くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「夜叉ヶ池」4Kリマスター版「アキラとあきら」

「夜叉ヶ池」

四十年ぶりくらいの再見ですが、公開当時も感じましたが、ストーリーがかなり間延びしていて、大作を扱いきれなかった感じが否めない映画でした。クライマックスのスペクタクルシーンは見事とはいえ、そこに至る神話と大正二年の山間の村の物語、さらに山澤と百合の恋物語と、白雪姫の物語がうまく噛み合わないままにラストを迎える感じでした。もちろん凡作とは言えませんが、監督の篠田正浩さんの作品の中では中の下の仕上がりでしたね。

 

汽車の中、自然研究家の萩原が夜叉ヶ池を見に行くために向かっている場面から映画は始まる。時は大正二年、ここ三年ほど、ひどい旱魃が続いていて、萩原もカラカラに喉が渇いたまま村にたどりつく。しかし、水飢饉に苦しむ村人を見てそのまま森へ入る。そこで日に三度の鐘を守る祠に辿り着く。そこには妖艶な女性百合がいた。おもてなしを受けた萩原は、せがまれるままに旅の話を語り出すが、ふと邸内に人の気配を感じる。なんと三年前に行方不明になった親友山澤だった。通り雨に降られた萩原を家に入れた山澤は、この地に住むことになった経緯を語る。

 

この地には夜叉ヶ池の伝説があり、日に三度の鐘をつかないと氾濫が起こるとされていた。三年前にこの地にきた山澤は鐘を守りする弥太兵衛と知り合うが、弥太兵衛は急死してしまい、後を山澤に託す。ほんの一時のつもりが三年になっていた。萩原は山澤を助け出そうと深夜に夜叉ヶ池を見に行こうと提案、二人で山に入る。

 

夜叉ヶ池には白雪姫という姫が住んでいて、剣ヶ崎の物の怪と恋に落ちていてそこへ行きたかった。しかし、人と水の争いの後の約束で、鐘が鳴る間は夜叉ヶ池を離れることはできなかった。このおとぎ話の場面が完全に浮いています。

 

そんな頃、村では成金の男が村人を手懐けて宴会を開いていた。そこで、池に生贄を捧げて雨を降らせようということになる。村の男が、百合のことを提案し。村人は大挙して百合の祠を目指す。不穏な動きを察知した山澤たちが、山を降りて祠に行くと、百合が牛に結えられていた。山澤は鉈を奮って村人を追い払うが、多勢に無勢で、次第に追い詰められていく。愛する山澤の窮地に百合は自ら鉈で命を絶ってしまう。やがて夜が明け、鐘をつく時間がきたが山澤は鐘をつくことを止める。間も無く、夜叉ヶ池には水柱が立ち大洪水が村を襲う。その中で山澤と百合はのまれていき、柱に体を縛って耐えた萩原は、水に沈む村を見ると共に、剣ヶ峰へ飛び立つ白雪姫の姿をみる。こうして映画は終わる。

 

非常に物語の構成が緩くて間延びしているために、キレのないストーリー展開のままクライマックスを迎える。坂東玉三郎主演という話題のみで公開された感のある大作でした。公開当時とほとんど感想は変わりません。

 

「アキラとあきら」

鮮やかさに欠ける。この物語は、まずその本筋はしっかり演出できなければいけない。宿命とか人間関係とかそういうヒューマンドラマ部分もテーマではあるけれども、それを見せるための鮮やかな展開こそがエンタメの一級品になるべき基本だと思える物語だった。劇画タッチで流れていくストーリーはわかりやすいし面白いし、それなりに胸に響くのですが、どの部分も上滑りで薄っぺらい。脇役の描写を丁寧にしたので、それなりの厚みは出たものに、ちょっと後一歩物足りないのは残念でした。監督は三木孝浩。

 

日本有数のメガバンクの新入行員研修の場、今年入校の山崎彬と階堂彬が、人事部から出された課題をこなして、最後に対決する場面から映画は幕を開ける。今年トップで入行した二人を見つめる融資部長の羽根田は、度肝を抜く対決に拍手してしまうが、この冒頭の対決が実に甘い。

 

山崎瑛の父は町工場を経営していたが、資金繰りが厳しく銀行に見放され倒産してしまう。父が作ったベアリングパーツを握って、工場の機器を持ち去るトラックを追いかける幼き日の山崎瑛は、通りかかった大企業東海郵船の長男階堂彬の車の前に飛び出す。山崎と階堂の最初の出会いだった。

 

山崎は本部で顧客に寄り添った営業を続け、一方の階堂はみるみるエリートコースへ進んでいく。取引先の資金繰りを応援できなかった山崎はふとした温情から会社を裏切る形になり左遷させられる。そんな頃、階堂の父が脳梗塞で倒れる。実は階堂の叔父たち二人は別々に関連会社を任されていたが、リゾートホテルの経営に手を出し資金繰りは悪化の一途だった。階堂彬の弟龍馬は、会社を出て行った兄を見返したくて社長になり、そんな龍馬を叔父たちはリゾートホテルの赤字をカバーするために利用しようと考える。

 

まもなくして階堂の父一磨が亡くなり、遺言で東海郵船の全株式は階堂彬に譲られるが、形ばかりの株主だった。東海郵船の担当になった水島は東海郵船の決算書に不審な数字を発見、左遷先から本部へ返り咲いた山崎瑛に相談する。山崎は階堂を呼び出し、東海郵船が危機的状況であることを説明するが、階堂は興味を示さなかった。しかし、追い詰められていく龍馬はついに過労で入院、龍馬は見舞いにきた彬に、東海郵船を任せたいと話す。

 

銀行をやめ、東海郵船の社長となった階堂彬は、苦境を乗り切るための方策を模索し始める。一方本部に返り咲き、新規プロジェクトチームへの参加を望まれた山崎瑛は、階堂のために新規プロジェクトのチームを抜け東海郵船の再生に向かう。こうして、山崎、水島、階堂らの奮闘が始まる。資金面の問題よりも親族間の確執こそが解決の糸口だと判断した階堂らは赤字経営のリゾーホテル売却と共に、叔父階堂晋の東海商事の売却も検討、階堂彬の必死の説得でようやく叔父たちとの親族間の確執も和らぎ案件が前に進む。

 

山崎瑛は稟議を本部長不動に提出するが、堅実融資を信条とする不動は受け入れない。山崎瑛は、銀行声明をかけて説得、なんとか目を通してもらうがそれ以上の返事はなかった。退職を覚悟して出社した山崎瑛は、不動に呼ばれ頭取室へいく。そこにはかつて新入行員研修の時いた融資本部長の羽根田が今は頭取となって座っていた。そして山崎瑛の稟議書を承認する。なんと不動もすでに承認していたのだ。こうして、東海郵船の案件は無事通過、山崎瑛と階堂彬は海を見下ろす丘で会い、山崎が落とした父の作ったベアリングパーツのネックレスを階堂が見て、二人の運命を知る。こうして映画は終わる。

 

お話は面白いし、展開も劇画タッチで楽しめるが、非常に通り一遍のうわ滑るの物語で終わってしまうのは残念。江口洋介ら脇役は丁寧に演出されていて映画を引き締めるのですが、それが今ひとつ効果を最大限に発揮していない。映画としては単純に楽しむだけの普通の作品という感じでした。