くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「梟-フクロウ-」「一月の声に歓びを刻め」「Here」

「梟 フクロウ」

めちゃくちゃに面白かった。史実を元にしたとはいえ、サスペンスの組み立てがしっかりしているし、次々と変転するストーリー展開が実に上手い。しかも、仰々しい演出もなされず、徹底的に観客の興味を画面に惹きつけることしか考えられていない脚本も上手い。映像こそ普通ながら、グイグイと引き寄せられてしまいました。一級品の娯楽映画でした。監督はアン・テジン。

 

時は17世紀朝鮮、一人の男が幼い弟を背負って走っている姿から映画は幕を開ける。弟は心臓が悪いらしく、兄のギョンスは生まれながらに目が見えないが鍼術師として生計を立てていた。この日、王宮の御医イ・ヒョンイクが訪れ、優れた鍼術師を選ぶ試験にやってくる。しかし、患者の病名を誰も見抜けず諦めて帰りかけたところ、ギョンスがその患者の脚の動きから病名を言い当て、鍼灸を施して治してしまう。

 

ヒョンイクはギョンスを王宮の薬師の元に雇いれる。ギョンスは弟にとりあえずの薬を与え、一ヶ月余りの王宮での仕事に出発する。実はギョンスは、明るいところでは目が見えないが暗闇だとぼんやり目が見える病気だった。深夜の当直の際に弟への手紙やらを認め、師と共に勤める。ある日、清に人質にされていた王の息子世子とその妻世子嬪が戻ってくる。しかし、世子と確執のある王はまともに出迎えようともしない。しかし、王の仕業をよろしくないと思う領相は機転を効かせて王を戒め出迎えに出す。

 

世子は、明を滅ぼし西洋の技術を入れて発展する清と仲良くなることを王に進言するが王はいい気がしなかった。世子は咳の持病があり、それをギョンスが治したことから、世子はギョンスを気に入り、清でもらった拡大鏡を与え、しかも、暗闇では目が見えることを見抜いてしまう。

 

世子は、ギョンスの秘密を明かすことはなかったが、間もなくして病に倒れる。ギョンスが御医のヒョンイクに連れられ世子の部屋にやって来て、御医が言う通り絹を濡らしては御医に渡し、御医は自身の鍼で世子を治療した。しかし、蝋燭の灯りが消え、ギョンスの目がぼんやり見えると、絹を浸していた水は毒水で、薬屋で毒の入った瓶に御医の鍼は浸けられているのを見てしまう。ヒョンイクはギョンスの目に針を近づけるがギョンスはバレてはいけないと動じなかった。

 

やがて治療が終わったと言うヒョンイクとギョンスは部屋を出るが、心配になったギョンスは一人の世子の部屋に戻る。しかし、すでに世子は死んでいた。ヒョンイクの鍼が一本忘れていたので証拠に取り込んだギョンスだが、そこへヒョンイクが戻ってくる。慌てて逃げたギョンスは、足を怪我してしまう。逃げる後ろ姿のギョンスをヒョンイクが見つけ、警護員が駆けつける。ヒョンイクは怪我をして逃げた男が犯人だと言う。

 

ギョンスは世子嬪にところへ行き、ことの次第と、犯人はヒョンイクだと告げる。世子嬪は、王にその旨を伝えると約束する。時を同じくして、王が背中が痺れるからとギョンスを呼ぶ。ギョンスは王の元に行き治療を始めるが、そこに世子嬪がヒョンイクの罪を告げるためにやってくる。しかし、王が黒幕だと見抜いたギョンスは世子嬪に黙るように合図する。さらに王の元に、世子嬪が実家から届いたと鮑のスープを提供されたが、そこに毒が入っているように画策した王に仕組まれ、世子嬪も投獄されてしまう。

 

ヒョンイクは王から、世子を毒殺するように指示した手紙を持っていたが、燃やすようにと言う指示だったが隠していた。ギョンスは、王の企みの証拠を探すためにヒョンイクが王から手渡された包みを思い出し、隠している手紙を発見、領相のところに持っていくが、王が左手で描いたものなので、王の筆跡と見分けがつかないという。

 

そこで、面前で左手で文字を書かせるため、ヒョンイクに指示されたとギョンスが鍼をうちに王のところへ行き、右手を痺れるようにして左手で文書を書かせる。すんでのところでヒョンイクが駆けつけるが、王を痺れさせて文書を持ち出したギョンスは文書を領相に届ける。領相はギョンスを逃がそうとするが、門を出たところで世子の息子も病に倒れたと知り、王に殺されると思ったギョンスは引き返し、息子を取り戻して逃げる。

 

その頃、私兵を集め、王を糾弾するべく領相が王の部屋に迫っていた。そこに、息子を抱いたギョンスも駆け込む。ところが、結局領相は王を殺すことはせず、全て収めようとしてしまう。兵士や武官の間には王への不審が募るが、ギョンスは拘束されてしまう。

 

間も無くして、世子嬪は処刑され、世子の子供は流刑され、ギョンスも斬首されることになるが、すんでのところで処刑人は彼を助けてしまう。そして四年が経つ。ギョンスは世子の子供が流刑されたところで鍼術師として人々に慕われていた。その頃、宮廷で王が病に倒れ、医師を求められて、名医と名高いギョンスが呼ばれる。ギョンスは王の前にやって来て、王と対峙して映画は終わる。

 

とにかく緻密に組み立てられたサスペンスがとにかく面白く、映画のテンポもいいので最後まで退屈しない。しかも、程よいリアリティと、理不尽な時代色もしっかり描かれた厚みのある物語がなかなかの一本でした。

 

「一月の声に歓びを刻め」

三つのエピソードを三種三様でで描くクオリティの高い良い作品なのですが、妙に三つ目の話に力が入りすぎた感が強くて、一話、二話の部分が霞んでしまった気がします。最終章で第一話を繰り返す展開なのですが、三話をまとめるにはシュールすぎる気がして、さらに第一話の人物の歌声で締めくくるのはちょっと頭でっかちな気もしました。監督は三島有紀子

 

洞爺湖畔の中島、一軒の家で老婦人マキがおせちを作っている場面から映画は幕を開ける。マキは次女れいこを亡くしていて、やがて、長女夫婦と孫がやって来て新年の祝いをするが喪失感が漂う。やがて娘達は帰るが、帰り際、娘は、夫が来るのはこれが最後だろうと告げる。残されたマキは、一人部屋の中で何やら幻覚に襲われて、叫んでしまう。部屋の中にはメモが張り巡らされていて、どうやら認知症の初期なのだろうか。窓を開けて、雪景色の湖を眺める場面で第一章が終わる。

 

第二章、東京都八丈島、一人の男誠が牛に餌をやっている。太鼓の音が被り、部屋で太鼓を叩く龍のいる部屋に海が帰ってくる。まもなくして誠が帰ってくる。誠は交通事故で妻を亡くし、一人で娘海を育てたらしい。海は妊娠しているらしいが誠になかなか話さない。そんな誠は海に届いた手紙を開けてしまう。そこには離婚届と海の相手らしい男の名があった。誠は龍を誘い、軽トラで海の相手を迎えるべく港へ向かうが途中で海に出会う。海は、彼氏にプロポーズされたが返事に困っていると、いつ離婚しても良いから結婚してほしいと離婚届を送りつけて来たのだという。彼氏の乗ったフェリーが近づいてくる中、誠は海を送り出してやる。海は岸壁でフェリーに叫んで第二章が終わる。

 

第三章、大阪南港に一隻のフェリーがつく。降りて来たのは元彼の葬儀に大阪堂島に戻って来たれいこだった。葬儀に参列した帰り、母と喫茶店に寄るが、母の恋人が来て母はさっさと出ていってしまう。れいこは河岸に佇んでいて、一人の青年に声をかけられる。彼はレンタル彼氏で、トトという名だという。れいこはトトを誘ってホテルに行き、SEXをするが、れいこの寝顔をトトはスケッチする。

 

ホテルの帰り、れいこは、なぜトトとSEXしたのかを話す。トトがあまりにつまらないからだというれいこだが、トトがれいこのスケッチをしているのを見つけ、取り上げる。そして6歳の頃、イタズラされたことを告白する。れいこはピンクの花の咲く空き地で男にイタズラされ、その男の口にスコップを突っ込みその罪悪感が自分に残っているのが悔しいという。そして、現場に行き、咲いている花を次々ともぎ取る。トトはその花を集め、そこにれいこのスケッチを乗せて燃やす。こうして第三章は終わる。

 

最終章、雪深い洞爺湖の岸でマキはフェリーに乗り対岸に行く。手には何やら包みを持っている。湖畔に行ったマキはれいこは悪くないと叫びその場にうつ伏せに倒れる。場面が変わり、夜の街、スナックを食べながら歌い出すれいこの姿で暗転、映画は終わる。

 

マキとれいこは最初と最後で繋がるが、第二話の存在が、映画を繋いでいる気がする。ただ、そのメッセージが感じられなかったのは自分の感性が足りないのか描写が弱かったのか、良い映画ですが、行間を読まないと真価が理解できない映画だった気がします。

 

「Here」

何気ない日常を淡々と描く映像詩のような作品で、何が起こるというわけもなく静かに、ただ静かに映像が流れていく。気がつくと、日常の何かの隙間が埋まっていくような感じがする不思議な映画でした。監督はバス・ドゥボス

 

ベルギーの首都ブリュッセル、ビル工事の現場、ここで働くシュテファンは、月曜日から休暇を取り故郷のルーマニアに帰ることにしている。長期の休暇の予定なので自宅の冷蔵庫を空っぽにしようと、残った食材でスープを作り、友人などに配って回る。ここに植物学者で中国系ベルギー人のシュシュは、この日も研究に勤しんでいた。シュテファンがたまたま寄った中国料理の店でシュテファンはシュシュに出会う。

 

シュテファンが、修理に出していた車を取りに行くのに森の中を歩いていると、シュシュと出会う。シュシュは苔を研究していた。シュテファンはしばしの時間シュシュと一緒に苔を散策する。木漏れ日からの光、雨粒、自然の静かすぎる音、彼方に走る列車、そんな様々に気がつきながらシュテファンとシュシュは散策を続ける。

 

中国レストランでシュシュが食事をしていると、その店の主人が、男がスープを置いていったと告げる。主人が男の名前を聞くが、シュシュが黙ってしまって暗転映画は終わる。

 

全編、静かに流れる日常の断片で、映画全体が実に優しい色合いで展開していく。地味と言えばそれまでだが、こういう作品もまた映画の魅力だと思います。