くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「カリフォルニア・ダウン」「かけがえのない人」「天使が消

kurawan2015-09-17

カリフォルニア・ダウン
典型的なディザスタームービー、特撮と救出劇が見せ場の連続で次々とスクリーンを覆っていく。とにかく、面白いし、商い映画でした。監督はブラッド・ペイトンという人です。

一人の女性が車を運転している。そこへ突然崖崩れが襲い、崖へ転落、途中でかろうじて止まったところから映画が始まる。

この女性を救出したのが救助ヘリのパイロットレイ、ドウェイン・ジョンソン扮する残すレイ、とにかく体がごついから、ビジュアル的にも頼りになる。

物語は、フーパーダムを皮切りにアメリカの西海岸に起こった巨大群発地震。その地震を予知した学者、そしてその地震に遭遇したレイの娘と妻の物語である。

当然、レイが救援に駆けつける下りに、妻との離婚話が絡み、娘ブレイクを無事救出してエンディング。

とにかく、ビルが倒壊し、津波が襲い、地面が割れるという巨大な災害シーンが圧倒的な迫力の特撮で次々と描かれるし、ほとんど途切れることなく、エピソードからエピソードへ流れるので退屈しない。悪く言えば、この手の映画によくある、人間ドラマの部分をほとんどカットした形のパニック映画なのです。

レイがとにかく頼もしいので、見ていて安心してられるし、セオリー通りの展開も気楽に見ていられる もちろん、リアルに考えれば、この後この町はどうなるのかと思うのだが、それを脇に置いておけば単純に面白い娯楽作品でした。


「かけがえのない人」
ニコラス・スパークス原作のラブストーリーですが、さすがに今回はちょっと無理がある展開になった感じですね。終盤までは、いつものムードでファンタジックに流れるのですが、ラストの畳み掛けは、ちょっとご都合すぎたような気がします。まぁ、あの人の小説は、若干こういう感じがあるので、ファンタジックラブストーリーという感じでいいのでしょうか。監督はマイケル・ホフマンです。

映画は、海上で採掘作業をする主人公のドーソンのシーンに始まる。突然の爆発事故で、海上に吹き飛ばされた彼は、奇跡的に病院で目を覚ます。そこへ届いたのは、若き日に世話になったタックの死と、彼の弁護士から、会いたいという手紙だった。

出かけてみると、そこにいたのは、かつての恋人アマンダで、彼女もまたタックの手紙に呼ばれてきたのだという。

こうして、ドーソンとアマンダの若き日がフラッシュバックで描かれ、なぜ二人が別れることになったかが交錯して綴られていく。

タックの遺言で、彼の別荘をドーソンとアマンダで共有することになり、その別荘で二人は、再び、若き日の恋を思い出す。アマンダはいまは結婚しているが、夫との仲は冷めている。

ドーソンとアマンダは、学生時代に知り合い、一気に恋が燃え上がるが、ドーソンの父はならず者で、息子二人を交えて、犯罪に手を染めている。しかし、そんな父に反抗するドーソンはことあるごとに父に暴力を振るわれている。一方のアマンダの家庭は裕福で、当然2人の仲は認められない。

家を飛び出したドーソンは、近くに住む自動車修理工で、妻を亡くしたばかりのタックにかくまわれ生活するようになり、アマンダとの仲もどんどん深まる。

ところが、ふとした諍いの事故で、誤って友人を撃ち殺したドーソンは刑務所へ、アマンダに迷惑がかからないようにドーソンは身を引く。

ところが、タックの死は二人をもう一度再会させたのだ。
と、ここまではいい。そして、アマンダは夫に真実を話し、ドーソンとの仲を認めてもらおうとするが、折しも、アマンダの息子が事故で心臓移植が必要になる。一方、余計な口出しばかりするドーソンを恨んだ父が彼を撃ち殺す。

この終盤がかなり無理がある。心臓移植のドナーになったのは流れとして ドーソンで、1年後に、移植されたアマンダの息子が、その名前を母に告げてエンディング。

ストーリー構成はしっかりできているので、最後まで飽きないのですが、原作の無理を映像化するにあたって、一工夫ほしかった気がします。終盤までは泣ける展開が、一気に嘘っぽくなってしまった。演出も、確かに美しい画面で、ニコラス・スパークスの世界を映像化していますが、特に際立つものがなく普通。

結果、ラストの嘘っぽさにすべてを台無しにされた感じです。小説なら大丈夫なところが映像になると、どうなるかという感性がちょっと弱かったですね。


「天使が消えた街」
2011年イタリアで起こった女子留学生殺害事件を、現実と幻想、さらに劇中劇を交えて多重層的に描いていく作品ですが、その多重構造が帰ってストーリーを複雑にしすぎ、訴えるべきテーマがぼやけてしまった結果になった気がします。。監督はマイケル・ウィンターボトムである。

一人の少女がゆっくりとこちらに歩いてくるシーンから始まりタイトル。

イタリア、トスカーナ州シエナの町。ここで4年前にイギリス人留学生エリザベスが殺され、犯人は同室のアメリカ人留学生ジェシカとされ、裁判が始まっている。主人公のトーマスはこの事件を映画にするべくこの町にやってきてジャーナリストのシモーンとその真相を追い始める。

ジャーナリズムに翻弄されている現地の状況を見ながら、なかなか映画化するための糸口が見えないトーマスは、酒を飲み、ドラッグをし、つかの間のSEXにも溺れるが、いつも気になるのは、妻の元にいる愛娘ビーである。

地元で知り合った学生メラニーの明るさに助けられるものの、遅々として進まず、悪夢にうなされ、幻影を抱き、現実を疑問視していくトーマスの苦悩が描かれる様が本編だが、時に夢の中のシーン、時にジェシカとエリザベスの劇中劇、さらに真犯人は、怪しいエドゥアルドではないかという幻影までみ始める。その錯綜した映像は、さすがに懲りすぎた感があり、次第に、本来の事件の物語より彼の苦悩だけが前面に押し出されてくる。

クライマックスはジェシカの裁判が無罪となり、トーマスが予定していた映画も企画流れとなり、何もかも無になって、メラニーと海岸で過ごすトーマスのシーンでエンディングを迎える。

独特の感性で、ほとんどのシーンが夜の薄暗いショットのみと、夢の中。作品全体が非常に暗いイメージに仕上がり、トーマスの心の状況をこちらに訴えてくるのはわかるが、どうにも暗い映画で終始する。この暗さがミステリアスに見えればもうちょっと面白かった気がしますが、それは監督の意図するものではないかもしれません。いずれにせよ、メラニーの存在で息継ぎするべく書かれた脚本が、その効果を発揮しきれていない演出に止まった感じです。面白い映画でしたが、ややしんどかった。