くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「私が、生きる肌」「ファウスト」

私が、生きる肌

「私が、生きる肌」
雑な表現をすると、マッドサイエンティスト物である。しかし、ペドロ・アルモドバル監督が作ると実にスタイリッシュで官能的な作品に仕上がります。

映画が始まると一人の全身タイツに覆われた女性ベラが訳ありな部屋で過ごしている。下から一人の女性マリリアが食事を届ける。どうやらこの女性は皮膚を移植され、その治療も終盤にさしかかっているようである。治療している医師はこの物語の主人公ロベル。その技術と才能はすばらしく、学会での発表の場でも遺伝子操作の問題なども交えて人並みはずれた研究成果を語るほどの人物。

前作「抱擁のかけら」ほど芸術的な画面づくりが見られないものの、壁に掛けられた巨大なモダンアートを配置したりい、ディスプレイに映る巨大なベラの顔を見つめるロベルのショットなどの画面づくりはまさにアルモドバル作品の世界。白に近い部屋の中の色彩演出に、赤や黄色の調度品を配置しているものの今回はかなり色調を押さえ気味であるように思える。

そこへ虎のコスチュームのセカという男がやってきて、ロベルの留守にベラをレイプ。そこへ帰ってきたロベルに射殺される。このセカはロベルの弟で、二人の母がマリリアであるというのが語られる。そしてロベルはベラをベッドで抱くのだが、セカに激しく犯されたために痛みがあり、抱擁だけにとどまる。そして物語は6年前にさかのぼる。

天井の真上からとらえるカメラアングルや、官能的な抱擁シーンがドキドキする感情を生み出してくる。しかも、このベラの姿はロベルのなき妻ガラに似ているという設定にさらに耽美な様相を帯びてくる。果たしてこのベラの正体は?と考えていると6年前の物語がその真相を語っていく。

ロベルの愛娘ノルマとある結婚式に出かけたとき、そこへ来ていたビセンテという青年にノルマが強姦される。というより薬でハイになっていた二人がその直前で正気を戻りノルマが叫んだためにビセンテが逃げたのだ。その姿を見たロベルはビセンテに恨みを抱く。一方このときのことでノルマは精神に異常をきたし自殺する。

ロベルはビセンテを拉致し、仲間と組んで性転換を施すのだ。そして徐々に女性に変えられていくビセンテ。妻を亡くし、娘もなくしたロベルが求めたものはなき妻への面影だったのでしょうか。ビセンテが変えられていく女性の容姿が妻にそっくりだというマリリアの言葉もロベルの思いを語っている。憎しみが狂った愛情に変化し、ビセンテの体を使って自動車事故で全身やけどを負った妻への想いが一方で学者として、火に強い皮膚の研究のための実験も行われた様子が語られる。

そして現代。ロベルとベラがベッドで抱き合う。ベラがどうしても痛いので潤滑油を取りに行き、同時にピストルを持参、ロベルを撃ち殺し、聞きつけたマリリアも撃ち殺し、脱出、自分の家に帰る。そして、姉と母に自分は失踪していたビセンテであると明かし、暗転、エンディングとなる。

芸術的といえる画面づくりはペドロ・アルモドバル的ではあるけれども、最初にも書きましたが「抱擁のかけら」に比べて独特の個性が表だってでていない。ある意味アルモドバル的ではないものの、その語り口は胸を締め付けられるほどに官能的である。無理矢理ビセンテを性転換したロベルの本心は最後まで語られないが、娘の復讐をこういう形で施された男としてのビセンテの姿には見ている男性としての私の体がむずむずするほどのエロティックさを漂わせてくれました。耽美な色合いをスタイリッシュに官能的に映し出した独創性あふれる一本にふれた思いがしました。

ファウスト
ヴェネチア映画祭グランプリ受賞のアレクサンドル・ソクーロフ監督作品。始まる前に、関税の制限により望まないカットを余儀なくされた部分があると注釈がつく。スクリーンサイズはスタンダードで、ロシア映画によくあるモノクロとカラーが入り乱れた映像が展開する。

人体解剖をしその内蔵をつかみ出すというグロテスクなファーストシーンに始まるこの物語は悪魔に魂を売ったという伝説に基づいてかかれた完全なオリジナルである。

不安定に傾いたカメラアングルとめくるめくようなワーキング、そしてドキッとするほどの映像美で見せてくる画面演出がものすごいのであるが、いかんせん、色彩が地味で味気ない上に、人混みをかき分けるようなシーンが続く上に、特に前半部分は機関銃のごとくせりふが次々と絡み合っていくので、正直なところかなりしんどかった。

様々な研究に没頭していたファウスト博士は高利貸しミューラーの導きで純真無垢な少女マルガレーテと出会い一目惚れしてしまう。どうしてもマルガレーテの愛を手に入れたく、自らの魂をミューラーに差し出す契約を結ぶが、マルガレーテを手にしたのかどうか、二人はゆっくりと水の中へ落ちていく終盤のシュールなシーンが余りにも美しいし、クローズアップでマルガレーテの顔を見せる乳白色のショットは幻想的でさえある。しかし、岩山をミューラーと格闘しながらさまようファウストの彷徨から、やがて彼方の山へ消えていくエンディングに至っては圧倒される映像表現とはいえ、私のような凡人ではついていけないほどの芸術性を感じてしまった。

作品のレベルはとてつもなく芸術性が高い傑作である。一つ一つのカメラのすばらしさ、ストーリー展開の巧みさは尋常を越えていると思えるが、物語が映像にハイレベルに昇華され、ふつうに考える娯楽性はかなり押さえられる結果になっている。ロシア映画の特質でもあるけれども、素直な感想を書くとすればベストの体調でゆっくりと鑑賞する作品であろうと思います。評価通りの映画であることは認めますが、あまりにも高尚すぎる。