「シャクラ」
原作「天龍八部」が有名な武侠小説らしく、あらすじを知るものが見ればわかりやすいのだろうが、どんどん話が膨らんでいくので、見ている私たちは右往左往してしまい、さらに漢字の名前に翻弄されて物語についていくのがやっとだった。しかしながらドニー・イェンのアクションシーンは荒唐無稽ながらも抜群に面白いし、ワイヤーワークを駆使した空間演出には、呆気に取られるほど爽快感を感じてしまった。ある意味、中国のエンタメ映画の個性が発揮された娯楽作品でした。監督はドニーイェン。
宋の時代の末期でしょうか、一人の赤ん坊が捨てられていて、ある夫婦に拾われるところから映画は始まる。やがてこの赤ん坊は喬峯と名付けられ、武芸の達人としてみるみる成長していく。そして丐幇の幇主の一人となった喬峯は人々に慕われる存在になっていく。しかし、ある時、副幇の馬大元殺しの濡れ衣を着せられ、さらに宗人ではなく契丹人という出生の秘密まで明らかになって、丐幇を追放された喬峯は、自分を陥れた犯人探しと出自の秘密を探るべく旅に出る。
かつて修行した少林寺に立ち寄った喬峯は、寺の経典を盗もうとしていた変身の名人阿朱と出会い、戦いの中で重傷を負わせた阿朱を助けるべく、どんな傷も治す医師薛神医のもとへと向かう。しかし、喬峯を待ち受ける丐幇の英雄たちや、少林寺の僧侶らが喬峯を倒すべく聚賢荘で待ち構えていた。
自らの命と引き換えに阿朱を助けてもらう約束を取り交わし、かつての盟友たちと縁を切った喬峯は、丐幇らと壮絶な戦いを繰り広げ、ついに倒されるが間一髪、一人の男に助けられる。阿朱は、薛神医の治療で回復したが、恩人喬峯を倒した薛神医を殺し、聚賢荘に火を放って喬峯を追う。
喬峯は慕容復に助けられたが、慕容復は宋を滅ぼさんとする南の大燕の盟主だった。喬峯は阿朱と再会し、自分をはめた犯人を探すべく馬夫人に近づき、馬夫人と白世鏡を操る頭の存在を知る。そしてその頭とは段正淳だと知るが、実は白世鏡の詭計だった。そうとは知らず喬峯と阿朱は段正淳の元へやってくるが、そこには、娘の阿紫がいた。
阿朱はたまたま段正淳の話を立ち聞きし、自分が阿紫の姉で、段正淳は父であることを知る。喬峯は段正淳に対峙し、必殺技の降龍十八拳を放つが、なんと倒したのは段正淳に変装した阿朱だった。阿朱を失った喬峯は、段正淳から、自らの出自の秘密を知り、白世鏡らを倒すために向かう。
ところが白世鏡らが頭と仰ぐ黒幕は慕容復だった。慕容復は用済みになった白世鏡を殺し、阿紫は馬夫人を倒し、喬峯は慕容復との一騎打ちに出る。そしてついに慕容復を倒した喬峯は、阿朱との約束だった塞外で牧場を始める。一方、慕容復に全てを託していた父の慕容博が蘇り、自ら大燕復活に動き始める。そんな時、喬峯の父が、かつて盗賊に襲われ赤ん坊を手放した地を訪れていた。そこで慕容博と再会し、敵意を見せる慕容博の姿で映画は終わる。というお話だったと思います。
とにかく、あれよあれよと話が膨らんでいくので、ストーリーを追うのが必死でしたし、終盤、色々な真実が一気に登場してくるので、頭の整理が追いつきませんでした。それでも、アクションシーン、武闘シーンはとにかく派手で面白いし、それだけでも十分見応えのある映画だった。