「大いなる不在」
なぜか涙が止まらない。一人の認知症に至った老人のこれまでの人生がサスペンスタッチで映像の中から滲み出てきるように伝わって来る物語に、なんとも言えない人生の深さ、生き方の機微、そして一途な愛、息子への思いが切々と感じられてしまいます。陽二が自分でもどうしようもなくなっていく老いに向き合うものの、行き場もなく自らを投げ出してしまわざるを得ないラストに胸が苦しくなるほどに悲しさを感じてしまいました。息子を演じた森山未來の淡々としてそれでいて温かみのある演技、彼を支える妻を演じる真木よう子の透明感あり存在、一途に生きてきた陽二を演じた藤竜也の深みのある存在感、そして彼を支える妻直美を演じる原日出子の温もり、どれもがとっても良い映画だった。監督は近浦啓。
閑静な九州の住宅街に一台にバンが静かに入って来る。その車に隠れて特殊部隊の面々が隠れ一軒の家に到着する。そして玄関から突入せんとするが出てきたのはスーツを着込んだ一人の老人陽二だった。こうして映画は幕を開ける。場面が変わり、舞踏劇か何かのセットと演じる卓の姿。舞台奥にシュールな映像が浮かんでいる。父陽二が認知症で施設に収容された知らせを受けて、妻夕希と一緒に九州の施設にきた卓は、職員から今後の対応についての説明を受ける。万が一食事も取れなくなったら延命治療をするかと問われて、今ここで返事できないと卓と夕希は施設を後にし、実家にやって来る。
卓の父陽二は大学教授で、25年前くらいに卓は一人で実家にやってきたことがあった。陽二は、アマチュア無線を趣味にし、三十年近く直美という妻と暮らしているが、実は直美と陽二はそれぞれに家庭がありながら交際し、それぞれの家庭を捨てて結婚したらしい。映画は、現在とこれまでの陽二の生きてきた物語を交錯させながら前に進んでいく。
卓が実家で整理などをしていると、突然宅配の弁当が届く。緒方という女性が契約したのだというが卓には緒方という女性に心当たりがない。そこへ、直美の息子だという男が訪ねてきて、直美の入院費用を立て替えている旨を知らせに来る。卓が直美が入院している病院に行くと入院していた事実はないと聞かされる。直美が倒れて病院へ入院した後、陽二の世話をしたのは直美の妹緒方だと知る。直美の息子の話では、緒方は陽二に襲われて、足を怪我したのだという。
そんな物語の合間に、卓と夕希が陽二を訪ねるくだりや、陽二が直美との生活の中で次第に認知症が進んでいく流れ、あるいは夕希を陽二に引き合わせた過去などが描かれていく。陽二は、次第におかしくなっていくのを自覚し家中にメモを貼るようになる。直美は、ある日陽二が自分を忘れてきたのを知り、かつて陽二からもらった手紙の数々を綴ったノートを見せるが、かえって陽二は逆上したりする。限界を知った直美は家を出ようと決意する。
卓は、陽二が残した直美の手紙の綴りを緒方を通じて直美に渡してほしいと緒方を訪ねるが、直美はすでにいないのだという。定かではないが、直美は自殺したのか海に向かっていく描写などが挿入されるので、死んでいるのかもしれない。直美を送り出した陽二は、警察に電話をし、身繕いを整えて、カバンを持って家を出る。冒頭のシーンである。東京では次の舞台に備えて稽古する卓の姿が映される。陽二が入っている施設の職人に卓は、延命治療をして可能な限り生かせてほしいと頼む。こうして映画は終わる。
時間軸を前後させながら次々と登場する人物の謎をサスペンスタッチに語りながら、陽二と直美の切ない恋愛ドラマを手紙を通じて語り、長い間疎遠だった父に対する思いがほぐれていく卓を映し出し、衰えていく陽二の悲哀も丁寧に描いていく展開がとにかく胸に迫るドラマがあります。良い映画でした。
「ストレンジ・ウェイ・オブ・ライフ」
30分足らずの短編映画で、正直何の話しかというほどのものでもない一本だった。監督はペドロ・アルモドバル。
ある街で女性が殺される事件が起こる。犯人らしい足を引きずる男を目撃したという情報で、保安官のジェイクは、その男を犯人と考えるが、それはかつての恋人シルバの息子ジョーだった。
そんな時、シルバがジェイクを訪ねてやって来る。ジェイクとシルバはゲイカップルの恋人同士だった。二人はベッドを共にするが、翌朝、ジョーを逮捕しにいくジェイクにシルバは、見逃してほしいと言う。しかし、ジェイクは聞き入れず、喧嘩別れしたシルバはジョーを逃すためにジョーのいるところへ行く。その後をつけてきたジェイクがジョーに銃を向けるが、ジョーはジェイクに銃を向け、シルバがそれを止めるためにジョーに銃を向ける。
ジェイクがジョーに銃を捨てるように言い、ジョーも一旦は銃を捨てるが隙を見て逃げようとし、ジェイクと格闘になる。シルバがジェイクを撃ち、ジョーはそのまま逃げ、ジェイクはその場に倒れる。シルバはジェイクを助け、部屋で手当てをし、かつて二人で牧場をしようとした話をして映画は終わる。
どういう意図で制作されたのか分かりにくい作品で、短編らしいウィットの効いた展開も見られない映画だった。
「お母さんが一緒」
延々と続く会話劇の連続という作りは舞台劇のような様相ですが、三姉妹の機関銃のような女子トークがとにかく楽しい。ただ、テレビドラマの再編集版としてよく仕上がっているものの、やや堂々巡り感が見え隠れするのはいた仕方なく、面白い作品ですが、終盤はちょっとしんどかった。監督は橋口亮輔。
母の誕生日を温泉でやろうという三姉妹が、旅館の送迎車がぬかるみにはまり押さざるを得なくなった場面から映画は幕を開ける。つく早々、文句ばかり言う長女弥生に辟易として応酬する次女の愛美。そんな様子を冷たく見る末妹の清美。しかも、連れてきた母も愚痴を言っているらしい。
そんな姉たちの前で、清美は結婚することに決めたと告白、フィアンセのタカヒロもこの旅館にくると告げる。そして、母の誕生パーティの夕食の場でタカヒロを紹介すると言う清美に姉たち二人は大騒ぎ。そこへタカヒロが到着し、ああだこうだと言う会話の結果、母に紹介する手筈を考えることになる。
ところが、夕食の席で、母は、弥生がプレゼントしたショールに対して、プレゼントよりも結婚と孫を見せろと言ったため弥生が切れて大波乱のうちにパーティは大失敗となる。この場面はあえて映さず、流れの中で説明される。部屋に戻った三人は例によってお互いを責め合い、タカヒロも右往左往する展開となる。そして、結局大喧嘩となってバラバラになりかけるが、翌朝、愛美が早朝に出かけたパワースポットの水を母に飲ませたら、母が妙に柔らかくなり、弥生のプレゼントも受け入れ、三姉妹は温泉に入り、タカヒロも後で温泉に入り、どこかうまくまとまって映画は終わる。
タカヒロのキャラクターをもう少し上手く使えればもっと良い作品になったかもしれないが、終始母の姿は出さず、三姉妹とタカヒロの会話劇を延々と続ける構成は面白いものの、もう一捻り全体のまとまりが欲しかった感じです。