くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「皮膚を売った男」「梅切らぬバカ」「アレックス STRAIGHT CUT」

「皮膚を売った男」

これは傑作でした。独特の感性で演出される画面作り、辛辣な風刺の効いた脚本、スピーディなオープニングと、テンポ良いストーリー展開、そして娯楽性を兼ね備えたクライマックス。映画としての基本をしっかりふまえながらの作品作りの妙味を堪能させてくれる映画でした。ラストシーンがハッピーエンドなのも良い。監督はカウテール・ベン・ハニア

 

白をバックに白い文字でタイトル。カットが変わり、2011年シリア、一人の男が突然逮捕されていく。場面が変わると列車の中で恋人同士のサムとアビールが寄り添っている。舞い上がったサムは列車の中でプロポーズし、「これは革命だ、自由を求める」と叫んでしまう。この言葉が原因で、サムは逮捕される。しかし、取調官が知り合いで、逃げることを勧められ脱出。姉にレバノンまで送ってもらう。

 

サムはシリア難民として、展覧会やパーティに忍び込み食べ物を漁っていたが、ある時、ジェフリーという前衛芸術家の展覧会に忍び込んだ際、ジェフリーに呼び止められる。そして彼が提案したのは、サムの背中にビザの刺青をすることだった。一方、アビールはサムが突然いなくなったと勘違いし、ジアッドという男と結婚を決めてしまう。

 

サムは刺青を受け入れることを決意する。アビールはジアッドと結婚し、ベルギーに移り住んでいた。サムも、刺青が完成し、ベルギー国立美術館で披露される。サムは事あるごとにアビールに連絡を取るがなかなか会ってくれず、アビールの住まいに押しかける。しかしそれを見ていたジアッドは、美術館にアビールを連れて行き、サムが何をしているかを見せた上で、トラブルになり、ジェフリーの絵画を壊してしまう。一方、シリア難民の不当な扱いに抗議する団体もサムに近づいてくる。1100万ユーロの価値のある絵画を壊した事でジアッドは美術館側から起訴されそうになるが、サムは、アビールの頼みもあり、示談にしてもらおうとする。

 

やがて、サムはオークションで、富豪に落札され、転々と所有者の間を移るようになる。この日、いつものようにオークションに出されたサムは落札後突然会場に降り、イヤホンのようなものを取り出してテロリストよろしく叫ぶ。驚いた顧客たちは一斉に逃げ、サムは逮捕される。しかし、ジェフリーは彼を釈放するために訪れる。そして連れてきた通訳は、翻訳の仕事もしていたアビールだった。アビールは契約書を読むふりをして、ジアッドと別れた事、もう一度一緒に住みたいとサムに告げる。

 

やがて、裁判となるが、起訴は見送られたが、ビザの更新がされていないからと48時間以内に国外退去を命令される。ジェフリーの車で送られたサムは、アビールとシリアの故郷、過激派が支配しているラッカの街に戻ってくる。まもなくして、ジェフリーのマネージャーのソラヤは、サムが過激派に銃殺されている動画を発見、サムの背中は外国に流れたというニュースも流れる。

 

ジェフリーは、冒頭の白い壁に一枚の絵を飾っている。それは、サムの背中の皮膚だった。そしてジェフリーは電話をする。相手はサムだった。サムはフェイク動画で死んだことにし、ジェフリーが送って行った車の中で採取したDNAから皮膚を培養し、サムの背中の刺青を再度製作していた。こうして、サムはめでたく自由の身となって映画は終わる。

 

サムの部屋にいる猫の演出や、橋の欄干の窓の並ぶ景色に映るサムの姿、冒頭の白い壁とミラーに映る白いクレジットなど、隅々まで計算された絵作りが見事で、しかも、そこかしこに、芸術や人身売買、セレブと難民への痛烈な批判などが散りばめられている。しかも終盤のどんでん返しという娯楽性も兼ね備えた構成も上手い。久しぶりに見事な作品に出会いました。

 

「梅切らぬバカ」

驚くほどの秀作とは言わないけれど、コンパクトにまとめた良い作品でした。丁寧な脚本が実に好感で、ありきたりの展開を誰が悪いでもなく日常のこととして淡々と描いたのが良かった。監督は和島香太郎。

 

自閉症の54歳の息子忠男、愛称忠さんを庭で散髪している母珠子の姿から映画は始まる。庭から梅の木の枝が通路まで広がっていて、この日、隣に里村の家族が引っ越してきた。はみ出ている枝に悪態をつく里村茂。忠さんは近くの作業場まで歩いていくが、馬が好きな忠さんは途中にある馬の訓練所に立ち寄りいつも子馬を驚かせていた。高齢になってきた珠子は忠さんの将来を危惧し、紹介してくれたグループホームへ忠さんを預けることにする。

 

里村の主人茂は、何かにつけて小うるさく、そんな夫がめんどくさく思っている妻の英子だった。息子の草太は忠さんの純真さにどこか惹かれていた。まもなくして、忠さんはグループホームへ移るが、ある夜、喉が渇いて夜、外に出た忠さんは塾帰りの草太と出会う。草太は馬が好きな忠さんのために、馬屋へ忍び込みポニーを連れ出して触らせてやるのだが、そこへ馬屋の管理人に見つかり、草太は逃げるが忠さんは捕まってしまう。何もかも忠さんの仕業だとされ近所の人たちのグループホーム廃止運動が盛り上がる。

 

ところが、翌朝草太にことの次第を聞いた里村夫婦は、謝る機会を探すが、いつも通り普通に接してくれる珠子の姿にそのタイミングが掴めなかった。グループホームを退去せざるを得なくなった忠さんはまた珠子の元に帰ってくる。その夜のお帰りパーティに里村家の人たちが謝りに来て、一緒に夕食をすることになる。翌朝、里村茂と草太は忠さんも交えて出かけていく。それを見送る珠子が家に入って暗転、映画は終わる。

 

近所の住人たちの姿を必要以上に悪人として描かず、一方の忠さん側も必要以上に卑屈にも描かない。決して周辺の住民が悪いわけではなく彼らもまた彼らの気持ちがある。ごくありふれた日常の1ページとして淡々と捉えたのが良かった。しかも、セリフの一つ一つに手抜きが感じられない丁寧さもこの映画の良さだと思います。

 

「アレックス STRAIGHT CUT」

これが才能だと言うならそれもありなんだろう。暴力、レイプ、SEX、ドラッグ、その全てをやりたい放題に描いていく映像作品で、延々と続く長回しを繰り返し、クライマックスはカメラを振り回して、何を写しているのかもわからないままの映像の洪水、フラッシュを焚いたような目潰しのような光映像、わずか90分のグッタリする作品でした。監督はギャスパー・ノエ

 

全裸のカップルがベッドの上で微睡んでいる場面から映画が始まる。女性の名はアレックス、男性はマルキュス。電話が鳴り、アレックスの元カレのピエールから30分後に迎えに行くという連絡。延々とワンカットで見せる二人の濃厚なシーンの後、カメラは天井へ逃げて次のシーンはエレベーターの中へ。やってきたピエールと三人でこれからパーティへ向かう。

 

地下鉄の中、これも延々と長回しにピエールがSEXについてに講釈を長々垂れる。辟易しながらも適当にいなすマルキュスとアレックス。そしてカメラが空に逃げるとパーティシーン。ドラッグでラリっていくマルキュス、そんなマルキュスを宥めるピエール。アレックスもマルキュスに愛想を尽かし一人帰る。

 

タクシーを探すも見つからず、地下道へ入るが、そこへ、女を殴りながら一人の男がやってくる。身の危険を感じたアレックスだがその男に捕まりレイプされた挙句顔を潰される。延々とレイプシーンを捉える映像も流石にやりすぎやろと追う感じ。そのあと、マルキュスとピエールがパーティ会場を出てきて外で救急車に乗せられるアレックスを発見、逆上したマルキュスは近づいてきたチンピラの申し出で、犯人を闇で探し始める。

 

ピエールの制止も聞かずマルキュスは狂ったように犯人を探す。そしてゲイバーにいる男らしいと判明し、そのゲイバーに乗り込んで狂ったように男たちを脅して行くが見つからず、ようやく犯人を見つけるがマルキュス自身腕を折られる。そこへピエールが駆けつけ、アレックスをレイプした犯人をめったうちに殴って殺してしまう。警察に連行される二人。場面は突然老人二人が会話する場面、そしてゲイバーの出口に変わりマルキュスは救急車へ、ピエールはパトカーに乗せられ映画は終わる。

 

目まぐるしい映像の洪水にとにかくグッタリです。2002年のオリジナル版は時系列を遡る形式だったのを時系列通りに並べ直したバージョンらしいがいずれにせよクソのような映画でした。