くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「美しい庵主さん」「春の夜の出来事」「男なら夢を見ろ」

美しい庵主さん

ほのぼのしたたわいのない映画。なんの変哲も無いが、芦川いづみの尼さん姿がなんとの色っぽくて可愛い。監督は西河克己

 

山間の尼寺に東京から男女の大学生がやってくる。女性はかつてここにきたことがあり、懐かしさでやってくるが、この尼寺には、若くて美しい尼さんがいて、俗世間の女であることを捨てた彼女の心の揺れを物語の中心に据えて、大学生たちの生き方を考える様を描く。

 

本当に癒されるほどのほのぼのした作品で、その毒のないおおらかさが見ていて清々しくなってしまう。こういう映画を作れた余裕が懐かしい一本でした。

 

「春の夜の出来事」

楽しいスラップスティックコメディ。たわいもないといえばそれまでですが、この軽妙なタッチが、脚本担当の中平康の色です。監督は西河克己

 

巨大財閥の当主大内会長が自社の関連会社の懸賞に応募、見事二等賞に入選、賞金のスキー旅行へ出かける。身なりを隠しての参加に、執事や娘たちが大騒ぎするというまさにコメディ。

 

ホテルでは、事前に聞いていた人と間違えて、大内会長をただの貧乏おやじであつかい、一方で一等賞の青年を大金持ちと間違えて優遇する。

 

どうしようもなくなって、娘たちも後から駆けつけ、娘と一等賞の青年と恋仲になり、東京へ戻っで全てが明らかになってハッピーエンド。

ただただ楽しい映画だった。

 

「男なら夢を見ろ」

典型的な日活ヤクザ青春映画ですが、とにかく楽しいです。映画を見たという感動が残ります。監督は牛原陽一。

 

戦後の焼け跡から映画が始まり、戦災孤児の少年二人のシーンから、現代へ。今や大人になった二人が一人の女性を介して出会う。

 

一人はヤクザの幹部に一人は検察官となり、間に純粋無垢な女性が存在。三角関係のようで、プラトニックラブなようで、ヤクザの縄張り争いがあって、それぞれがハッピーエンドになって映画が終わる。

 

当時ワンパターンのようなストーリー展開ですが、石原裕次郎が葉山二郎が、芦原いづみが正義の側に出てきて、悪役は毎度お馴染みのキャストが占める。わかっていても楽しい。これが映画の本当だと思うのですがね。

映画感想「希望の灯り」「幸福なラザロ」「ドント・ウォーリー」

希望の灯り

とっても絵作りのセンスのいい心温まるヒューマンドラマでした。何気ない話なのに、そこかしこに胸に迫るあったかいものが見え隠れする。ちょっとした佳作。監督はトーマス・ステューバー。

 

広い景色から、とある大型スーパーの売り場。背後「美しき青きドナウ」が流れ、リズミカルにリフトカーが交差して動く。カットが変わると主人公クリスティアンがこのスーパーに試用で就職する所になる。全身に入れ墨をしているので隠すようにと言われ、気のいい先輩のブルーノのもとに配属される。

 

口数が少なく、真面目に仕事するクリスティアンはみんなから好かれ始める。ある時、洋菓子パートのマリオンに恋をしてしまう。しかし彼女は人妻だった。ブルーノの話では、夫にDVされているようだと知る。

 

淡々とさりげない物語が続くのですが、構図や映像展開が実にリズミカルで洒落ています。マリオンが休むようになり、気になったクリスティアンは彼女の家に行くが、マリオンが風呂場で体を洗う姿を垣間見ながら、花束だけ置いて出てくる。

 

やがて、マリオンも仕事に復帰、いつもの毎日に戻ったように思えたが、なんとブルーノが自宅で自殺してしまう。物語はブルーノの葬儀、クリスティアンが主任に昇格、マリオンとの楽しい日々になって終わる。

 

細かいシーンやエピソードにラストシーンまでの伏線を丁寧に織り込み、ラストシーンのあと全体を振り返って、さらに胸が熱くなる展開が見事です。素敵ないい映画でした。

 

「幸福なラザロ」

久しぶりに聖人映画を見た感じです。なかなかの秀作。奇跡の物語ですがファンタジーのような装いで描く物語は、心に残ります。監督はロリーチェ・ロルバケル。

 

タバコ農場で働く小作人の一家のシーンから映画が始まる。電球1つも手に入らない貧しさで、この日、家族の一人の結婚のお祝いの席なのだが、満足な食事も出ない。彼らにはさらに小間使いをするラザロという若者がいる。

 

人を疑うことをせず、純粋に仕事をこなすラザロ。侯爵夫人という地主の元で搾取されながらも必死で生きる小作人たちの家族。

 

そんな村に侯爵夫人が息子のタンクレディを連れてやってくる。小作人たちは必死で接待するが、家族の娘のアントニアや弟のピッポらは反抗する。

 

すでに数年前に小作人制度は廃止されているのだがこの村にはその情報が伝わらず、侯爵夫人も知らぬふりをして搾取していた。そんな母親に反抗するタンクレディは、年も近いラザロと狂言誘拐を仕掛ける。

 

しかし、以前もそんなことがあった母親の侯爵夫人は無視。タンクレディは妹を通じて警察に連絡させる。やってきた警察はいまだに小作人制度が続くこの村の人々を保護するのだが、そんな時、ラザロは崖から落ちてしまう。

 

どれくらい時が経ったか、一匹の老狼が倒れているラザロに近づき、気をつかせる。ラザロは無傷で起き上がり、村に行くが誰もいない。侯爵夫人の家に行くと、蔦が壁を覆っている。そこへ空き巣泥棒が入り、気のいいラザロは盗むのを手伝う。そしてタンクレディの一家は、小作人搾取の罪で没落し、都会にいると告げられる。

 

ラザロは、タンクレディに会うために都会へ向かい、そこであの時の泥棒と会い、さらになんと大人になったアントニアがいた。ラザロが崖から落ちて数年以上たっているがラザロの姿が昔のままなのを見たアントニアは、彼にひざまづく。

 

アントニアらはかつての家族とともに貧しい生活をしていた。ラザロの出現で、何かしら変わる中、かつてタンクレディが飼っていた犬を見つけたラザロは、今や中年になったタンクレディと再会する。

 

貧しい生活をするタンクレディの家族を見たラザロは、彼らをそんな状況にした銀行にやってくる。強盗と間違えられたラザロはその場で、客らに袋叩きになり、そこにかつての老狼が現れる。駆けつけた警官はラザロの死を知り、狼はそに場を去って映画は終わる。

 

そこかしこに奇跡のシーンが散りばめられ、ラザロが聖人であることが表現され、殺伐とした現代を洗い流すような展開で映画が終わる。いや、皮肉交じりの風刺で終わったのかもしれない。その微妙な感覚がこの映画の魅力なのだろうと思う。

 

教会のオルガンの音が、ラザロらを拒否したために、消され、ラザロの行くところに付いてくるくだりなどかなりの風刺である。又、家族がかつての農村に帰る決心をしていく終盤のシーンも、結局都会への批判的なメッセージか。いずれにせよブラックコメディの色合いもある映画でした。

 

「ドント・ウォーリー」

半身不随とアルコール依存症の風刺漫画家ジョン・キャラハンの半生を描いたちょっとしゃれた人間ドラマ。英雄譚のごとく描かず、ストレートにその人間像に迫った演出が小気味好い一本でした。監督はガス・ヴァン・サント

 

主人公ジョン・キャラハンが演台で自身のことを話すシーンに始まり、カットバックして、彼がまだ半身不随になる前、さらになった後の何年かが交錯して描かれていく。その編集手腕はガス・ヴァン・サント監督ならではの演出で、いかにもいけ好かない主人公や彼を指導するリーダーなどの描き方が実にリアリティである一方、ユーモアあふれています。

 

酒に溺れ切って、そのまま酔った友人と車で走って大事故に会い、半身不随になるジョン。それでも酒がやめられず、どうしようもない日々が続くが、突然、母の面影が彼の背中に触れたことから酒を断ち、得意の漫画で風刺漫画を描き始め、世間で認められていく。

 

彼を支えた断酒会のリーダーは実はエイズで、彼の死が近づく一方で、次第にジョンは成長し立ち直っていく終盤がそれまでのクソのような生活と打って変わって真面目になりどんどん胸を打ってきます。

 

そして、冒頭のシーンになり、今の彼が描写され、エンディング。すでに亡くなっているのですが、小気味好く走り抜けた半生の物語はなかなかの見応えがありました。

 

 

 

映画感想「名探偵ピカチュウ」「映画賭ケグルイ」

「名探偵ピカチュウ

ポケモンがハリウッドで実写、しかもおっさん言葉を喋るCGピカチュウということで、まぁ期待もしてなかったのですが、ぬいぐるみのようなポケモンたちがよちよち歩く画面はなかなか愛くるしくて楽しかった。まあ映画は普通レベルでしたが。監督はロブ・レターマン。

 

ある研究所、ミョウウツーを閉じ込めている機械が爆発してミョウウツーが飛び出すところから映画が始まる。外で走り去る車を追ってミュウツーは飛び出し車を攻撃して車は大事故となる。

 

カットが変わり子供の頃からポケモン大好きなティムは父が事故で死んだと聞いて、ポケモンシティへやってくる。今や人間とポケモンは共存していてあちこちに人間の相棒としてポケモンが張り付いている。

 

父の部屋に入ったティムはそこでRと書かれたカプセルを開き、紫の煙を浴びる。直後目の前にピカチュウが現れるが、何と言葉がわかるようになっていた。ピカチュウはティムの父ハリーの相棒だったが記憶を失っていた。

 

ティムとピカチュウはハリーの死の謎を追うことになるが、どうやらハリーは生きているらしく、しかもポケモンを使った悪の陰謀が背後にあることを知る。

 

やがて真相に近づくティムたち。実はティムの父ハリーはポケモンと人間を融合させる計画を阻止するために事故を装い研究所を脱出したのだとわかる。そして、その大ボスもやっつけたティムとピカチュウは、ミュウツーの超能力で、父ハリーと再会。疎遠だったティムとハリーは心を通わせ始め、ピカチュウと去ってエンディング。

 

CGで作られたポケモンが実に愛くるしいし、ポケモンファンも楽しめる様々なキャラクターも登場させ、少々のストーリーの荒さはまぁいいかと見逃せる楽しい映画になっていました。

 

「映画賭ケグルイ

怪物女優浜辺美波目当てで見に行った。なかなか楽しくて面白い作品でしたが、せっかくの彼女器用ならもっと弾けてもよかったかもしれません。でも、期待通りに楽しめました。監督は英勉

 

原作もドラマ版もあるので細かい設定を説明する必要はないかと思いますが、舞台となる百花王学園の説明、生徒会の存在とギャンブルで全てが決まる階級制度などなどの説明から映画が始まります。

 

予備知識としてそれなりに知っていたのですが、意味深なキャラクター名が次々と出てきて、今回の物語のベースから主人公蛇喰夢子の登場へ。

 

近頃、反生徒会のヴィレッジなる集団が現れ、生徒会の存在を脅かすようになってきたため、生徒代表選挙が執り行われることになる。破格の賞金が準備され、強制的にギャンブルが行われるのが物語の中心。

 

カードゲームの心理戦をエンタメとして組み入れ見せ場にしたのは、最近のこの手のコミック原作ものの常道になりつつあるが、まあそれなりに面白い。

 

浜辺美波の独特の個性が爆発するのですが、みんなが浜辺美波になっている感があり、脇役の演技力というか思い切った個性噴出があればもっと面白かった気もします。

 

結局蛇喰夢子の掌の上で何もかもが進められた感で物語は大団円を迎え、ぶっ飛んだ物語は終わります。期待以上というわけではないけれど期待通りに楽しい映画でした。本当に浜辺美波は最高に楽しい役者さんですね。

映画感想「バースデー・ワンダーランド」「アベンジャーズ/エンドゲーム」

「バースデー・ワンダーランド」

面白いはずなのだが、今ひとつ盛り上がらずに終わってしまった感じの作品でした。物語のキーである色が失われることの危機感とか描写が弱いのと、雨が降ればどうのという肝心のところが見えなくて、結局何のなのだという仕上がりになってました。監督は原恵一

 

主人公アカネが学校をズル休みするところから映画が始まる。ちょっと生意気な猫ややたら優しい母、そして近所の雑貨屋を営むマイペースのお姉さんチィさんが紹介され、よくあるオープニングとなる。

 

チィさんの店で、アカネが思わず触った手型が取れずもがいていると地下室からヒポクラテスと名乗る錬金術師とピポという小人が登場。自分たちの世界を救うため、無理やりアカネとチィはその不思議な世界へ連れていかれて物語が始まる。ここはいいのですがね。

 

どうやらヒポクラテスの国では色が失われつつあり、雨を降らせる儀式をするための王子が眠ったままで、それを救うのがアカネだという展開。ただ、色がなくなることへの危機感が全然見えないし、邪魔をする機械戦車の悪者、実は王子の変わり果てた姿なのだが、のインパクトも弱い。

 

所々に入るアニメ独特のギャグも全然生きていないし、結局あれよあれよとハッピーエンドになってしまい、アカネたちは元の世界に戻ってエンディング。アカネの成長を描くのか、不思議世界に行った意味も何もほとんど関係ないラストは流石に雑。

 

キャラクターデザインにロシアのイラストレーターを入れてオリジナリティを出した絵作りなのだが、今ひとつ盛り上がり切らなかった。

 

アベンジャーズ/エンドゲーム」

いやあ、引っ張った引っ張った。三時間も使う物語じゃないだろう、という感じだが、オールスターで登場するラストは何が何かわからないし、時間を遡ってやり直すという安易なストーリー作りも流石にまいる。でもまあ、退屈はしなかったから娯楽としてはこれでいいのだろう。監督はアンソニー&ジョー・ルッソ

 

前作でアベンジャーズの半数を失ったスタークたち。サノスの悪行を正し、死んだ仲間をよみがえらさそうとタイムトラベルすることを思いつくって、それはないやろ、という導入。まあ、そこに至るまでにそれぞれの登場人物が集まってくる様を延々と描く。

 

そして、6つの石を取り戻し現世に帰ってくるが、タイムマシンを通ってサノスもやってきて、最後の戦い。今までのアベンジャーズ以上にマーベルコミックのメンバーが勢ぞろいし、大バトルを繰り広げるが、もう、地球が舞台じゃないほどに無茶苦茶なバトル戦。そして最後はスタークが自ら犠牲となり敵を倒し大団円。

 

トム・スタークの葬儀シーンからそれぞれのこれからを延々と描いてしんみりと映画は終わる。ほんまにこれで終わりやろね。という出来栄えの映画だった。

映画感想「赤線の灯は消えず」「源氏物語」(吉村公三郎監督版)

「赤線の灯は消えず」

赤線廃止後の女性たちのその後の苦労話をエピソードの羅列のように描いていく。かなり雑な脚本ですが、この時代の世相を見せる意味では意義のある一本だった感じです。監督は田中重雄。

 

昭和33年、赤線廃止の法律が施行された直後から物語は始まる。主人公の信子は、かつての店に挨拶の後堅気の生活に進もうとするが、いく先々で、元赤線ということで、人々の目が彼女の人生に立ちはだかってくる。

 

たまたま彼女に絡んだチンピラの男との物語を軸に展開して行くのだが、どうも一本筋が通ってないために、出てくるエピソードそれぞれがバラバラになってしまい、彼女の元同僚との物語や彼女たちの行く末の話が全体のストーリーに厚みをもたらしてこない。

 

脚本の弱さがいちばんの原因で、映画としては普通のレベルの一本でしたが、見る価値は十分あった気がします。

 

源氏物語」(吉村公三郎監督作品)

これは素晴らしい作品でした。優れた脚本家と優れた演出が組み合わされればここまで見事に源氏物語が作り出されるのかと感動してしまいました。まず人間関係がくっきりと浮かび上がるし、物語がドラマティックに生き生きしてきます。しかも、様式美を徹底した絵作りが実に美しい。監督は吉村公三郎、脚本は新藤兼人です。

 

物語は、光源氏が生まれる桐壺のくだりから、藤壺、紫、夕霧と経て淡路の物語までを描いていきます。徹底的にこだわった画面の構図が本当に美しいし、流れるように流麗なカメラワークも見事。さらにドラマティックな映画的劇的な展開も挿入され、娯楽作品としても見せてくれます。

 

それと何と言っても人間関係が浮かび上がるようにくっきりと描かれている。王朝絵巻の雅さと人間味あふれる生き生きした物語に引き込まれました。

 

ラストシーン、紫の琴の音を聞く光源氏の姿をカメラが捉え、グーンと宙に舞い上がっていくと屋根の上に枯葉を舞い散らせる巨木を捉えてエンディング。キラキラと輝くように舞う落ち葉のシーンがうっとりして浮かび上がりそして「終」。このシーンに息を呑みました。素晴らしかった。

映画感想「アガサ・クリスティ ねじれた家」「キングダム」

アガサ・クリスティ ねじれた家」

アガサ・クリスティらしいストーリー展開と真犯人には納得の推理ドラマでしたが、グレン・クローズの存在がでかすぎて、始まった途端に、彼女が何かあると思ってしまうので、ネタバレ状態のままの物語という感じで終わった。監督はジル・パケ=ブレネール。

 

一人の女性が注射器を準備し、ある人に注射、間も無くしてその人が死んでしまう。カットが変わると外交官をやめて私立探偵をやっているチャールズのところに元カノのソフィアがやってくる。祖父のレオニダスが死んだのですが、どうも殺されたようなので、警察に入って欲しくないので調査してほしいという。最初は断ったものの、警察上層部よりの依頼で調査に行くことになる。

 

レオニダスは一代で巨大な企業を築いた実業家で、豪邸に住み大勢の子供達に囲まれていたが、誰もが恨んでいるようで、複雑な人間関係が渦巻いていた。

 

物語はチャールズがそんなドロドロした家族を調査していくが、ここによくあるジョゼフィンというおてんば少女が登場。あちこちコソコソしながら物語の謎を匂わせていく。そして、後半、このジョゼフィンが殺されかけるに及んで、犯人は、レオニダスの妻ブレンダとその愛人だろうと結論が出てくる。

 

しかしそんな時、ジョセフィンにいつもココアを持ってくる使用人のナニーが殺されてしまう。しかし、そに謎を考えるに及んで、チャールズはついに真相にたどり着く。

 

真犯人はジョセフィンで、退屈な家族の中で、しかも嫌いな曽祖父を殺すことを決意、実行したのだ。しかし、そんなジョセフィンを怪しんだナニーも殺される。

 

真相を知った大叔母のイーディスは、ジョセフィンを道連れに車で疾走、崖から落ちて自殺して映画が終わる。イーディスも余命数カ月の病気を持っていた。イーディスを演じたのがグレン・クローズなのだから、最初から匂わせすぎであろう。

 

まぁ普通に面白い推理ドラマだったという感じでした

 

「キングダム」

全然期待していなかったけれど、意外なほどに面白かった。アクションシーンがなかなかの仕上がりになっているし、主演の山崎賢人が完全に周りの実力派の役者に食われてしまっているとはいえ、刺身のつま程度に頑張ってくれたのでラストまで飽きることなく見ることができました。監督は佐藤信介。

 

奴隷として生まれた信と漂の子供時代から映画が始まる。奴隷として売られる途上で当時の天下の大将軍と言われた八万の大群を率いる王騎の軍に出会い、将来天下の大将軍になる夢を持つようになる。そして二人で剣術を磨き成人となったある日、漂は時の軍師昌文君に認められ王宮に招かれる。

 

しかし程なくして瀕死の姿で信のところに駆け込む漂。王の兄成きょうが反乱を起こし、王座を奪ったという。漂は、ある地図を信に渡し事切れる。信がその地図のところに行くと、そこには秦王えい成がいた。しかもえい成は漂に瓜二つだった。

 

はえい成の身代わりとなって敵に討たれ、秦王を守ったのである。そしてえい成は信とともに、王座を取り戻しこの地に平和を戻すべく行動を開始する。

 

成きょうの八万の大群に立ち向かうべく、えい成は山の民に助けを求め、共に中華を一つにする志のため成きょうを倒すため立ち上がる。山の民の王を演じた長澤まさみが実にかっこいいので、後半がもつ。しかも迎え撃つさまざまな悪役がいかにも漫画らしいキャラクターなのも面白い。

 

結局、最後の最後に、えい成は玉座を取り戻し、あわや、反乱軍にされるところへ王騎が駆けつけ、すべて丸く収まって映画は終わる。

 

王騎を演じた大沢たかおの存在感も素晴らしいし、要するに脇役がしっかりしてるのと、ワイヤーアクションを多用した戦闘シーンが良くできていたために、本当に面白かった。これで主役にもっと演技の厚みのある人間を入れていたら傑作になったかもしれないが、これはこれで、エンタメとしては成功していたんじゃないかと思います。本当に掘り出し物でした。

 

 

 

 

映画感想「E.T.」「浅草紅団」「ある少年の告白」

E.T.

スティーブン・スピルバーグ監督作品40年ぶりくらいの再見。あれだけヒットした原因は、脚本が実にコンパクトにまとめられているところにあったのかなと、改めて感じました。初めて見たときは「未知との遭遇」のインパクトの強さが圧倒的で自分としては影が薄い作品でしたが、やはり見直してみて、なんとなくわかりました。もちろんラストは泣いてしまいましたけどね。

 

どこかの星から来た宇宙人、その存在を調査している政府の人間らしいメンバーに追いかけられているうちに帰り損ねた宇宙人が、土地の子供と親しくなり、やがて宇宙船が迎えに来て帰っていく。実にシンプルな話で、凝ったメッセージも展開もない。よく見ているとかなり雑な処理をしたストーリー展開でもあるのですが、そういうのを無視して楽しめるエンタメに仕上がっています。ここが実に見事。

 

自転車が飛ぶ名シーンの数々でスピルバーグの才能を垣間見ることができますが、映画作品としては他のスピルバーグ作品に比べ抜きん出た傑作というわけではないように思います。

 

「浅草紅団」

たわいのない人情物語ですが、娯楽としてしっかり作られ、みていて楽しくなってしまう。これが映画全盛期の力でしょうね。京マチ子の舞台シーンをこれでもかと見せたり乙羽信子の歌唱シーンを何度も聞かせたり、とにかくみていてハッピーになってしまいます。監督は久松静児

 

浅草で剣劇スターの紅龍子が舞うシーンから映画が幕を開ける。彼女は幼い頃この地のヤクザ中根に拾われ今までになったが、中根は別の舞台のスター、マキをものにしようとしていた。かつて中根に怪我をさせ逮捕されていたマキの恋人島吉が帰ってくるという噂を聞き、中根はなんとか捕まえて痛い目に合わせようと待っている。

 

物語はマキと島吉の恋の行方、島吉を付け狙う中根、中根に縛られながらも、独り立ちしていく龍子らの絡み合う物語が展開していく。

 

最後は予定通りめでたしめでたしで、実は龍子とマキは腹違いの姉妹だったなどという人情エピソードも入るがとってつけたようで、結局中根たちは警察に捕まり大団円。京マチ子の舞台上での大見得でエンディング。まぁ楽しいね。

 

「ある少年の告白」

映画作品としてはしっかりと演出された仕上がりになっていると思いますが、LGBTをひたすら認めなさいというメッセージの押し付けがきつくて、どうにも主人公ジャレッドに共感できずに終わってしまった。監督はジョエル・エドガートン

 

ジャレッドの幼い日々の微笑ましいホームムービーから映画が始まる。そしてやがて青年となり大学へ行くが、そこで、ゲイの学生にレイプされ、以前から感じていた違和感の意味を知る。自分はゲイだと自覚したのである。

 

生真面目な牧師でもある父は彼の告白を聞き、矯正施設に行かせることを決意、母に連れられジャレッドは矯正施設にやってくる。そこは、指導内容を一切極秘にし、洗脳するほどな強硬な指導を続ける狂信的なところだった。

 

逃げ出そうにも逃げ出せない束縛感を与える施設のやり方に徐々に反感を覚えてくるが、両親、特に父は断固許さなかった。しかし、ジャレッドはある時とうとう我慢しきれず施設を脱出する。そして母の理解もあり、元の生活に戻り、施設での出来事を記事にしてタイムズに投稿する。

 

いつまでも父は認めることをしなかったが、最後の挨拶に行ったジャレッドに、努力すると伝える。

 

実話を基にしているので、崩せない部分もあるだろうが、LGBTをただ認めろというメッセージが強すぎ、認めないもの、矯正しようとするものは全て悪のごとき描き方は正直納得できないし、それを神のせいとか訴えてくる姿勢も受け入れられない。

 

LGBTはあくまで異常であることが大前提の上、それを受け入れるべきものだと思う。出演者全ての熱演と、このテーマへの思い入れはわかるがやや一方的すぎるように思ってしまいました。