くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「七つの会議」「ヴィクトリア女王 最期の秘密」

「七つの会議」

普通に面白かった。単純明快な企業サスペンス映画として楽しめた一本でした。監督は福澤克雄

 

東建の会議室で北川部長が営業部にハッパをかけている場面から映画が始まる。坂戸引き入る営業一課の成績が抜群な一方でノルマ達成できない原島率いる営業二課への厳しい叱責の一方、坂戸を褒めた北川の前でいびきが聞こえる。一課のぐうたら社員で有名な八角が居眠りをしている。あっけにとられる北川だがその場は終わる。

 

その後、坂戸の八角への当たりが厳しくなり、とうとう坂戸はパワハラ八角に訴えられるが、誰もがエリート社員坂戸が懲罰を受けると思っていなかったのに左遷されてしまう。そして一課の課長に原島が抜擢されるが、途端に成績がダウンする。しかも、八角が勝手にネジの下請け会社を今まで安価に収めていたところからあえて再三の悪い町工場に変えていた。何かがおかしいと思った原島は、寿退社予定で、同じく不審に思っていた女子社員の浜本と調査を始める。

 

左遷された坂戸は行方不明、さらに会社の闇を見つけたと言う社員もまた左遷され、八角に何かの謎があると突き止めた原島らは八角をとっかかりに彼が関わったものを調べ始める。そして見えてきたのは、坂戸が営業部で成績をあげ始めた頃に変更したネジの下請けベンチャー企業の偽装工作による、強度不足のネジの使用。そしてそれを巧みに八角が元の状態にしたことだった。

 

実は、2年間、半分の強度のネジを使用して列車や航空機のシートを受注し、それをリコールで回収するべく八角が北川らと組んで工作していたのだ。そして、二ヶ月の調査の末、回収する計画ができた八角は、社長らにリコール発表してもらうよう迫るが、社長は、隠蔽し、闇回収すると決断する。

 

許せない八角は、出向で副社長としてきていた親会社の村西にリークし、親会社に知らせ、親会社は、御前様と言われるトップを交えた会議を行うこととなる。

 

しかしその場で、20年前の不正をも明らかにした八角だが、御前様は今回のことは隠蔽する決定をする。どうしようもなくなった八角は同期の北川らと意を決してマスコミを利用、全てを公にして行く。

 

この終盤のマスコミへのリークから後がかなり雑に処理されているので、ここまでの面白さが半減してしまうのですが、少なくとも前半はなかなか見ごたえのある企業ピカレスクになっていました。

 

ここまでしっかり描くなら、前後編で、思い切り練りこんだ脚本で見せて欲しかった気がします。でも面白かったです。

 

ヴィクトリア女王 最期の秘密」

前半はなかなか興味深い展開で面白かったのですが終盤に、一気にラストを締めくくったのは本当に残念。でも、ジュディ・ディンチの名演技は見ものでした。監督はスティーブン・フリアーズ。

 

19世紀、ヴィクトリア女王在位50年式典で、インドから記念硬貨を贈呈することになり、アブドゥルらはイギリスにやってくる。しかし、形式ばかりを重んじた儀式に辟易していた女王は、やってきたアブドゥルの視線に、興味を見つける。

 

そして女王は、アブドゥルを身近に置き、インドの話やイスラム教の話を聞き、先生として待遇するようになる。そして、アブドゥルの妻もイギリスに呼んだり、インド風の宮殿を勝手に作ったりし始める女王に、側近たちは次第に反感と危惧を抱き始める。

 

そしてアブドゥルに爵位を与えると言う女王の言葉に、とうとう側近たちはそこまでするなら辞職すると言い出す。それに憤慨した女王だが、爵位は取りやめ、名誉勲章を与える。

 

ここまでが丁寧に綴られるがこの後、女王が倒れ、やがて寝つき、死んでいくクライマックスまでが実にあっさり展開してしまう。もともとアブドゥルの日記を基にした、事実に基づくフィクションなので描きにくい部分もあるのだろうが、せっかくここまで面白かったのにもったいない。

 

そして女王が崩御すると、途端にアブドゥルらはインドに送り返されてしまい映画は終わる。

物語はなかなか興味深い話だったし一見の価値のある映画でした。

映画感想「そらのレストラン」「ジュリアン」「太陽の誘惑」

「そらのレストラン」

普通の映画でした。監督は深川栄洋なので、いつものような綺麗な光の演出が見られるかと思いましたが、北海道の大地が目立ってしまって平凡な絵作りになってたのは残念。

 

真冬、一台の車から女性が降りてきて、一件の建物の中へ。そこで作業をしていた亘理に、ここは海の見える牧場ですか?と尋ね、ここで働くにはどうすればいいかと聞く。亘理は、冗談半分に自分の奥さんになれば働けるよと言った直後女性は倒れてしまう。

 

それから時が経ち、その時の女性こと絵と結婚した亘理は、牧場をし、近くの大谷と言う人がつくるチーズを目標にチーズづくりをしている。バイクで回りながら、この地の仲間たちを紹介する冒頭部分から、野菜づくりをする男、イカ釣りをするUFOを信じる若者、知人の跡を継いで羊牧場をする若者、などがからんでのほのぼのストーリーとなる。

 

亘理にはすでに小さな女の子が生まれているので、時の経過が見え、ここに有名なシェフがやってきたことから物語は動くかに見えるが、それもまた淡々と流し、やがて亘理の尊敬する大谷が病で死んでしまう。目標を失った亘理は、牧場を手放す決心をするが、大谷の工房に、かつて自分が牧場を継いだ時に作ってくれたチーズを目にし、もう一度頑張る決心をする。

 

仲間たちが、知人を招待し、大空の下でそらのレストランを開業して映画が終わる。まぁ、たわいのない物語である。これといって映画作品としての何かがあり訳ではない一本ですが、箸休めとしてはいいんじゃないでしょうか。

 

「ジュリアン」

シンプルな構造で描くDVを扱ったサスペンス映画。と言う感じですが、どこか人間ドラマ的な部分も見える一本。監督はグザビエ・ルグラン。

 

調停で、アントワーヌとミリアムに夫婦が離婚の話し合いをしている。弁護士か判事らしき人物が法律について機関銃のように説明するのがまず耳に響いてくる。そして、その法律用語などをまくしたてられ何かわからないままに、どうやら息子のジュリアンは母ミリアムの元に預けられ、隔週ごとに父アントワーヌと過ごすことになったらしい。

 

アントワーヌは、感情的な男で、危険を感じるジュリアンは決して母の今の住まいは教えないが、何度も脅されて、とうとう教えてしまう。

 

ミリアムとジュリアンは姉のパーティに出かけるが、そこにも執拗にアントワーヌが現れる。そして嫌がらせ半分に出て行く。

 

ある夜、ミリアムとジュリアンが眠っていると、外から何度も呼び鈴を押す音。それを無視していると、アントワーヌは猟銃を持って玄関の前に現れる。身を危険を感じたミリアムは警察に連絡、やがて室内にアントワーヌが入ってくる。そして警察が駆けつけ、アントワーヌは逮捕され、ミリアムたちは救出され映画が終わる。

 

非常にシンプルですが、この後、彼らがどうなるのかに余韻を残す方を優先した作劇になっています。

 

「太陽の誘惑」

上流階級の人々のめくるめく自堕落な毎日を描く群像劇で、誰が主人公というポイントがあるわけでない作品ですが、全体がよくまとまった秀作でした。監督はフランチェスコ・マゼッリ。

 

上流階級の男女のパーティの席で一人の女性が情緒不安定で笑っている場面から映画が始まる。そこに一人の医師がやってきて、やがてそれぞれの恋人が入れ替わり立ち替わりスキャンダルと退廃的な日々が描かれて行く。

 

冒頭の長回しから終盤の長回しで舐め回すように、上流階級の男女を捉えるカメラワークが特徴的。なかなかの作品でしたが、ポイントがわかりにくくてなんども眠くなってしまった。

 

映画感想「二階堂家物語」「ゼロ地帯」

「二階堂家物語」

旧家の後継の問題を上滑りのストーリー展開で見せる静かな作品。どこか、ずれた感覚なのが最後まで気になる一本でしたが、ラストの処理は何か胸に伝わるものがありました。監督はアイダ・パナハンデ。

 

奈良の奥地で種苗会社を経営する辰也の二階堂家は江戸時代から続く旧家である。彼は息子を何かで亡くし、妻と別れ、今は娘と母と暮らしている。映画は、その辺りの関係を描写することを一切しないので、最初は人間関係も分からなかった。

 

娘の由子には彼氏がいるが、父のように、二階堂家がどうのと言う気はなく、実際アメリカン人が彼氏である。辰也は、母の勧めもあって、正妻に息子ができないときは二号であっても一緒になってほしいと一人の女性に頼んでいる。このシーンが映画のファーストシーンになる。

 

辰也は、会社で秘書をしてもらっている女性と懇ろになるが、その女性から、自分は子供をもう産めないと告白され、どこか戸惑う。会社に先代から使える源二郎は、年齢的なこともあり会社を辞めることになる。息子の洋輔は、由子と結婚できるなら婿養子に入ってもいいなどと言う。

 

由子が彼氏を連れてきた日、母は突然倒れそのまま死んでしまう。由子は、アメリカに戻ると言う彼氏の言葉に自分たちと同じ何かを感じ、つい喧嘩をし疎遠になってしまう。

 

家を片付けているとき、由子は父に、婿養子をもらってでも二階堂家はなんとかすると告げる。しかし、これは自分のことだと断る辰也。母が勧めた女性と横になる辰也のシーンで映画は終わる。

 

今時ここまで家系の存続にこだわる家があるのかは疑問だが、心のどこかで、誰もが感じているものはあるのかもしれない。それは日本だけでなく、世界共通だと言いたいのだろうか。いずれにせよ、どこか上滑りに見えるにだけが気になる作品でした。

 

「ゼロ地帯」

これも傑作でした。最近よくあるナチスものですが、映像の処理、ラストの絵が素晴らしい。反戦というより、戦争の虚しさを胸の奥まで訴えてきます。これが映画です。監督はジッロ・ポンテコルヴォ。

 

主人公、まだ14歳のエディスがピアノのレッスンを受けている場面から始まります。レッスンを終え、自宅に戻ってきたのですが、一瞬、周辺の人々が硬直して静止している状況に遭遇する。エディスの家の前にナチスが来ていて、ユダヤ人を連れ出していた。エディスの両親もユダヤ人で、トラックに乗せられていく。人々の止めるのも聞かず、エディスは母の元に駆け寄りそのままトラックに乗せられる。そして着いた収容所では、厳しい環境の中両親はガス室に送られていく。

 

エディスは、たまたま知り合った女性に、診療所を通じて非ユダヤ人にしてもらい、ニコルとして命を助けられます。しかし、毎日が厳しい中、ニコルは、どんな手段でもして苦痛から逃れたいと、命じられるままに将校の慰み者になる決意をする。そこで、次第にドイツ兵と親しくなり、やがて、囚人長カポの地位を得て、楽に過ごし始める。しかし、一方で仲間からは反感を買うようになる。

 

ドイツの戦況も悪化し始めた噂が聞こえ始め、ロシア兵の捕虜が入ってくる。そして、ニコルはロシア人のサーシャと親しくなり、やがてお互い愛し合うようになる。しかし、撤退の準備を進めるドイツ軍は、捕虜たち全員を抹殺する計画があることがわかる。

 

サーシャたちは脱走を計画、高圧電流のスイッチをニコルに切ってもらい、そのタイミングで脱走する計画が進む。しかし、スイッチを切った時点でサイレンがなることがわかり、当然ニコルが殺されるであろうことが判明。しかし脱走のリーダーはあえて彼女を犠牲にして大勢を助けることを選ぶ。

 

散々悩んだサーシャは直前でニコルに危険を教えるが、ニコルはあえて身を呈してスイッチを切り、ドイツ兵に撃ち殺されてしまう。サイレンの合図で捕虜たちは一斉に脱走を始めるが、機関銃の雨の中、大勢が殺されていく。

 

愛するニコルを犠牲にした計画なのに目の前で殺されていく捕虜たちを見てあまりの虚しさに絶叫するサーシャ。ニコルは、親しくなったドイツ将校の腕の中で生き絶え絶えに訴える。胸のドイツの紋章を剥がして欲しいと。そしてイスラエルの神を称え息をひきとる。

 

死体の山の中、逃げることも忘れたサーシャは愛するニコルを犠牲にした虚しさに涙し、映画は終わる。素晴らしいラストシーンです。これが名作。

映画感想「山中傳奇」「台北暮色」「にがい米」

「山中傳奇」(4Kリマスター全長版)

とにかく長い。延々と続く、主人公が山中を進む場面、さらにクライマックスの、法術戦の繰り返しが、延々と続くのはさすがのしんどい。パーカッションを武器にして戦うオリジナリティは面白いのに、どうもメリハリとキレがなくて疲れてしまった。でも、ワイヤーワーク、逆回しなど特撮を駆使したクライマックスは見ごたえはあります。監督はキン・フー

 

ありがたいお経の写経のため、学生僧のホーが山深い山中にある屋敷にやってくる。出迎えたのはその屋敷の主人に使えた人物。そして、現れる美しい美女やその母、侍従などなど。

 

そして一人の女と結婚する羽目になったホーだが、次々と怪しい出来事が彼の周りで起こり始める。そして、実は妻となった女こそが、悪霊であるらしいことがわかり、ラマ僧が現れ対決する。

 

さらに別の女霊が現れ、ホーと恋に落ちていく。しかしこの女も悪霊なので、ややこしいことになって、結局、ラマ僧が彼らを冥界に送ろうとするのだが、彼らの目的はホーの写経で、それを手に入れて、この世とあの世をつなぐすべを手に入れたいということらしい。

 

一旦クライマックスを迎えたかに見えたが、またぶり返して、結局、最後はハッピーエンドで落ち着くのですが、あそこまで引っ張らなくてもよかろうにという映画でした。

 

ワイヤーワークなど、のちの香港武侠映画に取り入れられるシーンの数々はこれは知識として見るべきところでしょう。

 

台北暮色」

三人の男女の生活、彼らの周辺の人々を切り取って描く作品ですが、どこか引き込まれる魅力があるのは、監督の感性ゆえでしょうか。監督はホアン・シー。

 

一人の男性フォンの車がエンコして、仕方なく電車に乗る。電車には一人の女性シューが紙箱を抱えていて、どうやら鳥が入っているらしく、これまた一人の若者リーか近づいてきて、鳥が入っていることを繰り返す。この三人、同じマンションに住む住人。映画はこの三人の周りの人々、家族、過去を巧みに絡ませながら、台湾の今を切り取った映像を展開させていく。

 

夜景のネオンが浮かぶショットや、艶やかな屋根瓦のカットなど、さりげない画面に彼らの過去などもさりげなく綴られる様は、劇的な物語はないとはいえ、身近な一瞬を感じさせてくれて、非常に親近感のわく映画になっています。

 

全体の上品さが作品のクオリティを安定させている感じがとっても素敵な一本でした。

 

「にがい米」

これは傑作でした。ストーリー構成、展開のうまさ、カメラワーク、画面の絵作り、どれも抜群にクオリティが高い。監督はジョゼッペ・デ・サンテス。

 

何百人という女性たちが北イタリアの田植え女として列車に乗り込むシーンから映画が始まる。取材のナレーションでドキュメントタッチでのこのオープニングに、ある男たちが誰かを追っている。どうやらグランドホテルの宝石強盗を追っているようで、犯人らしき男ワルテルが、情婦フランチェスカに盗んだ宝石らしきものを大切にして、田植え女に紛れて逃げろと言っている。

 

女たちの中に、一人でダンスを踊っているシルヴァーナがいる。その女とワルテルはダンスをして追ってをごまかす。やがて列車が出て、フランチェスカも乗り込むが、契約した女ではないからと言われるが、宝石の受け渡しを見たシルヴァーナは、フランチェスカに近づき、親しく話しかける。

 

やがて、田植えが始まり、契約していないから帰れと言われた一団と、契約できた女たちのといざこざから、ここに軍曹のマルコが絡んでくる。マルコはシルヴァーナと親しくなるが、フランチェスカを追ってきたワルテルとシルヴァーナを巡って諍いとなる。また、フランチェスカはワルテルにもらった宝石が偽物だと知らされる。

 

ワルテルは、備蓄し、女たちに帰りに分け与える米を盗む計画を立て、自分に気があるシルヴァーナを使うことを考える。しかし、フランチェスカもシルヴァーナも汗水垂らして仕事した女たちの報酬を不意にする計画には戸惑いがあった。

 

やがて田植えも終わり、最後にお祝いの祭りの櫓が組まれ、賑やかなひと時が訪れる。シルヴァーナはワルテルの指示通り、水門を開け、水田が水浸しになるように仕組み、人々を田んぼに引きつける。その間にワルテルたちは米をトラックで持ち出すつもりだった。フランチェスカは退役したマルコにこのことを知らせ阻止しようとする。

 

そして、農業倉庫の中で、マルコとフランチェスカはシルヴァーナとワルテルと銃撃戦になり、ワルテルもマルコも負傷する。最後にフランチェスカがシルヴァーナに、ワルテルが与えた宝石は偽物で、計画に加えて利用するだけだったと話し、シルヴァーナはワルテルを撃ち殺し、いたたまれなくなったシルヴァーナは祭りの櫓の上から身を投げて自殺する。

 

翌日、女たちは報酬の米を担いでこの地を去るが、その前に一握りの米をシルヴァーナの死体にかけてやる。こうして映画が終わる。

 

ダイナミックに動くカメラワーク、麦わら帽子が舞ったりする絵作り、サスペンスタッチで展開するストーリー、労働者と雇用主という立ち位置のメッセージなど、娯楽性のみならずしっかりと描かれた深いドラマに仕上がっているのは見事である。傑作とはこういう映画を言うのでしょうね。

 

映画感想「天才作家の妻 40年目の真実」「サイバー・ミッション」「ナチス第三の男」「暗殺指令」

「天才作家の妻 40年目の真実」

実力派二人の俳優による演技合戦の迫力を堪能する作品、その心理描写のすごさに圧倒、見事でした。監督はビョルン・ルンゲ。

 

作家ジョゼフとその妻ジョーンがベッドで寝物語をしているシーンから映画が始まる。性欲旺盛なジョゼフは彼女に求めるが、軽くいなすジョーン。そこへ、ノーベル財団から電話が入る。彼がノーベル文学賞に選ばれたという。二人はベッドの上で小躍りする。息子のデビッドも作家であるがいつまでも半人前扱いをする父に反感を持っている。

 

やがて、コンコルドストックホルムへ向かう三人。客席内で一人のジャーナリストナサニエルが近づいてくる。彼はジョゼフの伝記を書こうとしているのだが、その背景を調べるうちに、ジョゼフの小説に疑問を持っている。

 

ジョゼフは、ジョーンと結婚してから作風が変わり、傑作を生み出し始めたのだ。実は、小説は妻のジョーンが書いていたのではないかと疑っていた。

 

物語は、ノーベル賞の授賞式に向かって流れながら、ジョゼフとジョーンが大学で知り合うきっかけ、そして、妻と別れジョーンと結婚したジョセフ、書く本が、いまひとつ良くないというジョーンの姿などがフラッシュバックされる。また、デビッドも、母が本を書いていたのではと疑っていた。

 

しかし、展開の中ではっきりとジョーンは、自分が全て書いていたとは言わない。そこかしこに苦悩する表情や、ジョゼフの浮気癖に辟易とする姿なども描かれるが、はっきりとジョーンが書いているという具体的なシーンはない。一瞬、ジョーンが書いているらしき部分もあるが、果たして白紙から書いているかは不明。

 

そして授賞式、妻に感謝の言葉を述べるジョゼフの姿を見たジョーンは取り乱してホテルに帰る。そして離婚しようという。それに対し錯乱したジョゼフは、心臓発作を起こし死んでしまう。

 

帰りの飛行機の中、近づいてくるナサニエルに、あなたの憶測は全て嘘ですと断言するジョーン。そしてデビッドに、帰ったら全てを話すからといって映画は終わる。

 

実は、ジョーンが書いていたのだろう。しかし、いかにも子供みたいな行動のジョゼフが対局に存在し、中心はジョゼフだったのかと思う。ただ、共同作業であったことは明らかに見えてくるのですが、はっきりと断言せず、あくまで、妻としてのジョーンの心理描写に終始した作劇が見事でした。良質の一本、そんな感じの映画でした。

 

「サイバー・ミッション」

ハイスピードで展開する今時ハッキング映画、まさに香港映画テイストの娯楽に徹した作品でした。監督はリー・ハイロン。

 

オタクハッカーのハオミンがバーチャルゲームを楽しんでいるシーンをオープニングに、チャオとスー・イーがカジノをハッキングし巨額の資金を奪取するところから映画が始まる。

 

チャオは、ボスである日本人モリのところへ報告に行くが、そこで新たに依頼されたのは、新OS、オアシスの奪取だった。チャオは仕事の相棒に、かつて自分をハッキング大会で負かしたハオミンを選ぶ。

 

そして見事オアシスの権利を奪取し、モリに渡したが、モリはそのシステムで世界のコンピューターを制御し、大手金融機関のCEOを行方不明にして、ユーロの暴落を計画していた。

 

チャオは実はユーロポールの捜査官で、モリを逮捕する為に潜入していたのだ。モリの目的をつかんだチャオらはモリを倒すべくモリの元へ。その途上で、スー・イーは撃たれて死んでしまう。そして、とうとう追い詰めたチャオらは、モリを倒す。

 

前半のサイバーシーンのハイスピードがクライマックスは平凡な追っかけのアクションシーンになるのはちょっと工夫が足りない気がしますが、オープニングから物語の展開もスピーディで飽きさせないあたり香港映画の色です。中身こそ薄っぺらいけれど楽しめるエンターテインメントでした。

ちなみに、モリを演じたのは山下智久でした。

 

ナチス第三の男」

以前、この話を何かの映画で見た気がします。ナチスの高官ハイドリヒ・ラインハルトを暗殺した二人のチェコ人が、教会の地下で水攻めされて死んでいく。物語はともかく、映画としては普通の作品でした。監督はセドリック・ヒメネス

 

ナチスの高官ハイドリヒが自宅を出て車で走り出すところから映画が始まる。プラハの街中、目の前に一人の男が現れ銃を向けるが、銃がうまく作動しない。慌てて逃げて、タイトル。物語は1929年に遡る。

 

ドイツの将校ハイドリヒは、この日彼女を訪ねてきた女とSEXをする。しかし、間も無くして別の女と知り合い結婚となるが、かつての女が、軍の高官の知り合いの娘だったことから軍法会議にかけられ追放される。

 

結婚相手に選んだ女性はナチス党員で、ハイドリヒもナチス党員となり、非道なまでに反政府を掲げる人々を虐殺し始める。やがてヒトラーが首相となり、ハイドリヒはナチス高官として副総督の地位に登り、ますます、ユダヤ人を始め、反政府を掲げる人々を虐殺していく。

 

そんな彼の行動に、イギリスに亡命していたチェコ人ヤンとヨゼフは、ハイドリヒ暗殺のためチェコに送り込まれる。そして、冒頭のシーンとなる。

 

銃は失敗したが背後から手作りの爆弾を投げ入れ、車は大破、ハイドリヒは重傷を負い、やがて死んでしまう。ナチスによる犯人探しが始まり、ヤンらをかくまった村人が無差別に殺され、とうとう密告されて、教会に隠れていたヤンらにナチスが襲いかかる。

 

なんとか地下に逃げたヤンとヨゼフだが、ナチスが水を注ぎ込み、観念した二人は銃で自殺、映画は終わる。

 

格段、優れた映像も演出もなく、淡々と史実が続く映画で、人間ドラマとしても普通でした。

 

「暗殺指令」

しっかりと組み立てられたストーリー構成、オーソドックスなカメラアングル、見ていて安心できる作品で、なかなかのクオリティの一本でした。監督はエンツォ・プロヴェンツァーレ。

 

一台の車がやってきて、男たちが中から一人の縛った男を連れ出し気を失わせる。そこにトラクターがやってきて轢き殺してタイトル。

 

主人公アントニオは、父が付き合っていたマフィア組織の人間から、父の借りを返すようにと、ある侯爵の殺人を依頼される。一旦は断ったが強制され、侯爵の元へ向かう。

 

あらかじめ準備されていた銃で、侯爵を待つが、撃てなかった。一方侯爵にはグラジアという娘がいて、何かにつけ父や姉と確執があり、アントニオが小舟でこの島を出るときに一緒についてくる。

 

しかし、シチリアに戻ったものの、仕事を仕上げなかったアントニオに不気味な車が付いてくるようになる。アントニオはマフィア組織を交わしながら、自分の名付け親で実力のある男に助けを乞うため彼の元を目指す。

 

一方グラジアは金持ちで、かつて自分に求婚した金持ちのいとこの男爵の元へ向かう。しかし、この男爵にも、組織の声がかかり、アントニオを追う連中が近づいていた。

 

アントニオは行く先々でグラジアと再会、やがて二人は愛し合うようになる。しかし、組織はアントニオを放って置かず、グラジアを捨てて本土へ行くなら彼女に危害は加えないと脅してくる。アントニオはグラジアに別れを告げ、本土へ向かうべく離れるが、そこに組織の人間が現れ、名付け親の顔を立てて助けると告げる。

 

一方捨てられたと思ったグラジアの元に、男爵と姉が迎えにくる。しかし絶望したグラジアは階段の上から飛び降り自殺する。

 

本土へ向かうことを吹っ切れないアントニオはグラジアのホテルに戻ってきて、グラジアの死を知る。そしてアントニオをつけてきた組織の人間を罵倒、組織の人間はアントニオを撃ち殺して映画が終わる。

 

行ったり来たりのストーリー展開は下手をするとダラダラなるものですが、流石にフランチェスコ・ロージ作品の脚本などを書いた監督の力量か、ストーリーの行ったり来たりがリズムを生んできます。なかなかの作品だったと思います。

 

 

映画感想「十二人の死にたい子供たち」

「十二人の死にたい子供たち」

できのいい映画ではないけれど、好きです。こういう映画大好き。でも、死を弄んだかのようにしか見えないのと、肝心の原作のメッセージは表現されてなかった気がします。でもミステリーとして楽しめたし、大好きな杉咲花黒島結菜、橋本環奈共演で楽しかった。監督は堤幸彦

 

死体らしきものを引きずっているシーンから映画が始まり本編へ。廃病院に十二人の未成年の男女が集められる。まず、そこに入るに至るルールが説明されながら、次々と男女が廃病院に集まってくる。

 

集合場所の地下室にはベッドがあり、中央にテーブルがあり、一人がベッドで死んでいて、全員が座ったかに思えたところ、さらに一人来て十三人になる。主催者サトシが現れ、まず、すぐに死を実行するか、話し合いを知るかの決がとられるが、一人が反対をして、まずは話し合いでスタート。この辺りが「十二人の怒れる男」と同様の導入部となる。

 

ところが奥に死んでいる十三人目について、まず推理することになり、謎解きが物語の中心になる。あちこちに埋められた伏線を解いていく流れはなかなか見せてくれる。若手の芸達者が揃っているだけあって、全員がそれぞれキャラクターが立っている。演技力か、演出力かはともかく、見ていて飽きて来ない。

 

そして、一人が階段から突き落とされ、その謎を解くうちに次第に流れが見えてきて、実はベッドで死んでいるのは、メンバーの一人の兄であることがわかり、さらに、人気アイドルの参加も明らかになりながら、次第に、死に対するそれぞれの価値観、考え方の違いもさりげなく見えてくる。この辺りがもう少し際立っていたら傑作になりそうだったが、しつこいほどのスローモーションが鼻についてリズムを壊すのが残念。

 

そして、いよいよと準備が整ったところで、ベッドで死んでいるという人物が実は生きていることがわかり、全ての謎が明らかになる。そこで、このまま死を実行するかという提案が出され、結局全員反対し解散。メンバー全員、ゆっくりそれぞれの生活に帰っていく。最後にアンリが、主催者のサトシの問いかける。

 

「こういうことをするのは何度目?」

 

3度目と答えるサトシ。そして、死を実行する側となって今後も参加するというアンリと別れて映画は終わる。

 

ストーリー展開は完全に「十二人の怒れる男」である。際立った出来栄えの作品ではありませんが、やはり最初に黒島結菜扮するメイコが目立つあたり、常に存在感を見せる杉咲花のアンリが中心になりあたり、やはり演技の実力がものを言っている。それだけでも嬉しい一本で、テレビのスペシャルレベルの出来栄えとはいえ、楽しむことができました。

 

エンドクレジットで、全てを時系列で並べるダイジェストでエンディング。本当に楽しかったです。

映画感想「サスペリア」(2018年版)

サスペリア」(2018年版)

オリジナル作品がカルトホラーの傑作だとしたら、今回の作品は全くの対極をなすアートホラーの傑作だった。なんといっても2時間半ほどある長尺作品にもかかわらず、そして、エロとグロが惜しげも無く映像として出てくるにもかかわらず、全く飽きさせないほどに引き込まれるのは、その見事なカットつなぎと長回し絵送り返す流麗なカメラワーク、そしてシュールで難解な中に見えてくる不思議な物語というアングラ色ゆえでしょう。芸術映画とは言わないまでも、圧巻のクライマックスの舞踏シーンもさることながら、それまでのめくるめくような恐怖感が胸に迫ってきました。監督はルカ・グァダニーノ

 

一人の少女パトリシアが行きつけの精神科医グレンベラー博士の元を訪ねてくるところから映画が始まる。狂ったようにドアを叩き無理やり押し入ったものの半狂乱の彼女は博士と言葉を交わした後、飛び出していって行方不明になる。

 

アメリカからここベルリンの世界的舞踏集団マルコス・ダンス・カンパニーにやってきたスージーのカットに変わる。駅の表示にサスペリアの文字がある遊び心の後、彼女は無理やり応募したバレエ団のオーディションを受ける。しかし、最初はここにメイン教師マダム・ブランは現れない。しかし、何かの感が働きブランがやってきてスージーのダンスを見て、彼女に入団を許可する。

 

ダンスレッスンの場、メインキャストの一人は、突然抜けると言い出し荷物をまとめて出て行こうとするが、なぜか誘導されるように鏡の部屋に閉じ込められる。一方レッスン場ではスージーのダンスが披露されていた。自分がヒロインのダンスができるという言葉に教師達がやらせたのである。ところが、彼女のダンスに合わせるように鏡の部屋に入ったダンサーが体を異常な形で壊されながらダンスを踊らされ始める。そして、最後は不自然な姿に折り曲げられ気を失う。カットが変わり、教師達はその女性に肉塊を吊るす時の鈎を引っ掛けいずこかへ連れて行く。

 

スージーの案内担当はサラという同年代の女性だった。二人はこの舞踏団に何かしらの疑念を持っていた。以前いたパトリシアの行方不明といい、先日の出来事といい、不気味に思っていたのである。

 

グレンベラー博士もパトリシアの行方を探すように警察に依頼、二人の刑事が舞踏団にやってくるが、舞踏団にいる教師達に、催眠術をかけられたようにいかがわしい行為をされているのをスージーは目撃する。そして、グレンベラー博士が警察署で尋ねても、二人の刑事は、今一番の社会問題は、現実に起こっているテロ事件だと説明される。折しも、ドイツ赤軍による旅客機乗っ取り事件が起こっていた。

 

物語が進む中に、何度も教師達がレストランで食事しながら雑談する姿が挿入される。何かの象徴であるのは明らかで、それがナチスを風刺したものか、現代の権力者を風刺したものか、いずれにせよ、魔女に見立てた権力者の描写だろう。

 

サラは、パトリシアの行方を探すべく、グレンベラー博士の元を尋ねるが、宿舎に戻ると、スージーは髪を切られ、何やらマダム・ブランの一味に加えられていた。

 

やがて、舞踏の発表の日が来る。グレンベラー博士も招待され、赤い紐で半裸の体を覆ったダンサー達の演舞が始まる。この場面の素晴らしさは、見てもらわないと説明できないほど見事である。

 

この演舞に何か不気味なものを感じ、一人、先日見つけた謎の部屋を散策していたサラは、赤い糸に絡められて、まるで餌のように捉えられているパトリシアら行方不明のダンサーの姿を発見する。慌てて外に出るが、突然、廊下にできた不気味な黒い穴に引き込まれて、骨折させられる。しかしそこにやってきた教師達が彼女の骨折を手で触っただけで見えなくし、サラは舞踏場へ。しかし、踊り始めると、突然、その場に崩れてしまう。

 

そのまま、演舞は中止になるが、その夜、地下の秘密の場所に集まった教師達らは異様なダンスを始め、儀式を執り行う。そこに、不気味に年老いた老婆のような化け物もいる。そこへ、スージーが現れる。どうやらこの老婆のような魔女は次の肉体をスージーにすべく儀式をしているらしいが、マダム・ブランが、何かおかしいからと中止を進める。しかし、不気味なダンスと儀式が続く。ところが、スージーがその老婆の元に近づくと、老婆はその場で生き絶え、他の教師やダンサーにスージーが近づいて、死を与えていく。

 

やがて地下からおぞましいような魔物が現れ、老婆にとどめを刺して、地下に消えていく。スージーは自分こそがお前達の母であると宣言する。私に解釈ではスージーこそ神なのではないかと思う。

 

全てが終わり、何事もないようにレッスンをし始める生徒たち。グレンベラー博士は儀式に参加させられたが今は自宅のベッドで弱っている。そこにスージーが現れ、グレンベラー博士の妻アンケが、どうやって死んで行ったかを説明してやる。そして、舞踏団での記憶を消してやって消えていく。

 

カメラは、最後の場面、ある石碑にカメラが近づいていくとハートが刻まれていて、グレンベラー博士の名とアンケの名がある。映画はそこで終わるが、エンドクレジットの後、スージーが画面を撫でて全ての記憶を消さんとしてエンディング。

 

スージーは神であったのだろうか。悪魔がたむろする舞踏団に現れて、浄化しようとしたのか。一方、舞台はベルリンの壁が目の前にあるベルリンで、何度も壁を背景にした絵が映され、ナチスドイツ、第二次大戦、ホロコーストなどのメッセージも見られる。スージーアメリカ人という設定にも意味があるように思う。

 

シンプルなホラーではなく、詰め込みすぎたメッセージ、シュールでアーティスティックな映像が、とにかく芸術品と言えるほどに素晴らしい。オリジナルを知らなければ、これはこれで、ある意味傑作と呼べる映画に分類するかもしれません。正直圧倒されました。

 

アンケを演じたジェシカ・ハーパー、さすがにおばあさんになってしまった。パトリシアを演じたクロエ・グレース・モリッツも、なかなかの存在感でした。