くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「食べる女」「クワイエット・プレイス」

食べる女

期待していなかったのですが、これがまたとっても素敵な映画でした。物語の構成はとってもいいし、オーバーラップしながら展開するストーリーがとっても良くできています。それに一番のいいところは、最後がみんな幸せになる感じ。やっぱり映画はこうでなくちゃと思います。監督は生野慈朗。

 

二人の少女が地面に耳を当てて水の音がするかどうか見ている。音がしないからと走り去った後にトン子がやってきて耳をすます。カットが変わり、作家で一人暮らしのトン子の家で編集者のドド、多実子、美冬が集まってご飯を食べている。誰もがそれぞれの人生があり、男関係もあり、これからを考えているいわゆる女子トークから幕を開ける。昔ながらの中庭と井戸、縁側があるこの景色がまずいいんです。

 

ドドは免許の書き換えの場所で田辺というやたら料理のうまい男に出会う。ドドたちがよく行く珠美のバーでは飲んだくれていつも男と一夜の関係を持ってしまうあかりがいて、この日もいきづりの男と出て行く。やがて仕事の場で知りあった好青年といい仲になる。

 

多美子にはとにかく良い性格の彼氏がいるようだが、何かが足りないと悩んでいる。冒頭の少女の一人は料理好きで、ある時、道でトン子の飼っている猫を見つけ、ついて行ってトン子の家に行き、そこで井戸をもう一度掘ろうとしているトン子に出会う。

 

もう一人の少女の母ツヤコは耳タレで、離婚して二人の子供を育てている。

 

ここに、国際結婚をした夫婦がいて、アメリカ人の妻リサは、夫が料理ができなくても良いと言ったことを真に受けて冷凍食品ばかり出し、とうとう夫に逃げられる。意気消沈したリサはたまたま美冬と出会い、トン子の家に下宿して美冬の小料理店で仕事をするようになる。

 

こうしてそれぞれの様々な物語をさりげないカットの切り返しで描いて、次第に一つにつながって行くのだが、その構成が実にうまい。

 

やがてリサは一人前の料理ができるようになり、トン子のところを出ることに。トン子は下宿屋でもするかと張り紙をしたら、ツヤ子の娘が是非住みたいからと家族で移ってくる。

 

ドドはせっかく良い仲になった田辺が突然北海道に転勤してしまう。

 

そして今夜は、ドドたちは美冬に店に集まり、リサの独り立ちのお祝いをする。そして、トン子の下宿に来たツヤコの娘二人を見ようと女だけで出かけたところへ、田辺がやってくる、リサの夫も戻って来てくれとやってくるが女たちはいない。

 

やがてトン子の原稿も書き終わり、ホッと一息して外を見れば満月。卵かけご飯にかわってみんなが食べるシーンでエンディング。

 

とにかく素敵なんです。出てくる脇役の配置もいいし、誰もがいい人だし、嫌な思いをすることなく、人生ってこんなに楽しいんだなとつくづく元気になってしまう。何度も言いますが本当に素敵な映画でした。

 

クワイエット・プレイス

細かい見せ場や伏線が緻密に組み立てられて実によくできた構成なのですが、大元の背景が雑になっているために、せっかくがぶち壊されたという感じの映画でした。監督はジョン・クラシンスキー。

 

荒廃した街、隕石が落ちて来てそこにいたのだろうか、化け物のクリーチャーが人間を襲い始め、ほとんどの人類が滅亡している。ことが起こって89日目のテロップ。街のドラッグストアで物品を物色するリーとエヴリン夫婦と三人の子供の家族。音を立ててはいけないようで、裸足である。

 

一番幼い男の子が、スペースシャトルのおもちゃを取ろうとして落とし、すんでのところで受け止める。父のリーは、電池が入っていて音がなるからダメだと電池を抜いて取り上げるが、姉リーガンが内緒でおもちゃだけを与える。しかし男の子はそっと電池を持って帰る。

 

橋に差し掛かった時、一番後ろの弟がスペースシャトルのおもちゃに電池を入れスイッチを入れてしまう。慌ててリーが走り寄ろうとするが、クリーチャーが弟を食い殺してしまう。そして時は400日を超えたテロップがでる。

 

道に砂をしき、家の中にも音が出ないようにして、周りには警報の赤電球がつくようにした森の中の一軒家にリーたちは暮らしている。妻のエヴリンは妊娠しているようである。リーガンは自分のせいで弟が襲われたと悔やんでいて父も自分を憎んでいると思っている。どうやら耳が聞こえないらしい。

 

ある時、父と息子のマーカスが食料などを集めに出かけ、リーガンは、一人死んだ弟の供養に行った時、エヴリンに陣痛が始まる。出産予定の地下室に行き途中で階段に釘が出ていて、踏みつけ大きな音を出してしまう。クリーチャーがくると判断したエヴリンは警報の赤ランプをつけ、クリーチャーに備える。

 

異常を察したリーはマーカスに花火を上げさせ、その音でクリーチャーが家を離れた隙にエヴリンは出産、そこへリーが駆けつける。そして、一安心して、子供達を探しに行く。ところが、水漏れが起こっていて、みずびたしになりその音でクリーチャーがやってくる。

 

マーカスは帰り道でクリーチャーに追われなんとか逃げ延び、リーガンと落ち合い、近くの穀物貯蔵等へ行き父を待つが、なかなか来ない。リーガンは父が作った補聴器をつけていて、そのスイッチを入れると高周波の音が出てクリーチャーが近づけないのだが、それに気がつかない。

 

穀物貯蔵塔のてっぺんのパネルが外れマーカスが落ちて音が出てしまい、その音で、エヴリンに迫っていたクリーチャーがやってくる。リーガンの機転でマーカスを助け、またあの雑音が出てクリーチャーは逃げてしまう。そこへ父がやってくる。

 

ところが帰り道、クリーチャーに襲われ、トラックに子供達を隠し、自分が犠牲になって子供達を助ける。

 

そして、エヴリンの元にマーカスとリーガンがやってくる。そして、一匹のクリーチャーが迫ってくるが、リーガンの補聴器の雑音で追い払えるとわかり、マイクから流してクリーチャーを悶絶させ、起き上がったところへエヴリンがライフルを撃って破壊する。って撃ったら死ぬんかい!

 

その音で、まわりのクリーチャーが集まってくる場面がモニターに映し出され、迎え撃とうと構えるエヴリンとリーガンのカットでエンディング。

 

たしかに練りこまれていて、次々と見せ場が出てくる。しかし、最後にライフルで吹っ飛ばせるのなら、人類が危機に陥るほどの状態になるだろうか?さらに、ピンチの連続なのだが、水漏れにしても、出産時のピンチにしても、砂を巻いて裸足で歩くほどに慎重に身を守ってるのにずさんすぎる。それより、いくら弟を亡くしたからといって子供を作るのはあまりに甘くないか。

 

まぁ、そういう粗さは無視すればいいと思っていたが、いかにも詰まっていない気がして気になって仕方なかった。結局、よくできたB旧ホラーという感じの映画でした。

映画感想「愛しのアイリーン」「プロヴァンス物語 マルセルの夏」

愛しのアイリーン

なかなかクオリティの高い秀作、全体が映画になっているという出来栄えが出色の1本でした。もう少し、凝縮させたらさらに良かったかもしれません。監督は吉田恵輔

 

山深い東北の山村、一人の老人が新聞が来ていないと喚いている。少しボケの入ったこの老人の息子岩男がこの物語の主人公である。岩男は四十を超えて今尚独身、母親のツルはなんとか結婚させたいが、プライドが高く、知り合いの持ってくる相手にことごとくケチをつけている。

 

岩男はパチンコ店の勤め、そこのシングルマザーのパートの女や、年増の女から言い寄られたりしている。誕生日にシングルマザーの愛子に食事に誘われ、その気になったが実は遊びで男を漁っている女だとわかる。

 

自暴自棄に行きつけのフィリピンパブにより、そこのマスターがフィリピンの女性を結婚相手として斡旋している話を聞くが、相手にしなかった。ところが、夜道を歩いていて車にはねられ、そのまま岩男は行方不明になる。

 

一方岩男の父は、突然倒れ帰らぬ人となり葬儀の日、岩男がひょっこり帰ってくる。しかも傍にフィリピン女アイリーンを連れ、妻だという。どうやら岩男はフィリピンに出向き、そこの女を半ば金で買うように結婚したことがフラッシュバックで描かれる。

 

ツルは許せず、猟銃を持ち出しアイリーンを追いかける。岩男はそれでもアイリーンと暮らし始めるも、SEXをさせてもらえない。そんなアイリーンにフィリピンパブで知り合ったやくざ者の塩崎がつけ込んでくる。どうせ金のために結婚したのなら、割り切って体を売るほうがいいと持ちかける。

 

アイリーンを追い出したいと思っていたツルも塩崎と組んで、岩男に堅物の女をあてがい、一方でアイリーンを塩崎に与えてしまおうと画策、まんまと塩崎がアイリーンを車に乗せようとしたところへ岩男が帰ってきて、追いかけた末、猟銃で塩崎を殺してしまう。そしてアイリーンと一緒に山の中に死体を埋める。

 

塩崎の舎弟らしいヤクザが岩男の周りをうろつくようになり、嫌がらせがエスカレートする一方、暴力的になる岩男を受け入れられないアイリーンはだんだん岩男と疎遠になる。

 

やがて冬がきて雪に覆われたこの村、アイリーンは塩崎への弔いのためにお寺の若い住職と親しくなりお経を教えてもらい始める。そんな姿に嫉妬した岩男はアイリーンに金をやってSEXするようになる。

 

かつてツルが世話した女がパチンコ店にやってきたので、岩男はここでオナニーしろと要求、そこへたまたま弁当を持ってきたアイリーンと鉢合わせる。岩男はアイリーンを殴り、そのまま神社の森に向かう。そして、神社の森にアイリーンの名を刻み続けながらアイリーンへの思いを続ける岩男。本当は愛しているのだが、呻く言い表せないもどかしさを木に刻むのであるが、足元が狂い転げ落ちて気を失う。

 

行方の分からなくなった岩男を必死でツルは探すが、たまたま神社に止まっていた車を見つけたアイリーンが森に入っていき、凍死している岩男を見つける。アイリーンは家から布団を担いできて着せ、母親を案内する。ツルは岩男の死体を見て卒倒、そのまま足が動かなくなり、口もきけなくなる。

 

そんなツルをアイリーンは世話をするが、ある朝、フィリピンへ帰ると告げる。ツルはそれなら自分を山の中に捨ててくれと頼む。そしてアイリーンはツルを背負って姥捨山のごとく雪深い山の中へ。しかし、やはり捨てきれず、これからも一緒に暮らしたいと、再びツルを背負って山を降りかける。ツルの脳裏に、岩男を産んだ時のことが鮮やかに蘇る。ツルは三度の流産の末に予約岩男を授かったのだ。

 

そして、アイリーンに背負われながら、そのまま後ろ向きに倒れこんで死んでしまう。一人残ったアイリーンのバストショットで映画が終わる。

 

終盤までの山村を中心にした画面作りから、ツルをおぶって行く雪のシーンの一気に解放されたような絵作りの転換が見事。しかも、この終盤が実に美しい色彩演出がされている。

 

全体が重い話のようだが、実にさっぱりとしたか感覚で見ていられるには、登場人物それぞれが包み隠すことなくストレートに感情をぶつけているせいだろう。

 

ただやりたいだけで「おまんこ」を繰り返す岩男の姿や、裏も表もなく売春を進める塩崎、ただ息子を愛するという一心だけで、むちゃな行動を思いつくままにするツル、そして、家族のために出てきたものの、できることなら愛されたいが、お金と割り切ろうというしたたかさを持つアイリーン。男に抱かれたいままに岩男に迫る年増の女たち。どれもが本当に人間臭くて気持ちがいい。

 

しかもラストのカットは映像的に抜群に美しいのだから、これは映画としてのクオリティがしっかりできているというほかありません。好き嫌いはともかく、見る価値のある一本でした。

 

プロヴァンス物語 マルセルの夏」(4Kデジタルリマスター版)

広大な自然の中で描かれる素朴な人たちの姿を一人の少年マルセルの視点を通して描く作品で、派手な展開などもないがどこか心が落ち着いてしまう、そんな作品でした。

 

主人公マルセルがこの世に生まれる場面から映画が始まる。父ジョセフは厳格な教師で母オーギュシュティーヌはお針子である。そんな二人の間に生まれたマルセルは、幼い頃から父の教室に置かれ母が買い物に出かけたりしているうちに字を覚えてしまう。時は20世紀に入ったばかり、まだまだ人々の心は純粋で素朴な時代である。

 

ジョセフの出世に合わせて、マルセルの家族は引越しを繰り返し、弟ポールも生まれ、妹も生まれる。旧友たちといろんなことに興味を示しながら、子供ながらに想像と理解を繰り返して行く様が描かれる。

 

やがて夏のヴァカンスがおとづれ、マルセルたちはプロヴァンスの別荘に行く。そこは、普段生活している街とは打って変わっての田舎村で、人々の素朴な姿に接し、自然の中に暮らす。父ジョセフはここで大きな獲物を射止め、自慢する。

 

マルセルはそこで地元の少年と出会い、自然の知識を色々と教えてもらいながら、その自然の不思議に引き込まれて行く。

 

やがてヴァカンスが終わり、マルセルはここに住もうと夜中に家を抜け出すが、怖気付いて戻ってきて、友達に別れを告げて去って行く。こうして物語は終わります。

 

大きく広がる山々や、嵐迫る空の描写、稲妻、街の人々の素朴な視線、などなど、何か忘れてしまった現代の人々にのどかなノスタルジーを思い起こさせてくれます。さりげない色彩演出も画面に彩りを加え、落ち着いた色彩を基調にした絵作りがとっても美しい。名編と言える一本ですね。いい映画です。

映画感想「叫びとささやき」「純平、考え直せ」

「叫びとささやき」(デジタルリマスター版)

この歳になるとこの映画の真価を実感できます。画面に捉えられる何もかもが意味をなしていて、役者それぞれが語る言葉も行動も辛辣に伝わってくる。しかもスヴェン・ニクヴェストの美しいカメラも加わるから、もう最高ですね。ご存知イングマール・ベルイマン監督の傑作の中の一本。

 

美しい森の風景のカットが繰り返されるオープニング、オレンジ一色で映されるメインタイトル、そして壁も床も真っ赤な色彩で作られた屋敷の内部の造形、次々と映される時計のカット、映画はこうして始まります。

 

広い屋敷で召使いのアンナと暮らすアグネス。胸の病で、発作を起こすと息ができなくなる。アグネスがベッドで姉カーリンと妹のマーリアがやってくると呟く。アグネスの寿命は間も無く尽きると言われ、二人の姉妹がやってくる。

 

物語はこの三人の姉妹のこれまで、そして今を描くが、誰一人として心が打ち解けていない。幼い頃から三人三様に確執があったことが語られ、病に伏せたアグネスにはある意味憎しみしかない。しかし、アグネスは、幼い頃のいい思い出を思い起こそうとしている。

 

この日も発作で苦しくなり、アンナが全裸になってアグネスを慰める。カーリン、マーリアそれぞれに夫がいるが、全くアグネスについては無頓着、さらにそれぞれの妻にも冷めた目で接している。

 

アグネスの病状がいよいよ悪くなり、カーリンとマーリアは親しくなろうとお互いに体を合わせんとするもどこかぎこちない。

 

カーリンは夫とのSEXを拒否するために自らの秘部にガラスを突き立て血みどろになる。マーリアはアグネスの主治医を誘惑したりする。なんとも言えないほどの殺伐としたこの家族の姿が痛々しいほどに恐ろしい。

 

やがて、アグネスは死んでしまう。死んだアグネスはカーリンやマーリアを順番に呼ぶが、二人とも近づこうとしない。これが幻覚であるのは映像としてわかるが、ホラーじみた空気は微塵も出ない演出のすごさに圧倒される。

 

やがて葬儀も終わり、カーリンもマーリアも夫とともに帰って行く。一人残ったアンナはアグネスの日記を読む。かつて、まだ元気だった頃、カーリンやマーリアと森を散歩した映像が美しく映し出され、映画が終わる。

 

叫びもささやきも今は沈黙に帰るというテロップが真っ赤な背景に映される。これが名作。全く素晴らしいの一言に尽きる映画です。

 

純平、考え直せ

今時、こんな純粋な青春映画作ろうと考える人いてるんやと思うと嬉しくなる。素朴な作りですがとってもピュアな透明感のある青春ドラマでした。掘り出し物の秀作です。監督は森岡利行

 

新宿歌舞伎町、チンピラヤクザの純平は今時珍しく、任侠道を守って兄貴分を慕う若者である。この日も兄貴と取り立てに出かけ、兄貴の慣れた手腕に感心してしまう。

 

行きつけのクラブのママに、従業員の女の子が悪徳不動産屋に絡まれて助けて欲しいと相談され、単身乗り込んで凄んだもののお抱えのヤクザに返り討ちにされる。その不動産屋には加奈という従業員がいてそんな純平に惹かれてしまう。

 

ある時、組の親分に呼ばれ、ある組の親分を殺してくれと鉄砲玉の仕事を頼まれる。男になるチャンスをくれたと喜び二つ返事で了承、ハジキを預かり、明後日の決行日まで好きに遊べと金をもらう。純平はまず、返り討ちされた不動産屋に乗り込み、金を取り戻し、飛び出すが、そこに彼を追いかけて、加奈がやってくる。

 

純平が鉄砲玉になると言われても信じられないままに二人は体を合わせる。加奈は掲示板に純平とのことを書き込み始め、様々な人たちがそれに反応して行くくだりが描かれ、一方で、加奈と純平はわずかに残された時間を精一杯遊び始める。

 

脇で登場してくる、オカマや郷里の先輩、純平の母親、加奈に気がある不動産屋の従業員、さらに掲示板に書き込む人たちの姿が物語に深みを与え、一方で純平と加奈のピュアなラブストーリーがどんどん透明感を増して行く。

 

そしてとうとう決行の日、加奈を神社に待たせ、純平はあらかじめ調べておいた場所へ向かう。純平を思いとどまらせようと掲示板に書き込んだ人たちの一部が歌舞伎町にやってくる。そして、ターゲットの前に現れる純平、そして発砲。神社では純平を待つ加奈。そこへ純平が戻ってくる。抱き合って、南の島へ行こうと言われ、携帯を忘れたと境内に戻った加奈が振り返ると、純平の姿などなかった。

 

映画はここで終わる。果たして純平はどうなったのかはわからない。おそらく返り討ちにされ撃たれたのだろう。

 

一昔前のようなエンディングですが、久しぶりに素直に感動してしまいました。傑作とまではいきませんが、見逃せない一本だった気がします。

 

映画感想「きみの鳥はうたえる」「死霊館のシスター」「スカイスクレイパー」

f:id:kurawan:20180925185808j:leftきみの鳥はうたえる

物事の本当を知る若者たちと、うわべしか見えない大人、不思議感覚なのだが、これが今の本当じゃないかと考えてしまう青春ドラマ。いい感じの映画でした。監督は三宅唱

 

函館の書店でバイトする僕が一緒に住んでいる静雄と待ち合わせている場面から映画が始まる。何事も良い加減で何も考えていない風な僕という若者に最初は入り込めないのだが、いつのまにか彼に共感して行く展開が実に良い。

 

無断でバイトを休んだ翌日の夕方、店長と同僚の佐知子とすれ違った僕は佐知子につねられ、もしかしたら戻ってくるんじゃないかと数を数えて待つ。すると佐知子が戻ってきて、あとで一緒に飲もうと約束したが佐知子は来なかった。

 

それでもお互い非難するわけでもなくバイトが終わり、僕は佐知子といい仲になって行く。そんな二人に遠慮しながらもいつのまにか三人で飲みに行く仲間同士になる。

 

何事にも適当な僕とどこかきっちりしている静雄、そして店長との不倫関係も引きずる佐知子、この三人のこれといって大きなうねりもない物語が実にいいのです。

 

自堕落に見えて、どこか人間の温かみを見せる僕を演じた柄本佑の演技が見事だし、それに対峙して、一見ドライなのにどこか湿っぽく母親と接する静雄を演ずる染谷将太も実にいい。

 

そしてそんな二人の間に存在する佐知子の存在も本当に魅力的で、何気ない日常が何気ない中にも素敵に見えてくるから不思議である。

 

ある時、静雄と佐知子の留守に静雄の母がたづねてきて僕と会う。その数日後、静雄たちは帰ってきたが、静雄の母が持病で倒れたのだという。静雄は一見冷静ながらも翌朝母の病院へ旅立つ。静雄の一人ゼリフで、三人で生活した日々の魅力が語られ、カットが変わると僕の一人ゼリフが語られ、佐知子から、静雄と恋人として付き合うことになったと告げられる。

 

そして佐知子は僕をつねって走り去る。冒頭と同じく僕は数を数えて佐知子が戻るのを待つが、たまらなくなり佐知子を追いかけ、実は僕も佐知子が好きなのだと初めて告白、じっと見返す佐知子のなんとも複雑な表情で暗転エンディング。

 

佐知子が望んでいたのは僕からの告白なのか、それでも、いい加減すぎる性格が耐えられず静雄のもとに行こうと迷うのか、このラストは、なんとも言えない感慨深い感動を呼び起こしてくれます。いい映画でした。その一言です。

 

f:id:kurawan:20180925190406j:left死霊館のシスター

第1作がジェームズ・ワン監督で傑作だったので、このシリーズを見るが、今回は普通のホラーという感じで、これという斬新さもなかった。まぁ、これくらいでは怖がれなくなったというのも悲しい話です。監督はコリン・ハーディ。

 

時は1952年、ルーマニア修道院で物語が始まる。二人のシスターが何やら不気味な部屋に向かって行く。手には謎の鍵、そして入っていったシスターが瀕死で出てきて、鍵をもう一人に託し引きずりこまれる。託されたシスターは窓から飛び降りて自殺。翌朝、一人の男フレンチがそれを発見する。

 

バチカンでは事の重大さを鑑み、バーク親父と見習いシスターアイリーンを派遣する。

 

この修道院はかつてキリストの血で悪魔を封じ込めたところだが、戦争で爆撃されその封印が解かれていた。代々のシスターが祈りで抑えてきたが、もう一度封印すべく臨んだのが冒頭のシーン。悪魔は人間に憑依し、外に出ることを望んでいるのだ。

 

バーク親父とアイリーンはフレンチとともに乗り込む。そしてすでに修道女が全員いないにもかかわらず出迎える悪魔のシスター達に敢然と戦いの挑むのが本編。まぁ、普通の宗教バトル戦。

 

そして無事封印をし、三人は脱出するのだが、実は悪魔はフレンチに憑依していて、まんまと外の世界へ出る。二十年後、悪魔付きにあった一人の男フレンチの映像が何かの学会で説明されている場面でエンディング。

 

物語はかなり取ってつけたようなところがあり、無理やりのちの死霊館の出来事につなごうという感じで、ホラーシーンも今時目新しくもない展開、アイリーンが選ばれた経緯も弱いし、バーク神父の人間ドラマもしっかり描写されていない。マンネリですね。まぁ気楽な娯楽映画なので良いとしましょう。

 

f:id:kurawan:20180925190359j:leftスカイスクレイパー

「ダイハード」と「タワーリングインフェルノ」を混ぜ合わせたその場限りの娯楽映画という感じですが、とにかく舞台がやたら高いので、ハラハラドキドキばかりの見せ場を並べ立て、結構退屈しなかった。監督はローソン・マーシャル・サーバー

 

主人公ウィルが誘拐事件の現場に踏み込んだが犯人が爆弾を持っていて爆発、瀕死の重傷で片足を失った場面から映画が始まる。

 

そして、退職して危険管理コンサルタントの会社を立ち上げたウィルは、知人のコネで香港に完成した超高層ビルディングの危険管理の仕事を依頼され家族とともにやってくる。ところが、このビルのオーナージャオは犯罪組織のボス、ボタに金を揺すられ、その対抗策としてその男のマネロンの情報を密かにこのビルに隠していた。

 

ウィルがビルで点検し、別に場所に移動したあと、ボタたちはビルに潜入、火事を起こす計画を立て実行に移す。ところが、それに先立ち、子供の体調不良でこのビルの宿泊施設にウィルの家族が戻っていた。

 

しかも、ビルのセキュリティ操作のできるタブレットをウィルは盗まれ、ボタたちがハッキングして利用したため、ウィルが疑われる羽目に。一方でウィルの家族が危険になり、ウィルは単身、消化システムがダウンした高層ビルに向かって行く。

 

あとはもう、クソ高い場所で、人間離れしたドゥウェイン・ジョンソン扮するウィルの大活躍。ハラハラドキドキのご都合主義シーンの連続で、ボタたちの組織の全貌とか、ビルオーナーのジャオの描写などどこ吹く風のワンマンショー。しかも、生体認証、顔認証と最新テクノロジーのセキュリティなのに、ジャオが大事なものを隠しているのがダイヤル式の旧式金庫には笑ってしまった。

 

結局、無事全て終わって大団円なのですが、なんとも適当な脚本と中身のないストーリーは、あまりにも目の前の利益追求だけの大作というのがまさに今時の中国資本映画という感じでした。

映画感想「コーヒーが冷めないうちに」

kurawan2018-09-24

コーヒーが冷めないうちに
もっと、薄っぺらい映画かと思っていましたが、意外と演出のリズムがしっかりしていて面白い作品になっていました。原作の活字を映像イメージに変換するテンポが良かったと思います。ただ、もう一歩物足りなさが見えたのと、テレビスペシャルの域を出きれていなかったのが少し残念です。でも泣きました。監督は塚原あゆ子

電車がスローモーションですれ違うショットから、街の風景がゆっくりと動く映像で幕を開ける。ここフニクリフニクラという喫茶店では、ある席に座ってコーヒーを飲むと望んでいる過去に戻れるという都市伝説があった。半信半疑の大学生新谷亮介がマスターと話しているシーンから物語が幕を開ける。一人のOL清川二三子が一週間前に戻ってアメリカに旅立った幼なじみに会いたいという。過去に戻れる席には一人の女性が座っていて、彼女が席を立った瞬間しかそのチャンスがないというウェイトレスの女性数の説明に、二三子はそのタイミングで座る。

過去に戻れるのは、数が入れたコーヒーが冷めるまでで、その間に飲み干さないと現実の時間に戻れず幽霊になってしまうのだという。二三子は勇気を出して過去に戻り、幼なじみに会うが、言い切れないうちに現代に戻ってしまう。しかし、言い切れなかったことはこれからの未来で言うことにして、二三子は前に進む。

ここに、アルツハイマーでその席を待つ佳代という女性がいる。毎日、夫の房木がやってくるのだが、ある時、喫茶店の閉店後にやってきたとき、たまたま席が空き、房木は過去に戻り、三年前、妻が渡したかったという手紙を受け取りに行く。そして、妻は房木にバースデーカードを渡す。そこには自分の病気のことも書かれていた。房木は、過去の妻を励まし、現代に戻り、いままで知らぬふりで妻と接していたのをやめて、改めて妻として接するように結審する。

ところで、過去に戻れる席に座る女性は誰かというと、実は数の母親であった。数の母は数の父親に会ったまま、コーヒーを飲み干さず幽霊になったと思っていた。数は自分が入れたコーヒーで戻らなくなった母に罪悪感を持っていた。

ここに、スナックを経営する平井八絵子という女がいる。田舎には仲のいい妹がいて、彼女が老舗の旅館を継いでいたが、ことあるごとに八絵子を連れ戻しにこの喫茶店に来ていた。あるとき、この妹が事故で死んでしまい、八絵子は一言謝るために過去に行く。そして、戻ってきた八絵子は妹の後を継いで旅館の女将になる。

大学生の新谷はこの喫茶店に通ううちに数と仲良くなり付き合い始める。やがて新谷も社会人となり、数のおなかに赤ちゃんができる。しかし、母への罪悪感に悩む数は複雑な気持ちになる。過去に戻って母に会いたいが時田家の女性が入れたコーヒーでないと時間の移動ができない。マスターはあの席に座れば過去のみでなく未来にもいくことは可能だと新谷に話し、それをヒントに新谷は数にある計画を実行する。

数が新谷の言われるままに早朝の喫茶店に行くとそこに一人の少女がやってきて、私がコーヒーを入れるからと、数にあの席に座らせ、数をさかのぼらせる。なんとこの少女は未来の数の娘だった。数の娘の力で数を過去に行かせたのだ。

数は、過去に戻り、母が何故戻れなかったのかを知る。余命三か月と知った母は、娘の将来を心配し、あの席から未来へ行く、そして、そこでトラブルで戻るタイミングを逸したのだった。

すべてを知った数は、母の元から戻り、やがて新谷との間に子供が生まれ、幸せになっていく。

映画は、ここで終わります。数と新谷のラブストーリーをさり気なく一本の話として通して、不思議な席で繰り返される感動のドラマを枝葉に配置した脚本がなかなかうまい。ただのエピソードの羅列にしなかった構成が映画を一本の作品としてまとめたという感じですね。もうひと工夫あれば傑作になりそうな出来栄えでした。有村架純がいい雰囲気を出していました。

映画感想「鏡の中にある如く」「若い女」

kurawan2018-09-21

「鏡の中にある如く」(デジタルリマスター版)
見事な映画ですが、やはり眠気が襲ってくる。淡々と語られる物語の背後に潜む人間の不安、いまにも壊れそうな心の葛藤、そして寒々とした景色、これがイングマール・ベルイマン監督の映画である。

作家のダビッドとその娘で、心の病があり、先日退院して海辺の家に来たカーリン、そしてその夫のマーチン、カーリンの弟のミーナスがこれから夕食を取ろうとしている。

ダビッドは先日帰ってきてみんなにお土産を渡すのだが、形式的に買ってきたのでどれもサイズが合わない。それでも子供たちはそのことを言わずお礼を言う。そして自分たちで稽古したお芝居をお礼に披露する。

カーリンは時折、囁き声が聞こえ、二階の部屋に一人で上がる。そこに神が現れるのだという。
医師のマーチンはそんなカーリンに不安を覚えるが暖かく愛している。

ある時、カーリンは父の書斎の引き出しから日記を見つけて読む。そこには、カーリンの病が治る見込みがない事、その様子を観察し続け、自分の本にしようと考えていることが書かれていた。

カーリンは次第に不安になり、心の平安が崩れ始める。そして弟のミーナスをからかううちにとうとう体をかわしてしまう。

しだいに壊れて行くカーリンに、マーチンは町の病院に移る決心をする。そして荷造りを終えたのだが、カーリンはまた一人二階の部屋に行き、神を迎えようとする。そして、絶叫とともに壊れてしまう。

マーチンは安定剤を注射し、カーリンをヘリコプターに乗せる。残ったミーナスは父とカーリンたちを見送る。父ダビッドは、カーリンは神とともにいると話す。愛こそが神だと告げる。父の言葉にミーナスは、父が話してくれたと目を輝かせ振り返って映画が終わる。

カーリンが神を待っている部屋の外にヘリコプターが降りてくるシーン、それまで自然の景色と人間のみの映像に飛び込んでくる文明の機械のカットのインパクトの強さ、カーリンがミーナスを誘う時の浜辺に打ち上げられた難破船のカットなど、どきっとさせるものがあるし、美しいカメラ映像との対比で描かれる一人の女性の壊れて行く心の物語は、さすがに陶酔感を生むものの、超一級の仕上がりを見せてくれます。やはりベルイマンはすごい。


若い女
ちょっと面白いリズム感のある映画でした。オープニングから何気なく引き込まれて、主人公ポーラの女性像に共感こそしないものの、こういう今時女子もありかなと思えるオリジナリティが面白かった。監督はレオノール・セライユ

いきなりポーラがドアを叩いているシーンから映画が始まる。10年付き合っていたジョアキムに部屋を追い出されて喚いているのである。それでも入れてくれないので仕方なく離れる。そばに猫のムチャチャがいたのでその猫を連れてパリを放浪。

たまたま幼馴染と間違われた女性と食事をして、おどけた格好でバーで遊び、猫を飼ってるからと友達に追い出され、安宿も追い出される。下着売り場で仕事しようとしたら断られ、成り行きで、ある家のベビーシッターになることに。

なんとか生活する場所を見つけたものの、どこかふわふわと地に足がついていない感が、どうなるのかと思うよりも、こういう生き方もありなのかなと思ってくる。下着売り場の同僚の黒人と親しくなるが、だからと言っていい仲に進展もしない

やがてジョアキムの子供ができていることに気がつくし、追い出した割には気にして何度も電話してくるジョアキムもよくわからないのだが、一方そんな男を逆に袖にしてしまうポーラの女性像も新鮮。

結局一人でタバコを吸う彼女のカットでエンディング。

自立したというような強い女ではなく、と言って周りに媚びるわけでもなく、と言って、落ち込んでいるわけでもない。そんな新しい形の女を斬新なリズムで描いたオリジナリティが新鮮でした。

映画感想「冬の光」「秋のソナタ」

kurawan2018-09-20

「冬の光」(デジタルリマスター版)
何年かに一度見ていますが、流石にこの作品のカメラの美しさには息を呑みます。冒頭の寒々とした雪景色の中に浮かぶ教会のカット、主人公トーマスが礼拝をする教会の中のシンメトリーな構図、窓の外をじっと見るトーマスの横顔がハイキーな露出で薄くなり、また礼拝堂でその場に崩れたところ、窓の外から日の光が差してくる演出など素晴らしい。言うまでもなく監督はイングマール・ベルイマン

美しい教会のカットから、中では主人公トーマスがミサを行なっている。風邪で体調を崩し、しかも四年前に妻を亡くしてからは日々神の存在に疑問を持ったまま過ごしているので、ミサにも力が入っていない。教師で恋人のマルタはそんな彼になんとか寄り添おうとするがトーマスに救いが見えない。

一人の信者がミサのあと夫の悩みを聞いてやってほしいというので、のちほどくるようにとトーマスは告げる。そして遅れたもののやってきた男にトーマスはこれまでの自分の苦悩を打ち明けて励まそうとする。しかし、その帰り道男は拳銃自殺してしまう。男に自分を重ねてしまうトーマス。

トーマスはその男の妻に死を知らせ、離れた地でその日の二ツ目のミサを行う。冒頭と同じカットでトーマスは「神はこの地に栄光をもたらしている」と語り映画が終わる。

神の存在に疑問を持ち、その救いをどこに求めればいいか苦悩するトーマスを通じて、果たして神は存在するのかを問いかけるベルイマンの筆致は素晴らしい。ズヴェン・ニクヴェストの見事なカメラと背後の音楽を廃した淡々とした寒々した映像に引き込まれてしまいます。やはり何度見ても傑作。見事でした。


秋のソナタ」(デジタルリマスター版)
素晴らしい映画ですが、ひたすら会話劇が続く終盤は流石に眠くなってくる。それでも、美しい映像と細かいカットの切り返しから続く延々とした会話の応酬、そして細かいカットの切り返しという斬新な演出のテンポは本当に圧倒されます。監督はイングマール・ベルイマン

エヴァが母を呼び寄せる手紙を書いている姿を夫が説明するオープニングから映画が始まる。母は著名なピアニストで、若い頃から娘のことに目を向けていなかったが、母に会いたいと言う気持ちで呼び寄せたのである。

そして母のシャルロッテがやってくるが、開口一番、エヴァは妹のヘレナも引き取ったと告げる。ヘレナは体が不自由で口も喋りづらい障害があり、施設に入っていたのだ。しかもシャルロッテはそんなヘレナを憎んでさえいた。

しかしシャルロッテはヘレナにも母としての愛情表現をする。しかし、エヴァは事あるごとにシャルロッテに、子供時代からの恨みつらみを語り始める。

二階のシャルロッテの苦悩と一階のエヴァの思いを細かいカットの切り返して描く前半の映像、素朴ながらも美しく配置された室内の構図と色彩演出に並々ならないクオリティを実感してしまいます。

クライマックスはシャルロッテへのエヴァの延々とした恨みつらみとそれに対するシャルロッテの返事が描かれて行く。そして、シャルロッテは帰って行く。

列車の中で付き人に本音を語るシャルロッテ。母を送り出して元の生活になったエヴァ。二人のカットとセリフが冒頭と同じく細かい切り返しの編集で描かれて行く。そこに交わるものはないのかもしれない。

ほとんどが会話劇という構成ですが、全体が見事にまとめ上げられているし、これこそ映画づくりと言わしめる傑作だと思います。