くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「太陽は動かない」

「太陽は動かない」

それほど期待していなかったのですが、その通りだったというのはそれはそれで寂しい。アクション映画だと思って見ているとそのテンポの悪さに辟易とするが、人間ドラマだと見るとそれなりに監督の羽住英一郎の力量が発揮されていると思います。主人公の少年時代の場面をやたら挿入してくる前半部分がアクションシーンのキレを潰していくのですが、アクションを描くのではなくドラマを描きたいという意図なら正解でしょう。ただ、謎の美しい日本人の女性役に韓国女優を使ったのはさすがにいただけません。この一点でこの映画は星一つ評価です。

 

24時間に一度本部に連絡を入れないと胸に埋め込まれたチップが爆発するという、企業情報を盗んでは利益を上げている謎の組織AN通信の説明から映画は幕を開ける。そもそもネットドラマとのコラボらしいからこれもありでしょう。一人のエージェント山下が何者かに追われる展開になったところで、鷹野というエージェントが駆けつけ助け出す。本部への連絡を必死でしようとする山下だが、敵との乱闘の中なかなか進まず、最後の最後爆発して死んでしまう。山下が追っていた情報とはなんなのか、その謎を鷹野とその相棒田岡が探るのが本編となる。

 

二人に執拗に近づいてくるのがライバルのディビッド・キムというエージェント。物語は、山下が追っていた情報が、太陽エネルギーにまつわるもので、さらに海外にいる太陽光発電の画期的な蓄電システムを開発した小田部教授から情報を引き出すこと、さらにインドでとある少年が発見したエネルギー送電システムの情報などが絡んで、香港のアンディ・黄ら巨大組織や日本の電気メーカーなども絡んでの三つ巴四つ巴の情報戦とアクションの連続になる。一方で鷹野の少年時代の詩織という少女との初恋の思い出や、親友柳との青春の日々などが挿入されていく。

 

虐待されその直前のところを助けられた四歳の頃の鷹野は、やがて風間の指示のもと育てられ、AN通信という組織のエージェントとなる。風間の語る鷹野の物語が後半のきかせどころとなり、一方、一旦はディビッドに情報を売る決心をしていた小田部は、娘を誘拐され、さらに謎の日本人AYAKOの茶々入れもあって、二転三転転がっていく。結局、鷹野達が小田部を助け、海に投げ出されたところへ何者かに依頼されたディビッドがヘリコプターで駆けつけ、映画はクライマックスへ。

 

デビッドは、鷹野と柳が少年時代に交わしたエピソードの会話を鷹野に告げて暗に柳の存在を匂わせる。一方、小田部教授の理論を使ったプロジェクトは完成に向かうがインドの少年の発明の権利はAYAKOが手にしていたり、ディビッドの本当の狙いはアンディ・黄を失脚させることだったりと謎が明らかになっていって映画は終わっていく。

 

タンカー内に拉致された小田部教授を助けに行った鷹野が、海からどうやって脱出するかを考えていない雑さはさすがに残念ですが、そつのない娯楽映画に仕上がってはいたと思います。

映画感想「リーサル・ストーム」「スカイライン 逆襲」

「リーサル・ストーム」

荒っぽい上に都合良すぎの脚本で、ただ面白ければいいという展開が痛快なほどに楽しい典型的なB級アクション。その場その場でアイデア出てきたんじゃないかという流れに呆気にとられるけれど退屈しないのが良かった。監督はマイケル・ポーリッシュ。

 

あるカップルがカーセックスをしている。二人は警官で相棒同士、男はコルディーロ。発砲事件の連絡が入り、一人建物に乗り込んだが、銃を構えていて、廊下の向こうに見えた銃身を犯人と思い発砲、実は恋人だった。そして一年がすぎる。

 

ある男たちが一人の老婆を脅し、巨大なダイヤの指輪を奪おうとするが、老婆は売ってしまったという。その金を奪うために貸金庫へ同行しそこで、一緒になおしてあった名画を発見、その出どころが、とあるマンションに住む老人だとわかり犯人たちは老婆を殺してそのマンションへ向かう。なんという犯人やと突っ込んでしまう。

 

そんな頃、巨大ハリケーンが迫ってきて、コルディーロと相棒はまだ避難しないマンションの住人を説得しにやってくる。そこへ鉢合わせに来たのが犯人達。マンションの管理人を撃ち殺したのを目撃したコルディーロは、マンション内に避難して、ハリケーンから避難していない元警官のレイ、そしてドイツ人の老人、さらに、猛獣を飼っている黒人と迎え撃つことになる。この設定も都合良すぎ。

 

で、レイは、元捜査官の男の部屋に武器がたくさんあるので取りに行ったり、猛獣は警官を襲うように訓練していたりと、取ってつけたような設定が説明されていく。一人また一人と犯人達を倒していくが、終盤、レイも撃たれて死んでしまう。って、レイを演じているにはメル・ギブソンなのに、死んでしまうんかいというツッコミが入る。

 

コルディーロの相棒が犯人に拉致され、老人と名画のありかと引き換えに返すという犯人の申し出に、コルディーロは向かう。一方、レイの娘は猛獣を飼っている黒人と水の中を脱出するが、パニック映画に定番の水を潜るシーンが登場。これも笑う。

 

コルディーロは老人と犯人のところへ行き、犯人が逃げるためにコルディーロの制服に着替えたことを利用し、絵画のある部屋を、猛獣を飼っていた黒人の男の部屋と偽り案内。そして上手いこと言って、猛獣の部屋を開けさせ、犯人はライオンに喰われてハッピーエンド。

あとはエピローグで映画は終わっていく。なんとも言えないやっつけ仕事の娯楽映画でしたが面白かったです。

 

スカイライン 逆襲」

スカイラインシリーズの最終章なのですが、前二作のあらすじをほとんど覚えていなくて、なかなか物語が掴めずに苦労しましたが、B級SFとしては十分面白かったです。監督はリアム・オドネル。

 

一度はエイリアンを撃退した人類だったが、エイリアンは反撃の準備を着々と進め、地球上に残ったパイロットという洗脳したサイボーグを再び操り、逆襲しようとしていた。その計画を阻止するため、特殊なDNAを身につけたローズは、精鋭部隊と敵の拠点に向かう。

 

第二作で、自分が攻撃を躊躇したことからトラウマになっていたローズだが、敵の反撃を防ぐためにトレントらと参加。彼女には腕から発する強力な武器が備わっている。しかし血清を欠かさないようにしないとみるみる老化してしまう。エイリアン達もローズの力を手に入れるべく攻撃してくる。

 

敵の潜む惑星に降り、エイリアンがサイボーグを再び自分たちが操るためのコアエネルギーを奪取して、敵の作戦を破壊するのが目的で向かったが、コアエネルギーを手に入れた途端、作戦の指揮官の将軍が裏切り、ローズやサイボーグになったトレント達は惑星に残したまま、惑星を破壊してしまう。将軍が最初から裏切るつもりだったのだがその動機がほとんどわからない。

 

しかしすんでのところで巨大なモビルスーツのようなものに乗り込んだローズ達は、飛び立っていく将軍の宇宙船に飛び移る。一方エイリアンの首領も宇宙船内に乗り込んでいて、将軍を斬殺してしまう。そしてローズ達と最後の決戦となる。

 

一度は敵側に変わったトレントも心を取り戻し、ローズの活躍で敵を倒し、大団円。重傷を負ったトレントも再びサイボーグの体を手に入れ、地球上ではワクチンも完成して、人類はエイリアンの脅威からようやく解放されるかの流れで映画は終わる。

まあ、締めくくりにしては結局中途半端に終わるのですが、B級SFレベルで十分におもしろかった。

映画感想「ガンズ・アキンボ」「ステージ・マザー」

「ガンズ・アキンボ」

ハイスピードなカメラワークと細かいカットの切り返しとスローモーションを組み合わせた編集でテンポよく展開するスピード感は面白いのですが、なんとも悪趣味でグロとスプラッターが入り混じったZ級アクション映画という仕上がりでした。まあ、面白かったと言えば面白かったけど中身は全くなかった。監督はジェイソン・レイ・ハウデン。

 

世の中に、殺し合いをネットに流して楽しむスキズムなる輩たちが横行している近未来?携帯ゲームのプログラマーのマイルズは日頃の鬱憤をネット掲示板SNSに投稿して気を紛らせていた。たまたまスキズムにも攻撃的な投稿をし、突然スキズムの闇組織のメンバーが乱入し、マイルズを気絶させて両手に拳銃を固定してしまう。スキズムのリーダーリクターは最強の殺し屋ニックスを二十四時間以内に殺せば解放すると約束する。

 

物語は両手に拳銃を固定されたマイルズが、ニックスからのメチャクチャな攻撃に逃げ惑いながらも反撃していく姿を描く。一方、リクターは警察とも繋がっていたり、ニックスは幼い頃逆恨みでリクターに殺された警官の妻の一人娘だったりと無理やりの人物背景も描かれて、なんとか深みのあるドラマにもしようとしているが、結局、やたらめったらの撃ち合いシーンばかりである。

 

リクターはマイルズの恋人ノヴァを拉致し、マイルズをけしかけるが、マイルズはニックスと協力しリクターの組織に殴り込んでいってクライマックスとなる。そして、ニックスは自らを犠牲にしてリクターの部下を倒し、マイルズはノヴァを人質にしたリクターをやっつけて映画は終わる。瀕死のマイルズは何故か命は助かり、世界に広まったスキズムを根絶すべく戦いを続けるというエンディング。

 

まあ、何にも中身もない、派手な銃撃戦のみの映画でしたが、退屈はしなかったので許しましょう。

 

「ステージ・マザー」

いいお話やし、映画の空気感もいいのに、本当に残念。ストーリーテリングの組み立てが悪い。曲もいいし、ラストの盛り上げもいいのに、余計なシーンが多すぎて本当にもったいなかった。監督はトム・フィッツジェラルド

 

ゲイバーのステージシーンから映画は幕を開ける。舞台で歌っているのは誰もが口パクである。一人の女性?リッキーがステージに立ってそのまま倒れてしまう。カットはテキサス、リッキーの実家。母のメイベリンは息子が亡くなったという知らせを聞き、葬儀に向かうことにする。メイベリン夫婦はリッキーがゲイであることにずっと反対してきたため会っていなかった。メイベリンの夫は葬儀に行かないというので一人メイベリンは向かう。ところが、葬儀の場で、次々ゲイの人たちが歌い出したのでたまらなくなり出てくる。

 

メイベリンは、リッキーのパートナーだったネイサンから、リッキーが残したゲイバーの権利がメイベリンにあると知り店に行くが、経営が傾いていた。最年長のダンサーもやめ、ますます厳しくなった店を見るにつけ、メイベリンは、口パクを辞めて生で歌わせることにし、自ら営業にまわって、観光客を取り込もうとする。営業先のホテルでたまたまコンシェルジュ長の年配の紳士と知り合う。

 

やがて店は再度盛り上がり、ダンサーたちの様々なドラマもメイベリンの登場で解決していくが、夫が迎えにきたことをきっかけにテキサスに帰ることにする。そして店をネイサンに譲って、辞めた年長のダンサーに演出を譲り、メイベリンはテキサスに帰ってくるが、リッキーをどうしても許せない夫を見るにつけ、メイベリンは再び店に戻る。そして、コンシェルジュ長とも再会し、リッキーの映像が流れる中、メンバー全員が大熱唱して映画は終わる。

 

ラストの熱唱シーンが素敵で、映画を見事に締め括るのですが、終盤、一旦テキサスに戻るシーンが必要なのか疑問です。このシーンが妙に時間伸ばしに見える。中盤のダンサーたちのドラマをもう少し力を入れればもっと深い作品に仕上がった気がします。勿体無い映画でした。

映画感想「あのこは貴族」

「あのこは貴族」

これは良かった。演出とはこういう風にするものというお手本のように隅々まで行き渡った手抜きにない映像作りにまず驚かされるが、それにプラスして役者の使い方が実に上手い。さらに映像のリズム感も見事な感性で綴られていくから、物語が薄っぺらくなってこない。たわいのないストーリーがキラキラとさりげなく輝いてくる様にうっとりしてしまいました。監督は岨手由貴子。

 

2016年元旦に物語が始まる。タクシーの中から東京の夜の街を捉えていく映像と、切り替わってタイトル。タクシーに乗っているのはこれから親族の食事会に向かう主人公華子。実はこの日、華子は婚約者を連れていく予定だった。しかし、このタイミングで彼氏と別れ、食事会にやってくる。華子の姉らは、早速見合いを勧め、華子もそれに応じる。

 

このあと、ハイテンポで何人かの男性を紹介されて見合いをする場面が続く。そして、辟易としてきた頃、一人の男性、イケメンで弁護士をしている青木幸一郎と出会う。まさに奇跡と感じた華子は一気に幸一郎を好きになってしまう。友達の逸子に相談すると、どうやら名家の息子らしいとわかる。逸子は華子の友達の中で、華子同様独身のままで、バイオリニストだった。華子の家も開業医なのだが格はずっと上だった。ある時、幸一郎の携帯に一人の女性から届いたメールを見てしまう。やがて、幸一郎は華子にプロポーズする。

 

カットが変わり2017年故郷の富山に時岡美紀が帰ってくる。東京に住んでいた美紀は久しぶりに故郷に戻り高校の同窓会などに出る。かつて、慶應義塾大学に入学した彼女は平田里英という友達ができた。二人とも大学受験で入学した外組だったが、学内には内組という、高校から上がってきたいわゆるセレブ集団がいた。授業で美紀は一人の男性幸一郎からノートを貸してくれと頼まれる。やがて、父の体調が悪くなった美紀はなんとかキャパクラでバイトをしながら授業料を払うが、限界が来て大学を辞めてしまった。そして高校の同窓会で久しぶりに里英と再会する。

 

カットがが変わり、イベント会場で仕事をする美紀。彼女は幸一郎に誘われて手伝いに来ていた。舞台では逸子がバイオリンを演奏していた。そこで幸一郎を見かけ、さらに幸一郎のそばに美紀という女性が親しげにいるのを目撃する。そして美紀から名刺をもらうさい、美紀は幸一郎の名刺の裏に自分の連絡先を書いて逸子に渡す。

 

逸子は美紀を呼び出し、華子と会わせる。それは責めたりするのではなく、お互いに知るためだった。美紀はキャバクラにいた頃に幸一郎と再会し、遊び友達レベルで付き合っていた。美紀は幸一郎に富山土産をせんべつにして別れを告げる。そして東京で起業しようとしている里英に誘われる。

 

やがて幸一郎と華子は結婚するが、いかにもハイソな幸一郎の家庭に圧倒されながらもそつなく付き合っていく華子。やがて幸一郎が政界に出ることがわかりかけ、華子は次第に何かしらの疑問を感じ始める。そんな時、道で颯爽と自転車に乗る美紀を見かけた華子は声をかけて、美紀の部屋に行く。そこには雑多ながらも落ち着いた佇まいがあった。

 

家に帰った華子は疲れている幸一郎と二言三言言葉を交わす。そして、華子は離婚を決意し、幸一郎の家に家族総出で謝りに行く。一年の時が経つ。華子は逸子のマネージャーのような仕事をしていた。美紀は里英と新しい会社の仕事を精力的にこなしていた。

 

華子はたまたま逸子の演奏会の企画で出かけた先で、選挙区内を回る幸一郎と再会する。逸子のバイオリンの映像の中、幸一郎と華子は目を合わせる。こうして映画は終わっていきます。

 

全く、あまりに素敵であまりにそつがなくあまりにさりげない中に、現実のリアリティが見事に映し出されている。一見、ありえないような設定。古臭い設定のようで、現実には存在するのだというのを誰もが目を瞑っているのを見事に映像化した感じの素晴らしい逸品でした。

映画感想「女舞」「熱愛者」「愛情の系譜」

「女舞」

物凄いしっかりと作られた逸品で、この時代このレベルの映画が普通に作られていたのだから感心してしまいます。決して名作とかいうレベルの出来栄えではないけれど、一つ一つのシーンに役者の迫力が見られます。素晴らしかった。監督は大庭秀雄

 

舞踏家の家元の若師匠千弥が、舞の勉強のために能の天才と言われもてはやされている西川家の若師匠西川の芸を見ている場面から映画が始まる。女たらしでも有名だという噂の西川だが、千弥は純粋に芸の勉強に目を注いでいた。

 

しかし、たまたま千弥が舞った舞の意見を聞くべく西川の家を訪れたが、西川は千弥を五条家の能衣裳の展示会に誘う。その帰り、西川は千弥を誘い一夜を共にする。

 

千弥は日に日に西川にのめり込んでいき、一方で神崎という大学の先生との見合い話も進む中、苦悩の日々となる。間も無く西川は本家から波紋になり金沢へ移っていく。何かにつけて千弥の相談相手だった布川教授からその話を聞き、苦悶する千弥だったが、思いを立つ決心をし、神崎と結婚をする。

 

そして、千弥は葵上の舞を舞う日が近づいてきた。参考のためにと布川教授が用意した西川家の能舞台で、面を被った西川が千弥の前で舞う。西川は体を壊していて、東京に戻っていたのだ。

 

やがて千弥の舞の日、西川は死んでしまう。一人舞う千弥の見事な舞が西川の旅立ちを彩っていた。こうして映画は終わります。能の勉強を重ねた岡田茉莉子の舞台シーンも素晴らしいですが、脇役を含め全体が実にしっかりと描かれているのは見事なものです。映画全盛期の並の映画かもしれませんが、見応え十分な一本でした。

 

「熱愛者」

これはちょっとした映画でした。一見、平凡な恋愛ドラマのように始まるのですが、どんどんお話が転がって膨らんでいきます。その絶妙のリズムが不思議なほどに冷めた感覚が見えてきて、ラストシーンに唸ってしまいました。監督は井上和男。さすが新藤兼人脚本。

 

大学の講師で文筆家の緒方が友人と街を歩いている。室内美術を仕事にするデザインスタジオの友成という男が近づいてくる。少し離れたところに、友成のところで働く頼子という女性を認める。緒方はいつのまにか頼子と知り合い、頼子もいつのまにか緒方と親しくなり、みるみる恋の炎が燃え上がっていく。

 

緒方はすっかり頼子にのめり込んで溺れてしまい、頼子がいないと寂しくて仕方がない。そんな緒方に応える頼子。二人は結婚してしまう。しかし、何事にも完璧を求める緒方は、頼子のひたむきさがかえってしんどくなり始める。そんな頃、頼子は姉の民子を呼び寄せ一緒に住もうと提案する。そして頼子は友成の事務所に再度就職する。しかし、緒方と頼子の関係はみるみる溝ができてくる。さらに友成と頼子がかつて恋人関係だったことを知った緒方は、頼子と別れることにする。そんな頃、頼子は会社で新入社員の若い青年と恋に落ちる。

 

やがて頼子と緒方は離婚、頼子は家を出ていく。緒方は友人とカフェにいて、頼子らしい女性の姿を追って街に飛び出して映画は終わる。あれよあれよと展開する見事な恋愛劇というか恋愛観の描写のドラマが素晴らしい。これぞ新藤兼人脚本の真骨頂です。面白かった。

 

「愛情の系譜」

てんこ盛りに次々とお話が詰め込まれてくるのですが、結局どれも中途半端になってしまって、不完全燃焼の塊で終わった映画でした。監督は五所平之助

 

主人公藍子は、外人のガイドをして鷺山を見学している場面から映画は始まる。そこへ、鷺を撮影している一人の中年の男性が話しかける。藍子はそんな仕事以外に犯罪を犯した青少年を更生させたりする仕事をしている。その仕事に生き甲斐を感じている。彼女には立花という恋人がいて、結婚直前まで進んでいる。妹の紅子は最近派手な行動が目立ってきて母克代は心配している。しかし、紅子が会っていたのは死んだと聞いていた父だった。今は杉周三という名で、事業を成功させていた。

 

杉周三とは、実は藍子が鷺山で出会った紳士だった。杉は北海道で克代と結婚していたが、確執があり、克代からは離れていった。しかし克代は杉をナイフで刺して怪我を負わせてしまう。その恨みから克代は杉と関わることを嫌っていた。

 

一方、立花は取引先の実業家の娘苑子との縁談が持ち上がり、立花はほぼ結婚を決めているが、はっきり藍子に話せずにいた。そんな時、藍子が面倒を見ていた不良少年が殺人を犯してしまう。藍子にそっけなくされて自暴自棄になったらしい。

 

とまあ次々と物語や事件が繰り返され、結局、藍子は立花を殺そうとガスの元栓を開けるが、すんでのところで閉じて、立花との別れを決心する。一方、克代は満を期して杉の元を訪ねる。藍子は殺人を犯した青年を諭して自首しにいくところで映画は終わる。

 

結局紅子はどうなったの?親しげにやってくる大学生の行方は?とはてなマークだらけのラストシーンとなった。まあ、これも映画ですね。

映画感想「カポネ」

「カポネ」

アル・カポネの晩年の姿を、彼の妄想と幻覚の物語として映像でつづっていくなかなか見ごたえのある作品で楽しめました。監督はジョシュ・トランク

 

一人の男が大邸宅の中をうろついていて、ある部屋で一人の女の子を見つける。女の子は叫び声を上げて逃げると男が追っていく。あちこちから大勢の子供たちが出てきてその男と戯れながら庭に出て遊ぶ。映画はこうして幕を開ける。

 

この男の名はフォンス、かつて暗黒街を牛耳ったアル・カポネの今の姿である。1931年脱税容疑で逮捕されたアル・カポネは獄中で梅毒が悪化、その後出所してフロリダの邸宅で監視下の元過ごしているというテロップが最初に出る。この日感謝祭でフォンスの身内が大勢集まっていた。アルの名前は禁句とされ、みなフォンスと呼んでいた。妻が寄り添っているが、フォンスの病状はみるみる悪化していた。

 

時々、クリーブランドから電話がかかってくる。フォンスの隠し子トニーからだったが、フォンス以外には言葉を発しないのでわからなかった。

 

フォンスは息子たちと過ごす中でも突然失禁してしまったり、ベッドで大便を漏らしたりし、おむつをまかざるを得なくなる。しかし、愛用の葉巻は欠かさず口にしていた。

 

物語はフォンスが見る様々な幻覚とも現実ともつかない映像が描かれていく。それは、ギャング時代の殺戮や仲間内の抗争などの再現でもあった。時に、大金を隠しているという情報があり,FBIのクロフォード捜査官が探りを入れるが、はっきりわからない。彼はフォンスが仮病を使っているのではないかと疑う。

 

病状がさらに悪化し、軽い脳卒中なども起こし、医師は葉巻の代わりにニンジンを咥えさせるが、それに抵抗すら見せない。ところが、突然姿が見えなくなったフォンスは、飾り物の金ぴかのマシンガンを持って現れ、集まった人たちや使用人を滅多撃ちにして殺し始める。しかし、これもまた彼の幻覚だった。

 

やがて再び感謝祭の日が来るクリーブランドからの電話を妻がとり、トニーだろうと話す。そして、感謝祭が終わって皆が帰った後、一人庭に座るフォンスの傍らにトニーが座り、手をつないで映画は終わる。

 

殺戮の限りを尽くした一人の男の晩年の孤独を、シュールな幻覚を描く映像で語っていく物語は切ないほどに物悲しい。現実と幻覚をくっきりと描き分けずに、時にオーバーラップしたかのように映像が重なる演出はなかなかの一本でした。面白かった。

 

映画感想「春江水暖 しゅんこうすいだん」「ジョゼと虎と魚たち」(犬童一心監督版)

「春江水暖」

美しい景色と延々と捉える長回しの中に、変わりゆく中国の時の流れと、一つの家族の物語を静かに淡々と描いていく。抒情詩のような美しいハーモニーに沁み入る感動を覚える一本でした。よかったです。監督はグー・シャオガン。

 

祖母の誕生祝いに長男が経営するレストランでパーティーが開かれている場面から映画は始まります。ところが突然祖母が倒れ、救急車で運ばれる。高血圧による軽い脳卒中だったが、認知症が進み、四人の子供たちはその世話について話し合うことになる。

 

物語は兄弟四人や孫の生活を淡々と描く展開となる。長回しを多用したシーンが連続し、一方で美しい景色が挿入され、ゆったりと流れる映像のリズムが、間近に迫ってくる近代化の波と、人間の本質のドラマが絶妙の緩急で描く様は見事。

 

これという劇的な展開はないものの、素朴すぎるドラマがかえって物語を盛り上げてくるから不思議です。まもなくして祖母が亡くなり、その葬儀の場面で映画は終わっていきます。彼方には立ち並ぶ高層ビルと広がる湾の景色が胸に何かのメッセージを語りかけてきます。

 

ジョゼと虎と魚たち」(犬童一心監督版)

二十年ぶりくらいの再見。やはり素敵な映画でした。細かいセリフの中に散りばめられる厳しい現実、その間に描かれる切ないラブストーリーが絶妙で、主演の池脇千鶴の名演技が、なんとも言えない甘酸っぱさを映し出してくれました。

 

大学生の恒夫が麻雀店でバイトをしている場面から映画は始まる。夜な夜な出没する乳母車を押した老婆の話題になる。たまたま、店長の犬の散歩をしていた恒夫は、坂道を降りてくる乳母車と遭遇、中を見ると包丁を持った少女が乗っていた。押していた老婆に誘われるままに朝食を食べた恒夫は、その少女の足が不自由であることがわかる。彼女はフランソワーズ・サガンの小説のファンで、登場人物の名をとってジョゼと名乗っていた。

 

食事目当てで何度か恒夫はジョゼの家を訪ねるが、所詮、障害者だから構うなという祖母の言葉に足が遠のく。やがて就職活動を始めた恒夫は、会社訪問で、あの祖母が死んだことを知る。恒夫はジョゼの家を訪ね、一人で必死で暮らすジョゼの姿を見る。帰ろうとする恒夫に泣きじゃくって追い縋るジョゼ。彼女は心細かった。恒夫はその日ジョゼと体を合わせる。そして一年が経つ。

 

恒夫は実家の法事に行くことになり、ジョゼを連れていくことにする。二人は一時のアバンチュールを楽しむが二人は、永遠に続かないことを知っていた。そして、魚の泳ぐラブホテルで体を重ねる。

 

帰ってきて、少し経って、恒夫はジョゼの家を去る。迎えにきた彼女と歩いていた恒夫は思わずその場で泣きじゃくってしまう。自分の弱さに情けなくなる恒夫。

 

カットが変わり、電動車椅子に乗るジョゼ、自宅でいつものように料理をするジョゼのシーンで映画は終わる。散りばめられる現実の厳しさを表現するセリフと、犬童一心監督らしいギャグ映像なども満載で、深みのある一時の切ないラブストーリーに涙してしまいます。やはり名作ですね。