「アステロイド・シティ」
独特の色彩感覚と軽妙な音楽、そしてありえない不条理劇を展開させる手腕は今回も炸裂、とにかく、訳がわからないけれど楽しい。監督はウェス・アンダーソン。まさに彼の世界でした。
劇作家のコンラッドが、これから舞台を完成させていくという前口上で映画は始まる。モノクロスタンダードから一気にワイドスクリーンに変わって、テンポいい音楽と共に機関車が走って来る。貨物は農産物から核ミサイルまで多彩。時は1955年、とある田舎町アステロイド・シティ、近くでは頻繁に核実験が行われ、設計ミスで未完成のままのハイウェイがあり、満室のモーテルなどが立ち並ぶ。街の目玉は、かつてこの地に落ちた隕石でできた巨大なクレーターだった。
アステロイド・シティにやってきたカメラマンのオーギーと息子、娘たちはこの地で車が故障、その修理にしばらく滞在することになる。この町では小惑星の観察日があり、街のみんなが一堂にクレーターに集まって小惑星を観察していたが、突然空からUFOが飛来、中から出てきたエイリアンが隕石を持ち去ってしまう。
その事件で政府はこの街を隔離調査を始める。物語は、そんな中で住民たちの何気ない物語を描いていくがあくまで舞台劇という設定なので第一幕、第二幕と進んでいく。エイリアンブームで遊園地ができ、観光地として賑やかになっていくが、閉鎖していた通信網の隙間から情報が漏れ、話題の街になってしまう。危惧した軍は住民たちを集めるが、そこへまたまたUFOが現れ隕石を返して帰っていく。何もかも元に戻り、オーギーの車の修理も終わって子供達と旅立って映画は終わる。劇作家コンラッドはまもなくして亡くなったとテロップが入る。
なんのことはない話ですが、ウィットに富んだカメラワークと、軽いノリ、軽快な音楽のリズム、パステルカラーのような色彩など夢のような映像が所狭しと展開、不思議なひと時を過ごした感じの映画でした。
「あしたの少女」
前半部分は、一昔前のテーマを踏襲するように展開するので古臭さを感じるのですが、主人公ソヒが亡くなって、ペ・ドゥナの刑事が出て来る後半部分が抜群に良くて、どんどん映画に深みが出て来るくだりは絶品。数字至上のみで利益追求するだけの企業の姿、学校の姿かと思いきや、いつのまにかそんな仕組みを作り上げた人間が自らを締め付け、身動きが取れないままに受け入れざるを得なくなった現代の一種の悲劇を観客にぶつけて来る物語へとどんどん膨らんでいく。ラストシーンの、自分の唯一の楽しみに一人勤しむ主人公の姿が、全てのメッセージを集約して見ている私たちの胸に圧倒的な問題定義をして映画が終わります。素晴らしい一本。監督はチョン・ジュリ。
ソヒが一人ダンススタジオでダンスの練習をしている。しかし、何度やっても同じところで失敗をしてしまい、若干嫌気がさして来る。学校では職場の実習先が提示されていて、担任の先生は、今回新たに大企業の下請け企業も派遣先に追加されたと自慢へに話す。そしてソヒはその企業へ実習に行くことになる。
しかし、そこは顧客の解約依頼を止めるコールセンターだった。顧客の意向を聞いてアドバイスするのかと思いきや、なんとか解約を押し留めて、その対応比率で給与の成果級が決まるという代物だった。従業員たちは必死で顧客を言いくるめることに奔走していて、そんな中、罵声を浴びせられ、オペレーターたちは疲弊し切っていた。それでも本部からのノルマ達成指示がきつく、チーム長の男性が車の中で自殺する事件が起こる。
上層部は従業員に、このことを公にしない念書を書かせるが、ソヒは最後まで抵抗する。しかもいくら成約率を上げても成果給は実習生には遅れて支払われるという二重の雇用契約がなされていた。一時は、がむしゃらに働き、成績トップになったソヒだが、そんな上層部のやり方に、とうとう新しいチーム長を殴ってしまい停職処分を受けてしまう。ソヒは恋人や友人らと飲み歩き、担任の先生にも会いに行くが、結局解決されることはなかった。友人と飲んで帰り手首を切って自殺しようとするが助かり、その後、一人貯水池で死体となってしまう。
自殺の調査でやってきた刑事のユジンは、事務職から刑事に担当変えされての事件だった。通り一遍に処理しようとしたが、ソヒの父親が執拗に解剖を要求したことから、何かがあると感じ調査を始める。そして見えてきたのは、ノルマ至上主義で、実習生を体良く利用して働かせている企業の存在だった。
しかし、さらに調査を進めると、そういう企業でさえも就業率を上げるために学校は実習先として選定せざるを得ない現実があった。就業率を上げないと学校の運営自体ができないようにされているのだ。さらに、ブラック企業を取り締まるべき教育庁なども、結局、補助金を得るためには本部からの指示の数字を達成せざるを得ない現実をユジンは目の当たりにする。
こんな社会を作り上げた自分たちが、すでに身動き取れないことになっていることに絶望に近い気持ちになる。そんな時、見つからなかったソヒのスマホが発見される。幸い電源を切っていたので、すぐに復旧できたが、メールそのほかは自殺直前に削除されていた。唯一、動画が一本残っていた。ユジンがそれを見ると。一人スタジオで踊るソヒに姿があった。こうして映画は終わる。
一見、よくある企業搾取の映画のようなのですが、どんどんテーマが掘り下げられて、寒気がするほど奥深いメッセージが見えて来る。見事な映画でした。