くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「あのこは貴族」

「あのこは貴族」

これは良かった。演出とはこういう風にするものというお手本のように隅々まで行き渡った手抜きにない映像作りにまず驚かされるが、それにプラスして役者の使い方が実に上手い。さらに映像のリズム感も見事な感性で綴られていくから、物語が薄っぺらくなってこない。たわいのないストーリーがキラキラとさりげなく輝いてくる様にうっとりしてしまいました。監督は岨手由貴子。

 

2016年元旦に物語が始まる。タクシーの中から東京の夜の街を捉えていく映像と、切り替わってタイトル。タクシーに乗っているのはこれから親族の食事会に向かう主人公華子。実はこの日、華子は婚約者を連れていく予定だった。しかし、このタイミングで彼氏と別れ、食事会にやってくる。華子の姉らは、早速見合いを勧め、華子もそれに応じる。

 

このあと、ハイテンポで何人かの男性を紹介されて見合いをする場面が続く。そして、辟易としてきた頃、一人の男性、イケメンで弁護士をしている青木幸一郎と出会う。まさに奇跡と感じた華子は一気に幸一郎を好きになってしまう。友達の逸子に相談すると、どうやら名家の息子らしいとわかる。逸子は華子の友達の中で、華子同様独身のままで、バイオリニストだった。華子の家も開業医なのだが格はずっと上だった。ある時、幸一郎の携帯に一人の女性から届いたメールを見てしまう。やがて、幸一郎は華子にプロポーズする。

 

カットが変わり2017年故郷の富山に時岡美紀が帰ってくる。東京に住んでいた美紀は久しぶりに故郷に戻り高校の同窓会などに出る。かつて、慶應義塾大学に入学した彼女は平田里英という友達ができた。二人とも大学受験で入学した外組だったが、学内には内組という、高校から上がってきたいわゆるセレブ集団がいた。授業で美紀は一人の男性幸一郎からノートを貸してくれと頼まれる。やがて、父の体調が悪くなった美紀はなんとかキャパクラでバイトをしながら授業料を払うが、限界が来て大学を辞めてしまった。そして高校の同窓会で久しぶりに里英と再会する。

 

カットがが変わり、イベント会場で仕事をする美紀。彼女は幸一郎に誘われて手伝いに来ていた。舞台では逸子がバイオリンを演奏していた。そこで幸一郎を見かけ、さらに幸一郎のそばに美紀という女性が親しげにいるのを目撃する。そして美紀から名刺をもらうさい、美紀は幸一郎の名刺の裏に自分の連絡先を書いて逸子に渡す。

 

逸子は美紀を呼び出し、華子と会わせる。それは責めたりするのではなく、お互いに知るためだった。美紀はキャバクラにいた頃に幸一郎と再会し、遊び友達レベルで付き合っていた。美紀は幸一郎に富山土産をせんべつにして別れを告げる。そして東京で起業しようとしている里英に誘われる。

 

やがて幸一郎と華子は結婚するが、いかにもハイソな幸一郎の家庭に圧倒されながらもそつなく付き合っていく華子。やがて幸一郎が政界に出ることがわかりかけ、華子は次第に何かしらの疑問を感じ始める。そんな時、道で颯爽と自転車に乗る美紀を見かけた華子は声をかけて、美紀の部屋に行く。そこには雑多ながらも落ち着いた佇まいがあった。

 

家に帰った華子は疲れている幸一郎と二言三言言葉を交わす。そして、華子は離婚を決意し、幸一郎の家に家族総出で謝りに行く。一年の時が経つ。華子は逸子のマネージャーのような仕事をしていた。美紀は里英と新しい会社の仕事を精力的にこなしていた。

 

華子はたまたま逸子の演奏会の企画で出かけた先で、選挙区内を回る幸一郎と再会する。逸子のバイオリンの映像の中、幸一郎と華子は目を合わせる。こうして映画は終わっていきます。

 

全く、あまりに素敵であまりにそつがなくあまりにさりげない中に、現実のリアリティが見事に映し出されている。一見、ありえないような設定。古臭い設定のようで、現実には存在するのだというのを誰もが目を瞑っているのを見事に映像化した感じの素晴らしい逸品でした。

映画感想「女舞」「熱愛者」「愛情の系譜」

「女舞」

物凄いしっかりと作られた逸品で、この時代このレベルの映画が普通に作られていたのだから感心してしまいます。決して名作とかいうレベルの出来栄えではないけれど、一つ一つのシーンに役者の迫力が見られます。素晴らしかった。監督は大庭秀雄

 

舞踏家の家元の若師匠千弥が、舞の勉強のために能の天才と言われもてはやされている西川家の若師匠西川の芸を見ている場面から映画が始まる。女たらしでも有名だという噂の西川だが、千弥は純粋に芸の勉強に目を注いでいた。

 

しかし、たまたま千弥が舞った舞の意見を聞くべく西川の家を訪れたが、西川は千弥を五条家の能衣裳の展示会に誘う。その帰り、西川は千弥を誘い一夜を共にする。

 

千弥は日に日に西川にのめり込んでいき、一方で神崎という大学の先生との見合い話も進む中、苦悩の日々となる。間も無く西川は本家から波紋になり金沢へ移っていく。何かにつけて千弥の相談相手だった布川教授からその話を聞き、苦悶する千弥だったが、思いを立つ決心をし、神崎と結婚をする。

 

そして、千弥は葵上の舞を舞う日が近づいてきた。参考のためにと布川教授が用意した西川家の能舞台で、面を被った西川が千弥の前で舞う。西川は体を壊していて、東京に戻っていたのだ。

 

やがて千弥の舞の日、西川は死んでしまう。一人舞う千弥の見事な舞が西川の旅立ちを彩っていた。こうして映画は終わります。能の勉強を重ねた岡田茉莉子の舞台シーンも素晴らしいですが、脇役を含め全体が実にしっかりと描かれているのは見事なものです。映画全盛期の並の映画かもしれませんが、見応え十分な一本でした。

 

「熱愛者」

これはちょっとした映画でした。一見、平凡な恋愛ドラマのように始まるのですが、どんどんお話が転がって膨らんでいきます。その絶妙のリズムが不思議なほどに冷めた感覚が見えてきて、ラストシーンに唸ってしまいました。監督は井上和男。さすが新藤兼人脚本。

 

大学の講師で文筆家の緒方が友人と街を歩いている。室内美術を仕事にするデザインスタジオの友成という男が近づいてくる。少し離れたところに、友成のところで働く頼子という女性を認める。緒方はいつのまにか頼子と知り合い、頼子もいつのまにか緒方と親しくなり、みるみる恋の炎が燃え上がっていく。

 

緒方はすっかり頼子にのめり込んで溺れてしまい、頼子がいないと寂しくて仕方がない。そんな緒方に応える頼子。二人は結婚してしまう。しかし、何事にも完璧を求める緒方は、頼子のひたむきさがかえってしんどくなり始める。そんな頃、頼子は姉の民子を呼び寄せ一緒に住もうと提案する。そして頼子は友成の事務所に再度就職する。しかし、緒方と頼子の関係はみるみる溝ができてくる。さらに友成と頼子がかつて恋人関係だったことを知った緒方は、頼子と別れることにする。そんな頃、頼子は会社で新入社員の若い青年と恋に落ちる。

 

やがて頼子と緒方は離婚、頼子は家を出ていく。緒方は友人とカフェにいて、頼子らしい女性の姿を追って街に飛び出して映画は終わる。あれよあれよと展開する見事な恋愛劇というか恋愛観の描写のドラマが素晴らしい。これぞ新藤兼人脚本の真骨頂です。面白かった。

 

「愛情の系譜」

てんこ盛りに次々とお話が詰め込まれてくるのですが、結局どれも中途半端になってしまって、不完全燃焼の塊で終わった映画でした。監督は五所平之助

 

主人公藍子は、外人のガイドをして鷺山を見学している場面から映画は始まる。そこへ、鷺を撮影している一人の中年の男性が話しかける。藍子はそんな仕事以外に犯罪を犯した青少年を更生させたりする仕事をしている。その仕事に生き甲斐を感じている。彼女には立花という恋人がいて、結婚直前まで進んでいる。妹の紅子は最近派手な行動が目立ってきて母克代は心配している。しかし、紅子が会っていたのは死んだと聞いていた父だった。今は杉周三という名で、事業を成功させていた。

 

杉周三とは、実は藍子が鷺山で出会った紳士だった。杉は北海道で克代と結婚していたが、確執があり、克代からは離れていった。しかし克代は杉をナイフで刺して怪我を負わせてしまう。その恨みから克代は杉と関わることを嫌っていた。

 

一方、立花は取引先の実業家の娘苑子との縁談が持ち上がり、立花はほぼ結婚を決めているが、はっきり藍子に話せずにいた。そんな時、藍子が面倒を見ていた不良少年が殺人を犯してしまう。藍子にそっけなくされて自暴自棄になったらしい。

 

とまあ次々と物語や事件が繰り返され、結局、藍子は立花を殺そうとガスの元栓を開けるが、すんでのところで閉じて、立花との別れを決心する。一方、克代は満を期して杉の元を訪ねる。藍子は殺人を犯した青年を諭して自首しにいくところで映画は終わる。

 

結局紅子はどうなったの?親しげにやってくる大学生の行方は?とはてなマークだらけのラストシーンとなった。まあ、これも映画ですね。

映画感想「カポネ」

「カポネ」

アル・カポネの晩年の姿を、彼の妄想と幻覚の物語として映像でつづっていくなかなか見ごたえのある作品で楽しめました。監督はジョシュ・トランク

 

一人の男が大邸宅の中をうろついていて、ある部屋で一人の女の子を見つける。女の子は叫び声を上げて逃げると男が追っていく。あちこちから大勢の子供たちが出てきてその男と戯れながら庭に出て遊ぶ。映画はこうして幕を開ける。

 

この男の名はフォンス、かつて暗黒街を牛耳ったアル・カポネの今の姿である。1931年脱税容疑で逮捕されたアル・カポネは獄中で梅毒が悪化、その後出所してフロリダの邸宅で監視下の元過ごしているというテロップが最初に出る。この日感謝祭でフォンスの身内が大勢集まっていた。アルの名前は禁句とされ、みなフォンスと呼んでいた。妻が寄り添っているが、フォンスの病状はみるみる悪化していた。

 

時々、クリーブランドから電話がかかってくる。フォンスの隠し子トニーからだったが、フォンス以外には言葉を発しないのでわからなかった。

 

フォンスは息子たちと過ごす中でも突然失禁してしまったり、ベッドで大便を漏らしたりし、おむつをまかざるを得なくなる。しかし、愛用の葉巻は欠かさず口にしていた。

 

物語はフォンスが見る様々な幻覚とも現実ともつかない映像が描かれていく。それは、ギャング時代の殺戮や仲間内の抗争などの再現でもあった。時に、大金を隠しているという情報があり,FBIのクロフォード捜査官が探りを入れるが、はっきりわからない。彼はフォンスが仮病を使っているのではないかと疑う。

 

病状がさらに悪化し、軽い脳卒中なども起こし、医師は葉巻の代わりにニンジンを咥えさせるが、それに抵抗すら見せない。ところが、突然姿が見えなくなったフォンスは、飾り物の金ぴかのマシンガンを持って現れ、集まった人たちや使用人を滅多撃ちにして殺し始める。しかし、これもまた彼の幻覚だった。

 

やがて再び感謝祭の日が来るクリーブランドからの電話を妻がとり、トニーだろうと話す。そして、感謝祭が終わって皆が帰った後、一人庭に座るフォンスの傍らにトニーが座り、手をつないで映画は終わる。

 

殺戮の限りを尽くした一人の男の晩年の孤独を、シュールな幻覚を描く映像で語っていく物語は切ないほどに物悲しい。現実と幻覚をくっきりと描き分けずに、時にオーバーラップしたかのように映像が重なる演出はなかなかの一本でした。面白かった。

 

映画感想「春江水暖 しゅんこうすいだん」「ジョゼと虎と魚たち」(犬童一心監督版)

「春江水暖」

美しい景色と延々と捉える長回しの中に、変わりゆく中国の時の流れと、一つの家族の物語を静かに淡々と描いていく。抒情詩のような美しいハーモニーに沁み入る感動を覚える一本でした。よかったです。監督はグー・シャオガン。

 

祖母の誕生祝いに長男が経営するレストランでパーティーが開かれている場面から映画は始まります。ところが突然祖母が倒れ、救急車で運ばれる。高血圧による軽い脳卒中だったが、認知症が進み、四人の子供たちはその世話について話し合うことになる。

 

物語は兄弟四人や孫の生活を淡々と描く展開となる。長回しを多用したシーンが連続し、一方で美しい景色が挿入され、ゆったりと流れる映像のリズムが、間近に迫ってくる近代化の波と、人間の本質のドラマが絶妙の緩急で描く様は見事。

 

これという劇的な展開はないものの、素朴すぎるドラマがかえって物語を盛り上げてくるから不思議です。まもなくして祖母が亡くなり、その葬儀の場面で映画は終わっていきます。彼方には立ち並ぶ高層ビルと広がる湾の景色が胸に何かのメッセージを語りかけてきます。

 

ジョゼと虎と魚たち」(犬童一心監督版)

二十年ぶりくらいの再見。やはり素敵な映画でした。細かいセリフの中に散りばめられる厳しい現実、その間に描かれる切ないラブストーリーが絶妙で、主演の池脇千鶴の名演技が、なんとも言えない甘酸っぱさを映し出してくれました。

 

大学生の恒夫が麻雀店でバイトをしている場面から映画は始まる。夜な夜な出没する乳母車を押した老婆の話題になる。たまたま、店長の犬の散歩をしていた恒夫は、坂道を降りてくる乳母車と遭遇、中を見ると包丁を持った少女が乗っていた。押していた老婆に誘われるままに朝食を食べた恒夫は、その少女の足が不自由であることがわかる。彼女はフランソワーズ・サガンの小説のファンで、登場人物の名をとってジョゼと名乗っていた。

 

食事目当てで何度か恒夫はジョゼの家を訪ねるが、所詮、障害者だから構うなという祖母の言葉に足が遠のく。やがて就職活動を始めた恒夫は、会社訪問で、あの祖母が死んだことを知る。恒夫はジョゼの家を訪ね、一人で必死で暮らすジョゼの姿を見る。帰ろうとする恒夫に泣きじゃくって追い縋るジョゼ。彼女は心細かった。恒夫はその日ジョゼと体を合わせる。そして一年が経つ。

 

恒夫は実家の法事に行くことになり、ジョゼを連れていくことにする。二人は一時のアバンチュールを楽しむが二人は、永遠に続かないことを知っていた。そして、魚の泳ぐラブホテルで体を重ねる。

 

帰ってきて、少し経って、恒夫はジョゼの家を去る。迎えにきた彼女と歩いていた恒夫は思わずその場で泣きじゃくってしまう。自分の弱さに情けなくなる恒夫。

 

カットが変わり、電動車椅子に乗るジョゼ、自宅でいつものように料理をするジョゼのシーンで映画は終わる。散りばめられる現実の厳しさを表現するセリフと、犬童一心監督らしいギャグ映像なども満載で、深みのある一時の切ないラブストーリーに涙してしまいます。やはり名作ですね。

映画感想「ある人質 生還までの398日」「ベイビーティース」

「ある人質 生還までの398日」

見応えのある作品なのですが、誰を中心に描きたいのかがぼやけている作品で、主人公はダニエルなのですが、アメリカ人のフォーリーにも割いている演出がどうも全体を甘くしてしまったのは残念です。シリアで一年近く拉致されたデンマークの写真家ダニエル・リューの実話の映画化です。監督はニールス・アプデン・オプレブ。

 

体操のエキシビションでしょうか、デンマークの体操選手たちが軽やかに演技を披露する場面から映画は始まります。そこに主人公ダニエルもいますが、着地に失敗して骨折してしまい、世界大会に行けなくなります。ここから妙にへこんだ主人公を描くのではなく、兼ねてからの夢だった写真家になるべく進み始める、といきなり本編へ入っていきます。

 

写真家の助手になってソマリアに行ったダニエルは、独り立ちした後、地元の庶民の姿を写真に収めようとシリアに向かう。この辺りかなりハイスピードな展開です。地元のシリア自由軍の許可を持った上で、サポーターと同行して撮影していたが、突然、拉致されてしまう。シリア内は様々なグループの乱戦となっていて、不安定になっていたのだ。訳もわからないまま拷問を受けるダニエル。

 

一方、ダニエルの両親は、予定の便で帰ってこないダニエルを心配し、拉致されたと判断し、救出の専門家のアートゥアを雇う。やがて身代金の要求がくるが、とても払えるものではなく、なんとか集めた金で交渉してもらうが、相手は怒って、一気に額を上げてくる。このままでは殺されるだけと判断した両親は、止められていた募金で金を集めることを始める。

 

募金は思いの外集まり、最後の一歩も助け舟が出て、その金でダニエルは約1年ぶりに釈放されて帰ってくる。物語は、同時に拉致されたアメリカ人のジャーナリストフォーリーの話も絡めて描いてくる上に、ダニエルの両親の苦悩にも焦点を当てているので、どこが物語のキーなのかぼやけてしまった上に、最後の最後に、フォーリーが殺された上に、アメリカでの葬儀にシーンとオバマ大統領のテロップで終わるという、何を描きたかったかというエンディングになっています。

まあ、こういう出来事がありましたという勉強に見る作品だった感じです。

 

「ベイビーティース」

昔から何度となく描かれた裕福な家の薄幸の美少女と不良少年との恋物語を現代風の演出と映像で綴る純愛物語です。前半は流石になかなか入り込めなく、どちらかというと反発的に見ていましたが、中盤から後半にかけて物語が透明度を帯びてきて、ラストの詩的なエンディングはとっても良かった。監督はシャノン・マーフィー。

 

一人の女子高生ミラが駅で列車を待っていると、突然彼女を突き飛ばすように一人の青年が、入ってきた列車に飛び込まんかという勢いで登場する。こうして映画は幕を開けます。青年はいかにも不良少年という出立ちのモーゼスという名で、ミラはモーゼスを見つめる中、何かを感じます。モーゼスはミラが鼻血を出しているので介抱してやります。ミラはモーゼスに自分の髪の毛を切ってほしいと頼みます。モーゼスは犬の美容室をする母親の店に忍び込み、ミラの髪の毛をバッサリ切ってしまいます。モーゼスは、自宅を追い出されたので泊めて欲しいと頼みます。

 

ミラの母アナは精神不安定で、精神科の夫ヘンリーの治療を受けています。二人は診察室でSEXをするという場面から二人は登場、どこかおかしいミラの家族の姿が描写されます。一方のモーゼスも家に帰ろうとしても母親らしい人から、邪魔者扱いされてしまい、帰ることもできない。

 

それから間も無くして、ミラはスキンヘッドになってモーゼスの前に現れます。おそらく不治の病、癌なのでしょうが、ミラは自分より少し大人のモーゼスに惹かれていきます。しかし、モーゼスにはミラは最初は興味もありませんでした。しかし、次第にミラのひたむきさに惹かれていくモーゼス。

 

ミラの家の向かいに、妊婦の女性が一人住んでいて、ヘンリーはさりげなく惹かれています。それは、アナが不安定であり、ミラのことも心の重圧になっているからかもしれません。しかし、ミラがモーゼスに惹かれている姿を見るにつけ、ミラの望み通りにしてやりたいという気持ちが大きくなってくる。それはアナも同様でした。

 

アナはかつてはピアニストを目指していたが、ミラが病気になったことで諦めたという過去もあるようです。ミラのバイオリンの先生も時折物語にからんできます。

 

ヘンリーとアナは、モーゼスに、一緒に住んでほしいと頼みます。それはミラの希望を叶えたいと思うためですが、その頃にはモーゼスもミラを離したくないと考え始めていました。そんなミラにプロムに出るためのドレスをアナは買ってきますが、それを試着した時、ミラは胸の下のしこりに気がつき、自分の余命が少ないことを知ります。

 

ヘンリーらはホームパーティーを企画し、モーゼスの家族も、バイオリンの先生も向かいの妊婦も集めます。縁たけなわの時、向かいの妊婦が産気付き、みんなは産婦人科へ。残ったミラとモーゼスはベッドをともにします。ミラはモーゼスに、枕を押し付けて殺してほしいと頼みます。朝までもたないのがわかったのと、痛みで苦しみたくないという理由でした。モーゼスは一度はまくらを押し付けるが、ミラが暴れるので思わず離してしまう。そしてそのまま二人は体を合わせる。

 

夜が明ける、一人外に出たミラは空を仰ぐ。翌朝、ヘンリーとアナは朝食を準備している。モーゼスが起きてくる。ヘンリーはミラに水を持っていこうとして何かを感じて立ち止まる。アナがそのコップを取ってミラの寝室へ、そしてミラの死を知ります。このシーンが実に上手い。暗転後、浜辺でホームパーティーで集まったメンバーが戯れている。ミラは両親の写真を撮って映画は終わっていきます。

 

オーソドックスな物語を、手持ちカメラやテクニカルな映像処理でモダンな画面で再構成した面白さがちょっと斬新で素敵な映画で、最初はいかにもいけすかない不良少年モーゼスが、いつの間にかピュアな若者の笑顔を見せるようになる演出がちょっと素敵です。ただ、妊婦の女性や、バイオリニストの先生は登場人物として必要だったのかは疑問です。好みもあるかもしれませんが、いい映画だったと思います。

 

 

映画感想「藁にもすがる獣たち」「メメント」

「藁にもすがる獣たち」

曽根圭介の原作を韓国で映画化した作品。これは面白かった。若干、無理やり感がないわけではないけれど、先が読めない展開の面白さを堪能できました。韓国映画でなかったらベストワンにするところです。監督はキム・ヨンフン。

 

一人の人間が大きなバッグをホテルのコインロッカーに預けにくる。カットが変わると、このホテルの清掃員ジュンマンはこの日もロッカーをチェックしながら手際よく清掃をしていたが、一つのロッカーが鍵がかかっていて、開けてみると大きなカバンが入っていて大金が入っていた。忘れ物と判断したジュンマンは、うまくいけば自分のものになると遺失物倉庫になおしたふりをして隠してしまう。ジュンマンは妻と認知症の母と生活していた。

 

ここに空港の出入国窓口に勤めるテヨンがいる。彼は恋人の多額の借金に追い立てられる日々を送っていて、この日も、友人でチンピラのデメキンとあてにしている人物の行方を探し金の算段をしていた。そこへソウルからきたと言う刑事が執拗に絡んで来る。間も無く金融業者のパク社長に捕まり執拗に責め立てられる。パク社長にはサイコで異常な殺し屋が一人脇に控えていて脅される。

 

ジュンマンは認知症の母スンジャと妻ヨンソンとの間で嫌になっていて、あの金を使って再出発を計画する。ホテルをクビにされたジュンマンは金を取りに行って自宅に隠す。

 

ここに、DVの夫に苦しめられながら風俗で働くミランがいる。この日、チェンジばかりする若者ジンテに気に入られ彼の相手をするが、ジンテはすっかりミランに惚れてしまい、ミランの夫を殺してやると提案。ところが間違えて別人を車で跳ね飛ばしてしまい、死体を埋めたのはいいが、罪の意識に苦しみ始める。ミランは彼を死体を埋めたところに連れ出し、供養をしたと思わせて落ち着かせるが、一向にまともにならないので、車で轢き殺してしまう。途方に暮れたミランは風俗店の社長ヨンヒに助けを求める。ヨンヒはミランの行ったことを隠蔽するとともに、ミランのDVの夫を巧みに殺し保険金を手に入れれば良いと提案し、風呂場で夫を殺し保険金を手に入れる。ヨンヒとミランはことを成し遂げて、部屋で祝杯をあげ、ヨンヒはミランに自分と同じ刺青を太ももに彫る。しかし、ミランが目覚めると拘束されていて、ヨンヒに殺されバラバラにされてしまう。そしてヨンヒはまんまと金を手に入れる。

 

テヨンがいつものように帰ってくると恋人のヨンヒが来ていた。ヨンヒは彼の恋人だった。ニュースで風俗店の社長ヨンヒが死体で見つかったと流れる。ヨンヒはミランになりすまして海外に出たいと言う。そこへ、かつてヨンヒに絡んで来たソウルから来た刑事が訪ねてくる。テヨンがタバコを買いに出て戻ってみるとヨンヒはその刑事を殺していた。テヨンはヨンヒが手に入れた大金をホテルのロッカーに隠すが、追っていたパク社長から逃げる途中で車に轢かれ死んでしまう。ここの部分がやや記憶が曖昧。

 

そんな時、ジュンマンにホテルの支配人から電話が入る。未払いの給料を払うと言うことだったが、行ってみると刑事に化けたパク社長とヨンヒだった。パク社長らは、ホテルのロッカーに入れたはずに金がどこにいったか目星をつけていたのだ。ジュンマンはシラを切ってその場から逃げ出すが、パク社長らはジュンマンをつけていき、ジュンマンが自宅で金を出したところで部屋に入ってきて金を奪おうとする。そこへ認知症の母スンジャが来て、パク社長らが刑事ではないと叫ぶのでパク社長はジュンマンとスンジャを殴り殺す。しかし背後からヨンヒがパク社長を殺す。一階では脂が煮えたぎっていて、間も無く火災が発生。外で待っていたパク社長の部下の殺し屋が駆け込みなかにジュンマンとその母、パク社長を見つける。殺し屋が去った後、ジュンマンとスンジャハ目を覚ます。死んでいなかった二人は脱出し燃える家を見て途方に暮れる。

 

全てうまく行ったヨンヒは高跳びするべく空港のロッカーに金を入れて手洗いに行くが、そこにパク社長の殺し屋がやってきてヨンヒは殺される。しばらくして空港のトイレの清掃婦が掃除をしているとロッカーの鍵を見つける。なんとその清掃婦はジュンマンの妻ヨンソンだった。ヨンソンはその鍵でロッカーを開けると金が入っていた。それを持っていって映画は終わっていく。

 

お金の持ち主が二転三転するストーリーと時系列を使った凝った構成が見事な一本。振り返ってみればあれはないやろというのもなきにしもあらずですが、韓国映画らしいグロテスクさを逆手にとってぐいぐいと前に進む物語は素直に面白いです。見て損のない映画でした。

 

メメント

時間と空間を引っ掻き回しながら展開するなんとも言えない好き放題の映画で、それはある意味面白く独創的に見えるのですが、昔からあるタイムトラベルものを複雑に構成したと言う感じでもある。一度見ただけではよくわからない典型的な作品ですが、それがこの映画の最大の魅力なのかもしれません。監督はクリストファー・ノーラン

 

一人の男が銃で撃ち殺されるような映像が逆回転して、銃を手に持つ主人公レナードの姿になって映画は幕を開ける。泊まっているモーテルの受付にレナードがいるとテディと言う男がやってきて親しげに話しかける。レナードはすぐにポケットのポラロイド写真を取り出す。テディの写真と、彼の嘘を信じるなと言うコメント。レナードは直前の記憶が消えてしまう病気で、それは妻を犯され殺された時に受けた傷害によるものだと言う。

 

レナードは、ジョン・Gという犯人を追いかけていくのが物語の本編。レナードの仕事は保険の調査員で、かつてサミーという自分と似た症状の男を調査したことがある。その映像もレナードの行動の中に挿入されるが、ここに何か謎があると次第に思い始めます。

 

レナードはナタリーという女性にも会い、言葉を交わす。ナタリーはドッドという男から逃れようとしているらしく、さらに麻薬の取引も物語の中に匂わせてくる。再三登場するテディやレナードが泊まっているモーテルの部屋での謎も繰り返される。

 

モノクロ映像が時間軸通りに展開しカラー映像が逆行してストーリーを追っていくという「テネット」にも通ずる映像表現で、一本の話を描いていく。10分間の記憶しか残せないレナードは、妻をレイプした犯人ジョン・Gを追い詰めていくというモノクロのストーリーにポラロイド写真と刺青に刻まれた記憶の断片が唯一のストーリーのヒントになるのですが、次第にそのヒントが実はレナードの幻想の一部であるかに見えてきます。

 

実はレナードの妻は強盗犯に殺されたのではなく、インシュリン注射をするレナードに殺されたこと。サミーという人物は存在せずレナードのことであること。テディはレナードの事件を扱った刑事で、レナードの復讐劇を黙認していくが、レナードの記憶がすぐになくなることを利用したナタリーという女性が登場して話を複雑にしていることが見えてきます。

 

そしてクライマックス、ジョン・Gを追い詰めたレナードは彼を殺します。ここでモノクロ映像とカラー映像の時系列が一致します。しかしそのあと、テディの写真の裏に、テディの嘘を信じるな、と自ら書いたレナードはジョン・Gの車を盗んで走り出す。そして刺青店の前で急ブレーキをかけ、なんだったかと呟くのですが、要するにレナードの復讐のターゲットをテディにすることで自分の生きる目標に振り返るというエンディングになります。

 

なんとも言えない難解そのものの作品で、この解釈で正しいのか、もっといろんな伏線が張り巡らされているのではないかと自分の記憶をたどりなおそうとしてしまう。まさにクリストファー・ノーランの意図が成就したような悔しい思いに浸る作品でした。

映画感想「あの波の果てまで」(前篇、後篇、完結篇)

「あの波の果てまで」(前篇 後篇 完結篇)千

大ヒットテレビドラマの映画版で岩下志麻を一躍スターにした映画です。まあ、典型的なすれ違いメロドラマという感じで、離れたと思えばまた元の鞘に収まりまた波乱の出来事が起こってはなんとか解決する。これというのもない普通の映画ですね。監督は八木美津雄。

 

東京にいた主人公の千秋が賢島の実家に戻ってくる所から映画は幕をあけます。たまたまバスを降りたところで佐竹という青年と知り合います。賢島で真珠の養殖を行う父庄三は、新興の養殖業者の妨害で危機に瀕していて、なんとか金の工面をするべく奔走していた。千秋は実家の苦境を知り、仕事をするべく東京に行くことにする。そんな彼女に研究所の佐竹という男性を紹介される。やがて千秋は佐竹を恋するようになりますが、一方で佐竹を執拗に追いかける蘭子が、行く先々で佐竹に縋ってきます。

 

実は千秋の実母はかつて水産研究所にいた女性で、千秋を捨てて北海道に行っていた。千秋は実母美奈子を訪ねて北海道に行くが美奈子の態度は冷たかった。

 

一方佐竹も東京から北海道の研究所へ移った。しかし、佐竹はまた東京に戻りさらに沖縄へと旅立っていきます。追いついては再会しては別れるを繰り返す千秋と佐竹。千秋には池尻という一人の青年も近づいてきます。とにかく千秋が美しいので、父庄三がピンチになるたんびに資金を提供してくる男が出てくるけれど、皆千秋が目当てという典型的なドラマが何度も繰り返す。そしてどうしようもなくなった千秋は池尻との結婚を決意するが、自分を許せない千秋は自殺未遂をします。そこから助かって、佐竹と再会して、前篇は終わります。不幸を受け入れようとする主人公、果たせぬ恋に悩む主人公、まさにメロドラマの王道ですね。

 

さて、不幸な女の恋物語の後篇は、池尻と千秋の結婚シーンから始まる。曖昧な返事をしていた千秋の言葉から池尻はどんどん結婚の話を進めてしまい、庄三への池尻の援助のこともあり断りきれず結婚式となった。しかし、池尻は勤め先のチャームスクールの社長と愛人関係があり、その社長の執拗な絡みに辟易としていた。そして、池尻はチャームスクールを辞め、起業する決意をする。

 

池尻と千秋は普通の新婚生活を始めるが、池尻は何かにつけて千秋と佐竹のことが気がかりだった。千秋の周りの友人たちも千秋の境遇を鑑み、何かにつけて助けようとする。佐竹は千秋にきっぱり別れを告げて、実家の九州へ旅立つ。

 

そんな頃、池尻の仕事のパートナーの黒岩が会社の金を持ち逃げし、池尻は窮地に陥る。さらに賢島で庄三も死んでしまう。自暴自棄になった池尻は千秋に当たり散らし、千秋は家を出る決心をする。そして佐竹を追って九州へ行く。佐竹と再会した千秋はこのままうまく行くかと思われたが、東京から弁護士が来る。池尻が黒岩をナイフで刺したのだという。弁護士は池尻のために千秋に戻ってほしいと懇願、困った千秋は佐竹に会い相談するが、佐竹はお互いなんのわだかまりもなく幸せになる日まで待つことにして、千秋を送り出す。こうして後篇は終わります。本当に二転三転していきますね。

 

いよいよ完結篇、次から次と二人の仲を裂こうとする人物が出ては消えの連続で展開していく。池尻の裁判は、千秋の証言で好転、さらに黒岩をかつて使っていたという宮原産業の社長などが突然現れて、有利な展開をし、池尻は執行猶予となる。しかし千秋への想いはかげることなく、千秋と佐竹の行く末は厳しくなる。

 

宮原は千秋とその母を自分の経営する旅館で使うことにする。そんな千秋に執拗に迫る池尻。詐欺を働いた黒岩は何故か無罪放免で宮原の経営するクラブのマネージャーになる。そんな頃、佐竹に女川から観測船に乗る話が舞い込んでくる。一方池尻は離婚を承知せず、千秋にナイフで迫ったりし、自暴自棄になっていく。宮原も千秋に迫ったりするというなんとも言えないエピソードが出てくる。しかし、千秋の実母の説得でようやく離婚を承諾する。

 

その頃、佐竹は女川から船に乗る予定になる。佐竹を追って千秋も女川に向かう。しかしここでも邪魔するキャラクターが登場して、千秋は佐竹に会えない。ところが急遽燃料補給で青森に寄港するという連絡が入り、千秋は青森へ向かうが、なんと台風が直撃して佐竹の乗った船は難破してしまう。

 

千秋は浜辺で途方に暮れる。さらに、佐竹が波に呑み込まれたという情報も聞いて、千秋は汽車に飛び込もうと考えるが駆けつけた美奈子に助けられる。悲嘆に暮れる千秋の前に船の船長が瀕死の重傷でやってきて佐竹は無事だと知らせる。そして船で浜に来た佐竹と千秋はようやく抱き合ってハッピーエンド。

 

宮原や、下宿に女やら、出ては消えていくおじゃまキャラがなんとも微笑ましい上に、しまいには台風って、本当に笑わざるを得ない。しかも無理やりハッピーエンド。これぞ古き良き日本映画ですね。微笑ましくなってしまいました。