くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「アンダードッグ 前編」「アンダードッグ 後編」

「アンダードッグ 前後編」

ガチの硬派な映画ですが、かなり良かった。四時間以上あるのに退屈せずに引き込まれていきます。なんといってもクライマックスのボクシング練習から試合のシーンが圧倒されます。森山未來北村匠海の役者根性にも拍手の傑作でした。監督は武正晴

 

かつて日本タイトルマッチに出場した末永のファイトシーンから、一発のパンチに倒れる場面、そして、いまやデリヘルの運転手をしながらいまだにボクシングでの返り咲きを目指し、一方、咬ませ犬として、試合の出るも負けるだけのようなことをして過ごしていた。

 

深夜にジムで末永が練習をしていると一人の若いボクサーが飛び込んできて話しかけてくる。彼は大村と言って児童養護施設出身という過去を持ちその時才能を認められてプロボクシングを目指していた。また、末永はいつも送り迎えしているデリヘル嬢の明美と懇ろになっていく。明美は半身不随の客田淵のお気に入りになる。

 

ここに大物俳優の二世でお笑い芸人をしながらも泣かず飛ばずでもがいている宮木は、プロボクシングに挑戦する番組の企画に参加するとことになり、ジムに通いはじめるが、周りは誰も相手にしていなかった。しかし宮木はここで何かを見つけたいと必死に練習。そんな姿にジムの先輩が宮木を教え始める。

 

やがて、末永に宮木の相手としてのエキシビションマッチの仕事が来る。適当に流せばいいだけの娯楽試合だったが、直前に八百長を依頼される。この試合の前座で大村のプロデビュー戦も行われることになる。八百長依頼に適当に流した末永らだったが、いざ試合が始まると死に物狂いで向かってくる宮木に次第に末永は圧倒され、しまいにはパンチを喰らってダウンしてしまう。

 

さらに、倒しても倒しても向かってくる宮木との試合は泥試合のようになり、最終ラウンドまで戦い、末永には非難が集中、宮木には絶賛の声が会場埋める。こうしてボロボロになった末永、芸能界を引退する宮木の場面で前半が終了する。

 

後半、末永は別居している妻に離婚を申し出られる。一人息子の太郎は、先日の無様な試合で父に落胆していた。一方、たまたま末永が深夜ジムに自分の道具を取りに行き、そこに大村がやってくる。父親の虐待から逃げてきた明美の娘を末永が保護していてそこに田淵の車に乗った明美がやってくる。そこで田淵は、かつて自分を半殺しにして半身不随にした不良グループのリーダー大村を見つける。こうして物語は後編へ進む。

 

大村の妻が出産し赤ん坊を産む。公園で三人遊んでいる時、大村をつけてきた田淵が襲いかかる。その時の怪我で片目を損傷した大村は次にダメージを受けたら失明すると宣告される。大村は最後の試合に末永を指名する。

 

大村はかつて、児童施設にいる時、ボクシングを教えにきていた末永にパンチを貰い、それがきっかけで不良グループを抜けボクシングを始め、末永を目標にしていたのだ。

 

一方、デリヘル店がヤクザ組織に搾取され、潰れかけていた。そこに末永がいるとき、明美から連絡が入る。明美が夫の暴力に耐えかね、娘を突き落としたのだ。末永は瀕死の娘を病院に連れていくが虐待の跡があるため警察が明美を逮捕しに来る。そんな明美に、待っているから結婚しようと末永はいう。そんな頃、デリヘル店の店長で末永の幼馴染の男はヤクザの店に殴り込んで半殺しにされてしまう。

 

末永は大村との試合をうけることにし、二人は練習を始める。そして、知人が見守る中二人の試合は始まる。激戦に次ぐ激戦の中最終の8ラウンドまでボロボロになって殴り合う二人。抱き合う二人に最後のゴングが鳴る。

 

映画はここで終わるが、試合シーンの迫力は半端ではない。男同士のぶつかり合いがそのまま映画のドラマとなって最後を一気に盛り上げていく。すばらしいラストシーンに自然と涙が溢れて胸が熱くなりました。後半、若干フラッシュバックの多用が気になりましたが、いい映画でした。

 

 

 

映画感想「佐々木、イン、マイマイン」「バナナパラダイス」

「佐々木、イン、マイマイン」

散らかったジグソーパズルのピースの一つ一つを映像に変換しながら、それぞれを繋いでいく作業を見ている私たちが頭の中で行っていく、そんなどこか懐かしい青春を思い出すようなちょっといい映画でした。切ないけれど、といって登場人物と同じ青春を送ったわけではないけれど、でも何か共通するものが見える。この感覚はなんだろう。監督は内山拓也。

 

散らかったへや、1人の青年がこれから向かう舞台、草履のまま乗り込んでいる足元、そして、ある部屋で主人公悠二が目を覚ます。傍らには同棲している友達ユキが眠っていて、昨日はどうだったと聞く悠二。役者を目指すが今ひとつ売れて来ず、バイトをしながら生活する悠二。ある時、バイト先で高校時代の友達多田と再会する。そして一晩飲み明かし別れる。

 

映画は、仲の良かった悠二、多田、佐々木、木村の高校時代の映像と現代を巧みなピースで繰り返し描きながら、ラストシーンへ向かっていく。周りが囃し立てるとすぐに全裸になって盛り上がる佐々木。何かにつけて悠二に役者になれという。父と二人暮らしの佐々木だが父はほとんど家にいない。悠二はおばあちゃんと暮らしているようである。木村は、クラスメイトの灯のことが好きだと悠二に話す。まもなくして佐々木の父は死んでしまう。

 

ユキはこの冬に部屋を出ていくといっている。そんなある日、悠二は佐々木から電話をもらう。行ってみれば、佐々木はパチンコ屋で遊んでいた。いや、佐々木が言うにはパチプロなのだと言う。佐々木の今の友達が佐々木のところにやってくる。佐々木はカラオケ店で、ヒトカラしていた前村に一目惚れして声をかける。

 

そんなこんなで四人の過去と現代が描かれていく。ある夜、ユキが酔っ払って帰ってきたので、つい悠二は抱こうとするが、ユキはそのまま眠ってしまう。その深夜、前村という女性が佐々木の携帯を使って悠二に電話してくる。佐々木が死んだという。そしてみんなを待ってるという。

 

佐々木の家に行くと、多田たちも集まっていた。悠二は家に入っていく。冒頭の散らかった部屋だ。葬儀に向かう悠二の草履のシーンも冒頭の場面だ。佐々木は癌だったのだという前村の説明を受ける。近くの旅館に泊まった悠二とユキだが、悠二は多田や木村の車に乗り込み、木村の家で朝を迎える。木村は灯と結婚していて子供もいた。

 

そして、葬儀の場に向かう悠二。出棺の車が出る。悠二たちが追いかける。突然車が止まり、中から全裸の佐々木が出てくる。昔みたいに囃し立てる悠二たちの場面で映画は終わる。ラストは幻覚なのだろうが、何か過ぎ去った青春が一気に湧き上がるバイタリティがあります。こういう若々しい映画に久しぶりに出会いました。良かった、良かったです。

 

「バナナパラダイス」

台湾の歴史を背景にして描く壮大な人間ドラマが、ある意味軽妙な展開で微笑ましくもバイタリティあふれる展開で綴られていく。とっても心に残る名編でした。良かった。監督はワン・トン。

 

1948年中国北部、八路軍と戦う国民軍にいて、何事にも要領の良いダーションはこの日も塩を手に入れていた。たまたまやってきた兵士が、まもなくして台湾に移るという知らせを聞く。ダーションは何事にも要領の悪い弟メンシュアンとこの軍に入っていた。

 

やがて二人は台湾へ移動するが、そこでスパイ容疑をかけられる。ダーションは捕まり、メンシュアンはうまく逃げる。そしてその途上で、ユエシャンとリーの夫婦に出会う。しかし、リーはまもなくして死んでしまい、ユエシャンは赤ん坊のヤオハイと途方に暮れる。行き場もなくメンシュアンは彼女と夫婦のふりをして生活を始める。

 

仕事を探すのに、リーが大卒だったので、リーになりすますが、外語学科卒だったリーの卒業証明書から、学歴のないメンシュアンは苦労する。しかし機転のきくユエシャンの計らいでなんとか毎日を送っていた。たまたま、ダーションの居場所がわかったメンシュアンらは、ダーションの住む村にやってくる。ところがダーションは、拷問のせいか頭がおかしくなっていた。

 

こうして、メンシュアンとユエシャン、ダーション、ヤオハイらの生活が続く。メンシュアンは公務員の資格が取れ、家族で台北に移住することになる。そこでも、学歴のないメンシュアンは苦労するがなんとか毎日を過ごす。やがて蒋介石も亡くなり、台湾の新たな時代へと変化していく。

 

ここから一気に時間が流れ、今やヤオハイも結婚し、メンシュアンも管理職になっていたが、名前はリーのままだった。孫も生まれ順風満帆の毎日だったが、ヤオハイが香港で、父親の本当の両親を勝手に探し、台湾のメンシュアンに電話してくる。

 

困ったメンシュアンはユエシャンにリーの両親のことをあらかじめ聞こうとするが、なんとユエシャンも偽物だった。不良に乱暴されていたユエシャンは通りかかったリーに助けられ、まもなくしてリーの本妻が亡くなり、悲嘆に暮れるリーに恩返しとして子供を育てる決意をしたのだという。

 

メンシュアンとユエシャンは腹を括って香港からのリーの父と話をするが、いつのまにかメンシュアンは本当の父のように涙ぐみ、母が亡くなったことを聞いて号泣する。こうして映画は終わっていく。

 

微笑ましいとはいえ、こういうことがあの時代の混乱期にはたくさんあったのかも知れず、それをモチーフにした台湾の歴史を描く展開はある意味、胸に迫る感動をもたらしてくれました。最初はどういう話なのかと戸惑いましたが、みるみる引き込まれていき、二時間半近くある長尺ながら時間を忘れてしまいました。いい映画でした。

映画感想「THE CAVE サッカー少年救出までの18日間」

「THE CAVE サッカー少年救出までの18日間」

もう少し適当な映画かと思っていたら、意外にしっかり、手際良く作られた良質の作品でした。ラストまで退屈しない映像、ストーリー演出はうまい。監督はトム・ウォーラー。

 

タイの少年サッカーチームが練習している場面から映画は始まり、いきなりコーチ主導で洞窟へ向かう。ところがまもなく豪雨が襲い、洞窟の中は水浸しとなり、少年たちは脱出できなくなる。なんで洞窟に行ったのかというのは全然描かずにいきなりピンチになって本編へ。

 

洞窟内は何箇所か完全に水没し、全員の無事は確認できたものの救出する手段は困難を極めることがわかる。地元の軍隊を中心にするが、近隣から洞窟ダイバーたちも集まってくる。しかし、さまざまな手続きで遅々として進まない。この辺りはどこの国も同じ事情である。

 

洞窟の前で作戦を練る救出部隊と神頼みで儀式を始める場面などを巧みに交差させ、やがて、救出手段が決まる。難航する中、イギリスの洞窟ダイバージムにも声がかかる。

 

世界中から集まったダイバーたちによる救出で、全員無事救出され映画は終わる。だらけた演出を排除して、丁寧に史実を描いていったことと、手際良い編集で退屈させない演出も良かった。

映画感想「水上のフライト」「泣く子はいねぇが」

「水上のフライト」

よくある話なのでと全く期待していなかったが、これがとっても良かった。ストーリー展開のリズムが爽やかで清々しいし、クライマックスの超望遠を使った人物と背景のボケ具合の映像表現が素晴らしい。監督は兼重淳ですが、この人の作品にハズレがない。多分映像リズムのセンスがいいのでしょう。見て良かったです。

 

体育大学で走り高跳びの花形選手でもある藤堂遥はこの日もベスト記録を出していた。しかし常にトップを目指すことに固執する彼女には周りは見えていなかった。この日学校の帰り雨になり、母に迎えを頼むが仕事で来れないという返事に駆け足で帰る途中、車にはねられ下半身不随になってしまう。

 

車椅子生活を余儀なくされたが、子供の頃カヌーをやっていたことで、母はカヌー教室をしている宮本に連絡を取り遙を外に連れ出してもらう。最初は拒否していた遙だが、次第に持ち前の勝ち気な性格からカヌーにハマっていく。そんな彼女に宮本はパラリンピックを目指そうと提案する。

 

周囲の人々に支えられ本格的に競技カヌーの練習を始める遙。そして選手権の日がやってくる。パラカヌーの第一人者朝比奈麗香には敵わなかったものの見事に二位でゴールインする。

 

よくある物語だが、ありきたりのあざとい演出は一切排除し、あるようでなかったさりげない細かい演出が散りばめられ、クライマックス、人物が浮き上がるように背景を完全に飛ばした超望遠のカメラ映像が素晴らしく、未来を確信して前に進み始めた主人公遙の輝くばかりの画面が最高。何気ない話だが勇気付けられている自分を感じてしまいました。

 

「泣く子はいねぇが」

なんとも独りよがりな映画だった。物語の行き末は作り手だけが知っているという演出で、全く観客に表現していくという形ではないために、ひたすら主人公が卑屈になってどうしようもないままに突き進む後ろ向きな映画にしか見えなかった。監督は佐藤快麿。

 

秋田県男鹿、なまはげの伝統を守る街が舞台となる。ここに一人の青年たすくに娘凪が生まれるところから物語は始まるが、いきなり妻ことねから離婚を言い出されている。どうやらたすくは酒癖が悪く夜遅く帰る日々が続いているようで愛想を尽かされたようであるが、どうもこのことねが我慢弱いようにしか見えない。

 

この日、なまはげになって回る夜だが、ことねはたすくに行かないで欲しいと頼む。しかし、付き合いもあり、早めに帰るからと出かけたたすくだが、つい酒を飲み、面をつけたまま全裸になって歩き回ってしまい、たまたま取材していたテレビに映ってしまう。そして2年が経つ。

 

地元に居づらくなり東京へやってきたたすくは、それなりに都会で暮らしていた。幼馴染の志波が訪ねてきて、ことねの父が亡くなったこと、ことねがキャバクラで働いていることなどを伝える。たすくは、男鹿に戻ってくるが兄や周囲の人たちは彼を受け入れない。ただ、母だけが彼を暖かく迎える。

 

たすくはことねへの想いが立ちきれなかったが、ことねは再婚を決意していた。なんとかもう一度やり直したい、凪にも会いたいたすくだが、ことねは受け入れない。たすくは勝手に凪のお遊戯会の場に行くも結局凪を見つけられなかった。

 

なまはげの夜が来る。たすくは自前の面を作り、志波に手伝ってもらい、凪に一目会うためにことねの再婚先へ行く。そしてことねの新しい夫に抱かれる凪に「泣く子はいねえかぁ」と迫って映画は終わる。

 

結局、たった一度の過ちで村八分にされた一人の男がうじうじとやり直そうともがく姿をひたすら描いた映画に仕上がっている。なんともめんどくさい作品だった。

映画感想「THE CROSSING 香港と大陸をまたぐ少女」「家なき子 希望の歌声」(実写版)

「THE CROSSING 香港と大陸をまたぐ少女」

これと言ってずば抜けている作品でもなかった。お話が平凡だし映像も秀でていない。主演の女の子が可愛らしいからもったようなものという感じでした。監督はバイ・シュエ。

 

女子高生のペイと友達のジョーが遅刻でとびこんでくるところから映画ははじまる。二人はクリスマスに札幌の行くのを夢見てお金を貯めていた。ペイは中国の深圳から香港に越境通学していて母は香港で麻雀ばかりしている。父は中国で別の家庭を持っていた。ペイは頻繁に中国と香港を行き来していた。

 

ある時、船上パーティでジョーとペイはハオという青年と知り合う。間も無くハオはジョーと付き合い始めるが、たまたま、ペイが税関で一人の青年から密輸したiPhoneを預けられる。そして預けられたスマホを取りに来たのはハオだった。ハオはそんな携帯電話の密輸をしていて、お金の必要なペイは仲間に入れて欲しいとボスであるホアに頼む。

 

こうして、携帯の密輸に関わるペイだが、次第にハオと仲が良くなってくる。ホアの信頼を得てきたペイは、ホアからさらに稼ぎの良い拳銃を運んでみないかと持ち掛けられるが、ハオは絶対しないようにとペイに訴える。

 

ハオはホアを通さずにペイと携帯を密輸する計画を立て、ペイは体にスマホを巻いて中国に入る。ところがようやく取引先の男の家まで辿り着いたが、どこで察知したかホアらがきていた。万事休すと思われた時警察が突入し逮捕される。

 

ペイは保護観察処分となり、ジョーとも疎遠になる。かつてハオと来た香港を見下ろす山に母を連れていく。映画はこうして終わっていく。

 

逮捕される件がちょっとご都合主義的に見えるし、親友のジョーの家庭背景がいまひとつ見えない上に、疎遠になったまま姿を消してしまうしホアらの犯罪組織の闇がもう少し掘り下げてもよかったのではないかとも思います。もう一歩練り足りないそこかしこに穴がある脚本という感じです。まあ普通の映画でした。

 

家なき子 希望の歌声」

非常にオーソドックスに描いていく文芸作品という仕上がりですがいかんせん演出センスが弱いのと脚本のできが今ひとつなので、もう一歩秀作になり損ねた感じの映画でした。監督はアントワーヌ・ブロシエ。

 

主人公レミという老人が子供たちに自分の過去を語る所からオープニング、そしてフランスの片田舎で暮らすレミ少年の姿から物語は始まる。貧しい家庭で、夫からの金の催促に応えられない妻の不甲斐なさが描かれ、やむに止まれずレミを孤児院へ連れていくことにする。実はレミは捨て子だった。唯一、豪華な産着だけが彼の出生を示すものだった。

 

孤児院に連れていく途中、旅芸人のヴィタリスがレミを買い受けることになり、レミは旅芸人として街を出ていく。このヴィタリスはかつては世界的に有名なバイオリニストだったが、名声だけを追い求めていたため妻と息子を死なせてしまった過去があった。ヴィタリスはレミの歌声にその才能を見出し、レミを一流の音楽家に育てることにする。

 

旅の途中で、ある貴族に気に入られ、その家の車椅子の少女リーズとレミは親しくなる。しかし、音楽の才能を伸ばすべくヴィタリスはレミを連れて旅に出る。しかしある町で逮捕されヴィタリスは二ヶ月収監され、その時に結核をうつされてしまう。

 

出てきたヴィタリスはレミとともに旅を続けるが、リーズにかつて話した、自分は捨て子で、産着だけが彼の素性を示すものだという言葉にリーズの母が多方面で調べて、とうとうレミの両親がロンドンにいることを突き止める。

 

ようやく辿り着いたものの、今では家は寂れていて、財産を狙う叔父たちの巣窟になっていた。とりあえず、レミはその家に引き取られたが、あわや殺されるというところでヴィタリスが駆けつけ、本当の母の居場所を聞き出し吹雪の中向かう。しかし教えられたところは朽ち果てた教会で、やがてヴィタリスは寒さの中で息を引き取る。しかし、近くに住んでいた貴族の女性が助けに駆けつけレミは助けられる。そしてその女性こそレミの本当の母だった。

 

映画は冒頭のシーンに戻り、レミは子供達に語り終えて朝が来る。レミは音楽家で成功したことを示す写真が写され、傍らにはリーズの姿があり、ヴィタリス孤児院になっているカットで映画は終わる。

 

ホテルでのヴィタリスの演奏シーンも今ひとつ作品に貢献していないし、終盤のロンドンの場面から実に雑な展開になってしまい、ここまでの流れをぶち壊した感じです。演出センスのなさと脚本構成の弱さゆえ原作の格調を描ききれなかったという仕上がりでした。

映画感想「シラノ・ド・ベルジュラックに会いたい!」「Mank マンク」「ホモ・サピエンスの涙」

シラノ・ド・ベルジュラックに会いたい!」

テンポが良い映像と軽妙なセリフの応酬はまさに舞台シラノ・ド・ベルジュラックの世界という感じで楽しくてほんのり感動させるいい映画でした。監督はアレクシス・ミシャリク。

 

大女優サラ・ベルナーの舞台から映画は幕を開ける。戯曲を描いたのはエドモンドで、この日、客の反応は最低だった。そんなエドモンドは大俳優コンスタンの申し出で喜劇を描くことになるが、なんのネタもない。その頃、友達のレオがジャンヌという女性に恋焦がれていて、そのラブレターをエドモンドが代筆することになる。

 

巡業で遠くに行った舞台衣装担当のジャンヌにエドモンドがレオに代わって書いたラブレターが届く。エドモンドはそのラブレターこそが次の戯曲にぴったりだと、たまたまカフェの黒人の主人の提案を受けてシラノ・ド・ベルジュラックを主人公に戯曲を描き始める。

 

わがままな大女優マリアや借金だらけの大俳優コンスタンらを従えて、三週間後の初日を目指して必死で戯曲作成は進む。傑作舞台劇シラノ・ド・ベルジュラック完成までの秘話を映画用に脚色されているだろうがさまざまな実在の人物を交えて描く様が楽しい。

 

前半は細かいカットのつなぎでテンポよく目まぐるしく描き、上演シーンは流麗なカメラワークで延々と描写する演出が美しく、背後のコミカルな展開としんみり感動させるラブストーリーとの配分も絶妙で、かすかにシラノ・ド・ベルジュラックの物語をなぞっているのもいい。爽やかに感動できる一本でした。

 

「Mank マンク」

Netflix配信映画の一本です。長く感じる作品でした。小さい画面なら耐えられるのだがスクリーンサイズになると長く感じてしまった。暗転を繰り返し過去のシーンを回想しながら現代の主人公を描く演出は面白いのですが画面が重すぎます。でも面白かった。「市民ケーン」の脚本を描いたハーマン・J・マンキーウィッツの半生のドラマです。監督はデビッド・フィンチャー

 

ハーマン=マンクがある建物に担ぎ込まれる。少し前に自動車事故で骨折をしたのだが、RKOに呼ばれたオーソン・ウェルズから全面的に脚本の依頼を受けたためだ。マンクに付き添う看護婦とともにアルコール依存症の中執筆が始まる。映画は、執筆する現代と少し前の時代が描かれ、ハリウッドに巣食う魑魅魍魎やカリフォルニア州知事選に絡む光と影が描かれていく。

 

マンクが取り扱ったのは新聞王ハーストをモチーフにした物語で、以前からマンクの後援者でもあったハーストの影の部分を扱った脚本に、マンクの弟や周囲からの非難が垣間見えてくる。酒に溺れながらも溺れる瞬間に生み出される辛辣な物語はやがて完成しオーソン・ウェルズのもとへ送られ絶賛される。

 

ハーストの主催する晩餐会で悪態をついてハーストに追い出された過去や、ハーストの愛人でもあるマリオンへの想い、家族友人たちの盛衰、そしてハリウッドという巨人の時の流れに翻弄される姿を見てきたマンクは、当初の契約ではマンクの名はクレジットしないということだったが、オーソン・ウェルズが訪ねてきた時にクレジットを要求する。それは、彼が今後ハリウッドで仕事ができないことを意味するだけでなく、彼がこれまで目の当たりにしたハリウッドに対する反感でもあったかもしれない。

 

やがて映画は完成し、傑作だと絶賛されるがアカデミー賞で多数の部門でノミネートされるも脚本賞だけにとどまる。「それがハリウッドだ」というオーソン・ウェルズの言葉に象徴されるように、これこそハリウッドなのだ。そして、なぜオーソン・ウェルズと共同脚本となっているのかというマンクへの問いにも、「それが映画だ」と答える。これがアメリカ映画社会なのです。モノクロ画面なのですが、妙に暗いのは意図的なのかどうか不明ですが、やはり配信ドラマの域は超えなかった。

 

ホモ・サピエンスの涙」

よくわからない映画でしたが、一つ一つのエピソードの計算された画面を楽しむ映画なんだろうと思いながら見ました。監督はロイ・アンダーソン

 

空を飛んでいる恋人たちのカットからタイトル。そして、33のエピソードがほんの短いワンシーンワンカットで次々と描かれていきます。時間も場所も時代も違う様々なシチュエーションが織りなす映像はまるで万華鏡のように人類の微笑ましい瞬間として見えてくるから不思議です。

解説によれば不器用なまでの人類の悲しみ喜びを綴った作品だということです。映像を楽しむ映画でした。

映画感想「ばるぼら」「ルクス・エテルナ 永遠の光」

ばるぼら

原作があるのでなんとも言えないけれど、キャラクターがそれぞれ生きていないし、物語の筋立てが今ひとつ見えてこない。不思議な話なのだが不思議感が漂ってこないのが残念。二階堂ふみの演技だけが光る一本でした。監督は手塚眞

 

都会の遠景から映画は幕を開ける。売れっ子作家だった美倉洋介だが、次の作品に苦悩している。地下道で薄汚く横たわる一人の女を洋介が拾って家に連れて帰る。彼女の名はばるぼら、何者かもわからないが何故か彼女を見ていると筆が進む洋介。

 

その夜は追い返したが、洋介がマネキンを抱いたりしていると突然現れ洋介を助ける。さらに、婚約者の父に呼ばれた席で女に誘惑されるも実は飼い犬で、それをばるぼらが助ける。やがて洋介とばるぼらは生活をともに体を合わせ愛し合っていく。そして、ばるぼらに連れて行かれるままに不気味な店で母と会い、彼女と結婚を誓う。

 

そんな洋介を婚約者の女は妨害しようとし、洋介とばるぼらの結婚式に警察を乗り込ませる。裏切られたと思ったばるぼらの母は洋介からばるぼらを遠ざけるが、どうしてもばるぼらとやりなおしたい洋介はある日ばるぼらと再会、彼女を連れて逃避行に出る。しかし、逃亡先でたまたまばるぼらは石で頭を撃ち死んでしまう。小屋の中で全裸のばるぼらと交わる洋介。映画は壊れていく洋介を映し、都会の掃き溜めだというナレーションとともにばるぼらのカットで終わっていく。

 

シュールなジャンプカットはまさに手塚眞の映画だと思うのですが、途中で出てくる洋介の周りの人物の存在が物語を引き立てて行かないのが残念。ばるぼらの母の不気味さも弱いし、メリハリに欠ける作品だった。

 

「ルクス・エテルナ 永遠の光」

なるほどという作品で、混沌としていく撮影現場が狂気に包まれていく様を光の点滅で描き切ったちょっとした中編でした。監督はギャスパー・ノエ

 

魔女裁判の映画を監督するベアトリスと主演のシャーロットが雑談している場面から映画は始まる。ふたつの画面で対峙させ、右に左に字幕が飛ぶのに近れる。

 

やがて、撮影準備が整い二人はスタジオへ向かうが、アメリカから来た自意識過剰の男がシャーロットに自分の次回作を売り込んだり、ベアトリスの父がジャーナリスト気取りで近づいたり、代役の女優が服装が合わないと喚いていたり、撮影監督が文句を言っていたり、画面をスプリットでくぎりながら英語やフランス語が入り乱れ、時間の緊迫感が高まる。さらにシャーロットが娘に電話したら、学校で悪戯されたと聞く。

 

そんなこんなでクライマックスの火刑のシーンの撮影がスタート。リハの時は成功した背景の雲の映像が突然ダウンして原色の光の点滅に変わってしまう。しかも、いつまでも治らず、それでも撮影監督は撮り続け、ベアトリスは中止を叫ぶ。そのうち、はりつけられているシャーロットも叫び始めるが縛られた縄をはずしてもらえず、狂気に変わる撮影監督の叫び声が続く。

 

さすがに映像のテンポはうまいと思うし、緊張感が高まっていく脚本もうまい。ラストの点滅はやりすぎの気もするが映像作品としては楽しめました。