「二階堂家物語」
旧家の後継の問題を上滑りのストーリー展開で見せる静かな作品。どこか、ずれた感覚なのが最後まで気になる一本でしたが、ラストの処理は何か胸に伝わるものがありました。監督はアイダ・パナハンデ。
奈良の奥地で種苗会社を経営する辰也の二階堂家は江戸時代から続く旧家である。彼は息子を何かで亡くし、妻と別れ、今は娘と母と暮らしている。映画は、その辺りの関係を描写することを一切しないので、最初は人間関係も分からなかった。
娘の由子には彼氏がいるが、父のように、二階堂家がどうのと言う気はなく、実際アメリカン人が彼氏である。辰也は、母の勧めもあって、正妻に息子ができないときは二号であっても一緒になってほしいと一人の女性に頼んでいる。このシーンが映画のファーストシーンになる。
辰也は、会社で秘書をしてもらっている女性と懇ろになるが、その女性から、自分は子供をもう産めないと告白され、どこか戸惑う。会社に先代から使える源二郎は、年齢的なこともあり会社を辞めることになる。息子の洋輔は、由子と結婚できるなら婿養子に入ってもいいなどと言う。
由子が彼氏を連れてきた日、母は突然倒れそのまま死んでしまう。由子は、アメリカに戻ると言う彼氏の言葉に自分たちと同じ何かを感じ、つい喧嘩をし疎遠になってしまう。
家を片付けているとき、由子は父に、婿養子をもらってでも二階堂家はなんとかすると告げる。しかし、これは自分のことだと断る辰也。母が勧めた女性と横になる辰也のシーンで映画は終わる。
今時ここまで家系の存続にこだわる家があるのかは疑問だが、心のどこかで、誰もが感じているものはあるのかもしれない。それは日本だけでなく、世界共通だと言いたいのだろうか。いずれにせよ、どこか上滑りに見えるにだけが気になる作品でした。
「ゼロ地帯」
これも傑作でした。最近よくあるナチスものですが、映像の処理、ラストの絵が素晴らしい。反戦というより、戦争の虚しさを胸の奥まで訴えてきます。これが映画です。監督はジッロ・ポンテコルヴォ。
主人公、まだ14歳のエディスがピアノのレッスンを受けている場面から始まります。レッスンを終え、自宅に戻ってきたのですが、一瞬、周辺の人々が硬直して静止している状況に遭遇する。エディスの家の前にナチスが来ていて、ユダヤ人を連れ出していた。エディスの両親もユダヤ人で、トラックに乗せられていく。人々の止めるのも聞かず、エディスは母の元に駆け寄りそのままトラックに乗せられる。そして着いた収容所では、厳しい環境の中両親はガス室に送られていく。
エディスは、たまたま知り合った女性に、診療所を通じて非ユダヤ人にしてもらい、ニコルとして命を助けられます。しかし、毎日が厳しい中、ニコルは、どんな手段でもして苦痛から逃れたいと、命じられるままに将校の慰み者になる決意をする。そこで、次第にドイツ兵と親しくなり、やがて、囚人長カポの地位を得て、楽に過ごし始める。しかし、一方で仲間からは反感を買うようになる。
ドイツの戦況も悪化し始めた噂が聞こえ始め、ロシア兵の捕虜が入ってくる。そして、ニコルはロシア人のサーシャと親しくなり、やがてお互い愛し合うようになる。しかし、撤退の準備を進めるドイツ軍は、捕虜たち全員を抹殺する計画があることがわかる。
サーシャたちは脱走を計画、高圧電流のスイッチをニコルに切ってもらい、そのタイミングで脱走する計画が進む。しかし、スイッチを切った時点でサイレンがなることがわかり、当然ニコルが殺されるであろうことが判明。しかし脱走のリーダーはあえて彼女を犠牲にして大勢を助けることを選ぶ。
散々悩んだサーシャは直前でニコルに危険を教えるが、ニコルはあえて身を呈してスイッチを切り、ドイツ兵に撃ち殺されてしまう。サイレンの合図で捕虜たちは一斉に脱走を始めるが、機関銃の雨の中、大勢が殺されていく。
愛するニコルを犠牲にした計画なのに目の前で殺されていく捕虜たちを見てあまりの虚しさに絶叫するサーシャ。ニコルは、親しくなったドイツ将校の腕の中で生き絶え絶えに訴える。胸のドイツの紋章を剥がして欲しいと。そしてイスラエルの神を称え息をひきとる。
死体の山の中、逃げることも忘れたサーシャは愛するニコルを犠牲にした虚しさに涙し、映画は終わる。素晴らしいラストシーンです。これが名作。