くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「瞳をとじて」「カラーパープル」(ミュージカル版)

瞳をとじて

高級な作品ですね。二時間五十分近くあるのに長さを感じさせない作劇のうまさは絶品で、非常にシンプルな話なのに、全体に深みのある味わいを感じさせる映画でした。登場人物の表情から溢れ出る感情がいつの間にか心に何者かを生み出していく気迫を感じ得る一本でした。監督はビクトル・エリセ。31年ぶりの監督作品です。

 

1947年、「悲しみの王」というテロップの背後に巨大な邸宅が映されて映画は幕を開ける。邸宅内では一人の老人レヴィがピアノを弾いていて、中国人の召使が窓を開けて明かりを入れ、フランクという人が来たと取り次ぐ。やって来た男フランクに余命わずかなレヴィは、上海へ行ってジュディスという女性を探して来て欲しいと頼む。フランクは邸宅を後にして手前に歩いて来て場面が変わる。ここまでは、ミゲルという映画監督が作っていた映画作品だった。そして、フランクを演じた俳優フリオ・アレナスが突然行方不明になっていた。

 

未解決事件というテレビ番組の収録でミゲルはテレビ局を訪ねる。出迎えたキャスターのマルタとの打ち合わせで、かつて撮影された作品の場面などを使いたいと話す。そして収録が終わったミゲルは、友人で映画フィルムを保管しているマックスを訪ね、テレビ収録した

フリオのその後の終息がわからないなどの話をする。また、フリオの娘のアナとも会い、しばし父の話をする。

 

ミゲルは海辺の住まいに行き、愛犬や管理を任せていた若夫婦らと話し、漁に出てしばしを暮らす。マルタから放映日の連絡があり、地元食堂で見始めるが途中でやめて店を出る。

 

そんなある朝、フリオらしい人物が見つかったとマルタから連絡が入る。海辺の高齢者施設で暮らしているのだという。写真を送ってもらい、ミゲルはその施設で、連絡して来たベレンと会う。フリオと思われる人物は記憶をなくしていてここではガリデルと呼ばれているのだという。そして、冒頭の映画撮影の際に使った中国人娘の写真を大事に持っているのだという。

 

ミゲルはしばらくこの施設に滞在することにし、ガリデルに近づいて話をするようになる。そしてアナにも連絡し、アナもやって来たが、ガリデルの記憶は戻る気配はなかった。施設のシスターから、ガリデルが療養所で保護された際に持っていた缶をミゲルは手にする。そこには、映画で使ったチェスのキングが収められていた。ミゲルは一晩考え、マックスに連絡をして、悲しみの王のフィルムを持って来て上映したいと頼む。

 

施設の近くに、最近閉館された映画館があり、そこで悲しみの王のラストシーンのラッシュを上映することにし、アナ、ベレン、シスターたち、そしてガリデルも招待して、ラストシーンの上映が始まる。

 

フランクは上海でジュディスという少女を発見し、レヴィのところへ連れ帰ってくる。そして邸内に入ったフランクとジュディスはレヴィに対面する。フランク=フリオ・アレナスとジュディス=アナのようなカットとレヴィの視線が交錯する。レヴィは、ピアノを弾き、布を濡らしてジュディスの顔を拭いて化粧を落とし、自分の娘だと確信、そして、苦しみの声をあげてその場に倒れ息を引き取る。レヴィに駆け寄るジュディスは、自分はチャオ・スーという中国名だと告げ、レヴィの目を閉じてやる。その場面を食い入るように見つめるガリデルのアップで映画は終わる。

 

果たして、記憶は戻ったのか、全ての余韻を暗闇に残して映画を終える手腕は流石にうまい。淡々と進む展開ながら、感情のうねりが静かに押し寄せてくる映像に、さすがという他ない感動を覚えます。高級な作りの秀作でした。

 

カラーパープル

原作がいいのとミュージカルナンバーがとっても素敵なので、素直に感動できる映画でした。でも、ミュージカルシーンを入れるためにドラマ部分はエッセンスのみをかいつまんで行かざるを得なかったために物語に深みがなくなったのはちょっと残念だし、ミュージカルシーンも舞台の域を出なかったのも物足りませんでした。こう考えると、スピルバーグ版がいかに優れていたかと、演出力の差でここまで変わるのかと納得してしまいました。監督はブリッツ・バザウーレ。

 

1907年ジョージア、仲のいい黒人姉妹セリーとネティがふざけ合っている場面から映画は幕を開けます。セリーは父アルフォンソの子供を妊娠していて、間も無く赤ん坊が生まれるが、すぐに貰われてしまう。ネティに村の若者ミスターがモーションをかけて来て嫁に欲しいというが、アルフォンソはセリーを勧め、結婚させてしまう。しかし、ミスターには三人の子供がいてセリーを奴隷のようにこき使う。ある日、アルフォンソに言い寄られるからとネティが逃げ込んでくる。ミスターに許されてネティも一緒に暮らし始めるが、ミスターがネティに言い寄って来て、ネティは拒否したので追い出されてしまう。

 

ネティはセリーに頻繁に手紙を出していたがミスターが隠してしまいセリーが見ることはなかった。やがてミスターの息子ハーポが恋人ソフィアを連れてくる。そしてミスターの土地に家を建てて暮らし始める。ところが、ハーポがソフィアを殴ってしまったことで気の強いソフィアは家を出てしまう。

 

残った家をハーポはレストランにすることにする。この村のエイブリー牧師には、自由奔放に生きる歌手のシュグがいた。シュグが村にやって来たことでミスターは大喜びし自宅に住まわせる。そして、ハーポの店の開店で歌うことになる。ハーポにはスクイークという恋人もできていた。ソフィアも新しい夫と店にやってくる。

 

シュグは奴隷のような生活をするセリーに、外の世界を見た方が良いと勧める。ハーポの店の開店で酔い潰れてミスターが戻ってこない朝、たまたまシュグが郵便を受け取る。それはネティからのものだった。セリーとシュグはミスターが隠している手紙を探し出す。ネティは布教のためアフリカにいた。まもなくしてシュグはメンフィスへ旅立つ。

 

ある時、ソフィアは夫とやって来てセリーを街に誘う。街でアイスを買っている時、市長夫人に、うちで働けと言われたソフィアはつい反抗的な態度を取り、市長に咎められて市長を殴り、大騒ぎの末、リンチにあって留置所に入れられる。そんなソフィアに献身的にセリーは面会に来る。6年が経ち、ソフィアは市長の家で働くことになって出所する。セリーはミスターに限界が来ていた。そして髭剃りの際にあわや殺しかけるがそこにシュグが戻ってくる。

 

ミスターの家にシュグ、ソフィア、セリーらが集い、シュグは夕方旅立つがセリーも連れていくと公言、さらにスクイークも連れていく。残されたミスターとその父親は悪態をつくがどうしようもなく、ソフィアは以前の威勢が戻って、男たちを押さえ込んでしまう。

 

時が経ち、セリーに父が亡くなったという知らせが届く。そして相続の関係で、セリーは家を引き継ぐ。セリーはそこをパンツショップに変える。すっかり年老いて落ちぶれたミスターは夜毎ハーポの店で管を巻いていた。いつものように酔っ払って畑で一夜を明かしたミスターは、ネティからの手紙を受け取る。そこには、故郷へ戻ってくるので入管管理局に手続きして欲しいというものだった。ミスターは役所へ行き、金が欲しいと言われて土地の一部を手放すことにする。

 

シュグはエイブリー牧師の教会に行き、これまでの確執を無くして抱き合う。感謝祭の日、セリーはミスターらを招待した。宴もたけなわとなり、一台の車が来る。そこにはネティ、セリーの子供達、孫たちが乗っていた。こうして映画は幕を閉じる。

 

歌唱シーンを挿入するために大切なドラマ演出が全てカットされ、エッセンスだけのストーリーになってしまったので、若干、厚みが無くなった。絵作りもカメラワークも、普通の仕上がりで、こうしてみるとスピルバーグ版がいかにずば抜けた仕上がりだったかを再確認してしまう結果になった。とはいえ、オリジナル版と別に考えればこれはこれで感動できる一本でした。