くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「ドント・ウォーリー・ダーリン」「わたしのお母さん」

「ドント・ウォーリー・ダーリン」

いわゆる不条理劇かと思いきや、まさに今最先端のメタバースの世界を巧みにメッセージ発信のために使った、やや知識を見せびらかすような作品。それは難解であるからではなくて、埋め込んだメッセージを隠そうともせず、それでいて、見ている観客の感性を総動員させる作りが、ある意味恐ろしく意図的、そんな映画だった。と言っても芸術映画として推してくるのではなくて、娯楽映画としての演出の冴えも至る所に見せつけてくる。傑作と手放しで評価しないけれど、相当に面白い作品でした。監督はオリビア・ワイルド。

 

いかにも幸せそうな夫婦が集うパーティの馬鹿騒ぎから映画は幕を開ける。一体どこの話、いつの話という疑問をそっちのけで、翌朝、主人公アリスは最愛の夫ジャックを仕事に送り出す。隣近所皆同じ所作で夫を送り出し、まるでおもちゃの車のように規則正しくバックして一斉に職場へ走っていく夫達の車、どう見てもおかしい。

 

残ったアリス達妻はプールサイドでくつろぎ、自宅では愛する夫のために食事を作っている。なぜかアリスが割った卵は殻だけだったりして、それを気に留める風でもない。やがて夫のジャックが戻ってきて、アリス達は濃厚なラブシーンへとなだれ込んでいく。何がおかしいというのでもない異様な規則性がおかしい。ここはビクトリー計画の中のビクトリータウンという設定らしく、時折地震のような地響きが起こる。夫達の車が向かうのは砂漠の彼方で、そこに何があるかは描かれない。

 

この街に一人のカップル、テッドとヴィクトリアがやってくるが、ヴィクトリアは、この街のリーダーフランクに、何やら意味ありげな言葉を発する。しばらくして、ヴィクトリアの姿が消える。

 

ある日、街の周遊バスに乗っていたアリスは、一機の飛行機が彼方に墜落するのを目撃する。バスの運転手に、助けに行こうと提案するも拒否され、アリスは一人で墜落現場へ向かうが、立ち入り禁止の看板の先まで行ってしまう。そこには、円錐形の丘の上に幾何学的な建物が立っていた。その建物のガラスに体をあづけると、何かを感じ、そのままアリスは気を失う。目が覚めると、自宅のベッドで、ジャックが必死で夕食の支度をしていた。

 

アリスは、街に戻ってきたヴィクトリアを見つけるが、彼女は自ら首を裂いて、屋上から転落して死んでしまう。それを目撃したアリスは突然赤い服の男達に拉致され連れ去られる。次第にこの街に疑問を抱くようになり、精神的に不安定になってきたアリスに、医師のコンラッドが往診に来る。その様子にも疑問を持ったアリスは、たまたま、忘れたカバンの中からヴィクトリアのカルテを盗み出すが、そこには真っ黒で塗りつぶされた書面があった。

 

まもなくして、ジャックらはこの街のリーダーフランクのパーティに招待される。そこでジャックはフランクから上級顧問に昇格したと祝福される。ますます疑問を募らせるアリスは、友人のバニーに告白するが、取り合ってもらえいない。アリスはフランク達を自宅の食事に招待し、フランクに直接疑問をぶつける。フランク達が帰った後、アリスは街を出ようとジャックに提案し車に乗り込むが、ジャックはその気はなく、アリスは赤い服の男達に拉致され、どこかの医療施設のベッドに拘束されて電気ショックの処置を受ける。

 

場面がフラッシュバックし、アリスは実は医師だった。連日の手術を終え、疲れ果てて自宅に戻ると、仕事もなく、ネット引きこもりのジャックが迎える。ジャックを無視して寝室に行くアリス。場面が変わると、ジャックは、アリスをベッドに拘束し、目に何やら装置をつけ、自らもその装置をつけてベッドに横になる。どうやら、フランクが作った、夫が妻を独占するためのメタバースの世界があり、フランクに洗脳されたジャックが、アリスをそこに引き込む装置に接続したらしい。ビクトリータウンにはそうした夫婦が住んでいるのだった。

 

戻ってきたアリスは以前と変わらずジャックとの生活に戻ったかに見えたが、ジャックの鼻歌に意識を取り戻し、ジャックを殺してしまう。駆けつけた親友のバニーがアリスに逃げるように言う。バニーは全てを知っていたが、子供たちがいるので黙っていたのだ。アリスはジャックの車に乗り。本部の建物を目指す。後ろから赤い服の男たちや他の夫らの車が追いかけてくる。このカーチェイスシーンが、スピード感満点で実に見事である。

 

そして、円錐形に丘の上に立つ本部の建物にたどり着いたアリスだが、背後に赤い服の男達が迫っていた。フランクは必死でアリスを追うように指示をしているが、埒が開かないと判断した妻のシェリーはフランクを刺殺し、「後はわたしがやる」と告げる。アリスは、建物のガラスに身を預けると、脳内が正常に変化したような映像と共に映画は終わる。

 

結局。その後どうなったかはわからないままに終わる。妻を自分に従わせるためにフランクが作ったメタバースの世界に、洗脳され選ばれたメンバーが強制的に妻を拘束して、男達に心地よい街の生活をしていたと言うことだろうか。男=夫に対する女=妻からの非難を描く作品なのかと理解したのですが、隙のない展開はさすがにしんどかった。

 

「わたしのお母さん」

なんとも適当な脚本と演出に参ってしまう凡作だった。なぜかわからない終始陰気な演技をする井上真央にも参ったが、枯れてしまった俳優を脇に配置した上、登場人物の関係が全く描写されない脚本の雑さ、あまりに古臭いテーマと展開をなんの工夫もなく描く物語、一体何を思ってこういう映画を作ろうとしたのかわからない一本でした。監督は杉田真一。

 

電車に乗って独り言を呟く夕子のシーンから映画は幕を開ける。化粧をしている母の寛子は、コーラス教室のようなところへ出かけ、夕方自宅で油料理をしていて、友達が訪ねてきてボヤを出してしまう。寛子は長女の夕子夫婦のアパートへしばらく住むことになる。なぜか、陰気な佇まいの夕子に、古臭い母親設定で対応する寛子。目を背けてしまうほどに雑である。

 

次女の晶子が訪ねてきて寛子と三人での歓談シーンも平凡で、夕子の帰りが遅いので寛子は夕子の夫のために夕食を作り夕子の機嫌を損ねるというテレビドラマのような展開から、パート先の送迎会でストレスの溜まった夕子は酔い潰れて自宅に深夜帰ると寛子が説教をし、反抗した夕子の態度から寛子は家を出ていくが、カットが変わると、寛子は突然亡くなったらしく病院の霊安室

 

夕子、晶子、息子の勝で、実家で寛子の葬儀をする場面から、一人残った夕子が帰っていく場面で映画は終わる。葬儀に夕子の夫も来ないと言うのはどうなんやという適当な演出には参るが、一体夕子はなんで陰気なのか全く最後までわからなかった。終盤のフラッシュバックを繰り返した絵作りは映画らしかったものの、全体的にこんな映画作ってたらあかんやろと言う典型的な映画でした。