くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「英国式庭園殺人事件」「プロスペローの本」

「英国式庭園殺人事件」

初公開以来何度か見ている作品で、その度理解できなかったが、今回初めて面白いと感じた。映像や展開のシュールさはもちろん、機関銃のように繰り出されるセリフ、貴族の退廃的な姿を揶揄するような展開、そして、遊んでいるのかと思うようなブロンズの彫像が動くシーンなどなどが実に個性的で面白い。奇作ではあるけれど、逸品と言える一本です。監督はピーター・グリーナウェイ

 

暗闇の中、食事に集ったハーバート家の妻ヴァージニア、娘サラ、その夫タルマン、そして公証人のノイズ、さらに領主のノーマンらが下賤な会話を繰り返している場面から映画は幕を開ける。この場に画家のネヴィルもいたが、ヴァージニアはネヴィルに、ハーバート家の庭の絵を描いて欲しいと頼む。それは、夫ハーバートの誕生祝いのサプライズなのだという。しかし著名なネヴィルは、自分を雇うには金がいるなどと高飛車に答える。ヴァージニアは、ある提案をする。それは庭園の絵十二枚について一枚8ポンド払うことと自身の体を与えるというものだった。

 

やがてハーバートは十二日間サウサンプトンに出かけることになり、この間に絵を描いて欲しいとヴァージニアはネヴィルを説き伏せ、ノイズによって契約書が作られて、ネヴィルは絵を描き始める。各場所ではネヴィルの指示によって使用人の出入りが制限されたり、調度品を指定されたりやりたい放題をし、気が向けばヴァージニアを抱いて過ごす。

 

やがて六枚の絵が完成した時、サラが、母は単純な女性ではないと警告した上で母と同じ契約を私ともして欲しいと提案。ネヴィルはその申し出を受ける。そして十二枚の絵が完成するが、なぜかその絵にはないはずのハシゴや、馬のブーツ、上着などが書き足されていくようになる。そして十二枚が完成した日、ハーバート氏の死体が運河から上がる。ネヴィルには関係がないとその地を去るが、ハーバート家では、十二枚の絵を売ってハーバートの記念碑を建てる話が出てくる。さらにタルマンはサラの不倫を知っていたが、それを問い詰めると、逆にサラが子孫を残すために企てたと言い返す。

 

ネヴィルはノーマンの求めで戻ってきて、ヴァージニアと会う。そして当初予定していた十三枚の絵のうち十二枚を完成させたこと、残る一枚の場所となる馬の像の前の絵を描くと伝える。そしてネヴィルがヴァージニアと懇ろにしているところへサラが入ってきて、全ては、子供が作れないタルマンに愛想をつかせたサラが、子孫を残すためにネヴィルを利用したことを告白して、サラとヴァージニアはネヴィルを残して部屋を出ていく。

 

ネヴィルは馬の像の前で絵を描き上げるが、そこへ黒ずくめで仮面をした人々が集まってくる。彼らはネヴィルを責めるが、ネヴィルは、仮面の人物がノーマンであり、ノイズであり、タルマンであると見抜く。黒ずくめの人々はネヴィルの目を潰し、最後に双子が彼を殺す。ネヴィルの絵は燃やされ、映画は終わっていく。

 

シュールな中に、独特の世界観を描き出す手腕は非常に面白いが、いかんせん、なかなか癖があって素直についていけないところもある。芸術作品というのがぴったりの作品でした。

 

「プロスペローの本」

初公開以来の再見だから四十年近くになるかも知れない。圧巻の映像アートの世界に呆気にとられる映画だった。物語こそついていけないほどに難解だが、それは特撮テクニックを駆使した映像表現と、舞台劇のような演出、主演のジョン・ギールグッドの名演などが積み重ねられたゆえであろう。恐ろしいほどの超大作かと思うほどに膨大なエキストラと、横と縦に延々と流れる流麗なカメラワーク、美術セットの素晴らしさとほとんどのエキストラが全裸という絵作りに圧倒されました。監督はピーター・グリーナウェイ

 

ミラノ大公のプロスペローが実弟アントーニオとナポリ王アロンゾーによって絶海の孤島に追放されるというテロップの後、絢爛たる画面からのミラノ大公プロスペローの姿に映像が移って映画は始まる。画面中央にもう一つの画面がオーバーラップし、カメラは延々と横移動をしながら、プロスペローが執政を弟アントーニオに任せたために、アントーニオはアロンゾーと組んでプロスペローを追い出そうとしたことが描かれていく。

 

プロスペローは娘ミランダと絶海の孤島に流れ着く。しかし親友のゴンザーローが、彼に二十四冊の魔法の本を授ける。プロスペローはその本を読むことで絶大な力をつけ、十二年の年月が経つ。そして、孤島に小イタリア王国を築き、妖精キャリバンを使って壮大な復讐劇の本「テンペスト」を執筆し始める。映画はその執筆する物語を現実か幻想かわからない風に映像化していく。

 

嵐を起こし、アロンゾーの船を難破させ、乗組員を船に閉じ込める。さらに、アロンゾーに架空の息子ファーデナントを作り出してミランダと恋をさせる。それは、アロンゾーの子孫がナポリとミラノを継承するという野望を打ち砕くものだった。アロンゾーたちがトリンキーとステファノーという仲間に島を乗っ取らせようとしたが失敗するという筋書きを作り、アロンゾーには近親者による暗殺を企てる。

 

しかし、そんな筋書きを考えたプロスペローにエアリアルから、そのあまりの残虐性を指摘されてプロスペローは自分が間違っていたことに気がつき、本と魔力を捨てることを決意する。その瞬間、彼が作り出した人々が生を得て語り始め、ファーデナントとミランダはめでたく結婚することになり、アントーニオとアロンゾーを許し、ミラノ大公に返り咲いて母国へ帰ることになり映画は終わっていく。最後にプロスペローを助けたエアリアルは自由の身になって飛び立っていく。そしてプロスペローは観客に許しを乞う姿でエンディング。

 

というお話のようだが、執筆していく本の物語が目眩くような絢爛たる映像で展開していくので、それに惑わされてストーリーを追えなくなってしまう。シェークスピア劇なのでセリフも非常に凝っていて、それについていけない部分もあるのですが、本当に所狭しと画面を覆い尽くす人々の姿と、凝った映像テクニックに圧倒されてしまいました。