くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「ストーン」「鬼火」「死刑台のエレベーター」

kurawan2010-12-15

「ストーン」
出だしはドキッとするほどのシーンで始まる。
ぼんやりとゴルフの番組を見る主人公ジャック。時は1960年代くらいだろうか、テレビのタイプで推測される。二階で妻が娘を寝かしつけている。窓の網戸に蜂が止まっていて羽音がブーンと響いている。満を期したように妻が夫のところへやってきて「もう別れましょう」という。とたんに夫が二階へ上がり娘を窓の外から突き落とそうと抱きかかえる。あわてて止める妻。そして窓がバタンと閉じられると先ほどの蜂が挟まって死んでいる。

二人が並んでたたずむ姿から時は現代に移る。すでに頭も白くなり初老の二人が教会にいる。
家に戻った夫は冒頭と同様に同じようにテレビを見ている。未だに妻の言葉に耳を貸さない。このジャンプカットからはいる出だしは見事なものだ。これからどんな物語がどんな映像で展開するのかわくわくさせてくれる。

しかし、このあとが至って平凡かつ中途半端になってしまう。
刑務所で仮釈放の監査をする検査官の仕事をするジャック。そして、彼の前に現れたのがエドワード・ノートン扮するストーンと呼ばれる囚人。この男との対話のシーンにかぶって、この男の妻ルセッタ(ミラ・ジョヴォヴィッチ)が巧みにジャックに近づいてくる下り。ストーンから彼女への指示する展開が非常にミステリアスである。しかし、結局ルセッタはジャックに色仕掛けを使い、案の定その罠にはまってしまう。

一方のストーンは訳の分からない神懸かりのパンフレットにはまって、なにやら音が聞こえないだの、当初の面談では俗っぽい態度だったにもかかわらず精神異常のような態度でルセッタに接するように変わるあたりからどうも不思議な展開へと移り始める。

にもかかわらず、結局、ストーンは平凡に仮出所し、なぜか罪にさいなまれたのか想いのジャックは必要以上に神経質になりルセッタとストーンにおびえ始める。
ストーンが出ていくときの「必ず後悔させたやる」という一言が余りにも俗っぽくて、ここまでの展開は何だったのかと思えてしまう。しかも、オリジナリティあふれる映像は冒頭のショッキングなシーン以後はジャックが初めてルセッタとベッドインするショットにかぶって、ストーンが診察を受けるところで囚人による看守への暴行シーンが被さるというシーンくらいしか凝った映像はない。

結局、家が火事になり。妻はでていき、夫ジャックはなにもかもなくした、すべてストーンのせいだとストーンに銃を向けるがなにもできず、そのまま映画が終わる。
「やっと家を出られたわね」と娘に言われる妻の姿はなんなのだろう。

いきつくところで冒頭の音のイメージがいわゆる神の啓示なのか、人間の罪がいかにして生み出され浄化されるのかを描こうとしているのかが、物語の中で繰り返しラジオなどから流れるキリストの教会の宣伝で語られているのに気がつく。
あっと驚くミステリーでもストーンが仕掛ける心理ドラマを楽しむのでもなく、宗教的なテーマを徹底的にしたものでもない。物語の中のそれぞれのプロットの配分がうまくいっていないために終盤が異常に短く見える。そのあたり中途半端だったのが残念な一本でした。


「鬼火」
アルコール依存症の男が自殺するまでの二日間を描いたルイ・マル監督の代表作の一本。
最初にみたのはすでに20数年前になる。しかも、当時は眠くて半分寝ていたような気がする。当然ストーリーもほとんど覚えていない。

今回見直して、その映像リズムのすばらしさに感嘆する。流れるように一人の男を追っていくのであるが、感情の起伏に合わせて細かく繰り返すカットつなぎをしてみたり、まるで浮き上がるように美しいショーウィンドーをバックに友人と語りながら歩いたりする。

時にすれ違う若者や子供たちの姿が、人生に失望した男のやるせない若さへの回顧を写しだして無性に寂しさを覚える。

物語も、主人公の設定も細かい説明はない。だから物語を追ったり出会う人たちがどんな関係かをあまりこだわるとわからなくなるのである。そこにあるのはただ、一人の男の末路へ向かう寂しさなのである。

アンリ・ドカエのカメラが抜群に美しく。モノクロームなのに目が覚めるような幻想的なシーンを映し出す。

ラストシーンの衝撃、自分を愛してくれなかったと言うテロップによるエンディングは驚かされる以外の何者でもないと思う。まさに傑作の一本、「去年マリエンバードで」の如し映像詩でもあったのかもしれない。


死刑台のエレベーター
スクリーンでもみて、DVDでも何度も見た作品ですが、さすがに今回のデジタルマスターでスクリーンでみると、これこそ名作と思わず背筋が寒くなってしまいました。

卓越した才能で演出されると作品にこれほど見事に観客を引き込むリズムが生み出されるのかというのを実感しました。先日公開された日本版のリメイクと比べるとその秀逸さが顕著にわかります。

ジャンヌ・モローのアップで始まる導入シーンからモーリス・ロネによる犯罪、さらに車を盗んで起こる若者たちのもう一つの犯罪へのプロットからプロットへ至るテンポのうまさももちろんですが、特にラストシーンのたたみかけるような写真現像室でのクライマックスはやはりリメイク版とは格が違う。

まず、ドイツ人との写真が映し出され、タベルニエの疑いが晴れる、その様子に安堵するジャンヌ・モロー、と、別のトレーにはカララ夫人とタベルニエの抱き合う写真、ジャンヌ・モローのアップによる有名なせりふと現像液で消えていく写真、そしてFIN。これぞ名作。

物語は今更言うまでもなしですが、アンリ・ドカエの見事なカメラ。ジャンヌ・モローの存在感のすばらしさ。
もちろん、無駄であろうと思われるシーンもないわけではない。特に、クライマックスの四分の一あたりの部分には若干の間延び場面もないわけではありませんが、そういうところは目をつぶってもこの映画は見事です。

出だしの部分で。電話を受けるタベルニエ(モーリス・ロネ)が犯行に及ぼうとするところで時計のかちかちという音が背後に流れるのは今まで気がつきませんでした。このかちかち音が一気に緊迫したシーンへと観客を誘ってくれます。

後はもう、最初にも書いたようにシーンからシーンへの構成のうまさが脚本と演出の融合によってほぼ完成の域に達している。そして、マイルス・デイビスのもの悲しいトランペットの音が物語に何ともいえないムードを生み出すとともに、アンリ・ドカエのシャープなモノクロ映像がさらに作品に深みを与えてくる。やはり、評価される映画はどれもこれもが見事に絡み合った結果によるものだと言うことに改めて感心する一本でした。