くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「窓辺にて」「鳩のごとく 蛇のごとく 斜陽」

「窓辺にて」

これは良かった。まるで、透明なガラスの上に貼られた一本の絹糸の上を歩いていくような研ぎ澄まされた繊細さに彩られたセリフの数々、そしてそのセリフをまるで協奏曲のごとく紡いでいく映像演出、そしてそのリズムに引き込まれる映画でした。二時間半全く退屈しないし、さりげないユーモアを散りばめられたセリフも良い。ワンシーンワンカット長回しシーンのいくつかも引き込まれるほどに面白い。久しぶりの今泉ワールドを堪能しました。監督は今泉力哉

 

茶店の窓辺の席で、一人の男性市川茂巳が座っている。水の反射で手に光が揺らめく場面から映画は始まります。かつて小説を書いていたが今はフリーのライターをしている茂巳は、この日、17歳で賞を取った久保留亜の記者会見に来ていた。茂巳の、留亜の小説の内容に踏み込んだ問いかけに好感を持った留亜は、彼を控え室に呼び色々話をする。

 

茂巳は、友人でサッカー選手の有坂と会う。有坂は引退を考えているがなかなか妻にいい出せないのだという。家に帰った茂巳は妻紗衣に話す。紗衣は、編集の仕事をしていて、かつて茂巳の本も担当していた。今は売れっ子作家荒川円の担当をしていたが、実は紗衣と荒川は不倫関係だった。茂巳は妻の紗衣が浮気をしていることを知っているが、それに怒りを覚えない自分に疑問を持っていた。一方、有坂はタレントの藤坂なつと不倫関係にあった。

 

ある夜、茂巳は有坂の家を訪ねて、妻が浮気をしていること、それに怒りが湧かないことで悩んでいることを相談するが、そんな茂巳に有坂の妻ゆきのは許せないと席を立ってしまう。一方、茂巳は留亜に、留亜が書いた小説のモデルに合わせて欲しいと頼む。留亜は、一人の金髪青年の水木をまず紹介する。水木は留亜の彼氏でもあった。さらに、留亜は、叔父で、森の奥で隠匿生活をしているカワナベにも会わせる。

 

実はゆきのも夫の不倫を知っていて別れるかどうか悩んでいると茂巳に話す。茂巳は、妻と話をするために温泉に連れ出そうとするが、紗衣は乗り気にならず、結局有坂夫婦にチケットを譲る。

 

物語は、留亜と茂巳とのエピソード、荒川と紗衣の物語に、有坂の夫婦の話、有坂となつの不倫のエピソード、を絡め、茂巳が紗衣の母の元を訪ね、写真を撮るエピソードなどを挿入しながら淡々と展開する。茂巳はタクシーに乗っていてその運転手に、パチンコは時間とお金を無駄遣いする贅沢な遊びだと言われて、人生初のパチンコをして、ボロ勝ちしてしまうが、そこへ留亜から電話が入り呼び出される。

 

留亜は、友達のおばさんが経営するラブホテルへ茂巳を呼び出し、彼氏に別れ話されたと訴える。結局一晩トランプをして過ごす。ここでの延々としたワンシーンワンカットが見事。ある夜、紗衣とちゃんと話をしようと、夜、部屋で、さりげなく紗衣が荒川と不倫していることを知っている旨を話す。ここでのワンシーンワンカットの場面も素晴らしい。

 

ある日、茂巳は荒川に呼び出される。そして荒川から、たった二晩で書いたという新作の原稿を手渡される。それは、紗衣の関わる物語で、それを書いたことで、荒川は紗衣との関係が過去になったと告白する。有坂夫婦は、家族で温泉に行き、お互いの思いを率直に話し、関係を修復できたが、茂巳は紗衣と別れることにする。紗衣は、実家に行き、茂巳が撮った母の写真のアルバムを見つめる。

 

しばらくして、茂巳は水木に呼び出される。荒川の新作小説を留亜に読めと言われたことへの相談だった。茂巳はそれは、留亜が水木と別れたくないということだとアドバイスする。水木は早速留亜に連絡をし、その電話に席を立つカットで映画は終わる。

 

セリフの隅々までが実に繊細すぎるほどに繊細で透明感に満ちている上に、さりげないユーモアも散りばめられ、ワンシーンワンカット長回しと、細かいカット編集のリズムも見事。二時間半引き込まれてしまいました。

 

「鳩のごとく 蛇のごとく 斜陽」

増村保造白坂依志夫の草稿脚本の映画化ということなので、破綻こそ免れていますが、一流の映画を作ろうという気概が全く感じられないほど脇の甘い作品だった。画面の至る所が手ぬきだらけで、脇のシーンの演出は適当な上に、主要な登場人物の演技演出が全くできていないためにお話がダラダラになり、主人公の一人セリフだけでなんとか物語が流れていくというレベル。しかも、監督に音楽センスも映像演出も全くない感性のなさに参ってしまう作品の出来栄え。何もかもが嘘っぽい映画だった。監督は近藤明男

 

昭和二十年、終戦の映像から、華族が廃止され、名門華族だった島津家の当主都貴子と娘のかず子が本宅を売り払い伊豆に越してくるところから映画は幕を開ける。伊豆屋敷に移って間も無く、戦地から息子の直治が帰ってくる。老年の資産家との結婚を進める都貴子に反発するかず子は六年前を思い出す。

 

当時学生だった直治は中年の作家上原を師と仰ぎ、自分も作家にならんとしていた。そんな関係でかず子は上原と知り合う。戦地から戻った直治は東京の上原の元に行き自堕落な日々を送り始める。都貴子の容態が悪くなったので、かず子は直治を迎えに行き、上原と再会、やがて体を合わせる。

 

都貴子は結核を患っていて、その容態はどんどん悪くなり、とうとう亡くなってしまうが、そこから直治はさらに自堕落になっていく。そんな頃、かず子は上原の子を孕ったことがわかる。直治は上田に罵倒されて追い出され、伊豆に篭って小説を書き始めるも行き詰まる。かず子は男の子を出産する。かず子は直治を置いて、上原のいる東京へ向かう。そして、血を吐く上原を後にして上原の妻の元へ行き、抱いている子供は直治の子供だと嘘を言って赤ん坊を上原の妻に抱かせる。上原は間も無く亡くなり、直治は絶望の中、自殺してしまう。かず子は赤ん坊を抱いて夕陽の中へ歩いて行って映画は終わる。

 

中心に流れるものは主人公かず子の芯の強い一人の女の話であるが、直治の絶望的な生き様、上原らの物語が濃艶な重苦しいドラマとして傍に展開していくべきものであるのはなんとなく伝わるのですが、映像として全く出来上がっていない。本当に、やる気のない映画というのはそれだけで退屈なものですが、まさにそのままの映画でした。