くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「デス・ウィッシュ」

デス・ウィッシュ

オリジナルの「狼よさらば」はテレビでしか見たことがありませんが、やはりチャールズ・ブロンソンのアクの強さはブルース・ウィリスでは物足りなかった。でも、普通にアクション映画として面白かったからよしとしましょう。監督はイーライ・ロス

 

シカゴの街で警官が撃たれ搬送されるシーンがスピーディに描かれて映画が始まる。担ぎ込まれたのはポール・カージーが医師をしている病院。警官は死亡、この町の犯罪の現状をまず的確に見せる。

 

ポールの娘と妻の幸せそのもののシーンが続き、彼らを密かにターゲットにする悪者らしき男たちの影が描かれる。そして、夜、ポールが不在の日に、妻と娘二人だけの家に強盗が押し入り、金だけ取るつもりが娘の抵抗に遭い、妻と娘が撃たれてしまう。

 

ポールの病院に担ぎ込まれたが、妻は死亡、娘は昏睡状態となる。ポールはなかなか犯人が捕まらないのに業を煮やし、自ら夜の街で犯罪者を罰し始める。もちろん、最終目標は妻を殺した犯人である。このポールが立ち上がる動機付けがいかにも弱く、すでにある原作通りの段取りで進むのが少し不自然。

 

夜の街で犯罪者を罰していくくだりが市民から支持を集めるが、この辺りも実に弱い。1974年のオリジナルの頃と違い、インターネットの普及もあるのかもしれない。

 

やがて、ターゲットの手がかりを掴み、一人また一人倒していく。一方警察も、犯罪者を罰している死神と呼ばれもてはやされる男の正体に近づきそうで近づかず、突然、ポールが容疑者に上がるものの確証がない。この辺の脚本がちょっと甘いので、なんでポールが捕まらないのかと思い始めてしまう。

 

やがて最後の一人と銃撃になるが、怪我させただけで、自分も撃たれ、病院へ。そこへ、ターゲットの男も搬送される。ポールの娘の意識が戻り、自宅に戻るが、犯人は口封じのため家にやってくる。それを迎え撃つポールとの銃撃戦がクライマックス。

 

やがて侵入してきた三人を返り討ちにし、警察が来るが、ポールを逮捕せず、真実がわかっていながらも目を瞑るラストとなる。

 

原作の面白い部分のエッセンスのみ取り上げた仕上がりになっているので、エピソード集のように展開していくが、それなりにスピーディの楽しめました。

 

 

映画感想「地図のない町」「最後の切り札」「モアナ南海の歓喜」「極北のナヌーク」

「地図のない町」

橋本忍脚本にしてはキレがないように思うのは、ちょっと本来の話を捻じ曲げてサスペンス仕立てにしたときの無理がかかった感じでしょうか。ラストの畳み掛けだけが浮き上がって見えてしまうのも残念だし、少し長く感じてしまうのは物語の構成のバランスが悪いせいでしょう。監督は中平康

 

バラック建てのドヤ街のような街をカメラが縫うように進んで行きタイトル。

主人公の若き医師葉山が隠していたメスを取り出し、何やらことを起こそうとするシーンから映画が始まる。物語は十ヶ月前に戻り、葉山が競輪に来ている。彼の妹が恋人と夜の道を歩いているとやくざ者たちが絡んできて、妹は襲われる。

 

時が経ち六ヶ月前、葉山たちはバラック建ての集落に移り住んでくる。葉山はその地域の笠間診療所に勤めるようになる。この地域に新しいアパートとスーパーを建て良いと強硬な圧力をかけてくる梓建設がある。葉山の妹たちを襲った男たちが梓組の法被を着ていたと聞き、葉山は梓組を恨むようになる。

 

物語は悪徳業者の梓組の執拗な嫌がらせと、地域の人をまとめる人望ある笠間院長との対立に葉山の恨みが絡んでくる展開だが、ともすると葉山の物語が宙に浮いてしまう。

 

そして、時は今、業を煮やした葉山が梓組の社長を殺しに部屋に乗り込むと、メスに刺された死体があった。葉山はその場を逃げるが、実は笠間院長が殺したと判明、笠間院長は自殺してしまう。

 

葉山は梓社長の葬儀の場に赴き、笠間院長の後を継いだこと、悪人を倒す法律はあるが善人を守る法律はないと語らせ映画が終わる。

 

二本の物語がうまく処理されず、映画が長く感じさせる結果になった。橋本忍らしいラストのどんでん返しだけが目立つ仕上がりになった作品でした。

 

「最後の切札」

以前見ていたのだが、間違えてまた見てしまった。ブラックユーモア的な終わり方がちょっと魅力のあるサスペンスで、その不思議な感覚が楽しい一本でした。監督は野村芳太郎

 

詐欺を繰り返しながら金を稼ぐ主人公たち。巨大な新興宗教相手にまんまと入り込んだと思ったが、実は相手が一枚上手で、最後の切り札と思ったものも、先手を打たれていて、皮肉な結末を迎える。こういうウィットに富んだ脚本をかけるのはやはり橋本忍ならではです。

 

今見ればノスタルジーに浸ってしまう街並みの喧騒も楽しみの一つにできる一本。二度目でしたが面白かった。

 

「モアナ 南海の歓喜」(音声付きデジタルリマスター版)

ドキュメンタリーは見ないのですが、ロバート・フラハティの傑作ということで見に来た。

1925年製作されたサイレント作品ですが、1980年に娘のモニカ・フラハティが現地に渡り音声と音楽を加え、2014年にデジタル復元された傑作。ドキュメンタリー映画というのが初めて使われたという作品です。

 

100年前のサモア諸島の島。一家の長男モアナにはファアンガセという婚約者がいる。画面は現地の素朴ながらも一生懸命自然と生きる姿が捉えられていくが、とにかくストーリーがあるのではないかと思うほどに次々と描かれる映像が面白い。

 

ココナッツを取り、罠を仕掛けて獣を取り、海に潜ってウミガメを取る。美しい自然の景色を抜群の構図で切り取り、透き通る海の水をキラキラ輝くそのままにカメラに収める。舟を漕ぐモアナたちの向こうには虹が上がっている。カメラの位置を想像するだけでもワクワクする映像です。

 

そして、画面がモアナとファアンガセの結婚式に向かって、様々な料理を準備し、装飾を準備し、刺青を施し、村人たちの踊りが舞う。

 

とにかく映像にリズムがあるのである。ドキュメンタリーというよりドラマティックな世界。なるほど傑作と納得してしまう一本でした。

 

「極北のナヌーク」

ご存知ロバート・フラハティ監督の代表作の一本。とにかく面白い。次は何が起こるんだろう、次は何をするのだろうとワクワクしてみてしまい、まだまだ見たいなと思うところで映画が終わる。

 

画面を九等分した美しい構図と絶妙のタイミングで展開する出来事。狩をし、雪原を走り、厳しい自然の中の生活なのに笑みが絶えることがない毎日。その素朴すぎる姿にどんどん画面に引き込まれます。

 

カヌーから次々と人が出てくるオープニングがまず微笑ましいのですが、生肉を美味しそうに頬張る姿や無邪気に遊ぶ子供達、人間が人間に見える瞬間が随所に見られます。

 

厳しい北の吹雪が迫り、野営地に戻れなくて、古く放置されたところに避難する。迫る吹雪に真っ白になる犬たちを捉え、犬たちとイヌイットたちが眠るカットでエンディング。

 

なぜこれほどまでに魅了されるのだろう。これがドキュメンタリー映画の傑作だと言われればそれまでですが、もっとその奥にある何かがある気もします。イヌイットたちの笑顔が忘れられません。見てよかったです。

映画感想「ヴェノム」「スマホを落としただけなのに」

「ヴェノム」

話の展開がスピーディなのですが、どうもこの手のシリーズは食傷気味で、キャラクターが変わってもそれほど斬新さもなく、まぁ普通の娯楽の時間つぶし程度にしか楽しめなかった。監督はリーベン・フライシャー。

 

一基の宇宙船が地球に向かって飛んでいるが、突然、態勢を崩して地球に不時着。この宇宙船はライフ財団が地球外生命体シンビオートを捕獲して、その生命体と同化して宇宙に移住する計画のために飛ばされたものだった。

 

しかし、不時着した宇宙船からは四体あるはずの生命体が三体から見つからず、一体が乗組員に同化して脱出するところから物語が始まる。

 

ここに、しがないジャーナリストのエディが、恋人アンが掴んでいた極秘資料から、ライフ社が人体実験を行っているという情報を得てライフ社に侵入する。ところが、ライフ社は浮浪者による地球外生命体との同化実験を繰り返していてエディはたまたま知り合いの浮浪者が捕獲されているのを発見、助けようとするが、どうかしていた生命体がエディに寄生する。

 

エディは、望まずして生命体と同化しながら、生命体ヴェノムもエディの体を気に入ったことから妙な連帯意識が生まれる。

 

一方、ライフ社には、脱出した生命体が宿主を点点として、社長のドレイクに寄生。この寄生した生命体は最強で、残りの仲間を呼び寄せるべくライフ社のロケットを発射しようとする。それを阻止するためにエディとヴェノムが戦いを挑むのがクライマックス。

 

アメーバのような生命体が人間と同化したり変幻自在に変化する様がCGで描かれ、それによるアクションが見せ場になるが、今更目新しくもなく、弱点の高周波の音や炎というのもそれほど効果的に使われるわけでもない。

 

結局ハッピーエンド、エディはヴェノムといいように共同生活になって映画が終わる。まぁ、ネタ切れのシリーズもまだあるのかという主人公という感じです。面白くないわけではないけれど、何を期待するものもない映画でした。

 

スマホを落としただけなのに

原作は知りませんが、脚本が悪いと、こういう映画になるという典型的な作品。サスペンスにもホラーにもドラマになり切れていまい出来栄えがなんとももったいない。監督は中田秀夫

 

主人公の稲葉麻美は富田誠という彼氏と付き合っている。この日もお互い親密なメールのやり取りをしていたが、プレゼン先に急いでいた富田はタクシーの中にスマホを忘れてしまう。ところが程なくして麻美に、拾い主から連絡が入り、麻美はカフェに預けてもらった富田の携帯を受け取りに行く。

 

ところが、この携帯を拾ったのはパソコンのスキルのある異常者だった。一方、髪の長い女性が殺される連続殺人事件が起こっていて、毒島刑事と加賀というパソコンスキルのある新人刑事が捜査をしていた。このキャラクター紹介がいかにも陳腐。さらに携帯を落としてから不審なメールなどが麻美に降りかかり始めるホラー感の描き方も実にありきたり。

 

さらに、加賀が、もしかしたら真犯人なのというフェイクもとってつけたようで適当。もう少し見せ方、描き方があるだろうにというほどあざとい。

 

やがて、麻美の携帯に不審なメールが入り始め、SNSにも、身に覚えのない写真などアップされ始めるが、この辺りの畳み掛けのリズムも全然である。そして、その出来事から富田と麻美の関係が崩れる様も全然緊張感がない。

 

そして、麻美に絡んできたパソコンセキュリティ専門家という浦野という人物はいかにも最初から怪しいのに、安易に自分の携帯を渡すあたりの適当さはちょっといただけない。

 

おそらくと思っていたら、やはり浦野が真犯人で、麻美が拉致されるのだが、助けに行った富田の前で、麻美の真実の姿を告白させる下りも、もう見ていられない。

 

麻美のかつてのルームメイトの山本美奈美は自殺したのだが、実は自殺したのは麻美で、美奈美が麻美に成り代わり麻美の人生を生きてきたことがわかる。麻美は株取引に失敗し、美奈美の名前で多額の借金をし、美奈美の人生も壊した。そこで自ら自殺し、麻美としてやり直すように提案していた。

 

というこの謎解きは、果たして必要?原作があるので仕方ないものに、脚本の組み立ての弱さがいたるところで露呈してくる。

 

犯人は麻美を拉致し、殺す寸前で富田が踏み込み、さらに毒島らも駆けつけて大団円。わあ、なんとありきたり。あれだけ宣伝してた割にこの程度かという仕上がりにがっかりしてしまった。

 

結局、嘘をついていた麻美は富田から離れるが、かつてプロポーズしたプラネタリウムで再会しハッピーエンド。さすがにあの宣伝でこの出来栄えはないよなと思う映画だった。

映画感想「ビブリア古書堂の事件手帖」「嘘はフィクサーのはじまり」

ビブリア古書堂の事件手帖

全体に落ち着いた良質の文芸映画的な空気感を持った映画でした。ただ、クライマックスのありきたりで適当なカーチェイスだけが手抜きにしか見えなかった。監督は三島有紀子

 

吊り橋の家をいく葬儀のシーンから映画が幕を開ける。主人公五浦大輔の祖母絹子が亡くなったのだ。大輔は幼い頃から絹子の蔵書を触っていて頬を殴られたことがあり、以来、活字の本が読めなくなっていた。

 

祖母の意品を整理していて、一冊の本が目につく。夏目漱石の「それから」。裏表紙には夏目漱石の文字と田中嘉雄の名前、そしてビブリア古書堂の栞と若き日の絹子の写真が入っていた。てっきり夏目漱石の筆跡だと、ビブリア古書堂へ持ち込んだ大輔だが、店主の栞子に、この本と祖母の経緯を見事に言い当てられ唖然として帰ってくる。

 

結局夏目漱石の筆跡は偽物だったが、気になった大輔は再び栞子に会いにいく。栞子はおそらく禁断の恋に落ちた絹子が恋人の田中嘉雄にもらったものだろうと推理する。大輔は足を怪我していた栞子を手伝って、書店のアルバイトをすることにし、代わりに活字の読めない大輔に「それから」を読んでもらうことを栞子に提案する。

 

実は栞子には最近、不審なメールが続いていた。栞子の蔵書の中に太宰治の「晩年」という本の初版本があり、太宰治のコレクターから執拗に譲ってほしいとメールが来ていた。それもやや異常なくらいに。

 

ある時、古書店同士の市場に大輔は栞子と出かけ、そこで栞子と同様本が大好きな稲垣という男と出会う。栞子はこの稲垣と気が合い、頻繁に大輔と三人で絡むことが増えてくる。

 

大輔の祖母絹子は若き日の田中嘉雄という小説家志望の男と恋に落ちる。すでに結婚していたが逢瀬を繰り返し、とうとう体を合わせてしまう。田中は絹子と逃げる計画を立て、切通坂で待ち合わせをするが、やってきた絹子は行くことができず、田中は「それから」を与え、自分の今の気持ちだと告げる。

 

実は栞子が足を怪我したのは、太宰治のコレクターらしい大庭葉蔵に突き落とされたことがわかり、大輔は謎の男大庭を捕まえるべく、「晩年」を囮にしておびき寄せようとする。しかし、三人が店を離れた隙に店頭に火をつけられ、フェイクで飾っていた本をボロボロにされてしまう。

 

ちなみに大庭は幼い頃祖父がやっていた古書店が火事で焼け、その時「晩年」を託されかけたが燃えてしまった過去があった。故に「晩年」に狂気的にこだわるのだが、その部分がいまひとつみえない。

 

大輔は本を自分があづかることにし、栞子を守ろうとし持ち帰るが、帰った途端何者かに襲われ奪われてしまう。この辺りからが実に手抜きの脚本になって行くのがなんとも残念。

 

しかし、持ち帰った本もフェイクだと栞子に言われ、自分を信じていないと思ったら大輔はバイトを辞める。しかしたまたま、かつて稲垣が自分の大事な漫画を貸し与えた盲目の男が普通に見えている現場を見つけ、問い詰めたら、稲垣に頼まれて、ビブリア古書堂に火をつけたのも自分だとわかる。

 

一方、大輔もいなくなった書店に稲垣がやってきて栞子に迫っていた。そして間一髪で大輔と脱出、追いかけてきた稲垣=大庭葉蔵と適当なカーチェイスのあと海に追い詰められた栞子は本を海に投げ捨てる。

 

戻った栞子に大輔は、あなたが私に必要な人ですと告げて映画が終わる。

 

中盤あたりまで、落ち着いた空気感の文芸映画的な味わいがあったのに、終盤、途端に雑な締めくくりに流れて行くのはどうしたものか。どこか不完全燃焼に終わった気がしてちょっと残念な映画だった。

 

「嘘はフィクサーのはじまり」

なんなのだ?という不思議な映画。面白いストーリー構成なのだが、どこか裏に隠れたメッセージが見え隠れし、素直なブラックユーモアとして楽しめなかった。監督はヨセフ・シダー。

 

何でもかんでもとっかかりを見つけて人脈を作ろうとする主人公ノーマンの姿から映画が始まるが、演じるリチャード・ギアがボケ老人にしか見えない。無理やり近づいた投資家にけんもほろろにされ、それでも次のターゲットを探すノーマン。

 

ある公演で見かけたカリスマ政治家のエシェルにさりげなく近づき、流れで彼に靴を送ることになる。そして3年、エシェルはイスラエルの首相になってしまう。覚えているのか不安だったノーマンだが、近づいてみるとちゃんと覚えていた。そこで、持ち前の嘘をちりばめながら人間関係を広げていくが、ここに来てエシェルに収賄の疑惑がかかる。

 

そのキーになる人物が謎の事業家ということで、探し始めますが、一向に見つからない。一方、ノーマンは一人の女検事と知り合いになっていて、そのつてで、相談を持ちかけようとするが、そこで告げられたのは、ノーマンがエシェルのために暗躍してきたことは、汚職に当たるということだった。そして、首相に罪を被せるかどうかの選択を迫られる。

 

一方のエシェルも、アメリカとの和平調印のためにはここで失脚できないので、ノーマン一人を犠牲にしても何万というユダヤ人を守りたい決断をする。そしてノーマンに電話し、友人であることを再確認する。ノーマンもここまでしてきたことが拗ねてほころびが出てきて窮地に立っていた。

 

エシェルの気持ちを察したノーマンは、冒頭で投資を持ちかけてけんもほろろに断られた人物に、エシェル首相のスキャンダルで儲けるすべを伝え、それで儲けた一部を、約束していた寄付に回す段取りをし、ナッツアレルギーであるノーマンはナッツを買い、死を覚悟して映画が終わる。

 

と、こういう話だと思うのですが、どこか描き切れていないのか私に理解力がないのか、裏に隠されたメッセージがあるのか、どこかスッキリしない展開で終わった気がします。超スローモーションなど映像テクニックを駆使した画面作りは個性的ですが、ちょっと煮え切らないままに終わった感じでした。

映画感想「オズランド 笑顔の魔法おしえます」「ライ麦畑で出会ったら」

「オズランド 笑顔の魔法おしえます」

たわいのない軽い物語ですが、肩も凝らず楽しめたからいいとしましょう。ただ、西島秀俊をはじめキャスト全員が乗り切れていないのが最後まで引っかかってしまいました。監督は波多野貴文

 

大学を出て、恋人が勤める会社に入社した久瑠美だが、なんと最初の赴任先が大隅半島にあるレジャー施設。不満沸騰で赴任したものの、よくあるふてくされシーンが続く。しかしこのグリーンランドに勤める人たちは、小塚のリーダシップとアイデアもあって楽しそうに仕事をしていた。

 

最初はふてくされていた久瑠美も次第に馴染んできて、ここを夢の国にすべく奮闘を始める。全くよくある展開なのだが、次々と新アイデアで牽引してきたという小塚のミステリアスさが見えないし、普通の遊園地にしか見えない。

 

さらに、それぞれの個性的な従業員の弾けた空気感がとってつけたようで、全然伝わってこない。クライマックスに行く50周年イベントのサプライズの面白さも拍子抜けしてしまっていて、エピローグも今ひとつ。完全に不完全燃焼のままエンディングを迎えたのは残念。

 

脚本時のキャラクターの造形が弱いのだろうが、西島秀俊がミスキャストにしか見えない。原作があるので、もしかしたらもっと原作は楽しいのかしれないけれど、映画は普通の出来栄えだった。

 

ライ麦畑で出会ったら

とってもシンプルな話なのですが、不思議と心に訴えかける何かを感じることができる青春ドラマでした。監督はジェームズ・サドウィズ

 

主人公ジェイミーはクランプトン高校に入学したものの周囲に馴染めないまま、過ごしていた。ある時、サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」を読んで感銘を受け、演劇にしようと思いつく。そしてヒロインを探すために演劇仲間の舞台を観に行く。

 

最初は憧れの女性をヒロインに自分を主演にする予定だったが、声をかけられないままに悩んでいるところ、ディーディーという演劇仲間の女性に声をかけられる。

 

一方、舞台にするために原作者の了解を得る必要があるが、隠匿生活をするサリンジャーの居場所がわからない。ジェイミーはディーディーとサリンジャーを探しに出ることになる。

 

そして、偶然も重なりサリンジャーを見つけ、許可を依頼するが、断られる。諦めて帰ってきたジェイミーに高校の先生たちは、これは課題であると割り切り上演するよう提案。舞台は大歓声のうちに終わる。

 

ジェイミーは自分の台本を名前を消してサリンジャーのところに届けに行くが、サリンジャーは、以前にも強行したものがいて、それらも大歓声だったと答える。そして私が書いたのはあくまで本であり脚本は書かないと言われ、台本も受け取らなかった。

 

ジェイミーは、サリンジャーの答えに何かを得た気がして、ディーディーの待つ車に戻る。そして車の上に第本をおいたまま、少しディーディーと話して車をスタートさせる。屋根から台本が落ちて走りさる車のカットでエンディング。

 

サリンジャーは、許可を与えれば自分の書いた人物は変化しないという内容のことをジェイミーに告げる。つまり、強行することで新しいものが生まれると教えたのではないでしょうか。

 

素朴な画面とシンプルなストーリーに秘めた、若者へのさりげないメッセージがちょっと心に残る作品んでした。

 

映画感想「ソフィーの選択」「旅猫リポート」

ソフィーの選択

メリル・ストリープが嫌いにもかかわらず、この映画はめちゃくちゃに良かった。終盤涙が溢れてくる感動、ネストール・アルメンドロスの美しいカメラ、次第に明らかになる主人公ソフィーの壮絶な人生。どの部分をとっても完成された映画になってます。素晴らしかった。監督はアラン・J・パクラ

 

新進の作家スティンゴがブルックリンに自分探しにやってくるところから映画が始まる。緑の木に囲まれたピンクの壁の洋館、この景色にまず引き込まれます。一目で気に入ったスティンゴは一階に住むことに。二階では何やら物音がし、翌朝激しい男女の喧嘩、そして飛び出してきた男ネイサンが恋人であろうソフィーを罵倒して飛び出していく。唖然と見つめるスティンゴにソフィーは優しい微笑みを投げる。左手にはナチスの収容所出身者を示す数字の刺青があった。

 

間も無くしてケロリとソフィーとネイサンの仲は戻り、翌朝、一緒に食事をしようとスティンゴは誘われる。能天気なほどに明るく振る舞うネイサン、それに応えるソフィーを見てスティンゴはすぐ二人が好きになる。

 

ある時、ハイキングに出かけた先でネイサンが何やら大きな仕事な成就したとはしゃぎ、ソフィーにドレス、スティンゴにスーツをプレゼントする。そして仕事に戻る。

 

ソフィーとスティンゴが夜、帰宅するネイサンを驚かせようとパーティの準備をしてまつが、昼と打って変わって風貌が変わったネイサンはソフィーとスティンゴの仲を疑うような罵声を浴びせる。そして、ソフィーからの贈り物の時計をシャンパンに沈ませ、悪態を吐く。

 

ソフィーのとりなしで、平静に戻ったかのようだったが、翌日、二人は出て行ってしまう。心配なスティンゴはソフィーを探す中、彼女の友達がいたという大学を訪れ、そこで彼女の父を知るという助教授に話を聞く。なんと彼女の父は反ユダヤで、ユダヤ人抹殺を提案した人物だった。

 

少しずつ見えてくるソフィーの人生。やがてソフィーは一人で戻る。そして、スティンゴの言葉に、自分がどういう経緯で収容所に行くことになったかを語る。スティンゴは思わずソフィーを抱きしめるもだが、何かの気配でソフィーが飛び出すと、外にうずくまるネイサンがいた。

 

ネイサンはソフィーに、なぜ収容所から無事帰れたのかを詰め寄り、ソフィーは収容所所長の秘書をしばらくしていたことを語る。そしてその所長に気に入られ、一緒に連れていかれた息子を助けてほしいと懇願するも、結局救えなかったことを話す。

 

そんなある時、ネイサンの兄からスティンゴに連絡があり、会ってみると、ネイサンは妄想失語失調症だと説明。突然発作的に切れるのだが、その様子を知らせてほしいという。そしてそのことはソフィーも知らないのだと話す。

 

帰ってみれば、また二人は出て行ったが、ほどなくしてソフィーだけ戻ってきて、すぐにネイサンから電話が入る。銃を持っていて喚き散らしていた。スティンゴは身の危険を感じソフィーを連れて、ブルックリンを離れワシントンのホテルに移動。そして、このままスティンゴの田舎の南部の農園へ行こうと誘う。

 

結婚を提案するスティンゴにソフィーは収容所時代の誰にも話していないことを告白する。アウシュビッツに連れていかれる時、子供は女の子と男の子がいた。しかし、途中で、殺される貨車と、収容所へ行く貨車と分ける際、ナチスの士官にどちらかの子供を助けるから選べと迫られたのだ。

 

選べないというソフィーに士官は二人とも焼き殺せと命令、勢い余って女の子を連れて行ってとソフィーは思わず叫んでしまう。泣き叫ぶ女の子を泣き崩れてソフィーは見送る。もうこのシーンは涙なしに見れないし、演じたメリル・ストリープの演技に引き込まれる。

 

そして語り終えたソフィーはスティンゴと体を交える。翌朝、目覚めたスティンゴの傍に別れを告げるソフィーの手紙があった。

 

引き返して、ブルックリンに着いたスティンゴの前に人だかり。ネイサンとソフィーがベッドの上で自殺した姿があった。最後はスティンゴの一人セリフで締めくくりブルックリンを離れて行ってエンディング。

 

ネイサンとソフィーが喧嘩するたびにソフィーがスティンゴに過去を語るストーリー構成のうまさ、緑や黄色、赤を交えた美しい色彩演出とそれに応えたネストール・アルメンドロスのカメラも素晴らしく。次第に明らかになるソフィーの壮絶なドラマにどんどん引き込まれてしまいました。名作とはこういうのをいうのでしょうね。素晴らしい映画でした。

 

旅猫リポート

普通の映画でした。それ故にやや長いです。物語もセリフもシーンもありきたりで変化に富んだものではないですが、ラストは涙が出ました。監督は三木康一郎

 

悟が飼い猫のナナを車に乗せて、飼い主を探しに出る場面から映画が始まる。つまり、なぜナナを手放すのかというのがストーリーの根幹なのですが、だいたいネタが割れて見えるから、脚本の弱さが見えます。

 

学生時代の友達を回るロードムービー的に進むかと思いきや、いく先々での思い出話の映像がややウェイトが高く、ナナの個性を見せる場面が少ないのはちょっと作り下手という感じです。

 

そして、悟がナナを引き取るに至る経緯や、その前に飼っていたハチという猫のことや両親の事故死、悟は養子であったというエピソードなどなどかなり薄っぺらい展開が続く。そして、悟の命は間も無く無くなることが中盤過ぎでわかり、そこから、結局ナナの引き取り手がなく戻ってきて、ホスピスに入る悟を外でナナが会うという終盤の展開へ。

 

臨終の場にナナが駆けつけて涙を誘ってエンディング。普通だね。素直というよりダラダラした脚本で、全然工夫が見られなかった。せっかく芸達者の高畑充希をナナの声にしたのにもっとうまく使うべきだったと思います。

 

 

映画感想「近松物語」「殺る女」「search/サーチ」

近松物語」(4Kデジタルリマスター版)

溝口健二監督の傑作を4Kデジタルリマスター版で見ました。やはり素晴らしいですね。構図の取り方といいカメラワークといい、うっとりと引き込まれてしまいます。描かれる男と女の情念の深さ、しつこくもなく、重苦しくもなく、それでいて一途な思いを見せる描写も見事。これこそ名作の貫禄です。

 

大名の注文に、風邪で臥せっているベテランの手代茂兵衛が呼ばれる場面から映画が始まる。江戸時代の大棚の店内を縫うように移動するカメラ、スーッと二階へ抜けるワーキングが素晴らしい。

 

一方、遊び呆けるばかりの出来の悪い弟を持つこの店の妻おさんが、例によって金の無心にきた弟に無理やり工面を頼まれる場面が挿入。さらに、この店の主人大経師以春が女中のお玉に言いよるシーンが絡む。

 

そしておさんは思い余って茂兵衛に弟の金をなんとかならないと相談、快く引き受けた茂兵衛だが、主人の印判で細工しようとしたところを、仕事仲間の手代の助右衛門に見つかり、改心して主人に詫びるが、主人は茂兵衛を許さず、納屋の二階へ幽閉。一方おさんはお玉に夫のことを白状され、お玉の身代わりで女中部屋へ。そこへ、昼、自分をかばってくれたお玉に礼を言おうと抜け出してきた茂兵衛と鉢合わせ、さらに、そこへ助右衛門が飛び込み、おさんと茂兵衛が不義密通していたかに疑われ、茂兵衛は飛び出すも、おさんもこの家に愛想を尽かし飛び出す。

 

会うべくして二人が会い、大阪へ向かうことになる。まるで流転する如く人生を転がり落ちていく二人。しかも死を覚悟したおさんに茂兵衛は、実は思い焦がれていたと告白するから、ここから恋の道行きとなる。

 

不義密通は死罪の上お家取りつぶしの大罪ということから、必死でないことにしようと奔走する以春。さらに逃げる先々で、疎まれ行き場もなくなった末に茂兵衛の父の元へ逃げるが、役人に引き離され、実家の岐阜屋に戻ったおさんを茂兵衛が訪ねて、二人は不義を働いたと告白して、馬上で縛られ、市中を引き回される二人、その顔にはなんとも言えない晴れやかさがあった。二人が引き連れられていくシーンで映画が終わる。

 

子供を守りたいが、時の世の中の厳しさを見せていく茂兵衛の父やおさんの母の描写も素晴らしく、単純な男と女の恋物語に変化していくストーリー展開の妙味も見事。さらに、おさんの部屋の調度や襖など、ハッとするような美術と構図で捉える画面作りも息をのむ仕上がりで、まさに名作中の名作というのはこういう映画を言うのだろう。

何度で見て損にならない見事な映画でした。

 

「殺る女」

超一級品の後に超駄作を見た感じの映画。テンポの悪さ、脚本の薄っぺらさ、センスのない演出、今時、素人でもこんな映画作らんやろうにという作品でした。お金と時間の無駄を久々に感じた。監督は宮野ケイジ。

 

主人公愛子は、幼い頃、施設を出てきた青年二人に両親を惨殺され、その時に見た犯人のサソリの刺青の男への復讐のためにプロの殺し屋になったらしい。

 

が、まずプロに見えない。しかも、一方でその時に犯人の今が描かれて、幸せな家族を持ち暮らしているが、昔の仲間からの誘いで、薬の取引に加わらざるを得なくなる。

 

たまたま仕事で、その現場に行った愛子は、そこで、サソリの刺青の男に出くわす。彼には、かつて愛子が両親を殺された頃の年齢の女の子がいた。とまぁ、ありきたりはいいとしてもキレのない殺しのシーンと、サソリの男俊介の姉の、周りの男たちへの憎悪も中途半端なラブシーンで描かれるから最低。

 

結局、愛子は俊介を殺し、その娘の盲目の少女に銃で狙われエンディング。バカらしくて苦笑いが出てしまった。しかもエピローグのタイトルバックのアニメで、その少女が成長して盲目の殺し屋になってるらしい下りには辟易した。

 

なぜかやたら外人が出てくる適当なキャラクター設定。今時マフィアかという悪者設定。あまりに貧弱な発想と演出で、メジャーなシネコンにかける映画を作る姿勢が疑われる。そんな作品でした。

 

search/サーチ

これは面白かった。パソコンの画面だけで進むサスペンスというのが売りなので、一発屋的なキワモノ映画程度に思っていたが、脚本がしっかりしていて、ストーリー展開の面白さをパソコン画面内だけという閉鎖空間をうまく利用して描く手腕は評価できる作品でした。監督はアニーシュ・チャガンティー。

 

父デビッドは娘のマーゴットと何かにつけ疎遠になり、弟のピーターが何かにつけ心配してくれている。娘に接するすべもないデビッドが懐かしい写真をパソコンで見直す。愛する妻はどうやら血液のガンでなくなったらしい。

 

そんなある夜、デビッドにマーゴットから3回も電話があったが、デビッドは寝入っていてでなかった。

 

翌日、マーゴットに連絡を取るが通じない。友達らしい人物にも連絡を取るも通じず、次第に焦り始めたデビッドは、パソコンから娘のSNSを通じて多方面に捜索を開始する。

 

しかし、行ってるはずのピアノレッスンは半年前にやめていて、友達らしい人物も実はいなくて、マーゴットは孤独だったことも次第に見えてくる。

 

そしてとうとう警察に捜査を依頼、ヴィック捜査官が担当することになる。彼女は熱心に捜査を進めてくれるが、一方でデビッドもネットを駆使して様々な方面を捜査していく。

 

そしてどうやら娘はお気に入りの湖に出かけたらしいことを突き止めるが、不明の2500ドルの謎も出てくる。執拗に逃亡説を説くヴィック捜査官。

そしてとうとう、湖でマーゴットが乗っていたらしい車が発見される。

 

ところがふとしたことで、娘が弟と意味深なメールのやり取りをしていることに気がつき、デビッドはピーターの家に盗撮カメラを仕掛けて、証拠をつかもうと訪れる。しかし、男女の関係を疑ったデビッドの前で、実はマリファナを吸わせていただけだと告白。そんな時ヴィック捜査官から犯人が見つかった。そして、マーゴットの死も認定されたと連絡が入る。

 

婦女暴行等で収監されていた犯人が出所し、マーゴットを襲って自殺したことを動画に投稿したのだ。ヴィック捜査官はマーゴットの死を認定、葬儀の準備を進める。一方、葬儀関係のメモリアルフォットサービスから勧誘のあったデビッドが、思い出の写真をアップしていると、なんとその経営者の女性は、かつてマーゴットとメールの受け渡しをしていた女性と判明、連絡を取るが、警察からも連絡などないとわかる。

 

おかしいと感じたデビッドが警察署に連絡。ヴィック捜査官は捜査主任を任命されたのではなく志願したことがわかる。どこかおかしいと感じたデビッドは、保安官代理に連絡。マーゴットの葬儀会場にいるヴィック捜査官を逮捕してもらう。なんとマーゴットの死を偽装したのはヴィック捜査官だった。

 

彼女は息子が誤ってマーゴットを渓谷から突き落とし5日経ったので、その隠蔽のために捜査を指揮したというのだ。しかし、5日経って、生存は難しいという警察の判断に、デビッドは嵐があったので二日しか水のない日はなかったと、再度渓谷を捜査、娘を救出する。

 

最後まで命に別状なかったかは語らず、最後の最後、デビッドとマーゴットの写真がネットに来て無事が判明映画が終わる。

 

うまいです。パソコン画面内の閉鎖空間で展開するサスペンスは、逆に見えないものが見えず、また一方で、気がつかないことを気づかせてくれます。そのアイデアに拍手したい作品でした。若干雑なところがないわけではありませんが面白い着想の映画だったと思います。