くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「福田村事件」「緑のざわめき」

「福田村事件」

非常にクオリティの高い作品、演出も力強いし、作劇、展開のリズムも上手い。役者の使い方も見事なのですが、なぜこれほど嫌悪感に苛まれるのか。一方的な偏見が根底にあるゆえ、史実を描いているにも関わらず、差別偏見に対するどこか偏っているものが見え隠れする。日本人そのものを卑下するかのような視線が見えるからかもしれない。関東大震災の直後、千葉県福田村で起こった悲劇なのだが、村民がそんな行動に駆り立てられざるを得なかった部分の描写が弱いのである。故に見た後、見なければよかったと思ってしまう。そんな映画ではないのにそう見えてしまう。ただ、映画としてはなかなかの佳作だと思います。監督は森達也

 

千葉県福田村に東京で教師をしていた澤田智一と妻の静子が帰って来る。静子は今風も派手な装いで村人の視線を奪う。一方、駅では出征を送る村人たちがいた。香川県のとある村、薬の行商をしている沼部新助とその一行は関東方面に向かっていた。彼らは被差別部落出身者で、そのことを常に気にしていた。

 

福田村では、夫の出征中に船頭をしている田中に間男された妻を非難したり、息子の妻と関係を持った祖父の疑念、など当時の閉鎖的な村で普通に起こっている事件が横行していた。もちろん、この時代、日本のどこでも起こっていたことなのかもしれない。澤田智一は朝鮮半島にいる時に、朝鮮人虐殺の現場に立ち合い、それ以来妻を抱けなくなっていた。静子は智一を愛しているのだが、寂しさから田中に抱かれてしまう。一時は離婚をすると言い出すも結局戻って来る。

 

沼部新助の一行はやがて福田村にやって来る。早速商売をしようとするが折しも関東大震災が起こる。福田村でも相当な揺れを経験する。まもなくして、東京では朝鮮人が日本人を虐殺しているという流言が流れ始める。そしてその噂は福田村にも流れてきて、軍部は各自自ら警戒するようにという指令さえ出す。それをいいことにした強硬派の男たちは自警団を組織する。

 

危険な方向に進むのを危惧した村長は慎重な行動を勧めるが、どんどんエスカレートし、たまたまきていた朝鮮人の飴売りの少女が殺される。それを目の当たりにした千葉日報の記者は記事にするべきだと編集部に訴えるが聞き入れてもらえなかった。間も無くして、千葉県に戒厳令が引かれ、自警団の必要がなくなった。事態が変わったことを受け、沼部新助らも商売をはじめようとするが、村のはずれで強硬派の男に詰問され、さらに朝鮮人ではないかと疑われてしまう。

 

沼部新助は鑑札を提示し、日本人だと訴えるが聞き入れられず、そこへ村長が駆けつけ、駐在に鑑札の真偽を確認しに行ってもらう。それまで手を出すなと説得し、澤田智一や静子も、沼部新助の薬を買ったこともあるから日本人だと必死で行動を止めるのだが、たまたま出征したまま戻って来ず朝鮮人に殺されたと信じる村の女が沼部新助を一刀両断にナタで殺したことから一気に村人たちが狂気になってしまう。

 

そして次々と沼部新助の仲間を惨殺し始め、九人を殺し、残る六人も縛り上げてしまう。そこへ巡査が戻り、日本人だと叫び事態は収束する。千葉日報の記者は村長に取材したいと申し出、澤田智一と静子は船に乗って何処かへ向かって映画は終わる。

 

しっかりと描かれた作品ながら、終始嫌悪感しか感じなかった。沼部新助ら被差別部落の人々や朝鮮人を差別する日本人の存在を一方的に否定しているだけの演出になっているためか、なぜ、福田村の人々は狂気に駆られざるを得なかったのか、その反対側の心理描写が弱いために、奇妙に偏見に満ちて見えるからかもしれない。いずれにせよ嫌いな映画です。

 

「緑のざわめき」

下手くそな脚本と下手くそな演出で、ダラダラと混沌とした物語が展開する様は疲れるだけだった。登場人物全てに均等に力を注いだために、誰を核にしてみていく話なのか全く見えないし、意味のない麻薬の仕事をさせられる青年のエピソードなど素人でもやらない脚本は最低。やたら暗く陰気に描く菜穂子、中途半端に生きている響子、どっちつかずの杏奈、もうどうしようもない映画だった。監督は夏都愛未。

 

体を壊し、女優を辞めた響子は故郷の佐賀県嬉野に戻って来るところから映画は幕を開ける。本屋に立ち寄り一冊の本を買っての帰り、元彼の宗太郎に声をかけられる。その後、響子は本屋でバイトをしている宗太郎と親しげに話すがその様子を一人の女菜穂子が見ていた。菜穂子は宗太郎に近づき、ホテルに行き、隙を見て宗太郎のスマホから響子の連絡先を見つける。なんて女やという感じです。

 

菜穂子は偶然を装って響子に近づき、アパートに行き、そこで隙を見て響子のスケジュール帳から実家の住所を知る。菜穂子はその実家に電話をする。出たのは杏奈という高校生で、叔母と暮らしているという。叔母の芙美子は、響子の母の親友で、響子の母が営んでいたお茶の店をついで、杏奈と暮らしていた。響子は久しぶりに実家に行き芙美子と再会する。実はこの地にはかつて祭りがあったが、女性が襲われる事件があり、中止になったのだ。その時の事件で生まれたのが杏奈だと芙美子は友達に話しているのを響子は聞いてしまう。

 

一方菜穂子は響子の実家に行きたくて、友人が温泉旅行するのをうまく誘導して嬉野へ向かう。菜穂子の友達の絵里が、彼氏とうまく行っていないからと彼氏を嬉野に呼ぶことにするが、やってきた宗太郎を見て菜穂子は身を隠す。菜穂子は響子の実家に忍び込むがそこで響子に見つかってしまう。実は菜穂子は腹違いの響子の妹なのだという。杏奈はふとしたことで芙美子と喧嘩、その直後、芙美子は交通事故で死んでしまう。

 

杏奈は福岡の大学に進み、響子と暮らすようになるがそこに菜穂子が現れる。もうここまで来るとメチャクチャである。そして三人で海岸に立ち、杏奈が、芙美子の家を響子が譲り受けてほしいと頼む。三人がいつでも戻れる場所を残すことを決心した響子は、以前から友人に勧められていた人権擁護の仕事を受けると連絡をする。こうして映画は終わる。

 

もう、めちゃくちゃなほどにあっちをつまみこっちをつまみの展開な上に、ホラーじみた菜穂子の存在や行動は映画の方向を掻き回してしまう。杏奈の先輩の麻薬で捕まるくだりも、妙な女に襲われる件も。呆れてものが言えないほど稚拙なエピソードだし、響子の夢に出て来る森の心象風景や、芙美子が森で話をする映像も意味不明で、ここまでめちゃくちゃしたら、もう自己満足映画と言わざるを得ません。なんとも言えない映画でした。