くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「ニッポン無責任時代」「マレフィセント」「ポケットの中の

kurawan2014-07-16

「ニッポン無責任時代
映画産業華やかなりし頃の、典型的なプログラムピクチャーですが、特筆するのは、エピソードが、次々と機関銃のようにオーバーラップして駆け抜けていく、ストーリー構成のおもしろさです。

たわいのない話で、なにがどうということはないのですが、主人公平均がバーで登場するファースとシーンから、あれよあれよと、テンポよく調子のよい展開が続いていく。

一瞬でも立ち止まると、矛盾だらけ、ありえない非リアリティ満載の作り話なのですが、そんな疑問を持つ暇もないくらいに、あれよあれよと、前に進んでいく。

でも振り返ると何のことはない、スクリーンの中だけの作りごとなのである。

しかし、至る所に挿入される、植木等の調子のいい曲の数々や、笑顔が途切れることなく、次の困難へ立ち向かっていくふてぶてしさに、世の中の人はいやされ、笑い、必死で経済の建て直しに奔走していたのだろう。

そんな観客の息づかいさえも見えてくるような一本。
決して、優れた映像や、演出や、演技がみられるわけではない。しかし、楽しいし、映画館に足を運んだだけのことはあるという満足感に浸って劇場をでることができる。

これが、古きよき娯楽映画、そして、忘れてしまった映画人たちの職人芸の世界である。いやぁ、おもしろかった。


マレフィセント
アンジェリーナジョリーの圧倒的な存在感が、どんとでてきている映画だった。それは、スクリーンの中で彼女の姿が、画面を圧倒しているという以上に、こういうお話でないと私はでませんよ、と大音声で制作側に叫んでいるような迫力が見えるのです。

まず、物語の中にでてくる男が、完全にだめ男ばかり。マレフィセントと恋仲になる後のステファン王は、彼自らの野望のために彼女を裏切り、羽をもぎ取り、王位について彼女を殺すために勢力を注ぐ。しかも最後の最後まで悪人で死んでいくのだ。

さらに、「眠れる森の美女」では、ヒーローとなるオーロラ姫にキスをして目覚めさせるはずのフィリップ王子は、その愛が足りないためにオーロラ姫を目覚めさせられない。

ところが、主人公のマレフィセントは、一時は裏切られた失意による復讐から、オーロラ姫に呪いをかけるものの、赤ん坊の頃から見守り、やがて呪いが解けないものかと試すのだ。ここまでアンジェリーナ・ジョリーを善人として描ききった、この皮肉なほどのだめ男たちへの風刺が、何ともおもしろいのがこの作品の最大の特徴ではないか。

映画は、幼き日のマレフィセントに始まる。妖精の国ムーア国で、すくすく育つ彼女の前に現れたのが、敵対する人間の国の青年シャロン。やがて二人は恋に落ちる。そして16歳の年に真実の愛のキスをかわすが、大人になるにつれ、ステファンは野望に目覚める。一方のマレフィセントは最強の妖精となりムーア国に君臨する。

ムーア国を征服したい人間の国の王は、その死の間際にマレフィセントを殺したものに王位を継がせるといい、ステファンは、殺せなかったもののマレフィセントの羽をもぎ取り持ち帰り、王となる。

裏切られたマレフィセントは、ステファン王の生まれたばかりの姫オーロラに呪いをかけ、16歳のになった日に、糸車の針で指を突いて永遠の眠りにつくようにする。

呪いから逃げるため、三人の妖精にオーロラ姫を預けるが、その三人が頼りないために、マレフィセントがことあるごとにオーロラ姫の面倒をみる。そしていつの間にか二人には心が通い始める。

呪いをかけたにも関わらず、親身になってオーロラ姫の面倒をみるマレフィセントの心変わりの部分が、唐突に見えるが、まぁ、そこは童話と割り切ればいいかなとみていく。

クライマックスは、16歳になったオーロラ姫が眠りにつき、真実の愛と思われたフィリップのキスも効果なく、実はマレフィセントの愛情のキスが目覚めさせるきっかけになるという、あざとい展開。

マレフィセントを倒さんとするステファン王とマレフィセントのバトル戦が、派手なCGで描かれるクライマックスから、羽を取り戻し、ステファン王を倒し、オーロラ姫はムーア国と人間国の王女となってハッピーエンド。

うん、これもまたディズニーだが、とにかくアンジェリーナ・ジョリーの力を思い知らされる作品という印象に終わった。おもしろかったけどね。


「ポケットの中の握り拳」
ベルナルド・ベルトルッチと並ぶ巨匠マルコ・ベルッキオ監督特集ということで見に行きました。

26歳の頃のデビュー作ということですが、これはまさに狂気の映画でした。
モノクロームですが、カメラワークが、異常なほどに激しいし、ストーリー展開の激しさ、せりふの抑揚がまさに狂気的です。

その意味で独特の作風であり、評価されてしかるべき秀作だったと思います。

映画は盲目の母と知的障害の弟、大黒柱の兄とその兄を近親相姦的に接する妹、そんな中で育った次男アレッサンドロウが主人公の物語である。

ことあるごとに、兄に嫉妬するような行動をし、婚約者をこき使う兄を非難し、一方そんな兄を慕う妹ジュリアを責める。

盲目の母を崖から普通につき落としてしまうアレッサンドロウ。しゃあしゃあと葬儀の場に座り、なんと棺桶に両足を乗せてみたりする言動が狂気の世界である。

感謝されてしかるべきだと、堂々とするアレッサンドロウ。弟の犯行を半ば容認する兄アウグスト。それぞれが、自らの望む生活のために黙認する異常な家族の世界である。

そして、アレッサンドロウは知的障害の弟さえも、風呂場で殺してしまう。そして、アレッサンドロウの犯行だと知ったジュリアは癲癇の発作を起こし、階段から転げ落ちてしまうのだ。そんな彼女に頬寄せ、婚約者と町に去るアウグストの婚約者にキスをし、自分の部屋でオペラ「椿姫」を聞きながら狂気のごとく踊りまくり、やがて床で癲癇を起こして息を引き取る。

カメラは、かなり激しく、縦横無尽に人物をとらえ、時に、俯瞰で、時に仰ぎみるような視点で狂気の世界を映し出していく。デビュー作だけあって、ぎらぎらしたものが伺える映像新鮮さは、さすがに才能を感じさせる一本だった。