くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「愛唄 約束のナクヒト」「がっこうぐらし!」

「愛唄 約束のナクヒト」

オーソドックスな映画ですが、このシリーズの前作「キセキ あの日のソビト」の方が良かった。ちょっとエピソードの展開がしつこくてまとまりがないのは惜しいですが、ぼんやり見ている分には、いろいろ考えさせられて良い映画でした。監督は川村泰裕。

 

主人公野宮透が、健康診断の結果を見ている場面から映画が始まる。そして病院で検査をしたら、余命三ヶ月だと言われる。絶望して屋上から飛び降りようとして、通りかかった高校時代の旧友龍也と出会う。そして勝手にカウントダウンアプリを入れられてしまう。

 

無理やりカラオケに付き合わされた帰り、一冊の詩集を拾う。そして追いかけてきた本の持ち主相川と出会う。彼女はかつて有望な女優だったが、イジメに会い突然姿を消した。彼女の愛読書は、伊藤凪という14歳で亡くなった女性の詩集だった。

 

二人は、詩集を通じて親しくなり、会うようになるが、ある日、病院で、白血病で長期入院している少女と出会う。なんと彼女こそが伊藤凪で、死んだことにしていたのだ。野宮は彼女と親しくなるに連れ、生きることに希望を見出して行く。一方、相川も、諦めていた女優の道に戻る。

 

野宮透と伊藤凪は、お互いの残りの人生を精一杯生きようと、凪が望む朝日を見るために海岸へ行くが、凪は気を失ってしまう。この辺りから非常にくどく、体の弱った凪を透が、自分のカウントダウンが終わった夜に再度連れ出す。そして朝日を見せるが、間も無くして凪は死んでしまう。

 

再び詩を書いていた凪の詩を龍也が曲をつけて、それを聞く透。そして今まで関わった人がそれを聞いているショットで映画が終わる。クライマックスがいかにも素人脚本になっているのが、残念ですが、もうちょっと全体をまとめれば、前作同様、良質の一本になったと思います。劇中に出てくる伊藤凪の詩が、心に響いたのは良かったです。

 

がっこうぐらし!

学園祭の低レベルの自主映画並みの映画だった。商業映画として見るなら完全な駄作。出演者のファンをターゲットにしたものとしても、全然出来が良くなかった。ファンがいれば適当に作っても良いやという制作側の顔が見えて気分の悪い一本でした。監督は柴田一成。

 

山間のある高校、保健室に集まってくる女子高生達、よくある学園ドラマのワンシーンから映画が始まる。そして、ここには学校生活部という学校で寝泊まりして自主性を鍛えるというクラブがあり、胡桃達女生徒三人と顧問の保健の先生がいる。

 

ある時、屋上で作業をしていた彼女達が、校庭の騒ぎを見下ろすと、なぜかゾンビになった生徒達が襲っている。まぁ、ゾンビ映画の唐突な導入部は、世界中見ても普通のようなので良いとするのですが、その後の主人公達の学園祭レベルの演技に参ってしまう。

 

もちろん、こういう能天気な空気感を作り出そうとしている意図が見えなくもないが、どこかに張り詰めたものがないと物語がダラダラ見える。まさにその状態なのです。

 

あとは、なんに脈絡もない展開が適当そのものに描かれて、間の取り方もど素人な演技と演出で、とりあえず進む。そして、ゾンビの一人が火事を起こして、胡桃達はピンチになるが、ゾンビ達は焼け死に、胡桃達は卒業ということになり、卒業式をして車で脱出。外にはゾンビがうろついている世界へ向けて去ってエンディング。

 

アイドル映画ならアイドル達をもっと魅力的に見せないといけないがそれもできていない。ただ、ど素人適当映画で終わった。

 

映画感想「夜明け」「バジュランギおじさんと、小さな迷子」「マイル22」

「夜明け」

脚本も演出もセンスの悪いというか、テンポが全くつかめていないというか、ひたすらダラダラと繰り返す展開と映像に参ってしまった。監督は広瀬奈々子、三島有紀子の助監督をしていたらしいが、何を勉強していたのかと思う。

 

一人の青年が橋の上で何やら思いつめている。カットが変わると、一人の男が橋の下に若者が倒れているのを発見、助け起す。この男は哲郎といって、木工所を営んでいる。助けられた若者は、自分の名をシンイチと名乗る。

 

哲郎はシンイチを家に住まわせ、体調が戻ると、木工所で働かせるようになる。哲郎は以前、息子と妻を事故で亡くしていた。息子の名前はシンイチといったため、助けた若者が他人に思えず、息子の姿を重ね始める。

 

哲郎は、二年前の知り合ったバツイチの娘宏美と結婚を控えていた。シンイチはかつてこの町のファミレスでバイトをしていた時、火事を起こし、店長を死なせた過去があった。シンイチのミスでもないが、その時の後悔を引きずっている。一方の哲郎も、事故の日に息子と言い合いをした過去があり、今だにひきづっていた。

 

物語はこの二人のいつまでも過去にこだわる姿を延々と描き、一進一退で繰り返すので、正直疲れてくるし、やたら長く感じる。無言のシーンのテンポが悪く、もうちょっとタイミングを計って転換していくべきだが、その辺りの感性が良くないので、やたら長いのです。

 

そして、出たり入ったりを繰り返し、哲郎と宏美の木工所での結婚式の日、シンイチは木工所を出て行く。それまでになんども出て行く感じなのに、その度に戻り、とにかく脚本が全くリズムに乗っていないのです。だから長い。ため息ばかりが出てしまう作品でした。

 

「バジュランギおじさんと、小さな迷子」

典型的なインド映画で、素直に感動の涙に包まれるラストシーンの作り方は、オーソドックスとはいえ、泣いてしまいました。監督はカビール・カーン。

 

パキスタンの山深い村で暮らす人々が、テレビでクリケットの試合を見ているシーンから映画が始まる。一人の女性がお腹が大きく、やがて女の子が生まれるが、クリケットの名選手の名をとってシャヒーダーと名付けられる。しかし、この子は口がきけなかった。

 

なんとか治したいと、インドのデリーに連れて行くことにし、母と列車に乗るが、インドに入った後、列車が止まっている間にシャヒーダーは、外にいた子ヤギと遊んでいて列車においていかれる。

 

眠っていて目覚めた母は、慌てるも、すでに列車ははるかに過ぎていた。シャヒーダーは、次に通った貨物列車に乗るが、全く違うところに行ってしまう。そして、そこでシャヒーダーは、その地でパワンという男に出会う。誰についていっていいかわからないままにこの男についていき、パワンは、シャヒーダーをとりあえず婚約者の家に連れて行く。

 

パキスタンから来ているらしいをわかったパワンは、ビザを取ろうとするが、折しも起こったインド人とパキスタン大使館とのトラブルで、ビザがしばらく発行できなくなる。仕方なくパワンは独自に連れ出そうとするが変な男にシャヒーダーが誘拐されそうになるので、密入国すべくシャヒーダーをつれて、パキスタンへ入る。

 

ところがパキスタンでは彼らをインドのスパイとして指名手配を始め、たまたまスクープを狙っていたフリーのジャーナリストと行動を共にし、警察から逃げながら、シャヒーダーの家を探す。

 

物語は彼らの逃避行のロードムービーとなり、前半にこそダンスシーンはありものの、後半には歌ぐらいしか出てこない。

 

そして、幸運を呼ぶという聖廟に行ったシャヒーダー達は、偶然そこに来ていたシャヒーダーの母の映像を撮影したことから、彼女らの村を発見、シャヒーダーを連れて行くが、警察が追ってきたので、パワンが囮になり、無事シャヒーダーは両親の元へ。

 

しかし、パワンは逮捕され、スパイの自白をさせようとするパキスタン側。それをジャーナリストが、ネットを使って世論に呼びかけて、パワンは、大勢の国民に守られ、国境へやってくる。CGではないリアルな大量の群衆シーンはさすがにインド映画です。

 

そして、見送りに来たシャヒーダーは、去って行くパワンに必死で声を出し、とうとう喋れるようになる。パワンはシャヒーダーを抱きしめエンディング。

 

くどいほどの糞真面目なパワンのキャラクターは典型的なインド映画。脇役は、いつもながら適当なキャラクターだが、国際的になってきたかやや抑え気味。少女と真面目なおっさんの組み合わせという得意分野のインド映画という感じで、ただただ、泣かせるように泣かせるように描いて行くが、所々に、様々な宗教観や、身分制度への風刺味絡んでいる。この辺りがもっとわかればさらに面白かったかもしれません。途中からパワンの婚約者の存在が完全になおざりになってしまったのは、もしかしたら相当カットされているのかもしれません。

 

マイル22

非常に面白いストーリー展開なのですが、いかんせんアクションシーンがめまぐるしい上に、主人公シルバの機関銃のように異常なセリフが頭を混乱させ、物語を整理する暇がないほどだったのが本当に惜しい。でもラストのどんでん返しを含め、退屈しない作品でした。監督はピーター・バーグ

 

閑静な住宅街の一軒に、1組のカップルがやってくる。情報では白い家ということだが、青みがかっているのがおかしいと、近づく。裏手ではスナイパーらしいメンバーが構えていて、上空には無人攻撃機が待機している。

 

そして踏み込み、中にいた男達を殺戮していき、ある部屋のSSDなどを押収して脱出。しかし、肝心の危険物質が見つからなかった。主人公ジェームズ・シルバーが報告しているショットを挟みながら物語が進む。

 

危険物質のありかの情報を知るリー・ノアに、危険物質の存在を示す解読のパスワードを聞き出そうとするが、自分を無事アメリカに亡命させれば答えると言われて、シルバ達のチームがインドネシアから飛行機で連れ出す計画を立てる。

 

ところがノアを暗殺しようと武装集団が襲いかかってくる。あとは、シルバと武装集団とのめったやたらの銃撃戦の繰り返しと、次々と支持してくるシルバの司令室マザーとのやりとりの面白さを楽しむことになる。

 

シルバの仲間が次々と殉職していき、最後の最後に、ようやく空港に間に合い、パスワードも聞き出し、脱出用の飛行機にノアを乗せたのだが、実はノアは三重スパイで、飛行機を乗っ取りロシアに亡命して行く。さらに、マザー達も襲われ、全員殺されてしまう。

 

事の顛末をシルバが報告するシーンで映画が終わる。次々とピンチになりながら切り抜けて行くシルバ達の情報戦が見せ場だが、とにかく銃撃戦がめまぐるしい上に、展開が早く、見せ場が物語展開なのかアクションか混乱してしまった。ウェイトをしっかりとって、主と従を整理したら傑作になったかもしれない。でも相当に面白かったことは確かでした。

 

 

 

映画感想「肉体の冠」

肉体の冠

これはなかなかの一品でした。物語の展開がテンポよく、しかも、ロングとミディアムを切り返すカメラワークも秀逸。発端からクライマックスまでが一つの絵になっていました。監督はジャック・ベッケル

 

ボートに乗り、川を進むマリー達のシーンから映画が始まる。マリーは娼婦だがロランという情夫がいてそれぞれの仲間、友達とこの日楽しんでいた。川岸についてダンスパーティに参加するが、マリーはそこで一人の男に惹かれる。彼の名はマンダといい、大工だった。

 

お互い一目で惚れ合い、ダンスをするが、良しとしないロランはマンダに難癖をつける。さりげなくかわしたマンダはその場を去るが、後日、マリーはマンダのもとを訪れ、口づけをする。そして酒場でロランとマンダが出会い、二人の様子から、喧嘩で決着をつけさせようと、ワイン商を営むルカが仲裁に入る。

 

ところがただの喧嘩のはずが、マンダはロランを刺し殺してしまう。隠蔽してしまおうと二人を逃したルカだが、どこから漏れたか警察が踏み込んでくる。そして、ルカは、マンダの友人が犯人だと警察にタレ込んだために、友人が逮捕される。

 

一方マンダとマリーは幸せに暮らし始めたかに思われたが、友人が逮捕されたことを新聞で知り、自首するべく警察へ行く。マリーは実力者であるルカに助けをこう。そして見返りに自分を与えるのだが、ルカは、最初からマリーが目的で助ける気は無かった。マンダは逃げてルカを追い詰め、撃ち殺す。

 

マンダも逮捕され、マンダと友人が護送される馬車をマリーも後を追い、拘置所で降りたところで、マンダ達は逃げる。逃げる途中友人は撃たれ、逮捕されたマンダは絞首刑となる。ギロチンの刃が落ちるシーンとマリーのカットで映画が終わる。

 

とにかくテンポが実によく、全体が一つの絵のような仕上がりになっているのは見事なものである。フィルムノワールの傑作の1本という空気の映画でした。

 

 

映画感想「バハールの涙」「勝負をつけろ」

「バハールの涙」

映画作品としても、物語が伝えるメッセージとしても、相当に見応えのある映画でした。国の事情などはほとんど知識がないけれど、一人の女性戦士の生き様に圧倒されてしまいました。監督はエバ・ユッソン。

 

黙々と上がる土煙。爆弾の破裂により画面全体を覆っていく煙から映画が始まる。傍に一人の女性戦士バハールの姿がある。クルド人自治区でISと戦っているバハールは女性戦士を率いていた。この日、フランス人で戦争ジャーナリストのマチルダが取材にやってくる。以前取材に行った先で、爆弾で片目を失い眼帯をしている。

 

チルダはバハールの隊について、彼女らの姿を追っていく。バハールは、かつて弁護士で、子供、夫、父らと普通の生活をしていたが、ある日ISにより男達はその場で皆殺しにされ、子供と女は拉致された。襲ってくるISに抵抗しながらバハールの過去がフラッシュバックされ物語は進む。

 

近くのISの司令部から地下道を通ってバハール達のところが襲われるが、応援もあり、なんとかしのぎ捕虜も捉える。そしてバハールの提案で、地下道を逆に進み、司令部を急襲しようと計画する。司令部のそばには小学校があり、そこで子供達が軍事訓練を受けているらしく、バハールの息子もそこにいると推測したためである。

 

地下道の地雷をなんとか、一人の犠牲で通り抜け、司令部を奪還するバハール。彼女はマチルダに、自分が拉致された後、性奴隷としてISで数回売られ、彼女らの救出を進めている女性政治家の助けでなんとか脱出でき、今に至ったことを語る。この、かつてのバハールの脱出シーンは、非常にスリリングで手に汗握るため、その後、バハール達が、小学校へ突入して、ISとの銃撃戦が繰り返されるのがさらに緊張感を生み出していく。

 

そして、ISをなんとか追い返したと思いきや、バハールとマチルダのそばでロケット砲が落下、その爆発で二人は一瞬気を失う。足に怪我をしたマチルダがなんとか起き上がり、バハールも意識が戻り始めるが、そこに一人の少年がくる。バハールの息子である。バハールは涙を流しやっと会えた子供を抱きしめる。彼女らの背後にもくもくと立ち上る爆破後の土煙。冒頭のシーンである。

 

チルダはトラックに乗り病院へ。手を振るバハール。マチルダはトラックの荷台で、バハールら女戦士の姿を思い出すナレーションで映画が終わる。

 

胸に迫る物語が素晴らしい上に、バハールを演じたゴルシフテ・ファラハニも素晴らしい。映像表現も一級品に近く、ストーリー構成もしっかりしている。クオリティの高い一本でした。

 

「勝負(かた)をつけろ」

物語が行き当たりばったりで、何をどう作りたいのかわからない映画だった。破綻した作品という雰囲気の作品でした。監督はジョン・ベッケル。

 

ロベルトのところに一人の男が現れ、アデが捕まったから助けて欲しいという。ロベルトは、アデが収監されている刑務所に入る。そして、アデの待遇を改善してやる。

 

なぜか囚人が地雷撤去作業をしている。アデはふらっと勝手に地雷を処理しに行き爆発、片手を失う。そして画面は2年後。

 

アデとその妹、ロベルトが、幸せそうに暮らしている。田舎に移り住む予定であるようなシーンもある。

 

アデはかつての仲間ネバダから強引に金を奪うが、ネバダの仲間がアデのところにやってきて、アデの妹を撃ち殺してしまう。

 

妹の葬儀に場面、ロベルトがアデに愛想をつかしたと罵倒して去っていって映画が終わる。なんおコメントもできない映画でした。

映画感想「マスカレード・ホテル」「ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー」「乗馬練習場」

「マスカレード・ホテル」

面白かった。久しぶりに、面白い推理ドラマを見た感じです。もちろん、推理小説の常道のような犯人像なのですが、見せ方が上手くて、役者の選択が見事で、すっかり引き込まれて、いいように乗せられてしまいました。しかも東野圭吾お得意の、胸が熱くなるドラマ性も再現されていたのが良かった。監督は鈴木雅之

 

一流ホテル、ホテルコルテシア東京のロビーから映画が始まる。そこに物々しい様子で地下から乗り込んでくる男達。彼らは刑事で、連続殺人事件の次の舞台がこのホテルだと推理して、犯行を防ぎ犯人を確保する為にやってきたのだ。そしてホテルマンに刑事が扮装し潜入捜査をすることになる。

 

破天荒だが、洞察力に優れた新田浩介刑事は、フロントクラークとして潜入することになるが、指導になったのがクラークリーダーでホテルマンとして誇りのある中堅の山岸尚美だった。最初からお互い反発する二人だが、それぞれが見せるプロとしての知識と経験から次第に信頼関係ができてくるという展開となる。

 

最初、二人の前に現れた、目の不自由な老婦人。何かにつけて山岸が気に入り呼びつける婦人。実は目は不自由ではないと見破った新田刑事は、この婦人が山岸に危害を加えようとしているにではと不審に思うが、帰り際、実は、間も無くくる夫が実は目が不自由で、その下見にこっそりきたのだと告白、この出来事から山岸と新田の信頼関係は急激に接近し始める。

 

あとは、ストーカーから逃れようとやってきたかの女性と、追ってきた男で、実は夫だったというエピソード、新田の学生時代にやってきた教師志望の男との確執の話、バスローブどろぼうのエピソードなどを交え、山岸と新田の信頼関係が深まる展開が実によくできている。

 

そして、本来の犯罪阻止に関し、このホテルで結婚式を挙げるカップルが次第に存在感を高め、新婦の元彼が新婦を狙っているかの展開から、実は連続殺人事件の本当の意図が浮かび上がってくる。さらに背後に語られる山岸が過去に対応したお客様とのやりとりがしっかりと伏線になってくるのです。

 

そしてクライマックス、新田らが、結婚式を挙げるカップルに近づいた不審な男に目を奪われているところに、別途、外で調べていた新田のかつての相棒能勢からの報告で、真犯人が見えてくる。

 

実は、冒頭に登場した老婦人こそが、犯人で、狙っているのは山岸。かつて体良く断られた山岸のエピソードに出てきた女性が、その時の恨みも含め、様々な不幸の連鎖の結果もあり変装して山岸に迫ってきたのだ。そしてここまでの連続殺人事件は、それぞれ別の事件だったのに、犯行現場に残っっていた暗号メモを勘違いして判断していた。そしてそれらも、真犯人の仕業だった。

 

客室内に山岸を呼んだ老婦人は、カツラとメガネを取る。ここで松たか子登場。この配役が抜群にいい。そして山岸を縛り、筋弛緩剤を注射しようとするが、すんでのところで新田が飛び込み、無事救出逮捕となる。上手い。

 

事件が解決し、ホテルを去る新田、山岸達が丁重にお辞儀をする。そしてエピローグ、新田と山岸がホテルで食事をしている。映画はここで終わる。

 

冒頭、ホテルの中を延々と長回しに近いカメラワークで見せていく導入部から、さまざまな客のエピソードに紛れて挿入される推理の伏線が実に上手い。推理ドラマの映像としての醍醐味を楽しませてくれる映画でした。

 

ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー

生誕百周年でやたら出てくるサリンジャー映画の一本ですが、一人の青年サリンジャーの人間ドラマが丁寧に描かれた佳作でした。監督はダニー・ストロング。

 

ホールデンはもういないという主人公のつぶやきから映画が始まり、物語は6年前、1939年に遡る。

 

主人公サリンジャーコロンビア大学でウィット教授の授業を受けていた。教授のアドバイスもあり、短編小説を描くようになるサリンジャー。しかし、出版社からは断られる日々。父も小説家になることに反対をする。

 

やがて第二次大戦が勃発し、戦地へ赴くサリンジャーは、地獄のような戦地の生活を体験し、帰国後は、精神的に参ってしまう。そんな彼は宗教的な癒しを得る機会があり、その影響で書き溜めていた長編小説「ライ麦畑でつかまえて」を完成、認めてくれた出版社から出版されると一気に話題になる。

 

小説の主人公ホールデンは自分だというファンがサリンジャーの周りに現れ始め、落ち着かなくなったサリンジャーは、森の奥に一軒家を手に入れてそこで瞑想と執筆の日を過ごすことに決める。やがて結婚するが、たまたま受けた女学生のインタビューが地方紙に載ったことからさらに人を信じられなくなり閉じこもるようになる。そして執筆もしないことを出版社に告げ引きこもってしまう。

 

妻と離婚し、その後91歳で亡くなったというテロップで映画が終わる。

 

ライ麦畑でつかまえて」は実は読んだことはないのですが、サリンジャーの人物像と人生のドラマはしっかりと描けていたと思います。絵作りも上品だし、映画としても好感の持てる一本に仕上がっていた。いい映画でした。

 

「乗馬練習場」

しつこい展開で、だんだん面倒になる一方で、ファムファタールのドラとその母親への憎悪が募るばかりでかなりストレスになる映画でした。監督はイヴ・アレグレ。

 

ロベールの妻ドラが交通事故にあい病院に担ぎ込まれたところから映画が始まる。ドラへの愛をひたすら呟くロベール。そこへ彼女の母親がやってきて、事故はロベールのせいだと罵倒し、やがて、実はロベールとの結婚は金目当てだったと告白し始める。

 

映画は、フラッシュバックで、ドラとその母がいかにしてロベールに付け入り、金をせしめ、ロベールの乗馬練習場の仕事が危うくなってきたら、次のカモの男を物色していたことを話す。そして、まもなく離婚して新しい金のある男のところへ行く予定だったと話すのだ。

 

映画はひたすらドラが次々と男を変え、媚びていく様を延々と描いていくが、その展開が単調な繰り返しと、母とドラの悪女ぶりが続くので、気分が悪くさえなってきます。

 

そして手術は終わるが、真実を知ったロベールにはもうドラへの愛もなくなっていた。ドラは全身麻痺が残り車椅子になるという。ロベールは泣き叫び助けを乞うドラの母にもドラにも別れを告げ去っていく。

 

徹底的なファムファタールものという一本で、フィルムノワールの異色作という映画でした。

 

映画感想「ミスター・ガラス」

不思議ワールドはいつものことですが、一時の形而上学的な不思議感、シュール感がちょっと失せて俗っぽくなった感じのⅯ・ナイト・シャマラン監督作品でした。

 

ひとりの坊主頭の男が、女たちを拉致し「ピーナッツバターはどうのこうの」というセリフから映画が始まり、リズミカルな音楽とともに夜の街、一人の男が、とびかかってきた若者になぎ倒される。その様子をカメラに撮り、ネットに拡散して楽しむ姿。

 

その若者たちの部屋に、カッパを着た謎の男が現れ、彼らを倒し姿をくらます。彼はデヴィッド。正義を果たすヒーローとして出没する謎の男で有名な人物だった。彼の息子が、彼をサポートしている。

 

デヴィッドは、手に触れた人物の心の背景が見える。四人の女子学生が拉致された事件の犯人を捜して人込みを歩いていた。そして一人の男に触れたとき、彼が犯人と認識し、拉致された女性四人を助けに行く。そこに現れたのは、ビーストという獣のような男。冒頭での坊主頭の男ケヴィンが獣の人格に変身した姿だった。彼は24の人格を持っていた。

 

死闘の末、二人は警察に麻酔フラッシュを浴びせられ精神病院に収容されてしまう。担当している医師エリーは、ヒーローと思い込んでいるデヴィッドたちを普通の姿にしようと研究していた。しかもこの病院には、天才的な頭脳を持つが、生まれて94回骨折した壊れやすい男イライジャも入院していた。

 

一見、古臭いほどの頭の固いエリーが、三人に執拗にヒーローと思い込んでいるのは妄想だと繰り返す場面が、違和感ありあり。そして、ここに、イライジャの母、ケヴィンが拉致していたが、なぜかケヴィンに心惹かれるケイシー、デヴィッドの息子ジョセフも絡んでくる。

 

実は、イライジャにはある計画があり、自分たち特異な才能のある人間が、世の中に存在することを世間に明確に認識させようとしていた。そして、まんまと部屋を脱出、体の弱い自分のサポートにイライジャを巻き込み、デヴィッドとの対決を試みる。

 

エリーは警察の特殊班に彼らの弱点を伝え、獣からケヴィンに変わった瞬間にケヴィンを射殺させ、水に弱いデヴィッドは、水溜りに顔を押し付けて警官に殺させ、ケヴィンの父を殺したのは実はイライジャで、イライジャが、列車事故を起こさせ、デヴィッドとケヴィンを作りだしたことがわかり、ケヴィンはイライジャを突き飛ばし、体を壊す。

 

三人がそれぞれ、死んでしまうが、エリーはこのことを隠ぺいしようとビデオ映像を消そうとするが、実はイライジャがダウンロードしていて、それが世界に流れ、世界中には彼らのような特殊な人類がいること、そしてそんな人たちが、自覚を持つことを促す。その様子をイライジャの母、ジョセフ、ケイシーが見つめる中映画が終わる。実はエリーはデヴィッドら特殊人類を抹殺する集団にメンバーだった。

 

かなり無理があるストーリーで、従来のような、ただ訳が分からないつくりではなく、ただ、つじつまが古臭いだけに終始した作品でした。面白い以前に、どこか脚本がおかしいので入り込めない瞬間が多々ある。エリーのキャラクターが医者に見えないし、組織の姿がはっきりしない。ケヴィンの人物像も通り一遍で、ああいう風になるほどのトラウマも見えない。これまでの作品の続編的な色合いであるそうですが、さすがに甘すぎる物語だった気がします

映画感想「チワワちゃん」「TAXI ダイヤモンド・ミッション」

「チワワちゃん」

最初はどうなるかという映像描写に引いてしまったが、これが今の青春映画の在り方なのだろうと、次第に引き込まれてしまいました。人気スターより芸達者な若手を集めたのが、作品に個性を生み出して仕上がった感じです。監督は二宮健。

 

東京で、夜の街で遊びまわる若者グループだった一人、通称チワワちゃんが、バラバラ死体で殺されたという事件が起こる。かつての仲間で、親しかったミキが、雑誌のインタビューを受ける中で、チワワちゃんの過去を見つめ直していくのが物語になります。

 

クラブで遊びまわるミキ達のグループに、ある日、吉田という男にナンパされてやってきたのがチワワだった。本名も知らず、グループに加わったチワワには、独特の空気感があり、クラブのマスターの冗談半分の情報から、不動産屋の客から600万円を奪い、ミキらのグループが遊びまわる。

 

細かいカットとサイケデリックな映像、騒がしいだけのような映像演出で目まぐるしく展開する前半部分が、ミキがチワワの素顔を追い求めていく中に、一瞬見え隠れする人間像、と思いきや、一歩奥に入り込んでいかない。これが今の若者達の姿なのだろう。

 

普通の映画なら、次第に見えてくる素顔ということなのだろうが、SNSなど、ネットの中のうわべの世界で生きる若者達には、どうしてもたどり着けない部分が今は存在するのだろう。

 

結局、チワワが、どうして死んだのかということは語られないまま、チワワが死んだ東京湾に花束を投げ、めいめいがチワワとの出会いや思い出を一言動画にして映画が終わる。これは今の青春映画なんだろう。

 

見終わった後、何が残るというより、何かを感じ取ったような感覚だけが不思議な感動になって染み渡りました。いい映画、とかそういう表現ではなく、これが現代なのです。そんな感動を覚えました。

 

「TAXI ダイヤモンド・ミッション」

リュック・ベッソンも地に落ちたね。見なければよかったと思うような作品。汚くて下品な演出と下手くそな悪ノリに、フランス人の程度を疑うような映画だった。しかも、オリジナルとは完全にかけ離れた物語に変わってしまって、なんの面白みもなかった。監督はフランク・ガスタンビド。

 

パリ警察のマロ刑事は、車の運転は一級品で、ぶっ飛ばして犯人を逮捕するところから映画は幕を開ける。度重なる経費の無駄遣いに、マルセイユへ左遷され、そこで、箸にも棒にもかからない最低のスタッフと仕事を始める。

 

折しも、世界一のダイヤが盗まれるらしいという情報が入り、その強盗団との一騎打ちがクライマックスなのだが、前半の汚い演出の数々に辟易としていた上に、随所に見られるが面白くもないバカ騒ぎに、劇場を出て行きたくなった。

 

主人公のキャラクターも魅力がないし、脇役も下品なだけ。さらに、汚物を遠慮なく出す汚い脚本と演出に目を背ける。最低の映画に出会いました。