くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「碁盤斬り」「湖の女たち」「ミッシング」

「碁盤斬り」

少々脚本が荒っぽいが、なかなかの時代劇の傑作でした。様式美にこだわった絵作りが実に美しいし、物語のうねり、人の心の浮き沈みが丁寧に描かれているのがいい。ラストは古き良き時代劇を彷彿とさせるエンディングがとっても心地良かった。監督は白石和彌

 

長屋でその日暮らしをする浪人の柳田格之進の所に家賃の取り立てが来るところから映画は幕を開ける。なんとか待って欲しいと頼む格之進の家に娘のお絹が戻ってくる。気立てのいいお絹の姿に家主も這々の体で帰っていく。吉原の女郎屋の女将お庚に頼まれた篆刻を仕上げた格之進はそれを届けに行き、お庚に囲碁を指南して一両の金を受け取る。

 

その帰り、囲碁の寄り合い所に立ち寄った格之進は、萬屋源兵衛という男を見かける。彼は両替商で、この辺りではケチで有名な男で、碁が強く、この日賭け碁を打っていた。普段賭け碁はしない格之進だが源兵衛と一局打つことにする。しかし明らかに格之進が勝った流れだったが、途中で勝負を降りてせっかく手にした一両を源兵衛にくれてやる。そんな父を迎えたお絹は父を信頼して、家主に嘘をついて追い返してしまう。

 

ある日、源兵衛の店でいちゃもんをつけていた武士を追い返し、なんの礼も取らず帰った格之進を追って源兵衛と手代の弥吉が格之進の長谷にやって来る。そこで源兵衛は格之進と碁を打ち、以来二人は頻繁に碁を打つようになる。弥吉はすっかりお絹に惚れてしまい、格之進に碁を習えば良いという源兵衛の勧めを真に受けて、格之進の長屋に通うようになる。

 

ある中秋名月の日、源兵衛は自宅で月見をするからと格之進とお絹を招待する。そして、今まで使うことのなかった高価な碁盤を初めて持ち出し、格之進と碁を打ち始める。深夜に及んだ頃、源兵衛に金を借りていた商人が五十両の金を返済に来る。すっかり酔っていた番頭に代わって弥吉が金を受け取り源兵衛に手渡す。

 

源兵衛は碁の途中だったので金を手にしたまま勝負を続ける。途中厠へたつ。同じくして、格之進の元同藩の左門が訪ねてくる。格之進は彦根藩で奉公していた際、彦根藩随一の碁の打手柴田と試合をして、柴田に恥をかかせたため柴田の恨みを買い、刃状沙汰になった過去があった。さらに柴田は格之進を恨み、藩主の家宝の狩野探幽の掛け軸が無くなったのを格之進のせいにして格之進を追い出したのだが、実は掛け軸は柴田が盗んでいたことがわかる。そこで左門は城主から格之進を連れ戻すようにと命を受けたのだという。さらに、格之進の妻は柴田に言い寄られ強引に体を奪われて自殺したのだともう一つの真相を話す。格之進は源兵衛との試合に戻るも気が乗らず中座してしまう。

 

翌日、格之進は柴田を討つべく旅に出ようとするが、萬屋では、昨夜の五十両が見当たらず、源兵衛といたのは格之進だけだったことから、番頭は弥吉に、格之進に五十両の件を問い正しに行かせる。格之進は怒り追い返すが、嫌疑を晴らすために、お絹をお庚のもとへ身売りさせ、五十両を工面して弥吉に返し、もし、金が出てきたら弥吉と源兵衛の首を取ると約束させる。格之進を疑ったと聞いた源兵衛は弥吉と格之進の長屋に行くがもぬけの空だった。

 

格之進は賭け碁をしているという柴田を探すが、途中、掛け軸を取り戻すように命を受けた左門と出会い一緒に柴田を探す事になる。一方、お庚は金を用立てる際、大晦日まではお絹を店に出さないと約束し、年が明けたらお絹を店に出すと格之進に告げていた。お絹が吉原に行ったことを知らない弥吉は、たまたま主人の使いで吉原近辺へ行った際お絹を見かけてしまう。

 

格之進と左門があちこちの会所を回るうち、ある所で、年末に両国で行われる碁の会に柴田らしい男がむかったことを知る。格之進は左門とともに、両国の長兵衛の会所へ乗り込む。格之進は柴田と碁を勝負することにするが、負けが確定した柴田は突然格之進に斬りかかる。しかし、格之進に返り討ちされた末、柴田は介錯を格之進に頼み首を落とされる。その頃、源兵衛は来年の抱負の額を掛け替えようとして額の後ろに隠していた五十両を発見する。あの夜、厠へたった源兵衛は一時額の後ろに金を隠したのを忘れていた。弥吉はその金を持って吉原へ走る。

 

格之進と左門は吉原へ向かうが、時遅く門は閉じられる。そこへ弥吉が駆けつけ、五十両の件を詫びるが、格之進は約束通り、弥吉と源兵衛の首をもらうと萬屋へ向かう。源兵衛は弥吉を庇い弥吉は源兵衛を庇うなか、格之進は二人の目の前の碁盤を斬り二人を助ける。左門はは柴田から掛け軸を取り戻した。しかし格之進は左門に掛け軸を譲って欲しいと頼む。自分が追い出されたことで窮地になった部下たちの生活のための金にし、配ってやりたいという。左門は了解し、格之進は掛け軸を受け取る。

 

年が明け、弥吉とお絹の祝言が挙げられていた。源兵衛はあの時の試合の続きをしようと碁盤を取りに行って格之進のところに戻るが、格之進の姿はなかった。格之進は自分のせいで苦しんでいる部下達を救うため一人何処かへ向かって映画は終わる。

 

弥吉が、お絹が吉原へ行ったことを気づかせる時の色彩と映像を使った演出や、横長の画面に斜めに顔のアップを入れたり、至る所に映像演出を散りばめて物語を語らせているのがとっても美しい。やや唐突な展開とモダンな雰囲気がないわけでもないけれど、様式美にこだわった映像がとにかく秀逸。見事な映画でした。

 

「湖の女たち」

イライラするほどに重苦しくて暗い映画だった。ミステリー部分をもうちょっと表に出せば、もっと見やすくなったのだけれど、世の中への不平不満を押し付けてくるような強烈なメッセージ性にぐったりしてしまいました。松本まりかの体当たりシーン、福士蒼汰のわざとらしい生気のない演技、浅野忠信のオーバーアクトな演技などどれもがチグハグにまとまらず映画が雑多で方向が見えなかった。監督は大森立嗣。

 

明け方の湖、釣りをする男、岸に止めた車の中で一人の女が下着の中に手を入れる場面から映画は幕を開ける。近くの介護施設で100歳になる老人が謎の死を遂げる。どうやら人工呼吸器を故意に止められたらしいと、ベテランの伊佐美と若い濱中刑事が捜査を始める。伊佐美は、17年前、薬害訴訟の捜査の際に上層部の強引な中止命令でいたたまれない思いをした過去があった。そのせいか、今では強引で横柄な取調べをするようになり、疑問を感じながらも、濱中は子供が生まれる事もあり従っていた。

 

犯人としたのは施設の看護職員松本だったが、全く証拠もない中濱中と伊佐美が長時間の聴取と拘束で彼女を追い詰めていく。介護士の豊田は、たまたま濱中と知り合うことがあり、以来豊田は濱中に溺れていたが、濱中は捜査のストレスを豊田を辱めることで発散、豊田もまた自虐的な性格で濱中に近づくようになっていた。

 

死んだ患者が、かつて薬害訴訟に重要な証人としての立場にいた人物であり、戦時中生態実験をしていた731部隊の生き残りということもあり、池田という記者が今回の事件との関連を求めて調べ始める。映画は、池田の姿、豊田と濱中のドラマ、伊佐美の過去の苦悩を交互に描いていくが、今一つ核になる何者かが見えないままに平行線で描かれるので、視点が定まらない。

 

まもなくして、松本が精神的に参って事故を起こしてしまう。濱中らは警察署長らから叱咤されるが、伊佐美、濱中は意に介せずという雰囲気だった。しかし、松本は二人を告訴することになる。豊田は濱中に会いたいがために、そして濱中の注意を引くために、自分が犯人だと言ったろする。

 

そんな時、謎の動画が発見される。それは殺された患者の部屋の前まで撮った動画だった。それを伊佐美から教えてもらった池田は、そこに写っている車から、介護士の服部の娘が、事件の介護施設のそばでバードウォッチングをしていて、彼女が怪しいと判断し、付近の防犯カメラを伊佐美に調べてもらうが、怪しい人物はいなかったと言われる。

 

そんな時、池田は編集長から、薬害訴訟の事件を追うのを止めるように圧力がかかったと言われる。池田は単独で服部の家に行き、娘を問い詰めるが、結局追い返されてしまう。しかし池田は、以前の取材で殺された老人の妻のところに行った際、妻が若き日、日本人の子供たちが制裁と称してロシア人を殺すのを見たという話から、服部の娘も同様のことをしてるのではないかと判断する。一方、濱中と伊佐美は告訴の内容を認め、刑事を辞める。夜明け前の湖畔、池田、濱中らの前で服部の娘ら中学生らしい人物数人が介護施設へ向かうのを写して映画は幕を閉じる。

 

どれもこれも、ラストシーンにうまく結びつかないエピソードの連続になっていて、映画全体にまとまりがないのがちょっと残念。訴えたいことは見えなくもないのですが、なぜ豊田があれほど自虐的になっているのか、父親は何だったのか、濱田や伊佐美の心の苦悩も今一つ覇気に欠ける。とにかく誰も彼もセリフが暗いし、ボソボソするだけで、どうにも重苦しい映画だった。

 

「ミッシング」

子供が行方不明になった夫婦の再生のドラマ。石原さとみが少々オーバーアクトなところもあるものの、次第に狂気じみてくる雰囲気が熱演で、淡々と進む物語にスパイスとなって牽引していくあたりがよくできているし、ありきたりにマスコミやSNSの行儀悪さをしつこく描いていないのもいい。ラストシーンは綺麗にまとめられ、事件が解決する流れにはなっていないものの、かすかな希望が見えた気がしていい映画だった。監督は吉田恵輔

 

公園で遊ぶ幼い少女美羽の姿から、子供が行方不明になり、該当で情報提供のビラを撒く美羽の両親、沙緒里と豊の場面になり映画は幕を開ける。行方不明になり三ヶ月が経ったが情報も何もない。最後に美羽と遊んでいたのが沙緒里の弟圭吾だったが、圭吾は人付き合いができない性格であった。

 

地元のテレビ局の砂田らが美羽の事件を取り上げ、沙緒里や豊、さらに圭吾にも取材を進めるが、テレビ局が美羽の情報より視聴率狙いに傾倒していくことに砂田は疑問だった。沙緒里と豊はことあるごとに喧嘩をし、次第に沙緒里は狂気的になってくる。そして砂田を異常なくらいに頼り始める。沙緒里が美羽のいなくなった日にアイドルのライブに行っているのが明るみになったり、圭吾が美羽と別れた後違法カジノに行っていたのがわかったり、ネットの誹謗中傷や偽の保護連絡まで来るようになり、沙緒里は限界に近かった。しかし、時が流れ次第に周囲からも忘れられてきて、結局進展がないまま二年の月日が経つ。沙緒里は子供の安全のために何かできないかと緑のおばさん的な仕事までやるようになる。

 

ある日、美羽によく似た行方不明事件が起こり、沙緒里は同一犯ではないかと行方不明になった子供の情報提供のビラを撒いたりするが、その子はしばらくして母親の元夫という犯人が出て無事保護される。それを聞いた沙緒里は思わず涙ぐんでしまう。街頭でビラを撒いていた沙緒里達の前に、子供が見つかった母親が通りかかり、何か手伝いがしたいと申し出る。その声に豊はその場に泣き崩れてしまう。家で、美羽が壁に落書きした絵に窓から入ってきた光が瓶を通って虹を作っているのを見た沙緒里は、そっと落書きの美羽の頭を撫でて映画は終わる。

 

事件が解決せずに物語が終わるので、ちょっと辛いものがありますが、不幸に遭遇した夫婦とその周囲の人間ドラマ、彼らを取り巻く様々な姿が丁寧に描かれた映像はなかなか優れたものがありました。