「裸の町」
機関銃のような台詞回しからコメディのように始まる映画なのですが、みるみる悲惨な状況に物語が転がっていく様がなんとも破綻したような映画。それでも決して駄作に仕上がっていないところはさすがと言えば流石なのは、登場人物が隅から隅まで名優が演じていることだろうか。杉村春子や浪花千栄子がさらりと登場する贅沢さは呆気にとられる映画だった。しかし、制作された1957年を彷彿とさせる一本でした。監督は久松静児。
東京の街並みを俯瞰で捉えるカメラにタイトルが被り、今にも潰れそうなレコード店へシーンが移ると、機関銃のような早口で喋りまくる森繁久弥扮する高利貸しの増山のカットになって映画は幕を開ける。店の主人富久はレコードマニアというだけで商才が全くなく、人の保証人になったりする気の良さもあってこの店は借金まみれだった。同じく高利貸しの榊原が取り立てにやってくるが増山が巧みに煙に巻いて追い返してしまう。
実は増山も富久に金を貸していたがなんとか榊原の先手を打って富久から金を取ろうと考えていた。そして、富久ら家族を夜逃げさせて店の権利金を巧みに騙し取ることに成功する。増山は、家の押し入れに現金を隠して日々悦に浸っていた。そんな夫に嫌気が刺し始める妻さくだった。富久の妻喜代はしっかり者だったが富久が増山の口車に乗せられたのを知り、富久に嫌気をさしてしまう。
富久と喜代はいく当てもなく彷徨い、旅館を転々とし、やがて喜代は別れる決心をして汽車に乗ろうとする。そんな頃、増山の女房さくは、兄の勧めで投資銀行に金を預けることにし押し入れの増山の現金を預けるが、その会社は榊原が仕組んだ詐欺の会社だった。まんまと金を取られた増山は榊原のところに殴り込み、あわやしめ殺そうとしてしまう。てっきり殺したと思った増山はに逃げる算段をするが、榊原は無事だった。
増山は一文無しになり、投資会社の軒先に家族共々座り込んでしまう。富久らは唯一残ったコレクションのレコードを持って街に戻り、それを売って夜店を始めることにして映画は幕を閉じる。
前半の色合いが後半につれて大きく変化してしまう点で一貫性が崩れた作品ではあるけれど、これだけの役者を揃えて、予想外のキャラクターを描いていく面白さはまさに映画黄金期の一本という映画でした。
「悪は存在しない」
微に入り細に入った脚本の凄さには頭が下がるが、果たして意図して書いたのか天性の才能が成したものかはわからない。シュールなラストシーンで締めくくる映像芸術的なエンディングはさすがと言えば流石ながら、ではもう一度見たいかというとそれは躊躇してしまう。でも抜きん出た一本であることに相違ない傑作だった。監督は濱口竜介。
長野県水挽町の森の中、一人の少女花が空を仰いでいる場面から映画は幕を開ける。山小屋で薪を割る父の巧は、都会からこの地に来て便利屋のような仕事をしている。近くのうどん屋の水を汲みに河瀬へ行き水を汲んでいるが、花を学童へ迎えにいく時間に遅れ慌てて車で向かうが花はすでに一人で帰っていた。途中追いついた巧は花と一緒に森を歩き、雉の羽を拾う。
その羽を地元の区長をしている先生にプレゼントして喜ばれる。この地に都会の芸能事務所がコロナ禍の補助金目当てでグランピング施設を作る話があり、この日住民への説明会が行われた。会社側から担当の高橋と薫がやってくる。しかし、会社側の一方的な計画に住民は懸念を示す。高橋らが帰り際、区長の老人が、巧と親しくした方がいいからとアドバイスする。その際花は、自分で見つけた雉の羽を渡すが、一人でうろつかないようにと区長に言われる。
会社に帰った高橋らはコンサル会社のアドバイザーや社長に住民の意見を届けて、この事業は辞めるべきだと言うが、社長らは補助金を貰わないと会社が危ういのだからもう一度巧に会いに行けと指示する。高橋らは仕方なく巧のもとへ向かうが、途中の車の中で、こんな会社は辞めようかというような話をする。
巧のところにきた高橋らは、巧の薪割りを経験し、うどん屋のへ水を運ぶのを手伝い、しばらくここにとどまることを決めるが、巧が花の迎えにまた遅れ、花は一人森に入って行方不明になる。巧ら地元住民が探すも見つからず、巧と高橋はグランピング予定地の草原で手負の鹿と対峙する花を見る。しかしそれは一瞬の幻覚だったらしく、巧はこれ以上ここに関わるなと言わんばかりに高橋を気絶させ、花の倒れている所へ駆け寄る。花は鹿に襲われたらしく鼻血を出して死んでいた(多分、死んでいたと思う)。巧は花を抱き上げ夜の森を駆け抜ける視点で映画は終わる。
音楽が先にあり、そのイメージ映像として後付けされた物語による作品だが、バカな芸能事務所の社長にせよ、利益主義のコンサル会社のの社員にせよ、そのどこにも悪というものは存在しない。都会から来たという巧は普通にタバコを吸うし、おそらく、地元住民ならやらないSUVに乗って、しかも水は手で運んでいる。地元民なら一輪車等の何かを使うはずだが、そんなさりげない脚本が実によくできている。しかし、それがかえって濱口竜介神話と言う偶像的な感想を生んでしまうと本来の彼の良さが失われそうでちょっと危惧してしまう。そんな映画だった。