くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「奈落のマイホーム」「すずめの戸締まり」

「奈落のマイホーム」

ハリウッド大作などとても作れないという割り切りから、アイデア勝負で完成させた娯楽映画の痛快作品でした。冒頭の十分は例によって韓国映画らしい稚拙さで始まるので我慢しないといけないながらも、本編の話になだれ込むとそれなりに退屈せずにラストまで楽しむことができました。人間ドラマの描写まではとても無理なので、見せ場を巧みに組み合わせた軽いデザスター映画としての構成が楽しい。単純に面白かった。監督はキム・ジフン。

 

課長職のドンウォンは、この日ようやくマンションを購入し引っ越してきたのだが、入口に車が停められていて荷物が入れられない。ようやく繋がった車の持ち主の男マンスは、同じマンションに住む無愛想な男だった。この後、至る所にマンスが現れるという、安物のテレビドラマのような展開を耐えていくのですが、なぜか床をビー玉が転がるので欠陥住宅ではないかとドンウォンは不安になる。

 

まもなくして水道も止まり、どうしようも無くなってきたかと思った時突然マンションが穴の中へ落ちていく。地盤沈下でシンクホールができ、そこへ建物ごと落ちて行ったのだ。遥か彼方に見える出口を見上げながら、生き残ったドンウォンやマンス、ドンウォンの引っ越し祝いに駆けつけていた会社の同僚のキム代理やウジュンらと脱出する方法を考え始めるのが本編。

 

隣にもう一棟建物があり、同じく落ちていかないように基礎を破壊するが、その建物は最初に落ちた建物の上に落ちていく。救助隊が駆けつけるも、深すぎて手立てがなく、ドローンを飛ばしてなんとか生存を確認したものの雨が降り出し、二次被害を恐れてなかなか救出活動ができなかった。雨が激しくなり、落ちたマンションが水に浸かり始める。

 

ドンウォンやマンスは水に浮くものを探し始めるが、マンスは巨大な貯水タンクを見つけてくる。マンスが外から蓋を閉めるという役割になり全員がタンクの中に入って水に浮かび始める。一方、マンスも救助隊から送られた酸素ボンベを吸って一緒に浮上していく。途中、引っかかったり、穴が開いたりというハラハラドキドキの展開の末、貯水タンクの人たちとマンスは救助される。エピローグとして、キム代理とウジュンは晴れて結婚することになり、キャンピングカーのマイホームにドンウォンらはが招待され、川辺に花火が上がって映画は終わる。

 

生き残った人たちの人間ドラマを丁寧に描写することはせず、サスペンスフルな展開を面白く作っていくことに徹した映画づくりが爽快。老婆と幼い少年の死という御涙頂戴エピソードもさりげなく挿入し、詰め込んだエンタメの塊に仕上げた。決してクオリティは高くないものの、単純に面白かった。

 

「すずめの戸締まり」

スピーディな展開と心地よい音楽センスで最後まで引き込まれて、しかも胸が熱くなる感覚でエンディングを迎えるのですが、どこかおかしい。前半の裏戸が開いて禍が広がるのを防ぐくだりから、後半の要石に変わった草太を助ける下の二つの物語に登場する猫の立ち位置がなんの意味もなく入れ替わってしまうし、終盤は、ラブストーリーとして締め括らんとする無理感が出てきて、東日本大震災を想像させるクライマックスの説得力が薄れてしまった気がします。監督は新海誠

 

叔母の環と暮らす鈴芽が自転車で登校する場面から映画は幕を開ける。坂を下っていて途中で一人の若者とすれ違う。そして一目惚れしてしまう。その若者に、この辺りに廃墟はないかと聞かれ、鈴芽は閉鎖された遊園地を教える。とりあえずその場はそれで終わったが、途中気になった鈴芽は教えた廃墟へ向かう。そこで、水の中に立っている扉を見つける。その扉を開くと星空が見え、通り抜けると元に戻る。不思議な感覚の中、傍に奇妙な石を見つけて引き抜いてみる。そして学校へ行った鈴芽は、さっきの廃墟の辺りに立ち上る煙のようなものを見つける。しかしクラスメートの目には見えなかった。

 

鈴芽は廃墟に向かい、そこでさっきの青年が扉から出て来る何者かを必死で押しとどめている姿を見つける。鈴芽はその青年と扉を必死で閉める。青年の名は草太と言った。その時の怪我を手当てするために鈴芽は自宅に草太を連れ帰る。要石という神聖な石で封印された扉を閉める仕事をしている閉じ師だと言う草太の言葉を聞いていた鈴芽は、窓に一匹の猫を見つける。鈴芽が餌をやり招き入れると、猫は何やら呟く。同時に、草太は鈴芽が大事にしている母の形見の椅子に閉じ込められてしまう。猫は鈴芽が引き抜いた要石だった。

 

草太と鈴芽は猫を追って家を飛び出す。猫はダイジンというニックネームでSNSに投稿されていた。SNSの猫の写真を手がかりに四国、神戸と追いかけていくが捕まらない。そしてとうとう東京までやってくるが、そこで巨大な煙のようなミミズと言われる魔物が地下鉄の奥の扉から地に放たれていた。草太と鈴芽は必死でその扉を閉めようとするが、要石がないと鎮まらない。猫は、すでに草太に要石の役割を譲ったのだという。草太は、自らの運命を受け入れ、要石となってミミズを鎮める。草太を助けるべく、草太の祖父が入院する病院に行った鈴芽は、鈴芽が幼い頃にトコの国に行ったことがあるはずだから、そこからもう一度入れば草太を助けられるという。鈴芽の故郷は宮城だった。ここまでが前半の話となる。

 

草太の友人の芹澤の車に乗り、心配で駆けつけた環と一緒に鈴芽は宮城へ向かう。このバックに懐メロを流して走るのだが、このセンスが抜群に良い。そこに、ダイジンも大きな黒猫のダイダンも同席する。故郷に着いた鈴芽が、次第に地響きが続く中、鈴芽が迷い込んだ扉を発見、扉を開いて中に入るが、そこには巨大なミミズが天に昇っていた。ダイダンが襲い掛かり、草太の要石に向かう鈴芽とダイジン。そして、椅子の形になった草太の要石を必死で引き抜こうとする鈴芽、鈴芽に嫌われた猫は再度要石に戻り、要石を戻してことなきを得るが、鈴芽は母を亡くした幼い日、自分の目の前に現れ、母の形見の椅子を手渡してくれた人物の正体を知る。それは未来の鈴芽だった。

 

無事元の世界に戻った鈴芽、すでに季節は冬だった。いつものように自転車で坂道を下りる鈴芽に前に草太が現れる。こうして映画は終わります。

 

ストーリー展開が、前半と後半、描くべきメッセージそれぞれが微妙にずれている。物語は面白いのですが、振り返ってみると、結局何の話を作りたかったのか、ちょっと芯が見えない感じがしました。