くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「83歳のやさしいスパイ」「唐人街探偵 東京MISSION

「83歳のやさしいスパイ」

老人ホームのドキュメンタリーなんてと思ってる人がいたら大違い、老若男女誰が見ても感動します。孤独というものを切々と、それもユーモアを交え、いつの間にかどんどん流れの中に引き込まれていく作品で、ラストの主人公の呟きに胸が熱くなりました。アカデミー賞長編ドキュメンタリー賞ノミネート作品です。監督はマイテ・アルベルディ。

 

ある探偵社A &A社の看板から映画は幕を開ける。新聞広告に80歳から90歳の求人募集の案内。三ヶ月出張あり、家族の理解を得られること等々の説明にまず、なんやろうと思ってしまう。やがて集まってきた老人たちの面接シーンが手際よく描かれる。そして一人の男性セルヒオが採用される。

 

探偵社の社長ロムロから、スパイ用のカメラや暗号による報告の仕方などが説明されるが、チグハグに受け答えするセルヒオのシーンがまず微笑ましい。ミッションは、ある依頼人の娘から、母が、入所した老人ホームで虐待を受けているかどうかを調べてきてもらうというもので、セルヒオが、そこの入所者となって潜入することとなる。

 

最初は、見様見真似のスパイ活動で、ターゲットの女性を見つけ観察を始めるが、いつの間にかさまざまな入所者の相談相手になっていく。自分のママが面会に来るのを信じる老婦人、窃盗癖のある女性、セルヒオに心を奪われ恋をしてしまう婦人、施設から外に出てママのいる家に帰りたいと繰り返す婦人。そんな人たちと真摯に向かい合って話を聞くセルヒオ。もちろん一方でターゲットが虐待されていないか調べ、毎日ロムロに報告する。もちろん虐待などないのである。

 

セルヒオはある疑問が浮かび始める。依頼人の娘は母が心配だと言いながら一度も面会に来ない。ここに入所している人たちと話をしてわかったのは誰もが家族から離れて孤独の中に沈んでいるのではという思いだった。

 

やがて三ヶ月が経ち、セルヒオはロムロに最後の報告を送る。依頼人の娘は結局一度も面会に来ず、心配だと言いこのような調査依頼をしてきたが、このようなことは本来自分でするべきことではないのか。これ以上調査はしたくないから帰りたいというものだった。まもなくしてホームを離れる日が来るセルヒオは、たくさんの入所者に惜しまれ見送られながらホームを後にした。愛する家族の元に戻るために。

 

セルヒオには帰る家族がある。これはどんなに素晴らしいことかと思う。そんな思いがラストのセルヒオの報告文から切々と伝わってきて涙が溢れてしまいました。本当にいい映画でした。

 

「唐人街探偵東京MISSION」

これは面白かった。無駄に日本のオールスターキャストと、やたら大作という感じの壮大なロケの数々、しかもギャグ漫画のような展開なのに、しっかりとしたミステリー色、そして日本を舞台にしていることのパロディ感満載の選曲とシーンの数々がとっても面白く、たとえ、この映画が傑作という評価がつかなくても、私的には傑作だと思います。第3作目ということなのですが、前ニ作品は何故公開されていないのか気が付かなかったのか不明。監督はチェン・スーチェン。

 

このシリーズの背景と登場人物の紹介の後物語は本編へ。中国の探偵チンとタンは日本の探偵野田の依頼で東京の事件を調べるためにやってくる。事件は東南アジアのマフィアのボスが密室で殺され、同席していた日本のヤクザのドン渡辺に嫌疑がかかる。しかし、渡辺は被害者が殺される直前、茶に仕込まれた薬で意識を失っていたという。チンたちは、早速事件現場にやってくるが、すでに現場検証の後で綺麗に片付けられていた。しかし、チンはそこに残された一輪挿しが重要証拠だと判断、渡辺の冤罪を晴らす証拠だと持ち帰ろうとするが、そこへタイの探偵ジャックが現れ、さらに田中警視正も現れ事件は混沌とし始める。

 

物語は、チン、タン、野田、ジャーらが推理していく展開を軸に、至る所に日本文化を茶化すようなユーモアを交え、しかもそれが嫌味にならない展開で進む。被害者の遺体を調べに行ったチンは、そこでサイレント映画のようなドタバタシーンを展開して後、被害者の秘書小林が事件のキーを握ると判断したチンらは小林の元へ向かうが何者かに誘拐されていた。そして、探偵組織のトップに立つというQからチンらにクイズまがいのミッションが下される。

 

コスプレをし、日本武道と戦い、ついに小林が拉致された場所に辿り着くチンだがそこに現れたのは死刑囚で指名手配班の村田だった。村田は、小林が溺れていく装置を止めるには自分を殺すしかないと、チンに巧みに自分殺害のお膳立てを実行、小林は助かったがチンは田中に逮捕されてしまう。しかし、被害者の体に残った刺し傷の跡などの不審な点を拭えないままだった。

 

留置所でチンは田中の訪問を受ける。実はQとは複数いる組織だった。その一人である田中はチンをメンバーに誘うがチンは断る。野田の働きで釈放されたチンは真実を解明するために野田、タンらと最後の賭けに出る。そんな頃、渡辺の裁判は最終日を迎えていた。

 

裁判官が判決を下そうとしたその時、被害者の車に残された証拠を見つけたタンが駆けつけ、真犯人は小林だと宣言する。しかし、渡辺は自分がやったと自白する。実は渡辺と小林は親子だった。小林とその母は中国で渡辺に捨てられたそのあと辛苦ののち母は獄死、小林は復讐にために日本に来た。マフィアのボスは当初は渡辺に罪を着せるために自ら軽い怪我をして密室を作るだけだったが、小林はそのボスを搬送する車の中で刺し殺し、渡辺に殺人罪を着せて復讐しようとしたのだ。二転三転する中、裁判は一旦持ち越しとなり、小林は逮捕される。チンたちは日本の盆の花火を見学して大団円で映画は終わる。

 

とにかく面白い。どこかで見たようなシーンや、ラストの「人間の証明」のテーマ曲で、小林と渡辺のドラマを盛り上げるノリには拍手してしまった。裁判官は鈴木保奈美だったり、村田が染谷将太だったり、そのほか、活躍中の日本俳優総出演に近い豪華さ。さらに、ラストのQの会議の場面にいたのはアンディ・ラウだった気もする。懐かしい香港映画のノリで突っ走る娯楽大作で、それでもドラマ部分に手を抜かない脚本も楽しいし、ラストの大花火シーンの締めくくりも本当に楽しい。中国映画、こういうのも作れるんやなとにかく大喝采しました。

映画感想「シャイニング」(北米公開版デジタルリマスター版)「シン・エヴァンゲリオン劇場版」

「シャイニング」(北米公開版デジタルリマスター版)

日本公開版より約20分長いバージョンで、かつてDVDで見直したことがあるが結局どこが長いのかわからなかった。ついに午前十時の映画祭で劇場公開が実現した作品。さすがに見直してみて改めてこの映画が傑作であることを再認識しました。緻密に伏線を張った脚本とステディカムカメラを駆使した映像、絵と音響だけで恐怖を描いていくストーリーテリングのうまさはまさにスタンリー・キューブリック監督ならではの世界です。

 

山深いホテルの管理人として応募した作家のジャックがその説明を受ける場面から映画は幕を開ける。一方、妻ウェンディと息子のダニーはかつて酔っ払ってダニーに暴力紛いのことをしたジャックのことが少し不安ながら、今回の仕事に希望を持っている。

 

ホテル閉鎖の日、家族でホテルを訪れ、支配人から説明などを受けるが、料理長のハローランにはテレパシー能力がありダニーにもその能力があると見抜く。かつて凄惨な事件も起こったことのあるホテルにウェンディたちは少し不安になる。

 

やがて、閉ざされたホテルのでの生活が始まるが、原稿に追い詰められたのかこのホテルに巣食う怨霊のせいかジャックは次第に異常になっていく。そんな空気を察知したウェンディは、ダニーの言動にも異常が見られたことから、不安が現実に変わっていく。

 

一方、ジャックは、次第にホテルに救う亡霊たちに取り込まれ、ウェンディたちこそが悪の原因であると吹き込まれ、ジャックは斧を持ってウェンディを追い始める。一方、連絡がつかなくなったホテルを心配してハローランは雪上車でホテルへ向かう。

 

ウェンディはなんとか窓からダニーを脱出させ、ウェンディはジャックを迎え撃とうとする。そこへハローランが到着するがジャックに殺されてしまう。さらにジャックはホテルの迷路に逃げ込んだダニーを追い始める。このホテルに来た時母と迷路の中を探検したダニーは巧みに逃げ回る。

 

一方ハローランが乗ってきた雪上車を見つけたウェンディは迷路から逃げ出してきたダニーを拾い雪上車で脱出。迷路で迷ったジャックはそのまま凍死してしまう。ホテルのロビーのかつての記念写真の中にジャックが映っているショットで映画は終わります。

 

カットの切り返し、カメラアングル、リズム、そして張り巡らされた伏線など、A級ホラー映画という貫禄のある一本でした。素晴らしい作品です。

 

「シン・エヴァンゲリオン劇場版」

テレビ版しか見てなかったので、正直なんのことかわからないところが多々ありましたが、ラストは感動してしまいました。要するにこう締めくくりたかったと言うことですね。それにしても日本のアニメーションの真骨頂を見た気がします。このレベルはさすがに世界一です。総監督は庵野秀明

 

すみませんが物語を語れません。あまりにシュールな展開の上に、これまでの劇場版三部作は見てないので続きとして話せません。でもラスト、エヴァンゲリオンのない世界を目指した主人公たちの最後の作戦、そしてこの作品の冒頭の場面につながるような何もない日常での締めくくりに胸が熱くなってしまいました。これまでの劇場版を見直したいと思います。

映画感想「田舎司祭の日記」(4Kデジタルリマスター版」「サン・ラーのスペース・イズ・ザ・プレイス」

田舎司祭の日記

非常にいい映画なのですが、いかんせん、宗教に関する物語は正直なところ入り込みにくい部分があり退屈だと言うのも確かです。それでも、モノクロスタンダードの画面の中でひたすら苦悶する一人の司祭の人間ドラマの迫力はその映像表現ゆえによるものか圧倒されるほど迫ってきます。監督はロベール・ブレッソン

 

神学校を出たばかりの一人の若い司祭が田舎町に赴任してくるところから映画は始まる。いきなり、地元の老人が現れ、葬儀について文句を言って帰っていく。戸惑う司祭に先輩の老司祭は気にしないようにとアドバイスする。司祭は病を抱えていた。食欲もなく、常に腹部に痛みを感じている。しかしそれを隠して赴任してきた。

 

自分の理想を叶えるべく地元の領主の元を訪れるが思うようにいかない。さらに何故か村人たちの敵意を感じるようになるがその原因もわからない。布教と信仰を説いていけばいくほどに村人たちとの溝が深まっていく。

 

映画は、そんな司祭の苦悩する姿を彼が綴る日記を挿入しながら淡々と描いていく。時に暗転を繰り返し、映像に余計な演出を加えずモンタージュを重視し、淡々と描いていくスタイルこそロベール・ブレッソンの言うシネマトグラフという映像表現をこの作品で完成させた展開が美しい。つまり過剰な役者の演技を排除してモンタージュによる映像表現と音響を重視した演出方法を確立した。

 

何度か失神を繰り返した末、吐血した司祭は再度町の病院へ行く。そこで胃がんと診断され、帰り道、神学校時代の友人を訪ね、老司祭への手紙を託けた後昏睡状態になり、間も無く死んでしまう。友人からの手紙を老司祭が読む言葉で映画は終わって行きます。

 

余計な演出を施さず徹底した映像表現のみで描いていく作品で、商業映画と思えないほどに芸術性の高い映像ですが圧倒的な人物描写に打ちのめされます。ただ、作品は地味で退屈なのは事実です。

 

「サン・ラーのスペース・イズ・ザ・プレイス」

なんとも珍妙でなんと表現して良いかわからない作品。SF映画でもありミュージックビデオでもあり、ただのシュールな映像の反乱でありと言う感じですが、たまにこう言う訳のわからない作品を見るのも頭を柔軟にするのにいいことかと思いまして見に行きました。1974年作品で、地球上に残っているフィルムを可能な限りオリジナルに近づけ81分で完成させた映画です。監督はジョン・コニー。

 

何やら音楽を燃料にして宇宙を彷徨う大宇宙議会銀河間大使であるサン・ラーは、地球の黒人を理想の惑星に移住させるべく地球にやってくる。と解説ではそうなってるが、頭に丸いものをつけた黒人のおっさんがシンセサイザーのような機械を操り宇宙を巡っている。

 

犬のうんこを並べたような珍妙な宇宙船で旅をしてやがて地球へ。カットが変わり、とあるクラブでピアノを弾くサン・ラー。突然ピアノの音で店内が次々とが爆発して人々が逃げる中一人残っていた黒人のオブザーバーなる男がサン・ラーに勝負を挑むことになり、荒野の一角でカードゲームを始める。

 

やがて地球に宇宙船が到着し、しょぼい野次馬が騒ぐ中、サン・ラーが現れる。そして、オブザーバーは助手の黒人を連れて何故か娼館へやってきて女を侍らす。サン・ラーは異空間移動とか訳のわからない言葉を並べて、宇宙で働く労働者を募集。その技術を盗もうとNASAの二人が暗躍する適当な物語もある。空間も時間もそっちのけであっちこっちに場面が移りながら、サン・ラーは次々と黒人を宇宙船に乗せていき、宇宙へ帰っていく。

 

宇宙にこそ居場所があると言うフレーズを繰り返しながらクライマックスは何故かコンサートシーンだったりとわけがわからないが、不思議なことに結局眠くならなかった。まあこう言う映画も見たと言う一本です。

映画感想「17歳の瞳に映る世界」「ファイナル・プラン」「少年の君」

「17歳の瞳に映る世界」

これは相当にクオリティの高い作品でした。これだけシンプルな物語をここまで書き込んだ脚本と演出力に拍手したい。ただ、お話は暗い。それでも食い入るほどに引き込まれる。一見男性をただ性欲だけを求めるような存在に描いているにも関わらず嫌悪感が生まれないし、主人公の少女が見つめる世の中がまざまざとこちらに伝わってくる。ほとんど室内と夜の景色を中心にした舞台設定も上手い。見事でした。監督はエリザ・ヒットマン

 

高校の文化祭でしょうか、舞台上に次々と歌を披露する青年たちが登場、最後にオータムという女性がギターの弾き語りを始めるが、一人の男子が、「メス犬」と罵声を浴びせる。ステージを終えたオータムは家族と食事をしているが、父親は母に言われて無理やり褒めるだけで、なんとも殺伐とした家族である。

 

オータムはスーパーのレジのバイトをしているが、気分が悪くなる。妊娠を疑う彼女は病院へ行き、そこで十周目だと診断される。自分で中絶しようとネット情報を試すがうまくいかない。そんな彼女の異変に気がついたのは同じバイト先のいとこスカイラーだった。オータムの住むペンシルバニア州では未成年の中絶に親の同意がいるがニューヨークではいらないことを知り、二人はニューヨークへの長距離バスに乗り込む。バスに中で一人の若者と出会うがさりげなくかわし、二人はニューヨークへ降り立つ。しかし、最初に診察を受けたところで既に十八週だから別の施設でないとダメだと言われる。

 

一夜を過ごし、次の施設に行き手続きを進めるが、二日かかるという。しかも予約金を払ったためお金が厳しくなる。苛立つオータムを前にスカイラーはバスで知り合った青年を呼び出し、お金を借りることに。青年にキスをさせているスカイラーにオータムはさりげなく手を握る。このシーンがなんとも痛々しいほどに切ない。そして無事、手術を終えたオータムは、スカイラーとペンシルバニアへ向かうバスに乗り込んで映画は終わる。

 

物語自体は実にシンプルなのだが、細かい様々なシーンが実に丁寧に伏線を貼られているし、手を抜かない脚本と演出に、最後まで緊張感が途切れなかった。相当クオリティの高い作品だったと思います。。

 

「ファイナル・プラン」

雑というか荒っぽい脚本ですが、B級作品と割り切ればそれなりに面白いアクション映画でした。監督はマーク・ウィリアムズ

 

一人の男が金庫を破っている。手慣れた仕草で次々と金を強奪して行き、「速攻強盗」と異名を持つ犯罪が繰り返されるというニュースが溢れる。カットが変わり、主人公カーターが貸し倉庫を借りに来る。そこの受付が不在なのでふざけていると入ってきた受付嬢アニーと出会い、会話を交わして一年後から本編へ。

 

アニーを本気で愛したカーターは、これまでの罪を償い、アニーと真っ当な生活をするべく自主を決心し、ホテルの一室からFBIへ電話入れる。出たのはベイカー捜査官。次々と悪戯電話ばかりで、てっきりこれも悪戯だと判断するが一応捜査官を生かせると返事をする。ところが二日経ってもやってこないのに苛立ったカーターは再度電話を入れる。その直後ホールとニーヴンという捜査官がやってくる。証拠を確認するためカーターが提案したのは倉庫に隠した現金だった。

 

半信半疑で倉庫に行ったニーヴンたちだがそこで現金の箱を発見、ところがニーヴンはその金を横取りすることを思いつき、ホールも巻き込んで、CIAが借りている部屋へ金を持ち込み、再度カーターの部屋へ行く。ただ、金を積み込んでいる場にアニーがやってきて一言二言話をする。ニーヴンたちはカーターを亡き者にするべく銃を向けるが、そこへベイカー捜査官がやってくる。部屋に入り、状況を察知したベイカー捜査官をニーヴンは撃ち殺してしまう。カーターはその場を脱出するが、ニーヴンたちは、証拠隠滅にためアニーを襲う。

 

カーターはすんでのところで瀕死のアニーを助け出し病院へ行く。一方ベイカー捜査官の友人のマイヤーズ捜査官もカーターを追っていたが、カーターに反撃を受け、その場でカーターから真相を話され逃亡される。カーターはニーヴンたちに復讐するべく準備をする一方、ホールの家に行き協力を求める。ホールは罪の意識に苛まれていた。一方、ニーヴンがアニーを狙っていると知ったカーターは病院からアニーを連れ出し、ニーヴンを懲らしめるべくカーターはニーヴンの元へ。アニーはマイヤーズに連絡を取る。

 

ニーヴンが金の隠し場所に行ったところへカーターとホールが突入するが、ニーヴンはホールを殺して金を持って逃走。カーターはニーヴンの自宅に爆弾を仕掛け、わざとニーヴンを逃して爆破、乗った車にも爆弾を仕掛けたと連絡して、ニーヴンを動けなくする。一方アニーは、マイヤーズをカーターのもう一つの貸し倉庫へ案内した。そこには、ニーヴンらが見つけた金の残りが隠してあった。真相が判明してニーヴンは逮捕され、カーターも再度マイヤーズに自主して、アニーは待っているということで大団円。

 

細かいところはまあいいかという感じですっ飛ばしていく荒っぽい脚本ですが、まあB級レベルのアクションと割り切ってみるには十分楽しめました。

 

「少年の君」

映画自体は非常にしっかりした作品で、決してクオリティは低くないのですが、結局中国のプロパガンダ映画で締め括らざるをえなかった感じです。監督や作者が描こうとした本筋と中国政府からのメッセージとがお互いにぶつかり合ってしまってチグハグな仕上がりになりました。さらに、どの場面にも力が入りすぎたために、全体にリズムが作り出せなくなったのもちょっと勿体無い。いい映画なのに、ラストの無理矢理感はいただけません。監督はデレク・ツァン。

 

今や学校の教師をしているチェンが授業をしている場面から映画は始まる。過去形で、かつて遊び場だった、というフレーズをを繰り返す。カットが変わり、2011年、統一大学入試まで60日というテロップととある高校、主人公チェンと女子高生フーはこの日給食の登板で牛乳のケースを持っている。フーが勝手に栓を開け飲んでしまう。

 

教室で、誰かがベランダから飛び降りたと騒ぐ。落ちたのはフーであった。チェンはフーの死体の上着をかけてやるが、それをきっかけに、今までフーがいじめられていたのがチェンに向かうようになる。椅子にインクを流され、帰り道いじめっ子のリーダーユアらに絡まれる。家に帰れば、母親が詐欺まがいの化粧品の販売をしているので借金取りがやってくる。ちょと古臭い設定である。

 

そんな時、学校の帰り道、チェンは一人の青年が大勢にリンチにあっている場面に出くわす。チェンは、通報しようとするがチンピラに捕まり、その青年に無理矢理キスをさせられる。しかしその青年が反撃し、チンピラは逃げていく。青年の名はシャオペイと言った。携帯を壊されたチェンは、シャオペイに修理をしてもらう。

 

チェンは家に帰ると借金取りが来るので、シャオペイの家に泊めてもらったりして過ごすが、フーの自殺の調査に来た担当刑事にユアらのことを告げ口したため、ユアらは停学になる。ある帰り道、ユアらはチェンを襲うが、なんとか逃げおおせたチェンはシャオペイに、ボディーガードを依頼する。シャオペイはユアを脅す一方でチェンの後ろから影のようについていくようになる。

 

ところが、ある時、公園で婦女暴行事件が起こり、チンピラ仲間ともどもシャオペイも警察に拉致される。その夜、チェンはユアらに再度襲われ、髪の毛を切られ、裸の動画まで撮られてしまう。釈放されたシャオペイはチェンの姿を見て、二人とも坊主頭になる。

 

受験が迫ったチェンは、最後の追い込みをかけやがて試験当日になる。そんな時、一人の少女の他殺死体が発見される。それはユアだった。チェンがいじめられていたことを知る担当刑事は一日目の試験が終わったチェンを参考人として呼ぶ。しかし、とりあえず釈放し尾行をつけるが、チェンは突然シャオペイに拉致される。そして、自分を単独犯人にすればいいと、チェンを襲った風に見せかけ、担当刑事らに捕まる。

 

やがて試験が終わるが、どこかしっくりこない担当刑事らは、チェンも取り調べをする。ひたすら自分がやったというシャオペイと、シャオペイなど知らないというチェンに、とうとうシャオペイ単独という結論にすることになる。

 

しかし、チェンは悩んでいた。あの日ユアと会い、ユアから警察には言わないでと先日のチェンへの暴行事件について頼まれ、切れたチェンはユアを階段から突き落とし殺したのだ。

 

試験の発表の日、チェンは見事合格。そこへ担当刑事がお祝いを言うついでに、シャオペイのことを再度話にくる。そしてチェンはシャオペイのところへ面会に行く。チェンには覚悟があった。お互い微笑みかける二人のカットから二人とも護送車で送られるシーンへ。チェンは自分の犯行を自供したが、いじめが原因だったことと未成年ということで刑も軽く、一方シャオペイも減刑された。

 

冒頭の場面に移り、チェンが授業を終えると一人の女子生徒が俯き加減なので一緒に帰ることに。後ろから成人になったシャオペイが歩いていて映画は終わっていく。ここはいいのですが。

 

で、終わりかと思えば、中国のいじめ対策政策が順調に進んでいると延々とエンドクレジットにテロップが流れ本当に終わります。結局、プロパガンダ映画でした。こう言うメッセージを入れないと自由に映画は作れなくなっているのでしょうか。作品自体はなかなかの仕上がりで、監督の才能も窺えるのに、もったいない限りの一本でした。

映画感想「コレクションする女」「パリのナジャ」

コレクションする女

「六つの教訓話」シリーズの第4作。淡々と流れるストーリー、男を弄ぶヒロイン、彼女に翻弄される主人公、ネストール・アルメンドロスの美しいカメラ、まさにエリック・ロメールの世界。ラストの紋切り型のエンディングに、なんかいい映画だったと感じいる自分を発見する作品でした。

 

海岸を水着姿のアイデが歩いている場面、カットが変わり、友人ダニエルと談笑する主人公アドリアンのカットから映画は本編へ向かう。骨董品の買い付けにサン・トロペにやってきた主人公のアドリアン。友人のダニエルと会い、開業資金を出す予定のサムと会うためだ。そこで、一人の若いアイデというまだあどけないほどの女性と出会う。ダニエルによれば、彼女は次々と男を引き入れては関係を繰り返すいわば「コレクションする女」だという。アドリアンが着いた日も男性とSEXしている最中だった。

 

次々と男性を変えながら遊ぶのはよくないとアドリアンはアイデを説教する反面、どこか自分も彼女に惹かれるものを感じる。映画は、アイデとアドリアン、ダニエルらのひとときのアバンチュールを繰り返し繰り返し描いていく。特に大きな物語のうねりもなく、延々とセリフと一人語りで時間が流れていく。

 

アドリアンはアイデとドライブをしての帰り、アイデに声をかける男女の相手をアイデがするのに車を降りた時、後ろからのクラクションを避けるため車を発進させたアドリアンが、あえてアイデを拾うことなくそのまま別荘まで戻り、何もかもから解放されて、本当の目的だった無に帰るひとときを感じて、帰路の飛行機を予約するカットでエンディングとなる。

 

何ということもないが、まさにエリック・ロメールの世界を堪能できる秀作だった気がします。途中の淡々とした展開と唐突なラストの処理も上手い。いい映画でした。

 

「パリのナジャ」

エリック・ロメール監督の短編。パリに留学している女子大生のナジャの日常を切り取った映像です。

映画感想「愛の昼下がり」「ヴェロニクと怠慢な生徒」

「愛の昼下がり」

洒落た大人のラブストーリーという感じで、大人なのは女性で子供っぽいのは男性というコミカルな設定はこのシリーズの定番の楽しい映画でした。「六つの教訓話」の第6話ということで前半の妄想シーンに過去の5話の女性たちが出てくるというお遊びも楽しめる一本。監督はエリック・ロメール

 

青年実業家でもある主人公のフレデリックは、この日も寵愛する妻と娘に見送られて仕事に向かうところから映画は幕を開ける。しかし、フレデリックは、カフェでは道ゆく女性に声をかけてみたい妄想を抱き、会社では秘書たちにさりげない視線を送ったりして日々を楽しんでいた。そんな時、旧友で元恋人のクロエと再会する。

 

クロエは何かにつけてフレデリックの事務所を訪れるようになり、妻と買い物している場でも偶然あったりする。次第に、フレデリックはクロエとの時間を過ごすようになり、少しでもクロエが来ないと嫉妬さえ覚えるようになる。さらにクロエの仕事の世話までして、クロエの部屋にも訪れるようになる。

 

そんな頃、フレデリックの妻は二人目の男の子を出産する。妻の仕事の負担を減らすために家政婦を雇う。クロエはフレデリックの赤ちゃんをほしいと望み始める。愛するという言葉をかけるようになるフレデリックだが、あと一歩一線を越えることに躊躇していた。しかも、妻に対する思いは最近ますます高まってきたことを自覚し始める。

 

フレデリックがいつものようにクロエの部屋にやってくると、彼女はシャワーを浴びていた。タオルで体を拭いてやったフレデリックは、ベッドに入った彼女を見ながら、自分も服を脱ごうとするが、ふと先日服を脱ぐ格好でふざけて子供達を笑わせたことを思い出し、大慌てで部屋を出て階段を降り、家に帰る。そこには愛する妻がいた。フレデリックは妻を抱きしめそのまま寝室に消えて映画は終わる。

 

子供みたいに嬉々するフレデリックに対し、弄ぶようにじっと待つ女性という対比に思わず笑いが込み上げてきます。淡々とした展開の中にユーモアを交えた作品で、なかなか面白い一本でした。

 

「ヴェロニクと怠慢な生徒」

エリック・ロメール監督の短編。悪ガキを教えにきた家庭教師とのひとときのユーモアあふれるコメディという感じの作品で、テーブルを挟んで子供と悪戦苦闘する家庭教師の姿にクスッと笑ってしまいました。ラストは、見事家庭教師を追い返した子供がボールで遊ぶカットでエンディング。楽しい短編作品でした。

 

映画感想「竜とそばかすの姫」「プロミシング・ヤング・ウーマン」「モード家の一夜」「紹介、またはシャルロットとステーキ」

「竜とそばかすの姫」

あれ?細田守どうした?という感じの仕上がり。これでアニメファンは満足するのだろうか?確かに仮想空間の映像は見事なのですが、大作仕上げにこだわり過ぎたのか、脇役の人物が全く描き切れてないし、ストーリー展開が整理されてないし、登場人物の背景が書き込まれていない。仮想空間の場面に力尽きてしまったという感じの仕上がりはさすがにもったいない気がします。中盤は完全に「美女と野獣」だし、で、それを生かすのかと思えばそうではなく、でもベルだし、どんどんスケールがこじんまりしてラストへ向かうし、ではあの少年たちはどうなるの?すずが歌えるようになってそれだけ?とはてな満載の映画でした。監督は細田守

 

仮想空間Uの説明から、空間内で大人気の歌手ベルの熱唱へといきなりの導入部にまず引き込まれる。さすがにこれはと見ていると、舞台はとある高知の片田舎、一人の女子高生すずの場面になる。幼い日に母を亡くした彼女はそれ以来歌を歌えなくなっていた。そんな彼女にある時仮想空間への招待状が来る。半信半疑で参加したすずは、その世界では歌えることがわかる。そして、ハンドルネームを考えた末、ベルと名付ける。

 

ベルの歌声はみるみる人気になり、仮想空間Uの世界の大スターになっていく。一方で反発も多かったが、そんなすずを支えるのは友人のヒロちゃんだった。まもなくして、Uの中でコンサートが企画され、ベルはそのステージに立とうとするが、突然、竜と呼ばれる暴れん坊が飛び込んでくる。しかも、竜を倒すためにジャスティンらの警察まがいのチームがやってきて大暴れ、コンサートは中止になる。

 

竜とは何者か?という疑問と、ベルのステージを潰した竜への非難が盛り上がる中、すずは学校で幼馴染のしのぶくんへの憧れや学校中のアイドルルカちゃん、さらに幼馴染でマイペースのカミシンらとの高校生活が展開。すずの母は、かつて大雨の日、川州に取り残された子供を助けるために川に入り亡くなった。それ以来父とも満足に口をきかない日々が続いていた。

 

すずは仮想空間の中で竜の居場所を探し回り、とうとう城を見つける。まるで「美女と野獣」のような竜とすずのシーンが展開。しかし竜の本当の姿はわからなかった。一方、ジャスティンたちも竜を探し、ついにその城を突き止めてしまう。慌てたすずはベルとなって竜の城へ向かう。そしてその真の姿を見ようとするが竜は消えてしまう。

 

学校では、しのぶとの恋、ルカのカミシンへの想いなどのエピソードが流れる。そんな時、Uの中で竜がいよいよ追い詰められたという情報が届き、すずはしのぶやルカたちとヒロちゃんが廃校に設置したパソコンのところへやってくる。そして、竜の姿をその情報から突き止めたが、ベルがすずだと信じてもらえなず回線を切られる。竜を救うべく、仮想空間内でベルはわざとジャスティンの持つ光線で素顔を晒し、竜への接続を試みる。素顔で歌うすずに仮想空間のみんなが感動するのだが、ここも非常に弱い。

 

なんとか竜の自宅に回線が繋がるが、そこには兄弟が父に暴力を振るわれる様があった。ここがとにかく弱くて、これをきっかけにすずは一人で高知から東京へ向かうのだが、なんとも大雑把な展開になる。

 

東京で竜の真の姿の兄弟と出会い、すずは現れた竜の兄弟の父を退散させ、高知に戻る。え?おわりなの?という流れで、戻ってきたら父が駅にいて、一つ成長したすずの姿を描いて映画は終わる。

 

大作でなくてもいいんじゃないかと思うのですが、周りの要望をこなそうとした細田守さんの今回も失敗になった気がします。「美女と野獣」のモチーフも生きていないし、仮想空間だけが大作っぽくて、肝心のドラマ部分が全くのしょぼい描き込みしかできていないので映画全体がふわふわとつかみどころのない出来上がりになった。細田守作品は毎回、贔屓目に見ているのですが、それでもちょっと残念すぎる出来上がりだったように思います。

 

「プロミシング・ヤング・ウーマン」

決して良くできた映画というわけではないけれど、ちょっと面白い作品でした。やたら長く感じたということはストーリーの構成配分に難があったのでしょうが、キャラクターの異常性、周囲の脇役のどこか変な存在感が映画全体を奇妙な空気で包んでいる。ラストはサスペンスタッチで終わりますが、ホラー映画の一歩手前を綱渡りして進むような展開は楽しめました。監督はエメラルド・フェネル。

 

ハイテンポな音楽で映画は幕を開けて、とあるバー。男たちが品のない会話を交わしている。部屋の中央に酔い潰れた女が一人いかにも男を誘うような姿勢で座り込んでいる。さっきの一人の男が声をかけそのまま部屋に持ち帰り、ことに及ぼうとするが、女が素面で、詰め寄ってきて男はタジタジとなる。

 

カットが変わり、さっきの女キャシーが自分の手帳に何やら人数をチェックする仕草とさっきの男の名前でしょうか記入している。彼女にはかつてニーナという親友がいたようで、医学生だったキャシーたちはニーナに起こったある事件のために中退したようである。キャシーの両親はキャシーを腫れ物を触るように接している。

 

キャシーはまた別の男の部屋にいて、またその男を手玉に取り怖がらせて部屋を出ていく。彼女はコーヒーショップに勤めている。そこへかつての同級生で今は医師になっているライアンがやってくる。適当にあしらっていたキャシーだがいつの間にか彼に惹かれていく。そしてデートを重ねる。

 

そんな頃、マディソンというかつての同級生に会う。彼女は、キャシーの友達のニーナに起こった事件で助けを求めに行ったとき助けてくれなかった。キャシーはマディソンに脅しをかけるような行動を取る。また、アル・モンローという男が、海外から戻ってきて近々結婚するというのを聞く。アルは学生時代、泥酔いしたニーナを暴行し、動画に撮った張本人だった。キャシーはアルのことを調べ始める。

 

キャシーはいつものようにゆきずりの男を誘っているところをライアンに見つかる。キャシーはその時ライアンのことが本気だと自覚して、ライアンと本気で付き合い始める。ところが、突然マディソンが現れ、ニーナの事件の夜の動画が送られてきた古い携帯をキャシーに託す。その動画にはアルが悪ふざけしてるのを笑って見ているライアンの姿もあった。どん底に突き落とされたキャシーはライアンの元を訪れ、アルの婚前パーティの場所を教えてもらう。

 

キャシーはコスプレナースの格好でアルのところへやってくる。イベントの派遣だと勘違いしたアルたちは彼女を招き入れる。そして、アルとキャシーは二階へ。キャシーはアルに手錠をかけてプレイしようと見せかけ、自分はニーナだと過去を責め始める。狼狽えるアルにメスを持って襲いかかるキャシーだが、片方の手錠が外れキャシーはアルに抑え込まれ枕を押し付けられ殺されてしまう。翌朝、駆けつけたアルの友人は死体を焼いてしまおうと提案、死体を処分する。

 

失踪してしまったキャシーのことを警察に話すキャシーの両親。やがてアルの結婚式となる。ライアンも出席していたが、ライアンの携帯に予約メールが入る。それはキャシーからのものだった。一方、かつて、ニーナの件を扱った弁護士にキャシーは会いに行っていた。その弁護士は、あの後弁護士を辞めて引きこもっていた。その弁護士にキャシーは万が一失踪になったらマディソンから預かった携帯を警察に届けてほしいと手紙を送っていた。

 

まもなくして、パトカーがアルの結婚式の場にやってきてアルは逮捕される。キャシーの死体が焼かれた跡にはハートの半分のペンダントがあり、ニーナの文字があり、カフェの店長の元にはキャシーの名の入ったハートのペンダントの半分が届く。こうして映画は終わって行きます。

 

テンポよく、そして手際よく流れる展開ではないのですが、ストーリーの骨子はサスペンスタッチです。しかも、実はキャシーは精神的にやや狂っていた部分があることを匂わせるホラーチックなものもある。完全に破綻した出来の悪い映像ではなく、あえて綱渡りのような不安定感が消えない不思議な映画だった気がします。

 

モード家の一夜

エリック・ロメール監督「六つの教訓話」の第3作。男一人と女二人という三角関係のラブストーリーという感じの映画でした。

 

主人公の私が自室を出てミサに向かうところから映画は幕を開けます。教会で一人の金髪の女性フランソワーズを見かけ、ミサの後バイクで帰る彼女を車で追いかける私。私は最近海外から戻ってきた。久しぶりに友人のヴィダルと再会、ヴィダルは近々モードという女性の部屋に遊びにいくから一緒に行こうと誘う。

 

それほど乗り気でなかった私だがヴィダルと一緒にモードの部屋に行く。遅くまでしゃべり、ヴィダルと友人の女性は先に帰る。私は結局モードの部屋に泊まることになる。翌朝、部屋を出たところでフランソワーズと出会いはじめて言葉を交わす。

 

雪の夜、再びフランソワーズと再会した私は彼女を寮まで車で送ることになるが、途中で車が動かなくなりフランソワーズの寮に泊まることになる。翌日、私はフランソワーズとミサに出かける。私はフランソワーズに「愛している」と話し、お互い、それぞれの過去を話す。一方、モードは街を離れていく。

 

5年後、私はフランソワーズと結婚し、子供を連れて海岸に遊びにきた。そこで偶然モードと再会し、私はモードと一言二言話す。そのあとフランソワーズのところへ行き映画は終わっていく。

 

例によって延々と今回はパスカルについてやカトリックについてなどの会話の応酬が展開して、ほとんどが室内シーンである。正直、ちょっと退屈なのですが、これがエリック・ロメールの色でしょうね。

 

「紹介、またはシャルロットとステーキ」

エリック・ロメール監督の短編。クララという女性と歩いている一人の男がシャルロットという女性と出会い、シャルロットの部屋でステーキをご馳走になって、また出かけていくというだけの作品です。