くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想『ウタヒメ」「セイジ−陸の魚」

ウタヒメ

「ウタヒメ 彼女たちのスモーク・オン・ザ・ウォーター」
期待もしていない映画で、これといって好きな女優さんもでていない。というかどっちかというと好きではない女優さんがでている?映画なのですが、ちょうど時間がうまくあったので見に行きました。

と、これが実にさわやかで良かった。これだけ好みではない出演者が勢ぞろいしているのにいつの間にかこの映画のリズムに乗せられてしまいました。もちろん、映像としての完成度とかそんなハイレベルなおもしろさではなくて、素直に楽しんで、さりげなく笑って、そしていつの間にか胸が熱くなっている。いったい何なのかな?と思うのですがとってもいい映画に出会いました。

マンモグラフィの検査にやってきた黒木瞳扮する主人公の恵美子。短いカットバックでどこかコミカルに、でも男性にとってはちょっと気恥ずかしいようなシーンで映画が幕を開ける。そこで出会ったのがかつての会社の秘書室の後輩かおり。何とも素っ頓狂な性格とせりふの応酬で恵美子を困らせますがこの掛け合いの導入部が抜群に良い。かおりを演じる木村多江さんはテレビ版「白い巨頭」のガン宣告されたキャリアウーマンの役柄で泣きじゃくるシーンに思わず私も泣いてしまったほどの名役者さんです。

黒木瞳は好きな女優さんではありませんが、さすがにこの二人の間の取り方と掛け合いのうまさは絶品。そしてそこに絡んでくるのが南海キャンディーズの静ちゃん。漫才師の人の間のうまさはさすがに演技をしてもそれなりに見せてくれる。そこへさらに真矢みき扮する新子が入ってきて一気にアラフォー女性の軽快な物語になるという展開が実にうまい。

この作品、音に対するこだわりが見事で、冒頭、いらつく恵美子が車の中でウォーク・オン・ザ・ウォーターが流れてくるが、ここでもテーマ曲であるピアノの音楽は被さったままタイトルになる。この音へのこだわりがみごと。

恵美子の夫がでていくシーンでも、恵美子のアップに夫が靴を履く音が背後に流れている。こういうさりげない効果音の使い方が実に独特の映像センスなのである。

さらにスローモーションを多用するが、軽快なせりふの応酬を微妙なバランスで押しとどめる役割を果たして不思議なリズム感を生み出していく映像演出もおもしろい。

こうして結成された女性バンド、クライマックスは恵美子の娘の高校でのチャリティコンサート。いざステージというときに新子があがってしまって自宅に帰ってしまう。連れ戻した恵美子がみんなを集めてステージにあがると、帰りかけていた学生たちが戻ってくるというありきたりのラストとはいえ、ここからエンディング、そしてそれぞれの女性のその後のエピローグから暗転、ZARDの曲が流れるエンドタイトルまでがすがすがしいほどにさっぱりしあがっている。

もうすこし分析してみれば、この映画、ずば抜けた芸達者によるせりふまわしのうまさに支えられている。卓越した俳優さんというのはその語るせりふのポイントに強弱を作り抑揚を生み出している。これは練習により体得する部分と生まれながらの才能が必要で、さすがに素人が聞いてもどこがどうと言えない。しかし、なぜか胸に迫ってくるせりふというのはこの才能によるものなのです。

さすがに黒木瞳真矢みきも宝塚のトップスターだけあってそのあたりが見事なのだろう。さらに西村雅彦、佐野史郎などのわき役の些細なせりふもきりっと決まるのである。木村多江もしかり。こういう本物の俳優さんが演じたことと星田良子の感性が生み出す演出が見事にコラボしたのだろうと思います。

決して、傑作ではないが小品ながらの秀作として私はこの映画を楽しめた気がします。いい映画ですよ。

「セイジ 陸の魚」
俳優の伊勢谷友介が監督をした作品で、西島秀俊が主演したちょっとレアな映画です。俳優さんなど素人さんが映画を作ると時として映像で遊んでしまったり、自分の主義主張を訴えかけるばかりになってプライベートフィルムのようになることがありますが、この映画、ちょっと味のある映画でした。

たまに、映像で遊んでしまったりするところもないわけではありませんが、一本筋を通したストーリーテリングで見せていく演出はそれなりに評価して良いような気がします。

駒落としの都会の風景から映画が幕を開ける。暗闇から森山未來扮する青年が自転車で走っている。就職先も決まった卒業間近の大学生が自転車で遠乗りしてやってくる。

途中、深夜にひき殺された動物を見つけたりするシュールなシーンのあと車と接触してそのまま山間の村のはずれのBARにつれていかれる。そして何となくそこで働き始める森山。そこにはオーナーの翔子(裕希奈江)と雇われ店長のセイジ(西島秀俊)がいる。そしてその村の若者だろうかのたまり場のようになっている。近くには地元の地主の農家であろうか大きな家に老人(津川雅彦)と孫のりつ子が住んでいる。

そんな設定で森山がしばらく暮らすここでの生活が描かれていく。冒頭の数シーンが時間の入れ替えで組み直される映像が見られ、ちょっと凝った演出が見られたりもする。

セイジは実は少年の頃親を殺し少年院には行っていたという経歴があり、一人いた妹が少年院には行っている間に死んでしまったという悲しい過去を持っている。そのために陸の魚のごとく生きていることをやめてしまって放浪の末にここに落ち着いているのである。

ある日、連続殺人鬼が老人の家を襲い、律子の両親を殺害りつ子の腕を切り落として逃走する。りつ子はショックでその日から口が利けなくなる。

そんな老人の家にBARに集まる若者たちがりつ子を直そうと集まる下りが実に暖かいドラマになってくる。なかなかりつ子のところにいかなかったセイジはある日成り行きで老人の家にやってくる。そしてりつ子のところに若者たちが集まる前で斧で自分の手を切り落としそのショックでりつ子の正気を取り戻すのだ。

20年後、森山はふつうの男になってこの村に訪れる。すでにBARはあれ果てているが、管理しているのは片手になったりつ子だった。

自分の生きる意味に疑問を持ち放浪しているセイジがりつ子の心を取り戻すことで自分の存在の意味を取り戻すクライマックスは壮絶であり、ふつうの就職を手に入れふつうに生きていくことへの疑問に悩む森山がセイジに出会うというストーリー構成は原作があるとはいえしっかりと腰を据えた演出で見せていく伊勢谷友介の視点は確かなものである気がします。

結局、現実に戻る森山は20年後りつ子に再会して今までの自分の生き方を振り返るようなエンディングのショットは不思議な感慨を残して映画を終わらせます。その意味で味のある映画だなと言う思いに駆られました。