くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「三日月とネコ」「劇場版おいしい給食 Road to イカメシ」

「三日月とネコ」

もっと薄っぺらな癒し系の映画かと思っていたら、中盤からあと、どんどん色々考えさせられるほどに深みが加わってくる展開で、いつのまにか、自身を見つめ直している自分を感じてしまいました。映像的な面白さはないのですが、淡々と語られる物語の中に、常識的なものを微かに壊していく心地よい空気感が漂ってきて、自分の今の姿が次第に癒されていくのを実感しました。原作がいいのでしょう、そして脚本も的を射た作りになっているのかなと思いました。監督は上村奈帆。「市子」の脚本を書いた人です。

 

書店員で20年過ごしている45歳独身の灯の姿から映画は幕を開けます。彼女が書いたおすすめのテロップを読んだ女学生が本を買っていくのを自然なことのように見つめる灯。家に戻ると年老いた飼い猫が待っている。ところが食事を始めた途端、地震が襲ってきてそのまま停電、不安なまま、猫を連れてマンションの空き地に出て来る。

 

そこへ、同じく猫を連れた精神科医鹿乃子が声をかけて来る。二人が話していると、アパレル店の店員をしている仁という青年も近づいて来る。彼も猫が大好きで、つい灯と鹿乃子のところにやってきたのだ。停電が回復したが、鹿乃子は、よかったら自分の部屋に来ないかと灯と仁を誘う。鹿乃子の猫はミカヅキという名だった。二匹の猫と三人が余震を経験しながらしばらく過ごす。そして二年が経つ。

 

三人はあれ以来一緒に暮らしていた。灯の飼い猫はすでに亡くなっている。イッセイというハンドルネームの料理サイトを参考に灯が作る料理は絶品で、三人は心地よい時間を過ごしていた。灯の妹は結婚して子供もでき、時々姉の灯に連絡してきたりする。そんな妹の姿を見て灯は自身の不安を感じたりもした。

 

そんな時、灯は料理を巧みに挿入した物語で人気の小説家で人気の網田すみ江のサイン会を企画することになり、すみ江のファンでもあった鹿乃子も招待する。そのイベントの場で、すみ江の編集者長浜一生と出会う。実は灯がいつも見ていた料理サイトの運営者が長浜だったことから二人は急速に親しくなる。そしてイベントの後の食事会で長浜は灯をデートに誘う。その頃、仁は店にきたつぐみという女性に一目惚れしデートを繰り返していた。つぐみが保護猫のボランティアをしていた事もあり、三人は新たに二匹の猫を飼い始める。

 

仁は、なぜかいまひとつつぐみが気持ちを許してくれないような気がしていた。灯と長浜の交際は順調に進み、長浜は両親の実家に灯を呼ぶことになる。すみ江は三人を東京へ呼ぶのだが、仁は仕事、灯は長浜の家に行く予定があり、鹿乃子は一人ですみ江の元へ向かう。いつのまにか鹿乃子は一抹の寂しさを感じ始めていた。

 

一方、仁もつぐみに、自分は人を好きになるという感情が生まれないのだと告白される。まもなくして長浜は灯にプロポーズする。鹿乃子の部屋で、灯はこの家を出ることになるのを告白、仁もつぐみに振られた事もあり大阪への研修でこの地を離れると言う。そこで、三人の生活のお別れ会をしようと、一軒のコテージを借り切ってつぐみ、すみ江らも呼んでパーティをする。このパーティでつぐみは自身の両親のせいもあって、こんな楽しい一時が訪れる事に涙ぐんでしまう。パーティの夜、すみ江は灯に、選択肢は一つだけではないとアドバイスする。実は灯は鹿乃子の部屋を去ることに迷いがあった。翌朝、灯は長浜に何かを告げる。

 

鹿乃子の部屋で、灯はここでの三人の生活を離れたくないと鹿乃子に告白、仁も大阪から戻ったらまたいっしょに生活する事を決めて別れる。一年後、仁が大阪から帰ってきた。お別れパーティをしたコテージにつぐみや長浜、すみ江も集まる。こうして映画は幕を閉じる。

 

決して人生の選択肢は一つではないし、誰もがどこかで孤独を感じている。そんなさりげない不安をじわじわと表現していく展開がとっても気持ちよくて、沈んだ気持ちが癒やされているのを実感するような映画だった。仁の元パートナーの男性や、ちょっとした脇役をもう少し丁寧に使えばさらに奥の深いいい映画になったかもしれません。でも好きな映画です。

 

「劇場版おいしい給食 Road to イカメシ」

マンガチックな演出とコミカルな展開のたわいのないコメディなのですが、シンプルなメッセージに思わず納得してしまう瞬間があって、それでいて素朴な人間同士の心の機微が見え隠れするストーリーに、微笑ましくも涙ぐんで感動してしまう。出来の良し悪しを論ずるのではなく、素直に映画から何かを得てほしい、そんな映画だった。監督は綾部真弥

 

1989年函館、新たにこの地の忍川中学に赴任してきた甘利田幸男先生の姿から映画は幕を開ける。彼は給食が人生で最大の喜びと感じている人物で、早速出された給食に大袈裟なアクションで口に運んでいこうとする。しかし、この教室には彼のライバル的存在の粒来ケンがいた。この日も給食で粒来に自分以上の工夫で食され悔しい思いをしていた。この教室の副担任の比留川愛は甘利田先生に憧れを抱き、熱い視線を送っていた。

 

そんな学校に次期町長選に出馬する等々力が、選挙アピールのため、給食完食モデル校に忍川中学を選定し、今まで和気あいあいととグループで楽しんでいた給食を、机はそのままに授業のように黙って食すようにと口出しして来る。さらに甘利田先生らを会食に誘ったりする。給食のやり方の変更で、当然、生徒たちは精彩を欠いてしまうが、甘利田先生らにはどうする事もできなかった。やがて学芸会が迫り、甘利田先生の台本による劇の稽古も佳境に入ってきた。

 

等々力は、生徒たちと一緒に給食を食べ、テレビの取材を巻き込んで、自身のアピールをしようとする。そこに、昭和初期の給食メニューを取り入れてきたので、甘利田先生も生徒たちも唖然とする。甘利田先生は力づくで完食したが、粒来は、工夫をした上で、みんなでグループで食べようと宣言、等々力の反対を押し切って机を並べ替える。それを阻止しようとした等々力に、甘利田先生は、嫌いなものを無理やり食べさせるのが豊かさではないと反論して、食の進まない等々力にも無理やり給食を食べさせる。

 

学芸会の日、校長は等々力を招待し、甘利田が作ったお芝居を観劇させる。給食での出来事や、お芝居を見る中で何かが変わった等々力は、反省して、楽しく毎日を送ることの大切さを取材人の前で宣言する。やがて終業式の日、甘利田先生が待ちに待ったイカメシが給食に出る。粒来は例によって工夫した食べ方をするが、甘利田先生は粒来を敵視するのではなく、友情として捉えるようになっていた。

 

終業式の会場で、突然比留川先生が沖縄に転任すると発表される。職員室で、比留川先生は甘利田先生に、先生のおかげで今回の決断ができたと言い、甘利田先生も比留川先生を快く送り出す。甘利田先生に、中学校の同窓会の知らせが来ていたが、一旦は会場へ出かけたものの、黙って帰りかける。そこへ、かつての給食ライバルの生徒が待っていて、再会を楽しみにしていると告げる。

 

二年生の始業式の朝、甘利田先生は登校途中でローラースケートを履く粒来に会い、粒来にローラースケートを貸してもらってふざける姿で映画は終わる。

 

本当にたわいのないドタバタコメディなのですが、給食、さらに食べると言うこと、さらに人それぞれの好き嫌いについてまで掘り下げていく作劇の面白さはなかなかのもので、テレビレベルと言えばそれまでながら、心に残る何かを感じられたいい映画だった。。

 

 

映画感想「好人好日」

「好人好日」

たわいのないホームドラマなのですが、これだけの芸達者が軽快なテンポでセリフを応酬していくととにかく楽しい。シーンやエピソードの組み立てもコミカルで心地よく、終始笑いが絶えない場内はまさに映画全盛期の日本に放り込まれたかのようなノスタルジーを感じてしまいます。面白かったです。監督は渋谷実

 

数学の大学教授等と妻節子の娘登紀子が、奈良の大仏の前で、恋する佐竹竜二と結婚することを報告している場面から映画は幕を開ける。布団に入る時も背広を脱がず、大のコーヒー好きで数学のことしか頭にない偏屈な等、そして貧乏生活をじっと支えている妻節子の所に、竜二の母美津子から、登紀子との見合いの話を詰めにやってくる、

 

すでに登紀子と竜二は恋仲なので、あとは形式的にまとめればいいのだが、竜二の家は由緒ある奈良の墨屋で、祖母のお徳が何かとうるさい。そんな祖母をうまく言いくるめながら分家の主人たちとの関係を四苦八苦して取りまとめていく美津子。竜二は等に気に入られようと羊羹を持っていったりテレビを持っていったりするが、変わり者の等を頑固ジジイなどと言ったりしてしまう。

 

等は海外の大学からの招聘も断るほどの変わり者だった。竜二の祖母は一見昔気質だが、実は竜二の事をちゃんとわかっている今どきのおばあちゃんだった。そんなある日、等が文化勲章を授与されることになり、節子と東京へ向かう。そして学生時代に過ごした下宿に泊まるが、そこで泥棒に勲章を盗まれてしまう。そんな事も気にかけない等が奈良に戻ってくるとマスコミが押しかけていた。さらに祝賀会が次々と計画され、等は逃げ出してしまう。

 

そんな等だが、登紀子の事は気にかけていた。実は登紀子は等と節子の実の娘ではなかった。それを気にする登紀子に、等は、登紀子は実は戦災孤児だった事を明かす。まもなくして、この日、登紀子の花嫁衣装を見繕っていた。そして結婚の日取りもまとまってきた頃、一人の男が等の家に訪ねてくる。なんと、勲章を盗んだ泥棒だった。勲章を返し、これを機会に泥棒をやめるという手紙を等に渡す。そんな泥棒に等は、汽車賃と礼金を渡すのだった。式を楽しみに待つ登紀子と竜二が若草山に登って映画は幕を閉じる。

 

唐突なエンディングだが、淡々とコミカルなセリフが繰り返される展開が本当にテンポが良く、大量生産している風が見えなくもない荒っぽさもあるものの、娯楽映画として仕上がっている。これが映画全盛期の力量だなあと思うと嬉しくなってしまいました。

 

 

映画感想「バティモン5望まれざる者」「ブレインウォッシュ セックス-カメラ-パワー」

「バティモン5 望まれざる者」

移民が正義でフランス人側が悪であるのではなく公平な視点で徹底的に描かれた見事なドラマで、所々に挿入される事件のエピソードが娯楽生を生み出して観客を飽きさせない作劇のうまさもあるなかなかの秀作。ただ、テーマは実に重いので、ぐったりすることも確かです。監督はラジ・リ。

 

俯瞰で捉えるカメラが次第に移民街バティモン5の一角に収束していって映画は幕を開ける。タイトルの後、この日、一棟の移民街の巨大な集合住宅の一棟が取り壊されようとしていて、市長がカウントダウンと共にスイッチを入れると、背後の建物が破壊され、崩れ落ちる。しかし、その瞬間、爆風と土煙がイベント会場まで迫り、一方市長は突然心臓麻痺でその場に倒れる。救急搬送される中、市長は亡くなり、副市長のロジェは、次の市長に小児科医のピエールを推薦、与党のバックアップもあり、ピエールは市長となる。

 

ここに移民居住区支援団体の会長で、市役所職員でもあるアビーは、祖母の葬儀に自宅に戻る。狭い廊下と階段を祖母の棺が降りていく描写で、この建物の老朽化を見せつける。アビーにはブラズという恋人がいてバイクでデートをするが、ブラズはすぐに切れる性格だった。ブラズの父は移民街で気のいい男で、中古車の修理などを路上でしていた。

 

市長となったピエールの元には、移民たちから昼夜を問わず嘆願が繰り返され、そっけなく答えると嫌がらせをされる日々にうんざりして、一方自身の政治への理想もあって、移民居住区バティモン5の早期治安回復と取り壊し立て替えの事業を進めるべく、未成年の夜間外出禁止や、路上での違法仕事の撤去などを強行的に進めていく。その中で、ブラズの父やブラズも一時警察に捕まったりする。

 

居住区の人と親しいロジェは強行的な市長の施作に抗議するも受け入れられなかった。度重なる強硬策に、アビーは自ら市長に立候補すると表明し、選挙活動を開始する。そんな時、共同住宅内で違法に食堂をしていた部屋が火事になる。それを機会にピエールは、倒壊の危険があると強制的に住民を追い出す行動に出る。アビーやブラズも家具なども持ち出せないままに追い出され、ホームレスのようになる。

 

それがイブの日だったこともあり、以前からキレやすかったブラズは、市長の家に押しかけ、家族を脅した上、家に火をつけるとガソリンを撒く。たまたまそのパーティにいたアビーの同僚のアニエスがアビーに連絡をする。

 

そこへ、市長とロジェが帰ってくる。ブラズが二人に襲いかかるが、すんでのところでアビーが駆けつけ、ブラズを落ち着かせてその場を去る。ブラズは自分のバイクにアビーを誘うが、アビーは後退りし、ブラズの元を離れる。アビーは一人、強制退去させられた共同住宅を眺めている映像で映画は終わる。

 

ドローンを使った大胆なカメラワークと共同住宅内の狭い廊下のシーンの対比が見事な上に、次々と事件が持ち上がる物語構成も上手い。そんな中で、必ずしも市長の行動が悪であるようには見えず、あくまで職務の理想を求める直向きさも描いている。対する移民側が必ずしも正義であるようにも見えないリアリティが実によく描かれている。大人の映画というのはこういうのをいうのだろう。見事でした。

 

「ブレインウォッシュ セックス-カメラ-パワー」

とにかく長く感じた。伝えたいメッセージが見えなくもないのだけれど、知識人による上から目線的な見下げた感が強くて、理解するには自分のレベルが追いつかなかった気がします。監督はニナ・メンケス。

 

ヒッチコックの「めまい」の音楽に乗せて、映画というメディアが、いかに男性の眼差しで描かれているのかを検証していくニナ・メンケスの映画学校の生徒に対する講義的な映像で展開していく。名だたる名作のみならず、ホラー映画やB級映画なども交え、女性を映し出した画面の数々が、あくまで男性の女性に対する日常の視点を代弁しているかの解説が延々と続くのですが、今一つ説得力がなく、説明のテロップからも、評論家や、関係者のコメントからも、伝わる何物も見えない。それは自分が男性であるせいなのかどうかはともかく、もう少し、一般観客に訴える何かを感じられたら面白かった気がします。

映画感想「関心領域」

「関心領域」

固唾を飲んで最初から最後までのめり込んでしまうほどの恐ろしい映画だった。物語の恐怖だけではなくて、映画の作りの恐ろしさも兼ねる。画面に何が映っているのか、何を写しているのか、セリフに散りばめられたものは何か、それを一つ一つ確認するのではなく映像全体の中で感じ取る。そして、これから何が起こるのかという恐怖で締めくくるラストシーンは背筋が寒くなるほどに怖い。ホラーを超えた史実としての恐怖を体験してしまいます。これが映画の最終形態かもしれません。監督はジョナサン・グレイザー

 

暗闇に聞こえる何やらの音、それが延々と続いた後、メインタイトル。そしてそのタイトルがゆっくりとフェードアウトして、のどかな河原で微笑ましいくらいに平和な家族の姿で映画は幕を開ける。ルドルフ・ヘスの家族はこの日、妻や子供たちと河原に遊びにきていた。ひとときをしごして自宅に帰る家族。車の中では兄弟喧嘩の声がさりげなく聞こえる。夜、自宅に戻った家族は普通の一夜を迎える。

 

夜が明けると、ルドルフの誕生日らしく、家族はカヌーをプレゼントする。家のすぐ隣には沢山の棟の建物が並んでいて、かなたに時折汽車の煙が流れる。建物はアウシュヴィッツ収容所である。そのすぐ隣に、収容所の司令官であるルドルフの大邸宅があった。プールがあり、温室があり、草花が咲き乱れ、飼い犬が走り回っても十分な広さと、大勢の使用人がいた。映画は、この家族の日常を淡々と描いていく。

 

近くの川にルドルフと子供達がカヌーで出かける。ルドルフは川に入って釣りをしていたが、何かが流れてきたのを見つけて慌てて子供達を川から出し、カヌーで帰路につき、家で子供たちの体を丹念に洗い流す。ルドルフは幼い娘にヘンゼルとグレーテルの話をベッドでしてやるが、そのシーンに被って、深夜、蛍光で光るようなモノクロ映像で一人の少女が袋に詰めたリンゴらしきものを土のようなところに埋めている。後に、このリンゴを何かの穴に放り込み、翌朝、収容所内で何かのトラブルが起こった声がし、ルドルフの息子が、しなければ良かったのにと呟いたりする。

 

リンゴを撒いていた少女は深夜ルドルフの家に帰ってくるところから、おそらく使用人の一人なのだろう。しかもユダヤ人らしい。深夜、ユダヤ語のお祈りが聞こえる下りなどもある。

 

この邸宅にルドルフの妻が実家の母を住まわせるようにするが、母は、外で日光浴をしていて突然咳き込み、慌てて家の中に入る。塀の向こうでは何やら煙が上がっている。間も無くして、母は娘に書き置きをして忽然と姿を消してしまう。そんな頃、ルドルフに栄転の話がくる。妻は、こののどかで大きな家は幼い頃から描いていた夢の実現だからとルドルフと一緒に行くのを拒否、自分たちはこのままここに住めるようにヒトラーに嘆願してほしいとさえ言う。

 

収容所を統括する役職に昇進したルドルフは職務に励み、やがてヒムラーから、ハンガリーから大量のユダヤ人を輸送するにあたり、ルドルフを再度アウシュヴィッツに転任させることになると告げられる。ヒムラーはルドルフが部屋を出た後副官に、「まさか全員を殺す事はないだろう」と呟く。ルドルフは嬉々として妻にその報告をし、「ヘス作戦」と名付けられたと自慢し、「君もヘスだ」と妻に話す。

 

歓迎のパーティが行われるが、ルドルフはそのパーティ会場を見下ろすところから、ここの人間全員を抹殺する方法を考えたりすると心の中で呟く。そしてゆっくりと階段を降りていくが、途中で嘔吐を繰り返す。ふと暗闇の彼方を見ると、穴の向こう、カメラは現代のアウシュヴィッツの資料館の中、清掃をする職員の姿、展示されている様々な物が写し出される。

 

カメラが再びルドルフの元に戻り、ゆっくりと暗闇の中に消えて暗転、暗闇の中、効果音のような音楽が流れ映画は終わる。これから起こることの恐ろしさが一気に襲いかかってくる暗転後の暗闇が見ている私たちを叩きのめしてくれます。

 

これから起こることを描かず、その前段階を徹底的な静の映像で淡々と語る筆致の凄さに圧倒されてしまいます。決してドラマティックな物語は一切出てこないのに、この恐怖は何だろうと思うと、映像表現の底知れない奥の深さを実感します。圧巻の一本だった。

映画感想「喜劇駅前弁当」「ソイレント・グリーン」(デジタルリマスター版)「祝日」

「喜劇駅前弁当」

楽しい映画だった。たわいないお話なのですが、芸達者な喜劇陣の巧みな、しかも機関銃のようなアドリブ演技の応酬から、大物俳優をすっと挿入してラストを締めくくる組み立ての妙味が絶妙。日本映画黄金期の娯楽映画とはいえ、見終わって面白かったと劇場をでられる心地よい映画でした。監督は久松静児

 

東京から三時間、大阪から四時間で着く浜松の駅、地元の鰻弁当で有名な互笑亭の弁当を売る織機屋の金太郎とストリップ小屋の主人孫作の姿から映画は幕を開ける。二人は互笑亭の女主人で、夫を亡くした景子をこよなく慕い、この日も、弁当屋の手伝いに出ていた。景子には弟の次郎がいたがオートレースにはまっていて店を手伝おうとしない。そんな互笑亭に大阪から倉持という男が、事業の話をもってやってくる。

 

映画は、金太郎と孫作の軽快などたばた喜劇の合間に、景子が倉持から持ちかけられる話、さらには再婚話、次郎の恋人とのラブロマンスなどが交錯して賑やかに展開していく。そんな時、景子の夫の大学時代の親友で景子の元カレで実業家の村井が浜松に立ち寄る。たまたま、村井は倉持を見かけ、彼が詐欺師だと景子に忠信したことから村井と景子の恋が再燃。

 

そんな頃台風がこの地を襲い、駅で立ち往生した列車の客に弁当を準備することになり、次郎も大活躍。そして次郎は付き合っていた娘と結婚して店を継ぐことを景子に告白して景子を自由にすることにする。金太郎や孫作の落胆をよそに、村井と一緒になることになった景子が東京へ旅立ち、二人を見送る金太郎と孫作の姿で映画は終わる。

 

シンプルな人情ドラマですが、さすがにこれだけ芸達者を揃えると、演出が何もしなくてもそれなりに回っていく。そして終盤だけピリッと引き締めて映画をまとめた久松静児の力量を目の当たりにする映画でした。楽しかった。

 

「ソイレント・グリーン」サイモソン、ソーン刑事

スクリーンで見直したのは40年ぶりくらいか、ーほとんどのシーンを覚えていた。この映画の舞台となった2022年はすでに過ぎて、さすがに時代の矛盾が見えるので、当時の衝撃は無くなったものに、スピーディな展開とメッセージをストレートに訴えかけてくる手腕は見事な一本でした。監督はリチャード・フライシャー

 

2022年ニューヨーク、人口爆発と自然破壊の結果、ー人類は価値手の自然な食糧は一部の富豪が独占し、一般市民は毎週火曜日に配給されるソイレント・グリーンという海洋プランクトンから作られた食料で日々を凌いでいる。ここに、ソイレント社の重役であるサイモンソンは、家具と呼ばれる伴侶の女性シャーンをダグというボディガードをつけて買い物に出す。その頃、何やらバールのような武器を手にした男がサイモンソンの部屋に押し入ってきて、抵抗もしないサイモンソンを殴り殺してしまう。

 

大富豪の殺人事件ということでソーン刑事が捜査することになる。ソーン刑事はソルと呼ばれる本という役割の知識人と一緒に暮らし、本と呼ばれるソルはソーン刑事の依頼でさまざまな過去の文献を調べて協力していた。ソーン刑事はサイモンソンの殺害現場に行き、酒や石鹸、リンゴなどをくすねて、シャーンに優しい言葉をかける。物としてしか扱われないシャーンはソーン刑事の言葉に心が揺れ始める。

 

ソーン刑事は、サイモンソンがソイレント社の役員だったことを突き止め、納得の上で殺されたことから、ー彼が最後に会った教会のパオロに会いにいく。サイモソンが何を告白するために出かけたのだが、一方で上層部から操作の打ち切りが告げられる。納得いかないソーン刑事はサインしなかったため。命を狙われ始める。しかも上司のハッチャーとタグはグルだった。

 

ソルは、ソーン刑事が持ち帰った食べ物を食し、サイモソンの事件の調査を進めるが、その過程でソイレント社の謎を知ってしまう。そして全てに絶望したソルはホームへ行くことを決意する。ホームとは、安楽死を行い施設だった。そこへ行ったことを知ったソーン刑事は慌てて施設に行くが間に合わず、ソルは美しい景色の中死んでいく。多田、最後にソルは、交換所へ行けとソーン刑事にヒントを与える。

 

ソーン刑事は、死体を搬送する車に忍び込み、死体処理工場へ潜入、そこで、死体がソイレント・グリーンに変わる真実を目撃してしまう。すでに海洋プランクトンは死滅していたのだ。ソーン刑事は、工場を脱出するが追ってきたダグの銃弾を浴びてしまう。駆けつけた上司のハッチャーが、ソーン刑事を搬送させるが、ソーン刑事は搬送される単価の中で「ソイレント・グリーンは人間だ」と叫んで映画は終わる。

 

悲劇的な結末が衝撃の一本で、シンプルなストーリー展開と、サスペンスフルな面白さも兼ね備えていて、やっぱり名作だなと思います。

 

「祝日」

辛辣な出だしをファンタジーで覆い尽くしていく展開がちょっと面白い映画だった。画面作りや、ロケーション舞台にもこだわった演出は上手いし、ラストに向かってじわじわと心に沁みる暖かさが見えてくる展開も素敵。小品ながら、ちょっと好きな映画だった。監督は伊林侑香

 

一人の少女希穂が、首を吊っている父の姿を見つけたところから映画は幕を開ける。どうやら職場で濡れ衣を着せられたような説明と、その後希穂の母は新興宗教にはまった末、結局希穂を捨てて出ていき、生活費だけポストに入れるようになった。この日、希穂はいつものように学校へ行くが祝日で休みだった。希穂は一人屋上に登り飛び降りようとするが、天使だと名乗る女性が現れ、「明日のほうがいいよ」と声をかける。

 

天使という女性は鼻血を出していた。しかも、体を手に入れたら翌日には死んでしまうのだという。その天使が馬場チョップをしてみたいと言って希穂とふざけたことから、天使のことを馬場さんと呼ぶことになる。二人は喫茶店に入り、ロコモコを頼むが、普段プリンと野菜ジュースだけの希穂は食べなかった。お金を払おうとしたら80円足りず、店員の女性は、その80円を建て替える代わりに最近習っている社交ダンスを見せる。

 

希穂らが外に出ると、蟻を踏み殺してしまったのでと謝っている小学生の女の子と出会う。さらに、散らかったトランプを拾い集めているマジシャンに出会う。彼は、幼い娘と逸れてしまい、マジシャンの格好をしていたら気がつくかと探しているのだという。公園に来た希穂の所に、クラスメートの女の子が塾帰りだと声をかけてくる。馬場さんは泥人形で雪だるまを作っている。

 

橋を渡っていると、パントマイムをしている青年とすれ違う。希穂の家にやってきた馬場ちゃんだが、お腹が空いたから麻婆豆腐を食べようということになり外に出る。そして中華屋さんに着くが、そこの主人は店を開けられないのだという。しかも、妻と娘を事故で亡くし、それ以来喪服を着ているのだという。主人は希穂らのために麻婆豆腐を作ってやる。希穂が食べ終えると、主人は、娘の天使が、喪服を脱ぐようにうるさいので脱ぐことにしたという。

 

主人は喪服を海岸で燃やすというので、希穂らも一緒に行く。やがて夜が明け、希穂らは主人と別れ学校へ向かう。途中、マジシャンが蟻を殺した小学生にマジックを見せていた。マジシャンがトランプを散らかしたので、希穂らが拾い始めると、カフェの女性がやって来る。マジシャンはその女性が自分の娘だとわかる。そこへ希穂のクラスメートが小学生のところに駆け寄る。自分の妹なのだという。マジシャンは、今度もっとマジックを上手になるからと娘と去っていく。

 

希穂と馬場さんは学校にやってきたが、いつのまにか馬場さんは消えていた。屋上に上がった希穂は、屋上の端に立ち、飛び降りずに後ろにひっくり返り、映画は終わる。

 

不思議なお話を、さりげなくいろんな人物を登場させて、主人公が前向きになる再生のドラマとして描いていく脚本がとっても上手い。大傑作ではないけれど、みて良かったなあという映画だった。

映画感想「瞼の転校生」

「瞼の転校生」

何気ない話なのに、とってもテンポが良くて、しかも登場人物みんな気持ちがいいほどに素直で良い人。目の演技が、子役に至るまで素晴らしくて、決してシーンごとにだれることがない。友達に勧められなければ見にいっていない一本だったので、掘り出し物に出会った感じで、とっても良いひと時を過ごせました。監督は藤田直哉

 

一ヶ月ごとに転校を繰り返す悠貴は、この日やってきた街で、いつものように転入の手続きにやってくる所から映画は幕を開ける。悠貴の父は大衆演劇の座長で、一ヶ月ごとに次の公演へ移動するのでその度に悠貴は転校していて友達もいなかった。舞台の稽古があるのでいつも早退する悠貴に担任の先生は、不登校のクラスメート建へのこと付けを頼む。

 

帰り道という理由だけで頼まれた悠貴は建の家で連絡帳を手渡す。悠貴はいつものように舞台に立つが、悠貴の劇団の昔からのご贔屓の婦人が座長に、自分の娘浅香が地下アイドルをやっているのだが見にいくのは憚られるので偵察して欲しいと頼む。座長は悠貴に、そのアイドルの舞台を見てくるように指示する。

 

悠貴が浅香の所属するアイドルグループパティファイブのステージを見にいくと、なんと建も来ていた。建は浅香の大ファンだった。これがきっかけで悠貴は建と急速に親しくなる。その様子が気になった建の元カノの茉耶は、強引に悠貴について行き建と再会する。そして三人は事あるごとに過ごすようになり、悠貴が大衆演劇の役者だと知った茉耶は舞台を見にくるようになる。そんな姿に座長は、このまま悠貴を役者として育てることに疑問を抱き始める。しかし、悠貴はこの劇団が家族のようで大好きだった。まもなくして、浅香もこの劇団でしばらく暮らすようになる。

 

一ヶ月が経ち、劇団もこの地での最後の舞台が迫ってきた。劇団に浅香がいることを知らない建を誘い出すべく、茉耶は浅香を連れて建の家に行き、悠貴の最後の舞台を見にいこいと誘う。そしてその客席には浅香の母の姿もあった。やがて開演、悠貴の急な申し出で、両親を知らない建のために「瞼の母」を最後の演目にしていた。そして、お芝居の後の舞踏ショーでは、パティファイブの曲に合わせて浅香と悠貴が踊る。

 

悠貴の転校の日、茉耶も早退して、建と一緒に搬出を手伝う。最後に浅香は、もうしばらく劇団にいたいと座長に強引に迫る。悠貴は、きっとまた戻ってくるからと建と茉耶に約束し車に乗って去っていく。こうして映画は終わる。

 

悠貴を演じた松藤史恩他、役者陣の目の演技が実にいい。おそらく演出の指示が徹底されているのだろうが、そんな些細な気配りが映画をとっても引き締まったものにし、軽快な流れで展開するストーリーと面倒な人物描写を廃して素直な登場人物として描いたキャラクター作りも相まってとっても良い映画に仕上がっていました。小品ながら、見逃したくない一本でした。

映画感想「ハピネス」「家出レスラー」

「ハピネス」

原作の嶽本野ばらのファンタジックで浮世離れした空気感が今一つ物足りなく、時折不可思議な面白さが出るのですが、脇役の配置ミスか、すぐにリアルな現実に引き戻されて平凡なお涙頂戴映画になる瞬間がちょっと目立ちすぎたのが寂しかった。橋本愛のキャラクターが今ひとつ生きていないし、みんな芸達者なのだが、方向性が違う気がしました。監督は篠原哲雄

 

ロリータファッションに身を包んだ少女由茉の横顔のアップから映画は幕を開ける。「あと一週間で私は死んでしまいます」と言う言葉に向かいに座っていた彼氏の雪夫が唖然とする。あと一週間しか命がないので、ロリータさんになることを決意したと言う由茉のあどけない仕草が、雪夫をと惑わせながらも次第に会話が繰り返されていく。心臓に欠陥があり、今になって急速に悪化し、手術も不可能で、あと一週間から10日の命だと宣言されたと言う。

 

由茉は完璧なロリータさんになり、残された人生を精一杯生きようとする。実は雪夫の姉月子もロリータさんだった。由茉はカレーが大好きで、雪夫と出会った時もカレー、何かあり度にカレーを食べていた。雪夫は何とか手術の方法はないのかなどと調べるも、人が死ぬのは宝くじで3千円が当たるのと同程度の確率なのだと笑う由茉だった。

 

雪夫の両親は海外に行っていて、雪夫は一人で生活していた。そんな雪夫の家に由茉はお泊まりに行きたいと言い、由茉の両親はあっさりと承諾する。そんな姿にかえって切なさを感じる雪夫だった。由茉がお泊まりにくる日、家を出て生活している雪夫の姉月子が戻ってくるが、由茉と雪夫のことを知り黙って出ていく。

 

由茉は最後の夢である、ロリータファッションの聖地、大阪にあるブランド店本店に行き、日本一贅沢なカレーを食べたいと雪夫を誘う。明日は死んでしまうのではないかと雪夫は苦しくて一度は断るが、二人が出会った奇跡を大切にしたく、由茉と大阪に行く。そして憧れのブランドの本店に行き、帰りに日本一のカレーを食べ、由茉はもう一晩雪夫の家にお泊まりしたいと両親に電話をする。雪夫の家に向かうバスの中で由茉は苦しむが、しばらくして落ち着き、雪夫の家のベッドに転がり込んで寝てしまう。雪夫は由茉を抱きしめ、夜が明けると由茉は冷たくなっていた。

 

由茉の両親は由茉が生前言っていた、ピンクの派手な骨壷を用意し、ピンクと赤の花で彩った祭壇を組み葬儀を終える。何か形見が欲しければと言う由茉の両親の言葉に、雪夫はカレーの鍋が欲しいと言う。自宅で一人カレーを食べる雪夫の姿で映画は幕を閉じる。

 

とにかく橋本愛以外の脇役があまり生きていなくて、ある種のファンタジックな色合いの中に、切ない悲恋ドラマを盛り込んだと言う作りが今ひとつわくわく感じられなかった。嶽本野ばら原作の映画「下妻物語」と言う傑作があるゆえつい比べてしまうが、ちょっと物足りなかった感が強い映画でした。

 

「家出レスラー」

人気女子プロレスラー岩谷麻優の半生を描いたドラマ。前半は、素人脚本、素人演技、素人演出で、帰りたくなるような稚拙な映画だったが、中盤を超えて終盤に入るといつの間にか画面をしっかり見ている自分がいました。決して出来の良い映画ではなく、どちらかと言うと出来の悪い作品ですが、不思議な魅力のある映画でした。監督はヨリコジュン。

 

2007年、主人公マユは高校の帰り痴漢に襲われそうになり泥だらけで家に帰るが、母はまともにマユのことに目を向けてくれず、以来彼女は引きこもってしまう。そして引きこもりから2年が経った頃、兄がプロレスの試合を見ていて、それを見たマユが興味を持ったのを見てチケットを手に入れてくれる。そして兄と二人で出かけたプロレスの試合でマユはすっかりプロレスにハマってしまう。

 

たまたま、女子プロレスもあるというのをネットで知ったマユは6000円のお金だけ持って家を飛び出す。そして駆け込んだのはスターダムという、新䂓女子プロ団体のオーディションだった。体力もなく、運動経験もないマユは最初から置いていかれるが、最後の面接で、ひたすら自分を訴えたのが功を奏して、スターダム第1期生として入団することになる。

 

最初は、ろくに稽古もせず、ひたすら負けるばかりで、それが彼女の魅力のようになっていくが、同僚が試合中に傷害事件を起こし、団体が危機に陥るに際し、マユは一念発起し、チャンピオンを目指すべく猛特訓を始める。そして去った仲間も帰ってきて、スターダムは一気に人気が回復、一部のメンバーはアメリカの団体から声がかかる。マユにも声がかかるが彼女はスターダムに残り、やがてアイコン的なレスラーになっていって、やがて地元山口に戻ってきて母に再会、映画は終わる。

 

同僚のレスラーが誰が誰か全く区別がつかない上に、それぞれの人間ドラマは全く描かれないというか描けていない演出は実に素人っぽいが、軽トラに跳ね飛ばされる冒頭シーンとラストシーンの繰り返しや、マユが怪我をして不戦勝になったレスラーがマユのグッズをリング上で宣伝する下りなど胸が暖かくなります。もうちょっと思い切った映画にしても良いかったかもしれませんが、まあ、私なりに見て損のないレベルでした。