くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「鋼鉄巨人 怪星人の魔城」「鋼鉄巨人 地球滅亡寸前」「青春怪談」(阿部豊監督版)「怪談かさねが淵」(怪談累ヶ淵改題縮尺版)

「鋼鉄巨人(スーパージャイアンツ)怪星人の魔城」

特撮は当然まだまだ稚拙だけれど、一生懸命面白く作った感が楽しい子供向け空想科学ドラマという感じです。監督は石井輝男

 

謎の空飛ぶ円盤目撃が相次ぐ所から映画は幕を開ける。米ソに核兵器開発中止を交渉に行ったスーパージャイアンツは、カピア星人の地球侵略の陰謀を知って日本へ戻ってくる。そして謎の円盤を撃破するが、今度は謎のウイルスを蔓延させてくるカピア星人。博士たちはカピア星人を倒すための新兵器開発を急ぐのだが、子供達ともどもカピア星人の魔城に拉致されてしまう。窮地を知ったスーパージャイアンツが博士たちを救出に向かうところでエンディング。

 

「鋼鉄巨人(スーパージャイアンツ)地球滅亡寸前」

前作「怪星人の魔城」の続きである。監督は石井輝男

 

カピア星人の魔城から博士たちを救出したスーパージャイアンツだが、カピア星人は、博士たちの新兵器製造工場を破壊すべく、博士たちに迫ってくる。地球の引力を操る魔術で人類を脅してくるが、スーパージャイアンツの活躍でカピア星人の策略を阻止、おりしも完成した新兵器で残ったカピア星人を倒してハッピーエンドである。

 

至る所にツッコミどころ満載の作品ですが、そんなリアリティや屁理屈はさておいても、とにかく空を飛ぶだけのスーパージャイアンツ、ただ殴り合いを繰り返すだけのアクションシーン、そんな合間にフィルム逆転やスローモーションを駆使したたわいない特撮が散りばめられて、幼稚ながらも今見れば微笑ましいほどに楽しい。古き良き昭和のノスタルジーも相まって、癒される時間を過ごすことができました。

 

「青春怪談」

同じ原作を市川崑阿部豊が同時に演出し同時に公開した作品で、以前市川崑監督版は見ていたが、やはり原作がいいのか脚本がいいのか、実にストーリー展開が見事で、しかも、今見ても遜色ないテーマも盛り込まれる先見の明の秀逸さは拍手ものである。淡々とコミカルにテンポよく物語が進んでいき、セリフの機関銃のような掛け合いのリズムに引き込まれていきます。市川崑版も良かったがこちらの作品も実に面白かった。監督は阿部豊

 

慎一が朝食の準備をテキパキこなしている場面から映画は幕を開ける。いかにも現代的な調理器具が並べられ手際よく朝食が出来上がっていく。奥から、母でだらしない性格の蝶子が現れる。慎一の恋人でバレリーナの千春もまた堅物の男寡鉄也と暮らしている。千春がバレエの公演に慎一と蝶子を招待し、そこで蝶子は千春の父鉄也と出会う。実は千春たちが計画した鉄也と蝶子の見合いだったが鉄也は全くその気にならない。しかし蝶子はすっかり気に入り、さらに千春から鉄也が夢中だと嘘を言われて舞い上がってしまう。

 

鉄也は娘の千春が慎一と結婚するまではという気持ちが強く煮え切らない。そこで慎一と千春は早々に結婚するべく式場の手配を始める。千春には彼女を慕う修繕というバレエ仲間がいた。同性愛で千春を慕う修繕は、千春と慎一の関係に嫉妬してしまう。一方慎一も、二枚目で、近所の芸者やマダムにモテ、パチンコ屋を経営しながら有閑マダム船越トミ子と親しくなり、彼女がバーを経営する後押しを手伝ったりする。

 

ところが、慎一と千春が結婚打ち合わせにトミ子のバーの二階で話している現場を見たトミ子は嫉妬し、千春と修繕が同性愛であることを新聞記事に書かせ、さらに慎一のパチンコ店に嫌がらせをする。結果、千春は初舞台の主演を下され、さらに慎一に、千春は実は男だという怪文書の手紙が届くにつけ、千春も混乱していく。

 

しかし、慎一と千春の想いは揺るがず、鉄也と蝶子がうまくいくように次の作戦を計画し、とうとう二人は結婚する運びとなる。千春は、怪文書の送り手が修繕だと知って迷い、慎一との結婚はとりあえず延期するとそれぞれの親に告げる。鉄也が仕事で香港へ行く前に蝶子と結婚することにし、二人を空港へ見送る慎一と千春の姿で映画は幕を閉じる。

 

ジメジメした展開を一切排除し、カラッと明るいタッチでぽんぽんと物語が語られる展開が心地よいほどに面白い。しかもセリフの応酬のリズムも抜群で、見終わって本当に気持ちのいい読後感のようなものを覚える面白い作品でした。

 

「怪談かさねが淵」(怪談累ヶ淵改題縮尺版)

オリジナル版は現存せず、本編のみが唯一見れる貴重作品。とはいえ、構図といいカメラワークといい、クライマックスに至るテンポ、そしてクライマックスに見せ方、さすがに傑作だった。監督は中川信夫。彼の作品では「東海道四谷怪談」が最高傑作ですが、あれに劣らずの名作でした。見て良かった。

 

雪の降るある日、あんまの宗悦が、悪天候の中借金を取り立てに出かけると行っている場面から映画は幕を開ける。娘のお累や、乳母のお鉄が心配する中、侍の深見家にやってきた宗悦は、もてなしを受けながら主人の深見に貸した金の催促をする。ところが主人の深見は、金はないと言った上、宗悦を罵倒して手打ちにしてしまう。宗悦の遺体は使用人の勘三に指示して近くのかさねが淵に捨てさせる。その際、魔除けに勘三は宗悦の遺骸に鎌を結びつける。その後、すっかり荒れてしまった深見は、宗悦の怨念か、乱心の末妻も斬り殺してしまう。生まれたばかりの赤ん坊新吉は勘三が引き取るが、自分では育てられないと、かつて世話をした羽生屋の軒先に捨てる。そして二十年の時が経つ。

 

江戸の小間物問屋として栄える羽生屋で新吉は手代として働いていた。娘のお久に気に入られ、この日も三味線の師匠のところへ共で行く。三味線の師匠こそ、宗悦の娘お累の今の姿だった。お久は新吉に思いを寄せていたが、お久の義母は、大店の山田屋の息子と婚礼の準備を進めていた。山田屋の息子の思いを叶えるために浪人の大村が不気味に立ち回っている。大村はお累に思いを寄せていた。

 

ある夜、謡の席でお累とお久が座敷を賑わしたが、新吉は近所の娘たちに言い寄られ、お久は拗ねて先に帰ってしまう。新吉は慌ててお久を追うが、三味線の教本を忘れたことに気がつき戻ってくる。そんな頃、お累に気のある大村がお累に迫っていた。そこへやってきた新吉のおかげでお累は助かったが、お累もまたお久についてくる新吉のことが好きだった。そして、二人はこの夜、体を合わせてしまう。

 

翌朝、羽生屋に戻った新吉だが、お久の義母から出ていくように言われ、結局、新吉はお累と暮らすようになる。この日、勘三は宗悦の墓参りに来ていた。そこでお鉄と出会う。そして新吉は深見家の息子であることを知る。お鉄はお累に新吉と別れるようにいうが、理由は話さなかった。ところがたまたま三味線のバチがお累の顔に当たりそれがきっかけで、お累は病に倒れてしまう。

 

新吉は献身的にお累の看病をするが、大村はお久をそそのかし、新吉との仲をとりもつようになる。それも皆、お久から金をせびるためだった。しかし、お累はまんまと大村の罠にハマっていき、新吉を恨み始める。顔の腫れが醜く広がり化け物のようになったお累は、船宿で密会している新吉とお久のところへ行き、諍いになった末階段から落ちてしまう。

 

新吉はお累を看病するが、大村が、婚礼の日取りが迫るお久を煽って、新吉と駆け落ちするように進め、五十両を準備させる。新吉はお累を一人にできず、とりあえず修理に出していた三味線だけ取りに行くとお累を残すが、そこへ大村が現れ、自分の顔を鏡で見てみれば良いと告げる。お累が水瓶に自分の姿を映してその醜さに恐れ慄き、さらにお鉄に新吉が深見の息子だと知らされ、お累は狂ったようにもがき悶え死んでしまう。

 

新吉は三味線屋で三味線を受け取っていたが、そこへお累が現れる。家に帰すためお累を籠に乗せた直後、お鉄がお累の死を知らせに来る。籠の中には三味線のバチだけがあった。新吉はお久と駆け落ちをし、途中かさねが淵にやってくるが、そこで、おぶったお久がお累に変わり、さらに落ちていた鎌でお久を斬り殺してしまう。そこへ五十両を目当てに大村が現れ、新吉を斬り殺すが、大村はお累や宗悦の亡霊に殺される。勘三やお鉄がお累らの霊を収めるべく精霊流しをしている場面で映画は終わる。

 

完成度の高さは見事なもので、日本的な抒情的な構図、流れるカメラワーク、クライマックスのハイテンポな切り返しと、流石に中川信夫の演出は見事。素直に面白い怪談話でした。