くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「生きてるだけで、愛。」「モダン・ライフ・イズ・ラビッシュ ロンドンの泣き虫ギタリスト」

「生きてるだけで、愛。」

これは、良かった。いつもの、暗い青春ドラマかと思っていたら、どんどん引き込まれてしまう。特に、寧子を演じた趣里の演技が抜群に面白いので、のめりこんでしまいます。また津奈木を演じた菅田将暉も良い。脚本もカット割りの切り返しも最高。掘り出し物でした。監督は関根光才

 

過眠症で、全く目が覚めない寧子が今日もぼんやりと目を冷ますところから映画が始まる。ゴシップ雑誌に勤める津奈木はいつものように会社に行くが、社員が一人入院し、何もかも自分に仕事を振られて辟易としている。

 

寧子の姉からは、いい加減に仕事につきなさい等のメールが来ているが、変わろうと思うが変われない自分に苛立つ寧子。寧子を演じる趣里の目の演技、さりげない顔の動きなど、驚くほどに個性的でチャーミングなので、引きこもりの鬱の女性なのにどこか憎めない。

 

なんとかご飯を作ろうとスーパーに行くが、何をやろうとしても裏目に出てしまう。しかも、ブレーカーが落ちて停電し、二進も三進もいかなくなって、うずくまったところに津奈木が帰ってくる。

 

ある時、一人で家にいる寧子のところに安堂という津奈木の元カノが現れ、行きつけのカフェで、寧子に別れろと迫る。安堂を演じたのは仲里依紗だが、久しぶりに仲里依紗の演技力を見た気がした。詰め寄る安堂とはぐらかす寧子の絶妙の掛け合いが最高なのである。

 

そして、勢いで、そのカフェバーで寧子は働くことになる。寧子も必死で遅刻しないよう努力するが、つい、眠ってしまう。しかしそんな寧子を暖かく見守るカフェの村田たち。

 

一方津奈木の疲労は限界が来ていて、ある時、とうとう切れて会社のパソコンを投げてしまいクビになる。同じ日、村田たちとアットホームに食事し始めた寧子は、だんだん、このまま大丈夫なのではと思い始めるが、たまたまウォシュレットが怖いと話したことを冗談のように応えられ、突然トイレに駆け込んでしまう寧子。

 

そこに姉からのメールが届くが、不安な返事をしてすぐに津奈木に電話する。津奈木は、会社を出る時で、その電話を取る。村田たちが心配でドアを叩く。思わず電話を落としてしまう寧子はそのままパニックになり、トイレを飛び出し夜の街を走る。津奈木がその後を追いかけるが、寧子は、服を脱ぎながら走り、とうとう家に着く時は全裸になっていた。

 

そして屋上で、津奈木は寧子を抱きしめる。部屋に入る。津奈木がエアコンのスイッチを入れるがまたブレーカーが落ちてしまう。そしてゆっくり寧子を抱きしめる津奈木。寧子はそのまま立ち上がり全裸で踊り始める。それはかつて、停電の時に全裸で踊っていた母の姿そのままだった。

 

映画はそこで終わる。人間は人それぞれ生きている。そのわかりきったところをいつの間にか自分たちの考えだけで接しているためにいつの間にか誰かを傷つけているのではないだろうか。そして、ただ、裸のままに生きていることこそが、愛なんじゃないかと思います。なんだかとっても気持ちが楽になる不思議な作品でした。

 

「モダン・ライフ・イズ・ラビッシュ ロンドンの泣き虫ギタリスト」

いい映画なのに、いい感じで進んでいくのに、終盤でリズムが崩れてしまって、だらけてしまった。使い古されたストーリーですが、音楽がいいので見れる感じ。本当にもったいない。監督はダニエル・ジル。

 

ミュージシャンのリアムと恋人のナタリーのシーン。広告会社で生活を支えながらのナタリー。昔ながらのCDやレコードにこだわりながら音楽活動を続けるリアムだが、最近は二人の間にすれ違いが起こり、別れることになった。ナタリーが荷物を整理しているが一向に動こうとしないリアム。よくある場面から映画が始まる。

 

ダンボールに詰められるCDなどの場面に重ねて、二人の馴れ初めからの物語が展開して行く。

 

レコード店で出会った二人は、同じバンドを好んでいたこともあり急速に接近。レコードやCDにこだわり、いまどきのiPodなどを断固拒否しながら音楽活動を続けるリアム。しかし、なかなか目が出ない。やがてナタリーは広告会社に就職し生活を支え始めるが、リアムの本気度が見えてこない中次第に心が離れていく。

 

そして今日が来たのである。ナタリーにはすでに会社で恋人ができ、フェレンツェへ行こうと誘われている。リアムは、チャンスとなったライブで、途中で泣き出してしまう。いまだにナタリーが忘れられないのである。

 

そして、マネージャーの一言で我に帰ったリアムは、無駄なものを捨て、iPodも取り入れ、ナタリーを呼び戻す企画を練る。

 

そんな頃、ライブでの泣き出したギタリストリアムの映像がネットで話題になりはじめる。ナタリーはフェレンツェへ旅立つ日、友人からのメールでその映像を知る。そしてリアムから小包が届く。ナタリーの恋人は、全てを理解し一人フェレンツェへ旅立つ。ナタリーは小包の示す通り街を進むと、そこにリアムが待っていた。

 

ラストはとってもロマンティックで素敵なファンタジーなのに、二人が疎遠になって、ナタリーは会社で恋人ができ、リアムは自暴自棄にとりあえず働く数分のシーンが妙に間延びしているのが本当に残念。ここはもうちょっと畳み掛けてもよかったのではないかと思います。

 

いい感じの青春ラブストーリーですが、監督のセンスの弱さが露呈した感じでした。

映画感想「アンナ・カレーニナ ヴロンスキーの物語」「ビリオネア・ボーイズ・クラブ」

アンナ・カレーニナ ヴロンスキーの物語」

つまらないわけではなかったけれど、話がよく理解できないのと、やや長く感じた。ロシア映画らしい一本でした。監督はカレン・シャフナザーロフ。

 

時は日露戦争満州の野営病院に勤めるアンナ・カレーニナの息子セルゲイのところに、かつて母の愛人だったヴロンスキー伯爵が運ばれてくる。カードをしていて爆弾に被爆したのだと言う。

 

若い頃からひたすら恨みを抱いていたセルゲイは、母が列車に飛び込んだ経緯を訪ねるためにベッドの傍に行く。

 

物語は、フラッシュバックで回想していく展開となり、時折、満州の地を挿入しながら流れていく。

 

セルゲイの母アンナはヴロンスキー伯爵と恋に落ち、すでに社交界でも噂されるまでになっていた。アンナの夫カレーニンは世間体と自尊心から彼女との離婚は拒否する。それでもアンナはヴロンスキーと離れることはできず、やがて妹アーニャを産み落とす。

 

まだ幼い息子セルゲイのことが気になりながらも、全てを捨ててヴロンスキーのもとに行くことを決心するアンナ。しかし、全てを捨ててヴロンスキーの元に走ったアンナだが二人の愛情は冷め始めていた。

 

アンナ・カレーニナの話をほとんど覚えていないのですが、自殺するに至る経緯の描写がなんともわかりにくく、満州での中国人少女のエピソードなど奥の深い脚本になっているものの、どうもわかりづらいままに、日本軍が満州に攻めてきて、撤退するセルゲイ、残って交戦するヴロンスキーの姿で映画が終わる。

 

お金がかかってるので退屈しない映像ですが、もうちょっと話をシンプルにしたほうがよかったと思います。

 

「ビリオネア・ボーイズ・クラブ」

もうちょっと軽いタッチの映画かと思っていたら、やたら陰惨な作品だった。実話ということだから、こう言うことなのだろう。監督はジェームズ・コックス。

 

ディーンが高校時代の同級生ジョーと偶然出会うところからいきなり映画が始まる。高校時代に培ったテニスで、様々な方面の人脈を作り、その人脈を使って言葉巧みに小金を稼ぎ、羽振りのいい暮らしをしているディーンは、しがないディーラーをしているジョーを誘って、投資事業を始める。

 

資金を確保するために、ディーンの顔で、大勢のセレブと渡りをつけ、まず金に投資し、さらに友人を集めて資金を得ようとした矢先、金相場が暴落。しかしそれを逆手にとって、元金を返さず儲けだけを支払う投資詐欺を始めることになる。

 

そしてさらに飛躍のためとかつての投資家への配当支払いのため、次の大口投資家ロンのところへ向かう。そしてまんまと仲間に引き入れたかに思われたが、なんと、ロンは金など持っていず、彼らを騙して、銀行から資金を調達していた。

 

真相がわかりロンのところで詰め寄ったジョーだが、誤ってロンを殺してしまう。そこでディーンとジョーはさらに資金を得るために、アラブの巨大資金を持っている知り合いに近づき、その父を説得しようとするが、気が変わって断られる。思わずディーンがその男も殺してしまう。

 

こうして、どうにも行き場がなくなったところ、とうとうジョーたちは逮捕される。そして、ディーンは取引をしてジョーが首謀者だと訴えるところで映画が終わる。

 

こう言う事件があったのだと言う作品で、話はスピーディだが、キレがあるわけではなく、ただエピソードが次々と羅列されていくだけで、彼らがいかに巧みに資金を増やしたかに見せた面白さは描けていないのは残念。退屈はしないけど、それ以上ではなかった映画でした。

 

映画感想「アンクル・ドリュー」「ガンジスに還る」

「アンクル・ドリュー」

映画作品としての出来はどうか知りませんが、楽しい映画でした。監督はチャールズ・ストーン3世。

 

ストリートバスケのコーチをしているダックスが、自分のチームのスターをライバルに取られるところから物語が始まる。

 

自腹を切りながらチームを育ててきたが、若い頃のトラウマで選手を断念しているダックスは、落胆したままストリートバスケットの試合を見ていて、突然飛び出した老人に目を引かれる。その老人はいとも簡単に若者をこけにしてしまうアンクル・ドリューというかつての名選手だった。

 

ダックスはなんとか彼を説き伏せ、彼の条件を飲んで、バスケットの試合に向けて選手を集め始めるが、ドリューの知り合いは誰も彼も今や老人で、動けるのかと思うくらいのよぼよぼじいさんだった。

 

まぁ、展開は予想がつくし、予想通りに展開して、最後はライバルのチームに勝って優勝。老人たちは若者に夢を与えてエンディング。

 

わかりやすい物語で肩が凝らないし、予想がつくとはいえ、元NBA選手が老けメイクで出演しているため、試合シーンも迫力あって面白い。軽いタッチの作品ですが楽しめました。

 

ガンジスに還る

いい映画ですが、さすがにこういうインド独特の風習を体で理解していないと入りにくい部分もあり、本当の意味で感動できたのかは正直不安です。ただ、落ち着いた構図、静かながら胸に迫ってくる展開は良い。監督はシュバシシュ・ブティアニという人です。

 

一人の老人ダヤが誰もいない村をさまよう夢を見るシーンから映画が始まる。目覚めた彼は自分の死期が迫ったと判断し、ガンジス河畔のバラナシに行くと言う。そこで彼に付き添い、息子のラジーヴが行くことになる。

 

バラナシへついたものの、ダヤがいつ死ぬのかは全くわからないままに日が過ぎていき、仕事を休んだラジーヴにはひっきりなしに携帯で電話が入る。

 

しんみりしたシーンに携帯の音がなる繰り返しがなんともユーモアがあって楽しいが、一方で、死を目の前にしたダヤが現地の老人たちとどこか楽しそうに過ごす姿も微笑ましい。

 

しかしダヤは、その死期を悟っており、どこか真摯な振る舞いになりところもあり、若い頃から息子と語り合うこともなかった様子が垣間見られてくる。

 

着いてすぐダヤは熱病にかかるが快復、ラジーヴの娘は婚約していたが、突然の連絡で中止となったりと若干の波風もあるものの中心の流れは静かである。

 

そして、ラジーヴはダヤの勧めもあり一旦帰ることにするが、戻ったものの気がかりなラジーヴは再度ダヤの元へ。しかし間も無くしてダヤはこの世を去り、遺体を担ぐラジーヴと家族たちの姿で物語は終わる。

 

死に対する人間の尊厳、考え、人生が凝縮されたような作品で、しみじみと心に迫るラストシーンですが、果たしてこの映画の良さを本当に理解しているのかはなんともいえません。でも良い作品でした。

 

 

映画感想「GODZILLA 星を喰う者」「ういらぶ。」「その口紅が憎い」

GODZILLA 星を喰う者

理屈と講釈だけで、緩急もなくダラダラとした脚本に辟易する作品で、自己満足だけで完結するストーリーに参ってしまった。

ここまで来ると、退屈を超えて呆れてしまう作品。

 

ゴジラによりなすすべもなくなった地球の人々。ゴジラは次のためにエネルギーを蓄え休眠状態になっている。メトフィエスはこの地球を全て食い尽くすために、ギドラを呼び寄せる。

 

やがて時空を超えたやってきたギドラにゴジラは立ち向かうが歯が立たない。ハルオがメトフィエスの策略を制し、ゴジラがギドラに勝って大団円、ハルオはゴジラに体当たりをして映画が終わる。

 

という骨子の話だが、ひたすら、延々と理屈が語られるままで、しんどいより、呆れるのだ。こんな映画作って、誰に見せたいのかと思った。

 

ういらぶ。

たわいのない青春ラブストーリー。人気コミックの映画版という今時よくある映画でした。監督が佐藤祐市なので見に行ったレベルで、普通の作品でした。

 

幼馴染でイケメン、美少女の四人組が織りなす不器用な恋物語。単純そのもののわかりやすいストーリーと、これという工夫も飾りっ気もないラストシーン。

 

何をどう感想書こうかというレベルの映画でしたが、キャラクターの造形が映画らしく仕上がっていて楽しかったです。

 

「その口紅が憎い」

一昔前の大人のサスペンスという感じの映画。橋本忍の脚本らしいサスペンスと人間ドラマの入り混じった構成が面白い映画でした。脚本は国弘威雄との共同、監督は長谷和夫。

 

株式市場のシーンから、小さな経済新聞社を営む主人公倉本の、いかにも人相の悪い表情にカットが変わって映画が始まる。ここに偽ドルが見つかったという記事、そして逮捕された犯人らしい男は実は無罪だったと追う展開が紹介される。これが伏線なのですがラストまでわからない。

 

倉本はこの疑われた男を調べ始める。しがない新聞社が大儲けするためのネタ拾いかと思わせる導入部。しかし、家まで押しかけて取材しようとしたところ、男は殺されていた。容疑をかけられた倉本は警察署で、昔からの知り合いの刑事宮下と出会う。

 

倉本は釈放され、独自に偽札の特ダネ探しを始めるが、ここに一人の女及川が現れる。どうやら彼女は偽ドルを闇で裁くことができるルートを持ってるらしいと突き止め、嘘の取材などで彼女に近づくが、全て彼女に見破られていた。

 

そして、逆に自分の大きな勝負の話をする。及川が勤める会社は闇ドルの取引に関わっており、1億5000万の大きな取引が控えていた。それをまんまと横取りし、海外に脱出するというものだった。

 

及川はその取引の時に及川と同席する会社の上司を倉本の手引きで殺させ、一緒に海外に逃げようと誘う。そして計画は実行されるが、空港で待つ間、倉本は改心し、宮下に知らせようとする。宮下は倉本の部下から倉本の不審な動きを通報されていて、倉本のそばに来ていた。

 

一方タラップの前で及川は待つが倉本が来ない。その間に闇ドルの組織のスナイパーが及川を撃つ。

 

エピローグ、宮下は部下の刑事に倉本の妹の話をする。倉本の妹は音楽留学でフランスに行ったが持って行ったドルの一部が偽物だったため現地で疑われ自殺したのだ。しかし、その復讐で倉本が及川に協力したのかは不明。大金と美女を目の前にし、正義を優先した倉本の苦悩を語る。そこへ、倉本から及川の容態を聞いてくる。宮下は及川は無事だと返事する。

 

倉本は及川と一緒に飲んだバーでカクテルを飲み及川の現れるのを待ってエンディング。無事であったとしても逮捕されるのだからくるはずがないので、このラストはあれ?と思うが、それは無視しても、ちょっとロマンティックなラストだと思う。

 

荒っぽいところもないわけではないですが、最近の薄っぺらいサスペンスに比べればずっと映画的でロマンティックな映画でした。

 

映画感想「ボヘミアン・ラプソディ」「ジョニー・イングリッシュ アナログの逆襲」

ボヘミアン・ラプソディ

1991年、45歳で亡くなったロックバンド「クィーン」のボーカル、フレディ・マーキュリーの伝記。素直にクライマックスのライブ・エイドのコンサートシーンでは拍手してしまいました。盛り上がりました。良かったです。監督はブライアン・シンガー

 

主人公フレディがバンドメンバーと知り合うシーンから映画が始まる。そして恋人メアリーとも知り合う。余計な前提をなくし、主要キャストを一気に登場させ本編へなだれ込む導入部がまずはファン心を掴んでいて心地よい。

 

あとは、次々とバンドが成功して、やがてクィーンの名前になり、脚光を浴びていく。映画は、様々な名曲誕生のシーンを的確なタイミングと長さで挿入していく。

 

一方でフレディが、ゲイであることを自覚し始め、さらにエイズに感染していることも描写、そして、酒に溺れ、グループを抜け、没落していくかに思われるフレディがメアリーの言葉に目覚め、再度クィーンに復活、そしてライブ・エイド出演というクライマックスへの畳み掛けも無駄なくていい。

 

フレディを演じたラミ・マリックの熱演もさることながら、フレディ本人の歌声が次々と流れてくると、涙なし見れません。アメリカという国は本当にこの手の音楽映画を作らせると上手いなといつも思います。

 

映画の完成度云々より、クィーンの映画ということにのめり込むことができる映画だった。爽快。

 

「ジョニー・イングリッシュ アナログの逆襲」

ローワン・アトキンソンの人気シリーズの七年ぶりの第三作目、軽い映画を見ようと出かけたが、流石にローワン・アトキンソンも演技にキレがなくなったし、先の読めるギャグばかりで脚本もイマイチで、大した出来じゃなかった。監督はデビッド・カー。

 

突然英国の情報組織MI7のコンピューターがハッキングされ、諜報員の全データが漏洩してしまう。事態を重く見た首相は、引退した諜報員を招集する。

 

小学校で子供達を教えるジョニー・イングリッシュにも招集がくる。

 

最新テクノロジーを使いこなせないジョニーは相棒のボフと昔ながらのアイテムを駆使し、ハッキングの犯人の追求を始める。

 

世界中の情報網を一手に手に入れるためイギリス首相に取り入った犯人はG12会議で世界の首相を脅して、情報網を掌握する計画だった。

 

例によってのドタバタ展開で、最後はハッピーエンドになるが、ジョニーのギャグが全て先読みできる上に、かつてのキレがないので、インパクトのないギャグの連続で笑えない。アナログと最新テクノロジーの生み出す面白さも全然ない。流石に名優も年には勝てないの典型的な出来栄えの映画だった。

 

映画感想「パウロ 愛と赦しの物語」

パウロ 愛と赦しの物語」

正直言って本当に退屈な映画でした。映画になっていないと言われればそれまでですが、これという展開の面白さもないし、話にポイントもないし、画面は暗いし、前半何度も眠気が襲ってきてしまいました。監督はアンドリュー・ハイアット。

 

時はローマ皇帝ネロの時代。圧政でキリスト教徒は迫害され、残虐な方法で処刑されている。紀元67年ローマの街が大火に見舞われ、その犯人をキリスト教徒と断言したことからさらに迫害がエスカレート、ここにキリストの使徒であるパウロも牢につながれることになる。

 

ギリシャ人で、様々なコネもある医師ルカはパウロの教えを書き留めるべく、門番を買収して度々パウロを訪ねるようになる。

 

ここに、この地の執政を任されたローマ軍司令官マウリティウスがやってくる。彼の娘は病に伏せっていたが、ローマの神を信じ、その力に頼っていた。しかし、ある時苦しむ娘を見たマウリティウスはとうとう医師のルカを頼る。ルカは投獄された人々を助けることを前提に娘を助ける。

 

やがて、パウロは処刑されるが、死してのち、パウロはキリストの姿を見ることになり映画が終わる。

 

かつてはこの手の史劇は、大スペクタクルがほとんどだったが、今回の作品は、どちらかというと信仰と人間ドラマとして描かれている。かなり地味なストーリーということもあり、また画面も特に秀でたものではないこともあり、ラストまでしんどかった。

映画感想「十年 Ten Years Japan」「赤毛のアン 卒業」

「十年 Ten Years Japan」

石川慶監督の「美しい国」、木下雄介監督の「いたずら同盟」、津野愛監督の「DATA」、早川千絵監督の「PLAN75」、藤村明世監督の「その空気は見えない」の5作品をオムニバスで描く。

 

どの作品も可もなく不可もなく、それぞれの作家の個性的なメッセージも映像表現もなく、一体なんのためのオムニバスかと思うようなまとまりよう。テレビの「世にも奇妙な物語」の方がよっぽど映像で遊んでいる気がする仕上がりだった。

 

要するに、映像表現の個性の競作ではなく、またメッセージの競作でもないということなのだろう。もうちょっと楽しめる映画かと思ったが、ちょっと残念でした。

 

赤毛のアン 卒業」

前作の続き、高校入学、さらに卒業から教師に道へ進む主人公アンの物語。柔らかい色調で落ち着いた映像で見せる上品な味わいは前作同様。今回はライバルギルバートとの競い合いがやや鼻についた展開でしたがおもしろかった。監督はジョン・ケント・ハリソン

 

教師を目指してクィーン学院を受験したアン、下宿先でホームシックになったりと、素直なキャラクターを真正面から捉えていく。

 

しかし一方、育ててくれたマシュウはよる年波に勝てず、ある時倒れたまま亡くなってしまう。働き手のなくなったグリーンゲイブルズではマリラは家を手放す決心をするが、アンは大学を諦め、家を手伝いながら教師になる決心をして映画が終わる。

 

本当に素直でわかりやすい物語だし、柔らかい画面が見ている私たちを癒してくれます。派手な作品ではありませんが、良質の一本という印象の映画でした。