くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「神の道化師 フランチェスコ」(デジタルリマスター版)「エレクション 死の報復」「熱のあとに」

「神の道化師 フランチェスコ

聖フランチェスコを慕う修道士たちのエピソードをコミカルに描いていく作品で、登場人物たちは一生懸命布教活動を行っている姿がかえってユーモア満点に見える様が不思議な作品です。脚本にフェデリコ・フェリーニも参加しているのが希少な一本でした。監督はロベルト・ロッセリーニ

 

雨の中、フランチェスコと彼を慕う使徒たちがやってくるところから映画は幕を開ける。雨宿りするために、自分たちが作っていた庵へ行くが、何者かに占拠され追い出されてしまう。それでも、そのことが何かの役に立ったと雨の中、身を寄せ合う。彼らは別の地に自分たちで礼拝堂を作り、住むための住居を作り、その地で活動を始める。

 

老齢で頭が悪くなったジョバンニが新たに参加してきて、フランチェスコの真似ばかりしながら活動をするが、どこか間が抜けている。ジネプロは、貧しい人に自分の法衣まで与えてしまいフランチェスコに叱られる。それでも与えようと考え、無理矢理奪うように指示する。

 

ジネプロは15日分の食事をジョバンニと一緒に作りフランチェスコに誉められ布教を許される、近くで 村を包囲するローマ軍のところに布教に行ったジネプロは、兵士たちに揶揄われ、将軍暗殺に来たと勘違いされて殺されそうになるが、暴君の前で、自らを蔑んだ事から、暴君の心を和らげ、包囲をやめて帰らせてしまう。

 

フランチェスコたちは街に布教に行くことにし、礼拝堂や住居を村人に与えてその地を去る。裕福な人々から施しをもらってその場で貧しい人に分け与える。街のはずれで、フランチェスコは、皆と別れそれぞれが布教に行くように諭す。方向がわからないという修道士に、ぐるぐる回って目が回って倒れた方角に行くように説明、皆が行先を決めて去っていって映画は終わる。

 

どこかユーモアを感じさせる修道士たちのクソ真面目な活動が、宗教映画なのに堅苦しさがなくとっても軽い仕上がりになっていて、丁寧な絵作りと展開と相まって、面白い作品に仕上がっていました。

 

「エレクション 死の報復」

面白かった。香港ノワールのスタイリッシュさはちょっと韓国ノワールとは何か違う面白さがあります。今回は銃撃戦を一切使わず、牛刀のみで斬りまくる、殴りまくる、とマフィアトップの就任争いを描いていく。ちょっと度を過ぎたグロイシーンもありましたが、素直に面白かった。監督はジョニー・トー

 

洪勝会のトップレンが、会の鉄則である義を重んじて、集団で闘争をしないなどの信義則を説明している場面から映画は幕を開け、タイトルの後、和連勝会の会長、ロクが2年の任期を終えるに当たって、次の会長の候補を長老たちが計っている場面となる。名乗りを上げたのはトンクンという男だが、長老たちは、過激なトンクンに難色を示し、堅実に商売を続けるジミーになって欲しかった。しかし、足を洗って真っ当に生きたいジミーは立候補する気がなかった。

 

ところが掟を破って、ロクが再任する気配を示し始める。血で血を争う抗争になることを心配した警察本部長のシーは、香港安定のために、ジミーの事業の邪魔をしない代わりに会長に立候補するよう持ちかける。事業拡大のために権力も必要と判断したジミーは立候補することにし、殺し屋を雇って周辺を固めるとともに、ロクの手下の殺し屋フェイや、トンクンらと会長争いに身を投じていく。

 

ロクらは、ジミーの部下で片腕のクオックを人質に取るが、ジミーは殺し屋らを通じて居場所を突き止める。そこへフェイやトンクンらが襲いかかってくる。日に日に抗争が激化する中、最長老のタンがロクに殺される。ジミーはロクの手下を暴力的に寝返りさせて味方につける。ロクの息子は不良仲間と関わっていて学校でも注意されていた。ロクは息子を更生させようと、ある時街で見かけた息子に近づくが、追いかけるために乗った部下の車の中で殴り殺される。

 

長老会議で、満場一致でジミーは会長になる。その帰り、チンピラらに追いかけられるフェイを車に乗せて助けるが、フェイはジミーにつく気はないと一人車を降りる。ジミーが自宅に戻ると、妻は妊娠したと告げる。ジミーはシーに呼び出され、シーがジミーに便宜を図った事業用地の案内をするが、そこで、これからは会長職は世襲制に変更してほしいと頼まれる。香港を安定するためには、堅実なジミーが会長職を続けるのが良いという。ジミーはシーに騙されたとシーを殴るが、結局、シーを送り出す。シーに言われ、会長の証の竜頭棍はジミーに渡されたが、ジミーはタンの棺に入れる。こうして映画は終わる。

 

強大な権力によって結局牛耳られていく香港マフィアの哀愁を漂わせたラストはさすがに面白い。いつものジョニー・トーらしい様式美の世界はあまりなかったものの銃撃戦を一切排除した抗争劇はこれはこれで楽しめました。

 

「熱のあとに」

何を語りたいのか全く見えない上滑りな脚本と間延びした演出、チグハグなカット割りで、力不足がそのままシュールな仕上がりになった感のある映画だった。結局、ラストで、ひたすら主人公に喋らせるしかなくなったのはなんともため息が出てしまいました。監督は山本英。

 

非常階段を駆け降りる沙苗の姿から映画は幕を開ける。階段の下には血だらけの金髪の男性がうつ伏せで倒れていて、沙苗はそこでタバコをつけるとスプリンクラーが回って水が出る。水の中、沙苗が笑うと噴水のカットになり、六年後、沙苗はこの日見合いをしている。母がひたすら喋って、男はエビを食べるばかり。男の携帯が鳴って男は席を立つ。戻ってきて、帰りかける沙苗の母に何やら話をして、男は沙苗を誘って車で走り出す。実は自分は身代わりだという男の名前は小泉健太だという。お互い結婚する気もない中、トンネルを抜けると二人は結婚していた。沙苗は心療内科で診察を受けている場面が交錯する。

 

健太は森林の木のメンテナンスをする会社にいて、この日も一軒の客の家に来たが返事がなく、家に入るとレコードが流れていて、猟銃が無造作に置いてある。裏山に行くと、この家の主人足立よしこという女性が獣の罠にかかって動けなくなっている。駆けつけた健太も罠にかかってしまう。よしこはアメリカから帰ってきて日本で農業を始めたという。

 

健太はよしこを駅まで送ってきて、駅から出てきた沙苗と遭遇。よしこは沙苗に、ようやく出会えたと呟く。後日、沙苗が、排水管に落とした指輪を取ろうと道具を買いに来てよしこと遭遇する。そして手伝ってほしいと言われよしこの農園にやってくる。猟銃も使えるよしこは鳥を撃つ。よしこは結婚もしていて子供もいるという。そして、沙苗が六年前に刺したホストの隼人は自分の夫だと告白する。

 

精神的に不安定な沙苗は、落ち着いていた状態から再び不安定になり、その不穏な空気に健太も戸惑い始める。ある日、街で隼人と同じ金髪のホストに沙苗が声をかけられる。そのホストは新入りで、沙苗がすぐに店を出たので、隼人のことを先輩に聞く。よしこの息子は何やらご飯にお菓子を振ったりお茶をかけたりしてよしこの気を引こうとしている。

 

健太と沙苗の関係もギクシャクし始め、健太は引っ越しをしようというが、沙苗は応じない。そんな時、かつてのホストが隼人の居場所を沙苗に伝えにくる。突然池に入っていったりする沙苗に応じきれなくなる健太は離婚を決意する。沙苗は隼人に会いに行くというが、健太は賛成しない。

 

会社を辞めると言ったらしい健太のところに会社の同僚が退職願を返しにきて、一緒に来た同僚の女性に健太はキスをする。よしこは一人ボートに乗り、空のボートだけ岸に戻ってくる。健太は同僚の女と駆け落ちしてホテルに行き、睡眠薬を飲むが翌朝目覚め、駐車場で女に刺される。沙苗はプラネタリウムで隼人と再会し延々と自分の思いを喋り続けて、明かりがつくと隼人は涙ぐんでいた。

 

治療が終わった健太を沙苗が車で迎えに来て、健太が離婚しようと言って、交差点で止まる。以前健太が言っていた六十秒見つめ合うというのを沙苗がやり始め、後ろからクラクションを鳴らされ映画は終わる。

 

終盤は支離滅裂で、新たな登場人物が次々とワンシーンだけ出てくるというメチャクチャな流れになった上に、描ききれずに長台詞で誤魔化すという愚の骨頂に至る。なんとも言えない作品で、いったい観客を意識しているのかどうか疑問だけが残る作品でした。