くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「サッドティー」

「サッドティー

今泉ワールド満載のとっても楽しい作品でした。人を好きにあるということを徹底的に淡々と描いていくリズム感が素敵で、さりげない展開が続くだけなのですが、いつの間にかどんどん引き込まれてしまいます。この監督の作品に傑作とか秀作とか名作とかいう言葉は全く当てはまらない。その空気感が最高なのです。監督は今泉力哉

 

画面が始まると、ある公園、一人の青年が競歩の練習を始める。カットが変わると、あるカフェ、バイトの棚子のアップ、そしてが映画始まる。暇で誰も客が来ない。店長のボンさんに「好きです」と告白する棚子。ボンさんは実は結婚していて、家に帰って妻に告白されたというと、何故か妻は怒る。それがよくわからず、翌日、棚子はボンさんに退職しますと封書を渡すが、どうやらラブレターらしく。別の日、冒頭と同じカットから画面が始まり、ボンさんの勧めで早めに帰ることにした棚子は客で映画の脚本を書いている柏木のところへ行く。

 

場面が変わる。柏木には緑と夕子という二人の彼女がいて、この日緑の部屋で一夜を明かして夕子の部屋に帰ってくる。夕子はネイルサロンに勤めていて、店長の夏はまもなく結婚を控えている。夏のフィアンセは夏に暴力を振るうようだが夏はそれは好きだという証だと受け入れている。夏が友達と飲みにいくというと、それならこの部屋に呼べと彼氏は命令口調。夏は友達の園子、緑を呼ぶ。

 

ここに早稲田という青年が古着屋で女物の服を探している。気に入ったのが見つかり店員がそれを自ら着てくれて、こんな感じだという。その店員は掛け持ちバイトをしている棚子だった。早稲田は彼女である園子の誕生日プレゼントに服を買ったのだが、園子に、古着屋の店員に一目惚れしたから別れようと言い出す。園子は実は柏木のことが好きだったが、彼女がいるからと身を引いた。

 

園子の友人夏の結婚祝いのビデオレターを柏木に編集してもらいに行った早稲田は、二股で平然と女性と付き合う柏木を非難する。ある日、柏木の親友の朝日が部屋に泊めてほしいとやってくる。朝日は十年以上も一人のアイドルのことを思っていて、彼女が最後に、アイドルを辞める決意をした浜辺に花束を届けるのを自分のイベントにしていたのだ。しかし、朝日が来た夜、柏木は緑の部屋にいた。仕方なく夕子に朝日を迎えにやらせ、夕子の部屋に泊まらせる。夕子と朝日は軽く飲みながら夜遅くまで楽しく過ごす。

 

翌朝、夕子の部屋に帰ってきた柏木だが、朝日の姿がないと夕子が言う。柏木は近くの公園にいるからと夕子を連れて行くと、なんと

競歩の練習をしていた。そして朝日は、目的の海岸まで競歩で行くからと、夕子の部屋を後にする。柏木は、二股していることの疑問を感じ、緑と別れる決心をして、緑に部屋に行くが、そこに緑の同級生の町田という男性がいた。柏木は別れようと言うが、緑は健気に返答するので結局別れられず夕子の部屋に帰ってくる。しかしそんな柏木に夕子は別れようという。

 

冒頭のカフェ、棚子は柏木に、今日、純粋な愛のシーンを観れるからと朝日がいく海岸へ一緒に行こうと誘う。一方ネイルサロンでは、夕子が柏木の友人が海岸で、十年間思い続けている元アイドルと会いに行くのだという。それを聞いた夏は、それは朝日という男性ではないかと聞く。実は夏は十年前にアイドルをしていて、それ以来自分のファンが一人いて、ある海岸で会うことになっているのだという。

 

こうして、棚子の車に柏木と早稲田が乗り海岸へ。夕子の車に夏と園子が乗って海岸へ向かう。海岸に着いて、早稲田は棚子が古着屋の店員だと気づき告白するが、振られてしまう。柏木は車の中で寝たまま。落ち込んで車の外に出た早稲田の前に別の車で来た園子がやってくる。

 

まもなくして花束を持って競歩でやってくる朝日。夕子と夏、園子と早稲田、棚子が見つめる中、朝日は「長い間あなた=アイドル、が好きでしたが、別に好きな人ができたのでこれは最後です」と言って花束を投げる。実は夏は十年以上も自分を慕ってくれた朝日に丁寧な言葉と感謝の気持ちを届けようと手紙まで準備していたのだ。夏は朝日の投げた花束を拾い、朝日に殴りかかる。棚子は、眠っている柏木を起こし、「好きになるってどういうこと何だろう」と離れていく。緑は寝ている柏木に「別れ話の後色々考えたので、また会って話したい」と電話をする。こうして映画は終わっていく。

 

背後に流れる音楽を効果的に消したり入れたりしながら、映像も含めてリズムを作りながら淡々と描いていく、男と女の好きというテーマ。本当に今泉力哉監督作品は独特の色があってとっても素敵ですね。京都の出町座まで見に行った甲斐がありました。

映画感想「ラブ・セカンド・サイト はじまりは初恋のおわりから」「ジェントルメン」「ローグ」

「ラブ・セカンド・サイト はじまりは初恋のおわりから」

よくある話で、それほど期待していなかったのですが、意外に素敵なファンタジーラブストーリーでした。映画全体が一つのメロディになって流れていく心地よさに酔いしれてしまいます。脇役をもうちょっと効果的に使えばもっといい映画になったかもしれませんが、ヒロインのオリヴィアを演じたジョセフィーヌ・ジャピがとってもキュートで素敵だったので映画が上品に仕上がりました。監督はユーゴ・ジェラン

 

映画が始まると、雪が深々と降るセーヌ河畔、何やらボディスーツの男が追われている。いかにもSF的な映像から、目を覚ます一人の高校生ラファエル。彼はSF小説を書いていた。彼はSF作家を目指している。放課後帰ろうとすると校舎の屋根裏部屋からピアノの音が聞こえてきて、行ってみるとそこには一人の女性オリヴィアがいた。ラファエルはオリヴィアに一目惚れし、警備員に見つかったので学校から逃げるが、近くのベンチで二人とも気を失う。その偶然から二人は一気に恋に落ちていく。

 

タイトルが流れ音楽が奏でる中、二人の恋の物語が描かれていき、やがて結婚、ラファエルはSF作家として成功したが、オリヴィアは普通のピアニストとなって二人の生活が描かれてタイトルが終わる。このオープニングが素晴らしい。

 

多忙を極めるラファエルはいつの間にかオリヴィアのことを顧みなくなる。ラファエルはベストセラーシリーズのラストを書き上げ、ヒロインの命をたつというエンディングにする。その最後を描いた夜、二人は大喧嘩し、ラファエルはひとりバーで飲んで深夜に戻る。夜が明けると二日酔いで頭が痛いと疼くラファエルは迎えにきた親友のフェリックスのバイクで講演予定の中学校へ。ところが何かがおかしい。道を走るバスにはオリヴィアの写真が貼られていて、ピアニストとして大成功したかの宣伝。ラファエルは、出待ちでオリヴィアに会うが、オリヴィアは彼のことを知らなかった。ラファエルは別世界に飛ばされたのだ。

 

家に帰り、自分やオリヴィアのことを調べると自分はしがない中学教師で、オリヴィアは有名なピアニストだとわかる。ラファエルは親友のフェリックスに相談するが信じてもらえない。しかし、上手だった卓球が下手くそになっていることで、半信半疑にラファエルのことを信じたフェリックスは、もう一度オリヴィアと恋に落ちたら戻れるのではないかと考える。そして、自伝作家のふりをしてオリヴィアに近づいたラファエルだが、彼女にはマルクという恋人がいた。

 

ラファエルは、オリヴィアの祖母の施設に行く。祖母はラファエルのことを知ってるかのように振る舞ったが、本心からはわからない。そこへオリヴィアがやってきて、ラファエルは自伝を書かないかと誘って、再度オリヴィアと親しくなろうとする。オリヴィアは、よくわからないままに、次第にラファエルに惹かれ始め、自分の別荘に招待し二人きりの週末を過ごす。

 

二人は愛し合い、翌朝、ラファエルは元に戻ったのではないかと目覚めるもなんの変化もなかった。意気消沈し、フェリックスに当たったりするが、フェリックスは、密かに想いを抱いている女性がいて、投函していないたくさんのラブレターを持っていた。ラファエルは、オリヴィアの祖母の元を訪れ、祖母の言葉に決意し、さらに中学校の授業で生徒の一言にヒントをもらったラファエルは、以前書いた小説のラストがヒロインの死で終わらせたのが原因だと思い、ラストを書き直して、オリヴィアに読ませるべくコンサート会場へいく。しかし時を同じくして、オリヴィアはマルクからプロポーズされていた。

 

オリヴィアが、その原稿を読み始めると、深々と雪が降り始める。オリヴィアの祖母の席で演奏を聞くラファエルだが、初めて会ったときの曲が流れてくるとたまらなくなり、オリヴィアに楽屋へ行き、原稿を回収し、オリヴィアと会ったことは幸せだったという言葉を残して去る。演奏の終わったオリヴィアは本当に愛しているのはラファエルだと気づき、ラファエルのところに駆けつけて映画は終わる。

 

元の世界に戻るというよくあるラストではなく、今の二人として再出発するラストの処理がとってもいいし、深々と降る雪を効果的に使ったり、音楽センスがいいのか、ピアノ曲とポピュラー曲を巧みに組み合わせた映像のリズムがとっても心地いい。脇役をもう少し効果的に使えばもっと素敵になった気がするけれど、全体がメロディを使って一つに綺麗にまとまった仕上がりが、本当にファンタジックに仕上がった気がします。傑作とは行かないまでも、ちょっとした佳作という感じの素敵な映画でした。

 

「ジェントルメン」

これは久しぶりのヒット、面白かった。相手の裏をかいてはかかれるを繰り返し二転三転のストーリー展開は、少々やり過ぎの気もあるものの、どんどん引き込まれていく上に、人物関係も綺麗に整理されているのがいい。全体がふざけた空気感満載のコミカルで軽い展開、ちょっとグロい場面もあるものの、笑い飛ばしていく勢いも良い。楽しい映画でした。監督はガイ・リッチー

 

あるバーに一人の男が入ってくる。ボスと声をかけるマスター。テーブルに座り妻に電話をするこの男の背後に男の影、次の瞬間銃声と共にグラスが赤く染まる。こうして映画は始まる。ロンドン下町の大麻薬王マイケル・ミッキーが引退するという噂が流れ、町中の悪達が暗躍し始める。

 

カットが変わると東洋人ドライ・アイが、何やら交渉をしている。農場を譲れとマイケルに交渉しているようである。一方、マイケルの大麻の農場に押し入る若者たちの姿、まんまと盗み出そうとすると、次々と農場の厳つい男が現れてくる。とあるドラッグストアにやってきたコーチの前にチンピラらしい若者がやってくる。しかしコーチに一瞬でやられてしまう。

 

ローラという少女が失踪、どうやら素行の悪い若者らと一緒にいるらしいから救い出してほしいという依頼があり、それを引き受けたのが麻薬王のマイケル。彼は右腕のレイにローラを救い出すように依頼する。レイはローラを救い出しにいき、その時一人の若者を屋上から落下させてしまう。その落下した死体をスマホで撮りまくる若者たちを追いかけてスマホを奪うレイたちのドタバタ劇。こうして、舞台設定の紹介が終わる。

 

そんな時、フレッチャーという男がレイの元を訪れ、金を要求している。レイの悪事、マイケルの悪事の証拠があるという。物語は、フレッチャーの語る物語を検証しながら展開していく。フレッチャーは、レイらの悪事を写真に収め、動画を撮り、マイケルの悪事も手に入れ、新聞社のビッグ・デイブと連んで金を手に入れるつもりだった。一方マイケルは、ビッグ・デイブらの企みを逆に調査し、彼を拉致して、フレッチャーからの資料を公表されないようにしてしまう。あっちからかと思えばこっちからと次々と話が表裏ひっくり返る。さらに、場面場面にふざけたようなシーンが挿入され、その笑い飛ばす映像演出も秀逸。

 

ローラを救出するときに落下して死んだ青年の父親が元KGBの富豪で、彼の力でマイケルらは命を狙われているとフレッチャーは告げる。冒頭で、ボスつまりマイケルを撃とうとしたのがロシア人の殺し屋だったが、実は背後からレイが撃ち殺していたのだ。マイケルは、フレッチャーの企みはすでにわかっていた。さらにマイケルの自宅にやってきたロシア人らはコーチによってやられてしまう。そのどさくさに形成が危ういと思ったフレッチャーはマイケルの元を脱出、これまでの話を映画にしたいとプロデューサーに持ち込んだ後、国外に逃げようとするが、乗った車を運転するにはレイだった。こうして、マイケルの事業が無事で、妻も助かり映画は終わっていく。

 

と、こんな話だったと思うが、二転三転、裏のかきあいというどんでん返しの連続なので、気を抜くと肝心の伏線を見逃しているかも知れず、勘違いもあるかもしれませんが、なかなか面白かった。

 

「ローグ」

典型的なB級低予算低レベルのアクション映画でした。メッセージもあるようですが、本編内に全く見えないし、展開の中のエピソードはどれも雑な上に、辻褄も合わない適当さには流石に終盤辟易としてしまいましたが、寝ることはなかったのでいいとしましょう。監督はマイケル・J・バセット。

 

アフリカのある場所、密猟でライオンを飼育し、その骨や毛皮を生産しているいかにもな建物から映画は幕を開ける。ところが一頭のライオンを殺し損なったことから、そこの人間が皆殺しになっていく。そしてカットが変わる。知事の娘が人身売買の組織に拉致された、彼女を助けるために傭兵集団が派遣されて、これから敵のアジトに突入という場面。リーダーのサムのもとに一斉に突入し、知事の娘アリシアほか拉致された娘たちを助けて脱出するが。敵の追跡が予想以上に多く、迎えのヘリも撃ち落とされ、なんとか崖から飛び降りてその場は逃げる。なんとも適当な作戦である。

 

そして逃げ込んだのが、冒頭のライオンを飼育している建物。迎えのヘリを要請するべく無線を準備するが、次々とライオンに襲われ始める。そんなサムらに人身売買に敵が迫る。と、取ってつけたような展開がダラダラ始まる。

 

こうして、後はひたすら銃撃戦となるのだが、せっかく隠れていたアリシアらが、戦わないといけないと、なんの計画もなく外に飛び出してサムらの足手纏いになったり、傭兵のメンバーにマサイ族がいて、突然家族の仇の敵と一対一の決闘をしたりと、とにかく脚本が実にその場限り。

 

まあ、ラストは、襲ってきていたライオンは子供を守りたかっただけで、子ライオンを連れてあっさり引き上げ、迎えのヘリが来てハッピーエンド。呆れてしまうラストだが、途中の展開もあまりにも低レベルなのにはまいってしまう。普通以下の仕上がりのアクション映画でした。最後にテロップで、ライオン飼育の現場が語られて終わりました。なんなのこれは?という一本でした。

映画感想「ノッティングヒルの恋人」「ファーザー」

ノッティングヒルの恋人

リチャード・カーティス脚本のロマンティックラブストーリーという感じですが、私としてはどこかテンポが乗ってこない感じがしました。もう少し、キレと洒落た感があるのを期待しすぎたのかも知れません。監督はロジャー・ミッシェル

 

ハリウッドの人気女優アナの華やかな毎日を映す場面から映画は幕を開ける。そして舞台はロンドン、ノッティングヒルの旅行書専門の書店。主人のウィリアムはこの日も店番をしていたが、そこへアナが現れる。あまりにさりげないために、ウィリアムもさりげなく応対してその場は終わる。ところがまもなくして街角でウィリアムはアナとぶつかって紅茶をこぼしてしまう。ウィリアムはアナを近くの自宅へ招き入れ着替えさせてやることに。帰り際、アナはウィリアムにキスをする。何処か不器用ながら誠実な感じにウィリアムにアナは一目惚れしてしまう。このシーンが上手くみえないのです。

 

まもなくして、アナから電話をもらったウィリアムはアナのホテルに行くが、そこは取材陣が集まる場だった。とりあえず、先日のキスのことを謝るアナに、ウィリアムは彼はただの夢だったかと諦めかけるが、夕食に誘うとアナは受けてくれる。しかしこの日、ウィリアムの妹の誕生パーティだった。アナは自分も連れていってほしいと言い、ウィリアムはアナを連れて親友に家へ。そこで友達夫婦や妹に紹介することになる。

 

そして今度はアナが、ウイリアムを自分のホテルに誘う。ところが、ウィリアムが行ってみると、アナのアメリカの恋人が来ていた。ウィリアムは、また夢が壊れ現実に戻り、すごすごと帰る。やがてアナはアメリカに帰るが、ある時ウィリアムの家にアナがやってくる。昔撮ったヌード写真が広まって落ち込んでいるという。ホテルにも記者が押しかけているということでウィリアムの部屋に泊まることになる。そこで、アナとウィリアムは体を合わせる。ところが、夜が明けると大勢の記者が集まっていて、ウィリアムはアナの恋人であるかの騒ぎになる。パニックになったアナは迎えの車を呼んで這々の体で帰ってしまう。

 

ウィリアムは今度こそ彼女を諦めようと決意、普通の日常に戻る。そして季節は流れ、妹にも恋人ができる。冬がきて春が来て一年の時が経つ。オスカーを受賞したアナはこの日も撮影に来ていた。我慢できないウィリアムは撮影場所に行くが、もはや自分の居場所がないと帰ってくる。ところが撮影が終わったアナが訪ねてくる。そして、このまま帰国するのだが、一緒にここに残りたいという。ウィリアムは、その申し出を素直に受けられず、アナをふってしまう。後で、友人たちに相談したウィリアムは、友人たちにけしかけられ、自分の気持ちに素直になることを決意、アナを追いかける。

 

サザヴィホテルで、アナの記者会見の場に着いたウィリアムは、気持ちが整理できたのだがやり直したいとアナに言う。こうして、アナとウィリアムの恋はようやく成就する。華やかなハリウッドの映画界でアナの隣にはウィリアムがいた。エピローグで、アナとの家庭を築いたウィリアムの仲睦まじい家族の姿が描かれ映画は終わっていく。

 

出だしから、妙にもたついた感じがするには気のせいか、自分に合わないのか。途中の展開もラストの畳み掛けも今一つのめり込んでいかない感じだった。ジュリア・ロバーツ全盛期で美しいのだが、迫ってくるものがなく、良い映画というのはわかるのですが、個人的には普通に作品に見えてしまいました。

 

「ファーザー」

特殊撮影などどこにも使っていないのに、主人公アンソニーの幻覚が目の前に広がってくる。アンソニー・ホプキンスの圧倒的な演技力とカメラワークのコラボレーション、そして絶妙のタイミングで入れ替わっていく脇役たちの演出に脱帽してしまう噂通りの見事な作品でした。まるで、自分がいずれみる幻覚を疑似体験させられているかのような一本。監督はフロリアン・ゼレール。

 

クラシックの曲が流れ、一人の女性がある建物に入っていく。彼女の名前はアン、認知症のはじまった父が介護人のアンジェラを罵倒して彼女が出ていってしまったので、仕方なく父の様子を見に来たのだ。カメラは部屋でヘッドフォンをつけて音楽を聴いているアンソニーのカットへ変わっていく。ヘッドフォンを外し、娘のアンが来たのを出迎える。アンは、新しい看護人ローラを雇い入れることにしたという。そして、自分はまもなくして恋人とパリに移り住むので、ここには来れないと告げる。

 

カットが入れ替わると、アンソニーの前に一人のややハゲた男が座っている。アンソニーが声をかけると、ポールという名前だという。しかもアンの夫でここに10年住んでいるというのだ。まもなくしてポールの妻アンが帰ってくるが、アンソニーには覚えのない顔である。買ってきたチキンをポールが台所に持っていき、アンソニーは、疑心暗鬼にアンと話を始めるが、いつの間にかポールの存在が消えている。

 

翌朝、アンがやってきて、新しい介護人ローラを連れてくる。アンソニーはハイテンションでローラに対応して、タップダンスまで披露して歓迎。アンの妹ルーシーにそっくりだとおおしゃはぎするが、まもなくしてローラをまんまと言い任せたと罵倒してローラを困惑させる。映画はここから、アンソニーの目の前に現れる人物が次々と入れ替わりながら、それに混乱するでもなく、戸惑いながらも普通に振る舞うアンソニーの姿を描いていく。

 

どうやら、すでにアンソニーはアンの家に移ってきているようで、冒頭で出てきたポールとは違う顔立ちのポールが平然とアンと話をしている。そして、アンソニーを施設に入れなければいけないのではないかと相談をしている。それを立ち聞きするアンソニー。そして、食事のシーンになり、アンソニーがチキンを取りにダイニングへ行き、戻ってくると、またアンとポールが施設の話をしている場面が繰り返される。

 

介護人のローラがやってきてアンソニーとしばらく対話するが、いつの間にかまた、アンの家で過ごすアンソニーの姿。窓の外から通りを見つめるアンソニー。アンが、「この部屋でいいでしょう」とアンソニーに確かめる。どうやら施設に入所したらしい。一人の看護人がやってきてアンソニーと話す。アンは、父アンソニーを残して施設を後にしていく。この場面がたまらなく切ない。

 

残されたアンソニーは看護人と話している。やがて、アンソニーは、いずれママが来てくれると言って泣き始める。優しく抱き寄せる看護人。こうして、アンソニーは施設に入り、次第に薄れていく記憶の中に沈んでいって映画は終わります。

 

前半で、アンが思わず寝ているアンソニーの首を絞める場面、これは幻想なのかどうかわかりませんが、があったり、入れ替わり立ち替わり出入りする人物が果たしてアンソニーの幻覚が生み出したものか、現実なのか混濁してくる展開も見事で、一見普通なのに、見ているものが信じられなくなってくるアンソニーを表現していくアンソニー・ホプキンスの演技がとにかく素晴らしい。映像で語るとはこのことだと言わんばかり、見事な作品でした。

映画感想「くれなずめ」「アチャコ青春手帖 東京篇」

「くれなずめ」

これは良かった。本来が舞台劇なので、終盤舞台的な演出は見られるものの、延々と長回しを繰り返す冒頭のシーンから次第に物語が動き始める中盤から後半、じわじわとその真相がはっきりしてきて、それでいてありきたりの切ない展開へと流れるのを堰き止めるようなラストの演出、そしてやっぱり泣かせるラスト。上手いです。映画ってこういうもんなんだと改めてすごく楽しかった。特筆するのは前田敦子が抜群に良かった。監督は松井大悟。

 

友人の結婚式の余興をするために5年ぶりに集まった6人が、その準備のため会場で打ち合わせしているところから映画は始まる。ああでもないこうでもないと盛り上がった後、じゃあカラオケに行くことに。吉尾がマイクに、「俺5年前に死…」と言って場面は変わる。

 

カラオケボックスで、余興の練習を兼ねて盛り上がる6人。赤フンで踊りまくるという余興の予定である。カメラは冒頭から延々と長回しを繰り返して描いていく。時間は流れて一気に披露宴の後、余興は大顰蹙で、メンバーらは落ち込む反面開き直る。二次会まで三時間あるということで、時間潰しに喫茶店を探し始める。

 

そして物語は12年前の高校時代、文化祭での余興での盛り上がり、ゴミ捨て場で前田敦子扮するマドンナミキエとの出来事や、いじめっ子の松岡とのエピソードなど描かれていく。

 

映画は12年前、6年前、2年前と遡っては現代に戻りながら、大学生時代、社会人時代が描かれる。しかし、次第に吉尾の存在に疑問が見えてくる。そして6人は吉尾と最後にあった日に遡る。この日、劇団で役者をしている明石とその演出家欽一の舞台があり、仙台で住む吉尾も見に来ていた。そこで仲間達と再会。しかし、その後飲みに行こうというのを仙台に戻らなければならないからと吉尾は帰っていく。万が一新幹線乗り損ねたら電話をくれと明石は言うが、みんなで飲んでいて、吉尾からの電話に気がつかず、吉尾は高速バスで帰ってしまう。

 

家庭持ちの曽川が妻とスーパーに来ていて突然メールが入る。吉尾の父からで、吉尾が急死したという。メンバーたちに連絡を取る曽川。仲間が吉尾と最後に会って半年が経っていた。現代のメンバーはなぜ吉尾がここにいるのかと突っ込む。なぜか吉尾の記憶は誰からも消えていない。そこへ披露宴に来ていたミキエが通りかかる。吉尾はミキエが好きだった。ここでミキエに告白する吉尾。そして「幸せになれよ」と見送るがミキエは戻ってきて啖呵を切って去っていく。ミキエを演じたのが前田敦子だが、抜群に良い。アッちゃんは女優に戻ってからみるみる良くなっていきます。

 

5人はぶらぶらして二次会の会場を目指すが、ふと吉尾の引き出物をどうするかということになり、道端の畑に埋めることに。そこへ百姓姿の吉尾が現れ揉み合ってるうちに、メンバーの体から心臓が取り出される。いきなりの展開。さらに吉尾は不死鳥となって燃えながら舞い上がる。メンバーが心臓を投げつけて、その場に倒れる。気がつくと一面の花畑。そこへ、吉尾愛用の鞄だけが現れ仲間と会話をする。そして、5人は記憶をもう一度塗り替えようと5年前に戻る。劇場前で吉尾と再会する5人、そして吉尾を涙で見送る。

 

何度めかの二次会場へ向かう5人。タクシーに乗るか、このまま歩いていくかと繰り返して映画は終わっていく。映画を作るというのは面白いね。この作品の仕上がりの切なさはまさにその思い入れから生まれたものだと思います。松井大悟の実体験をもとにしたストーリーだけにその思い入れが乗り移ったのでしょうね。良かったです。

 

アチャコ青春手帖 東京篇」

たわいのない量産された時代の娯楽映画。それでも、肩の凝らない気楽な展開にひとときの喧騒を忘れることができます。これが映画の本当のあるべき姿なのでしょうね。監督は野村浩将

 

主人公アチャコがこの日も大学の卒業生の発表の場に友人でボンボンの北村ときている場面から映画は始まる。今年こそ卒業をと思っていたが案の定北村と共に落第。北村は、こんな世の中で社会人になるのは良くないと落第を歓迎するが、貧乏なアチャコにとっては下宿代も払えない苦境に陥る。しかも、息子の卒業を楽しみに母みどりが田舎から出てくる。正直に話せないアチャコは、卒業したと嘘をつき、下宿でもお祝いに席が設けられてしまう。

 

母が帰った後、アチャコは、さまざまなアルバイトをしてその場凌ぎを始めるのが物語の本編となる。サンドイッチマンや絵のモデルなどを経て、女社長のボディガード役の仕事につく。そして、社長の父親役や夫役、恋人役をこなす中、やがて社長は取引先との恋に落ちアチャコはクビになる。そんな頃、息子との同居を夢見て母が再び田舎から出てくる。下宿の親父が詰め寄られて真相を話し、母は、息子に何年かかっても大学を卒業するようにと手紙を残して帰りの汽車へ。帰ってきたアチャコは北村の車で母を追いかけ、一言謝り、母の激励を受けて母は帰っていく。こうして映画は終わる。

 

全くたわいのない話で、アチャコに気がある下宿の娘愛子のエピソードで彩を加えながらも、アチャコら芸達者の役者の演技に負うところが大きい量産された娯楽映画という感じ。でもそんな気楽な映画の装いが見ていてとっても楽しい。そんな一本でした。

 

映画感想「麥笛」(麦笛)「番頭はんと丁稚どん」

「麥笛」

こういう映画を撮らせると豊田四郎監督は絶品です。しかもカメラも抜群に美しい。物語がしみじみ心に染み入ってきり感覚に酔ってしまいます。古き良きといえばそれまでですが、今に語り継がれるべき名作の一本だと思います。

 

時は大正、人力車が寺の境内に走り込んでくるところから映画は幕を開けます。この日、この寺の住職の娘の婚礼だった。住職は姿が見えない息子の伸夫を探しているが、伸夫は犬を連れたまま、どこかへ行ってしまう。そして人力車で揺られていく花嫁姿の姉を川岸のこちらから追っていく伸夫。この冒頭のシーンだけでもこの映画のクオリティの高さを実感してしまいます。

 

ある日、伸夫が寺に戻ってくると、一人の女性が犬に吠えられ困っている。娘は慌てて鐘撞櫓に駆け上がり、鼻緒が切れてしまう。それを見た伸夫が手ぬぐいを割く。彼女の名前はお玉と言って茶屋で働いていた。伸夫の親友表は、彼女を引き合わせてやると茶屋に誘う。伸夫も表も詩を投稿していた。お玉は何気なく伸夫に気があり表も段取りしてやろうとするが、結局、どこかぎこちないままに伸夫は煮え切らず、その上、表がそれならと芝居小屋でナンパしてやったことが耐えられず喧嘩別れしてしまう。

 

そんな頃、伸夫は寺の賽銭泥棒の現場を見つける。その大人の女性の色香に絆されてしまった伸夫はその女性のために、取られた金を埋めてやったりし、最後にはもうこない方が良いというアドバイスまで与える。さらに後をつけて、履いていた草履を盗んだりする。そんな頃、伸夫の詩は文庫に掲載され、伸夫の姿をいつの間にか知る父の住職は、一人の男として伸夫を認めてやる。

 

ある時、伸夫は警察に呼ばれる。行ってみると表が捕まっていた。あちこちの女性に文などを送って迷惑がられたのだという。伸夫は表のことを親友と認めてやる。このことをきっかけに伸夫と表は仲直りするが、表は胸の病に犯されていた。しばらくして、下宿の二階で伏せる表を見舞った伸夫は、布団から出られなくなるほど弱った表を見る。夜になるとどこからともなく口笛が聞こえてきた。窓から覗くとそれはお玉が毎晩吹く口笛だった。伸夫は表に頼まれてお玉に表の病気のことを知らせる。それからまもなくして表は息を引き取る。死の間際、自分が死んだらお玉のことを頼むと伸夫に遺言する。

 

表の墓参りをした伸夫とお玉は、かつて三人で遊んだ海岸にやってくる。吹雪で霞む海岸で、伸夫はお玉に表の遺言を告げようとするが、悲しみに沈むお玉にはその言葉を受け入れようとしない。途方に暮れる伸夫、かすみの彼方に消えるお玉、伸夫の背後の雲の切れ間に光がさして映画は終わっていく。

 

主人公伸夫の心の成長、思春期の淡い恋、そして、友人の死、淡々と流れる物語なのに、その心の動きが見ている胸の中に染み渡ってくる。しかも、カメラが抜群に美しい上に構図が見事で、名作とはこういうものだと言わんばかりに息を呑んでしまいます。これが映画です。

 

「番頭はんと丁稚どん」

とにかく懐かしい大阪の景色に涙ぐんでしまう。制作年は1960年なので、自分が生まれて間もなしである。大阪市内に市電が走り、今や消えてしまった映画館の数々が出てくる。それだけでも楽しくて仕方ない映画でした。お話はたわいのない喜劇ですが、役者がしっかりしているのでだらだら感が全くなく、キリッとしまった物語になっているのはすごいと思います。監督は酒井欣也。

 

とある田舎の村、この日、八人兄弟の長男崑松は大阪に丁稚奉公に出されることになっていた。故郷を離れることに抵抗しながらも迎えにきた小番頭らに連れられ汽車に乗る。着いたところは道修町。薬問屋七福に奉公を始める。同じく大学での小番頭も新入りで入ってくる。

 

そこへ、次女のこいさんが帰ってくる。古株の小番頭も浮き足立つ。こいさんは祖母の勧めで見合いの話が舞い込む。一方新入りの小番頭に憧れる女中。そんなこんなのドタバタの中、こいさんは見合いの日に家出をしてしまう。見張り役だった崑松は、なけなしも金でこいさんを探しに別府へ向かう。一方新入りの小番頭は不渡を掴まされ店をやめることになる。大旦那には浮気の疑いがかかる。クライマックスへ様々なエピソードが絡み、ラストは、何もかもハッピーエンド、こいさんは新入りの小番頭との恋が明らかになりめでたしめでたし。映画は終わっていく。

 

これというものはない。ただ気楽に楽しむ映画ですが、私らにとってはとにかく懐かしい景色に胸が熱くなりました。今日はハッピーな一日でした。

映画感想「スプリー」「海辺の彼女たち」「血を吸うカメラ」

「スプリー」

それほど、映像センスも演出センスも感じませんでしたが、こういう映画の作り方もあるもんだと思ってみると、それなりに面白かった。スプラッターにするのかサイコホラーにするのかSNSへの風刺メッセージにするのかどれもこれもが中途半端なてんこ盛りの仕上がりで、もうちょっと的を絞ればカルトな名作になったかもしれません。監督はユージン・コトリャレンコ。

 

主人公カートの少年時代から映画は幕を開けます。あれこれとSNSに投稿するもフォロワーは全く伸びず、どんどん歳をとって青年になる。そこで彼はスプリーといういわゆる乗合タクシーを始め、そこで次々と乗客を殺す映像をアップしはじめる。といきなりサイコになる。

 

最初はどんどんフォロワーも増えていきますが、今更この手のこともありきたりで伸び悩み始める。彼の手口は備え付けのミネラルウォーターに何やら毒を入れてそれを飲んだら死んでしまうというもの。たまたま乗せた女性ジェシーSNSでも有名なコメディアンで、同情した男性にしつこく絡まれ降りてしまう。しかし、その場をジェシーが自分のSNSにアップする。

 

カートの父はミュージシャンらしく、ある時、ライブがあるからと無理やりカートの車に乗る。そして有名な韓国のインフルエンサーウノを紹介してもらう。カートは彼女の機嫌をとってフォロワーを増やそうとしますが、タコスを買いに出たところ、ウノがカートの車を物色してピストルを見つけさらにミネラルウォーターを飲んでその場に倒れてしまう。たまたま通った警官がカートを尋問していると、目を覚ましたウノがピストルで警官を撃ってしまう。カートは必死で逃げるが、ホームレスのテントに突っ込んで車は大破。

 

そんな頃、ジェシーはライブハウスでステージに立っていた。ステージで、SNSはやめると叫び、ステージを終えてスプリーを呼んだら、なんと別のスプリーの車を奪ってきたカートだった。カートは自宅にジェシーを連れて行こうとするが、身の危険を感じたジェシーが反撃、しかしカートの家に突っ込んでしまう。カートとジェシーの死闘の末、ジェシーはカートを殺す。その様子をフォロワーはしっかり見ていて、みるみるフォロワーは増えていく。そしてジェシーはさらに有名になり大金持ちになって成功。この展開はあまりに非現実的で、あの警官たちはどうなったのかと思う。こうして物語は一旦終わる。

 

過去の動画をあれこれ言うフォロワーたちの書き込み、そしてそれらの動画を集めて編集したと言う書き込みから、題名は「スプリー」という映画になったと投稿されて映画は終わる。なるほどそう言う作りなんだと感心。

 

冒頭部、次々とスプラッター感満載で人を殺していくが、カートのサイコ感がいまひとつ盛り上がってこず、父との確執など必要のないエピソードも挿入、ウノやジェシーらのキャラクターもいまひとつ緊迫感にかけ、終盤のSNSを批判するような映像もさらっと入って、全体が散漫になってしまった。スピード感とオリジナリティを突き進んで、ストーリーの的を絞ったらもっと面白くなった気がします。

 

「海辺の彼女たち」

不法就労で日本に来た三人の少女の物語だが、結局一人の少女の話のみになっている意味がよくわからなかった。映像は暗いし、丁寧に撮ってるとはいえ、辛い作品でした。監督は藤元明緒

 

三人の少女が荷造りをしている場面から映画は始まる。搾取される今の職場を逃げ出し、仕事の紹介人に北の港町での仕事を紹介され向かうのである。紹介人の青年に港での魚の仕分けの仕事をもらった三人は、国への仕送りのために働き始める。

 

ところが一人の少女フォンの具合が良くない。ネットで調べた病院に行くが、在留証と保険証がないとダメだと言う。しかも本人に聞いてみると妊娠しているらしいと言う。フォンは闇で在留証と保険証を買い病院に行く。その帰り紹介人の青年に呼び止められ、中絶の薬を渡される。

 

フォンは夕食をし、薬を飲むところで映画は終わっていく。紹介人の青年も新しい職場も真っ当なのがこの作品をしっかり作っている証拠かなと思う。闇の証明書の売人はいかにもだがこれは仕方ない。とはいえ、なぜ三人の物語なのかがよくわからなかった。

 

「血を吸うカメラ」

長年見たかった作品をようやくスクリーンでみることができました。カルトな名作とされているのは監督がこの手のジャンルなど撮らないだろうと思えるような名匠マイケル・パウエルゆえなのかもしれませんが、画面の構図といい、展開の妙味といい、しっかりとしたクオリティの一本でした。面白かったです。

 

女性の目のアップ、夜の街、一人の娼婦がショーウインドウをのぞいている。このオープニングが実にすごい。彼女をカメラ越しに見つめる目がある。彼女は自分を見つめるカメラの男を誘い自分の部屋に入る。おもむろに衣服を脱ぐが、何か異様な気配にじっとカメラの方を凝視して悲鳴。場面が変わるとそれはスクリーンに映された映像で、それを見つめる男が立ち上がりタイトル。

 

主人公マークが自前の十六ミリカメラで、昨夜の殺人事件の捜査の様子を写している。そして、写真館のスタジオへ行き、2階で娼婦の写真を撮る。彼は映画撮影のスタジオでカメラの被写体との距離を図る仕事をしていた。仕事を終えて帰ったマークはいつも窓から一階の住人を覗いていた。この日、一階に住むヘレンの誕生パーティだった。二階に住むマークに気があるヘレンはマークが帰ったことを見つけ部屋にやってくる。そして、マークの暗室で彼の子供の頃のフィルムを見せてもらうが、どこか異常なその映像に嫌悪感を持つ。

 

マークは、映画の仕事の後、スタンドイン女優のビビアンと撮影所内で映画撮影の遊びをする約束をしていた。マークはビビアンにライトを当てていかにも撮影のように遊び始めるが、突然自分のカメラを取り出す。そのカメラの三脚の先は鋭利になっていてそれでマークはビビアンを刺し殺し、大道具の箱の中に入れてしまう。

 

翌朝映画の撮影でビビアンの死体が発見され、刑事がやってくる。そして、先日の娼婦の殺人事件と共通していると判断して、さらにマークが怪しいと考える。この辺りに描写はかなり雑。ある夜、マークはヘレンとディナーデートに行く。ヘレンの希望で、片時も手放さなかったカメラを置いてデートをし帰ってくる。マークが自分の部屋の暗室に行くと、そこに盲目にヘレンの母がいた。彼女は感でマークが何か怪しいと見ていた。マークは父が研究していた、恐怖と人間の反応に取り憑かれていることを話し、ヘレンの母は医師にかかるように勧める一方でヘレンに近づかないように言う。

 

マークが怪しいと考える刑事はマークの仕事の後の行動を追わせる。マークはこの日写真館の二階でミリーという娼婦の撮影があった。マークは刑事につけられていることを承知の上でミリーを殺害する。一方、マークの留守にヘレンはマークの暗室にいた。かねてから話していた童話のことを話すためだったが、映写機にかけたままのフィルムを見つけ上映してみる。そこには殺害される女性の顔があった。そこへマークが帰ってくる。ヘレンを見つけた彼は、ヘレンに三脚の刃物を向けるが、出来ない。そんな頃、ミリーの死体を発見した刑事がマークが犯人だと確証しマークの家に向かう。

 

マークは、刑事が来ることを知り、壁に十六ミリカメラを取り付けの撮影の準備する。それはかねてから彼が計画していたことで、部屋中のカメラのシャッターがおり、十六ミリカメラで自分が死んでいく恐怖の姿を撮影するためだった。それは彼の父の研究の証明でもあった。彼はスイッチを入れ、自ら三脚の刃物に喉を突き刺す。そこへ刑事が踏み込んでくる。こうして映画は終わる。

 

いわゆるサイコホラーのジャンルの作品です。よく見てみればストーリー展開はかなり雑なところもあるのですが、オープニングの場面、クライマックスのシーンなど本当にクオリティの高い映像に仕上がっています。そのアンバランスがこの映画をカルトな名作としたのでしょうか。必見の一本という言葉の当てはまる映画でした。

映画感想「ビーチ・バム まじめに不真面目」

「ビーチ・バム まじめに不真面目」

ちょっとぶっ飛んだ映画でしたが、逆光を効果的に使った映像が実に美しいし、主演のマシュー・マコノヒーの抜群の最低男の演技が最高で映画がとってもいい感じの仕上がりになりました。ラストの人生讃歌が愛する妻への切ない恋物語を増幅させて感動してしまいました。監督はハーモニー・コリン

 

かつて天才と謳われた詩人ムーンドックは、今は資産家の妻ミニーのもとで酒と女に溺れる日々を過ごしていた。この日も娘の結婚式にとんでもない格好で現れて周囲は呆気に取られる。しかし牧師を務めた黒人のランジェリーはムーンドックの親友でもあった。しかも彼は麻薬の売人で大金持ちでもある。こうして物語は始まる。あとは、延々と酒と女遊びに明け暮れるムーンドックの姿をひたしら写していく。

 

しかし、ムーンドックは妻ミニーを愛していた。ミニーはランジェリーと体の関係があったもののそれでもムーンドックを愛していた。ムーンドックもそれを知り、微かな嫉妬を覚えながらもミニーを信じていた。パーティの場で、ミニーがランジェリーと抱き合う姿を見つけて、しばらく言葉をなくしながらも遠目に見ているムーンドックのシーンが実に上手い。

 

パーティで盛り上がり、妻ミニーの運転で車で帰るムーンドックだが、お互いハイになっていて事故を起こしてしまう。ムーンドックは無事だったがミニーは重傷で間も無くムーンドックの前で死んでしまう。ミニーの財産は娘に半分、残りはムーンドック宛だったが、自由に使うためにはムーンドックが新しい詩集を出すことが条件だった。

 

一文なしになり、ホームレスと盛り上がったムーンドックはかつての自宅に侵入して大暴れして逮捕されてしまう。そして、アル中の施設に一年入ることを強制されるが、そこで知り合った男と脱走、知り合いを訪ねて回り始める。しかしムーンドックの友人は最低の男ばかりだった。それでも、彼を雇ってイルカ見物の観光仕事をもらうが、その船長がサメに足をちぎられリタイア、続いてムーンドックは、ランジェリーの元にやってくる。

 

ランジェリーは大金持ちで、ムーンライトと盛り上がり酒と女を提供して楽しむが、ある時警察が迫っているという情報が入り、ランジェリーはムーンライトにドラッグを大量に分けてやり飛行機で脱出させる。そんなドタバタの中でもムーンライトはひたすら新しい詩集のための執筆をしていた。

 

やがて詩集が出版され、ミニーの資産も手に入る。ムーンライトの詩集はピューリッツァ賞を受賞。ムーンライトはミニーの遺産5,000万ドルでヨットを買い、そこに全ての現金を積み、花火を打ち上げて大騒ぎをする。そして最後にヨットの金に火をつけ、自分は小さなボートに乗って大海原へ流れていく。彼の脳裏にはミニーとの幸せな日々が蘇っていた。こうして映画は終わります。

 

オープニングから映像が実に美しいし、背後に流れる楽曲のメロディに乗って展開する前半はとにかくバイタリティ満点。そして、ミニーが死んでから、悲惨であるはずのムーンライトは、かえってさらにバージョンアップして狂ったように暴れまわっていく。この映像展開のリズムが最高。そしてそんなドタバタの合間に詩を描いている姿を挿入し、どことなくミニーの存在を描く絵作りも上手い。マシュー・マコノヒーの存在感に負うところが大きいですが、素敵なラブストーリーだったように思いました。