くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「恋する惑星」

恋する惑星

とっても洒落た映画で、二つのラブストーリーをめくるめく様なテンポで描いていく。監督はウォン・カーウァイ

 

一人の刑事223号が犯人を追っている。途中、金髪にサングラスの女性とすれ違う。223号は最近メイという女性と失恋をし、もう一度やり直せるかのチャンスに、振られた日から一ヶ月後の自分の誕生日までパイナップルの缶詰を買い続けることにした。223号は、恋人を忘れるためにバーで金髪にサングラスの女性と出会い、口説こうとするが、一向に落ちない。この女性は何やら麻薬組織の運び屋の手筈をしている様でどこか危ない空気がある。そして仲間同士の諍いか、ピストルで一人の男を撃ち、カツラを外してどこかへいく。223号は、いつも立ち寄るハンバーガーショップで、店主から従業員の女の子を紹介されるが、男は嫌だと断るが、その従業員はショートカットの女性フェイだった。223号は、飛行機の中でスチュワーデスを口説き落とすもののまもなくして関係は崩れる。

 

ハンバーガーショップによく立ち寄る制服警官633号にフェイは恋心を持っていた。ある時一人の女が店主に一通の手紙を託し633号に渡してくれと姿を消す。店主がその手紙を読んでいる姿を見て、フェイは気になり中を読んでみると、別れ話の様で、633号の部屋の鍵が入っていた。633号が手紙を受け取らないので、フェイはたまたま市場で633号と親しくなり住所を聞いたので、鍵で勝手に部屋に入る様になる。

 

そして、部屋の中をいじり回し、金魚を増やし、テーブルクロスを変えたりする。失恋で落ち込んでいる633号は、気が付いているのかどうか、ぬいぐるみや食器に話しかけたりする。ところがある時、フェイと出くわしてしまう。いつのまにかフェイを気になっていた633号はフェイをデートに誘い、カリフォルニアという店で待つがフェイは来ず、ハンバーガー店の店主がフェイの手紙を届ける。そこには一年後の日付の手書きの搭乗券が書かれていた。

 

一年後、フェイはスチュワーデス姿で戻ってきてハンバーガー店に立ち寄ると、何と633号が店を改装していた。店主から譲り受けたのだと言う。一年前もらった手書きの搭乗券が雨で読めなくなっているので、もう一度書いてくれと言う633号にフェイは紙に書き始めて映画は終わる。

 

カリフォルニアドリーミングの曲をフェイが好きと言うことで、何度も繰り返し流され、キーワードとしてラストまで物語を引っ張っていく。ストップモーションやスローモーションなどを多用して映像のリズムが不思議な切なさを生み出していくのがとっても洒落ています。小粋な映画という感じの一本でした。

 

 

映画感想「鵞鳥湖の夜」「花様年華」

「鵞鳥湖の夜」

噂通りの傑作でした。ハイスピードなストーリー展開とカメラワークの見事さ、さらに光と影を縦横無尽に使った映像演出に引き込まれてしまいました。監督はディアオ・イーナン。

 

深夜の高架下、一人の男チョウが佇んでいる。そこへオーバーラップする様に現れる一人の娼婦アイアイ。彼女はチョウの妻のシュージュンは来ないと告げる。チョウはアイアイに一昨日の夜の出来事を話す。このオープニングの映像がまず美しい。

 

一昨日の夜、チョウは仲間内のバイク窃盗団の集会に出た。縄張りを割り当てる段階で若い猫目と呼ばれる男がチョウの縄張りの一部をよこせと言い出したことからチョウの舎弟が銃で猫目の仲間の足を撃つ。そこで乱闘となり、その落とし前に、チョウらのグループと猫目らのグループの窃盗合戦をすることに。しかし猫目の仕掛けた罠でチョウの舎弟が死に、チョウも命を狙われ、瀕死の中発砲した銃が警官を撃ち殺してしまう。

 

チョウには多額の報奨金がかけられて、仲間内をも敵に回す。そんな経緯をアイアイに話したチョウは、なんとか妻シュージュンを呼び出してほしいと告げる。アイアイは、チョウの舎弟でシュージュンの弟ヤンに頼まれ、シュージュンの居場所を突き止めて連れてくるはずだったが、シュージュンは警察に情報を流し、その銃撃でヤンは瀕死の重傷を負ったのだと言う。

 

チョウは自分の報奨金をシュージュンに与えると言う計画を立て、シュージュンに自分を密告する様にするべくアイアイと鵞鳥湖の再開発予定の雑居地帯に逃げ込み、シュージュンと会う手筈を進めようとする。

 

一方警察もリウ警部をリーダーにチョウを鵞鳥湖周辺にいると判断して捜査の範囲を狭めてくる。一方猫目たちも報奨金目当てにチョウを追い詰めてくる。そんな状況で、アイアイに裏切られたり近づかれたりしながらの逃亡劇が描かれていくが、雑多な店舗や人々、さらに駆け巡るバイク群を見事に捉えながらの光の演出が素晴らしく、さらに、逃げるチョウの影の演出が見事。

 

そしてとうとう追い詰められたチョウは警官に撃ち殺され、報奨金はアイアイの手に入る。リウ警部に送られるアイアイは、警部と別れた後、シュージュンと会い、二人で歩いていく姿をリウ警部が見送る様に映画は終わっていく。

 

とにかく、光と影を徹底した映像演出が見事な上に、オーバーラップして交錯するカメラワークも秀逸。ストーリー展開もテンポが良い上に、雑多な鵞鳥湖の周辺の舞台設定も抜群の効果を生んでいます。久しぶりに、見事な作品を目の当たりにしました。

 

花様年華

めくるめくような陶酔感に浸ってしまう夢の様な映画。物語は不倫ドラマだが、そこには大人の節度が存在して、それでいてプラトニックな危うさも垣間見られる。細かい暗転を繰り返す時間軸の流れがいつのまにか切ないほどの時の流れを生み出し、赤を基調にしたエロティシズムが見ている私たちになんとも言えない男と女の欲望を想像させる。これが恋愛映画なのか。見事な一本でした。監督はウォン・カーウァイ

 

一軒のアパートに引っ越してきた一人の女性チャン。そこへ一人の男性チャウも部屋を探しにやってくる。こうしてチャン夫人とチャウは同じアパートの隣同士となる。しかも引っ越しの日も同じで、狭い廊下を右往左往しながら荷物が運ばれて、否が応でもチャウとチャン夫人はすれ違い、知り合いになる。

 

チャウは出版社に勤め、彼の妻は頻繁に仕事で主張して、ほとんど姿を見せない。一方のチャン夫人は会社の社長秘書をしているが夫は常に海外赴任している。映画は細かい暗転を繰り返し、チャウの妻が他の男性と会話している様子を描き、一方のチャン夫人の夫も何やら女性の影を見せるがそれぞれはっきりとその姿を画面に見せない。

 

やがて、チャン夫人とチャウは頻繁に近づく機会が増え、話すうちに、お互いのパートナー同士が不倫関係にあることを知る。そして、チャン夫人とチャウは次第にその関係を近づけていくが決して一線を超えないまま、プラトニックな不倫関係へと発展していく。

 

細かい暗転とカットを挿入しながら時が流れ、やがて、それぞれは別れていく。久しぶりにシンガポールから戻ったチャウはかつての部屋にやってくる。実はチャン夫人がその部屋を借りているが結局出会うこともなく映画は終わっていく。時の流れが過ぎ去っていったと言う様なテロップがでて映画は終わる。

 

不思議なほどに切なくもまどろこしい大人の恋愛ドラマである。引き込まれていく陶酔感は終盤流石に眠くなってくるがそこが監督の意図ではないかとさえ思ってしまう。良い映画でした。

映画感想「ポネット」「現在地はいづくなりや 映画監督東陽一」

「ポネット」

シンプルでピュアな詩篇のようなファンタジックな映画でした。映画としてずば抜けて優れた出来栄えに見えないのですが、淡々と綴っていく一人の少女の全くの澱みのない物語は胸を打たれます。監督はジャック・ドワイヨン

 

一人の少女のポネットが病院のベッドで横たわっている。手にギブスがつけられていて、傍の父親の言葉で、どうやら母と車に乗っていて事故を起こし怪我をしたようです。母も大怪我をしたと説明されるが、病院からの帰り道、父に、母は亡くなったと知らされるポネット。しかし、わかったのかわからないままに泣くポネット。

 

父が仕事で留守になる間、いとこのところに預けられたポネットは従姉妹たちと遊びながらも、母への思いが立ちきれず、小さな礼拝堂に行って神様の像に母と話したいとお願いしたりを繰り返す。さらに、勉強の間も仮病を使ってベッドに戻り、壁に向かって神様にお祈りしたりする。

 

そしてとうとう、一人で母の墓のところへ行き、埋められた土の上で泣き伏せるポネットの前に、母親が昔のままの姿で現れる。そして、ポネットに真っ赤なセーターを着せてやり、いろいろな話をして、父親と楽しく過ごしてほしいと言う。気がつくと、母はポネットの前から姿を消していた。そこへ父が迎えに来て二人は車で去って映画は終わる。

 

本当に何の余計な描写もセリフもなく、シンプルに子供同士の会話とポネットの直向きな思いだけが描かれてラストへつながる。これだけのドラマを一本の映画にまとめられていると言うこと自体が見事な仕上がりなのかもしれません。

 

「現在地はいづくなりや 映画監督東陽一

東陽一監督の語るドキュメンタリー。なかなかこの映画は面白かった。東陽一監督がかつて起用した女優さんを交えたり、スタッフの方々と自身の映画の考え方などを話す内容が楽しい。この監督の作品は全部見れていませんが、機会があれば埋めていきたいと思います。楽しいひと時が過ごせました。監督は小玉憲一。

映画感想「女優 原田ヒサ子」「フェリーニのアマルコルド」(4Kリマスター版)「シリアにて」

「女優 原田ヒサ子」

原田美枝子が、自らの母を捉えた短編ドキュメンタリー。認知症が進んだ母、原田ヒサ子が自らの娘原田美枝子を語り出す。

 

原田美枝子の母原田ヒサ子が普通に若い頃から映画に出ていたと語り出す。原田美枝子の娘や息子が協力するいわばホームムービー的な作品です。まあ、原田美枝子は若き日からの大ファンなので、見たという感じの一本です。

 

フェリーニのアマルコルド

約四十年ぶりの再見。全編カーニバルのような夢の世界。これこそフェリーニの魅力ですね。正直、物語というにはくっきり語っていかないのですが、真っ白なキャンパスの描かれる天才的な想像力に満ちた映像世界は本当に癖になります。

 

港町リミニで暮らす主人公ティッタ。この日、この街に綿の花が舞い散る場面から映画は始まる。まるでお伽話のようなオープニングから、ティッタが出会う街の人々、憧れのグラマラスな女性グラディスカへの憧れ、学友たちとの悪戯の日々が軽妙に描かれていく。

 

街にはファシズムの足音がそれとなく響いてくるが少年ティッタの目にはそれさえも、幻想的な架空の出来事のようでしかない。ティッタたちにとっては全てが少年時代の淡い思い出でしかない。その視点の素晴らしさに酔いしれてしまう。

 

様々な登場人物は、街の噂話が映像になる展開、精神病院にいる男性の奇行や何もかもが少年の純粋無垢な心を通して映像に転化していく。その想像世界は見事というほかありません。巨大な船が沖を通るからと町中で沖へ繰り出す。海はセットに変わり、巨大な客船が目の前に現れ消えていく。

 

母が亡くなり、雪の降る冬が訪れる。そしてやがて憧れのグラディスカの結婚シーンで映画は幕を下ろしていく。これこそフェデリコ・フェリーニの映像世界です。何度見ても癖になる素晴らしい作品ですね。

 

「シリアにて」

とにかく悲惨なほどにしんどいのと、異常なくらいの緊迫感にラストまで引っ張られてしまいました。ただ、室内空間に限ったドラマ作りと室内を縫うように動くカメラワークはなかなか良かったです。監督はフィリップ・バン・レウ。

 

外ではシリアの内戦、スナイパーに狙われた人が倒れる。そんな状況でマンションの一室をシェルターのようにして暮らすオームたちの家族と5階から降りて一緒に暮らしているハリマ夫婦の姿から映画は幕を開ける。外では爆発音が響き、スナイパーの銃弾の音が聞こえる。

 

ドアにかんぬきをかけ、必要のないとき以外は外に出ず、水も汲んできて室内で賄う。そんな姿をカメラは廊下、室内をワンカットで移動する。ハリマ夫婦は今夜ここを出ていく計画を立てている。ハリマの夫が外出したのだが、スナイパーに撃たれて倒れてしまう。その姿をオームの家の家政婦が目撃し、オームに報告。どうやってハリマに知らせるか算段する。

 

そんな中、シェルターに二人の男が押し入ってくる。違う部屋に隠れたオームたちをかばってドアの前に立つハリマは、強盗たちにレイプされるも沈黙を守りオームたちを隠し通す。そんな彼女にオームはハリマの夫が撃たれて物陰に倒れていると知らせる。

 

夜になり、オームの息子たちがハリマの夫を見にいくとまだ息があったので室内に回収、オームの夫たちの組織に連絡をして搬送してもらう。その際、明日、ここを出ていくほうが良いと言われる。

 

窓の外の状況をじっと見つめるオームの義父のアップで映画は終わる。とにかく悲惨な状況であるが、室内のみのドラマがかえって緊迫感と恐怖感を増幅させ映画をギュッと引き締めてしまう。正直しんどいドラマですが、よくできた一本だったと思います。

映画感想「ブリング・ミー・ホーム 尋ね人」

「ブリング・ミー・ホーム 尋ね人」

韓国映画らしい陰気で陰湿な映画でしたが、伏線やフェイクもしっかり効いていたなかなかの佳作でした。ただ、いつものことながら、韓国の警官ってアホやし、独特のハングル語の下品さはやはり私にはあいません。監督はキム・スンウ

 

看護師のジョンヨンが、海の続く防波堤を歩いている場面から映画は始まる。夫でもと教師のミョングクの間にはユンスという子供がいたが6年前に行方不明になり、ジョンヨンらは微かな情報を求めて活動していた。しかし、再就職を決心したミョングクは学校の講師の職の面接に行くが、そこへユンスを見たという情報メールが届く。

 

ミョングクはその情報の地へ車で向かうが途中で事故に遭って亡くなる。しかも、その情報は悪戯だった。その事故の記事を見ていた郊外の漁村の警官キムは地元のマンソン釣り場で働いている少年がユンスに似ていると、先輩のホン警長に報告するが一笑に付されてしまう。しかし気になったキム警官はジョンヨンに情報の匿名電話をする。

 

その情報でマンソン釣り場にジョンヨンがやってくるが、何か隠している様子である。実は、この釣り場では、犯罪者や子供を従業員にして働かせていて、ミンスとジフという少年が働いていた。しかも、ミンスはヨンスの特徴に非常に似ていた。ジョンヨンは、ミンスこそがユンスだと確信して、マンソン釣り場の中を詐欺るが、マンソン釣り場の経営者たちはホン警長とグルになってミンスを隠そうとする。しかし、ジョンヨンは帰る間際ジフにささやきかけ、ジフもまた誘拐された少年と確信、夜中に再度マンソン釣り場に忍び込むが、ジフはミンスと逃亡を図り、マンソン釣り場の男たちに追われていた。

 

そこで、ジョンヨンはミンスを見つけるがミンスは防波堤の端まで逃げてしまう。ジョンヨンと対峙したミンスは、お母さんとつぶやくが波にさらわれてしまう。翌朝、マンソン釣り場で目覚めたジョンヨンは、ジフを助けて逃げようとするがマンソン釣り場の男たちに捕まる。しかし、巧みに逃げたジョンヨンはマンソン釣り場のホン警長に襲いかかり、銃を奪ってジフと共に逃げる。

 

そして、ジョンヨンは追ってくるホン警長を海に手錠で繋ぎ、ジフと共に小舟で脱出する。全てをなくしたジョンヨンは自殺を覚悟して防波堤に行くが、彼方にミンスの死体を見つける。ジョンヨンは駆け寄り抱き上げるが、ユンスの体の特徴の足の副爪が無かった。

 

そして二年後、運転するジョンヨンにジフから電話がかかる。昨夜、ミンスが夢に出てきたこと、これからユンスを探しにいくジョンヨンの会話が続く。ミンスはユンスではなかったのだ。そして、精神病院で保護されているユンスと思われる少年の後ろ姿に再会するジョンヨンのカットで映画は終わる。

 

陰気な映画ですが、なかなか脚本が良くできていた佳作でした。

映画感想「TENET テネット」

おもしろかった。時間テーマをこういう風に小道具に使うという発想が見事。一瞬混乱しかけるのですが、それは人間がまだ完全に未知な存在としての時間に対する既成概念があるからで、物語は一昔前のB級SFのようなシンプルな話。その軸の話にいかに早く行きつくかがこの映画を楽しむポイントかもしれません。オープニングから張り巡らされた伏線の数々、すべてのシーンが繰り返される癖になる面白さは絶品。これこそクリストファー・ノーラン監督作品の面白さですね。

 

キエフのオペラハウス、たくさんの観客に埋め尽くされている。突然の銃声で舞台上に現れるテロ集団、待っていたかのように彼らを制圧するために乗り込んでくる部隊。観客の中にプルトニウム241を求めるスパイがいるということらしい。このオープニングから一気に映画の世界に引き込まれるが、すでに様々な伏線が散りばめられています。

 

この部隊の一人の黒人がおそらく主人公だとカメラは追っていく。制圧する中で一瞬ピストルの弾が逆行するのを見たような気がする。そこに赤いストラップのついたかばんを目撃。テロは偽装だったというようなアナウンスの後、この黒人はテロリストに拉致されるが、自殺を図った主人公だがある組織TENETに助けられとある施設へ。そこで見せられたのは、撃ったはずの弾が戻るというピストル。そしてその的。これらは未来から過去である現代へ送られたものだという。そして第三次世界大戦による人類消滅の危機を回避するべくある任務を言い渡される。

 

第三次世界大戦=核戦争という構図は今や過去のもので、この時間が逆行する装置こそが人類滅亡の最終兵器だという。この男最後まで名前が明かされず、謎の男のままなのだが、ラストで、その意味が分かる。

 

この主人公は逆行する弾丸の謎を探るべくムンバイへいきそこでニールという男と出会う。なぜか主人公のことに詳しいニールだが、二人はパートナーとなり、サンジェイ・シンなる武器商人に近づこうとする。しかし、シンではなくその妻プリヤこそが黒幕だった。

 

プリヤはロシアの武器商人セイターがプルトニウム241にかかわっており、セイターに近づくべくクロスビー卿の力を借りて、セイターの妻キャットに接触する。

 

セイターに近づいた主人公たちは、オペラハウスで行方不明になったプルトニウム241の奪取に成功するが箱を開けてみると中に入っていたのは見たこともない金属の塊だった。しかも、逆行してきたセイターに奪われてしまう。この高速道路でのシーンはまさに圧巻。ここだけに限らず,映画全編に驚愕的なシーンが連続する。

 

実はセイターは、はるか未来、世界が気候変動などで悲惨な状況になることを悔やみ、過去のすべてを消滅させるためにアルゴリズムという装置を完成させることをもくろんでいた。時間を逆行させる装置アルゴリズムは未来にいる科学者が発明したものだが、彼はこの装置に恐怖を覚え、ばらばらにして過去の世界に隠してしまった。セイターはその装置を再度完成させ起動させようとしていた。

 

アルゴリズムを起動させるのが、セイター自身に埋められたスイッチで彼が死んだ時にアルゴリズムが起動する仕組みになっていた。彼は末期がんだったのです。

 

14日にアルゴリズムを起動させようとしているセイターの計画を阻止するため、アルゴリズム起動場所となるスタルスク12に、時間を順行する赤のチームと逆行する青のチームが攻撃を仕掛ける。その中で、主人公とアイブスがアルゴリズム奪還に向かうが,すんでのところで、頑丈な柵に阻まれる。その向こうには赤いストラップを付けた死体が横たわり、セイターの部下がアルゴリズムのセットを進めていた。突然死体が生き返り主人公たちを中に引き入れ、アイブスと主人公はセイターの部下を倒し、アルゴリズムを奪還する。

 

一方時を同じくして、セイターの妻キャットがセイターを見張っていた。しかしキャットは、主人公たちの作戦成功の報告を待たずにセイターを殺してしまう。主人公たちがすでにアルゴリズムを奪取していたので、事は起こらなかったが、14日以降セイターの存在が消えるためにこの日がセイターの計画の実行日だと判断していたTENETの思惑は間違っていたことになる。

 

無事、アルゴリズムを回収、主人公とニールとアイブスは装置を三分割して別々に補完しようとするが、ニールは自分の部分を主人公に預け去っていく。その際、未来の主人公がTENETを組織したこと、主人公の部下がニールであることなどを打ち明ける。

 

キャットは愛する息子を学校に迎えに行く。それを見ているプリヤがいる。主人公はTENETの創設者が自分だと話し、キャットを殺そうとしているプリヤを殺してしまう。アルゴリズムの存在を知る者は死んでもらうほうが安全と分かりながらも、主人公はいつの間にかキャットへの想いが募り始めていた。

 

少々、作り込みすぎているような気がしないでもないのですが、癖になるほどに自分的には面白かった。もう一回見に行きたいと思います。

映画感想「チィファの手紙」「スペシャルズ!政府が潰そうとした自閉症ケア施設を守った男たちの実話」

「チィファの手紙」

岩井俊二監督が「ラストレター」を発表する前に、同じ原作で中国で描いた作品。展開もカメラワークもアングルもほとんど同じで、役者が変わっただけという感じの映画でした。

 

主人公チィファの姉チィナンの葬儀の場面に始まり、そこへチィナン宛の同窓会の案内が届く。チィファはチィナンの代わりに同窓会に行くがチィナンと間違われたまま帰ってきてしまう。しかし、そこで学生時代に恋したイン・チャンと再会する。

 

一方、葬儀の後、チィファの娘サーランは冬休み中チィナンの家に残ることにし、チィナンの娘ムームーと過ごし始める。ところが、イン・チャンと連絡先を交わしたチィファの携帯にイン・チャンから連絡が入り、それを見たチィファの夫が嫉妬して携帯を壊してしまう。仕方なくチィファはチィナンのふりをして手紙を書く。

 

こうして「ラストレター」と同様に、手紙のやり取りが繰り返され、かつての学生時代に、イン・チャンに恋したチィファはイン・チャンがチィファの姉チィナンに当てたラブレターをチィファが隠したことで、切ないラブストーリーが展開していく。

 

エピソードの配置もほとんど代わりなく、ラストシーンのチィナンの別れた夫との絡みまで描かれて、そのままラストへ雪崩れ込むが、「ラストレター」でも思ったが終盤がちょっとくどい気がし、作り込みすぎている感は同様の感想になりました。

 

スペシャルズ!政府が潰そうとした自閉症ケア施設を守った男たちの実話」

これはいい映画でした。確かに行政の不手際を訴える映画ではありますが、ひたすらメッセージを押し付けてくるのではなくて、認可もなくただ無償で必死で強度の自閉症の青少年の力になっている職員たちの姿をひたすら描いていくという演出が実に心を打ちます。ラストに至ってはたまらなく胸が熱くなって涙ぐんでしまいました。監督はエリック・トレダノオリビエ・ナカシュ

 

一人の少女が街を疾走しています。どう見ても異常な状態で、彼女を数人の人が取り押さえる。走っていたのはどの医療施設でも断られた極度の自閉症の少女で、彼らをケアする「正義の声」という民間施設の職員が押さえたのである。

 

この施設の責任者ブリュノはこの日も様々な患者を世話して、なんとか社会復帰させようと努力している。ブリュノの友人のマリクはドロップアウトした若者を雇い入れて、そうした患者の世話ができるように教育していた。

 

映画はこの二人のただひたすら無償で、自分の人生も築かれないままに尽くす姿をひたすら描いていく。何かあるとすぐボタンを押してしまうので、列車の非常ボタンを押したりして、電車にも乗れない若者。油断すると自傷癖があるのでヘッドギアをつけたままの青年、など様々な症状の若者を必死でケアしている物語が展開する。それはある意味壮絶でもあるが、一方で職員たちの心でぶつかっていく暖かすぎるドラマが展開します。

 

そんな施設に行政の監査が入り、閉鎖の危機が訪れるが、では患者たちを受け入れてくれるのかというブリュノの言葉に監査員たちはなんの返事もできないままに映画は終わっていく。

 

エピローグで、アングラ劇のようなシーンの後、一駅も乗れなかった青年がなんとか非常ボタンを押さずに列車に乗れて職員たちに迎えられたり、ヘッドギアを離せなかった青年がヘッドギアをようやく取れるようになってみんなと食事する場面、そして新たな患者を受け入れていく「正義の声」の姿で映画は終わっていく。ストレートに訴えかけてくる作品で、見たままを感じ考えさせる映画でした。