くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「ユージュアル・サスペクツ」「最後の決闘裁判」

ユージュアル・サスペクツ

二転三転するどんでん返しは面白かったけれど、さすがに映画スレしてしまったのか、真犯人は最初で大体わかってしまったのは自分でも呆れてしまった。監督はブライアン・シンガー

 

一人の男キートンが倒れている。足元に火が広がろうとするが、船の甲板の上から小便をして消した男がいる。その男がキートンのところへ降りてくる。そして動けないキートンを撃ち、タバコの火を投げて火を再開させて去っていく。そして船は大爆発、大量の麻薬と9100万ドルが消える。生き残ったのは足の悪い男キントと全身大火傷を負った男だけだった。こうして映画は幕を開ける。

 

六ヶ月前、五人の男たちが警察に逮捕される。銃器を積んだ車が襲われた事件の容疑者だが、なんの根拠もない。その中にキントがいた。彼はかつて詐欺などで前科のある男だった。彼らは留置所で仲間となり、悪徳警官がパトカーをタクシーがわりにして宝石の密売などをしているのを襲う計画を立てる。そしてまんまと成功した五人は物の売人レッドフットから新たな仕事を提案される。

 

一方、全身火傷の男の捜査をするFBIのジャックはその男からカイザー・ソゼという謎の男の存在を知り、その男が影の黒幕だと推察をするが火傷の男以外に彼の顔を見たものはいなかった。

 

キントら五人は、レッドフットの提案された仕事の詳細を知るために弁護士のコバヤシと会う。彼はキートンの恋人で弁護士のイーディのことも熟知する謎めいた男だった。コバヤシが提案した仕事は、サントロペ港に停泊するヨットで行われる麻薬の売買を阻止し、首謀者のカイザー・ソゼを殺してくれというものだった。

 

物語はFBIのチャズに尋問を受けるキントが六ヶ月前からの流れを語る形で展開していく。キントたちはサントロペ港のヨットに潜入し、キートンを中心に次々とカイザー・ソゼの仲間を倒していくが、目的の麻薬が見つからない。一方キートンの仲間も次々と殺されキートンも撃たれてしまう。足が悪いので外で待機していたキントも船のそばにやってくる。キートンは突入前にキントに、万が一の時は金だけ持って逃げろと指示をする。

 

キートンも撃たれ動けなくなったところへ、冒頭の場面となり一人の男がキートンを撃ち殺し、船を爆破する。一方、全身火傷の男はジャックの依頼でカイザー・ソゼの似顔絵を書き上げていた。その似顔絵は早速FAXで送信される。一方チャズはキントから全てを聞き、キートンがカイザー・ソゼだと確信、彼が死んだことで全ては終わったのだと判断する。そして全てを告白してくれたキントを免罪してやる。

 

全てが終わったチャズはデスクで、壁一面に貼られた過去の事件や新聞記事に目をやる。そして、キントが話していた登場人物の名や風貌が全てその張り紙の中にあることを見つけ、真相を知る。慌ててキントを追うがすでに外に出た後だった。FAXが届く。それはキントの顔だった。まんまと逃げたキントは、いつの間にかびっこをひかずに普通に歩いていた。そして迎えにきた車に乗る。運転するのはコバヤシだった。こうして映画は終わる。

 

キントがわざとらしいほどびっこを引いて出てきたので、おそらくこれが真実の犯人だろうとは思ったがその通りだった。しかし、演じたケビン・スペイシーがうますぎて、油断すると騙されそうになった。前に前にテンポよく流れる物語は面白いし飽きさせない。そこに絡んでくる様々なフェイクが、ずべて作り話で締め括るラストも鮮やか。噂通りなかなかの秀作でした。

 

「最後の決闘裁判」

これは相当に見応えのある作品でした。一つの事件を三人の視点から描きますが、それぞれが異なっているわけでもなく視点を変えることで見えてくるものを観客に考えさせるという趣向は非常に面白い。クライマックスの決闘シーンは近年稀に見る圧巻のシーンでした。色調を抑えた映像も美しいし、映画を堪能できた感じがします。監督はリドリー・スコット

 

14世紀、一人の女性がこれから行われる決闘に備えて衣服を整えている場面から映画は始まる。そして決闘が開始され、場面が変わる。リネージュの河岸の戦闘が行われている。代々地域の管理をしている名門のカルージュと庶民から這い上がってきたル・グリは友人同士で、この日もお互い助け合い戦闘をするが結局負けてしまう。

 

その地域を治めるピエール伯はル・グリを可愛がり、何かにつけカルージュには冷たかった。やがてカルージュはマルグリットという女性と結婚することになるが、マルグリットが持参金の一部として持ってくるはずの土地もピエール伯が借金のかたに勝手に没収しル・グリに与えてしまう。さらに、その地の管理者としての地位もル・グリに与えてしまう。カルージュはそのことをピエール伯に訴えたこともありますますピエール伯やル・グリとも溝ができてくる。不満の中、国王に忠誠を続けるカルージュはスコットランドへ遠征し、戦果はそれほどではないものの騎士としてフランス国王から認められる。しかし、そんな彼にもピエール伯の態度は冷たかった。

 

カルージュは遠征の給金をもらうためにパリへ向かいしばらく家を空ける。姑もメイドを連れて一日家を空け、マルグリットは一人で留守番をすることになる。ところが突然ル・グリが現れ、あろうことかマルグリットを強姦してしまう。戻ってきたカルージュにマルグリットは真実を話し、ことを公にしてピエール伯にも審問を開かせ、さらに国王にも上訴する。

 

映画はカルージュの視点、ル・グリからの視点、マルグリットからの視点と三つのエピソードで同じ場面を繰り返し、終盤の国王による裁判シーンへと流れていく。そして国王は決闘を許し、マルグリットの訴えの真実をかけてカルージュとル・グリは決闘することになる。もしカルージュが破れたらマルグリットは虚偽の訴えということにされ罰せられるのである。マルグリットのお腹には子供がいた。

 

赤ん坊が生まれてまもなくして決闘が行われることになる。冒頭のシーンへ戻り、カルージュとル・グリが激突する。ここからの死闘がまさに死闘で、痛々しいほどの迫真のシーンが展開。そしてお互い瀕死の中最後の最後にカルージュがル・グリを倒す。晴れて妻マルグリットの正義を証明したカルージュは夫婦揃って凱旋していく。カットが変わり、歩けるようになった赤ん坊を育てるマルグリットののどかなシーンで映画は終わる。

 

何事にも泣き寝入りすることで生活を守ってきたこの時代の女性の姿と、それを打ち破り女性の権利を大声で訴え勝ち取った一人の強い女性の物語として非常に重厚な仕上がりを見せています。マット・ディモンとアダム・ドライバーという正義感のイメージが強い二人を対峙させた配役も上手い。大作らしいスペクタクルな場面もあり、見応えのある一本に仕上がっていました。

映画感想「DUNE デューン砂の惑星」「燃えよ剣」

「DUNE デューン砂の惑星

可もなく不可もなしのSF超大作という感じの出来栄え、原作の大ファンとしてはここまで出来ていれば合格というレベルの映画に仕上がってましたが、主人公ポールのカリスマ的な存在感がもうちょっとしっかり出ていれば良かった。それと、前半の丁々発止の権力争い部分のサスペンス色がもっとわくわく描けてればもっと良かったと思います。今回が前半なので後半が楽しみです。監督はドゥニ・ヴィルヌーヴ

 

暗闇に声が聞こえるシーンから映画は幕を開ける。西暦10190年、一つの惑星を大領家が治めている時代、アトレイデス公爵家は、デューンと呼ばれる惑星アラキスを治めることになるが、そこは砂に覆われた辺境地で、いわば皇帝から左遷を言い渡されたような地であった。ただ、その惑星には、メランジという香料が採掘され、それが莫大な利益を生んでいた。しかし、アトレイデス公爵家の前にアラキスを治めていたハルコンネン家は、皇帝と結託してアトレイデス公爵家の党首レトを亡き者にしようと画策していた。

 

一方レトにはベネ・ゲセリットと言われる心身統御術で言葉によって人を誘導できる特殊な能力を持つ妻ジェシカと、彼女が訓練して育てた息子のポールがいた。ポールにはさらに未来を見通せる能力も備わっていたが、今はまだ目覚めていなかった。まもなくしてハルコンネン家と皇帝軍はアラキスに攻め入り、レトを殺してしまう。ここのサスペンスフルな展開はさすがに映画化にあたってあっさりと流したところがあり、ちょっと残念。

 

党首を殺され辺境の地へ追放されたジェシカとポールだが、持ち前の才能で嵐にツッコんでハルコンネン家に死亡したと思わせ、砂漠の先住民であるフレーメンに協力を仰ぐべく砂漠を旅する。そしてフレーメンを率いるスティルガーと出会い、彼に認められたポールは、次第にその能力を目覚めさせるとともに、フレーメンの地へ向かって映画は終わる。フレーメンの謎めいた存在感が全く描かれていないし、砂虫の恐ろしさも今ひとつ描写力が弱いのは勿体無いですね。

 

さすがに原作が超大作にして名作SFなので、エピソードの羅列に見える部分もあるのですが、やはり映像が素晴らしく、巨大スクリーンに展開する宇宙連合の姿は圧巻。ポールが次第に目覚めてくるドラマティックさも僅かながら描かれていたもののジェシカの強さがあまり前面に見えないのが物語全体を平坦にした気がします。とはいえ、これまでの大作SFを映像化するには満足するレベルに仕上がっていたと思います。

 

燃えよ剣

モダンな絵作りと演出で映像として楽しませてくれる作品でした。ストーリー展開は史実でもあり動かせないところはあるものの、少々派手気味ながらもリアリティあふれる迫真の殺陣シーンも含めて映画としては中の上の仕上がりだったと思います。監督は原田眞人

 

幕末、武士になることを夢見ていた青年時代を回想する土方歳三の姿から映画は幕を開けます。前半、所々に回想という形で土方歳三が語る場面が挿入されますが、うるさくなるほど頻繁でもなく、後半はほとんどなくなっていきドラマに集中していきます。近藤勇沖田総司らとともに京都へ向かった土方らはやがて芹沢鴨の元で新撰組を組織することになります。

 

倒幕派を倒していく降りや、朝廷とのやりとり、芹沢を倒して新撰組の規律を厳しくしていくくだりなど、見せ場をふんだんに取り入れ、その一つ一つがしっかり演出されているので飽きてきません。

 

中盤の最大の見せ場池田屋事件の殺陣アクションは半端ないほどにリアリティがあり、細かい演出に拘った台詞の数々と動きに引き込まれていきます。土方歳三の妻となるお雪とのドラマはやや希薄ですが、灯籠や灯りを効果的に配置した京都の街の美しい絵作りや、宴会シーンでのモダンなダンス演出、会話シーンの交錯するカメラワークの妙味など至る所に工夫が見られ、映画を見る楽しみにどんどん引き込まれます。

 

やがて大政奉還となり、武士としての居場所を無くしていく土方らは徐々に分裂していくとともに、新しい時代の変化に微かに染まり始めます。しかし、自分の生き方を貫こうとする土方歳三はやがて五稜郭での戰に身を投じていきます。五稜郭の戦いが終盤を迎え、土方歳三は一人官軍に突入して、撃ち殺されて映画は終わっていきます。

 

司馬遼太郎の原作は読んでいないし、過去に映画化されたものも見てないのですが、現代的な色合いをふんだんに取り入れた作りはなかなか面白かったし、大河ロマンの色合いは十分に出ていたと思います。傑作というにはほんの少し届かないものの、原田眞人監督の力量が光る良質の作品でした。

映画感想「キャッシュトラック」

「キャッシュトラック」

面白い話なのですが、脚本をこね回しすぎたのか、中盤が間延びした感じになった上に、敵と味方が判別しにくくなり、さらに主人公の動機付けがかえって話をさらに混乱させた感じになって、クライマックスの鮮やかさが全部ふっ突んでしまった。監督はガイ・リッチー

 

ロスの現金輸送専門の警備会社、この日も輸送していたが突然前方を塞がれ、現金を強奪される。しかも警備員や近くの民間人も撃ち殺される。このフォルティコ警備会社に一人の男が赴任してくる。彼の名前はパトリック・ヒル。Hという通称名で呼ばれることになった彼だが採用時の試験は70点とギリギリの成績だった。しかしある日の輸送で強盗団に襲われた際鮮やかな手口で強盗団を撃退、さらにその三ヶ月後の勤務で新たに強盗団に襲われるが何故かHの顔を見た強盗団は退散してしまう。

 

謎を秘めたHの正体に疑念を抱く同僚たちだが、そんな頃、ブラックフライデーに集まる18000万ドル強奪事件が進行していた。物語は五ヶ月前に戻り、パトリックはとある組織のボスだった。帰省の時しか会えない息子とこの日過ごしていたが、急にメンバーが事故を起こし、臨時で、あるキャッシュトラックの動きを報告してほしいと連絡が入る。目的地に車を止めて、キャッシュトラックの行き先をチェックするつもりだったがそのトラックが強盗団に襲われ、さらに車で待たせていたパトリックの息子が撃たれてしまう。しかもパトリックも重傷を負う。

 

怪我が回復したパトリックは、組織の部下に命じて犯人の目星をつけていく。この流れが、どうもよくわからない。パトリックは何者なのか、しかもFBIも強力に手を貸すという流れも背景が見えない。パトリックは、その強盗事件がフォルティコ警備会社の内部の協力者の仕業だと突き止め、フォルティコ社に潜入する。こうして物語は冒頭へ移る。

 

ブラックフライデーの大金を強奪するため、フォルティコ社を襲った強盗団は、次々と警備員を撃ち殺す。一方、Hも反撃するが最後の最後で、撃たれてしまう。強盗団は仲間割れを起こし、最後の一人が金を持ち帰るがそこにHがいた。Hは無事だったんや、という流れも実に弱い。そして、パトリック=Hは、息子の敵であるその男を撃ち殺す。出てきたところにはFBIが待っていて、パトリックが仕事が成就したことを確認して、現場へ乗り込んでいく。パトリックは車で去って映画は終わる。なんともスッキリしないが、まあ大体そんな感じの映画だった。

 

復讐劇なのですが、どうも鬼気迫る迫力が見えてこないし、捏ね回されたプロットの組み立てが、かえって肝心の話を希薄にした感じです。アクション映画なのに中盤眠気が襲ってきました。

 

映画感想「劇場版 ルパンの娘」

「劇場版 ルパンの娘」

深田恭子、橋本環奈目当てだけで見に行った。映画版にするのにかなり間延びした脚本になっていたのは残念ですが、まあそれほど期待もしてなかったのでいいとしましょう。監督は武内英樹

 

ハプスブルク王冠が盗まれたという事件が起き、当然、Lの一族の尊らの仕業であるのが明らかになって映画は始まる。しかしそれが偽物だとわかり、本物を手に入れるのと、これを最後に泥棒稼業を引退するという流れから物語は本編へ。

 

尊が、華らに新婚旅行をプレゼントするが、その行き先には王冠の本物があることがわかり、結局泥棒をする流れとなるが、その王冠を狙っている、三雲玲の存在が浮かび上がり、さらに玲が華の本当の母親であるというくだりから、過去へのタイムスリップも絡んで、クライマックスへ流れていく。

 

とにかく途中の講釈場面がやたら長くて、このドラマ得意のアクションシーンが埋もれてしまったのは残念。例によってのボケとツッコミはあるものの、途中の講釈シーンで映画のテンポが崩れて、いつものキレの良さは出ませんでした。映画としての出来栄えは中以下になってしまいましたね。それでも、深田恭子、橋本環奈、さらに観月ありさが見れたのでいいとしましょう。

映画感想「Our Friend アワー・フレンド」「牡丹燈籠(山本薩夫監督版)「キャンディマン」

「Our Friend アワー・フレンド」

時間を切り取ったように張り合わせて描いていくので、前半、登場人物がわかりにくかったものの、次第に整理されていく後半は映画を楽しむことができました。実話を元にした切なくて悲しい物語ですが、人生の機微を感じさせてくれる映画だった気がします。監督はガブリエラ・カウパースウェイト。

 

浜辺で遊ぶ子供たちのカットから、画面はある家のテラス。二人の少女と一人の男性デインが楽しそうにしている。中ではベッドに余命わずかな妻ニコルと夫マットの姿。ニコルが娘たちに自分の余命を話すことを決めたと言い、マットが呼びに行って映画は始まる。時は2013年。

 

時間は13年前に遡る。物語は、ジャーナリストの夫マットと舞台女優のニコルの出会いから別れまでを時間を遡ったり進めたりしながら描くのですが、彼らに寄り添うのが、二人の親友デインの存在。がん告知で次第に弱っていくニコルに寄り添うマット。しかしその重圧に壊れそうになるマットを支える親友のデイン。繰り返し繰り返しマットとニコル、デインのこれまでの人生が語られ、彼らの周囲の人たちの時に優しく、時に自分たちの人生にこだわる姿、さらにマットとニコルの娘二人との物語を絡ませていく。

 

やがて冒頭の2013年になり、ニコルは娘たちに余命を告げる。2014年になり、次第に精神的にも衰えていくニコル。ホスピス看護師も来てもらうことになり、まもなくしてニコルは昏睡状態になる。寄り添うマットとデインの前で息を引き取るニコル。デインはマットたちの整理がつい他のを確かめ、一人この家を後にして映画は終わっていきます。

 

淡々とした映画ですが、時間の前後を切り貼りしていくように物語を綴り、次第に主人公たち夫婦と親友の物語を浮かばせていき、気がつくと心に何かが刻まれる感じはちょっと熱くなってしまいました。

 

「牡丹燈籠」新三郎、お露

原案通りに丁寧に作られた怪談物で、流れは分かっていても素直に楽しめました。監督は山本薩夫

 

貧乏旗本だが家柄だけは良い家系の今日は盆の十三日で、親戚が集まっておる場面から映画は幕を開ける。長男が亡くなり、弟の新三郎が、長男の妻を娶って家を継ぐようにと迫られているが新三郎のその気は全くない。

 

新三郎は長屋で子供たちに読み書きを教えながらのんびり暮らしていた。盆の開ける十五日、精霊流しで子供たちを川べりに連れて行った新三郎はそこで、お露という女性と付き人のおよねと知り合う。お露は、家の事情で廓へ売られた悲劇の女だった。新三郎に一目惚れしたお露はその翌晩も新三郎の家にやってきて、やがて契りを結ぶ。新三郎の手伝いをしている遊び人の伴蔵は、したいと抱き合う新三郎を見て驚いてしまう。しかも、廓の顔見知りだったため、伴蔵は廓で確かめると、お露もおよねも自害したと教えられる。

 

伴蔵から話を聞いた新三郎もことの真相を確かめにいき納得する。このままでは新三郎の命が危ないと長屋の人たちは寺の住職に相談、裏盆が明ける後二日、新三郎を篭り堂の入りおひだで封印することになる。ところが、第一夜はなんとかやり過ごせたかと思えたが、伴蔵を知るおよねが明け方伴蔵を訪ねて、明日の夜はおひだを剥がすように頼む。たまたま戻ってきた伴蔵の妻は百両と引き換えに剥がすように交渉するよう悪知恵を授ける。

 

最後の夜、およねの指図された墓に行った伴蔵らはそこで金を見つけ、そのまま逃げようとしたがおよねらに引き連れられ、新三郎の篭り堂のお札を剥がしてしまう。翌朝、新三郎のところを訪ねた長屋の人たちは、取り憑かれ殺された新三郎を見つける。一方、伴蔵らは旅に出ようと思うが、まだ金が埋まっているのではと引き返す。そこへ金を隠していた盗賊らが現れ殺されてしまう。新三郎の葬列の場面で映画は終わる。

 

正統派怪談というしっかりした一本で、何を考えるでもなく楽しめました。

 

「キャンディマン」

スタイリッシュホラーという感じの作品で、B級ながら洒落た映像と演出が見られるとともに、ジョナサン・ピール脚本ということもあり、白人対黒人という構図も取られた面白い作品に仕上がっていました。監督はニア・ダコスタ。

 

シカゴにあるカブリーニ・グリーン地区、どちらかというと貧民街のような公営住宅地区、一人の黒人少年がこの街の一角のランドリー室へ向かっている。折しも片腕が鉤爪になった殺人鬼が徘徊しているという事件が起こっている。地下を降りて行った少年は、ランドリー室に入って出てくると、正面の壁に穴が開いていて中から鉤爪の男が出てくる。そして少年にキャンディをあげる。思わず叫ぶ少年の声を聞いた外の警官が駆けつけ、鉤爪の男に発砲して殺してしまう。時は1995年。

 

時は現代へ移る。かつての公営住宅が取り壊されて高級アパートが立っている。そこに越してきた近代アーティストのアンソニーはこの街に伝わるキャンディマンの都市伝説に興味を持つ。公営住宅が一部残る地域の写真を撮っていて蜂に刺されてしまう。街の老人バークからキャンディマンの話を聞いたアンソニーは恋人のブリアンナに冗談半分でキャンディマンの都市伝説を話す。

 

鏡に向かってキャンディマンの名前を五回唱えると鏡の中から殺人鬼が現れるのだという。キャンディマンとはシャーマンという黒人が白人たちに拷問を受け、手を無理やり鉤爪にされ、蜂の巣を胸に押し付けられ拷問の末殺されたのが蘇ったのだという。また、かつてヘレンという精神異常の女がいて、ある時赤ん坊を攫い、生贄で焼き殺そうとしたところを住民に殺されたという話も聞かせる。アンソニーは鏡を使ったモダンアートを製作して展覧会に出す。ところが、蜂に刺されたアンソニーの腕は次第に腫れ上がっていく。

 

街では、キャンディマンによる殺人が繰り返され始める。アンソニーが作った鏡のアートをきっかけに学生たちなどに広まって行ったのだ。やがてアンソニーは母に、ヘレンが生贄にしようとした赤ん坊こそアンソニーだったと話す。次第に変化していくアンソニーを心配してブリアンナが訪ねていくと彼がいない。バークのランドリーの粗品を見つけたブリアンナが、バークの店に行くと、そこではアンソニーがバークによって拉致され、手首を切り落とされ鉤爪を差し込まれていた。なんとか脱出したブリアンナだが、中ではキャンディマンが殺戮を終えていた。

 

パトカーに乗せられたブリアンナに警官が黒人蔑視の言葉を投げかける。ブリアンナはバックミラーに向かってキャンディマンと五回唱える。すると、キャンディマンになったアンソニーが現れ、白人警官を殺戮してしまう。そして、この伝説を語り伝えろとブリアンナに言って姿を消す。

 

キャンディマンは伝説となって代々語り継がれ引き継がれてきた殺人鬼の姿だった。それは黒人に対する白人の非人道的な行為を罰する存在でもあった。

 

と、こういう話だったと思うのですが、キャンディマンの伝説の場面や、出てくる黒人の関係がうまく見えなかったので終盤まで混乱してしまいました。この辺りの整理がうまく行っていないのは脚本が甘いのか演出が甘いのか、鏡や階段などを効果的に使ったスタイリッシュな映像作りはなかなかなのですがストーリーテリングが不十分だったように思います。

映画感想「四谷怪談 お岩の亡霊」「東海道お化け道中」「HHH:侯孝賢」

四谷怪談 お岩の亡霊」

正当な鶴屋南北原作の「四谷怪談」という感じで、丁寧な展開と筋が通った恐怖シーンの数々が面白い作品でした。監督は森一生

 

主人公民谷伊右衛門とお岩の祝言の場面から映画は始まる。ところが上司田沼意次の失脚から浪人に落ちた伊右衛門は、病弱なお岩を抱えて日々苛立つ日々。そんな頃大棚の商人に取り入って士官の道をつける画策を始めた伊右衛門は、その商家の娘との祝言も手に入れる段取りとなり、お岩のところに出入りしているあん摩の宅悦を抱きこんで、さらには商家の女中から手に入った毒薬を使い、お岩を亡き者にしようとする。

 

伊右衛門に裏切られたお岩は恨みを抱いて死んでしまい、亡霊となって伊右衛門に復讐を始める。伊右衛門が武士として敢然と立ち向かう様が実に生真面目な時代劇の色合いを生み出し、ただの化け物映画に止めない正当な勧善懲悪映画に仕上がっている。

 

絵作りなどはそれほど際立つもにはないものの、なかなか深みのある「四谷怪談」でした。

 

東海道お化け道中」

ほとんど任侠映画浪花節展開が中心で、取ってつけたように妖怪が出てくるというお気楽な作品です。娯楽映画はこれでいいという一本。監督は安田公義。

 

何やら鬼塚なる祠のそばでヤクザ者が待ち伏せしていて、塚の前で殺生はしてはいけないという老人が出てくるがヤクザ者に斬られる。その老人には孫がいてその孫に、父親のもとへ一人旅で行けと老人は息を引き取る。ところがその少女はヤクザ者が探している書付を拾ったことからヤクザ者に追われることになり、たまたま出会った渡世人百太郎に助けられての少女の道中が展開。

 

その中に、鬼塚の妖怪たちが立ち塞がるがそれも適当な感じで、少女が見つけた父親は、百太郎に斬りつけた渡世人でという浪花節クライマックス。妖怪が助太刀して映画は大団円を迎えて終わる。全く楽しくてお気楽な一本でした。

 

「HHH:侯孝賢

侯孝賢がひたすら自分の映画のことや考え、台湾について延々と喋るドキュメンタリー。とにかくよく喋る映画だった。監督はオリヴィエ・アサイヤス

 

オリビエ・アサイヤスが侯孝賢と一緒に台湾を周り、侯孝賢の映画への考えや台湾のあり方を語る姿をひたすら撮っていきます。ただただ喋るだけの映画ですが、それはそれで面白い一本でした。

映画感想「草の響き」「妖怪百物語」

「草の響き」

これはいい映画でした。東出昌大、主演男優賞ものの名演技。なにげない普通の日常の中に隠れた人生の機微というかドラマが匂い立つように次第に漂って来るクライマックスへの展開が素晴らしい。淡々と進むドラマなのに、いつの間にか複雑な何かが見え隠れしていく。演出と脚本、そしてその現点となる原作の良さでしょうね。見事でした。監督は斎藤久志

 

函館の町、一人の青年がスケボーで延々と走る場面から映画は始まる。カットが変わり精神科で診察を受ける和雄の姿。待合室に出てくると親友の佐久間が待っている。家に帰れず、佐久間の家に転がり込み、そのまま病院へ連れてこられたらしい。間も無く妻の純子が迎えに来る。和雄は純子に連れられ帰宅。和雄と純子は東京から函館に移ってきていた。医師に勧められた運動療法でジョギングを始める和雄。次第に和雄は快方へ向かう。

 

一方、高校生の彰は市民プールで泳いでいて一人の茶髪の高校生弘斗と出会う。スケボーが得意な彰は弘斗にスケボーを教え、弘斗は彰に泳ぎを教えることになる。弘斗には、祖母の世話をする姉恵美がいた。そして何かにつけ、三人で遊び始める。

 

ジョギングの効果か、和雄はみるみる快復し、もらっていた睡眠薬も余りがちになってくるが、医師は完全に辞めてもいいと診断してくれず、それが和雄には不安でもあった。ジョギングする和雄はいつも通る広場で遊んでいる彰や弘斗と何気なく話をするようになる。弘斗は学校でバスケをしているが最近は休みがちで、クラブ仲間からこの地域にある肝試しの岩から飛び込む話を教えられたりしていた。純子は愛犬の散歩の時に恵美と出会う。

 

そんな時、彰は、友達にクラブに来ないことを詰め寄られ、肝試しの岩から飛び込んでやると言い返す。みんなで現地に行くが、クラブ友達はさっさと帰り、一人飛び込もうと向かった彰も管理の男性に止められる。

 

和雄の体調も順調に回復する中、純子は妊娠する。嬉しいのだが複雑な表情の和雄につい食ってかかる純子。和雄の両親に報告に行った先でも和雄は平凡な人生を生きてほしいと、まるで自分たちがそうなっていないかのような発言をする。

 

カットが変わると彰が一人肝試しの崖にいた。そして一人飛び込みそのまま見えなくなる。いつものジョギングに彰が来ないのに聞いてみて、弘斗は彰が死んだことを告げる。純子の妊娠も順調で、着々と準備が進む。親友の佐久間は海外で暮らしてみると告げる。その夜、和雄と佐久間はしこたま飲み、佐久間は帰る。2階では純子が寝ている。和雄は溜まっていた睡眠薬を次々と開き、一気に飲む。翌朝、和雄の異変に気がついた純子が救急車を呼ぶ。和雄が目覚めると拘束技を着せられベッドに寝ていた。

 

少しずつ落ち着いてきて、拘束着も外れた和雄の元へ純子が見舞いに来る。子供は女の子だと告げる純子。純子は和雄に自分が負担なのかどうか尋ねるが和雄はそんなことはない、自分が悪いと答える。いつの間にかお互いに溝ができていたようで、この場面で初めてお互いのクローズアップで語られる。

 

純子は東京へ帰る決心をし、車に荷物を積んでいると、老婆を伴った恵美が通りかかる。挨拶をして車で走り去る純子の携帯に和雄からの着信が入る。和雄は留守電にメッセージを残すが、それはこれまで通り何事もないかのような幸せそのものの言葉だった。そのメッセージを聞くこともなく走り去る純子は、初めてキタキツネの姿を見かける。

 

和雄は純子に電話をした後休憩室へ行くが、ベランダへ一人出ていき、柵を乗り越え、ジョギングを始める。職員が後を追うが、にこやかに走る和雄の姿で映画は終わる。

 

淡々とした日常なのですが、いつの間にかお互いに何かの負担を感じ、何処か苦しんでいる。それが分かっているつもりでわかっていない人間というのは所詮弱いものなのかもしれません。表面的な物語の裏に見え隠れする色々が次第に滲み出てくるラストになぜか胸が詰まりました。いい映画でした。

 

「妖怪百物語」

わかりやすくて楽しい娯楽映画でした。悪徳代官がいて悪徳商人がいて貧乏長屋に庶民がいる。金に目が眩んだ男たちが妖怪たちに懲らしめられるというなんとも痛快なエンタメ。中身もクオリティもそんなものそっちのけで楽しんでもらうためだけに一生懸命になっている感が本当に面白い。監督は安田公義。

 

一人の男が旅の帰り、真っ黒な妖怪に捕まる。カットが変わり、その時の恐怖を妖怪百物語に語っている場面に続いて、最後に百物語のしきたりのつきおとしの行事をして物語は本編へ。

 

貧乏長屋を取り壊して岡場所を作ろうとする悪徳商人がこれまた欲得だけの侍と結託し、逆らう貧乏人を殺した上に、娘を手に入れようとしたりする典型的な勧善懲悪ドラマが展開。

 

長屋には奉行所からの隠密侍が分かりきったように住まいするし、物語の流れで、悪徳商人が妖怪を封じ込めている祠を取り壊したことから妖怪たちに襲われ、とうとう命を落としてハッピーエンド。

 

手作り感満載の大映特撮の面白さを堪能できるし、やはり今見てもそれなりにクオリティの高い作劇のうまさに、にこやかに劇場を出ることができました。