くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「サバイバル・オブ・ザ・デッド」「続・荒野の用心棒」

サバイバル・オブ・ザ・デッド

サバイバル・オブ・ザ・デッド
ジョージ・A・ロメロ監督作品である。今回も彼独特の世界観が全編に行き渡った個性的なゾンビ映画でした。
すでに死者がよみがえっているのが当然のようになってしまった世界を舞台に、軍でゾンビ退治をするサージが主人公となります。

当たり前のようによみがえる死者を撃ち殺している日々ですが、つらいのはやはり友人を射殺するときだとつぶやいたりもする。そんな彼は軍の仕事に嫌気がさし数人の仲間と軍を離れ強盗を繰り返すようになる。そんなある日、自分たち同様の集団を撃ち殺した男たちのトラックで大金を見つける。そしてそこで知り合った一人の若者のネット端末でみた、「ゾンビのいない島」の宣伝文句に惹かれ、そこを目指すこととします。

その島とは、冒頭のエピソードで紹介され、ゾンビをひたすら退治するファミリーとゾンビを飼い慣らそうとするファミリーが対立する島でした。そして、その退治するファミリーが追放され、その長がサージたちと合流し、再び島へ戻るというのがストーリーの中心になっていきます。

ゾンビを飼い慣らすというシーンが所々に登場し、作品を重ねるごとにゾンビが進化していくというロメロ監督の世界観、ゾンビ感が浮き彫りにされていく作品で、サージがラスト近くにつぶやく「もし相手が違っていたら、今の見方が敵になっていた」という台詞に象徴されるように、死者の蘇りであるゾンビと、人間とのどちらが主でどちらが従かという考え方はともすれば逆転するものだという相対する思想が織り込まれているのがわかります。

ラストで、ゾンビが、人肉ではなく馬の肉を食べるように進化?する様子などがまたにんまりするし、二つのファミリーの長がお互いゾンビとなって、巨大な月をバックに玉のなくなった銃で撃ち合うショットはどきっとさせられるものがありました。
まだまだロメロ監督健在ですね


「続・荒野の用心棒」
「続・・」となっていますが、「荒野の用心棒」とは全く関係のない、オリジナルなマカロニウエスタンです。主演はフランコ・ネロ。原題は「ジャンゴ」です
出だし、いきなりジャンゴのテーマが流れ、棺桶を引きずった主人公が、あれた荒野を歩いていきます。
やがて、むこうに一人の女マリアが男たちに引き連れられて縛られ、むち打たれる姿が見えます。しかしそのむち打つ男たちは別の男たちの集団に撃ち殺されますが、その男たちをジャンゴが一瞬のガンさばきで撃ち殺し、マリアを助けてとある宿場町へ。

こうして、典型的なマカロニウエスタンの物語が始まります。宿場の字面はぬかるみで、ずるずると棺桶を引きずっていくジャンゴの姿は異様ですね。
酒場でジャクソン少佐率いるごろつきを棺桶の中に潜ませていたマシンガンで大半を撃ち殺し、そこへきたメキシコ軍の知人ヒューゴ将軍とメキシコ政府の金を略奪するも、分け前の諍いから、マリアと金をもって逃げるところ、捕まって両手をつぶされてしまう。

しかしヒューゴ将軍たちはジャクソン少佐らに皆殺しにされ、両手のつぶされたジャンゴとジャクソンらの対決がクライマックスとなる。
墓場を舞台にしたラストシーンはなかなかの見せ場で、ジャクソンらを撃ち殺した後、音楽に乗せて、一人マリアを迎えに行くジャンゴの姿がなんともせつない。

典型的なマカロニウエスタンで、本場西部劇とは正反対のどこか寒々とした荒涼感が漂い、ぬかるみにまみれた宿場町、町の周囲の荒れ地、底なし沼など非常に凝縮された舞台設定は、広大な荒野を舞台にする本場西部劇と正反対である。しかし、人物のアップを多用し、次から次と展開するテンポのよいストーリーは飽きさせない魅力があり、娯楽に徹した作品づくりはある意味、観客を引きつけずにはおれないだろう。

イタリア映画らしく、耳をそいだり、血しぶきが飛んだりとかなりグロテスクなシーンも多々あるものの、そうした残虐性がストーリーを凝縮させ、限られた空間での独特のムードを醸し出していることも確かなのです。
本作はマカロニウエスタンの中では名作とされていますが、その意味で十分見応えのある一本だったと思います