くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「オール・ダート・ロード・テイスト・オブ・ソルト」「レザボア・ドッグス」(デジタルリマスター版)「ミツバチと私」

「オール・ダート・ロード・テイスト・オブ・ソルト」

作っている本人はわかっているのでしょうが、ストーリーテリングを考慮せず、映像詩のように展開する一人の女性の半生の物語は、さすがにストレートに展開を読めなかった。しかも黒人の見分けがつかないことと、名前を呼ぶ場面がほとんどないので関係もわからない。映像は確かに美しいが、延々と長回しするシーンがちらほら存在する割には全体の映画の長さはそれほど長くないので、リズムを掴めないままエンディングしてしまった。決してクオリティの低い作品ではないのですが、明確に把握できているかは不安な映画だった。監督はレイヴン・ジャクソン。

 

父と一緒に川で釣りをしている少女の場面から映画は幕を開ける。少女が釣った魚を触っていて、その後、魚を捌く方法を母に教わっている。主人公の女性はマッケンジー=マックという女の子で、彼女が主人公なのかと映像を追っていくと、どうやらリリーという妹かなと思われる少女がいて、マックはウッドというボーイフレンドがいるようで、カットが変わるとマックとリリーが母の葬儀の後の場面になる。祖母か誰かに慰められていたり、場面が変わると、マックの家が火事になっていたりする。

 

映画が進むと、マックとウッドは恋人同士だったらしく、何やら別れたかのようなシーンと、長々と抱擁シーンが描かれ、さらにマックが妊娠したのかお腹が大きくて、母親になれないからとリリーと話をしているが、生まれた赤ん坊のシーンでは、赤ん坊はリリーと言われているので、マックの妹が生まれた場面なのかと思う。さらに進むと、リリーが祖父母かに魚の料理を教わっていたり、雨が降って来たのでマックとリリーが雨の景色を眺めていたりする。そして幼い二人が土壁を掘る場面、何やら口にする場面、そして映画は終わっていく。

 

誰が誰で、今描かれている時間軸がどこなのか分かりづらく、しかも現実に流れているドラマなのかもわからない。映像は確かに美しいのですが、大河ロマンを映像詩にしたという感じで、物語のある映画という感じではなかった。

 

レザボア・ドッグス

低予算ながらデビュー作らしいギラギラしたものが詰まった傑作。これという仰々しいストーリーはないのに、低俗なジョークでリズムを作り上げ、音楽と映像の切り返してどんどん引き込んでいく手腕は見事。若干の爽快すぎる暴力シーンや銃撃シーンもドライ故に目を背けるような嫌悪感を生まないのがいい。映画作りのコツをわきまえた才能に拍手する一本でした。監督はクエンティン・タランティーノ。彼の第一作目です。

 

カフェでバカなジョークを言い合っている男たちを延々と捉える場面から映画は始まる。男たちはそれぞれに色でニックネームがつけられ、リーダーはジョーだが、ベテランのホワイト、若いオレンジなどと呼び合っている。しこたまジョークを言い合った後男たちはある仕事に向かう。そしてタイトルの後、血だらけのオレンジを乗せたホワイトが車を走らせている場面に移る。どうやら宝石強盗に入ったらしいが待ち構えていた警官たちの反撃を食って失敗して逃走している。仲間に警察の犬がいることがわかり、とりあえず、待ち合わせ場所まで逃げてくる。

 

オレンジは腹に銃弾を受け、瀕死の状態だが、ホワイトはジョーが来たら助かるから頑張れと励ます。ピンクもそこに逃げて来る。そして物語はここに至るそれぞれのメンバーの経緯が語られていく。

 

ブラウンは逃走の途中で死んでしまい、ブルーは行方不明になってしまう。そこへ、若い警官を縛り上げたブロンドがやって来る。ブロンドは若い警官に裏切り者をはかせようと拷問する。ホワイトとピンクはやって来たジョーの息子エディと隠したダイヤを取りに倉庫を出ていくが、ブロンドは捕まえた警官の耳を削いでガソリンをかけて焼き殺そうとする。傍にいたオレンジがブロンドに発砲し彼を殺してしまう。そしてオレンジは、若い警官にマーヴィンに自分は潜入捜査官だと告白する。

 

そこへ、ジョーやホワイトたちが戻ってくる。オレンジが事情を説明するが、ジョーの息子エディはブラウンを信用していて、そんなはずはないとオレンジに銃を向ける。さらにジョーはオレンジこそが警察の犬だと言い当てる。ジョーもオレンジに銃を向けるが、相棒と認めていたホワイトはジョーに銃を向ける。エディはホワイトに銃を向ける。そして同時に発砲し、ホワイトも重傷を負うが、ジョーとエディは死んでしまう。瀕死の状態の中、ピンクが奪ったダイヤを独り占めにして出ていく。しかし、入れ替わり、待機していた警官が突入する。ホワイトにオレンジが、自分は警官だと告白、ホワイトはオレンジに銃を突きつけるが、警官に発砲され死んでいく。こうして映画は終わる。

 

閉鎖空間で繰り広げられるドラマと、過去の経緯を交錯させる構成が実に面白く、気持ちがいいほどに撃ちまくる銃の爽快感や、殺戮シーンも心地良いほどにドライなのがとってもいい。映画というのはこうやって作るものだと言わんばかりの一本でした。

 

「ミツバチと私」

ラストに向かって脚本が書かれていないのか演出がわかっていないのか、なんともダラダラした展開の作品で、冒頭のメッセージをひたすら繰り返すだけのストーリーにしまいには周りの脇役が悪者にしか見えなくなってくる。ベルリン映画祭で史上最年少の主演俳優賞を取ったソフィア・オテロが可愛らしいのはわかるが、しつこいだけに見えてくるのは如何ともしがたい変態映画だった。監督はエスティバリス・ウレソラ・ソラグレン。

 

夏のバカンスでフランスからスペインに家族が向かうところから映画は始まる。父ゴルカと妻アナとは溝があり父は同行しない。息子のエネコは寂しい思いをするが、渋々母に同行する。八歳の弟のアイトールは自身の性を自認していなくて髪の毛を伸ばし、居心地の悪さを感じながらも叔母が営む養蜂場へやって来る。アナは蜜蝋を使っての彫刻を仕上げるべく忙しくし、アイトールは地元の女の子と親しくなったりしながらも叔母によってミツバチや自然と触れ合う中で、ありのままで生きることを見出していく。

 

そんなアイトールへの向き合い方に苦悩し始めるアナだが、叔母に諭される中、またアイトールの姿を真摯に向き合う中で、アイトールの生き方を認め始める。親戚一同が集まるパーティではアイトールにワンピースを着せるがゴルカは大反対、そんな様子を見たアイトールは自ら男の子の服に着替えるが、行方をくらましてしまう。

 

そしてミツバチの巣箱に行ったアイトールは、自分の呼び名はルシアだからと巣箱を叩く。それは叔母に教えてもらった新たな誕生の儀式でもあった。アナたちも最初はアイトールの名を呼んで探すが、エネコに倣ってルシアの名で探す。翌朝、アナのベッドの横でルシアが目覚める。帰りの車で森を見つめるルシアのカットで映画は終わる。

 

大きなうねりのあるストーリーではないのですが、映像で見せるわけでもなく、アイトールを取り巻く人たちとアイトールとの触れ合いだけで展開する様の繰り返しがなんともダラダラしていてテンポが乗ってこない。駄作ではないのですが、正直退屈な映画でした。