くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「青年の椅子」「祈るひと」「いのちの朝」「堂堂たる人生」

「青年の椅子」

全くの能天気で陽気なサラリーマン喜劇という感じの一本で楽しかった。監督は西河克己

 

九州から東京へ出てきた熱血社員の裕次郎が、会社内の権力争いに巻き込まれながら、最後は正義を貫いてハッピーエンド。

 

一体いつ仕事をしているのかという面倒な理屈はともかく、悪役はいつもの面々、善人ももいつもの面々とわかり配役も楽しい。これが映画全盛期というものですね。

 

「祈るひと」

当時の結婚観や恋愛観を垣間見ることができる非常にまじめな作品。監督は滝沢英輔

 

国文学者で厳格な父のもとに育た主人公の女性が、結婚を考えるうちに彼女の周辺の人々の姿に触れるうちに自立していく姿を描いていきます。

 

とにかく丁寧で真面目な秀作で、こういう生真面目な作品もまたこの時代の色かもしれません。

 

「いのちの朝」

一見、堅物の芸術家の物語と思いきや、意外と適当に仕上がっていくハッピーエンドがほほえましい作品です。監督は阿部豊

 

何十年もジャガイモだけを書いている才能はあるが貧乏画家の父を持つ主人公。画家の友人の尽力もあって、娘の絵を100号のキャンバスに描く決心をし、個展を開いて成功すると突然俗っぽく変身してしまう画家。

 

このあっけらかんとした展開が、一瞬はてなと思ってしまうが、芦川いづみのストレートな魅力が満載の作品に仕上がっていました。

 

「堂堂たる人生」

これまた、何の変哲もなく笑い飛ばすサラリーマン喜劇の一本でした。監督は牛原陽一。

 

つぶれかけのおもちゃ会社に勤める裕次郎。この会社に入社したいと望む寿司屋の娘の芦川。やがて、彼らはこの会社を立て直すべく奔走し始める。

 

一体仕事はいつするのというのは先ほどの感想同様ですが、とにかくあれよあれよと思うようにころがっていく展開がほほえましいほどに楽しい。

 

映画は娯楽なのだという時代の象徴のような一本でした。

 

映画感想「初恋 お父さん、チビがいなくなりました」「パパは奮闘中!」「轢き逃げ 最高の最悪な日」

「初恋 お父さん、チビがいなくなりました」

見るつもりはなかったのですが、友人に勧められ見に行きました。これはなかなかの秀作。余韻が残ってとってもいい映画でした。映画のテンポもいいし、さりげない物語に潜む人生の機微がとっても素敵です。監督は小林聖太郎

 

主人公有喜子と勝の何気ない家庭の描写から映画が始まる。チビという黒猫と同居し、有喜子は猫と会話しているのがほとんどで、今や勝も有喜子に応えることもない。そんなありきたりの毎日だが、ある時チビがいなくなってしまう。それと同じくして有喜子は娘の菜穂子に、お父さんと離婚しようと思うと打ち明ける。

 

毎日、朝出かけ、将棋会館で将棋をし夕方帰ってくる勝。有喜子とは、若い頃見合結婚したのだが、実は勝が毎朝立ち寄る牛乳店の店員だった。若き日の有喜子は勝のことを密かに思っていたが、思いを伝えられず、たまたま手にした見合相手が勝だったために、運命の結婚をして今日になった。しかし、3人の子供も独り立ちし、今や家に中には夫婦のみと猫一匹だった。

 

ある時、勝は会社帰りに陸橋の上で方向がわからなくなり、右往左往してしまう。その日はなんとか帰ったものの、自分が認知症にかかり始めている現実に一人泣きじゃくる。それでも有喜子に話せなかった。勝はかつて牛乳店で有喜子と一緒にいた志津子と時々あっては相談をしていたが、先日の道に迷ったことを伝え、有喜子に話すよう言われる。

 

行方不明だったチビは見つからず、ある夜、とうとう有喜子は勝に離婚のことを打ち明ける。そして勝は、若き日、牛乳店にいた有喜子が好きだったが言い出せず、たまたま見合いをしたらそれが有喜子で驚いたことを初めて話した。その夜、チビは帰ってくる。

 

翌朝、お互いのわだかまりも消えて散歩する有喜子と勝。勝は話しておきたいことがあると有喜子に行って映画は終わる。

 

勝の将棋相手になる若者や魚屋の主人、子供達3人など何気ない脇役の存在も実にいい感じで、中心の話を決して邪魔せずに絶妙の味付けをしてくる荷が実に良い。これからの二人がどうなるのかその余韻もたまらなく切ない。

 

さりげない物語ですが、胸にゆっくりと染み入ってくるような感動が湧き上がってきます。良い映画でした。本当にいい映画でした。

 

「パパは奮闘中!」

フランス映画独特のめまぐるしいオーバーラップ的な編集と機関銃のようなセリフの応酬。それはそれで面白いが、結局なんなのだろうという映画でした。監督はギョーム・セネズ。

 

主人公オリヴィエは物流センターの勤務だが、ほとんど深夜のために日中は家にいない。二人の息子を世話するのは妻のローラ。ローラは洋品店で働いて子育てをしている。

 

そんなローラはある日、勤め先で倒れてしまう。一方オリヴィエが自宅に帰りローラとのささやかな食事を楽しむ。ある日、オリヴィエの職場に電話がかかり、ローラの迎えがないので子供達を迎えにきて欲しいという学校からの連絡。

 

オリヴィエが子供を連れて帰ってみたらローラがいない。仕事場にも無断欠勤のまま。どうやら家を出たらしいが、どこを探してもいない。とりあえず、オリヴィエは子供たちの面倒を見ながらの生活が始まる。

 

オリヴィエの職場では、労働問題がさりげなく起こっているが、オリヴィエは関わるまいとしている。物語はオリヴィエらのドタバタを中心に、子供達の微妙な心の揺れ動きを交え、オリヴィエの周囲の人との関わりが描かれていく。

 

とにかく唐突につないでいくカットの連続とセリフに応酬が目まぐるしく、オリヴィエの妹など、周囲の人が次々と助けにくるが、ローラは見つからない。

 

そんな中、オリヴィエに昇格の話が持ち上がり引越しの必要が出てくる。オリヴィエは子供達と多数決で決めて引っ越しすることにし、壁にお母さんへのメッセージと新住所を書いて車で去ってエンディング。

 

面白くないわけではないが、今ひとつ伝わってくるものは見えない。ローラが家出した理由は結局わからずに終わらせる映画的な手法はそれはそれで評価できるが、そこまでという感じでした。

 

「轢き逃げ 最高の最悪な日」

脚本が弱い。キーになる事件の創作が甘いので全体の物語に迫力とリアリティがなくなった感じです。こういうどんでん返しのストーリーを作りたいが前に出すぎて、肝心のドラマが作り出せなくなった。悪く言えば素人脚本ですが、もうちょっと丁寧に推敲して練り直せば面白くなったかもしれないに残念です。監督は水谷豊。

 

森田輝という青年が走っている。親友の宗方秀一との待ち合わせに遅れたのだ。待っていた秀一の車に飛び乗り目的地へ向かう。しかし渋滞でさらに遅れそうになった二人は抜け道として、以前見かけたスマイルという喫茶店のある住宅地の道を進む。ところが、喫茶店の前にカーブを切った瞬間目の前に女性が立っていて、撥ねてしまう。しかし、二人は、ここで人生を終わらせたくないと咄嗟に逃げることにする。秀一は数日後に会社の副社長の娘との結婚式を控え、輝もその司会を予定していた。この日、その打ち合わせだった。

 

その夜、動転したままの二人に、動物の目を張り合わせただけの脅迫状らしいものが届く。この展開もかなり不自然なのですが、やがて結婚式では脅迫まがいに祝電までくるがとにかくも終える。ところが間も無くして、秀一は逮捕され、続いて輝も逮捕されるが、輝は直接の加害者ではないとしてしばらくして釈放される。

 

場面は被害者の家庭へ移る。被害者の父時山光央は、悲しみに沈んでいる。毎晩酒に溺れ、娘のビデオを見ている。ここも薄っぺらい。刑事は、娘の携帯が見つからないと不審がるのだが、ここもまたとってつけたようである。

 

光央は、娘の日記から、事故の日会う予定だった人物を探し始め、とうとうその人物の家に忍び込み、娘の携帯やら目を切り抜いた図鑑などを発見。なんとその男は森田輝だった。とまあ、この展開も流石に無理がある。

 

そしてもみ合いながらベランダから落ち、輝は再逮捕される。彼は学生時代から秀一を羨み、彼を困らせるために、たまたま合コンで知り合った光央の娘を利用したと白状するのだが、なんとも弱い。しかも彼はサイコパスなのだがその経緯も描写も実に弱い。

 

とまあ、どんでん返しですよと無理やり組み立てた物語は、最後に秀一のフィアンセが光央の妻に会いに行って終わる。つまりどれもが弱いのです。底が浅いのです。あまりにもリアリティの弱さにどうにもならないという感想に終わりました。

 

 

 

映画感想「芳華 Youth」「青年の樹」「白い夏」

「芳華 Youth」

近代中国史はほとんど知識がないのですが、そんな激動の時代を背景にした青春群像劇としては、とってもみずみずしくて爽やかな佳作でした。ただ、エピソードがちょっと散漫になって、あれもこれもになりすぎたのと、女の子が全部同じ顔に見えるにはさすがについていけなかった。監督はフォン・シャオガン。

 

時は1970年代、リウ・フォンが、新しく軍の文芸工作団に入団するためにやってきたシャオピンを迎えに行く時から映画が始まる。

 

文工団の使命は、前線で戦う兵士の慰問。毛沢東政権のもと国内安定のための戦いが繰り広げられていた。シャオピンは故郷では冷遇されいじめられていたので、ここに来れば皆暖かく迎えてくれると思ったが、ここでもいじめられることになる。しかし、何事にも模範的な兵士フォンのもと彼女は成長していく。

 

物語はこの文工団の中での少女たちの姿を中心に、様々な思いや恋、友情を描いていく。中心になるのは歌手でもあるディンディン 、シャオ、シャオピンらの姿を捉えていくが、ここにフォンの生き様が絡んでいく。

 

フォンは、実は入団以来ディンディンに恋心を抱いていた。ある時その思いを告白し、ディンディンを抱きしめるが、その場を見られてしまう。そして指導部より前線へ行くように命令されて戦地に旅立っていく。時は中越戦争勃発であった。そんな様子を見て、ここに嫌気がさしていたシャオピンは何かにつけて反抗的になり、とうとう野戦病院へ配置換えされる。

 

フォンは前線で重傷を負い、シャオピンは病院で献身的に働き、戦争後英雄となったもののその生活の激変から精神に異常をきたしてしまう。

 

やがて、文工団最後の公演、精神を病んだシャオピンも見にくるが、舞台の踊るシーンに体が自然と反応し、夜の広場で踊ってしまう。一方瀕死のけがを負っていたフォンは片腕をなくしたものの生きて戻ってくる。

 

時が経つ。文工団も解散し、国内の情勢も大きく変化してきた。街で必死で働くフォン。たまたまそこでシャオと出会う。そしてディンディンの今を教えられ、たまたまシャオピンとも再会。シャオピンとフォンは駅にベンチで寄り添い映画は終わる。

 

エンドクレジットに登場人物たちの過去の映像がかぶるので、じんわりと胸が熱くなってくるのですが、どうも、それぞれのエピソードを一本の物語にまとめ上げきれていない気がしいます。ただ、所々に挿入される文工団のダンスシーンは激動の時代との対比で実に効果的です。

 

とっても切ない青春群像劇なんですが、今一歩勿体無いと思うのは欲ですね。でもいい映画でした。

 

「青年の樹」

詰め込んだ詰め込んだ。当時流行り始めたあらゆる物語を無理やり1つにした一本。スター映画というよりなんとも言えない雑多な一本でした。これも時代色ですね。監督は舛田利雄

 

ヤクザの組の2代目の武馬は大学に入る。そこで知り合う明子という女性。一方、武馬の父の組のヤクザ同士の抗争に、当時広がり始めた労働組合的な考えとさらに大学の自治意識まで絡んできて、もうどこへ行くのかという流れになる。

 

武馬の父がライバルの組に殺され、2代目を望まれた武馬は組を解散するが、そのために組員らが困ったうえに、ライバルの組から襲われて、対抗した武馬が再度組を起こす。

 

となると大学側は彼を退学処分にすることにし、学生たちがその理不尽に立ち上がって映画は終わる。全く話がてんこ盛りの状態で、当時流行り始めた様々なエピソードを全て盛り込んだという仕上がりになっています。石原裕次郎のスター映画であるにもかかわらず、物語に翻弄された感じの映画でした。

 

「白い夏」

なんともしみったれた物語の作品ですが、これもまた映画全盛期の一本という時代色を感じさせる映画でした。監督は斎藤武市

 

海辺の田舎の村に一人の青年が郵便職員としてやってくるところから映画が始まる。なんともおとなしくて純真な彼だが、その素朴さに村の女性が惹かれる。しかし局長の娘に一目惚れしてしまった青年は、日々苦悩するようになり、一方で、その娘に言いよる村の名士の息子が実はいけ好かない野郎でとまあ、よくある歯がゆい展開で進むのですが、余計な選挙不正を描くためになんともめんどくさい出来上がりになってしまった感じです。

 

素直にこの青年のピュアなプラトニックラブを徹底すれば爽やかな映画に仕上がったろうにと思う一本ですが、これも試行錯誤しながらヒット作を生み出そうとしていた当時の映画関係者の苦肉の一本だったのでしょう。その意味では面白かったです。

映画感想「スケート・キッチン」「ホワイト・クロウ 伝説のダンサー」「ラ・ヨローナ 泣く女」

「スケート・キッチン」

ドキュメンタリータッチで、手持ちカメラを多用した作品で、これという物語はないのですが、荒削りな映像が逆にみずみずしい少女たちの姿を赤裸々に捉えていて素朴で楽しかった。監督はクリスタル・モーゼル

 

主人公カミーユが大好きなスケートボードで楽しんでいるが、着地に失敗して股間に大怪我を負い、病院に行くところから映画が始まる。母親は大反対しスケートボードを禁止するが、ネットで見つけたガールズグループ「スケート・キッチン」のところの遊びに行きこっそりスケートボードを続ける。

 

手持ちカメラで彼女たちのスケボーシーンを追うカメラと自然な会話をそのまま捉える演出でドキュメンタリー風に物語が展開していく。母との諍いもどんどんエスカレートし、とうとう家を出て友達の部屋で暮らすことになる。

 

そこで一人の男性のスケーターと恋に落ちるが彼はカミーユを恋人の対象として見られないと告白する。失恋を経験したカミーユは、母の元に戻ってくる。そこには一回り成長したカミーユの姿があった。そんな彼女を温かく迎える母のカットで映画が終わる。

 

テクニカルな演出は排除し、日常そのままにカミーユたちを捉えていくカメラ演出がなかなか素朴な感じで素敵だが、どうにもどこかリズムに乗り切れていない映像が残念。素人臭さを映像で動かすという演出が欲しかった気がします。

 

「ホワイト・クロウ 伝説のダンサー」

伝説のバレエダンサールドルフ・ヌレエフの半生を描いた作品なのですが、彼の人間ドラマに焦点があるというより、ソ連という国の不自由さを批判しているように見えるのが表に出ている気がして、物語の流れがまとまらなかった気がします。監督はレイフ・ファインズ

 

1961年、ソ連のバレエダンサー、ルドルフ・ヌレエフはパリ公演の帰り政治亡命でフランスへ行く。そして物語はここに至るまでの彼の姿を描いていく。

 

ソ連でトップクラスのダンサーになったルドルフは、パリ公演にやってくる。自由を謳歌し、以前からソ連という国の閉鎖性に嫌気が指していたルドルフは、その窮屈さに辟易としていた。そんな彼を警戒するKGBのスタッフは、彼を注視するようになる。

 

そして次の公演場所ロンドンへ旅立つ時、彼一人だけ、ソ連に戻るように命令か届く。おかしいと感じたルドルフはフランスのダンサーに助けを求め、大富豪クララの助けを得て、フランス亡命を決意する。そして空港で待つ間にその最大の決断を行いフランスへ亡命する。

 

KGBの強硬な行動を制して彼は無事フランス亡命を果たして映画が終わる。このクライマックスも緊張感はあるものの、もう1つハラハラ感が弱いし、彼がどれだけ偉大なダンサーかという描写がほとんどない上に、彼の苦悩する姿がもう一歩伝わりきれていない感じなのが残念。

 

ルドルフを演じたオレグ・イベンコのダンスシーンは素晴らしいが、もう少し舞台の華麗な映像をもうちょっと見たい気がしました。

 

「ラ・ヨローナ 泣く女」

本当に荒い脚本で穴だらけですが、まあ、ホラー映画というのはえてしてこのレベルの方が気楽に見れるので、それなりに突っ込みながら楽しませてもらいました。監督はマイケル・チャベス

 

17世紀のメキシコで、この物語の元になる惨事が起こる場面から映画は始まる。そして時は1973年へ。なんでこの中途半端な現代なのかは後ほどわかるのですが、いかにも今風の母と子供二人のドタバタした家庭の朝。

 

その家の母アンナはソーシャルワーカーで、この夜、担当の家に行き、母に監禁されている子供二人を助けるが、保護先で突然行方をくらませた子供たちは近くの川で溺死する。

 

その現場に子供を連れて行ったアンナ。アンナの夫は警官だが殉職したのか、まだ死んで間もないようで、夜中に子供だけ置いとけないので連れて行った。しかしそこで、いかにも不気味な女に呪われてしまう。

 

次々と恐ろしいことがアンナの周りで起こり始め、どうやらラ・ヨローナの呪いだと神父に説明され、呪術師のラファエルを紹介される。この神父、数年前に呪いを信じるようになったが、そのきっかけがある人形、つまりアナベルであることがわかる。で、1973年なのだ。

 

あとは悪霊ラ・ヨローナとラファエルの戦いなのだが、ほとんど棒立ちで役に立たない風にしか見えないラファエルが突っ込みどころ満載。

 

結局、子供二人と母親がラ・ヨローナを倒して大団円。反教会のラファエルのドラマ部分が全然描けていないし、とにかくストーリー展開が雑。こうしてみると「エクソシスト」がいかに優れた映画だったかがわかる。ラ・ヨローナの出現シーンは確かに怖いが、単調でワンパターンなので、盛り上がりにかけるし、結局あっさりやられてしまうし、まあこの程度かというホラーだった。

 

 

映画感想「若い川の流れ」「お転婆三人姉妹踊る太陽」

「若い川の流れ」

とっても洒落た素敵な映画でしたが、脚本の構成がやや甘いのか長く感じてしまったのは本当にもったいない。もう一考して、見直して仕上げたら傑作になった感じです。でも今ではこういう映画は作れなくなりましたね。楽しかった。監督は田坂具隆

 

主人公の若きサラリーマン健助が専務に呼ばれて自宅に荷物を届けるところから映画が始まる。それは実は娘を引きあわすためのいたずらで、まんまと引っかかった素直で無骨な健助はそのまま物語の渦中に放り込まれる。

 

一方、健助を昔から好きな同僚のみさ子がこの話に絡んで来て、三つ巴の洒落たラブコメディが展開。秀逸ながらも研ぎ澄まされたセリフの応酬と、小気味好い切り返しがとにかくモダンで楽しい。

 

ただ、いたるところに出てくる脇役がおざなりになって生かしきれていない脚本の甘さがとにかく残念。最後は強引にハッピーエンドで終わりますが、このレベルの映画でさえも今では作れる力のある人がいないのは寂しい限りです。

 

お転婆三人姉妹 踊る太陽」

天真爛漫、何も考えずに楽しむ映画というのはこういうのですね。オールスターキャストでどのカットも豪華。これという物語もないけれど、ただただ贅沢なシーンの連続にうっとりしてしまいました。監督は井上梅次

 

美人の未亡人の母の元にいる美しい3人の姉妹。それぞれにボーイフレンドがいるが、ここに来て母のためにお婿さんを探そうと奮闘し始める陽気な姉妹。

 

歌って踊って、たわいもなく展開するあっけらかんとした楽しいストーリーに、浮世の面倒臭さなんか吹っ飛んでしまいます。

 

スターの顔がどんどん現れ、夢の世界に誘われる至福の喜びを楽しめるエンターテイメント。これが映画、これが娯楽。

映画感想「ジョーズ」「ハイ・ライフ」

ジョーズ

これでスクリーンで見るのも見納めかと思って見に行きました。やはり面白い。この時代の映画にハズレはないです。監督はスティーブン・スピルバーグ

 

オープニングの有名なカットから、畳み掛けるような展開、それでいてシンプルなストーリー。音と映像で見せる演出手腕の妙味。娯楽映画だけれど一級品。これがエンターテインメントです。

 

卓越した映像演出のうまさは今更いうまでもないですが、脚本も実によくできているし、何もかもがラストに向かって伏線が貼られていくのも見事。

 

教科書のような映画というのがありますが、その一本がこれだなと思います。

 

「ハイ・ライフ」

なんとも鬱陶しい映画だった。SFホラーという宣伝文句だったので面白いかなと思っていたが、これ見よがしに意味ありげなシュールな映像が次々展開し、結局、何を言いたいのか伝わらない上に、ストーリーにも一貫性がなくまとまらない。監督はクレール・ドニ。

 

主人公モンテが宇宙船の船外活動をしていて、船内には女の子の赤ちゃんがいるところから映画始まる。なんの説明もなく映画はここに至るこの宇宙船内の物語を語っていく。

 

どうやらある計画でブラックホールを目指している宇宙船。乗組員は全員囚人らしく、ディプスという医師が人工授精の実験らしきことをしている。しかし、船内の人間同士に摩擦が生まれ、一人また一人と死んでいく。ディプスが成功させた唯一の人工授精児の女の子とモンテだけが残り、その女の子は少女まで成長した頃、モンテと二人、ブラックホール内へ向かう。

 

最後は二人が向き合って、目を合わせてエンディング。なんか「2001年・・・」を思わせる流れで壮大な物語のようで実にスケールが小さい展開。退屈きわまりなかった。

 

映画感想「イメージの本」「12か月の未来図」

「イメージの本」

全くついていけない。語りだけでセリフはなく、様々な映画のワンカットをつないでいく一方で、別のシーンが絡む。サイケデリックな色彩と、短いカットの連続にリズムも物語もメッセージもつかむことができなかった。正直、観客を意識していない映像作りと言わざるを得ません。監督はジャン=リュック・ゴダール

 

何から始まって、どう展開しているのかをここで語ることは全くできない。そんな映画でした。いや、映画なのか、ただの監督の思いつくままのイメージなのか、それも不明でした。

 

「12か月の未来図」

期待してなかったけれど、思いの外良かった。脚本がいいのかもしれない。よくある展開だが、エピソードの積み重ねが実にうまくできている。それと、余計な横道に無駄にそれず、まっすぐに物語が進むのが良い。監督はオリビエ・アヤシュ=ビダル

 

パリの有名高校に勤めるベテラン教師のフランソワは、あるパーティでのちょっとした言葉から、郊外の中学校へ一年だけの教師として赴任することになる。その中学校は、以前の名門高校とは打って変わっての問題校だった。

 

教師の言葉に耳も貸さず、返事も適当で言うことを聞かない生徒に、フランソワは持てる知識を駆使して対応していく。そしてふとしたことから生徒に勉強の面白さを伝えられたフランソワは、急激に生徒たちと接近していく。特に、何事にも無関心で成績も悪いセドゥとは次第に心が通うようになる。

 

この中学校の最初のカットで様々な子供達がいることを描写、冒頭のパリの高校のカットとの対比で、今フランスが抱える様々な問題を瞬時に見せるシーンがうまい。

 

やがて、クラスもまとまってきた頃、ヴェルサイユ宮殿への遠足を企画する。ところがセドゥが、大好きな女の子マヤと王のベッドで自撮りする事件を起こし、あわや退学の危機になる。何かあれば法的に退学させるというフランスの制度への皮肉が的確なエピソードで描かれるくだりである。

 

一旦は退学が決まったセドゥだが、フランソワの反撃でなんとか止まり、やがてフランソワの赴任期限の一年がやってくる。セドゥはフランソワのそばに座り、フランソワが勤めるパリの有名校に行くにはどれくらい勉強すればいいのか聞く。そして希望に満ちてにこやかに笑う。このカットもうまい。

 

友達の輪の中に飛び込むセドゥのシーンで映画が終わるが、その後の軽いタッチの曲もなかなかです。よくある話といえばそれまでですが、単純な感動学園ドラマに収めなかった深みのある脚本が見事です。いい映画でした。