ソウォンと共に海に落ちてしまう。ソウォンは駆けつけた国家情報院に助けられるが、ウナはギョンビルに手錠をかけられ水の中に沈んでいく。

 

場面が変わり、ソウォンは保育園に通っていた。帰り道、送迎バスに乗り損ねたソウォンをウナが運転する車が呼び止めて乗せ映画は終わっていく。では、300億ウォンはどうなったの?ソウォンのお母さんのドラマはあれで終わり?という感じですが、いつの間にかそっちのけになっているのはちょっと雑なエンディング。でも気楽に楽しむエンタメ映画としては良くできていたと思います。

 

「ノースマン 導かれし復讐者」

シンメトリーな左右対称の構図を徹底し、父を殺された主人公が復讐し王国を作るという単純そのものの話を二時間以上に見せる描写力は頭が下がりますが、いかんせん画面が暗いのと、繰り返される神事と残虐シーンはちょっとしんどい。ただクライマックス、いきなりの美しい特撮場面の挿入のタイミングは面白かったと思います。全体的には、よくまあ眠くならずに見れたなという感じでした。監督はロバート・エガース。

 

9世紀、北大西洋のとある王国、オーヴァンディル王の凱旋を迎える息子アムレートのクローズアップから映画は幕を開ける。グートルン王妃も出迎え、王の弟フィニヨルも共に勝利を讃える。神殿で王は息子に未来を語り外に出ると、いきなり王は矢に射抜かれる。襲ってきたのはフィニヨルだった。アムレートは必死で逃げるが、フィニヨルは王妃グートルンもさらってしまう。アムレートはなんとか海辺から船に乗って沖に逃れる。そして数年が経つ。

 

ロシア、バイキングが次々と民を襲い、奴隷を略奪している。そこにはバイキングの戦士となったアムレートがいた。わずか数年経っただけなのに、いきなりおっさんのようにデカくなっている違和感があるがまあいいとしよう。アムレートは襲った村で、預言者から使命を思い出さされる。バイキングの統領達が、奴隷の売り先を指示しているのを耳にしたアムレートは、その中にフィニヨルの名前を聞く。フィニヨルは、オーヴァンディル王の国を奪ったもののノルウェーの王に追放され、今はアイスランドで農場をしているらしいという。アムレートは奴隷の姿となり、フィニヨルに売られていく奴隷船に乗り込む。そこで彼は同じく奴隷となって売られていくオルガというスラブ人と出会う。

 

フィニヨルの農場に連れてこられたアムレートは、力のあるのを売り込んで農場に置いてもらう。そこで、魔導士から、復讐のための剣を授けられる。それは夜間とヘルの門の前でした抜けない剣だった。アムレートは、奴隷同士の競技大会で、フィニヨルの息子を助けたことから優遇されるようになり、オルガと近づけるようになる。オルガもまた逃げ出すことを考えていた。

 

アムレートは、フィニヨルをじわじわと苦しめるべく、フィニヨルの長男の部下を斬殺、母グートルンも救出しようとしたが、なんとグートルンはオーヴァンディルになんの思いもなく、逆に恨んでいたことを告白する。アムレートは、そのままフィニヨルの長男を殺し心臓を奪う。嘆くフィニヨルは、奴隷を次々と殺して犯人を突き止めようとするが、オルガも殺されそうになり、アムレートは、長男の心臓と引き換えに助けようとし、自ら拉致される。

 

拷問されるアムレートだが、誰もいなくなったところへオーヴァンディルの守護神だった大鴉が大量に現れ、アムレートを繋いでいる縄を切ってしまう。隙を見て逃げたオルガは馬でアムレートを助け、空高く飛び立つ。そして彼方の地でアムレートを介抱してやり、回復させる。アムレートは、親族がいる地へ旅立とうとオルガと共に船に乗るが。オルガのお腹に子供がいることを知り、のちの災いを取り除くため再度フィニヨルの元に単身戻る。そして、母グートルンを刺し殺し。次男も殺し、フィニヨルとヘルの門の前で一騎打ちをして相打ちの末死んでしまう。オルガはのちの王を産み、王国をおさめたかの映像で映画は終わる。

 

単純そのものの物語ですが、フィニヨルの農場での奇妙な球技の場面や、生贄を捧げる神事、さらに魔道士や預言者が現れる下をはじめ、空高く馬に乗って飛び立ったり神話的な展開は面白い。とはいえ画面全体が非常に暗くて、それほどしっかりしたストーリーでもないので、単調さゆえの退屈さも見え隠れする。独特の感性といえばそれまでですが、決して面白かったとはいえない一本でした。

映画感想「ジュリエットあるいは夢の鍵(愛人ジュリエット)」(4Kデジタルリマスター版)「SHE SAID その名を暴け」

「ジュリエットあるいは夢の鍵」(愛人ジュリエット)

主人公の心象風景を映像にしていくいわゆる幻覚を描くストーリーですが、どこか古臭さを感じるのは表現方法ゆえか、物語ゆえか。でも、これはこれで楽しめる一本でした。監督はマルセル・カルネ

 

監獄のカットから、看守がある一室を覗く。カメラが入ると、主人公ミシェル。眠れなくて目を開けたままである。隣の囚人はミシェルに語りかけたあとやがて眠ってしまう。ミシェルも目を閉じるが、ふとあかりに目を覚ますと監獄の入り口が開いていて、外に出ると緑の森の向こうに村が見える。しかし、出会った子供や、山羊と一緒の婦人、すれ違う男に聞いても村の名前はわからない。実はミシェルは、恋人ジュリエットと海に遊びにいくため、雇い主の金を奪って投獄されたのだ。ミシェルはジュリエットが今も恋しくて探していることを思い出す。

 

村に入ると、告知人という男が出てきて、捜索人ジュリエットに心当たりはないかと大声を出してくれるが。誰も覚えがない。この村の村人たちは過去の記憶がないのだ。ミシェルは近づいてきた男についていくと、ジュリエットはすでに死んでいるという。そんなわけもなく森を探しに入る。そこでミシェルはジュリエットと再会。しかしジュリエットの記憶からミシェルは消えていた。やがて通りかかった男の馬車に乗り城へ行ってしまう。ミシェルが後を追いかけると、ジュリエットは城の城主に監禁されているようで、どうやら城主は次々と妻を殺す青髭だと判明。

 

ミシェルは村人たちと押しかけるが、おりしも城主とジュリエットの結婚式だった。必死で訴えるミシェル。ジュリエットの記憶が戻り、ミシェルの元へ戻るかと思われた時、夜明けを知らせる監獄の鐘が鳴りミシェルは目を覚ましてしまう。ミシェルは看守長に呼ばれて行ってみると、ミシェルの雇い主が起訴を取り下げたので釈放だという。雇い主とは青髭と同じ人物だった。

 

ミシェルはジュリエットの部屋に忍び込む。ジュリエットはミシェルの雇い主と結婚が決まっていた。ジュリエットが戻ってくるがすでに気持ちが戻らないことを知ったミシェルは部屋を後にする。ミシェルの後をジュリエットが追いかけてくる。ミシェルは、路地奥にある危険と明記された扉を見つめる。意を決して扉を開けると、そこは森の奥に広がる忘却の村だった。ミシェルは晴れやかな顔で村へ向かって映画は終わる。

 

アンリ・アルカンのカメラが美しく、クライマックス、階段を駆け降りるミシェルとジュリエットの陰影を交えた場面は絶品。ジュリエットとの思い出を忘れようとするミシェルの切ない悲恋物語が胸に迫る作品でしたが、今見ると、ちょっと古さを感じます。

 

「SHE SAID その名を暴け」

最初に、権力を傘にきたセクハラなど絶対にやってはいけない事だと思う。その上での感想になります。いくら事実を元にしているとはいえ、映画になった時点でフィクションであり、商業映画なら面白くできていなければいけない。この映画は緊迫感は半端なく最後まで持続するし、主人公たちの迫真の演技は見事ですが、人物整理がやや独りよがりになっていて、一時整理する場面はあるものの、それぞれの証言者の心の動きが後一歩見え辛い。それと、完全に一方的な視点から描いたために、全体がちょっと薄っぺらくなってしまった。難しいところですが、映画としてもう少し脚本を練るべきだったかもしれません。ただ、暴露物としてはそれなりに面白い映画でした。監督はマリア・シュラーダー。

 

犬の散歩で森を進む一人の女性が、映画のロケ現場に出くわすところから映画は幕を開けます。次のカットで、衣服を抱えて、街を泣き叫びながら走る彼女の場面につながる。このオープニングが実に上手いのですが、この後、トランプ大統領の選挙戦を取材するニューヨークタイムズの記者ミーガンの姿からなし崩しにどうなったかわからないままに、出産のために一時休暇になるあたりまでを描くところが少し雑で、前知識なかったら、トランプ大統領を批判する映画かと思ってしまう。

 

ニューヨークタイムズの記者ジョディは、ある事件を追っていた。それはミラマックスという映画会社の総帥ワインスタインによる性的虐待の事件だった。ワインスタインは、自社に属する女優やアシスタントを強引に誘い、セクハラをした上で、示談金で黙らせるか、仕事ができないように干してしまうか、横暴を極めていた。しかし、ジョディの取材に答えてくれる被害者はなく、前に進まなかった。

 

出産後、やや鬱気味だったミーガンは職場に復帰する事で、体調の回復を計らおうとし戻ってくる。そしてジョディと組んで、ワインスタインのセクハラ事件を追い始める。被害者に接していく中で見えてくるのは、強引に隠蔽されてきた業界の暗部だったが、この辺りの描写は実に弱く、個人攻撃に終始する。ミラマックス社の財務担当や弁護士に聴取を繰り返して、さらに被害者にも接していくジョディとミーガンは、次第に核心に近づいてくる。

 

被害者の一人ローラは乳がんが見つかり手術を目前にしていた。彼女はミーガンらの取材に一時は断るものの、意を決して実名を出す許可を与える。実は被害者達はローラを除いてみな示談の際に秘密保持契約を結ばされていて発言できなかったのだ。そして、関係者の証言もまとまり、信憑性のある告発記事が完成し、ついにワインスタイン本人と対峙する事になる。それでもはぐらかそうとするワインスタイン。記事への反論を待つミーガン達に、ついにワインスタインの反論文が届き、ミーガン達は記事を完成、公開となる。こうして映画は終わる。

 

緊張感が途切れることはなく、証言を求める主人公達の鬼気迫る姿が最後まで退屈を感じさせない出来栄えになっているのですが、ストーリー展開の構成としてはやや独りよがりに走っている部分があり、自分たちはわかっているが第三者はついていけないと思わせる流れになっている。業界の問題を訴えるべきが、個人攻撃にひたすら終始する展開で、あくまで一方的な視点で描いた暴露映画という仕上がりの作品でした。

 

 

映画感想「非常宣言」「近江商人、走る!」

「非常宣言」

相当に面白い。一昔前のB級パニック映画の一級品という出来栄えの娯楽映画でした。細かい部分の詰めが甘いのと、古臭いご都合主義で物語が展開するので、緊迫感は半端なく面白いのですがリアリティに欠けたのが本当に残念。カンヌを目指すのかエンタメ映画の一級品を目指すのか、ラストの処理で迷った感じがして、不完全燃焼に終わってしまいました。それでも、娯楽映画としてはずば抜けて面白いし、二時間余り全く退屈せずに引き込まれてしまいました。監督はハン・ジェリム

 

飛行機恐怖症のイェヒョクは、娘と一緒にハワイホノルルを目指して飛行場へやってきた。娘のアトピーの治療も兼ねてなのですが、空港でいかにも怪しい若者が近づいてくる。その前に、この若者はチケットカウンターで訳のわからない質問をしている場面があるので、つまりこいつが犯人だと観客は知る。

 

一方、一人のベテラン刑事ク・イノが、15日の旅行でこれから旅立とうとする妻とさりげない会話の後送り出す。職場へ行ったイノ刑事は、悪戯投稿で、飛行機テロが行われるという情報を聞くが、署員誰もが冗談だと相手にしていない。間も無くイェヒョクらの乗った飛行機が飛び立とうとしている。テンポのいい曲に乗せるこのオープニングが上手い。イェヒョクは、機内にさっき空港で近づいてきた若者が乗っているのを目撃し不安になる。

 

そんな頃、イノ刑事は、相棒と、飛行機テロの情報を集めていて、たまたま聞いた情報からあるアパートの一室にやってくる。中に入ると死体があり、鑑識によって、物理的に殺されたのではなく、ウィルスか何かの感染で死んだことが判明、しかも、動物実験をしたビデオ映像が発見されるに及んで、飛行機テロが現実だと判断する。

 

そんな頃、飛び立った飛行機の中で、怪しい若者は脇の下に隠し持っていたものをトイレで噴射する。どうやらウィルスが仕掛けられていたらしく、間も無くトイレに入った男性が急死してしまう。地上ではイノ刑事の訴えから韓国政府の国土交通大臣スッキが指揮に当たり始めていた。イノ刑事の妻もこの飛行機に乗っていることが確認されて、イノ刑事は、ますます焦り始める。機内では次々と感染者が出て命を落とし始めパニックになってくる。乗客の撮った映像がネットに流れたことから、一気に機内の状況が拡散、事実確認を急ぐ政府も慌てて公式発表する事になる。

 

機長も感染して亡くなり、あわや墜落という危機を救ったのが、副操縦士のヒョンスと、過去の事故で飛行機の操縦ができなくなったイェヒョクだった。こうして一昔前のパニック映画を思わせるご都合主義によって舞台は整う。過去の事故でヒョンスは、イェヒョクを恨んでいたという背景も語られるがあっさりイェヒョクのサポートを受け入れていくのがちょっと甘いのですがいいとしましょう。

 

地上では、犯人は製薬会社の元研究員ジンソクであることが判明するが、間も無く彼も感染で死んでしまう。イノ刑事は、ジンソクが勤務していた製薬会社に秘密があると強引に捜査しに行こうとするが、会社側は頑として受け入れない。かつて、ウィルス研究をしていたジンソクは、事故で研究員を亡くし、その際責任を押し付けられた恨みで起こしたらしいと判明、その時の生き残りの研究員を訪ねたイノ刑事は、製薬会社に抗ウイルス薬があることを突き止める。まさに段取り展開。しかし、正式な令状が出ないまま、前に進まない。スッキ大臣は公権によって強引に製薬会社に迫り、抗ウイルス薬を手にれる。

 

一方、飛行機は、ホノルル着陸で治療を希望したがアメリカが拒否ししたため引き返していた。しかし、ヒョンスは、自身も感染していることと、燃料も少ないことから、成田空港への緊急着陸を強引に進める。そして、全てに優先する「緊急宣言」を発するが、日本政府も着陸を拒否し、自衛隊による威嚇を行う。飛行機は仕方なく韓国へ向きを変える。ヒョンスはもはや操縦できない状態となり、イェヒョクが韓国の空港へ飛行機を飛ばす。燃料あったんかいというツッコミはさておいて、ここからが、この映画のメッセージなのだろう。

 

韓国に近づいた飛行機だが、いざ着陸となったところで、今度は韓国世論はウィルスを恐れて着陸反対を唱える。機内では広がったウィルスはすでに変異していて抗ウイルス薬は効かないのではという疑念が広まったためである。行き場を失った飛行機は、最後の決断をせまられる。乗客の中にも、着陸してウィルスを撒き散らすよりはこのまま去ったほうが良いという結論となる。

 

そんな頃、イノ刑事は、自らを実験台にして、ウイルスに実際感染した上で抗ウイルス薬を打ち、効果があることを示そうとする。ところが飛行機は通信を絶って飛び去ろうとしていた。間一髪、イノ刑事の容態が安定し、抗ウィルス薬の効果が出る。慌ててスッキ大臣は飛行機を引き換えさせようとする。乗客の携帯に連絡をし、イェヒョクに繋いで飛行機は引き返す事になる。あっさりとした展開はやや雑。

 

後日、スッキ大臣は裁判所で証言していた。果たして判断が正しかったかの裁判である。イノ刑事は快復後の後遺症で自力呼吸ができない状況で、イェヒョクらも招待されたパーティに来ていた。こうして映画は終わる。

 

甘い。クライマックス、飛行機からの最後のメッセージと通信を絶ったタイミングから、イノ刑事が快復してハッピーエンドにした強引さが本当に残念。結局エンタメ映画にすることを選んだ感じです。また、機内にテロ行為が行われたにもかかわらず、機長からの乗客説明もなく、錐揉み状態になっても酸素マスクが降りてこないし、些細な部分の描写が実に弱いので、緊迫感が圧倒的なのにリアリティが伴わず軽くなってしまった。アメリカや日本、さらには本国で、着陸拒否することで、映画のメッセージが集約していくクライマックスをあっさりハッピーエンドにしたところに制作側の金算用が見えた気がしました。カンヌ出品を前提にしたのならもっとシビアなラストにすべきだったかと思います。でも、最高に面白かった。

 

近江商人、走る!」

小品で、たわいもなく、リアリティもクソもない映画なのですが、マンガチックにテンポよく展開する様がとっても心地よくて、しかもそれほどの名優を揃えたわけではないけれども、しっかりとした滑舌と台詞回しの音色が耳触りが良くて、楽しめました。原作があるゆえか、終盤までの小さなエピソードも面白いし、最後の見せ場もそれなりに楽しい。エンディングの古臭い時代劇調もあれはあれで爆笑できる。傑作でも秀作でもないけれど、面白い作品でした。監督は三野龍一

 

百姓の銀次の幼い頃から映画は幕を開ける。父は病に倒れ、野菜を売りに街へ行った銀次は、薬売りの喜平と知り合う。そこで助けてもらい、野菜を売って帰宅すると父は亡くなっていた。一人野菜を売り歩く銀次だが、侍とぶつかったことで危うく斬られそうになる。そこへ駆けつけた喜平に助けられ、喜平の言葉で、大津の米問屋の大善屋を訪ねる。丁稚になった銀次はみるみる頭角を表す。

 

一方、大善屋伊左衛門を貶めようとする、いかにも悪者という下っ端役人奉行はライバルの米問屋の主人平蔵と画策して、伊左衛門に千両の保証人にし、平蔵は夜逃げして、千両の負債を伊左衛門に被せる事に成功する。一ヶ月後の返済を前に店をたたむと諦めかけた伊左衛門に、銀次は、これまで知り合った大工職人や眼鏡売りらと協力して、堂島の米相場を瞬時に知る方法を考え、大津の米相場との差額で儲ける裁定取引を思いつく。

 

思惑通り収益を上げていくのだが、銀次と同じく丁稚奉公をしている蔵之介は平蔵の息子で平蔵から大善屋のスパイをするように言われていた。千両の負債の件も最初から蔵之介は知っていたのだ。一時は、銀次の作戦を邪魔するようになってしまうが、銀次に諭され、罪悪感もあって父平蔵に反抗、元の役割をこなそうとする。折しも、米を積んだ千両船が沈む事故が起こり堂島の米相場が急騰する。最後の賭けで銀次は大量の米を大津で買い付け、見事千両の収益を上げ大善屋を救う。ところが、目安箱にこの作戦を密告したものが現れ、奉行が銀次らを取り押さえる。

 

伊左衛門や銀次が白州に引き出され、奉行に責められ、あわやというところで、大津藩主が現れ、奉行の悪事が明るみになり大団円と、昔懐かしい時代劇調で映画は終わる。実は藩主の密偵が喜平だったというどんでん返しもすごく懐かしい雰囲気でいい。

 

終盤はややテンポが悪くなって息切れ感が見えるのですが、そこまでのテンポが実にいい。主演を務めた上村侑以下の役者たちの台詞回しがとってもは切れ良くて、物語に活気が生まれてくる。たわいのない映画とはいえ、大事に見ておきたい一本でした。